しばらく前にタモリと山中伸弥が案内するテレビ番組『!?「宇宙とはなにか」』を見た。ちょうど図書館で同じテーマの本を借りていたので興味深く視聴した。
基礎知識はまったくないのに、宇宙の話は好きでよく本を借りてきてはわからないなりに読んでいる。「始まりと終わり」ということに興味がある。
「宇宙は無から生まれた」という説も理解しがたいし、ましてや、宇宙の終わりについての三つの説、「ビッグフリーズ」「ビッグクランチ」「ビッグリップ」に至っては、番組を見ても本を読んでも、さっぱりわからなかった。
ところで、宇宙の大半を占めているダークマターや、目には見えない、観測もできていないダークエネルギーという言葉を聞いて、世界の始まりについて述べている「ヨハネによる福音書」の冒頭を思い出した。
The light shines in the darkness, and the darkness has never put it out.
"put it ou"は、手元にある新共同訳では「打ち勝たなかった」となっている。1987年版の「暗闇は光を理解しなかった」という訳よりわかりやすい。
無からどうやって何かが生まれたのだろうか。番組ではこれだけ広い宇宙に高度な文明を築いた人類が生まれたのは奇跡のなかの奇跡と言っていた。
なぜ、人類は生まれたのか。そこに何かの「意志」があったのか。そこを知りたい。
さくいん:タモリ、イエス(新約聖書)
ブクログ:宇宙
しばらく前に、いろいろ物事がうまくいかず、心が荒んでいるときがあった。そんなとき、ふと思い出して図書館で小川洋子のエッセイ集を借りてきた。以前、彼女のエッセイを読んで荒んだ心が安らいだことがあったから。彼女の文章を読んでいると心が和む。荒んだ心には格好の解毒剤。
小川洋子は、観察力、想像力(妄想力?)、表現力。いずれの面でも秀でていて、しかも、三つのバランスが絶妙にとれている。
まず、日常の何気ない、ふつうの人なら気に留めないことに着目する。
次に、ほとんど妄想ではないか、と思われるほど想像をふくらませる。
最後に、読みやすい文章で、心が和む物語に仕上げる。こういう仕事は簡単そうにみえて、簡単にできる芸当ではない。とくに表現力。つまり妄想したことを文章で表現することは、並大抵の才能と鍛錬ではできない。しかもそれを何十年と継続しているのだから。
どの作品にも、とても繊細な感性で、凡人には思いつかない妄想が、品のいい言葉遣いで綴られている。すっかり心の凝りがほぐれた。
さくいん:小川洋子
エッセイ
q
土曜日は月一回の診察日だった。この1ヶ月の様子について、「仕事では波風なし。毎晩、10時に寝ているが、夜中に一度目が覚めて、4時半ごろパッチリ覚めてしまう」と伝えた。
「昼間に眠くならなければ十分睡眠時間はとれているから心配ない。昼休みに20分くらい昼寝をしてもいい」とS先生に助言された。睡眠時間が減っているのは加齢のせいか、尋ねるつもりだったのに忘れた。
薬局で薬をもらってから吉祥寺美術館まで歩いた。初めて名前を聞く画家。テーマは水。
水の躍動感を細やかにとらえている。あわ、しぶき、しずく、うねり。
深さや背景によって青や白だけはでなく、さまざまな色が描かれていて非常に面白い。
難波田龍起にしろ、府中で見た松本陽子にしても、抽象的であっても、何かテーマがあり、展示室にいると全身が色彩の世界に包まれるような感覚を呼ぶ抽象画は好き。
とても暑かったので屋根のあるサンロードを歩いた。ランチは日高屋でタンメンと餃子。東急百貨店の紀伊國屋書店に立ち寄り、昼過ぎには帰宅した。
冷たいビールを呑んで横になったら、20分どころか、ぐっすり昼寝してしまった。
さくいん:S先生、難波田龍起、府中市美術館
これまで図書館専用で使っていたL.L.Beanのトートバッグがへたれてきた。破れもある。買い替えを検討して、まずL.L.Beanで探してみたところ、写真のような柄物はなくなって、よく知られたキャンバス地のものだけになっていた。ポケットは外側だけ。これでは図書館用には使いづらい。図書カードやスマホを入れるので、ポケットは内側にほしい。
