§.イチローに於ける”球道者”精神
[イチロー論:「走攻守」+「心」
(ICHIRO is a pursuer of baseball)

−− 2004.10.10 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2004.11.17 改訂

 ■はじめに − 年間最多安打記録を”簡単に”クリアしたイチロー
 イチローがアメリカで年間最多安打記録を更新しそうだという時から当サイトの掲示板で野次馬的議論を重ねて来ました。その議論は
  ブラボー!、乱闘試合(Bravo !, combative match)
の中に定着させて居ますが、その中で「イチローについては全試合が終了し年間安打数が決まった時点で詳述しましょう。」と公言して居ましたが、その約束に応えたのが本論考です。
 2004年10月1日、アメリカ大リーグ(※1)に於いてシアトル・マリナーズのイチロー外野手が遂にジョージ・シスラー(ブラウンズ=現オリオールズ)の年間最多安打記録257本を実に84年振りに更新しました。この日、記録に後1本と迫っていたイチローは何のプレッシャーも無いかの様に、いとも”簡単に”3安打し一挙に259本の新記録を達成したのです。そしてシーズン終了時には
  年間最多安打記録 = 262
という金字塔を”苦も無く”打ち立てました。実はイチローは渡米1年目の2001年に既に242本という歴代9位の安打数を樹立して居たのですが。
 今年は日本のプロ野球も色々な問題が噴出して、それについても「オリックスの”球団転がし”を糾弾する」の中で私見を記しましたが、私はシーズンが終了したらイチローのことを、そして知られざる偉大な打者ジョージ・シスラーのことを書こうと思って居ました。
 但しこの時期に成るとマスメディアも挙ってイチローを持ち上げた記事を書きますので、私は常々言っている様に”付和雷同”しない精神で、世間の議論とは一味違った切り口でこのページを綴りましょう。

 ■大リーグ年間最多安打記録10傑
 先ずアメリカ大リーグに於ける年間最多安打記録のベスト10を見てみましょう。

     順位 安打数    選手名         チーム    達成年 左右
     −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     1位 262  イチロー         マリナーズ    2004 
     2位 257  ジョージ・シスラー    ブラウンズ    1920 
     3位 254  レフティ・オドール    フィリーズ    1929 
        254  ビル・テリー       ジャイアンツ   1930 
     5位 253  アル・シモンズ      アスレチックス  1925 右
     6位 250  ロジャーズ・ホーンスビー カージナルス   1922 右
        250  チャック・クライン    フィリーズ    1930 
     8位 248  タイ・カッブ       タイガース    1911 
     9位 246  ジョージ・シスラー    ブラウンズ    1922 
    10位 242  イチロー         マリナーズ    2001 

 これを見ると先ず、左右の総数比では左打者の方が少数であるにも拘わらず10打者中8打者が左打者で、安打を打つには1塁に1歩〜1歩半近い左打者が圧倒的に有利だということが歴然と証明された形です。
 次にベスト10に2度入っているのはイチローとシスラーだけなのです。「球聖」と称えられたタイ・カッブ(※2)が8位にランクされて居ます。
 そして年度に注目すると、今迄の最高だったシスラーの記録達成年が1920年、イチロー以外で一番新しい達成年でも1930年で、イチロー以外の年間最多安打の上位記録は全て「お祖父(じい)さん」の世代の人たち、日本では未だプロ野球が無かった時代(※3)の人たちに依って打ち立てられた記録なのです。つまりイチローが2001年に歴代9位(現在は10位)に食い込む迄実に70年間の空白が有ったのだ、ということを私はここで強調して置きます。その理由はやはり投手が駆使する変化球が多様化し、近年では総試合数(現在は162試合)の1.5倍、即ち240本以上の安打を打つのは至難の業(わざ)だと考えられます。因みに今年のイチローは
  262本/161試合 = 1.63[本/試合]
という値に成ります。但しシスラーが257本の記録を作った時代は総試合数=154試合、即ち1.67[本/試合]だった、という点はこうした記録を読み取る場合は留意すべきです(シスラーについては後述)。

