文山三七(田七)の日中比較
[雲南省の文山三七(田七)]
(The 37-carrot of Wenshan in Yunnan,
China and Japan)

-- 2009.01.05 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2017.01.10 改訂

 ■はじめに - 中国雲南省の文山三七(田七)

 雲南省文山で採れる三七(サンシチ、Sanqi)は、他にも

  田七(デンシチ、Tianqi)三七人参田七人参仙三七、etc

など様々な呼ばれ方をして居ますが、中国雲南省の文山県(Wenshan)で採れる三七(田七)知る人ぞ知る -知らない人は全く知らない!- 存在です。「文山」という地名と「三七」という栽培植物の名は、中国では「文山三七」と殆どセットで使われます。そして中国人は「三七」と呼ぶ事が多く、日本人は「田七」と呼んで居る様です。医食同源(※1)の中国に於いて漢方(※2)や漢方薬(※2-1)の歴史は非常に古いですが、三七(田七)については後で詳述します。
 私は雲南省文山には2000年11月3日(金)の雲南桃源旅行2008年3月14日(金)の2度訪れて居ます。その厳重な管理体制は三七の畑からは”蟻の這い出る隙(すき)も無い”程です。今回は2008年の中国雲南省文山の訪問記と、日本で”蟻の這い出る隙”から三七を引っ張り出して商売を続けて居る会社(或いは個人)を紹介します。
 ところで何故、人参(※3)をくっ付けて呼ぶのでのでしょうか。恐らくチョウセンニンジン(朝鮮人参)(※4)との混同でしょうが、三七と朝鮮人参は共にウコギ科の多年草(※4-1)で親戚関係に有ると言えます(△1のp194~195)が、両者は可なり異なっても居ます。因みに人参はセリ科(※3)で、私が持って居る『漢方薬入門』でも三七人参と書かれ人参類は全漢方薬の最初に登場します(△2のp2~4、三七人参は△2のp4)。
 当ページの英語のタイトルが必要なので「三七」の英語が解らないので "37-carrot" としました。これは私の造語和製英語です。直訳すると「三七人参」ですが、これって洒落ですね、ハッハッハ!

    ◆雲南桃源倶楽部について

 ここで雲南桃源倶楽部(北山昌夫会長)について紹介して置きましょう。雲南桃源倶楽部の事は私が入会した98年秋以前の事は良くは知りませんので、悪しからず。私は199920002002年の雲南省の旅で先生 -北山会長は高校の先生をして居られた- とご一緒して居ます。私が雲南桃源旅行と命名しているのは北山会長が引率し案内した旅を言います。ですから上の3つの旅がこれに該当します。
 尚、北山先生は「愚公亭塞翁」と自称し、私にもそう呼んで呉れとと仰ったので以来私は「塞翁」と呼ばせて貰って居ます。
 今述べた事は全て
  雲南桃源倶楽部(Yunnan is Shangri-La)
  2002年・雲南タイ族民家宿泊記(Homestay at Dai's-house, China, 2002)

に書いて在りますので、参照して下さい。

 ■中国雲南省の文山で

 私は雲南省文山県(=三七の本場)には2000年11月3日2008年3月14日の2度訪れて居ます。2度の文山訪問は次の様な旅程でした。

    <雲南省の文山訪問>

  2000年の旅(雲南桃源旅行)
    開遠 → 文山(三七の畑を見学、市場にも寄る) → 河口  11月 3日(金)

  2008年の旅
    羅平 → 夕方、文山に到着 → 文山に宿泊          3月14日(金)
         翌日バスの中から三七の畑を見る    → 麻栗坡  3月15日(土)

 (1)2008年の文山訪問

 以下は2008年の旅から文山(Wenshan)を紹介します。尚、2008年の文山訪問記は
  2008年・雲南の羅平/文山etc(Luoping, Wenshan etc. of Yunnan, China, 2008)

も参照して下さい。
 文山は正式には文山壮族苗族自治州に属し、文山県には壮族・彝族・苗族・回族・白族・傣族・瑶族などの少数民族が住んで居ます。

 3月14日の夕方に文山(開化鎮)に到着しました。左はバスの中から撮ったもので、このモダンなビルが「文山三七国際貿易センタービル」です。
 右がビル名の拡大で「文山三七国際貿易中心」(中心はセンターの意)と在ります。
 2000年に来た時には「貿易センタービル」なんて有りませんでした。ここへ来る途中でバスの中で思いましたが道路も物凄く良く成って居ます。2000年に来た時には”えらい田舎の街”という印象だったのですが...。確かに一歩裏通りに入ると表で犬の丸焼き(←勿論、食う為です!)を拵(こしら)えたり、2008年も田舎臭かったですが。

 そして左下の文笔塔(文筆塔)と東山公園、文笔塔は前来た時には有りませんでした。文笔塔は高さ49m7層を成して居ます。
 私たちは食事をする為に街を散歩しましたが、中央下の写真の様に夜は文笔塔はライトアップするのです。更に深夜は右下の様に成ります(ホテルから撮りました)。文笔塔は文山のシンボル的存在で高台の上に在るので非常に目立ちます。

 兎に角、僅か8年で文山は大きく様変わりしました、或いは今も様変わりしつつ在るのかも知れません。

 翌3月15日の朝、「三七の畑」をほんの少しだけ見ました。2008年の旅では三七が目的では無かったので「三七の畑」はバスの中から見ただけです。下の3枚の写真はバスの中から撮りました。
 左下が「三七の畑」です。全部ビニールで覆って居ます。ビニールが灰黒色をして居るのは遮光シートです。つまり三七は直射日光を嫌うのですが、この遮光シート後で記す様に非常に大事なのです。
 背後の山々はカルスト地形(石灰岩台地)の山で文山地方の特徴です。雲南省南部を覆う石灰岩台地は広西壮族自治区の桂林へと連なって居ます。
 左下の写真も遮光シートで覆いをし三七を隠して居ます。
 右下の写真にも遮光シートが見え、赤茶色の土は赤土(※5)ですが実は赤土は三七の栽培には欠かせません(→後出)。
  
