3/1/2024/FRI
いじめ殺人のニュース
NHKニュースを見ていて気になった。
いじめ「殺人」の報道の背景に、おそらくは自死の現場と思われる場所を映すのはやめてほしい。
どこで、どう亡くなったのか、詳しいことを報道する必要性はまったくない。「いじめが原因で自死に追い詰められた」とだけ報道すれば十分。
結果は自死でも、いじめは殺人と同じと考えているので、あえて「殺人」と書いておく。
このポストには、私のポストにしては珍しくフォロワー以外からも反響があった。
NHKニュースを見ていて気になった。
いじめ「殺人」の報道の背景に、おそらくは自死の現場と思われる場所を映すのはやめてほしい。
どこで、どう亡くなったのか、詳しいことを報道する必要性はまったくない。「いじめが原因で自死に追い詰められた」とだけ報道すれば十分。
結果は自死でも、いじめは殺人と同じと考えているので、あえて「殺人」と書いておく。
このポストには、私のポストにしては珍しくフォロワー以外からも反響があった。
小説に限れば、『草の花』(福永武彦)。
中学三年生のときに読んでから何度か読み返している。この作品の印象が強すぎて、ほかの作品が読めないくらい。
なぜこの小説に惹かれるのか。自分でもわからなかった。
汐見茂思の孤独とペシミズム。それが私を引きつけてやまない。
それに気づいたのは大人になって石原吉郎とシオランを読んだときだった。
『石原吉郎詩文集』もいつも手元にある。
小説に限定しないであれば、「バビロンの流れのほとりにて」を収めた『森有正エッセー集成1』と同じく森有正の『思索と経験をめぐって』だろう。
ベッドの宮にある本棚を横長に写してみた。
左端は西田幾多郎哲学館の土産。中央のカバー付きは『青春の墓標』(奥浩平)。
右端のカバーがついた文庫本は、『神曲』(ダンテ)全3巻と『善の研究 全注釈』(小坂国継)。さらに右には寝る前に読めるように結婚式でもらった新約聖書と新共同訳の聖書が差し込んである。
ハードカバーの本は別の本棚に置いてある。もっとも、単行本はほとんど図書館で借りてすませているのであまり持っていない。
土曜日は月一回の診察日だった。
早めに行くと最初の患者が診察を終えたところで二番目に診てもらえた。
会社へ行って、もう昔のようには働けないことを痛感したことと自死のニュースを見て動揺したことを伝えた。
「昔のことは昔のことと割り切れるようになるといいですね」という言葉がS先生の助言。
本を作ってからだいぶ気持ちは落ち着いていたけれど、今回のように不意打ちを喰らうと、激しく動揺してしまう。
薬の量はここしばらく変化はない。増やされることはないが減薬も進んではいない。
調子が悪いわけではないけれども、寛解に近づいているというわけでもない。一進一退が続いている感じ。
さくいん:S先生
土曜日のこと。診察を終えてからバスに乗って神代植物公園へ行った。梅の見納め。
河津桜はもう終わり。寒白(かんぱく)というハナモモがきれいに咲いていた。うめ園はまだ見頃が続いていた。一面に紅白の梅の木が広がる光景は壮観。肌寒く、天気も今一つでいい写真は撮れなかったことが残念。
「滄溟の月」や「薄色縮緬」といった名前の白梅に「獅子頭」という紅梅など見たことのない品種を見られたのはよかった。
梅見のあとは深大寺そば。いつもなら生ビールと冷やしたぬきを食べるところ、寒いので、熱燗に温かい天ぷらそばを食べた。食べてもまだ空腹だったのでわらび餅もいただいた。
さくいん:神代植物公園
神代植物公園で寒白(かんぱく)という名前のハナモモを見かけた。
白い、きれいな花だったので写真を掲載しておく。
さくいん:神代植物公園
一人暮らしをしている娘が久しぶりに帰ってきた。
ひな祭りだから手巻き寿司でも食べたいかと訊いたら、餃子が食べたいと返してきた。
彼女にとってはこれが我が家の、もしくはオヤジの、味らしい。
リクエストに応えて、土曜日の夕方、餃子を作った。