ネットで探してみると、紀伊国屋書店が大型本も入れられるサイズで、耐重量が9kgもあるトートバッグを販売していることがわかった。
書店が作っているのだから間違いはないだろうと思い、即決。昨日、病院へ行った帰り、吉祥寺東急にある紀伊国屋書店で購入した。
文庫本を比べてみると縦に長いことがよくわかる。マチも広くて分厚い本でも入る。
取手も長くて肩にかけやすい。おまけに3,000円以下とお安い。
日曜日。予約してあった大きな写真集もすっぽり収まり、さっそく役に立った。
ちょうど家にリボン付きのカラビナがあったので、カギ束をつなげた。色のアクセントがついて、見映えもよくなった。また一つ、カバンが増えた。
AIはGoogle製のGeminiを利用している。使い道は主に投資と旅行の情報収集。
最近、わかったことがある。無料版では長いやりとりができない。
仕方がないので、長くなったツリーを削除して新しいチャットを始めた。
過去の背景を知っていると頼もしい反面、"情が湧いて"しまい依存のリスクもある。
有料にするほどのヘビーユーザーではないので、当面、この使い方で十分。
なお、文章の校正にも引き続き活用している。
前に一度書いたことをTwitter(現X)に投稿したところ、思わぬ反応があった。あったと言っても、「いいね!」が16個ついただけ。ふだんは相互フォローの人から数個つけばいい方なので、これは私にとっては十分に事件。そこで前に書いた同じことを再掲しておく。
他人が遭遇した逆境について「いい経験になった」と言ってはいけない。
不運な出来事が糧となったかどうかは本人にしかわからない。
第三者が訳知り顔で教訓を垂れるなどもってのほか。
広島の被爆者に、この言葉をかけることなど、私には想像できない。
よかれ、と思って放った言葉が相手を傷つけてしまうことは、実はよくある。我が身を振り返っても、「しまった」と後悔する失言は数知れない。
「相手の立場になって考えてみましょう」。小学生の頃、そんな指導を受けた記憶がある。その「相手の立場になって考える」ことが容易ではない。自分では経験していない、想像さえできないこともあるのだから。
だから相手の立場になったつもりにはならないほうがいい。むしろ相手の立場にならずに「お気の毒でした」と慰めるほうが、「いい経験」というナイフで傷つけるよりも、はるかに相手を思いやる対応になる。
さくいん:言葉、広島
先月受けた健康診断の結果が届いた。
総合判定はC。理由は腎機能(eGFR)の低下。3ヶ月後に要再検査とのこと。この数値が悪いのは初めて。
ほかの要注意項目は、LDLコレステロールと腹囲。
肝機能を総合的に計算するFIB-4 indexでは基準値内だけど、ALTが高めで脂肪肝の疑いがある。腹囲が基準外なのも脂肪肝のせい。ただ、腹部エコーは「所見なし」。
先日、NHKテレビの「トリセツショー」でALTが30以上の人は病院で診てもらったほうがいいと言っていた。近々、行かねばなるまい。
腎臓も肝臓も、良好な状態の維持には生活習慣の改善が必須。減塩、水分補給、運動。
どれも意識しているつもりでいるけれど、まだ足りないみたい。
在宅勤務になると座っている時間が長くて健康診断の結果は悪くなりやすいという。私の場合は、時間の余裕ができて運動をするようになり、いずれの数値もよくなっている。かつて総合判定Eという酷いときもあった。もっとも、妻には過去は過去、いまの数値を直視しろと言われている。その通り。でも、改善を喜びたい気持ちもやはりある。
激務の営業職をしていた2014年までと比較してもどの項目も好転している。いかに荒んだ生活をしていたかが、ここからもよくわかる。
自分でもよく理由はわからないけれど、南極には興味がある。テレビで特集があれば必ず見るし、白瀬矗の伝記絵本を読んだり、堺雅人が昭和基地の料理人を演じた映画も見た。