 どうやら三七の栽培風景だけは2000年の時と見た感じでは余り変わって無い様 -栽培方法は進歩しているのかも知れません- でした。

 (2)2000年の文山訪問の思い出

 以下は2000年の旅の思い出より。兎に角、2000年には文山は”田舎の街”だったのです。この時は現地の人に畑を見せて貰いました。やはり黒っぽいビニール(=遮光シート)で覆ってありました。更に泥棒には厳重「やはり泥棒は居る」とガイドが言ってました。中国人が「(朝鮮)人参盗採者に対する罰則を定める」と在り(△1のp224)、朝鮮人参を盗む国民が三七は盗まない、という事は有り得ません。畑には人は余り居ず、代わりに黒い大きな犬が畑の檻の中に1頭居る所も有って”怪しい動き”をしたら直ぐ犬を放つゾ、と無言の圧力が掛かって居ましたね。
 私はその時は三七に関しては殆ど知らず、又興味も特に無かったので、畑に植わっている苗木を見ても「フーン」と言った感じでした。広い畑には苗木がびっしり植わって居た事を覚えて居ます。月1回の雲南桃源倶楽部2000年当時「三七(田七)」を取り上げて居ましたが、これも「フーン」でした。{このリンクは2016年10月24日に追加}
 そんな私が或る切っ掛けで三七に興味を持ったのですが、その話は後でします。

 ■三七(田七)の名称由来・栽培・効能・等級

 (1)名称由来 - 三七と田七

 先ず色々有る名前の事から入りましょう。三七生薬(しょうやく)(※2-2~※2-4)として使う為には、3~7年を要すとか、或いは3年以上を要し7年以上は畑を休耕地にしなければ為らない(=連作不能からとか、葉の茎が3つに分かれ葉が7枚に分かれるから、と様々の説が有りますが、私は真ん中の説を採りますね。その理由は次の「三七(田七)の歴史と栽培法の開発」で明らかに成ります。
 一方の田七の謂れは、一説に拠ると昔は集散地が広西省の田陽田東であったからと言われて居ます。余談に成りますが、日本国内では「はじめに」に記した様に「三七」よりも「田七」の方が通りが良いですが、これは米食民族日本人の本能、即ち「米」→「田」という連想が無意識の裡に働いて居るのでは、と思ったりします。

 (2)三七(田七)の歴史と栽培法の開発

 1596年に刊行された中国の『本草綱目』李時珍著)(※6)に「三七は止血・止痛作用と共に血液循環障害を改善する」と記されて居るそうです(白井田七氏のサイトより)。『本草綱目』に記された事から三七の存在は漢方の分野で注目される様に成り、中国南部に自生した三七は乱獲されたので明末~清初期(17世紀)に栽培法の研究が進み今日に至って居ます。
 中国では20世紀初頭には漢方薬「片仔廣(ヘンシコウ)」(成分の85%が三七)が開発され止血消炎と共に急性・慢性の肝炎に効くと言うので”肝臓病の特効薬”と成りました。因みに「片仔廣」はベトナム戦争の時に北ベトナムに大量に送られました。そして1979年の開放政策に依り輸出が解禁され、日本で三七が人気に成ったのも輸出解禁以降です。
 三七は朝鮮人参と同じくウコギ科の多年草(※4-1)です。三七は標高1200m以上の高地赤土の鉄分(※5)が必須条件で、主に少数民族の苗族(ミャオ族)(※7) -苗族の項にサンシチニンジンの名で載って居ます- が栽培して居ます。その際、朝鮮人参と同じく遮光が必要で日照3割・日陰7割にするのですが、それをどう遣って実現するかは栽培者のノウハウ(know how)だそうです。今でも栽培には3年を要し7年は休耕地にします。尚、苗族は【脚注】※7の補足に在る様に、ミャンマー/タイ/ラオス国境の金三角地帯(ゴールデン・トライアングル) -今は開放されました- では2000年頃迄は阿片栽培(ケシ栽培)に従事して居ましたが、少数民族の立場の弱さの表れです。
 幸い赤土は雲南省には豊富で紅河の赤茶けた色(=鉄錆の色)は大変印象的です。16世紀末に『本草綱目』に拠り「止血・止痛・血液循環改善剤」として知られた三七が赤土の鉄分を畑を連作不能にする程に強力に収奪する事は、素人考えからも解ります。皆さんも御存知の通り、赤血球の中にはヘモグロビン(※8)が在り血球中の酸素の運搬を担っていて、ヘモグロビンは鉄分を大量に含んで居りヒトでは赤血球の重さの約35%がヘモグロビンで占められて居るのです。これで赤土の鉄分が必須条件だという事がお解り戴けたと思います。

 (3)成分と効能

 「はじめに」に記した様に三七と朝鮮人参(※4)は共にウコギ科の多年草(※4-1)で言わば親戚です。葉は五加(ウコギ)と同じく5~7片の掌状複葉で、は1~6cmの紡錘形、又は円錐形で、朝鮮人参の様に支根・蘆頭が発達して居ません(→後での写真有り)。主要薬効成分は三七サポニン(※9)です、と言っても含有量は7~12%位です。尚、サポニンの由来はシャボン(石鹸)[ポルトガル語](※9-1)と同じです(△1のp250~252)。

  効能
    止血・止痛・血液循環を改良
    強心
    滋養強壮
    虚弱者の補血・補温
    抗血栓(※10)・抗高脂血症(※10-1)
      (即ち抗コレステロール(※10-2))
    血圧降下
    産後の悪血(おけつ)除去・生理痛

  用法
    粉末      :お茶に入れ服用したり、患部に直接塗布
    固形の粒(つぶ):砕いて(或いは粒の儘)肉料理に入れ煮込んで食す

  注意事項
    風邪の高熱時、妊婦は避ける
    冷たい酸味飲料との同時服用は避ける
      一説に拠ると、刺身(さしみ)との同時服用も避ける


 三七のサイトを見ると他にも効能が色々記してますが、何でも加えると”万能薬”に成って仕舞いますので、この辺で止めて置きます。

 (4)等級

 使うのは通常はです。三七の等級は根の粒(つぶ)の大きさで決まり、粒が大きい程、交感神経の興奮を抑制したり炎症を鎮める効果が高いと考えられて居ます。500g中の粒の数で表し、下の等級

