民藝に特別興味があるわけではないのに、展覧会があるとフラッと行ってしまう。どこか惹かれるものがあるのだろう。そういう無自覚な関心が民藝に対してはある。前回は4年前。MOMATで見た。
今回の展示は、染物、織物、焼物。1940年制作の記録映画も上映されていた。10分程度の短い映像だったけど、悲惨を極めた戦争以前の沖縄を写した貴重な映像だった。
展示品で目を引いたのは、抱瓶(だきびん)と呼ばれる焼物のスキットル。スキットルと同じように三日月形に湾曲している。肩紐をつけて腰に下げて使うらしい。片口や一輪挿しにも使えそう。
図録はなく、会場の外で即売会をしていた。値段も高くはなかったので、お猪口を一つ、記念に買った。
即売会では石垣の民芸品、ミンサー織も販売していた。展示に八重山の品がなかったのは柳は本島までしか訪問しなかったからだろう。八重山にもきっと独自の民藝がある。
これで夏の美術館めぐりは締めくくり。次回は、静嘉堂文庫美術館で民藝を見る。
さくいん:沖縄、石垣
ずっと大事に使っていたクリスタルグラス、アルクールが欠けてしまった。唇が当たる縁の外側に小さな三角形。一辺2mm程度か。
口をつけても切れるような欠け方ではない。遠目にはまったく見えない。これからも使えないわけではない。それでもショックは小さくない。
日中は麦茶、夕方にはハイボール、酒を呑まないときには炭酸水。一日中、使い倒しているからキズがつくのも仕方ないかもしれない。
研磨して修理することもできるらしいけど、けっこうにお金もかかりそう。
使えないわけではないから、このままにしておく。そのうち買い替える。
その前に、還暦の祝いには違うデザインのグラスを自分で自分に買うつもり。
20年以上、自分でデザインしたサイトで文章を書いている。そのあいだにWebデザインはどんどん進化している。過去に書いたhtmlやCSSは時代にそぐわないのではないか。
調べてみると、CSSで指定しているフォントが時代遅れらしい。とくに「メイリオ」「MS Pゴシック」が古い。時代の主流のブラウザでフォントを読み込む方法で「Noto Sans JP」が主流ということもわかった。
さて、どうするか。時代遅れのデザインを最近の主流にアップデートすべきか。「歴史」としてそのままにしておいていいものか。
試してみたところ、最新フォントを指定するとページによってデザイン全体が崩れることもある。これは困る。そこで、古いものは古いまま残すことにした。デザインが崩れないことが確認できたページはCSSを一部修正した。
いま書いている最新の第六部と第七部では、フォントセットを最新のものに更新した。「Noto」は結局、導入していない。
ユニバーサル・デザインやレスポンシブ・デザインなど、時代に合わせて修正した方がいいところも少なくない。その一方で、古いデザインには、その時代の流行と私の技術レベルが反映されているので残したいという気持ちもある。安易にいじるとデザインが崩れるケースもある。
最近のhtml/CSSの事情はあまり知らない。採用するかどうかは別にしても、最新の情報は知識として仕入れておいた方がいいだろう。図書館に昨年出版された本を予約した。
追記。
何冊か借りてみたけれど、どれも事典的なつくりで最近のデザインの傾向をつかむことはむずかしい。こういう情報はネットで探したほうがいいかもしれない。
17自01分に退勤ボタンを押して会社PCをシャットダウン。
コンビニまで歩いてジャンキーなつまみを購入。
昼休みに冷蔵庫に入れておいた缶ビールを取り出して自室へ戻る。
YouTubeで"smooth jazz"を検索して流す。
寛いだ気分で缶ビールを開ける。
週末のブログをuploadする。
ビールを呑む。
書き終えてある週末の箱庭をアップロードする。
18時半までは何もしない時間。本も読まない。音楽も聴かない。勉強もしない。
金曜日は妻が非番の日が多いので、夕飯の支度は任せる。
19時に夕飯を食べる。
天気予報、ニュース、首都圏ネタドリ、首都圏ニュース845を見る。
テレビ、入浴、読書。
22時には就寝。
さくいん:日常
昨年、上昇された最新の天体写真集。史上最大の衛星望遠鏡、ウェッブがとらえた宇宙の姿が収められている。
書いてあることはほとんどわからないので、美しい天体写真を楽しんだ。
私が住んでいるところでは、街明かりのせいで星空はほとんど見えない。でも、家の近くに図書館があるから、こうして、いつでも遠い宇宙の彼方まで眺めることができる。
先月観た江戸東京博物館の特別展の図録。展示では細かいところまで見られなかったので図録を買って復習することにした。
本書は、展示にはなかった東京以外の洋館も多数紹介していて、将来の旅の参考にもなる。多くの洋館が移築されている明治村にはぜひ行ってみたい。
和洋折衷の「洋館」という建築様式じたいが興味深い。材料や技術の制約があったために生まれた様式がいまでは文化遺産になっている。歴史は、そしておそらくは人生も、何が幸いするか、わからない。
幕末明治の都市開発で驚くのは、お雇い外国人たちの若さ。皆、とても若い年齢で大きな仕事に関わっている。彼らの情熱の源は何だったろう。発展途上国の開発に携われることか。本国とは違い、若くても大きな仕事を任されるからか。政府が用意した大きな報酬か。
