−− 2008.01.28 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2008.10.06 改訂
■はじめに − 相変わらずの付和雷同
先ず初めに、相撲の歴史や専門用語については
資料−日本の相撲の歴史と仕来たり(History and custom of Sumo in Japan)
を、朝青龍や白鵬の出身地モンゴル国の地図は
地図−モンゴル国と中国の内蒙古(Map of Mongolia and Neimenggu, -Mongolia, China-)
を、を適宜参照して下さい。
注目の大相撲初場所が2008年1月27日に千秋楽を迎え、1敗同士の東横綱・白鵬と西横綱・朝青龍が優勝を懸けて決戦しました。結果は白鵬が左からの「上手投げ」で制し14勝1敗で優勝して面目を保ち、朝青龍も「13勝2敗以上」 −日本相撲協会(理事長:北の湖親方)や横綱審議委員会(委員長:海老沢勝二前NHK会長、略称:横審)やマスマディアが課した数字− をクリアして、相撲協会・横審・マスメディア・世論の全てが”丸く収まった”形で目出度く初場所を終えました。”有終の美”というヤツです。
事実、翌28日両国国技館で開かれた定例の横審では、各委員は好成績をマークした朝青龍を評価し、厳しい口撃を展開してきた内館牧子委員も沈黙 −報道陣の前でもノーコメント− せざるを得ませんでした。これで昨年夏から続いた朝青龍バッシング(=朝青龍叩き)(※1)は嘘の様に鳴りを潜めました。世論は何時もの様にマスマディアの声高さに”付和雷同”(※2) −日本人の付和雷同癖は随所で指摘して来ましたが− し騒ぐだけ騒いだ挙句、いとも簡単に”丸く収められて”仕舞いました、衆愚の極みです。
この「個人的見解」のコーナーで私が相撲について書くのは03年7月の
相撲に於ける「日本の魂」(The Sumo, it's Japanese spirit)
以来4年半振りのことですが、奇しくも前回も朝青龍が渦中の人でした。つまり朝青龍は”問題児”なのです。この”問題児”に対し、前作では甘い世論に反し彼の無作法を厳しく糾弾した私ですが、今回は付和雷同のバッシング世論に反し朝青龍擁護の論をこれから展開しますので、私は天邪鬼(あまのじゃく)ですな。擁護と言うよりも、今の大相撲界が抱える問題の本質(=根本的原因)は朝青龍に在らず、というのが私の見解なのです。
そういう訳で前作と今回のテーマは独立して居ますが関連性が深い内容に成って居ます。興味有る方は前作を通読して下さい。相撲に関して2作目に成ったので[エルニーニョの相撲藪睨み]としてシリーズ化します。
又、末尾には朝青龍その他の力士の成績など、本文を補うデータを「参考資料」として付しました。
■これ迄の経緯
先ず最初に一連の朝青龍騒動(←世間は朝青龍問題と呼ぶ)の経過を以下に一覧表に纏めます。但し、今回の騒動の発端からでは無く、もう少し遡って春場所(3月)から記します。それは後で私の見解を述べる時に必要なデータだからです。先ずは下の表をご覧下さい。
<07年>
3/25 :[春場所]千秋楽、朝青龍、白鵬との優勝決定戦に敗れる
大関白鵬、13勝2敗で2回目の優勝
4/28 :旭天鵬(東前頭8枚目)が禁を破り追突事故(※3)
5/ 7 :追突事故(「業務上過失致傷容疑」で書類送検)に対し、
相撲協会が旭天鵬を厳しく処分
[1].夏場所の出場停止
[2].3ヶ月間、減俸30%
5/27 :[夏場所]朝青龍は休場
千秋楽、大関白鵬、全勝で3回目の優勝
→ 場所後、横綱に昇進
6/28 :時津風親方と兄弟子ら、愛知県犬山市で弟子の時太山(序ノ口)に
集団暴行、病院搬送後に急死させる(但し、この時は病死扱い)
7/22 :[名古屋場所]千秋楽、朝青龍14勝1敗で21回目の優勝
新横綱白鵬、11勝4敗
┌─ 25 :朝青龍、「左肘内側靱帯損傷、腰椎疲労骨折など」(※4)で、
│ 「約6週間の休養と加療を要する」旨の診断書と
モ 8月巡業の休場を協会に提出し、即モンゴルへ帰国
ン 同日に即、モンゴルのサッカー協会主催の
ゴ 慈善イベント(中田英寿氏出場)に出場し、朝青龍がシュート
ル した場面が日本で放映され、仮病帰国疑惑が浮上
│ 26 :この日からマスメディアが騒ぎ一気に問題化
└─ 30 :朝青龍、帰国し北の湖理事長に事情説明と謝罪
31 :在日モンゴル大使館が朝青龍のサッカー出場を、
モンゴル政府の要請と認め、相撲協会に釈明
8/ 1 :相撲協会が朝青龍に対し厳罰を下す
[1].秋場所(9月)と九州場所(11月)の出場停止
[2].9〜12月(4ヶ月)、減俸30%
[3].九州場所千秋楽迄の謹慎
(謹慎中は特別な理由がない限り自宅、高砂部屋、病院のみ)
[4].師匠の高砂親方も[2]と同じ期間減俸30%
中田英寿氏は高砂部屋に謝罪ファックスを送付(高砂親方の話)
3 :朝青龍、メディアの執拗な取材攻勢に精神的ダメージ大
6 :協会指定の精神科医が朝青龍は「急性ストレス障害」と診断
16 :モンゴル国内で市民団体が日本大使館前で抗議デモ
20 :相撲協会の依頼を受けた相撲診療所は「解離性障害」と診断
→ 高砂親方にモンゴル帰国を勧める
┌─ 29 :朝青龍、療養の為にモンゴルに帰国
│ ハラホリン(=旧モンゴル帝国の首都カラコルム)での温泉療養
│ 31 :横審が臨時懇談会を開き朝青龍の扱いを「当面は見守る」とする
│
│ 9/ 9 :[秋場所]始まる、朝青龍は出場停止
│ 10 :相撲協会、東京相撲記者クラブ会友の杉山邦博氏の取材証を没収
│ 理由は「協会批判」
│ 11 :東京相撲記者クラブが取材証問題で抗議
│ 12 :相撲協会、杉山氏始め関係者で協議し、杉山氏に取材証を返却、
│ 同記者クラブには「批判は真摯に受ける」と回答
│ 13 :5日目、横審本場所総見の後、内館牧子委員が朝青龍引退勧告発言
│ 23 :白鵬、13勝2敗で4回目の優勝
│ 9/26 :愛知県警は時津風親方(元小結双津竜)と兄弟子らを、
モ 時太山の傷害致死容疑で立件する方針を固めた
ン (遺族の強い要請で司法解剖し「多発外傷によるショック死」が
ゴ 浮上、後日県警は初動捜査のミスを認める)