    1等級: 10頭( 10~ 19個)    8等級:160頭(160~199個)
    2等級: 20頭( 20~ 29個)    9等級:200頭(200~249個)
    3等級: 30頭( 30~ 39個)   10等級:無数頭 (250~299個)
    4等級: 40頭( 40~ 59個)   11等級:無数頭 (300~449個)
    5等級: 60頭( 60~ 79個)   12等級:筋条  (支根)(※11)
    6等級: 80頭( 80~119個)   13等級:剪口  (蘆頭)(※11-1)
    7等級:120頭(120~159個)


に分かれて居るそうで、1等級品(最高級品)を十頭根と言います(オートリ薬品のサイトより)。因みに、十頭根は禁輸時代は軍が接収し一般人の手には入りませんでした。ウウーン、輸出解禁後の今でも中国は軍が非常に強いですが...(>_<)。
 今、日本に出回って居る製品は6等級品(80頭根)~13等級品(剪口)だそうです(オートリ薬品のサイトより)。まぁ、日本の様に粉末だと低級品でも判りませんね、ご用心、ご用心!

 ■日本の三七(田七)販売店と粉末健康屋(健康オタク)

 (1)日本の三七(田七)販売店

 日本の店で三七(田七)の広告には3度出会(でくわ)しました。何れも写真を撮って在りますので日本の店を紹介しましょう。

  (1)-1.大阪で

 05年6月27日(月)に撮りました。スギナ本舗大阪市都島区毛馬町1)(※12)という店で、ビルの屋上に「赤地で白」で「雲南田七人参」と書かれて居ます。本舗は※12の[2]の意味で、特定商品を製造販売する大元の店で、その特定商品が田七という訳です。

 写真の右下に「毛馬橋東詰」の道路標識が見えます。ビル1階の右側が店で13:30頃ですが店は開店して居ます。
 ここは私の散歩コースで家から自転車で20分位で来れますが、通常は毛馬橋の下を潜って淀川に行って仕舞いますので、余り毛馬橋東詰の方には来ないのですが、偶(たま)にこうして来る事が有ります。会社名と広告が小さいので少し拡大したのを載せて置きます。



←毛馬橋東詰
 の道路標識


←店(開店中)

 余談ですが、毛馬村は与謝蕪村の生まれた地で、晩年の蕪村は「春風馬堤曲」(△3のp292)という俳詩を出版して居ますが、その中に

    春風や 堤長うして 家遠し            蕪村

という俳句(△3のp271)が在り、淀川の堤が如何にも長い感じが良く出て居ます。毛馬から淀川に入って直ぐの所の句碑に刻まれて居ます。

  (1)-2.東京浅草で

 次が07年4月11日(水)で、名が田七本舗東京都台東区元浅草2と住居表示に在る)です。地下鉄銀座線の稲荷町の近くです。時刻は9:10頃ですが未だ店は開店して居ません。
 広告には

     健康維持増進 漢方
←店   田 七

と書いて在ります。又、健康は最大の財産と窓にも貼って在ります。これも会社名の拡大を右に出して置きました。

 この頃は浅草の「純喫茶」に良く通って居ましたね。浅草は純喫茶が多い地域です。

  (1)-3.沖縄那覇市で

 私は2011年12月2日脳出血で倒れ、その後1年3ヶ月を入院とリハビリに費やし2013年3月18日に沖縄(=那覇市)に来て、翌日に転入手続をし沖縄の人(ウチナーンチュ)に成りました。その経緯の詳細については
  2013年・大阪から那覇へ(From Osaka to Naha, Okinawa, 2013)

をご覧下さい。

 2015年1月3日(土)に写真の旗を偶然見付けて仕舞いました。ここは現在の私の家から徒歩で6~7分の所です。
 外間薬局那覇市識名1)という会社名が写真の下部に在ります。旗には大きく「仙三七(せんざんしち)」と書いて在ります。更に「金不換 文山三七 十頭根」と在ります。
 この日は正月で天気が良かったので大石公園(那覇市識名1、高台に在る)に散歩に出掛けた帰りでした。今迄気が付かなかったのは外間薬局は何時もこの旗を出している訳では無いのです。正月3日ということで店は閉まって居ました。
 因みに外間(ほかま)という姓は沖縄独特の姓の一つです。
 

 外間薬局は「仙三七」とか「金不換」とか「十頭根」という中国人しか使わない単語を使ってますので、ここは雲南省文山に実際に出掛けて居る可能性が高いですね。因みに

  仙三七:三七は神仙に通ず。
  金不換:お金とは換え難し。
  十頭根:最高級品(前出)

という意味です。
 しかし、沖縄で三七に出会すとは思いませんでしたよ、不思議な縁です。
    {この節は2015年1月24日に追加}

                (^_^)

 (2)日本の三七(田七)の粉末健康屋(健康オタク)に一言

 皆さん、三七(或いは田七)という語をインターネットで検索してみて下さい。三七の100%粉末をお安く提供します、という会社(或いは個人)が沢山出て来ます。但し、値段は出ていません。値段は貴方(貴女)がインターネットでその会社(或いは個人)にコンタクトを取って初めて判る仕組みに成って居ます。日本では殆どがこうした粉末健康屋(健康オタク)です。それで気になるお値段ですが、日本で売買されている粉末の値段は中国の10倍~50倍位しますので、念の為。「薬九層倍」(※13)という諺が在りますが、「三七の100%粉末」なる言葉を何を以て実証出来るのか?
 ですから私はこうした粉末を買う気には成らないのです。日本の粉末健康屋(健康オタク)の皆さん -三七を売る側も買う側も- には是非もう一度「等級」を読んで欲しいですね!
 しかし50倍してもそれ以上に効能が有る、と思う方も中にはいらっしゃると思いますので、結局はを信じるか信じないかは貴方(貴女)次第という事に成ります。