いずれにしろ、開国したばかりの遠い外国で才能を活かした仕事ができるということは、喜びと同時に多くの苦労もあっただろう。
東京にはたくさんの洋館があった。関東大震災と大空襲で多くが失われてしまった。もし洋館が数多く残っていたら、東京の街そのものも世界遺産になっていたかもしれない。
自然災害は避けられなかったとしても、多くの市民を犠牲にした無差別爆撃は避けることができた。この大きな損失には、無差別爆撃を行ったアメリカ、本土爆撃をされるまで戦況を放置し、国民を守る措置を講じなかったた日本、双方の政府に責任がある。
さくいん:明治、藤森照信
土曜日はうつ病治療の月一診察日。新しいスニーカーを履いて出かけた。
通院しているクリニックでは、靴を脱いでスリッパに履き替える。紐靴では一手間かかる。そこで紐がない、靴ベラも使わずに履けるSkechersの靴を買った。このブランドの靴を買うのは2足目。不思議なのは、26cmの1足目より25.5cmの2足目のほうがゆるめなこと。
靴幅が関係しているのか個体差なのか、わからない。店で試してから通販で購入したのに、ちょっと思惑が外れた。とはいえ、足が抜けてしまうほどのゆるさではない。
診察では、会社で当たりのキツい人がいること、そういう人に限って人に厳しく、自分に甘い。こちらはいつも責められるばかりで苦しいと訴えた。残念ながら、S先生から具体的なアドバイスはもらえなかった。
結局、精神科は動悸が止まらないとか、眠れないとか、常に落ち込んでいるとか、心身の明確な変調を訴えないと治療になる助言はしてくれない。裏を返せば、私は、そういう深刻な症状は治りつつあり、自分の力で感情をコントロールする訓練が必要な段階とも言える。
病院のあとは日高屋でランチを済ませてカラオケを2時間した。
夏も終わるので、オフコース「夏の終り」、稲垣潤一「夏のクラクション」、桑田佳祐「風の詩を聴かせて」などを歌った。思い切り声を出して、スッキリした。
やはり、カラオケが一番効果の高いストレス・コーピングみたい。
さくいん:うつ病、S先生、オフコース、稲垣潤一、桑田佳祐
横浜美術館でマリー・アントワネット展を見るための予習として図書館で借りてきた。
大学は世界史で受験したし、『ベルサイユのばら』も読んだことがあるし、ヴェルサイユ宮殿で彼女が作らせた田舎風の別荘も見たので、マリー・アントワネットについてはひと通り知っているつもりだった。伝記を読むとその最期だけでなく、生涯もけっして幸福なものではなかったことがうかがえる。
文字だけの伝記と写真が多い伝記を読み合わせたのは好都合だった。印象に残ったのは、生涯、自分だけの世界に没入していたように見られること。若くして故郷をはなれて、当時の王室としてはごく当たり前の政略結婚で外国へ来たせいだろうか。
母親(マリア・テレジア)は統治能力も高い、強い君主だった。その厳格な教えは、娘に送った手紙にもあらわれている。しかし、愛娘は母のような啓蒙君主にはならなかった。
彼女は国家の統治ということにはほとんど関心がなかったように見える。部屋や調度品は自分好みに模様替えをして、別荘と庭園を造営させ、自分だけの優美な世界に耽溺した。伝記本にも「逃避か、楽園か」という名づけられた一節がある。
当時、一般の国民からは不評を買ったこうした行動が、現代では文化遺産として認められていることに皮肉を感じないではいられない。
この歴史の皮肉を展覧会ではどう見せてくれるのか。観覧が楽しみ。
Twitter(現X)に投稿した文章を加筆修正して自作サイトのブログに掲載している。
書きたいことがありすぎて、いつも1ヶ月くらい先までブログのファイルは埋まっている。この文章を書いているのも8月半ば。
克明に行動を記録する人がいるらしいけれど、私の場合、克明に思考を記録したいのかもしれない。
暇があるといつもiMacの前に座っている。新しい文章を書いたり、前に書いた文章を推敲したり校正したり。
それでも、たくさん書いている、といっても、辻邦生の日記や創作ノートに比べたら、私のメモやブログはたいした量ではない。
何といっても手書きの量が足りていない。机の上にメモ帳とボールペンを置いてあるのに、なかなか手に取らない。つい、キーボードを叩いてしまう。
スケジュールもiPhoneと同期できるアプリのメモ帳やカレンダーを使っている。
何か工夫しないと、ほんとうに漢字を忘れてしまいそう。
さくいん:辻邦生、Apple
生産拠点を人件費の安い東南アジアへ移すという話はよく聞く。実はホワイトカラーにも同じようなリストラがある。
いま働いている会社は多国籍企業。ITサポートや財務経理の一部、労務管理まで、国内でかなりのリストラをして東南アジアに移した。
現地で日本語ができる人を雇う方が安いらしい。上手ではあっても流暢とは言えない。
ニュアンスがうまく伝わらない日本語で会話することは結構なストレスになる。加えて困るのが休業日。日本の祝日ではなく現地に合わせて休業となるため、その日はどんなに困っていても助けてもらえない。ITサポートは国内でしてもらいたい。