ル
│10/ 5 :相撲協会、時太山問題で臨時総会を開き処分を決定
│ [1].時津風親方の解雇
│ [2].北の湖理事長が4ヶ月間の減俸50%、
│ 理事・監事らが4ヶ月間の減俸30%
│ 9 :時津風部屋、幕内時津海が時津風親方を襲名
│ 10 :新時津風親方、新潟の時太山の両親に謝罪
│
│11/11 :[九州場所]始まる、朝青龍は出場停止
│ 14 : 4日目、行司木村玉光が関脇朝赤龍の勝ち名乗りを
│ 「朝青龍」と言い間違える
│ 25 : 千秋楽に負けた白鵬、12勝3敗で5回目の優勝
│ 27 :朝青龍が乗るモンゴルからの直行便(ビジネスクラス)を
│ TV局が買い占め、急遽ソウル経由に変更
└─ 30 :朝青龍、モンゴルから帰国、協会の北の湖理事長に謝罪
12/ 2 :朝青龍、2日の冬巡業から復帰
6 :朝青龍、「右足関節周囲炎」で全治約4週間が判明
(11月初旬、モンゴルで痛めたもの)
10 :朝青龍、友綱部屋への出稽古を拒絶される
25 :朝青龍の年末年始の里帰り帰国を高砂親方許可せず
<08年>
1/14 :[初場所]2日目に朝青龍、若手の稀勢の里に敗れ黒星
1/27 : 朝青龍と白鵬、千秋楽に1敗同士で優勝決定戦
朝青龍敗れ13勝2敗
白鵬14勝1敗で6回目の優勝(3連覇)
28 :横審定例会、朝青龍の健闘を認める(内館委員ダンマリ)
■騒動の発端について
今回の一連の騒動の発端は皆さんの方が良くご存知でしょう。大相撲の本場所は奇数月に開催されますが偶数月は地方巡業をします。朝青龍は21回目の優勝を果たした名古屋場所を7月22日に終えた後、7月25日に「疲労骨折など」を理由に8月夏巡業の休場届を出して直ぐに故国モンゴルに帰国しました。そして何と帰国当日に行われたモンゴルサッカー協会主催の慈善イベントに出場し、日本の中田英寿氏(氏は06年に現役引退)と共にサッカープレーを披露しシュートした場面が日本のテレビで放映されたことが発端です。
これはもう、25日の慈善イベントへの出場は一部で報道された様な「飛び入り」では無く、朝青龍とモンゴルサッカー協会との間で「約束」されていた既定の方針、即ち診断書云々では無く「サッカーイベントに出る目的の為の確信犯的行動」(※5)と見るべきです。それならそうと朝青龍はその旨を高砂親方と共に協会に申し入れて「モンゴルでのイベントに参加する為」に短期帰国し、来日後に改めて診断書を出したら良かったのです。但しその場合は「モンゴルのサッカーに出られるのに巡業には出られんのか!」という詰問は当然協会からは出されます。しかし、事前協議ですから今回の様な「事後」の仮病騒動には成らなかった筈です。何れにしても「サッカーに出て巡業に出ない」では「筋」が通らない話で、祖国のイベントに参加するなら巡業にも出る、巡業に出ないなら祖国のイベントにも出ない、とするべきでした。要するに朝青龍が取った行動は道理・手続きの両面に於いて筋違いです。
直ぐ後で触れますが、朝青龍は06年モンゴル巡業の署名活動の件以来、協会や北の湖理事長とは意思の疎通を欠いて居ました。今回も診断書を提出しただけで”見切り発車”で帰国したのも協会、特に北の湖理事長への不信感が根底に有ったと私は見て居ます。
■相撲協会の朝青龍処分と事件の背景
従って、筋違いな朝青龍の行動に対して協会の厳しい処罰は当然、というのが私の見解です。協会は4月28日に追突事故を起こした旭天鵬(大島部屋、モンゴル出身)に対して、「現役力士の運転禁止」の禁(※3)を破ったとして厳しい処分を下して居たので、それとの「釣り合い」からしても妥当です。
そこで次に、今回の処分に至った朝青龍の行動から背景に在る問題を探ってみましょう。
(1)騒動の陰に隠れた朝青龍の怨念と因縁
先ず<朝青龍の怨念>から書くと、06年夏場所を右肘を痛めて途中休場し乍ら、7日目にモンゴル巡業実現の為に支度部屋で署名活動を行う「勇み足」(※6)をし、北の湖理事長から厳重注意を受けて居て、彼はこれを根に持った筈です。
→ モンゴル巡業はその後、08年8月に実現。
<朝青龍の因縁>とは、上述の旭天鵬の師匠・大島親方(元大関旭国)は巡業部長で、7月30日に朝青龍が謝罪に訪れる前に北の湖理事長を訪ね、「朝青龍が巡業に出ると言っても今更参加は認められない」と進言して居ますが、これは高砂親方の「朝青龍が帰国したら夏巡業への参加を勧める」の発言を封じる意味も有りました。思えば03年に「相撲に於ける「日本の魂」」を書いた切っ掛けが、朝青龍の旭鷲山(大島部屋、モンゴル出身で06年11月に引退)に対する常軌を逸した取口でしたが、その時の旭鷲山の師匠がやはり大島親方だったのです。
サッカー放映の翌日からメディアに煽られ騒ぎが大きく成り、世間は「仮病だ」「職場放棄だ」という方向へ行きましたが、私は寧ろ発端に成った朝青龍の行動の裏には、彼の協会不審や大島親方への”面当て”を感じましたね。朝青龍は可なり執念深い性格です。
(2)朝青龍の陰にちらつくモンゴル国の意向
今回の07年のモンゴルでのサッカー問題や06年のモンゴル巡業の署名活動問題の裏にモンゴル国の顔がちらつきますね。私には朝青龍のこれらの行動が”単独犯行”とは思えないのです。朝青龍はモンゴル国の意向或いは要請をモンゴル大使館から受けて行動している様に思えて為りません。
確かに朝青龍は祖国モンゴルの英雄で、モンゴルを世界にアピール出来る国際的な「顔」です。モンゴル国の政府や市当局がイベント等でその「顔」を利用し宣伝効果を上げようと考えるのは寧ろ当然です。だったら、モンゴル国は何故外交ルートを通して外務省から相撲協会に話を持って行く様にしないのか?、一力士である朝青龍個人にさせるから筋違いに成るのです。そういう意味では朝青龍が可哀相な面も有ります。事実モンゴル大使館は、朝青龍のサッカー出場がモンゴル政府の要請であったことを認め、7月31日に相撲協会に釈明して居ます。しかし「それは無いよ」という感じですね、釈明のタイミングが遅過ぎます。釈明するならサッカーが放映された翌日の26日、遅くとも27日迄ですよ。
この様に事実関係を総合すれば、朝青龍個人よりも日本の相撲社会に対するモンゴル政府側の無知・無理解が真の原因だったのです!