 ■全く変質しない三七(田七)の根

 2000年の雲南桃源旅行では11月3日(金)に雲南省文山に行き、厳重に囲ってある三七の畑を見ました。桃源倶楽部のメンバーの多くは文山の市場の店で三七を購入して居ました。私は当時は三七にそれ程興味は無かったので買いませんでした。

 ところが、この旅行の最後の日(=11月12日の午前中)の自由行動の時間を利用して昆明で偶然「文山三七」という看板が目に入ったので最初は”暇潰し”に店に入ったのです。今手元に購入した店の名刺が在ります。「文山三七農戸 許家福 昆明市文明街2号 景星街34号」と書いて在ります。「景星街」と言ったら花鳥市場が在る所です、多分ここで買ったと思います。
 右が2000年11月12日(日)に昆明で買った「文山三七」の根で略実物大です。今手元にの粒(つぶ)が約30個在ります。私のは2~3cmで確かに円錐形、又は紡錘形をして居ます。
 しかし幾らで買ったか余り覚えて無くて、多分150~200元位か?、文山で買った方が安いと思います。上の2008年の文山は可なり近代化されて居ますが、2000年に行った時は”えらい田舎染みた街”だったのです。今と成っては懐かしい思い出です!

 粉末 -皆は寧ろ粉末を買ってました- も在りましたが私は粉末には興味無し。それと私の事ですから絶対値切ってる筈 -旅行案内書に中国の旅では「値切るのが鉄則」と書いて在ります(△4のp297)- なので、700元が約1万円ですから仮に200元だとすると約2800円です。当時はタクシーを1日チャーターしても200元で行け、雲南省の田舎では地元民の月収が約千元でした。
 私は三七の相場の知識は全く無いので、

  1粒 = 200元/30粒 = 6.67元

が高いのか安いのか、全く見当が付きません。
 帰国してから雲南桃源倶楽部の会合 -当時は月1回のペースで有りました- で三七(田七)を採り上げ、粉末を中国茶に入れて飲んだりしました。私は1粒を自分で粉にして桃源倶楽部の会合に持って行く積もりで「粒と格闘」しましたが、この粒は可なり硬く中々粉に出来ないので諦めました。しかし、この1粒を除き私の手元に今約30個在るのですが、特に厳重に包装してある訳では無いのに約15年間全く変質して無いのには驚きです!!{この箇所は最初2009年1月5日に書いたので「約9年間」に成って居ましたが、2015年1月24日に「追記」を追加した際に「約15年間」に改めました。}

    ◆追記

 「三七(田七)の歴史と栽培法の開発」「三七は...<中略>...血液循環障害を改善する」と在ります。沖縄に来た理由に書いた様に脳出血防止には効能が有りそう(=効きそう)ですね。
 私の様に三七の根を固形の粒で持って居る人

  [1].中国茶(日本茶でも良い)に砕いて煎じて飲む
  [2].肉料理のスープに砕いて(或いは粒の儘)煮込んで食す

という方法(「成分と効能」を参照)が有ります。
 それで思い出しましたが、2001年中甸 -実は私たちが旅した直後の2002年1月から中甸県は香格里拉県に名称変更されました- を旅した時に「西蔵風鍋」(=チベット風鍋)というヤク肉の鍋料理を食べたのですが、その鍋の中にゴボウの様な根菜が入っていて、でもゴボウとは違い朝鮮人参の様な”もう少ししつこい”味がした事を覚えて居ます。
    {この追記は2015年1月24日に追加し、章全体を最終更新しました。}

 ■三七花のハーブ茶

 その後、「文山三七」の語は中国でしばしば目にする様に成りました、これは私の意識が替わった為です。例えば雲南省の空港では必ずと言って良い程「文山三七」の語を見掛けます。
 そんな中で04年11月10日に麗江空港「三七花」という語を目にしました(左右の3枚の写真、右上が略実物大の花、右下が効能書の拡大)。
 三七の花や葉は「お茶」(=ハーブ茶(※2-5、※2-6))としての薬効が有るそうです。三七サポニン(※9)の含有量も多く、見ると不味そう -実際大変苦いそうです- ですが薬草として利用する訳で「良薬は口に苦し」なのです。乾燥された「三七花」は茶色をして居ます。
 右の効能書には
  降血壓、血脂、減肥、防癌抗癌、咽喉炎、牙周炎生津止渇、提神補気
と在り、血圧降下、肥満防止、癌にも効く、咽喉や歯の炎症に効くと書いてます。私は訳の判らない粉末よりも「三七花」のハーブ茶の方がベターだと思います。
 苦味を和らげる為に日本のサイトにはジャスミン茶や緑茶やウーロン茶で”割って”飲む方法を勧めて居ます。さてお値段は?、忘れました...m(-_-)m、私は「三七花」は買いませんでしたので。

 ■朝鮮人参と芹人参、そして秘草マンドラゴラ

 (1)朝鮮人参と芹人参

 「はじめに」に記した様に三七朝鮮人参は親戚関係に有ります。『食材図典』(△5)という本が在り、食べ物が写真入りで載って居るので私は意味も無く時々この本を[読むと言うより]見ます。或る時この本のニンジンを見ていたら「朝鮮ニンジンこそ元来のニンジン」というタイトルを見付け、ついつい読んで仕舞いました(△5のp223)。
 その概略を記すと、739(天平11)年渤海使(※14)が朝鮮人参(※4)を朝廷に献上し -これが文献上初出- 正倉院には今もその人参が保存されて居るそうです(△1のp18、27)。『続日本紀』に拠れば「人参三十斤」と出て来ます(△6のp156)。その後、朝鮮通信使が幕府に朝鮮人参を献上し、対馬藩も朝鮮人参の輸入に力を入れ1720(享保5)年(=徳川吉宗の時代)には対馬藩の朝鮮人参輸入量は千斤近くに成り、翌年には朝鮮人参の生根を初めて献上します(△1の187)。
 一方、私たちが今現在普通に食べている芹人参(※3)は、中国では胡蘿蔔(こらふく、中国語でhuluobo)(※3-1) -「蘿蔔」は大根(ダイコン:アブラナ科)の事で、「胡」は中国では西域方面から伝来した事を表し「胡弓」「胡椒」「胡麻」などと同じ- と呼ばれ、日本には中国から16世紀末に伝来し(△1のp162~165)、やがてニンジン(胡蘿蔔→人参)と呼ばれる様に成りました。だから朝鮮人参の方が先(=元来)だ、という訳です。
 つまり、人参には

