-- 2003.07.14 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2004.09.10 改訂
■はじめに - たかが相撲ですが
藪睨み(※1)とは、斜(はす)から物を見る事で斜視(squint)とも言います。又、見当違いな見方(misguided view)を言う場合も有ります。私が副題を[エルニーニョの相撲藪睨み]と名付けた理由は、この両方の意味を含んでいます。余り糞真面目に考えないで下さい。相撲を正面からのみで無く、斜(はす)から見たり「見当違いな方向」から見たりしながら他の追随を許さない独自なページを作る事を心掛けて居ます。独自性(Originality and uniqueness)は当サイトの重要なコンセプトなのです。
これは丁度、野球の副題が[エルニーニョの外野席八つ当たり]に成って居るのに対応して居ます。{この「野球の副題」の記述は04年9月10日に追加}
先ず初めに、相撲の歴史や専門用語については
資料-日本の相撲の歴史と仕来たり(History and custom of Sumo in Japan)
を、朝青龍の出身地モンゴル国の地図は
地図-モンゴル国と中国の内蒙古(Map of Mongolia and Neimenggu, -Mongolia, China-)
を、を適宜参照して下さい。
■遂に起こったか!
「遂に起こったか!」、これが私の偽らざる感想です。勿論今(=2003年)行われて居る大相撲名古屋場所での横綱・朝青龍(高砂部屋、22歳)の2度に亘る本場所中の不祥事に対してです。▼下▼がニュースの記事。
1度目:7月10日(5日目)の結びの一番で、先場所敗れた旭鷲山(大島部屋、30歳)のマゲ(髷)を掴んで、1955年夏場所に禁じ手が定められて以来、横綱として史上初の反則負け。しかも打ち出し(※2)後、旭鷲山の車のドアミラーを破壊するなど、土俵を離れても暴走は止まらなかった。
2度目:7月13日(8日目)の高見盛との取り組みに敗れた後、風呂場で旭鷲山と鉢合わせし、あわや喧嘩の寸前迄行った。又、高見盛との取り組みの仕切り中、高見盛を嘲笑った。何でも「高見盛のパフォーマンスは滑稽で思わず笑っちゃう」とのこと。
旭鷲山と朝青龍の2人は共にモンゴル出身(※3)の先輩と後輩、モンゴルと言えばモンゴル相撲(※3-1)が有名ですが、朝青龍は先輩の旭鷲山の日本での活躍を慕って日本に来た由、いやはや、です。
■相撲協会が今直ぐ執るべき処置 - 朝青龍の即刻処分
(1)相撲協会の曖昧な対応
これに対し日本相撲協会(北の湖理事長)は、と言うと朝青龍に「反省を促す」とか「成長を期待する」程度のコメントを発表しただけで、注意するでも無く全く生微温い。と言うよりも日本の国技たる「相撲」が外国人力士にナメられて居るという状況の本質が見えて無い様ですね、はっきり言って相撲協会の対応はトンチンカンです。
一方、前横綱審議委員会委員長のナベツネ=渡辺恒雄氏が、場所後の審議会で議題に乗せ「処分も有り得る」の発言ですが、当然です。
[ちょっと一言] ナベツネ氏は、プロ野球の読売ジャイアンツ(通称:巨人)のオーナーとしてアクの強さと強引さ、巨人中心主義で嫌われて居る面も有りますが、巨人以外では意外とスジ(筋)が通っている面も有って人物としては面白いオッサンです。
(2)相撲協会は何故朝青龍を処分出来ないのか?
相撲協会が何故毅然とした態度が取れないのか?、これはもう明白です。貴乃花引退後、横綱は武蔵丸(=ハワイ出身の外国人力士)1人だったのを、人気回復の為モンゴル出身の朝青龍を横綱に昇格させざるを得なかった、という協会側の”事情”と、今場所はその武蔵丸が既に途中休場して居るので1人だけの横綱・朝青龍を下ろせない、という場所の”事情”とが重なって居るからでしょう。
そんな協会側の弱腰に成らざるを得ない状態を”肌で感じている”からこそ、朝青龍は「協会はオレを下ろせる訳無い」とタカを括り、”怖いもの無し”で増長して仕舞ったのでしょう。しかし、ここで看過すると「悪しき前例」を作る事に成る、ということをもう一度関係者に熟考して貰いたいですね。つまり今回見過ごすと、次回同様の不祥事が起きた時に「示しが付かない」ということです。
と7月14日の初稿で書いたのですが、協会が示しを着ける前に朝青龍は頸部挫傷とかで7月16日(11日目)から休場しました。10日間の戦績は5勝5敗、朝青龍も相撲に集中出来なかったと見えます。{この段は03年8月3日に追加}
(3)相撲協会は毅然とした態度を示せ!