リストラといえば、明日は我が身。正社員ではない非正規雇用だけど、5年以上働いたので無期雇用の契約書を私は持っている。
この契約書は、私の定年退職まで我が身を守ってくれるか。あと7年。
さくいん:労働
いま働いている会社、外資が古い日本企業を買収した経緯があって、古い体質の日本企業と外資系企業(ヨーロッパ系)の性質が混在している。
日本企業の古い体質で気になるのが、社員の家族に不幸があるたびに全社員に通知が出ること。
死を含めて、家族の異動は、個人情報の中核ではないか?
なかには、多くの人には知られたくない死もあるだろう。
この旧弊、早くやめてほしい。
夜、YouTubeで教会の説教を聴きながら目を閉じることがある。私たちの結婚式を司ってくれた牧師の話を聴けるのがうれしい。
話のなかでときどき数字が出てくる。気になったのは40という数字。モーセが率いてイスラエルの民がエジプトを脱出してから約束の地を見つけるまで40年かかった、という文脈で聴いた。40は神を表す完全数という。
ほかにも三位一体や12人の使徒、13日の金曜日など、キリスト教を理解するために重要な数字がいくつかもある。そんな関心を持っていたところ、立ち寄った教文館で本書を見つけて購入した。
本書は、一神教に始まり13日の金曜日まで、キリスト教にまつわる数字を解説している。内容は盛りだくさんで微に入り細に入る。ところどころに挿入されたコラムも面白い。
数字からは離れるけれど、文庫版あとがきに強く心に残る言葉が書かれていた。パウロの言葉は「1コリント3:16」を踏まえている。
パウロの言うように、すべての人の内に「超越」とつながる何かがあるからこそ、人はいろいろな形で「真・善・美」を追求し、分かち合おうとしてきた。神殿は人の数だけ「無数」にあるということだ。数字の多寡で権力を獲得する「多数」ではなく、人類の普遍という超越的な価値を視野に入れた「無数」の地平こそ、私たちは標榜し、追求するべきではないだろうか。
特定の宗教にこだわらない、人類に普遍な「超越的な価値」という言葉に共感する。島薗進が繰り返し説いている「スピリチュアリティ」という言葉に通ずるところもあると思う。
さくいん:竹下節子、イエス(新約聖書)、パウロ、島薗進
先週金曜日、帰省する前に三越に寄り、昨年に続き、伝統工芸展を観た。
急いでいたので、好きな分野の陶芸、漆芸、金工の展示を駆け足でまわった。
作品を眺めながら、写真に撮りたい作品の前で立ち止まるうちに、自分の好みがわかってきた。なめらかな線や面。単色かそのグラデーション。淡い色合い。青、緑、白。縁なし。細かい金の象嵌。
ゴツゴツしたものや色とりどりの作品にはそれほど惹かれない。
以前、汐留美術館で見た中川衛と再会できたことがうれしい。
- 氷青磁鉢、青木昌勝
- 象嵌花器「暮れ色の運河」、村上浩堂
- 青白磁彫文花器「流景 - 2026」、浦郷壮
- 象嵌朧銀花器「凪」、中川衛
さくいん:汐留美術館
土曜日、母を連れて横浜、そごう美術館で鈴木信太郎展。
何の知識もなく、行きつけの美術館だからという理由だけでふらりと入ってみた。
すると、作品を見ているうちに引き込まれ、会場を出る頃にはすっかり彼の色使いに魅了されていた。とくに青と緑がいい。
「バスの通る道」では、緑が生い茂る並木道の真ん中を黄色いバスが通る。バスに視点が置かれ、ゆるやかな遠近法で描かれた風景がやさしい。氷川丸も、山下公園の緑、海の青、船の白の色分けが美しい。
鈴木信太郎の素朴さは会津の風景を描いた斉藤清の版画にも通ずるし、ナイーブアート的な画風や色使いには清水登之に似たものを感じる。そんな風に、うまく説明はできないけど、私が好きな画家たちと共通する匂いがする。
気づくと図録も買っていた。
鈴木信太郎は西荻窪にあるフランス料理店「こけし屋」のマスコットと包装紙をデザインしていた。人形を描いた作品を見たとき、前に見た記憶があったのは間違いではなかった。
絵画でも、音楽でも、文章でも、気に入ったアーティストは名前を知る前に出会っている。そういうことはよくある。
さくいん:そごう美術館、斎藤清、清水登之
先週末、横浜みなとみらいに一泊旅行をした。そのあいだに横浜美術館で「マリー・アントワネット」展を観た。
ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館が企画をした大規模な展覧会で、世界中を巡回するらしい。
V&Aの特設サイトに掲げられている言葉が本展の本質を見事に物語っている。
A complex fashion icon, Marie Antoinette's timeless appeal is defined by her style, youth and notoriety. Explore the lasting influence of the most fashionable (and ill-fated) queen in history – with over 250 years of design, fashion, film and art.