    <人参の2系統>

                            明治初期
                             │
  薬用:ウコギ科  朝鮮人参、三七(田七)  単に人参 │
                            \↓
                             ×
                              \
  食用:セリ科   [芹]人参               単に人参

2系統が在る事に成ります。そして単に人参と言った場合、江戸時代迄は朝鮮人参を指して居ましたが、明治時代に成り食用の芹人参が急速に普及し、今では単に人参と言えば芹人参を指す様に成りました。つまり<単に人参>が指す内容が明治初期に入れ替わっているのです。
 尚、朝鮮人参のことを日本でオタネニンジン(御種人参)(※4-2)と呼んだのは、1720(享保5)年の生根(前出)日光の御薬園(=幕府直轄地)で朝鮮人参の栽培法を改良し徐々に全国に広めたからで、江戸の小石川御薬園 -後の小石川植物園- が管理しました(△1の86)。朝鮮人参は三七と同じく連作不能(△1のp157)で遮光が必要(△1のp159)です。
 朝鮮人参と三七(田七)の薬効で異なって居るものとして、朝鮮人参には精力(文字通りの性力)増強が有ります。まぁ、今日では「イザ!」という時にはヴァイアグラ(Viagra)(※15) -ヴァイアグラはネット検索すると断トツです!!- が有りますが。私は普段から漢方的に精力(性力)を高めるにはヘビ酒(蛇酒)の方が効くと思いますね、沖縄にはハブ酒(波布酒)が在りますゾ、ワッハッハッハッハ!!

 (2)秘草マンドラゴラと朝鮮人参

 それでは三七に関しては殆ど知らず、又興味も特に無かったのに、私が或る切っ掛けで三七に興味を持った話をしましょう。
 『食材図典』の先程と同じ記事の中に朝鮮人参「根の形が人の形に似ているので人参」と名付けられたと在ります(△5のp223)が、「人の形」と出て来た所で私の脳にスイッチが入ったのです。実は朝鮮人参に関しては私も同じ感想を前から持って居て、しかも西欧オカルト(※16)にしばしば出て来る秘草マンドラゴラ(mandragora)に似ていると思って居たのです。

 そこでマルキ・ド・サドの研究とか西欧オカルト(←要するに異端の系譜)に造詣が深い澁澤龍彦氏(※17)の言葉を借りると「神秘につつまれたマンドラゴラは、古代人の催眠飲料、または吐剤として、いちばん古くから重要な役割を演じている。おそらく、ペルシャからギリシアへ、ギリシアから地中海諸国へと伝わったナス科の植物で、不気味な細長い根をもち、何となく人間の形を思わせるものがあって、殊に、黄色味がかった、赤い、よい匂いのする果実と結びつき、よけい神秘的人気を博したものらしい。」と成ります(△7のp68~69)。右の図はマンドラゴラの寓意画です(△7のp52)。
 マンドラゴラは実在する薬草で、マンドレイク(mandrake)と言いナス科マンドラゴラ属の植物です。地中海~中国西部に分布し、古くから鎮痛/鎮静/催眠剤/下剤として知られて居ましたが、同時に麻薬作用が有り中世の魔術や錬金術の魔法の秘薬として登場して以後は、只管(ひたすら)西欧オカルティズム(※16-1)の闇の中心を占めて居ます。薬の作用が強く、幻覚/幻聴/瞳孔拡大/嘔吐などを引き起こします。

 オカルトではマンドラゴラは精力剤/媚薬として登場したので惚れなすびとも言われました。これと麻薬作用を掛け合わせれば「魔法の秘薬」に成る訳で、今日のヴァイアグラの様に一部の”好き者”から思われて居ました。
 マンドラゴラを引き抜くには相当な力を要し、根元とを結び付け犬に引っ張らせて抜きますが、マンドラゴラは抜かれる時に不気味な悲鳴を上げ、その悲鳴で犬は死にます。マンドラゴラには不吉な話も纏わり付いていて死刑者の血や尿を養分にして育つとも言われます。私はトリュフ(※18)という美食家が食べる臭い茸(きのこ)を豚や犬に掘らせ抜かせる場面を連想して仕舞います。マンドラゴラを抜く絵には良く犬と共に描かれて居ます(右の図、△7のp63)。
 尚、日本語で発音が似ている曼荼羅華(まんだらげ) -朝鮮朝顔(ナス科の一年草)/紫華鬘(ムラサキケマン、ケシ科の多年草)の別称- や曼珠沙華(まんじゅしゃげ) -彼岸花(ヒガンバナ科の多年草)の別称- をマンドラゴラに当てて居るサイトを良く見掛けますが、これは全く見当違いです。又、マンドラゴラが実在するという事を知らない人はマンドラゴラ=朝鮮人参と思い込んで居るみたいですね。確かにマンドラゴラと朝鮮人参は人型の根か似て居ます。

 以上の様に、私の興味は

    マンドラゴラ → 朝鮮人参 → 三七(田七)

と広がって行ったのです。という訳で私は随分遠回りして三七に辿り着いて居ます、ハッハッハ!

                (-_@)

 私はヨーロッパの中世を彩ったオカルトが非常に好きなのです。と言うのは、12、3世紀は未だ科学と神秘学が今日の様に判然と分かれて無く両者が渾然と交じり合った状態でした。しかし、やがて占星術から天文学が生まれ、錬金術から化学が生まれました。やがて数学が解析学や微分積分学に発展し天文学と化学から近代の物理学が生まれるのです。尚、占星術から天文学が生まれた事については
  ホルスト「組曲「惑星」」(Suite 'The Planets', Holst)

をご覧下さい。
 今は理科系の学問は非常に精緻に成り神秘学の入り込む隙間は有りませんが、文科系の学問は厳密な科学としての精緻さに欠け、未だに神秘学という雲が文科系の学問体系を覆って居る様ですね、ムッフッフ!!