 ■安打製造機イチローの軌跡
 本名は鈴木一朗、「山田太郎」と同じく何かの書類の記名サンプルに使われそうな平凡な名前です(←但し「朗」の字が一般的な「郎」では無い)。1973年10月22日愛知県西春日井郡豊山町生まれ。右投左打。少年時代より父・宣之氏(のぶゆき、通称:チチロー)の薫陶を受け、愛工大名電高で投手として甲子園に2度出場、しかし2度共初戦で敗退。1992年にドラフト4位であの宮内オリックスに入団。
 ”巨人教”にハマり「野球」を見る眼が曇った土井正三監督には才能を理解されず2年間の”下積み”を経験しましたが、”パ・リーグの営業部長”という異名を取った仰木彬監督に代わった94年、仰木監督の発案で平凡な本名 −平凡で無いとすれば”郎”では無く”朗”の字であること− の登録名を現在のイチローに替えて一軍に登場、独特の「振り子打法」で行き成り年間210安打の新記録を樹立し首位打者に輝き鮮烈なデビューを飾って居ます。
 [ちょっと一言]方向指示(次) 愛知県生まれのイチローは初年の頃、中日ドラゴンズの田尾安志選手に憧れて居たそうですが、そのイチローの夢を引き出し育て上げたのが父親の宣之氏(通称:チチロー)で、チチロー抜きにはイチローは在り得ません。それが出来たのも宣之氏が自営業経営者だったからで、毎日午後3時半から鈴木一朗少年を鍛え上げ、父親が毎晩一朗少年の足をマッサージした、という話は有名です(△1)。

 以下年度順にタイトル記録だけを列挙しましょう。

    <イチローの軌跡>

  ●オリックス・ブルーウェーブでの記録
    92年<登録名:鈴木一朗>
         主に二軍(不遇時代) 二軍で首位打者(.366)(※4)
         一軍打率(.253)
    93年  主に二軍(不遇時代) 二軍で「振り子打法」を磨く
         一軍打率(.188)
    94年<登録名:イチロー(←仰木監督の発案)>
         首位打者     年間最多安打     GG パ・リーグMVP
        (.385)  (210、歴代1位)
    95年  首位打者 打点王 年間最多安打 盗塁王 GG パ・リーグMVP
        (.342)(80)(179) (49)
    96年  首位打者     年間最多安打     GG パ・リーグMVP
        (.356)    (193)
    97年  首位打者     年間最多安打     GG
        (.345)    (185)
    98年  首位打者     年間最多安打     GG
        (.358)    (181)
    99年  首位打者                GG
        (.343)    (141)
    00年  首位打者                GG
        (.387)    (153)
    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    日本通算 3619打数1278安打  打率  .353
                       本塁打  118
                       打点   529
                       盗塁   199

  ★2000年12月にポスティング・システムを利用してシアトル・マリナーズに移籍

  ●シアトル・マリナーズでの記録
    01年<登録名:Ichiro Suzuki>
         首位打者 新人王 年間最多安打 盗塁王 GG ア・リーグMVP
        (.350) (242、歴代9位)(56)
    02年                      GG
        (.321)    (208)
    03年                      GG
        (.312)    (212)
    04年  首位打者     年間最多安打     GG
        (.372)  (262、歴代1位)
    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    米国通算 2722打数 924安打  打率  .339
                       本塁打   37
                       打点   242
                       盗塁   157
    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    日米通算 6341打数2202安打  打率  .347
                       本塁打  155
                       打点   771
                       盗塁   356

  *上の表でGGとは、日本ではゴールデングラブ賞、米国ではゴールドグラブ賞
   (ポジション別の最優秀守備賞のこと)

 04年5月20日には日米通算2000本安打を最速で達成し日本の「名球会」(※5)入りの権利を獲得。米で4年連続200安打、月間50安打を4回達成(歴代タイ記録)、しかも今年1年だけで月間50安打を3回も達成しこれは新記録です。特に日本で7年連続首位打者、日米で8年連続首位打者、日米通算で首位打者9回はタイ・カッブ(※2)に迫るものです(日本ではその次は張本勲の通算7回)。又、日米でGG賞(ゴールデングラブ賞/ゴールドグラブ賞)を連続11回獲得して居ることからお解りの様に、守備に於いても俊足で広い守備範囲をカバーし強肩を利しての「レーザービーム」と呼ばれる鋭い送球での本塁封殺など、外野守備でもNo.1(ナンバー・ワン)と思われます。
 私は何も論評しませんので”巨人教”信者の清原和博の記録と比べてみて下さい、読者の皆さん。どう感じるかは皆さんの勝手です。