愛らしい王妃は国威発揚にも役立つ一方、豪奢の度が過ぎると庶民の反感を買う。さらに時を経て、不運な王妃として偶像化した。日本では池田理代子『ベルサイユのばら』が有名。現代では多くのデザイナーが引用するようになった。
ダイヤのボウ形アクセサリーや、革命のさなか、オーストリアへ脱出できた娘から伝来し200年後にオークションに登場したという真珠が見事だった。
もっとも、妻に言わせると、ダイヤのカット技術も真珠の粒を揃える目利きも進化しているので、歴史的価値はあっても、ジュエリーとしては、いま店頭に並んでいる品物のほうが輝きではまさっているだろうということだった。
さくいん:横浜美術館
先月、母の要介護度判定を臨時にしてもらった。検査は市の委託した判定員と医師と二度あった。その結果をケアマネージャーが知らせてくれた。
要介護度は2に上がった。残念ながら、認知症は着実に進行している実感がある。医師との面談は医師が驚くほど調子がよかったけど、判定員はよく観察していたのだろう。
本来なら落胆すべきことだろう。そういう気持ちもないわけではないけど、違う気持ちもある。
持ち出しは最小限にとどめたまま、介護保険を使って受けられるサービスが増えて、正直、ほっとしている。
会えば同じ話を繰り返すし、日付や曜日もあやふやだけれど、母には一つ、しっかりしているところがある。毎日、デイサービスから帰宅するとiMessageを送ってくる。毎日、安否確認ができるのはありがたい。念のため、リビングにはカメラも置いてある。
気になっていた、ある映画をAmazonプライムで見終えた。タイトルは伏せておく。
私はやっぱり映画の見方を知らない、映画オンチなのだろう。ネットでは高い評価を得ている作品なのに、私にはまったく時間の無駄に思えた。
登場人物の誰にも共感できない。テーマもわからない。
喪失と悲嘆と再生がテーマなのか。その点を評価している人は少なくない。
それが描かれているようには、私にはとても思えなかった。
突然の死別体験で生じる悲しみは、そうそう簡単に癒されたり、分かち合えたりするものではないと思う。事実を受け止めるだけでも、とても長い時間がかかるはず。
それを、たとえ作品のなかで長い時間が経過しているようにしても、2時間程度のあいだに解決させてしまうから、物語が安っぽいものになる。悲しみがいつまでも続いていく余韻が欲しい。
私の悲しみが深すぎて、こじれすぎているのか。それとも、いまの世の中には浅い悲しみしか知らない人が多いのか。
さくいん:悲嘆
きれいな写真がたくさん掲載されている写真集を見つけた。
コロナ禍の時期、ネット上で話題を呼んだハッシュタグ、#みんなの地元推しをきっかけにして制作された写真集らしい。皆が旅に飢えていた頃。元の良さを再認識した頃。
うつ病の症状が重かった頃に、『うつの世界にさよならする100冊の本』という本に美しい景色の写真集を眺めるといいという助言をもらった。そのときには紹介されていたマイケル・ケンナの写真集を手に取った。
この写真集も気分が落ち込んだときに何もかも忘れて、頓服薬として眺めるといいかもしれない。桐生市にある大川美術館の創設者、大川栄二は美術作品を見ることを「心の洗濯」と言っている。
本書には、まさしくその効能がある。美しい景色を眺めていると、自然と心が洗われていく気がする。
もう一つ、思ったこと。ちゃんとしたカメラが欲しくなった。いい写真を撮るためには、いいカメラが必要なのかも。技量の問題だけではなさそう。スマホでこの風景は撮れない。
この本は延長して3週間、借りた。手元に置いてもいいと思うほど気に入った。熟考の末、見たくなったらまた借りるという結論に落ち着いた。
さくいん:うつ、マイケル・ケンナ、大川美術館(大川栄二)