協会は相手が外国人力士ということで、事が外交問題に発展することを恐れて居る様子も窺われます。日本人は政治家や官僚を始め、”外交問題”を極度に恐れる所が有り、それは裏返すと外交音痴ということなのですが、外交は外交、国技は国技です。朝青龍を処分した後の外交的問題は外務省に任せれば良く、ここは即刻毅然とした態度で「相撲という日本の伝統的競技の規範を示し、今後の善き前例と成す」ことが必要です。
以上の観点から私は、朝青龍の「横綱剥奪」も視野に入れ即刻処分すべし、と思って居ますよ。
■不祥事の本質
しかし、前章(3)で進言したことは”応急処置”に過ぎません。協会及び部屋の親方衆は事態の本質を把握し、これを今後改善して行かねば為りません、時間が掛かる作業ですが。
では本質は何か、それは日本に於ける「相撲」の持つ意味、についての力士への教育が疎かにされて来たことです。マスメディアの大衆迎合路線に合わせ、「相撲」を単なるスポーツに堕落させた -これは日本の祭を単なるイベントに堕落させたのと同期して居ます- 点に在ります。相撲の祭儀性については次章で述べましょう。
■相撲関係者が今後時間を掛けて取り組むべき問題
(1)相撲協会と部屋の親方衆に対する提言 - 力士の教育と視聴者啓蒙
野見宿禰や当麻蹶速の故事を持ち出す迄も無く、相撲には「五穀豊穣に感謝し神に武芸を奉納する」という、日本固有の伝統を持つ神聖な儀式・祭(=祭儀性)の側面が有り(△1の第1章)、そこに体現されるのは正に大和魂なのです。だから数多くの日本の伝統的武芸の中で唯一「国技」と呼ばれるということを、日本人・外国人の区別無く力士を目指す若い人に教育して行く必要が有ります。
江戸時代迄は大関が最高位で、あの雷電(※4~※4-2)も大関でした。横綱とは地鎮祭(※5)で神域に張る注連縄(しめなわ)の意味を有して居ます。皆さんも神社の鳥居や神木や或いは山上の磐座(※6)と呼ばれる大きな岩などに注連縄が張って在るのをご覧に為ったことが有ると思います。注連縄を張った内側は神聖な空間で、注連縄は俗界との結界を示して居るのです。そして注連縄の周りに「塩」を撒いて清めるのですよ。土俵は正に注連縄であり土俵の内側の神聖性を表して居るのだということ、胴体に注連縄を巻いた「横綱」という存在は単に強いだけの存在では無い、ということがこれでお解りでしょう。
又、力士が土俵に上がって塵手水(※7)を切るのは何故か?、行き成り取り組まないで何回も「見合い」をするのは何故か?、「見合い」の度に何故塩を撒くのか?、土俵入りは何の為に行うのか?