 ■ジョージ・シスラーという男
 次に「お祖父(じい)さん」の世代のジョージ・シスラー(George Sisler)について見てみましょう。
 1893年3月24日、米国オハイオ州生まれ。当時の野球選手と言うと噛み煙草を噛み唾を吐き乍らプレーする”ガラの悪い”雰囲気の中で、ミシガン大からセントルイス・ブラウンズ(現オリオールズ)に入団したインテリ派。左投左打。1915年の入団当初は投手でデビューし、後に一塁手に転向しました。20年にシーズンの全試合=154試合に出場し、過去最多の257安打(打率.407)をマーク。22年には打率.420を記録。30年迄16年間プレーし、首位打者を2回(1920、22年)、盗塁王を4回(1918、21、22、27年)、MVPを1回(1922年)獲得、打率4割以上を2回(1920、22年)、シーズン200安打以上を6回(1920〜22、25、27、29年)記録して居ます。又、華麗な守備は”ゴージャス・シスラー(Gorgeous Sisler)”と呼ばれました。しかし彼が属したブラウンズやセネターズは弱いチームで優勝とは余り縁が有りませんでした。以下にシスラーの生涯通算成績を記して置きますので、04年時点のイチローと比較してみて下さい。

    通算成績 8267打数2812安打  打率  .340
                       本塁打  102
                       打点  1175
                       盗塁   375

 弱いチームに在籍し物静かなシスラーは、人気面では本塁打王を12回獲得した派手なベーブ・ルース(※6)や首位打者を12回獲得した「球聖」タイ・カッブの陰に隠れて居ましたが、39年にはベーブ・ルースと共に殿堂入りを果たし、73年3月26日に80歳で死去して居ます。現在シスラーの地元セントルイスには銅像が建てられて居るそうです。
 彼は引退後はドジャースのスカウトを務め、彼の息子たちは野球界に進み、長男は3Aの会長、次男と三男は大リーガーとして活躍しました。
 今、歴史の塵の中に埋もれようとして居たシスラーという「最も完璧に近い」と言われた選手が、イチローの活躍に依り再び甦ったのです。

 ■イチローとシスラーの共通点
 良く野球は「走攻守」と言われますが、この三拍子揃った選手と為ると、日本でもアメリカでも実に少ないのが現状です。特に「指名打者」制度は「攻」だけの歪(いびつ)な選手を作り出す制度です。日本のプロ野球で言えば、「寄らば大樹(=巨人)」に固執する清原和博が「攻」だけの選手の代表で、北海道へ本拠を構えた日本ハムに快く飛び込んだ新庄剛志(登録名:SHINJO)が「走攻守」の三拍子揃った選手の代表です。
 ところで上の様にイチローとシスラーの記録を見比べてみると、この2人には幾つかの共通点が有ることに気付きます。それは
  [1].2人共若い時は投手であった。
  [2].2人共左打者である。
  [3].2人共「走攻守」の三拍子揃った理想的選手で、
    この3要素のどれもが超一流である。
  [4].2人共知的に技術を追究する求道者、即ち”球道者”である。
  [5].2人共集団に群れず「大樹の陰」を求めず、孤高である。