 ■結び - 三七も生き物、赤土も生き物

 金座・銀座・銅座(※19)と同じく、人参座(※19-1)とか朝鮮人参座(※19-2)というのが江戸時代に在り各種人参や朝鮮人参が専売されて居ました。場所は今のJRの神田駅・秋葉原駅・浅草橋駅の界隈です(△1のp209)。人参座が出来た頃から対馬藩の朝鮮人参輸入量が急増し1685(貞享2)年には「(朝鮮)人参の需要激増」と在ります(△1のp224)が、庶民には高価なものでした。
 1716頃、新井白石「独参湯(どくじんとう)」という朝鮮人参を煎じた湯を危篤の父に飲ませる事を医者に勧めらた、と『折たく柴の記』の自序(※20)に書いて居ます(△1のp121、△8のp1)。△8の「獨參湯」の註に中風の薬。醫書に、竹瀝薑汁に合す、気虚炎症誕あるを直すと見えたり。此の醫は江馬益庵といふ。」と在ります。「竹瀝薑汁に合す」は「竹から瀝(したた)る薑汁(しょうが汁)」と合わせて飲むと良いと在ります。「江馬益庵」は京都の医者で若い白石に儒学の手解きをしたらしいです(△1のp122)。
 しかし三七は未だ日本には入ってません。日本で三七(田七)が注目されたのは「三七(田七)の歴史と栽培法の開発」に記した様に1979年の中国の開放政策に依る輸出解禁以降です。
 三七(田七)の薬効は、総じて最近流行りの”血液さらさら”という印象ですが、その為に三七は鉄分を強力に(=連作不能にする程に)赤土から収奪して居るという事を学習しました。三七と赤土が死闘をして居る様で私は感動を覚えます。結局は三七も生き物、赤土も生き物なのです。
 最後迄付き合って戴き、どうも有難う御座居ました!!

                m(_~_)m

 >>>■その後

  ●2017年1月10日に田七(三七)サンプルを見付ける

 このページを書いた後、資料を整理していたら北山塞翁に戴いた田七(三七)が見付かりました。封筒に入っていて表には「雲南田七 サンプル&効能書」と書いて在り、裏には北山塞翁の住所のゴム印鑑が押して在ります(封筒は閉じて無い)。封筒の中身は田七の粉末が30g(10日分)『田七人参の薬効』(今西義則著、ヘルス研究所)という小冊子のコピーが入って居ました。
 多分、第1回目に文山を訪ねる日(2000年11月3日)の前か後に戴いたものです。私は北山塞翁から田七のサンプルを戴いた事をすっかり忘れて居ました!

                (>o<)

 塞翁は私の様な不肖の桃源倶楽部の会員に、あの世から「困ったヤツだ」と思って居る事でしょう。田七の粉末も全然変質して無いので、雲南の普洱茶に混ぜて飲んでみようと思って居ます。1回3gずつ飲む様です。
    {この記事は2017年1月10日に追加}

-- 完 --

【脚注】
※1:医食同源(いしょくどうげん)とは、病気を治すのも食事をするのも、生命を養い健康を保つ為で、その本質は同じだということ。

※2:漢方(かんぽう、traditional Chinese medicine)は、中国から伝来した医術。←→和方。
※2-1:漢方薬(かんぽうやく、Chinese medicine, herb medicine)は、漢方医学で使われる医薬。主に植物の果実・葉・樹皮・根などを乾燥した生薬(しょうやく)を組み合わせ配合して用いる。嘗ては煎じたり、粉末の儘で飲用されることが多かったが、現在はエキス顆粒が主流。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※2-2:生薬(しょうやく、crude drug)とは、天然物をその儘、又は簡単な処理をする程度で医薬品・化学工業の原料などに用いるもの。植物性の物が多いが、動物性・鉱物性の物も在る。マオウ/松脂(まつやに)/麝香/キナ皮/ジギタリス/サフラン/アヘンなど。生薬(きぐすり)。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※2-3:生薬(きぐすり)とは、薬草の未だ刻まず、調剤して無い漢方薬生薬(しょうやく)「―屋」(漢方薬の店)。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※2-4:生薬(いくくすり)とは、[1].起死回生の薬。又、不老長生の薬。生き薬(いきぐすり)。拾遺和歌集別「亀山に―のみありければ」。
 [2].(「幾薬」に転じ誤る)幾らかの薬。好色一代男7「俄かに腹痛むと悩めば、…―か与へけるを」。
※2-5:ハーブ(herb)は、薬草香味料とする草の総称。
※2-6:ハーブティー/ハーブ茶(herb tea)とは、ハーブを煎じた飲料。

※3:人参(にんじん)は、[1].carrot。セリ科の一年生、又は二年生根菜。葉は羽状に細裂、初夏、茎頂に大きな白色の散形花序を付ける。原産地は西アジア。日本には16世紀頃中国から渡来。根は長円錐形、又は紡錘形で赤色だが、白色・黄色・褐色の物も在る。栽培品種には東洋系とヨーロッパ系とが在る。根と若葉とは食用。ビタミンA・Cに富む。根が赤いのはカロテンに依る。セリニンジン(芹人参)。ナニンジン(菜人参)。漢名、胡蘿蔔(こらふ)。季語は冬。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
 [2].ginseng。チョウセンニンジン(朝鮮人参)の別称。
※3-1:胡蘿蔔(こらふく)とは、(外国渡来のダイコン(蘿蔔)の意)セリニンジン(芹人参)の漢名。