この疑問に答えているのが「資料-日本の相撲の歴史と仕来たり」です。それを読めば、相撲には単に勝負に勝つ以外の種々の「型」や「決まり」(=約束事)や「仕来たり」(=慣例)が存在し、それらが統合され統一的様式(※8)を成していることがお解り戴けると思います。力士の肥満体もその様式の一つと考えられ(△2のp9~12、p25~26)、相撲は「様式の競技」なのです(△3のp162)。協会及び部屋の親方衆は「日本の相撲の歴史と仕来たり」をもっと大切にし、力士に教育し更にテレビ中継などを通して一般視聴者にも啓蒙して行く必要が有ります。
(2)日本人力士に対する苦言
上で朝青龍が”怖いもの無し”で増長して仕舞ったと述べましたが、増長させた裏には日本人力士の”だらし無さ”が有ります。私は相撲は日本の国技故に常に日本人が横綱を張るべきなどと主張する気は毛頭有りませんが、今回の不祥事のウラには大関という地位で微温湯(ぬるまゆ)に浸かって”チンタラ”遣っている日本人の”万年大関”陣が居ます、即ち武双山/雅山/魁皇/栃東。何故微温湯かと言うと、大関の地位は2場所連続負け越しせぬ限り安泰だからです。日本人大関陣が確りして精神的な部分で示しを着けていたら、こんな不祥事は起こらなかったでしょう。私が冒頭で「遂に起こったか!」と感じたと言ったのはこういう事なのです。私は日本人の”万年大関”陣に猛省を促し心を入れ替えて精進することを強く望みます、彼等は元々「力」は有るんですから。
■相撲は「心技体」 - もう一度「心」を取り戻せ!
相撲は昔から「心技体」と言われ、この三拍子揃った力士を理想とし、中でも取り分け信義とか公正さとか感謝とか、「心」の修練に一番の重点を置いて来ました。だから「心技体」と言う様に「心」が最初に挙げられて居る訳で、これは「心を以て技と体を制御する」意の表れです。
この「心」の部分を戦後のマスコミが世論を煽り”精神主義”とか”非科学的”と決め付けて削ぎ落として仕舞いました。又、親方制度や徒弟制度を”古い”とか”閉鎖的”とか批判し、果ては土俵に女性を上げないのは女性差別だとか、何をか言わんやです。その結果、部屋の親方は「技」以外の事については注意しなく成り、稽古も”科学的”な「技」「体」のみに主眼が置かれ、畢竟それならば体力に勝る”外人助っ人”を力士にした方が手っ取り早い、という事に成ったのがこれ迄の流れではないでしょうか。
私が今回の事件で想い起こすのは、天才と呼ばれ異例の早さで横綱に上り詰めた直後、角界を飛び出した双羽黒です。もう10年以上前の話(=1987年大晦日に廃業したこと)で記憶も朧ですが、彼も何かの不満が有って飛び出して行ったには違い無いのでしょうが、新聞か何かで彼の不満をぶちまけた記事を読んだ時”幼稚な”ヤツだと思った覚えが有ります。今回朝青龍に対しても私は全く同じ印象を持ちました。思えばあの頃から「心」が抜け落ちていた兆候は有ったのです。
■結び - 全ては近代以降、特に戦後の教育に起因
戦後日本の教育界やマスコミに誘導された世論は、こうした日本固有の伝統を全て”古い”とか”閉鎖的”という単純な発想で有らゆる分野で「自分たちの拠って立つアイデンティティー」を悉く否定して来ました。これは多くの批評家が指摘する様に、戦後の占領米軍GHQを通じてのアメリカの”支配”政策であったことは間違い有りませんが、日本人が自らの立脚点を失った時、何処へ行ったら良いのでしょうか?、流れに身を任すしか無いのです!