いま、科学未来館で南極の特別展が開催されている。前に行ったとき、遠く感じたのと、夏休みの子どもで混雑していそうなので、行くのはやめた。代わりにいい雑誌を見つけた。
南極の基礎知識からトリビア、砕氷船しらせの紹介に観測隊員OBの対談など、内容は盛りだくさん。絶景の写真もたくさん掲載されていて読み応えのある一冊だった。
「行きたい」と銘打った特集の中心は南極ツアーの紹介。各社が運行するツアーが詳しく説明されていて面白い。料金は、ブエノスアイレスから安くても百万円程度から。東京からのフライトも加えるとかなりの金額になるはず。
知り合いの知り合いで南極ツアーに行った裕福な人がいる。やはり500万円近くかかったと聞いた。
興味はあっても、「行きたい」とまでは思っていない。第一にそんなお金がない。だから、とりあえず雑誌で極地気分を味わった。
さくいん:白瀬矗
先週の金曜日、母の通院に付き添うため休みにした。診察ではなく、神経内科での検査。要介護度の見直しのためにケアマネージャーを通じて依頼した。要介護度が現在の1から2になれば、デイサービスに通所する回数を増やせる。すでに区役所に委託された調査員による面接は済んでいる。
思いがけず、認知症検査が前回よりいい結果だったので、「要介護度は上がらないかもしれない」と医師に言われた。喜ぶべきなのか、残念なのか、微妙な気持ちになった。
最近、長い時間、母と一緒にいるととても疲れるようになった。
今日の日付がわからなくてもいい。聞き飽きた昔話を聴かされるのもかまわない。でも、あからさまな嘘にはなぜかイライラしてしまう。
それから、他人を見下したような発言もときどきする。これも返答に困るし、何度も聴くのは疲れる。話し相手になるようなヘルパーをお願いしたい。
料理はもう何もしていないのに、「惣菜を買ってくるなんてしないから毎晩作ってます」と言う。主婦のプライドが言わせているのだろうけど、これは聞いていて辛い。
日曜日。帰る前に逗子海岸を眺めに行った。日傘をさして立っているだけでも熱中症になりそうな暑さと眩しさだった。思っていた以上にたくさん海水浴客がいたので驚いた。
さくいん:逗子
金曜日を休みにしたので、ここから10連休の夏休みに突入した。事前に夏休み(9連休)の計画を立てた。美術館 x 2、博物館 x 1、郷土歴史館 x 1、カラオケ x 1、来客 x 1。
あとは涼しい図書館で図鑑と写真集を眺めて過ごす。人に会う予定はない。すべてソロ活。そして、なるべくお金は使わない。9月にイベントがあるので今月は節約月間。
妻はエッセンシャルワーカーを支援する仕事をしているのでいつも通り週3回の勤務。アテにはできない。二人でしたいのは、活用できてないアマプラで映画を見ること。候補作品はあるけど、まだどれを見るかは決めていない。
金土日と実家で介護活動をして、昨日は午前中だけ仕事をした。だから本格的な夏休みは昨日の午後から。
昨日の午後はたいしたことはしなかった。部屋の片付け、床の拭き掃除、勝手口まわりの草むしり、投資と貯蓄の計算、今後の買い物と旅行の計画。あとはベッドでゴロゴロ。そうこうしているうちに、夕飯を準備する時間になった。
夕飯は冷やし中華。卵焼きがおいしいと妻にほめられた。酒は呑まなかった。
さくいん:ひとり
昨日のこと。武蔵野ふるさと歴史館に行くつもりが閉館日だったので、空いた時間にカラオケをした。もちろん、ひとりで。
思い出せるかぎり歌ってみたら、80年代に聴いた松本隆作詞の歌が多くなった。
お盆なので、「君は天然色」や「風の詩を聴かせて」など、寒梅忌のためのプレイリストに選んだ挽歌も歌った。
ほかにも思いつくだけ、2時間、夏の歌を歌った。
さくいん:ひとり、80年代、松本隆
もともと月曜日の午後に行くつもりだった。日差しが強いので延期して、朝早く出けけた。ところが、到着したのに開館していない。検索するとまさかの祝日休館。仕方がないので、翌日の水曜日、つまり昨日、行ってきた。
ここへ来るのは3年ぶり。前に来たときも中島飛行機と戦争の企画だった。