録画してあったビリー・ジョエルのシェイ・スタジアムでのライブを聴きながら作った。
彼女は餃子を作るとき、私がどんな気持ちでいるか、知る由もない。
私も、それを語るつもりはない。
久しぶりににぎやかな夕飯になった。それで十分だった。
日曜日のこと。近所に住んでいる旧い友人とランチ。
忙しい人なので近くに住んでいてもなかなか会えない。
場所は以前行って感じがよかった昭和レトロ風喫茶店。ベーコンチーズバーガーはちょっと甘めのソースが独特。
ハンバーガーのあとは、プリンを食べて、コーヒー飲んで、もう一軒、喫茶店をハシゴしてコーヒー飲んで。
近所のお店の話や本の話、大河ドラマの話。他愛ない会話が楽しい。
本の話題では、中井久夫、三浦しをん、金沢百枝で盛り上がった。脈絡のない3人が共通の関心というのもうれしい。
ただでさえ友人が少ないところに、本の話ができる友人はさらに少ない。有り難い存在。
お酒のない会話もいい。
火曜日のこと。用事を頼まれて出社。
いつもの通り、話す相手もおらず、一日中ひとりぼっち。
もうこの会社で働きはじめて8年というのに雑談をする相手、一人すらいない。
ランチも一人で駅弁を食べた。
出社すると、在宅勤務で恵まれた環境にいることが痛いほどわかる。
仕事をするのも辛いし、他の人たちが忙しそうに働いているのを見るのも、多忙と心労でうつの症状が重かった時代の自分を思い出して辛い。
しばらく前に読んだ『CATHOLICA カトリック表象大全』を監修していた美術史家、金沢百枝の新著。図書館で予約したところ、思ったよりも早く回ってきた。
一つ一つの章が短く、文章も軽妙で読みやすい本だった。
紹介されたエピソードのなかでは、人間に魂を吹き込む神の姿が面白い。ドラマチックな構図が多い「イサクの犠牲」も、書名の通り、さまざまな作品を楽しんだ。
金沢百枝は、誕生日が同じ著名人を探していて偶然見つけた。美術史家と書かれていたので興味を持って本を探したり、X(旧Twitter)をフォローしたりしている。
さくいん:金沢百枝
土曜日。天気がよかったので六義園まで行ってみた。予想通り、梅は終わり桜はまだで物足りなかった。ひと回りして近くの東洋文庫ミュージアムへ。
モリソン書庫はいつも通り、厳かな空気のなかにたたずんでいた。
キリスト教交流史の展示は面白かった。16世紀から19世紀までの貴重な文献が展示されていた。イグナチオ・デ・ロヨラ伝、グーテンベルク聖書、フラシスコ・ザビエル伝など。
戦国時代、布教地域の競争で宣教団のあいだには対立があったということを今回の展示で初めて知った。ザビエルだけ教科書に学ぶために、日本での布教活動は、常にイエズス会が優勢と思っていたがそうではなかった。
開国のあと、長崎で隠れキリシタンと出会い、いわゆる「信徒発見」をしたのもイエズス会ではなかった。「信徒発見」をしたのはフランス外国宣教会のベルナール・プティジャン。場所は大浦天主堂。
ミュージアムの隣りにある古書店で偶然、遠藤周作がペドロ岐部や支倉常長について書いたエッセイ集『走馬灯』(新潮文庫、1980)を見つけた。これも何かの縁と思い、購入した。
三田線で神保町に出て、古書店と楽器店を何軒か見てまわり、最後に駿河台のキリスト教書店を見て、御茶の水から帰宅した。
さくいん:東洋文庫ミュージアム、フランシスコ・ザビエル、遠藤周作
明治チェルシーが販売終了となると聞いた。「チェルシー」、といって思い出すのはCMで流れていた「チェルシーの唄」。どこかの図書館で歴代の歌を集めたアルバムを借りて持っている。
シモンズに始まり、南沙織やサーカス、八神純子、あみん、PUFFYも歌っている。全部で16組。
懐かしく感じるのは、やはり初代シモンズの歌声。好きだったのはヨーグルト味。
作曲は小林亜星。作詞は安井かずみ。明治のウェブサイトには歌詞も掲載されている。
虫歯になりやすいので大人になってからは飴を口にすることはない。だから、今から買うこともない。