■朝青龍バッシングは如何にして形成されたか
しかし、サッカー放映翌日の7月26日の段階で既にマスメディアが朝青龍を100%の悪者に仕立て上げ −これは日本のメディアの常習的パターン− て仕舞い、それに引き摺られた世論(=その実体は衆愚の意見集約)が何時もの付和雷同癖で騒ぎ出したので最早勢いを止めることは出来なく成りました。8月1日の相撲協会の朝青龍処分 −私はこの処分内容は妥当(前述)だと思いますが− は、バッシングに「御墨付」を与える形に成りました。「マスメディア+衆愚」の一団は”恐い物(者)無し”の興奮状態に陥り、朝青龍をスケープゴート(※7)の血祭に上げ無遠慮にTVカメラを突っ込んで騒ぎ立て
朝青龍一人が100%の悪者 対 その他大勢が100%の善人
(=実は偽善者)
という、極端な二項対立的単純化が8月3日頃には完成されて仕舞いました。こう成ったら少数派は何を言っても無駄です、沈黙を守るのが一番賢い戦法です。
そして、こういう時には必ず多数派の中から”正義の味方”振った人間(=実は”弱い者苛め”)が現れますが、それが横審の内館牧子委員です。9月13日、彼女は秋場所5日目の本場所総見後の会見で朝青龍に「引退しろ」と迫りましたが、これは「勇み足」(※6)です。横綱審議委員会とは日本相撲協会の諮問機関で、諮問機関であるからには相撲協会の諮問に対し委員会として協議して答申するのが筋で、協会が8月1日に処分を下し横審も8月31日の委員会で「当面は見守る」とした中で、それも協会に物申すという形では無く個人プレーでマスコミやマスメディアを使って煽るという行為は、本人の思惑とは逆に卑劣で醜い姿に映りました(←元々この御仁はお世辞にも美形とは言えないですが)。
その点、「我々は理事長の諮問機関。協会が決めたことは見守るしかない。」(8月31日談)と語った作曲家の船村徹委員は見識を示して居ます。そもそも9月中旬の時点では世論(=衆愚の言動)の流れは朝青龍バッシングに向かい「朝青龍は引退すべし」という声は多数派を占めて居たので、敢えて内館委員が”正義の味方”振って多数派を後押しする必要など全く無かったのです。群集心理(※8)で勢い付いた世論は放って置いてもそちらの方向に肥大化し乍ら滑り出して居たのですから。或いはここで目立ちたかったのでしょうか?!、だとしたら売名の方は大いに成果は有りました。しかし既にスケープゴートにされて無抵抗な相手に群集の中から数歩進み出て追い討ちを浴びせた姿も広く知れ渡りましたので、騒動の熱が冷めたら”悪玉”にされて居るかも知れませんよ。事実、初場所千秋楽翌日のメディア各社の扱いを見ると内館委員は”苛めオバサン”の役に転落して居ます。群集心理とはその様に流動的なのです。
■朝青龍バッシングの落とし穴 − 群集心理の愚
私は流動的な群集心理に乗り付和雷同して多数派に加勢することを潔しとしない考え方なので、その様な行動を自分に戒めて居ます。1人の生け贄(=スケープゴート)を、直接その人物や事柄に関係無い”その他大勢”がバッシングしたり吊るし上げる行為は大衆リンチ的な行為です。のみならず、そこで空騒ぎすると底辺に横たわって居る「大相撲界の本質的問題」(→「考察」の章で詳述)を見失う結果に成ります。スケープゴート化は「蜥蜴の尻尾切り」に陥る、というのは私の持論で既に03年の論考に於いて指摘して居ますが、朝青龍叩きは「蜥蜴の尻尾切り」に過ぎません。
■相撲協会の対応
03年に朝青龍が旭鷲山のマゲ(髷)を掴んで反則負けした際には優柔不断で曖昧な対応だった相撲協会が、既に世論が収まらなく成って居たことも有って今回は毅然とした態度で上記の様な処分を下しました。この処分内容に私も妥当と考える旨は既に記しました。
(1)打算的な協会の朝青龍処分
ところが03年の時と今回を比べて考えると協会の対応が如何にも”打算的”なことが解ります。[相撲藪睨み#1]に於いて既に指摘した様に03年名古屋場所では朝青龍の他に武蔵丸が横綱を張って居ましたが、武蔵丸は先に途中休場して居たので朝青龍を処分すると”横綱無し”の事態を招いて仕舞うので直ぐには処分出来なかったのです(→曖昧な内に朝青龍は頸部挫傷で途中休場しましたが)。ところが今回の騒動の07年8月はと言うと、白鵬が7月の場所から横綱を張って居て朝青龍を出場停止にしても若い横綱・白鵬(当時22歳)が居る、という訳です。こうして
朝青龍が悪玉 対 白鵬が善玉
という構図も出来上がりました。これに追い討ちを掛けたのが前述の横審の内館委員でした。
(2)取材証没収で垣間見せた閉鎖的体質
相撲協会の対応で拙かったのは9月10日に「東京相撲記者クラブ」会友の杉山邦博氏 −元NHKアナウンサーで現役時代は主に大相撲テレビ中継を担当して居た− の取材証を召し上げた件です。これに対し同記者クラブは11日に抗議文を提出した所、北の湖理事長は没収理由を口頭で
[1].8月中旬の朝の民放番組で「朝青龍への処分に対しては弁護士や識者を入れて決めるべきだ」というコメンテーターの発言に杉山氏が頷いて居たのは相撲協会批判に当たる。
[2].テレビ出演の際の肩書が「相撲評論家」「相撲ジャーナリスト」だったが、こうした立場の人は”記者で無い”ので取材証を発行出来ない。
と答えて居ます。
私はこの回答に現在の相撲協会の体質が”丸出し”に出ていると思いますね。まぁ、現在のスポーツ記者は”提灯持ちのヨイショ記事”を書き捨てるのが慣習化して居て、これは記者側の「悪しき因習」ですが、自らに都合の悪い意見や批判を遮断するのは協会側の「悪しき因習」です。私は発端の番組を見て居ませんが「朝青龍への処分に対しては弁護士や識者を入れて決めるべきだ」という発言に”頷いた”のが協会批判とは「何様」ですかね、北の湖理事長は。それでは発言した当のコメンテーター氏にも「協会批判だ」と抗議しなければ片手落ちですよ。
結局この件は翌12日に杉山氏と相撲協会の当事者で協議の末、杉山氏が[1]を弁明し[2]の肩書きは配慮に欠けたと詫びたことで、協会は取材証を本人に返却し東京相撲記者クラブに対し「協会への批判等は真摯に受け止める」と回答し穏便に(=事勿れ主義的に)一件落着して仕舞いました。そしてこの問題から目を逸らさせ再び朝青龍叩きの激流の中に視線を戻させたのが13日の内館委員の引退勧告発言だったのです、ちとタイミングが良過ぎますね。
この様に、単に朝青龍だけでは無く様々な問題が表出したのが07年でしたが、私はこれらの表面に出て来た問題以上にもっと本質的な問題が在ると考えて居ます。この本質的問題は一連の騒動の中で殆ど話題に成らず、マスコミやマスメディアに煽られた儘に日本中が空騒ぎした挙句、冒頭で述べた如く08年初場所の”有終の美”で沈静化して仕舞った姿は現代日本の軽佻浮薄さの表れです。「大山鳴動して青鼠一匹」では余りにも情け無い。そこで次に現在の角界(=大相撲界)を巣食っている本質的問題に私が斬り込んで行きましょう。
■「大相撲界の本質的問題」の考察 − 不甲斐無い日本人力士たち
現在の「大相撲界の本質的問題」は何か?