この様に考えを整理して来ると、今回の不祥事もその根っこの部分は単に大相撲界だけの問題では無く、私が当サイトで何回と無く主張して居る日本人の「心の空洞化」という一般理論に大相撲界という境界条件を当て嵌めた特殊解に過ぎない、という事がお解り戴けたでしょう。それ故にこの問題は私にとって単に「たかが相撲」では無く「然れど相撲」なのです。私は試合での戦闘よりも”銭闘”に拘泥(こだわ)る様に成った昨今の日本のプロ野球に於いても「心技体」の考え方が重要だと主張して居ます。
相撲界も戦後日本を覆った「自己喪失の流れ」に呑み込まれ、「心の教育」を怠って来た為に相撲の精神は空洞化し、”唯強ければ良い”という単なる格闘技スポーツに堕落した結果が、今回の朝青龍の不祥事なのです。先ず日本相撲協会がこの点を認識しない限り相撲の復興は有りませんよ。
(>v<)
尚、[エルニーニョの相撲藪睨み]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)
【脚注】
※1:藪睨み(やぶにらみ)とは、[1].squint。物を見る時、瞳がその物の方に向かわない事。又、その人。斜視。僻眼/瞟眼(ひがらめ)。薮(やぶ)。
[2].misguided view。転じて、見当違いな見方。
※2:打ち出し(うちだし)とは、演劇・相撲などで、一日の興行の終り。太鼓を打つので言う。
※3:モンゴル(Mongol)は、中国の北辺に在って、シベリアの南、新疆の東に位置する高原地帯。又、その地に住む民族。13世紀にジンギス汗が出て大帝国を建設し、その孫フビライは中国を平定して国号を元と称し、日本にも出兵した(元寇)。1368年、明に滅ぼされ、その後は中国の勢力下に入る。ゴビ砂漠以北の所謂外モンゴルには清末にロシアが進出し、1924年独立してモンゴル人民共和国(首都はウランバートル)が成立、92年モンゴル国と改称。内モンゴルは中華人民共和国成立に因り内モンゴル自治区と成り、西モンゴルは甘粛・新疆の一部を成す。蒙古。
※3-1:モンゴル相撲(―ずもう)は、モンゴル人の間で行われる相撲に似た格闘技。1対1で組み合い、技を掛け合う。倒すか相手の膝を地面に付ければ勝ちに成る。土俵は無い。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※4:雷電為右衛門(らいでんためえもん)は、江戸後期の力士(1767~1825)。信濃の人。25歳で力士に成り、30歳で第76代大関に。江戸の力士浦風林右衛門に入門し、谷風(2代)の内弟子と成る。不世出の強力で、逸話が多く、横綱谷風を凌駕したと言われる。大関を16年間務めたが、横綱には成って無い。講談に成り、張り手・鉄砲・閂(かんぬき)は禁じ手とされたという俗説が在る。『諸国相撲控帳』(雷電日記)と『万御用覚帳』の著作を残す。<出典:一部「日本史人物辞典」(山川出版社)より>
※4-1:雷電(らいでん、thunder and lightning)とは、かみなり(神鳴/雷)といなずま(稲妻/電)。日葡辞書「ライデンガスル」。→雷電様。
※4-2:雷電様(らいでんさま)とは、北関東/信越地方で、落雷を避ける呪(まじな)いなどとして祭られる神。
※5:地鎮祭(じちんさい)とは、土木・建築などで基礎工事に着手する前、その土地の神を祀って工事の無事を祈願する祭儀。土祭。地祝。地祭(じまつり)。
※6:磐座(いわくら)とは、(イハは堅固の意)[1].神の鎮座する所。岩座。
[2].山中の大岩や崖。
※7:塵手水(ちりちょうず)とは、[1].手を清める水の無い時、空(くう)の塵を捻って手を洗う代わりとすること。
[2].力士が土俵に上り、取り組む前に行う清めの礼式。徳俵で蹲踞(そんきょ)、拍手して後、両手を左右に開き、掌(たなごころ)を上に反すこと。
※8:様式(ようしき)とは、[1].pattern, form。様(さま)。形。特に、一定の形式。一定の型。「生活―」「書類の―が変わる」。
[2].style, mode。芸術作品・建築物などの形式的特徴を総合したもの。特定の時代・流派・作家などの表現上の特性を示すもの。「バロック―」。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『相撲の誕生』(長谷川明著、新潮選書)。
△2:『日本の相撲』(谷川徹三・笠置山勝一著、鰭崎英朋画、ベースボール・マガジン社)。
△3:『格闘技バイブル』(松浪健四郎著、ベースボール・マガジン社)。
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):独自性や先見性は
当サイトの重要なコンセプト▼
当サイトのコンセプトについて(The Concept of this site)
@参照ページ(Reference-Page):モンゴル国の地図▼
地図-モンゴル国と中国の内蒙古
(Map of Mongolia and Neimenggu, -Mongolia, China-)
@参照ページ(Reference-Page):相撲の歴史と仕来たり▼
資料-日本の相撲の歴史と仕来たり(History and custom of Sumo in Japan)
まどかのモンゴルの風景▼
まどかの1998年中国・モンゴルの旅
(Travel of China and Mongolia, 1998, Madoka)
大和魂について▼
温故知新について(Discover something new in the past)
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