ヨーグルト味もたぶん思い出のなかにだけ残るだろう。
さくいん:声
辰巳出版の大全シリーズ。面白そうなタイトルを検索して図書館で借りてきた。
以前、池袋パルコで「大ラジカセ展」を見た。その展覧会の書籍版という感じの一冊。
ツマミやレバー、メーターなどが多いほどカッコよかった。自分では持っていなくてもさまざまな製品を覚えているのは、当時、たくさんテレビCMが流れていたからだろう。まさしく「懐かし」。
残念ながら姉が使っていたソニーのZILBA'Pと私が中学卒業のお祝いに買ってもらったビクターのPC55は掲載されていなかった。ネットで検索したところ両方とも画像が見つかった。
自分のアルバムに保存して、ここには掲載しないでおく。代わりに、PC55とZILBA’P(CF6500)の動画のリンクを貼っておく。
PC55はスピーカーが分離できたのでラジカセというよりミニコンポに近い。液晶デジタルカウンターとイコライザーがカッコよかった。もちろんカセットテープはオートリバース。
前のめりで高校入試の発表前に買ってもらったことを覚えている。価格は7万円位だったと思う。
昨日、十代の頃のオーディオ環境について書いた。当時はレコードを聴くときはレコードを聴くことだけをした。音楽は何かをしながら聴くものではなかった。ラジオでライブ番組をエアチェックするときもそうだった。今でも、そういう音楽の楽しみ方をしている人はいるだろう。私は、多くの人と同じように、音楽は、何かをしながら「流しておく」ものになってしまった。音楽に対して失礼なことで、心の貧しいことと思っている。
言うまでもなく、これはデジタル化が音楽を簡便で気楽なものにしたことの結果。
昨日書いたビクターのミニコンポ、PC55は、結婚して家を出るまでは自室で使っていた。大学生になってからは、生協で1万円の値札がついていて衝動買いしたCDプレーヤーを接続していた。デジタル化は、音楽を軽いものにしただけでなく、安いものにもした。
もちろん、音楽が手軽で気安いものになったのは、音楽のせいではなく、音楽を軽く扱うようになった自分に原因がある。
結婚して実家を出たあと、オンキョーのミニコンポを長く使っていた。このコンポにはミニディスク・プレーヤーがついていた。海外出張の前にはお気に入りの音楽を集めてコンピレーションを作り、機内ではポータブルプレーヤーで聴いていた。
毎回、違うプレイリストを作っていたけれど、いつも一曲目がラジオ番組「ジェットストリーム」のオープニング「Mr.ロンリー」(城達也のナレーション入り)で、最後は、"Going Home"(Kenny G)だった。
一時期、仕事で関わったホームシアターセットも使っていた。大きな立方体のアンプ内臓のウーファーと前後左右のスピーカー5台。ウーファーが重くて家族の評判は悪かった。いまの家に引っ越すときに捨ててしまった。
2009年に、いまの家に越してきてから、iPhoneを使うようになり、iPhoneを装着できるパナソニックのラジカセを買った。iPhoneのジャックがLightningに変わってしまったので、今はただのラジオチューナーとして使っている。といっても、リビングでラジオを聴く時間は少ない。土曜日の午前中、NHK-FMでピーター・バラカンとゴンチチの番組を聴くくらい。
いまリビングにはヤマハのYRS-1200を置いている。テレビ台にアンプとスピーカーが組み込まれている。これにBluetoothのアダプターをつけていて、リビングで音楽を聴くときにはiPhoneからアンプに飛ばして聴いている。
ウーハーが内蔵されているので低音が響いてとても心地よい。テレビの音楽番組やDVDもいい音質で聴ける。iPHoneにしまってある音楽ライブラリも。
餃子を作るときに、音楽を流しているのはこのアンプ。
これはいい買い物だった。
花粉症に苦しんでいる。
ここ数年、ひどい症状はなかった。
歳をとり、身体の反応が鈍感になってきたと思っていた。