※4:朝鮮人参(ちょうせんにんじん、ginseng)は、ウコギ科の多年草。単に人参、又は高麗人参とも言い、薬用植物として著名。根は肉質で直生し、分岐して色は白い。晩春頃緑白色の小さな五弁花を散形花序に密生、花後扁球形赤色の小果を結ぶ。朝鮮、又は中国東北部の山林樹下に自生。日本でも栽培。乾かした根を生薬の白参、一旦蒸して乾かした飴色のものを紅参と言い、共に強壮薬として古来有名。日本には享保年間(1716~1736)に渡来。オタネニンジン(御種人参)。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※4-1:五加(うこぎ)は、ウコギ科の落葉低木。山野に自生。高さ約2m。幹は鋭い棘(とげ)を持つ。葉は5~7片の掌状複葉。雌雄異株。夏、黄緑色の細花を球状に集めて咲く。花後、黒色の核果を結ぶ。若葉は食用。乾した根皮は生薬の五加皮(ごかひ)で、強壮薬。人家に栽培するヒメウコギは近似の別種。山五加。むこぎ。季語は春。
※4-2:御種人参(おたねにんじん、ginseng)は、朝鮮人参の別称。

※5:赤土/赭土(あかつち)は、[1].鉄分を含み、赤く黄ばんだ粘土。赤色土。黄色土。赭土(しゃど)。
 [2].赤黒色の絵具。

※6:本草綱目(ほんぞうこうもく)は、中国の代表的な本草書。明の李時珍の著。52巻。本草1890余種の漢薬を釈名・集解・気味・主治・修治・発明・正誤・付方の各項に亘って解説、処方8160。1578年に成り、96年刊。日本には1607年頃渡来し版行され、日本人の校勘本も多い。日本の本草学発展に寄与。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※7:苗族(ミャオぞく、Miao)は、中国南部からタイ北部/ミャンマー/ラオス/ベトナムの山地に住む民族の中国に於ける名称。水稲を作る平地ミャオと、焼畑をし陸稲を作る山地ミャオが在る。他にトウモロコシ/イモ類/雑穀の栽培をする。言語はシナ・チベット語族のミャオ・ヤオ語派に属する。東南アジアではモン族・メオ族。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
 補足すると、雲南省文山では三七(田七)の栽培に従事し、ミャンマー/タイ/ラオス国境の金三角地帯(ゴールデン・トライアングル)では阿片栽培もして居た。

※8:ヘモグロビン(hemoglobin)は、を含む色素(ヘム)蛋白質(グロビン)とが結合した化合物。赤血球中などに含まれる。容易に酸素と結合し、主に脊椎動物の呼吸に於ける酸素の運搬に重要な働きをする。酸化したもの(オキシヘモグロビン)は鮮紅色、還元したものは暗赤色。ヒトでは赤血球の重さの約35%がヘモグロビンで占められる。略号Hb。血色素。血赤素。血球素。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※9:サポニン(saponin)は、(名称の由来はシャボン(石鹸)[葡]と同じ)環状構造を持ち、植物の成分として広く分布する配糖体の一類。水に溶解して石鹸の様に泡を生ずる。溶血作用を有し、強心剤去痰(きょたん)剤などに用いるものも多い。水に溶けると泡立つ為、昔は洗浄剤として用いた。セネガ根/甘草/キキョウ/ジキタリス/ヤツデ/タラ/ムクロジ/人参/朝鮮人参などに含まれる。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※9-1:シャボン(sabao[葡], jabon[スペイン])は、石鹸。多識編(林羅山)「志也保牟(シャボン)」。

※10:血栓(けっせん、thrombus)とは、血管内で血液が固まって固形物と成ったもの。血管壁に付着して血管を狭めたり塞いだりして、血液循環障害を起こす。「脳―」。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※10-1:高脂血症(こうしけつしょう)とは、血液中の中性脂肪コレステロールが増加する疾患。脂肪は血液中で蛋白と結合し、リポ蛋白として存在するので高リポ蛋白血症とも言う。先天的家族性と続発性のものとが有り、前者は6型に分類され、後者は糖尿病や肝/腎/甲状腺の疾患に合併する。動脈硬化黄色腫などを起す。
※10-2:コレステロール(cholesterol)は、高等動物に見出される代表的ステロール化学式C27H46O。最初胆石から発見された。神経/脳脊髄などに多い。生体膜の重要な成分。性ホルモン/副腎皮質ホルモン/胆汁酸などは生体内でコレステロールから合成される。血管壁に沈着すると動脈硬化を起す。コレステリン。

※11:支根(しこん/えだね)とは、主根から分れた小さい根。側根。←→主根。
※11-1:蘆頭(ろず)とは、薬用にする植物の根や根茎で役に立たない部分。

※12:本舗・本鋪(ほんぽ、head store)は、[1].本店。
 [2].特定商品を製造販売する大元の店。

※13:薬九層倍(くすりくそうばい)とは、薬の値は原価に比べて非常に高く、暴利を貪って居る、として言う。

※14:渤海(ぼっかい)とは、8~10世紀、中国東北地方の東部に起った国(698~926)。高句麗の遺民とも言われる大祚栄が靺鞨族(まっかつぞく)を支配して建国。唐から渤海郡王に封ぜられ、その文化を模倣し、高句麗の旧領地を併せて栄え、727年以来しばしば日本と通交。15代で契丹に滅ぼされた。都は上京竜泉府以下の5京が在った。

※15:ヴァイアグラ/バイアグラ(Viagra)は、〔商標〕勃起不全の治療薬1998年より米国で販売され世界的一大センセーションを巻き起こし、爆発的人気を獲得。元々はシルデナフィル(sildenafil)として狭心症の薬。2014年からは特許期限が過ぎ後発医薬品(=ジェネリック医薬品)が流通。

※16:オカルト(occult)とは、(ラテン語「隠された」の意)[1].超自然的なもの。神秘的なもの。隠れたもの。
 [2].神秘的・超自然的な事柄を研究する一種の擬似科学。ヨーロッパの中世にはキリスト教とスコラ哲学が画一的原理と成った為、全ての異教的なもの・呪術的なものが広大なオカルトの世界を作り、占星術・魔術・悪魔学などを研究する学者が多く現れた。現代では、所謂心霊現象を始め科学的合理主義信仰に反する全てのものがオカルトと呼ばれる。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※16-1:オカルティズム(occultism)とは、通常の経験や科学では認められない「隠れた力」の存在を信じ、それを研究すること。占星術・錬金術・神智学・心霊術などを言う。