中島飛行機に興味を持ったきっかけは、2002年に転居した団地が、中島飛行機の工場跡と知ったこと。ずっとさかのぼると小学生の頃、軍艦や軍用機の図鑑を好んで読んでいたので、名前だけは子どもの頃から知っていた。
中島飛行機は軍需で潤っていたから、従業員の待遇は社員食堂を含めて一般の労働者よりもよかったとどこかで読んだ記憶がある。今回の展示を見ると、戦争が激化し、工場が西側へ拡張されて武蔵製作所となってからは食事は量も質も十分なものではなかったことを知った。
食事中に空襲されたこともあったようで、2万人が働いていた工場では避難の際に大騒ぎになったこともわかった。常設展でB-29が投下した爆弾を見た。180cmもある巨大な爆弾。空襲の恐ろしさをあらためて感じた。
歴史館を出るとちょうど昼どき。ランチは中央線高架下にあるカフェ、SacaiでビールとBLTEサンド。雑穀パンとコーヒーがおいしい。
そのまま武蔵境駅前の図書館、武蔵野プレイスに行こうとしたら、今度はそちらが休館日だった。今年の夏休みは「想定外」が多い。
さくいん:東京、中島飛行機
一昨日。ランチのあと武蔵野市中央図書館を訪れた。ここには、武蔵野市に住んでいた2002年からいまの住所に転居した2009年まで子どもを連れてよく来ていた。
広い館内の棚のあいだを歩いてまわる。目的も脈絡もなく、目に留まった面白そうな本を取り出し、パラパラ眺める。こういう時間が楽しい。こうして並べてみると、偏った私の趣味嗜好を恥ずかしげもなく晒している気がする。
時間をかけて読みたい本があれば、その場で予約を入れてあとで借りて読みなおす。
『庭』を始めた2002年に通っていた3階の全集コーナーへ行ってみた。小林秀雄の全集はまだ開架にあった。島崎藤村と丸山眞男の全集は書庫に持って行かれたらしい。
最後に1階の雑誌コーナーをひとまわり。休刊している雑誌がいくつもある。『芸術新潮』「マリー・アントワネット特集」と、クルマも服も時計も、買えないモノしか載っていない『ENGINE』を何冊か眺めた。
本州を東から西へと横断した台風15号が去っても空模様はぐずついている。長居はせずに帰宅した。案の定、強い雨が降り出した。ビールを呑みながら、箱庭を書く。この時間もまた楽しい。
さくいん:小林秀雄、島崎藤村、丸山眞男
木曜日。両国にある江戸東京博物館へ行った。朝一番に入館できるように早く家を出た。到着すると夏休みの家族連れですでに混み合っていた。
特別展には、第一国立銀行や新橋停車場、東京駅、ニコライ堂など、小林清親の浮世絵や明治期の古写真でなじみのある建物を詳しく見ることができた。展示を見るだけでは十分に理解できなかったので、図録を買った。ゆっくり復習する。
今回の改装で一番大きく変わったのは、朝野新聞社の建物が服部時計店に変わったこと。実物大の複製日本橋から眺める銀座のシンボルは壮観。
江戸東京博物館の魅力は精巧なジオラマ。今回も大いに楽しんだ。前回も今回も、長屋の一室での出産の場面が、なぜか強く印象に残った。
今回、一番驚いたのは、高度成長期以後のコーナー。70年代の展示に父に買ってもらった自転車、ブリジストン・モンテカルロがあった。私はもう、少年時代が博物館に展示されるような年齢になったのか。やれやれ、歳をとった。
もう一つ、2010年以降の展示に、私が販売した電子部品を搭載したデジタルガジェットが展示されていた。これには少し誇らしい気持ちになった。
博物館のレストランは混んでいたので、門前仲町経由で日本橋に出て、高島屋の新館にあるBrozers'で。まずはスプリング・バレーのビール。コールスローも頼んだ。メインはスイートチリチーズバーガー。甘辛いソースがおいしい。新しい定番を見つけた。
さくいん:東京、明治、小林清親、70年代
土曜日。娘夫婦が初めて我が家へ来た。付き合いはじめてから、紹介されて、同棲を始め、結婚式まで2年。もともと高校の同級生で知り合いだったとはいえ、家に招く暇もないような光速の展開だった。