ところが今年は、在宅勤務であるにもかかわらず、鼻が詰まり、目がかゆい。
それだけではない。一日中、頭がボーッとしている。妻にはいつも眠そうな顔をしていると言われた。
この週末は下田へ旅行する。あちらの花粉はどんな感じだろうか。
昔、春先に御殿場に行ったとき、花粉症のせいでまるで保養できなかったことがある。
クルマのボンネットには黄色い花粉が積もっていて、山の稜線には風で花粉が飛散していることが目に見えた。
天気はよさそう。あとは花粉だけが心配。
ふと、正社員の営業職を辞めて今年で10年になることに気づいた。時の経つのは早い。
どんな人でもいつ福祉の世話になるかわからない。私もその一人。
10年前は状況は厳しかったものの、ずっと正社員で働くつもりでいたし、それどころか、やがては外資系企業の小さな日本支店の社長になれると信じていた。
いまのような暮らしになるとは夢にも思っていなかった。
社内外のパワハラ起因でうつ病発症。
退職勧告を受けて追われるように退職。
1年静養、1年間、就業移行支援事業所(リハビリサービス)通所。
障害者枠の非正規雇用で再就職して8年。
収入激減は辛いけど、この暮らしで安心して生きている。
これでよかった。最近はその思いが強い。
先週、鳥山明の訃報に接した。68歳。私に置き換えれば、あと12年。正社員退職後から今までの時間くらいしか残されていないことになる。
一日一日を大切にして、したいこと、しなければならないと信じることを先送りせず、していかなければならない。
さくいん:うつ病
紫式部を主人公にした大河ドラマ『光る君へ』。毎週楽しみにして見ている。
紫式部について、私が興味を持っているのは、紫式部はいったい何のために『源氏物語』を書いたのか、ということ。書いて売るためか、友人に読んでもらうためか、誰にも見せず自分一人で読み返すためか。人はなぜ書くのか。その理由についてずっと考えている。
本書は図書館で『源氏物語』関連の本を探していて見つけた。国文学者が史料と想像力を駆使し紫式部の一人称で書いた大胆な評伝。
本書によると紫式部が『源氏物語』書いた理由は二つある。
一つは、夫を亡くした悲しみを紛らわせるため。書くことに悲しみを和らげる効果があることは、現代のグリーフケアも認めている。私も、書くことで悲しみが癒やされることを実感している。
もし紫式部が悲嘆の緩和を自覚していたとしたらとても興味深い。
もう一つは、従来あった男が女子どものために作った玩具のような物語ではなく、女性の視点でリアルな物語を書くため。
すでに実録である日記文学は存在していた。本書によれば、物語は漢詩や日記文学の下、女子どもが楽しむものという位置づけだった。
実録ではない虚構(フィクション)を通じて、自分が生きている貴族社会の裏表を描く。虚構だからこそできる、実録にはない現実への光の当て方もある。
これも現代ではふつうに受け止められている考え方。もし、紫式部がそれを自覚して物語を書いていたとしたら、これまた、とても興味深い。
ありえないことを、さもありえるかのように見せる。それが、フィクションというもの。藤原道長が紫式部と契りを交わすという先週の回は、まさに壮大なフィクションだった。
まひろはやがて、見たこと、聞いたこと、覚えたこと、「経験」したことのすべてをフィクションに注ぎ込むだろう。
まひろはどんなきっかけで、どんな思い出物語を書きはじめるのか。ドラマでどのように描かれるのか、今から楽しみでならない。
先週の水曜日。初めてのクラシック・ギターのコンサート。素晴らしい夜だった。
演奏の良し悪しや彼女の演奏の特徴は私には解説できない。「シャコンヌ」はいろいろな人で聴いてきた。福田進一、山下和仁、村治佳織、ジョン・ウィリアムズ。
でも、ほかの人とどう違うかも説明はできない。目の前で、長くて難解なあの曲を譜面も見ずに、「生」で表現豊かに演奏していることにただただ驚くばかりだった。
後日、動画で聴き直したところ、彼女の演奏がとてもまろやかであることがわかった。