結論を先に言えば当ページのタイトルであり又この章のタイトルでもある「不甲斐無い日本人力士たち」、これに尽きます。即ちメディアや世間が言う様な朝青龍問題などでは無く”日本人問題”なのです。この章ではその事を証明して行きますが、先ずはデータの検討から始めましょう。
(1)2003年初場所が「大相撲のターニング・ポイント」
1990年以降の大相撲のデータを「参考資料」に一覧表で纏めて在りますので以下の説明に於いて随時参照して下さい(外国人力士の四股名は黒色で示して在ります)。データは2008年初場所直後(=1月末)迄のものです。日本人力士の現状については次の節に回し、外国人力士から先に検討して行きます。
先ずは「参考資料」の「2000年以降の幕内優勝・三賞力士一覧」をご覧下さい。これを見れば2002年以降に黒色が多く、即ち外国人力士が優勝・三賞を獲得する割合が多く成って居るのが一目瞭然です。外国人力士の出身地にも大きな変化が起こり、嘗て土俵を賑わした大関小錦・横綱曙・横綱武蔵丸などのハワイ勢は2002年9月の武蔵丸の優勝を最後に優勝・三賞受賞者から消え去り、2003年以降活躍する外国人力士の出身地はモンゴルを中心に東欧やバルト三国などの新勢力に完全移行したことで、2003年11月に武蔵丸引退後はハワイ出身者は絶えました。特にモンゴル勢の躍進は目覚ましく、中でも2006年3月場所は優勝・三賞をモンゴル勢が独占して居ます。02年に黒色が多く成ったのはハワイ勢の横綱が最後の力を振り絞って優勝を重ねたのとモンゴル勢が中堅に伸し上がって来たからですが、データを良く見るとモンゴル勢の追い上げは01年から始まっています。03年に完全移行したのはこれらの外国人新勢力が横綱・大関など上位に君臨したからです。
この様にデータを分析すると2003年初場所(1月場所)を境に大相撲の勢力図は不連続的に激変して居るのが解ります。私はここを「大相撲のターニング・ポイント(=転換点)」(※9)と見て居ます。
(2)データで見る「不甲斐無い日本人力士たち」
そのターニング・ポイントの03年1月場所から直近の08年1月場所迄の全61場所のデータをもう少し詳細に見て行くと
日本人の優勝回数 = 5回/61場所(率=.0820)
日本人の三賞延べ数 = 52人/61場所
外国人の三賞延べ数 = 35人/61場所
日本人の優勝者無しの年 = 05年、07年
という事実が解ります。何と日本人力士の優勝率は1割以下なのです。更に
1998年7月の若乃花昇進以後、約10年間日本人横綱の誕生無し
2003年1月の貴乃花引退以後、5年間日本人の横綱不在
2001年5月の貴乃花優勝以後、約7年間日本人横綱の優勝無し
(以後、日本人は大関・平幕が9回優勝)
2006年1月の栃東優勝以後、2年間日本人の優勝者無し
2008年1月末現在、日本人の横綱候補は皆無
(1986年生まれの稀勢の里が化ければ可能性有り)
という状態が続いて居ます。つまり1998年7月以降、日本人は大関止まりという為体(ていたらく)が実際の有様で、「日本の国技」と言い乍ら全く反して”何処の国の国技か判らない”状態に陥って居ます。これが今日の危機に瀕した大相撲の実態なのです。
以上はデータから言えることですが、次に何故そう成って仕舞ったのかを検討します。
(3)ハングリー精神を失った日本人力士
これからこの節で述べる事、それが問題の本質です。私は既に”チンタラ大関”(※10)、”角番大関”(※11)の問題を03年の[相撲藪睨み#1]に於いて既に厳しく指摘して居ます(←この時は”万年大関”という表現ですが)。具体的には魁皇/栃東/琴光喜などです。
「チンタラ」(※10)という語は単に「だらだらと動作が鈍い」という場合よりも寧ろ”故意”に「だらだらと遅くしている」場合に使われることが多いのですが、私が”チンタラ大関”と呼ぶ理由もそこに在ります。彼等が横綱に比べ段違いに責任の軽い大関の椅子にサラリーマン的に”故意”に留まり、後は怪我をしないで適当な時期に引退し年寄株をゲットして何処かの部屋を継承する、という安穏な”ごっつぁん人生”を歩もうと考えて居る様に思えて為りません。何故ならば大関の地位は2場所連続負け越しせぬ限り安泰で、従って毎場所頑張る必要など更々無く”1場所置き”に勝ち越せば良いからです。大関が安穏な道を選ぶ理由の第1は、頑張ると怪我する確率が増し力士寿命を縮める恐れさえ有るので1場所負け越した「角番」の場所で本気出して8勝すれば最小の努力で長く居座れます。第2に親方としても「元大関」なら立派に幅が利くので無理して横綱を狙う理由は無いのです。つまり勝負の世界の階段の途中に大関という「踊り場」が存在する訳です。そして第3に、この踊り場に”故意”に長く居座った”万年大関”を勘違いして名大関扱いする世間の大衆がこの傾向を助長して居る、と私は分析して居ます。
しかし外国人力士が懸命に駆け抜けて行くのを尻目に日本人力士が踊り場でゴロゴロと屯(たむろ)して居る構図は見苦しい限りです。現役時代「大ちゃん」と呼ばれて”万年大関”を張り最近は朝青龍の”頼り無い師匠”としてメディアに登場する機会が増えた高砂親方(=元大関朝潮)などその典型ですね。何故こう成って仕舞ったのか?
その原因の第1は、相撲に限らず日本人全体のハングリー精神(hungry spirit)の喪失です。日本人全体がハングリー精神を失ったのはバブル景気終盤頃ですが、この頃はバブル景気全盛時の”拝金主義”の影響も大いに手伝って真っ当な仕事を3K −「きつい、汚い、危険」のローマ字の頭文字が何れも”K”で始まる為− と呼ぶのが流行り、日本人は”楽(らく)”をする方向に流れて行きました。相撲の稽古や本番は「きつい、危険」の2Kは充分過ぎる程満たして居て、土俵の内外に転がされて砂が着いたら「汚い」と感じる力士も中には居るかも知れません。調べてみたら上に挙げた朝潮大ちゃんが引退したのがこの時期の1989年で(△1)、年寄&親方稼業を”楽ちん”に事勿れ主義で歩んで居ましたが、”問題児”の弟子・朝青龍に因って飛んだ破目に成りました。この”楽”をする傾向は野球などにも言え、プロ野球選手はシーズン中には”楽”をしてシーズンオフの”銭闘”が格段に上達して居ます。
原因の第2は、日本が経済的に豊かな成熟社会に達したということです。日本国内には遍く「物」が満たされ日本人は目標を失い2005年頃にはニート(NEET)(※12)と呼ばれる”無気力で不可解な人間”が蔓延するに至りました。「物」が満たされて目標を失うのは三流国的現象で、無気力人間の蔓延は社会の過保護(=”甘やかし”)、即ち「甘えの構造」が原因です!