午前中は大掃除。年末にもしたことがないくらい念入りに掃除をした。そして、昼過ぎに娘は呼び鈴も押さず玄関を開けて「ただいま」と言った。
夏休み中は。夫君であるT君の田舎で親戚の皆さんに「お嫁さん」としてお披露目されたという。歓待されたようで、安堵した。手土産に地元の饅頭をもらった。
ランチには、久しぶりにカレーを作りふるまった。今回は上手にできたらしい。お世辞を言わない娘にも好評だった。T君もおかわりをして食べてくれたので、口に合ったのだろう。なぜか、写真を撮り忘れた。
おやつには娘の好きな近所のケーキ屋の予約制フルーツロールケーキ。二人の幸せな暮らしぶりを聞くのは楽しい。T君は穏やかな人で、絶え間ない娘のおしゃべりに相槌を打ち、ときどき言葉をはさむ。家での様子も想像できた。
夕方、予定はないというので、外へ出て、三鷹のニシクボ食堂で夕食も食べた。二人とも理系修士なので、会話の端々に私には理解できない単語が混じる。ヘタレ文系夫婦の私たちとはだいぶ雰囲気が違う。年末に恒例のハンドベルのコンサートで再会することを約束して別れた。幸せそうな二人を見送り、こちらも心が和んだ。
写真は土曜日の朝5時の空。朝焼け。4時に目が覚めてしまい、目を閉じてももう眠れないので起きることにした。カーテンを開けると東の空が淡い赤に染まっていた。
さくいん:HOME(家族)
今年の夏休み。台風が来たり、行ってみたら休館日だったり、想定外のことが多かった割には充実した10日間になった。当初は予定していた所へ行けなかったり、夏休み中に知って急きょ、出かけたりもした。
夏休みのまとめ。博物館 x 1、郷土歴史館 x 1、図書館 x 1、カラオケ x 1、そば屋 x 1、来客 x 1、長編小説 x 1、写真展 x 1。来客を除いて、すべて一人で行動した。行けなかった美術館は日をあらためて行く予定。
夏休みの最後は心のオアシス、神代植物公園へ。開園と同時に入り朝咲きの蓮を愛でた。日本古代蓮、艶陽蓮、原始蓮、漢蓮。百日紅(さるすべり)の花も満開だった。雲が多くて、暑すぎることはなかった代わりに写真は少し暗め。明るめに調整してみたけど上手くできていない。こういう調整をもっと上手くなりたい。
散策のあとの楽しみは深大寺そば、多聞。まだ早かったので、店に入る前に深大寺城址に登った。誰もいない静かな空間を独り占めした。そば屋で頼んだのは、生ビール、冷やし山菜そば(中盛)、野菜かき揚げ。最近の定番。
夏休みをそば屋で〆たので、そば屋は x 2になった。
さくいん:ひとり、神代植物公園
先週のこと。日航機墜落事故から41年が経ち、関連記事が新聞に出ていた。事故で父親を亡くした男性の、10代の息子に祖父の死を「徐々に、きちんと」伝えたいという言葉を日経新聞で読んだ。
叔母にあたる人の死を、娘に「交通事故」だったと伝えた。2年前のこと。そのときは、「これでよかった」と思った。
それでもまだ、迷うときがある。真実を伝えるべきではないか。いや、「真実」とは何か。伝えたい「真実」は、もう十分に伝わっているのではないか。
「徐々に、きちんと」は、私には遠い。私の選ぶ道ではないのかもしれない。
さくいん:自死遺族
セブンイレブンの「こだわりの柿ピーわさび」。わさびの辛味がビールに合う。
これを食べるかわりに夕方に揚げ物を買わないようにしている。何にしても間食はよくないことはわかっている。でも、コンビニの揚げ物よりマシだろうという言い訳もしたくなる。
脂肪肝の専門医は間食を摂るなら無塩のミックスナッツと指導している。週の半分はその教えに従っている。残りの半分は己の欲望に従っている。
健康のことだけ考えて、おやつがまったくなしという暮らしもつまらない。
そういうことが松田道雄『育児の百科』にも書いてあった。もちろん、あの本は乳幼児の暮らしについて書いたもので、中年で脂肪肝のおっさんへのアドバイスではないことも、十分承知している。
だから、最近は、好きだった蒸しケーキやシュークリームはできるかぎり食べないように努めている。
その努力が、今回、BMIはメタボ基準以下という結果になって現れた。