「シャコンヌ」以外も、次々に難曲を披露していたことは素人にもわかる。演目はバロックから現代までさまざまな時代の作品。難曲ではあっても耳心地のよい曲ばかりだった。
何よりも、生のギターの音がこれほど力強く、それでいて、まろやかであることに驚いた。ふだん聴き慣れているCDの音は平板でカクカクしていることに気づかされる。
600人収容のホールで席は最後列だったけれど、ギターの響きは届いていた。
アンコールには弾き語りも聴かせてくれた。プロフィールに声楽も修めたとあり納得。
アンコール以外のプログラム。
ピアソラの2曲もよかった。「売春宿」は曲名から想起する曲風とは違い軽快で陽気な曲。「カフェ」は映画音楽のような優雅でロマンチックな旋律。
もう一度、聴きたいと思い探してみると、同じような、ギター(大萩康司)とバイオリン(川本嘉子)が共演する動画を見つけた。
出会いは偶然だった。バッハのギター演奏を探してYouTubeを散策していたとき、彼女の「シャコンヌ」を見つけた。苗字から山下和仁の愛娘かなと推測したらその通りだった。
さらに調べると2週間後に東京でコンサートが予定されていた。コンサート情報を調べると一枚、席が余っている! これは運命の出会いかもしれない。そう思って、すぐにチケットを入手した。そうして出かけたコンサート。確かに運命的な出会いだった。
いま、何十年ぶりかでフォークギターの練習をしている。クラシック・ギターも弾きたくなってきた。
もう一つ、この夜の発見。バイオリンの音がきれいだった。今までデジタルで聴いていたバイオリンはどんなに有名な人の演奏でも「ギーコギーコ」という何かを無理にこするような音にしか聴こえなかった。生演奏のバイオリンは美しい音色をしていた。
生演奏や原音に触れる機会は大切にしたい。金川真弓の名前も覚えておく。
ギターの練習を何十年ぶりかで始めた。中高生の頃は、楽譜を見ながらでも、好きな曲が弾ければ満足していた。誰に聴かせるでもない。自己満足の趣味だから。
今回は心持ちが少し違う。一曲を楽譜は見ずに、最初から最後までミスなく弾けるように練習している。言葉を換えれば、舞台に立って、聴衆に向かって聴かせられるくらいまで完成度を高めることを目標にしている。
以下は、いま練習している課題曲。
「時代」と「耳をすましてごらん」は三連符、「岬めぐり」と「NEXT」は、スリーフィンガーの練習。「異邦人」と「童話作家」は私にとってグリーフケアのテーマ曲。
コード進行は覚えた。でも、最後までノーミスで弾くことがなかなかできない。
先週、プロの演奏を聴いた。間違いないのはもちろん、そこへさらに情感を込めて奏でている。どれくらい練習すると、あんな演奏ができるようになるのだろう。
楽譜を覚えて楽器を完全に弾きこなすことは、いわゆる脳トレにもなっていると思う。暗譜する、指を動かす、新しい曲に挑戦する。いずれも老化防止に役立つだろう。そろそろ、そういうことにも気を配る年齢になってきた。
いまは、小さな声で歌いながらギターを弾いている。いわゆる、弾き語り。そのうち演奏だけで聴かせられるような曲にも挑戦したい。
クラシック・ギターをウィッシュ・リストに入れた。
さくいん:中島みゆき、南野陽子、かぐや姫、オフコース、さだまさし、グリーフ(悲嘆)
妻とパリへ旅行しようと決めた。いつかはまだ決めていない。
物価は高いし、物騒な世の中になったから、もう海外旅行は無理かもね、と話していた。でも、行きたいとしたら、どこだろう。
二人で街の名前を出し合ってみた。共通していたのは、台北とシンガポール、そして、パリだった。私は、もう一度、アメリカ、かつて、仕事でよく行っていた西海岸に行ってみたいと思うこともあるけれど、最近は熱が冷めてきた。
パリには二人で一緒に行ったことがある。短いあいだだったけど、一通りの名所は見た。だから、次回、行くとしたら、もうエッフェル塔や凱旋門に時間を割かなくてもいい。