これらの原因に因って日本人力士は闘争心やガッツ(※13)を無くし横綱を目指して目一杯遣る事を放棄した、と私は考えて居ます。同じ負けるにしても昔の力士の様に土俵際で粘ることはせず、あっさりと土俵を割って仕舞います。多分怪我しない為の方策でしょう。私はこの様に、若者のハングリー精神の欠如を相撲やスポーツに限らない一般社会にも当て嵌まる共通基盤の現象、即ち日本社会の世代論的現象と捉えて居ます。高度成長の60年代後半に出現した「鍵っ子」(※12−1)が成長してオタクに成り、オタクの子が成長して今のニートに成って居る事実は重要です。この世代論は
戦後日本の世相史(Shallow history of Japan after World War II)
の中で考察を詳しく展開して居ますので、是非一読をお勧めします。物溢れの中で育った若い世代の精神力は確実に”ひ弱”に成りました。
何れにしてもこれらの原因によりハングリー精神を失った「不甲斐無い日本人力士たち」が蔓延して仕舞ったのです。
(4)ハングリー精神旺盛な外国人力士
これに対し現在の外国人力士はモンゴルを筆頭に韓国、中国、ロシア、グルジア、ブルガリア、エストニア、米国本土、米国ハワイ、アルゼンチン、ブラジルなど多彩です。特にモンゴル、東欧、バルト三国が目立つのは前述した通りで、何れも発展途上に在る国々で戦後復興期の日本と同様に彼らはハングリーでガムシャラ(我武者羅)です。格闘技は「きつい、危険」の2Kは当たり前の世界ですから、戦っている最中の苦しい状況を跳ね返す力の源泉は、結局ハングリー精神です。そこから忍耐力も闘争心も湧いて来るのです。
外国人力士がその数以上に良く健闘して居ることは、日本人力士の中に占める割合以上に外国人力士が上位に食い込んでいることで解ります。両横綱、大関・関脇・小結の三役、前頭の上位を見ると幕内上位の略半数を外国人力士が占有して居ます(→春場所の新番付を参照)。この様な状況に対し既に02年からプロ野球の様に「外人枠」を設け、外国人の新規入門は1[人/部屋]迄という厳しい制限を課して居ますが、闘争心や力士としての目標を失った日本人力士の敵では無く、「国技」という言葉が空しく響くだけです。
(5)相撲の国際化と日本的伝統
以上の様に現在の大相撲界は体良く言えば急速に国際化が進んだと言えますが、裏を返せば日本人の「力士の成り手」が激減した結果です。つまり日本の若い世代が経済的豊かさの上に胡坐を掻き伝統に外方(そっぽ)を向いた所へ、発展途上の国々からハングリー精神旺盛な若者が日本に”出稼ぎ”に押し寄せ上位を占有して仕舞った訳です。現実問題として「甘えの構造」の日本人力士が今直ぐ上位を奪回出来る訳でも無く、又日本人の「力士の成り手」が急に増える訳でも無いので、相撲の国際化と日本的伝統との調和を図る中で打開の道を探るしか無いでしょう。
朝青龍の本場所や稽古での荒っぽさが良く問題にされますが、彼が故国で長年慣れ親しんで来たモンゴル相撲について日本の視聴者も理解を持つことが必要です。現状はモンゴル出身の朝青龍と白鵬に”負んぶに抱っこ”の状態なのですから。斯く言う私もモンゴル相撲に詳しい訳では有りませんが、モンゴル相撲には現在でも土俵が無く決め技は専ら「投げ技」か「潰し技」で、手の平を地面に着けても負けに成らないので投げた側は投げた後の「追い討ち技」が必要に成ります。又、立合直後の瞬間的な投げ技や足技が効果的とされて居ます。この様な事を理解した上で日本の伝統と融合させる必要が有ります。
又、稽古での怪我を未然に防ぐ為と称して激しい稽古を避けて形だけの生温いものにする議論が盛んですが、それは”お嬢さん相撲”への堕落を結果しますので私は反対です。相撲は格闘技です、激しいぶつかり合いでも怪我などしない様に心身を鍛える方向こそが格闘技の本道であると私は考えて居ます。
[ちょっと一言] 日本の相撲も安土桃山時代以前は土俵が無く、神話の野見宿禰と当麻蹶速との垂仁天皇の御前角力では野見宿禰が当麻蹶速の脇骨と腰骨を砕き殺し、当麻蹶速の領地を賜って居ます(△2のp32〜34)。
大相撲界が国際化し文化や生活習慣の異なる外国人力士が増えて来ると、今迄無かった種々の摩擦や予期せぬ問題が今後更に表面化する可能性が高まります。その様な時に外国人に身を以て手本を示すことが出来る日本人横綱が長い間不在である事実こそが「国技」の面目丸潰れの最大不名誉であり、それ故に混迷する現在の「大相撲界の本質的問題」は偏に”日本人問題”だ、ということをこの章で明らかにしました。この不名誉を挽回する為には厳しい稽古に耐え得る「心技体」の練磨が必要不可欠です!!
■下衆の勘繰り − 丸く収まり過ぎるのも考え物
冒頭で私は「”丸く収まった”形で目出度く...云々」と述べましたが、余り”丸く収まり過ぎる”のも気持ち悪いですね。世間では「下衆の勘繰り」(※14、※14−1)などと言われますが、下衆な人間程勝手に邪推する癖が有り八百長論 −そもそも「八百長」という語は相撲と密接に関わる(※15)− が再燃しないとも限りません。これで来場所、朝青龍が優勝でもして「朝青龍、完全復活!」「両横綱時代到来で安泰!」などと、書き立てられる様に成ると、ちと”出来過ぎ”という感じです。
相撲は古代からの祭儀性を温存し、単に組み合って闘うのみならず土俵入りや四股や仕切りなど付随する所作が高度に様式化された「様式の競技」であると[相撲藪睨み#1]に記しましたが、相撲は全体として一つの「芸」を成して居るのです。つまり観客に対する興行として見せる為の「芸」、即ち「芸能」という一面を持ち、勢い一連の取組を盛り上げる為に”演出”が入り込む余地が有ります。
しかし、余りに予定調和的に”出来過ぎ”ると、筋書が見え見えに成り見物人たる我々は面白く無いのです。見物人は所詮は野次馬、予定調和を乱す「予期せぬ結果」を見たい、座布団が舞う様な「番狂わせ」を見たい、というのがホンネ(本音)です。今場所の様に相撲協会・横審・マスメディアの全てが”丸く収まった”形というのは、言わば世論を形成する側のタテマエ(建前)が前に出た格好で、私が気持ち悪く感じたのはそこの所です。
多分、予定調和的に丸く収まって一番ホッとしているのは横審の委員さん達でしょう、朝青龍が2日目に黒星を喫した時は焦ったでしょうね。何故なら、もし朝青龍が13勝 −この数字は朝青龍処分後から公言されて居た数字− をクリア出来なかったら、横審は”公約”を果たす為に引退勧告も含めた朝青龍の新たな処分を打ち出さなければ為らないからです。又、逆に朝青龍が優勝でもしたら、2場所空白の”問題児”に優勝を攫われた、と成って横綱白鵬だけで無く相撲協会・横審・世論を誘導して来たメディアの面目は丸潰れです。元々日本人の”チンタラ大関”には相撲協会も横審も期待して無いのは見え見えでしたから、特に白鵬は孤立無援で苦しかったろうと思います。もし負けて居たら白鵬はメンツ(面子)を失うだけで無く精神的にガタガタに崩れて仕舞う可能性すら有ったからです。ということで丸く収まったのですが...。
→ 八百長論議はその後、思わぬ所から再燃しました。
■結び − ”日本人問題”を克服する教育が必要
(1)朝青龍問題では無く”日本人問題”という認識が先決
以上の様に何かと朝青龍が話題の中心に成るのでメディアや世論は07年7月に始まった一連の騒動を朝青龍問題と呼び、外国人力士の朝青龍さえ”品行方正”に改悛させるかクビにすれば問題が解決するかの如くに声高に論じて居ますが「然に非ず」です。何故か?、そこに問題の本質は無いからです。繰り返しに成りますが最後にもう一度、本質的問題の念を押して置きましょう。
<繰り返しの念押し>→ 今ではデブ(※16)という言葉が差別用語らしくデブのことをメタボ(※16−1、※16−2)などと曖昧で意味不明なカタカナ語で呼ぶのが近頃の流行らしいですが、現在の大相撲界を駄目にして居る最大原因は、でかい図体を持て余し単なるデブの”穀潰し”に成り下がった「不甲斐無い日本人力士たち」に在るのです。「物」が溢れてハングリー精神や闘争心や目標を失った結果、「心技体」を身を以て示し得る日本人力士(=取り分け日本人横綱)が不在という現状は、ニートの蔓延にも通底する日本社会の世代論的問題であり遣る気の無い”日本人問題”こそが病根なのだ、ということは「考察」の章で証明た通りです。
にも拘わらず突出した外国人力士の「蜥蜴の尻尾切り」で事足れりと皆が勘違いしてる姿は御目出度い限りで端から見てると滑稽です。問題の克服には先ず正しい現状認識が必要ですが皆が誤った認識を持って居る様では大相撲界の根本的刷新は当分無理でしょう。
(2)「国技」の看板をどうするか
ところで極端に欧米化・外来化した日本の教育に見直しを提示した08年1月17日の中教審答申 −中教審自体も「ゆとり」だ理科教育だ学力向上だ、と右往左往して一貫した哲学が無い− では、日本の伝統武芸など「日本人の心」を取り戻す教育の必要性を指摘して居るので、取り敢えず全国の小学校に「砂場」を復活し男子生徒には相撲を取らせる事を期待しましょう、私が子供時代には学校の授業で相撲を取りましたよ。同答申では又「責任」を強調して居ますが、相撲を「国技」と宣うからにはサッカーの様な外来球技一辺倒では無く相撲を教える事こそが国の責任です、それが出来ないなら「国技」の看板を降ろすべきですゾ!