さくいん:松田道雄
最近、60代の訃報に相次いで接した。
山田五郎も東野圭吾も68歳で亡くなった。二人ともガンだった。人間ドックなどは受けていたのだろうか。定期健診を受けていても治らないものだったのか。
新聞の訃報欄を見ると、男性の場合、長命の人と70歳前に亡くなる人とに極端に分かれているように見える。70歳に壁があるのか。
最近はがんでも早期発見と早期治療をすれば、必ずしも不治の病ではないと聞く。男性の寿命も伸びていると言われている。それは統計上の話で現実は違うのか。
いずれにしても60代は若過ぎる。私からみると近過ぎる。怖い。
私は70歳まで生きられるだろうか。いま、あと10年の寿命と言われたら絶望するだろう。
思えば、そう考えるのはとても不思議なこと。10年前にはいつ命が尽きてもいいと思っていて、それどころか、自ら命を断つことさえ想像するまで追い詰められていたのだから。
さくいん:東野圭吾、自死、うつ
東野圭吾作品はいくつか小説を読んだり、映画を見たりしたことがある。
いずれも家族が抱える闇や秘密が事件の背景にあり、後味の重苦しい作品が多かった。
そんななかで例外だったのが『流星の絆』。気持ちのいい終わり方だった。ミステリーではこの作品が好き。
唯一のエッセイ集『たぶん最後の御挨拶』はとても面白かった。それがポリシーだったのかもしれないけど、そのあと、エッセイを書かずに亡くなってしまったのは、エッセイ好きとしてはとても残念に思う。
さくいん:東野圭吾、闇、秘密、エッセイ
夏休み前に借りた大型写真集。「明治・大正・昭和」と題されてはいるけれど、多くは明治時代の古写真。
東京に長く住んでいるといっても、私が知っている場所は限られている。行ったことがあるのは、皇居周辺、丸の内、銀座、日本橋、新橋、羽田。下町の方はあまり知らない。渋谷は本書で扱いがない。
木橋の日本橋(1872年)は浮世絵でしか見たことがなかった。貴重な写真を見られた。
驚くのは、東京駅と丸の内の変遷。話には聞いているし、前にどこかで写真も見ている。皇居と鉄道のあいだはただの草っ原。そこに三菱の一丁倫敦ができて、丸ビルや東京海上、さらに東京駅ができる。戦後に新丸ビルができて、かつての草原はなくなり、ビジネス街になる。古写真は丸の内の変遷を克明に記録していた。
母は昭和30年から数年間、丸の内で働いていた。財閥系企業の役員室秘書という花形OL。この頃は楽しい思い出が多いのだろう。よく話をする。いつだったか、銀座のある宝石店でMPとかPXとか「戦後すぐの銀座」の話をはじめたら、店員が集まってきたことがあった。
だから当時の写真を見せれば、まだ聞いことのないエピソードを思い出すのではないかと期待して、丸の内のページを撮影して見せた。残念ながら、話し出すのは何度も聴いたことのある話だけだった。
記憶の底に埋もれているエピソードを掘り出すいい方法はないものか。
さくいん:東京、明治
週末は2週間前と同じように介護の週末だった。木曜日は15時に退勤して横浜へ帰省。デイサービスから帰宅した母と金沢八景駅前でベトナム・フォーを食べて夕食にした。
翌朝はまず病院。痛む左膝にヒアルロン酸を注射してもらった。次は内科。特別変化はないので、同じ薬を処方してもらって終わり。朝が早かったので、薬をもらってもまだ10痔過ぎ。八景に戻り、コーヒーを飲んで休憩した。
文庫に移動してランチは海鮮丼ランチがおいしい地球食堂へ。母は鉄火丼、私はブリ丼を食べた。ランチのあとは美容院。母を預けているあいだ、近くのカフェでクリームソーダで一息ついた。
文庫から各駅停車でゆっくり横浜へ移動した。ランチに生ビールを呑んだので、電車で熟睡してしまった。横浜では高島屋にあるホテル・ニューグランドの出店でアップル・パイとコーヒーを頼んで休憩した。ホテルのサービスなのでコーヒーをおかわりできるのがうれしい。
高島屋へ行ったのは、マイセンの若手職人による新作発表会を観るため。美術館とは違い、すべて売り物なので値札がついている。富裕層とインバウンドの積極的な消費のおかげで百貨店の業績が好調なわけがよくわかった。