行きたいのは美術館。ルーブル、オルセー、オランジュリー、クリュニー、それからカルナヴァレ。もう一度、見たい作品がたくさんある。
ロワールの古城は見た。シャルトルはまだなので行ってみたい。
いつ、行けるかは、まだわからない。台北やシンガポールほど気軽には行けないだろう。還暦祝いか結婚40周年か。退職の記念か。となると、数年先になることは間違いない。
まず、旅行用の積立をはじめることを決めた。昔、二人で3年かけてお金を貯めてブリュッセルに行った。40年前のこと。
フランスに"Old England"というファション・ブランドがある。正確に言えば、あった。
パリに本店があるのに名前はイングランド。アメリカで言えば、ブルックス・ブラザーズのようなトラッド志向の店だった。
東京にも店があって、羽振りのよかった二十代にスーツを買ったことがある。
パリの本店にも行ったことがある。12時から2時までが昼休みだったので出直して真っ赤なセーターを買った。今も着ている。確か1998年頃。ネクタイも買った記憶がある。
あの頃はタクシーの運転手や服屋の店員と雑談ができるくらいにはフランス語ができた。フランス出張が続いてあって張り切って勉強した甲斐があった。
昨日、パリのことを書きながら、最近、見かけないと思って調べてみたら、パリの本店は閉店していた。ブランドは日本の総合商社が買い取り、銀座で心機一転、セレクトショップとして営業しているという。
知らなかった。気に入っていたブランドだったのに。次回、パリに行けたら再訪しようと楽しみにしていたのに。
ビジネスの世界は厳しい。ビジネスカジュアルが主流になってスーツや硬派なトラッドの店には苦しい時代だろう。
パリへ行く目的が一つ減ってしまったのはさみしい。
さくいん:パリ
中学生の頃から40年以上、ずっと同じテイストの服を着ている。トラッド、アメリカン・トラッド、アメカジなどと呼ばれるファッション。
十代の頃は、いつかアメリカに留学したり、駐在したりすることを夢見ていた。その夢はかなわなかった。その代わりに、アメリカの企業でずっと働いて、出張だけは多く、何度もアメリカを訪れた。円高時代には、現地で服を買って帰るのが楽しみだった。
トラッドの魅力と利点は、長く着ていても色褪せることがないという点にある。同じジャケットやコートを何十年も着ていても、街中で浮くことはほとんどない。
本誌は、楽天マガジンで見つけた。これまでに読んだことはなかった。
トラッドの定番、ジャケット、パンツ、シャツ、革靴について、細かい用語の解説をしている。長いあいだ着ていても、服飾の専門用語にまで詳しいわけではない。
本誌は知識を蓄えるのにちょうどいいので手元に置いておく。
ファッションにかぎって言えば私はかなり保守的ということがよくわかった。
さくいん:アメリカ
30代から40代半ばまでは、懐に余裕があった。羽振がよかったと言ってもいい。
その代わり、心と時間に余裕がなかった。いつも焦っていて、忙しなかった。文字の通り、心を亡くしてした。
50代半ばの今、懐は寒いけど心と時間には余裕がある。
好きなときに、本を読んだり、文章を書いたり、ギターを弾いたり。好きな時期に休暇を取って旅行に行くこともできる。
以前は、休暇も自由に取れず、休みにしても、ずっと仕事のメールを見たり電話を受けたりしていた。
自分も休んだ気になれなかったけれど、そばで見ていた家族も、リラックスした気分にはなれなかっただろう。申し訳ないことをした。
金持ちにはなれなかったけど、時持ちにはなれた。
金持ちで時間貧乏よりは、お金に少し貧しくても時間持ちの方がずっと幸せ。
お金が不要とは言わない。むしろ、困らない程度には持っておきたい。
今は借金もないし、ありがたいことに、毎月のやりくりに困るほど貧しいわけではない。
金持ちよりも時持ち。
これでよかった。
我が家のまわりには野菜畑が多い。一年を通じて何かしら育てている。
いまは菜の花の季節。春が来たことを実感する。
畑が多いので直売所も多い。
