昨年、出版されたばかりの自死遺族の悲嘆とグリーフケアに関する本。あとがきを読むと、上智大学グリーフケア研究所で島薗進の指導を受け、現在も籍を置いているとある。島薗進の本は何冊も読んでいるので、本でつながる縁を感じた。
今回も、自分と比べたり、フラッシュバックを起こして気分が悪くなることがあるので、20人の語りそのものはほとんど読めなかった。「第4章 遺族は自死を/自死者をどう受け止めたのか」と「補論 悲嘆研究のこれまでと日本での死者と生者の関わり」を中心に読んだ。
博士論文が元になっていると書かれていたので、検索したけど、論文そのものは公開されておらず、読めなかった。本書は一般向けにだいぶ読みやすく書かれている。分析編の第4章はもう少し論文のエッセンスを盛り込んでもよかったのではないか。
(前略)故人を否定せずに認め、いったんは喪失した対象をもう一度自己の内に再生させることで、悲しみと向き合い、喪の営みを積み重ねていることを明らかにした。亡き人の存在をどう受け止め、心のなかに再確立するかが、自死遺族のグリーフケアを考えるポイントになるようだ。
以上のように、第4章でひとまず、まとめが書かれているけれど、遺族の受け止め方はそれぞれであること、悲しみは解消されることなく続くものであることも強調していて、この点については共感できた。
補論では「絆の継続」ということをグリーフケアの柱として重視している。上の引用文にもあるように、故人を自己の内に「再確立」することが重要なのだろう。それはわかる。その一方で、著者が聞き取った「語り」にもあるように、自責感や「見放され感」など故人との関係にネガティブな感情が残りやすい自死遺族にとって「再確立」は簡単なことではない。
「なぜ」という不毛な疑問から解放され、自責の念や「見放され感」を解消し、故人との「絆」を再確立するにはどうすればいいだろう。著者は最後に多くの事例を挙げて「分かち合い」をすすめている。
カウンセリングは受けたことがあるけど、「分かち合い」の会に参加したことはない。今の時点では、これからも参加するつもりはない。あえて参加する必要も感じない。
誰かに聞いてほしいとは、もう思わなくなったし、誰かの話に耳を傾けるだけの精神的な余裕もない。あまりにも長く自分の中だけに秘匿してきたので、こじれすぎていて他者に共感したり、他者と共有できる自信もない。もう誰にも話さず、私だけの秘密にしておきたい。
私の性格が社交的でないせいもある。しかし、それは相互作用であり、社交性が低いのは思春期初めに自死遺族となったからでもある。いわゆるカミングアウトをしては慰められることもなく、無視されたり、疎んじられたりした経験が多かったからかもしれない。
私のグリーフケアは、一人で本を読んだり、一人で過去をたどったり、自分に宛てて文章を書いたりすること。そのことを寂しいとは思っていない。むしろ、私の性格には合っていると思う。
グリーフケアの啓蒙書には、一人でできることも紹介してもらえたらありがたい。
さくいん:自死遺族、グリーフ(悲しみ・悲嘆)、島薗進、秘密、ひとり