高島屋では還暦に向けて、キーフォブ、ボールペン、指輪、クリスタルグラスなど、自分に贈る記念品の下見をした。何度も下見をしているので、だいぶ候補が絞られてきた。
最後は横須賀線で横浜から逗子へ移動。いつものイタリア料理店で夕食。安い店ではないので頻繁には来られない。母は料理をしなくなったので、食事はデイサービスが中心。たまには少し贅沢なものを食べてもいいだろう。食欲は相変わらず旺盛。逗子産タコのマリネ。ピザ、逗子産舌平目のグリル、子羊のグリル、アイスクリームを平らげた。しかも、ワインを1本、私と分けて。私はデザートはやめてコーヒーとノチェロをいただいた。
身体は元気でいても、認知症の方は進行している。聴いたことがある話を繰り返すだけで、会話は弾まない。連れ出してふだんと違う体験をしてもらっても、あまり刺激にはなってない様子。服装も以前より構わなくなってきて、身なりがだらしなく見えるときもある。
土曜日は母をデイサービスに送り出し、夕飯に食べるものを買い物してから帰京した。
この先、母はどうなっていくのか。私はどう支援すればいいのか。帰る途中、電車に揺られながら、あれこれ方策を考えた。
さくいん:横浜、逗子
しばらく前にNHKテレビ『きょうの健康』で「孤独感」を取り上げていた。「独りぼっちでさみしい」という感情で身体への影響もあるらしい。コロナ禍以降、他者との接触が減ったこととSNSで容易に他人の「成功」「リア充」を見ることができてしまうことも原因らしい。
対策としては、趣味や地域のグループに参加して「孤立」することを予防することを医師は勧めていた。
いまの私はどうだろう。一人でいるときは孤独感は感じない。むしろ充足感がある。人のあいだにいるときのほうが孤独を感じる。透明人間のように扱われる会社の電話会議や私を理解するつもりもない友人モドキとの会食。そういう場所では「さみしい」気持ちになる。
社会的に孤立することが、健康だけでなく経済的な困窮にもつながることは理解できる。でも、一人で充足している人を疎外感を覚える気のあわない群れのなかに、無理やり入れることもないのではないか。そう考える一方で、違う考えも浮かぶ。
なぜ、どこへ行っても疎外感を覚えるのか。原因は、建設的な対人関係を築けない私の方にあるのではないか。自己充足という言葉で「さびしさ」を紛らしているだけではないのか。そして、還暦も近い年齢になり、もはやその性分を改善するには手遅れなのではないか。
だから、私は一人で充足し続けなければならない。心の奥底に隠れている孤独感を見ないためにも。夏休みのあいだ、そんなことを考えていた。
さくいん:NHK(テレビ)、孤独
自分に適した職業は何だったのだろうか。過去形で書くのは、これから新しい職業に就くことになるとは思えないから。KFCを創業したサンダースは62歳で起業したらしいけれど、私にはそんな気概はない。
いまの職業をあと7年続けたら職業人としての人生は終わり。そう思っている。これまでにいろいろな職種を経験した。
塾講師や英会話の教師もした。塾経営の自営業もした。営業職な長くした。そのあいだに日本支社の代表代行も数ヶ月した。
どれもうまくいかなかった。最後は破滅するか、追い出されるか、幸福な終わり方をしたことがない。私は、倒産、整理解雇、病気による退職を経験した失業三冠王でもある。
どんな職業についていたら、もっと仕事に精を出せていただろう。何も思いつかない。
そもそも、職業というものを忌避していた。大学を出るときも有給休暇が多くて、仕事が比較的楽そうな会社を選んだ。
それから後は、人材会社に探してもらったり、前職の上司に誘われたり、流れ流れて転職を重ねた。どこにいても、「ここが自分の居場所」と思うことはなかった。
考えようによっては、障害者枠契約社員という閑職の現在が一番の適職かもしれない。その証拠に、一番長く続けられている。
さくいん:労働
会社の愚痴。