公園も多く、我が家の周囲には東京都しては緑が多い。
でも、山が見えない。海が近くない。大きな川もない。
小さな緑はあるけれど、大自然を感じることはない。東京でも多摩の方へ行けば、景色は違うだろう。
いまの住環境に不満はないけれど、ときどき大自然を感じたくなる。とくに海。定期的に海を見るのは情緒安定のために非常に重要。
さくいん:東京
旅行のあと、どうしてるかと思い、金曜日の午後に母に電話をしてみた。
いろいろ話しているうちに、「今度、屋根を直す」と言い出した。「近所で仕事をしている業者が来たから頼んだ」と言う。
これは怪しい、と感じて、キャンセルするように強く言った。
よくよく訊けば、「近所で仕事をしている」のではなくて、「近所で営業している」だけ。さらに問いただすと「お向かいは断った」と言う。
「そういうのは詐欺」と断言すると、「しまった。頼んだから、来ちゃうかも、怖い」と態度が一変。心配なので、金曜日の早朝、家を出て実家へ防護隊として出陣した。
土曜日、一日いたけれど、結局、業者は現れなかった。
昨日の夕方、電話をしてみると、業者は来なかった。とりあえず、今回の件は終わり。
本人も「うかつだった」と反省している。今後は、留守電が動作して、相手が名乗ってから電話を取るようにお願いした。
これまでたくさんのグリーフケアに関する本を読んできた。参考になった本もあれば、いまひとつ、波長が合わない本もあった。本書は、残念ながら波長が合わなかった。
どこで波長が合わないのだろうか。
「悲しみを乗り越える」という考え方や表現の仕方になじめない。これが一番大きいかもしれない。そして、乗り越えるプロセスが一方通行の段階でとらえられていることも、最新のグリーフケアの研究と比べて遅れているように感じる。最近では、悲嘆緩和のプロセスは一方通行ではなく、行ったり来たりの往復する運動であったり、らせん状にまわりながら進んでいくものととらえる人が多い。
本書は、悲しみに学び、それを乗り越え、成長する、という考え方を強調している。この考え方に私は違和感が残る。PTGやレジリエンスという概念の曲解に似たものを感じる。何でもポジティブにとらえればいいというものではない。
こういう段階説を強調されると、「グリーフケアお断り」と言いたい人の気持ちもわかる。
私の悲嘆のとらえかたは、悲しみとともに生きる。悲しみとは乗り越えるものではなく、一生抱えていくもの。そして、悲しみのなかにこそ、その人の真の幸福もある。
言葉を換えれば、最も悲しいときに、私は最も幸せ。
ネット上のレビューを見てみると、本書を高く評価すしている人も少なくないし、参考になったと書いている人もいる。
結局のところ、読書体験は人それぞれ。波長の合う本を参考にすればいいし、自分に合わないからといって無理にけなす必要もない。
グリーフケアについて一冊選ぶとしたら、私は『親と死別した子どもたちへ』を推す。
メモ。いまは文庫飯が出ているらしい。読んだのは図書館にあったハードカバー販。
さくいん:悲嘆
防災用にポータブル電源を購入した。宣伝には次のようにあった。
1264Wh 大容量 AC出力(2000W 瞬間最大4000W) 1.7時間 フル充電
二人暮らしで停電が発生したとき、これで十分な容量なのか、よくわからない。
いくつかのレビューを読み、予算と相談して決めた。
サイズはコンパクトではあるが、かなり重い。
使わずに済むことを願う。
実家で古い本や雑誌を整理していたら、就職活動のときに送られてきたビデオテープが見つかった。送り主はJR東海。内容は、当時、人気だった河合その子が主演するドラマ。一回は見た気がするが内容は覚えていない。
私が就職活動をしたのはバブル期の末期。数年後には氷河期が始まった。
ドラマ仕立てのビデオが一番突拍子もなかった。ほかにも、城達也がナレーションをするCDを送ってきた銀行もあった。