尚、[エルニーニョの相撲藪睨み]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)
>>>■その後
●08年3月 − 春場所は朝青龍が優勝
08年春場所は3月9日〜23日に開催されましたが、私は3月12日〜26日迄中国雲南省でのんびり過ごして居たので春場所に接して居ませんでした。帰国して春場所の結果を調べたら、案の定、私の「下衆の勘繰り」通りに朝青龍が優勝して居ました。春場所の成績は以下の通りです(黒色四股名は外国人力士)。
優勝 殊勲賞 敢闘賞 技能賞
朝青龍(13勝2敗) 琴奨菊 黒海 栃煌山
把瑠都
千秋楽は朝青龍が白鵬を小手投げで下したそうで、白鵬は12勝3敗でした。私が注目する日本人”チンタラ大関”の琴光喜・魁皇・千代大海は何れも申し合わせた如くに8勝7敗で最低ラインをクリアという”出来過ぎ”の御負け付きでした。この結果をどう見るかは皆さんにお任せしますが、下衆の私(※14)は大いに勘繰る所が有ります。一人横審の内館委員だけが、ハワイでアロハシャツ姿を撮影されたり、「死ね!」と暴言を吐いたとされる朝青龍に対し「朝青龍問題は終わって居ない」と気を吐いて居たそうですが、オフのハワイ旅行迄とや斯く言うのは如何にも狭い島国根性的了見を露呈させて居ます。広い中国の友人は日本人のこういう狭い了見を大変嫌って居ましたっけ。
再度言いますが問題の本質は朝青龍などでは無く、無言の裡に内外に示しを付け得る日本人力士不在という日本人の問題、その遠因は自国の伝統を疎かにして来た教育の問題です。
{この記事は08年3月27日に追加}
●08年8月 − 朝青龍念願のモンゴル巡業実現
本文中に記した様に、嘗て朝青龍が署名活動迄したモンゴル巡業が遂に実現し08年8月27、28日に首都ウランバートル市のモンゴル民族サーカス場で開催されました。朝青龍はモンゴル大統領を始めモンゴル要人と日本相撲協会の間を取り持ち、ご機嫌だった様です。何でも占い師の細木数子氏に「素直な自分を出しなさい」と諭されたそうです。
{この記事は08年9月2日に追加}
●08年9月8日 − 外国人力士の大麻問題で北の湖理事長辞任
ここ数年間に種々の問題で揺れ、特に昨07年は時太山の傷害致死事件を引き起こした角界ですが、08年9月8日遂に日本相撲協会トップの北の海理事長が辞任 −前々から「辞めろ」の声が有った− をしました。8月18日の若ノ鵬(ロシア出身、解雇処分)の大麻所持に因る逮捕に端を発して検査を行った所、露鵬と白露山のロシア人兄弟に大麻の陽性反応が出て精密な再検査でも陽性と診断された為です。この2人を解雇処分にし後任には武蔵川親方(元横綱・三重ノ海)が就きましたが、しかし武蔵川親方も北の海体制のNo2.の理事だった人ですから、一連の”事件”の責任者の一人である訳です。こんなんで良いのですかねえ??
本気で協会内部を浄化し刷新する気が有るなら、年功序列の”ごっつぁん人事”では無く非理事の中から新理事長以下を抜擢する位の気構えを形として示して貰いたかったですね。これでは相変わらずの蜥蜴の尻尾切りでっせ!
私は「考察」の章の最後で、外国人力士が増えて来ると予期せぬ問題が今後更に表面化する可能性が高まると書きましたが、この大麻もその一つでしたね。大麻吸飲は欧米では”当たり前” −『Microsoft
エンカルタ総合大百科』に拠れば大麻は北アメリカ中に野草として生えている(但し栽培は政府の許可が要る)− で、日本でも芸能界はすっかり汚染されて居ます。芸能人との付き合いが多い力士たちは外国人力士に限らず汚染が移り易い環境に在ると居えます。それにしても発端と成った若ノ鵬は大麻成分を含むロシア製タバコを外国人登録証と共に財布に入れ、その財布を落として発覚したと言うから間抜けで頓馬な話です!
{この記事は08年9月19日に追加}
●08年10月 − 大麻の次は八百長騒動
大麻問題が冷め遣らぬ中、今度は八百長疑惑です。その第1弾は『週刊現代』(講談社刊)が去る06年11月(=九州)場所千秋楽の横綱朝青龍対大関千代大海戦に於いて、千代大海が簡単に土俵を割った取組(→その結果、朝青龍が優勝を飾った)について八百長疑惑有りとした記事に対し、日本相撲協会と朝青龍らが発行元の講談社に対し「名誉棄損」で損害賠償と謝罪広告を求めた訴訟の口頭弁論が、10月3日に東京地方裁判所で開かれました。証人として被告側から元幕内力士の板井、原告側からは当の本人である朝青龍が出廷、例に依って法廷での朝青龍の言動を又もや大袈裟に取り沙汰して居ました。メディアは朝青龍を叩き乍ら朝青龍で営業利益を稼ごうという魂胆です。
そんな最中の第2弾は、何とあの大麻騒動の発端と成り解雇された間抜けで頓馬な元若ノ鵬が講談社に”買収”されて『週刊現代』に、自分に八百長を持ち掛けたとして大関琴欧洲と十両春日錦の名を挙げた記事を掲載したことが10月5日に明らかに成りました、いやはや。既に本文に記しましたが、相撲には古来から「芸能」として”演出”される側面が有ることは否定出来ませんが、要は時と場合(=TPO)と程度問題です。
私はこんな騒動の”追っ掛け”をする気は毛頭無いので、これ以後の追加記事は止めます!