※17:澁澤龍彦/渋沢龍彦(しぶさわたつひこ)は、仏文学者・評論家・小説家(1928~1987)。本名、龍雄。東京生れ。東大卒。マルキ・ド・サドを中心に仏文学の翻訳・研究や評論に活躍。訳「悪徳の栄え」。

※18:トリュフ(truffe[仏])は、食用茸の一種。小球形で、土中に育つ。フランス南西部のペリゴール地方産の黒トリュフ、イタリアのピエモンテ地方産の白トリュフが有名。独特の強い香りが有り、高級料理の材料として珍重。イヌ・ブタの嗅覚を利用して採集。西洋松露(しょうろ)。トリュッフ。

※19:座(ざ)とは、この場合、江戸時代、貨幣又は度量衡などの免許品を製造した公設の機関。「金座・桝座」。
※19-1:人参座(にんじんざ)は、江戸時代、薬用人参(朝鮮人参/竹節人参/紅参など)を専売する特権を有した座。1674年(延宝2)に江戸横山町に初めて出来た。
※19-2:朝鮮人参座(ちょうせんにんじんざ)は、江戸中期の1763年、江戸神田の町人に許された座。粗悪な朝鮮人参の流入を防ぎ、国内産の専売を行ったが1787年に廃止。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※20:折たく柴の記(おりたくしばのき)は、(題名は後鳥羽院の歌「思ひ出づる折りたく柴の夕煙むせぶもうれし忘れがたみに」に拠る)新井白石の自叙伝。3巻3冊。1716年(享保1)、将軍家宣の5周忌の日に筆を執り、その年中に書き上げた。父祖の事から始めて自己の生い立ち・経歴に及び、家宣没後の停職引退に至る。平易・雄勁な和漢混淆文。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『朝鮮人参秘史』(川島祐次著、八坂書房)。

△2:『カラーブックス 漢方薬入門』(難波恒雄著、保育社)。

△3:『蕪村俳句集』(与謝蕪村著、尾形仂校注、岩波文庫)。

△4:『地球の歩き方104 雲南・四川・貴州と少数民族 1999~2000年版』(「地球の歩き方」編集室、ダイヤモンド社)。

△5:『食材図典』(小学館編・発行)。

△6:『新訂増補國史大系 続日本紀(前編)』(國史大系編修會編、吉川弘文館)。

△7:『毒薬の手帖』(澁澤龍彦著、河出文庫)。

△8:『校註 折たく柴の記』(新井白石著、佐藤仁之助校註、青山堂書房)。1911(明治44)年発行の本。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):西双版納の謂れと地図▼
地図-中国・西双版納(Map of Xishuangbanna, -China-)
参照ページ(Reference-Page):カルスト地形について▼
地図-中国・桂林地方(Map of Guilin region, -China-)
参照ページ(Reference-Page):雲南省の香格里拉(旧:中甸)の地図▼
地図-中国・雲南省北部(Map of Northern part of Yunnan, -China-)
参照ページ(Reference-Page):中国の少数民族▼
資料-中国の55の少数民族(Chinese 55 ETHNIC MINORITIES)
補完ページ(Complementary):2008年の文山訪問記、犬の丸焼きも▼
2008年・雲南の羅平/文山etc
(Luoping, Wenshan etc. of Yunnan, China, 2008)

補完ページ(Complementary):日本の三七(田七)の
粉末健康屋(健康オタク)に一言、そして私の健康法▼
私の健康論-不摂生は健康の母(My healthy life)
横顔(Profile):「雲南桃源倶楽部」や「愚公亭塞翁」について▼
雲南桃源倶楽部(Yunnan is Shangri-La)
「医食同源」の漢方▼
中国のヘビーなお食事-”食狗蛇蠍的!”(Chinese heavy meal)
私が「雲南桃源倶楽部」の北山会長の事を「塞翁」と呼ぶ訳▼
2002年・雲南タイ族民家宿泊記(Homestay at Dai's-house, China, 2002)
2000年当時、雲南桃源倶楽部で三七(田七)を採り上げた▼
2000年・雲南の旅(河口/元陽/紅河etc)
(Hekou, Yuanyang, Honghe etc. of Yunnan, China, 2000)

日本では「田七」の方が通りが良いのは日本人が米食民族だから▼
2010年・京都樒原の棚田(Rice terrace of Shikimigahara, Kyoto, 2010)
紅河の赤土(鉄分を大量に含む)▼
2008年・雲南の河口/金平etc
(Hekou, Jinping etc. of Yunnan, China, 2008)

淀川や与謝蕪村の生誕地▼
私の淀川(My Yodo-river, Osaka)
浅草の純喫茶▼
懐かしの「純喫茶」(Nostalgic 'Pure coffee shop')
大阪から沖縄に来る迄の経緯▼
2013年・大阪から那覇へ(From Osaka to Naha, Okinawa, 2013)
チベット族の「西蔵風鍋」(ヤク肉の鍋料理)▼
2001年・紅葉の中甸(Red leaves of Zhongdian, China, 2001)
三七花を売っていた麗江空港▼
2004年・パーリャン小学校竣工記念旅行
(Completion travel of Paliang's primary school, China, 2004)

ヴァイアグラで老人天国▼
こんな女に誰がした-悲しきパンパン(Who did to such a woman ?, sad pompom)
精力(性力)を高めるにはヘビ酒(蛇酒)▼
中国のヘビーなお食事-”食狗蛇蠍的!”(Chinese heavy meal)
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梅田に「物外館」という店が在った!('Butsugaikan' on my mind)
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ホルストの『組曲「惑星」』は占星術から生まれた、
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ホルスト「組曲「惑星」」(Suite 'The Planets', Holst)
中国の少数民族について▼
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