小さなミスでも私がすると烈火のごとく怒り、感情的なメールを送ってくる人は、たいてい自分がミスしたときには謝りもせず、「直しました」とだけ書いたメールを送ってくる。
どういう神経なのか、私には理解できない。私の場合、自分が直接起こしたことではなくても、その事案に関わっているだけで、自分に責任の一端があるように感じてしまう。
この弱気な神経も、自分のことながら理解できない。誰かに責められないか心配で、私はいつもビクビクしている。
彼らの鋼のような心を私も持ちたい。
子どもの頃に図鑑で植えつけられために軍艦には興味がある。とくに関心があるのは航空母艦。特集する雑誌を図書館で見かけると借りてしまうし、大桟橋に空母が寄港するとつい見に行ってしまう。
航空母艦や艦載機は、造船から運用まで高度な技術と膨大な費用がかかる。2冊を読んで、それがよくわかった。
ウクライナ戦争以降、紛争の主要兵器は無人機(ドローン)に移っている。
やがて運用を省人化してドローンを多数搭載できる母艦が建造されるのではないか。
時代錯誤のトランプ級超大型戦艦の計画は、彼の引退とともに白紙に戻されるだろう。
ブクログ:船
夏休みに図書館で見つけた図鑑、2冊。面白そうなので予約して借りてきた。
『紳士服図鑑』は1666年から現代までの男性の服装をたどる。主に正装を扱いながらも、農夫や清掃員など労働者の服装も取り上げている。古い礼装は十二単ほどではないにしても着やすそうではない。農夫や清掃員の服装のほうが現代のファッションに近い。服装はどんどん身軽に、着やすくなっていることがよくわかる。装いの進歩が階級に縛られた所作からの解放と関連しているのは女性だけではない。
格好いいと思うのは1930年代から60年代までのスーツ。映画『スティング』からケネディまで。現代の感覚からすれば「クラシック」だろう。映画『キングスマン』の衣装も古風でよかった。
Brooks BrothersやGieves & Hawkesの名前を期待していたけど言及はなかった。
重機の図鑑は前にも読んだことがある。そのときよりも新しい本なので、掲載されている重機も新しい。
世界最大は海外のメーカーが多い一方で、世界最小となると日本のメーカーが多い。トヨタL&F、コベルコ、コマツ、日立、など。
軽自動車をはじめとして、ミニサイズを作るとなると日本メーカーは強い。
さくいん:ジョン・F・ケネディ
夏休み中、江戸東京博物館を見たあとに日本橋高島屋で観た。1956年の写真展の再現。
1956年といえば、私の両親もまだ結婚していない昔のこと。ハンガリー動乱や日本の国連加盟承認があり、「もはや戦後ではない」と言われた年。
人類が一つになる希望と人類が丸ごと滅亡する恐怖が混在していた時代。写真展の意図が最初に掲示してあった。
世界にはただ一人の子供がいる
その名は「すべての子供たち」だ。(カール・サンドバーグ)
働く、学ぶ、死ぬ、弔う、投票する、演説する、戦火を生き延びる。
さまざまな人間の営みの重みが、白黒写真によって雄弁に伝わってきた。
右の写真は、戦火を生き延びた人たちの顔。左の写真は、女の子の顔が姉の幼い頃に似ているように感じて写真に収めた。
私は7歳下の弟なので姉の幼い頃は写真でしか知らないし、よく見ればどこにでもいそうな子で格別、姉に似ているわけでもない。ただ、写真を見たとき、反射的にそう感じた。撮影したのはルース・オーキン。1940年から50年ごろの作品。
展示されていたのは一部の写真だけだった。後日、テレ東の番組でルクセンブルクで恒久展示されている全容を垣間見ることができた。
写真展を企画したルクセンブルク出身の写真家、エドワード・スタイケンや原爆投下直後の長崎で子どもを撮影した日本の写真家、山端庸介についても知ることができてよかった。
このあと、画廊で航跡を描く津地威汎という画家を知った。メモしておく。
8月中に松濤美術館で高野野十郎展を観たかったけれど、タイミングが合わず、行く機会を逃してしまった。
さくいん:HOME(家族)、長崎