{この記事は08年10月6日に追加}
◆◆◆参考資料 − 朝青龍・白鵬(モンゴル)や
不甲斐無い日本人力士のデータ
●朝青龍と白鵬のデータ(08年1月場所終了時)
○朝青龍
四股名 :朝青龍 明徳(あさしょうりゅう あきのり)
生年月日 :1980年9月27日
出身 :モンゴル国ウランバートル市
本名 :ドルゴルスレンギーン・ダグワドルジ
部屋 :若松→高砂部屋
初土俵 :1999年初場所(1月場所)
入幕 :2001年初場所(1月場所)
横綱 :2003年春場所(3月場所)、第68代横綱
土俵入り :雲竜型
得意技 :突っ張り、左四つ、投げ
体格 :184cm、148kg(08年1月末現在)
幕内戦績 :479勝119敗[勝率=.801](08年1月末現在)
幕内優勝回数:21回、歴代5位(08年1月現末在)
(歴代1位は大鵬の32回)
★左利きでニックネームは「蒼き狼」(=モンゴル帝国創設者の成吉思汗の渾名)。朝青龍を含め兄弟4人が皆モンゴル相撲を遣り、兄に総合格闘家のドルゴルスレン・スミヤバザル、プロレスラーのブルー・ウルフが居る。
○白鵬
四股名 :白鵬 翔(はくほう しょう)
生年月日 :1985年3月11日
出身 :モンゴル国ウランバートル市
本名 :ムンフバト・ダヴァジャルガル
部屋 :宮城野部屋
初土俵 :2001年春場所(3月場所)
入幕 :2004年夏場所(5月場所)
横綱 :2007年名古屋場所(7月場所)、第69代横綱
土俵入り :不知火型
得意技 :右四つ、寄り切り
体格 :192cm、155kg(08年1月末現在)
幕内戦績 :244勝80敗[勝率=.753](08年1月末現在)
幕内優勝回数:6回(08年1月末現在)
★父はメキシコ五輪レスリング銀メダリストで、モンゴル相撲の元横綱ジジド・ムンフバト氏。
●1990年〜08年1月場所迄の大相撲のデータ
(1)1990年以降の歴代横綱と2000年以降の歴代大関
・横綱
1990年 9月〜1992年 1月 第 63代:旭富士
1993年 3月〜2001年 1月 第 64代:曙 米国ハワイ(外国人初の横綱)
1995年 1月〜2003年 1月 第 65代:貴乃花
1998年 7月〜2000年 3月 第 66代:若乃花
1999年 7月〜2003年11月 第 67代:武蔵丸 米国ハワイ
2003年 3月〜 第 68代:朝青龍 モンゴル
2007年 7月〜 第 69代:白鵬 モンゴル
・大関
在位 横綱
場所 昇進
2000年 5月 27 第232代:武双山
2000年 7月 8 第233代:雅山
2000年 9月 65 第234代:魁皇
2002年 1月 30 第235代:栃東
2002年 9月 3 ▲ 第236代:朝青龍 モンゴル
2006年 1月 47 第237代:琴欧州 ブルガリア
2006年 5月 7 ▲ 第238代:白鵬 モンゴル
2007年 9月 17 第239代:琴光喜
(2)2000年以降の幕内優勝・三賞力士一覧
以下の表で、黒色の四股名は外国人力士です。又、横綱以外の優勝者には[地位]を記します(特に大関はオリーブ色)。
優勝 殊勲賞 敢闘賞 技能賞
2000年 1月 武双山[関脇] 武双山 隆乃若 武双山
雅山 旭天鵬
3月 貴闘力[前14] 貴闘力 雅山 武双山
貴闘力
5月 魁皇[小結] 魁皇 魁皇 栃乃若
雅山
栃乃若
7月 曙 魁皇 高見盛 栃東
安美錦
9月 武蔵丸 −−− 若の里 追風海
栃乃若
11月 曙 若の里 琴光喜 琴光喜
琴光喜
2001年 1月 貴乃花 若の里 和歌乃山 栃乃洋
3月 魁皇[大関] 栃乃洋 玉乃島 琴光喜
栃東
5月 貴乃花 朝青龍 −−− 琴光喜
(貴乃花、日本人横綱として最後の優勝)
7月 魁皇[大関] 若の里 玉乃島 栃東
時津海
9月 琴光喜[前 2] 琴光喜 朝青龍 琴光喜
海鵬
11月 武蔵丸 −−− 朝青龍 栃東
若の里
武雄山
2002年 1月 栃東[大関] −−− 武雄山 琴光喜
時津海
3月 武蔵丸 朝青龍 隆乃若 安美錦
5月 武蔵丸 −−− 朝青龍 旭鷲山
北勝力
7月 千代大海[大関] 朝青龍 霧島 高見盛
土佐ノ海
9月 武蔵丸 −−− 琴光喜 −−−
11月 朝青龍[大関] −−− 隆乃若 −−−
貴ノ浪
岩木山
▲−−−− 外国人:ハワイ勢中心にモンゴル勢が台頭 −−−−▲
大相撲のターニング・ポイント
▼−−−− 外国人:モンゴル勢中心に完全移行 −−−−▼
2003年 1月 朝青龍[大関] −−− 若の里 −−−
春日王
3月 千代大海[大関] −−− 旭天鵬 高見盛
5月 朝青龍 旭鷲山 旭天鵬 安美錦
7月 魁皇[大関] 高見盛 −−− 時津海
(朝青龍が旭鷲山の髷を掴み反則負け、11日目に途中休場)
9月 朝青龍 若の里 高見盛 岩木山
旭天鵬
11月 栃東[大関] 栃乃洋 玉乃島 −−−
土佐ノ海
2004年 1月 朝青龍 −−− 琴光喜 垣添
3月 朝青龍 朝赤龍 琴ノ若 朝赤龍
5月 朝青龍 北勝力 北勝力 玉乃島
白鵬
7月 朝青龍 −−− 豊桜 −−−
9月 魁皇[大関] 栃乃洋 琴ノ若 −−−
露鵬
11月 朝青龍 白鵬 琴欧州 若の里
2005年 1月 朝青龍 −−− −−− 白鵬
3月 朝青龍 −−− 玉乃島 安馬
5月 朝青龍 −−− 旭鷲山 琴光喜
普天王
7月 朝青龍 琴欧州 黒海 普天王
9月 朝青龍 −−− 琴欧州 −−−
稀勢の里
11月 朝青龍 琴欧州 琴欧州 時天空
雅山
栃乃花
2006年 1月 栃東[大関] 白鵬 北勝力 時津海
3月 朝青龍 白鵬 旭鷲山 白鵬
安馬
(優勝・三賞をモンゴル勢が独占)
5月 白鵬[大関] 雅山 朝赤龍 雅山
把瑠都
7月 朝青龍 −−− 玉乃島 玉春日
9月 朝青龍 稀勢の里 安馬 安美錦
11月 朝青龍 −−− 豊真将 琴奨菊
豊真将
2007年 1月 朝青龍 −−− 豊ノ島 豊ノ島
3月 白鵬 −−− 栃煌山 豊真将
5月 白鵬 安美錦 出島 朝赤龍
7月 朝青龍 安美錦 琴光喜 琴光喜
豊響
(場所後に朝青龍が2場所出場停止処分を受ける)
9月 白鵬 安馬 旭天鵬 −−−
豊ノ島 豪栄道
11月 白鵬 安馬 把瑠都 琴奨菊
2008年 1月 白鵬 安馬 豪風 鶴竜
稀勢の里
尚、以上のデータは主に【参考文献】△1に依拠して居ます。
{「参考資料」の以上のデータは08年2月5日に作成しました。}
●2008年の春場所番付の上位力士
東 地位 西
白鵬 <横綱> 朝青龍
琴欧洲(*) <大関> 琴光喜
魁皇 <//> 千代大海
安馬 <関脇> 琴奨菊
稀勢の里 <小結> 豪風
朝赤龍 <前頭 1> 鶴竜
安美錦 <前頭 2> 雅山
時天空 <前頭 3> 豊ノ島
若ノ鵬 <前頭 4> 旭天鵬
若の里 <前頭 5> 黒海
*:2005年迄は三賞に名を連ねて居た琴欧州は怪我などで成績不振に陥り、06年9月末に四股名の「州」を「洲」に改字(読みは同じ)しました。
{この番付は08年2月25日に更新しました。当初はスポーツ新聞に拠る予想番付を載せて居ましたが、08年2月25日に日本相撲協会から正式番付が発表されたのを受けて同日修正。予想は前頭筆頭以上は全て当たって居ました。}
【脚注】
※1:バッシング(bashing)とは、強く叩くこと。手厳しく遣っ付けること。「ジャパン・―」。
※2:付和雷同/附和雷同(ふわらいどう、following others blindly)とは、自分に一定の見識が無く、唯他の説に理由も無く賛成すること。「多数派に―する」。