百科事典のような分厚い冊子が入った段ボール箱が、情報会社から毎週のように家に送りつけられていた。冊子の中身は会社案内。ハガキがついていて、送付するとOBが紹介されて面談をすると言う段取りだった。
働くことに積極的な意味を見出せずにいたので、就職活動には消極的だった。できるだけ労働時間が短くて、休みが多い会社に入りたかった。
周りにはマスコミと金融、商社を希望する人が多かった。いずれの業界も仕事がきつそうだったので私は敬遠した。
あの頃は、将来、海外に駐在したいと思っていたので、海外に広く展開していて、それほど巨大でない、つまり競争も激しくなさそうな中堅のメーカーを選んでハガキを送った。数社、面接をして、会った人が皆、穏やかだった会社を選んで入社した。
中堅メーカーだったから、都市伝説になっているような贅沢なイベントはなかったものの、それでもOB面接で食事をごちそうになったり、入社式のあとにはホテルで豪華なパーティがあったりした。
実際、配属後に出会った人も穏やかな人が多かった。そういう社風だったのだろう。
悪い会社ではなかった。でも、プライベートのある事件をきっかけにして1年足らずでその会社は辞めてしまった。そのことは前に書いた。
いまでも不思議に思うのは、ハガキを出した会社はどこもOBを紹介してくれたのに、第一志望にしていた会社からは何の音沙汰もなかったこと。それが縁というものかもしれない。
さくいん:労働
自治体の健康診断で歯科医に診てもらった。現状、むし歯はなし。ただし30年前に神経を抜いてセラミックをかぶせたところの根が膿んでいると言われた。要するに要治療。
歯医者が好きな人は少ないだろう。私は二十代の頃にたいへん世話になってしまったので本当に歯医者が苦手。
当時、一時凌ぎでしていた自営業を辞めてサラリーマンに戻るために就職活動をしていた。この先、まとまった時間が取れなくなると思い、歯医者に行った。
すると、半分近くの歯がむし歯と診断され、長く高い治療となった。原因は砂糖入りの缶コーヒーと言われた。
そのとき、痛みはあまり感じていなかったのでむし歯ばかりという診断はとてもショックだった。
今回の診断では、口のなかが乾きやすい(唾液が少ない)のでむし歯になりやすいと忠告された。抗うつ薬の副作用もあるらしい。
来月、セラミックの義歯を抜いて、歯の根を治療する。新しい被せ物が必要となる。この出費は痛い。とはいえ、むし歯が進行したら身体的にも金銭的にも痛みはひどくなる。
仕方がない。しばらくは倹約しなければならない。
人気コミックの最新刊。私にしては珍しく全巻購入して読んでいる。
舞台の一つとなっている珠洲市に寄付する絵葉書付き能登応援版を購入。物語も夏休みの能登旅行の続きから。
登場人物のなかで共感するのはミカ。他人の、とりわけ思いを寄せている人の言動、一つ一つに一喜一憂したり気を揉んだり。十代の頃、私もそうだった。いまでもそういう傾向がある。印象に残った場面もミカがナオちゃんに打ち明けるところ。
好きな人のことばかり考えているとそのほかの人のことが見えなくなる。端的に言えば、自分が誰かに思われているという発想すら浮かばない。ミカにもそういうところがある。
江頭ミカの偉いところは断られると分かっていても言葉にして気持ちを伝えたこと。『思い思われ、ふりふられ』(咲坂伊織)の由奈もそうだった。こうした登場人物の勇気ある行動に背中を押されて、実際に告白する若い人もいるのかもしれない。
私は気持ちを言葉にして伝えることが苦手だった。できなかった。デートには誘うのに、はっきりと気持ちを伝えないでいたから、相手からすれば、どういうつもりで誘ったのか、意味不明だったかもしれない。私は勝手に言葉にしなくても伝わるものと思い込んでいた。
中年になって青春ものを読むとつい自分の若い頃と比較してしまう。いい習慣ではない。
この先、物語はどういう展開を見せるのだろうか。震災は織り込まれるのか。高校卒業で終わりとなるのか。
まだしばらくは、キュンキュンが止まらない『スキロー』の世界に浸っていたい。