※3:2000年12月に幕内・闘牙が死亡事故を起こした時、当時の時津風理事長(元大関豊山勝男)が「現役力士の運転厳禁」を決め再発防止に努めて来た。
※4:疲労骨折(ひろうこっせつ、stress fracture)は、同じ動作を何回も繰り返すことで、骨の一部に持続的な刺激が掛かる為に起こる骨折。ゴルフでの肋骨骨折、ランニングでの脛骨骨折、ウサギ跳びでの腓骨骨折などが有る。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※5:確信犯(かくしんはん)とは、道徳的・宗教的、又は政治的な確信に基づいて行われる犯罪。思想犯・政治犯・国事犯などに見られる。
※6:勇み足(いさみあし)とは、[1].相撲で、相手を土俵際へ追い詰め乍ら勢い余って相手より先に足を出して負けること。
[2].転じて、つい勢いに乗って遣り損う(或いは、遣り過ぎる)こと。
※7:スケープゴート(scapegoat)とは、(元意は「贖罪の山羊」で、古代ユダヤで贖罪の日に人の罪を負わせ荒野に放したヤギを指す)他人の罪を負わされる人。民衆の不平や憎悪を他に逸らす為の身代り・犠牲。社会統合や責任転嫁の政治技術で、多くは社会的弱者や政治的小集団が排除や抑圧の対象に選ばれる。
※8:群集心理(ぐんしゅうしんり、crowd mind)とは、多人数が1箇所に密集したり群集の状態に置かれた時に人々が示す特殊な心的状態。暗示され易く衝動的な言動をする傾向が有る。
※9:ターニング・ポイント(turning point)は、物事の変わり目。転換点。転機。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※10:「チンタラ/ちんたら」とは、遣る気無く、鈍々(のろのろ)と事を行う様。「―歩くな」。
補足すると、この語は故意に鈍く遅い動作を指す場合が多い。
※11:角番(かどばん)とは、[1].囲碁・将棋などで、何番勝負かを行う内の、それで勝敗が決まるという局番。
[2].相撲で、その場所に負け越せばその地位から転落するという局面。「―大関」。
※12:ニート(NEET, Not in Education, Employment or Training の略語)とは、
[1].元々は1999年イギリス内閣府調査報告書の中で「教育を受けず労働も職業訓練もして居ない若年層」を指す語として使われたのが最初で、日本では若年無業者の意味で2004年頃から使われた。フリーターが一応アルバイトで就労して居るのに対し、ニートは学習及び就業意欲の無い者と解釈される場合が多い。
[2].転じて、遣る気の無い無気力人間を広く指す。<出典:「フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)」>
※12−1:鍵っ子(かぎっこ、latchkey child)とは、共稼ぎ夫婦の子。両親が勤めに出て家に誰も居ず、何時も鍵を持ち歩いて居る為に付けられた名。
※13:ガッツ(guts)は、根性。気力。「―ポーズ」。
※14:下衆/下種/下司(げす)とは、[1].身分の低い者。使用人。源氏物語玉鬘「筑紫の国に二十年ばかり経にける―の身を」←→上衆・上種(じょうず)。
[2].心の卑しいこと。又、その者。「―な根性」。
※14−1:下衆の勘繰り(げすのかんぐり)とは、下種は不必要に気を回して見当違いの邪推をするものだ。
※15:八百長(やおちょう)は、(明治初年、通称「八百長」と呼ばれた八百屋が、相撲の年寄某との碁の手合せで、勝つ力を持ち乍ら常に1勝1敗に成る様にあしらって居た事に起ると言う)
[1].fixed game。相撲や各種の競技などで、一方が前以て負ける約束をして置いて、上辺だけの勝負を争うこと。馴れ合い勝負。「―試合」。
[2].rigged affair。転じて、内々示し合わせて置いて、馴れ合いで事を運ぶこと。「質疑応答で―をする」。
※16:でぶ/デブ(fat person, obese person)は、肥えて居る事、又、その人を嘲(あざけ)って言う語。
※16−1:メタボ(―)とは、メタボリック症候群/メタボリック・シンドロームの略で、和製英語。
※16−2:メタボリック症候群/メタボリック・シンドローム(―症候群、metabolic syndrome)は、内臓脂肪型肥満に加え、高血糖・高血圧・脂質異常症の内二つ以上を合併した状態。動脈硬化の危険因子として注目される。要するに、代謝系の異常であり、最近では生活習慣病の一つとされて居る。内臓脂肪症候群。でぶ/デブ。肥満。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『大相撲力士名鑑(平成19年版)』(水野尚文・亰須利敏編、共同通信社)。
△2:『日本書紀(二)』(坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注、岩波文庫)。
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):モンゴル国の地図▼
地図−モンゴル国と中国の内蒙古
(Map of Mongolia and Neimenggu, -Mongolia, China-)
@参照ページ(Reference-Page):相撲の歴史と仕来たりや
八百長相撲が無くならない訳▼
資料−日本の相撲の歴史と仕来たり(History and custom of Sumo in Japan)
@補完ページ(Complementary):日本のハングリー精神喪失や若者の世代論▼
(曖昧なカタカナ語の濫用にも言及)
戦後日本の世相史(Shallow history of Japan after World War II)
モンゴルの風景▼
まどかの1998年中国・モンゴルの旅
(Travel of China and Mongolia, 1998, Madoka)
日本人の付和雷同癖▼
私の健康論−不摂生は健康の母(My healthy life)
付和雷同して空騒ぎし忘れる癖▼
日本人の自己責任意識を問う
(Self-responsibility consideration of Japanese)
大衆とメディア(或いは大衆とマスメディア)の関係▼
理性と感性の数学的考察(Mathematics of Reason and Sense)
スケープゴートや極端な二項対立的単純化の弊害(付和雷同にも言及)▼
片手落ちの綺麗事を払拭せよ!(Sweep away unbalanced virtue !)
スケープゴート化は「蜥蜴の尻尾切り」▼
旧石器発掘捏造はマスコミ犯罪だ
(Mass media led the paleolith fabrication)
”銭闘”が上手く成ったプロ野球選手▼
城島には半ズボンを!(SHORT PANTS suit baseball player Jojima)
成熟社会について(付和雷同にも言及)▼
デフレ論議に疑問を呈す(Is our DEFLATION true ?)
ハングリー精神の喪失を助長した「甘えの構造」▼
いじめ問題について(About the BULLYING)
テニス界でも若手が不甲斐無いという現象▼
スポーツに学ぶ「引き際」('Timing of Retire' in case of sports)
格闘技と闘争心▼
ブラボー!、乱闘試合(Bravo !, combative match)