ということです。
 [1]については、野球ではやはり投手が重要ということでしょう。日本の高校野球でも「ピッチャーで4番」という選手が多いですね、投手から大打者に成った人はベーブ・ルースや後述する王貞治(※7)を始め大勢居ます。シスラーについては実際のプレーを見て無いので知りませんが、イチローのあの強肩で本塁封殺する送球「レーザービーム」は元投手の賜でしょう。
 [2]は安打を量産する為には左打者が絶対有利だ、ということです。理由は「大リーグ年間最多安打記録10傑」の章で既に述べた様に一塁ベースに近いからです。タイ・カッブも王貞治も張本勲も皆左打者です。
 次に[3]ですが、上に挙げた5つの共通点の中でこれが最大の長所です。私は強いチームを作る為には[3]に代表される「走攻守」の三拍子揃った選手をどれだけ集められるか、に懸かっていると思って居ます。今年セ・リーグで優勝した中日ドラゴンズなどがその典型で、逆に「攻」だけの選手を札束で掻き集めて年間本塁打記録を更新しても試合には勝て無い典型が巨人(=読売ジャイアンツ)です。そういう意味で[3]のタイプの選手こそ最も求められて居る「本来の野球選手の姿」であり、タイ・カッブも同じタイプ(※2)の選手です。
 [4]と[5]は周囲に迎合しないということで、ともすれば大衆迎合的なマスコミやマスメディアからは敬遠される傾向が有ります。事実イチローもメディアのパッシングに遭っていて、バラエティー番組でその場凌ぎの駄洒落を連発する馬鹿タレントと記録や敵と戦うスポーツ選手との区別が付かない、低級な「マスコミ関係の業界人」や半ばタレント化した巨人の選手しか知らないミーハーからは毛嫌いされて居ます。しかし私は逆にそこを大いに評価します、何故なら「闘う者」が己の技の道を究めるのは寧ろ当然の態度であり、[4]と[5]は私自身の生き方、即ち他人の後追いや”付和雷同”しない精神とも共通するからです。
 この機会にイチローとシスラーを結ぶ運命の糸について言及して置きましょう。既に記しましたがシスラーは1973年3月26日にこの世を去りました。そしてその年の10月22日に鈴木一朗は生まれて居ます、不思議な因縁です。もしかしたらイチローはシスラーの生まれ変わりかも知れませんよ、ムッフッフ!
 後でイチローと王貞治の共通点にも触れます。

 ■「闘う者」の態度
 そしてつい最近話題に成ったイチローの国民栄誉賞辞退の弁(※7−1)。「現役で貰うとモチベーション(※8)が低下するから」と語ったのは如何にも「我が道」を行くイチローらしく、好ましく頼もしい限りの発言です。実は今回は2度目の辞退で、2001年に大リーグ初年度で行き成り歴代9位(当時)の安打数を記録し首位打者と盗塁王とMVPを獲得した年にも栄誉賞を打診されて居たのですが、この時も同様の理由で辞退して居ます。この様なイチローの態度は「闘う者」の態度として寧ろ当然であると私は考えますが、それは日本人が喪失して仕舞った美徳の一つの「謙譲の心」というもので、これを実践することは並みの精神力では無いことも事実です。この辺は現役で国民栄誉賞を貰い「モチベーションが低下」して闘う意欲を無くしたQちゃんとか言う女子タレントとは大違いです。
 [ちょっと一言]方向指示(次) そもそも国民栄誉賞の基準自体が曖昧で妥当性を感じる場合も有りますが、往々にして賞を貰う側の実績よりも与える側のご都合主義が見え見えの場合が多く、人気が凋落した内閣が人気取りに”ばら撒く”様にも見受けられます。前述の女子タレントが授賞したのが2000年、失言問題などで信頼を失った第2次森喜朗内閣の時でした。森内閣の人気凋落はそれでも止まらず、翌01年4月に現在の小泉内閣が誕生して居ます。

 ■結び − 野球の「心」を究める”球道者”
 最後に野球に関する私の「個人的見解」 −これは当コーナーの表題です− を述べてこの論考の締め括りとしましょう。

 (1)野球にも「心技体」が必要
 相撲では「心技体」と言いますが、「技体」は野球の「走攻守」に相当します。外来文化の野球では「心」という精神論は兎角敬遠され技術論中心に成り勝ちですが、俗に言うプレッシャーの克服平常心、更には品位忍耐精進など、何れも日本の国技の相撲に於いて「技」や「体」に先んじて最も重視されて居る「心」の範疇です。アメリカ伝来のベースボールが「野球」として日本人の中に定着した理由として、私は既に相撲と同じ「間(ま)」を挙げて居ます。アメリカのベースボールがどう在れ、「今や「日本の文化」の一部と成った日本の「野球」は「心技体」をモットーとすべきである」というのが以前からの私の持論であり主張です。

 (2)イチローの野球道 − 「走攻守」+「心」
 イチローを他のプロ野球選手と大きく隔絶した孤高な存在にして居るのが、実はこの点です。他の選手が殆ど「技体」(=「走攻守」)のみに汲々として居る中で、イチローは
  強い精神力と日本的「心」を具えた「走攻守」+「心」
    で「野球道」の窮極を究めんと求道する”球道者”

なのです。この様に見るとイチローの趣味が「盆栽」というのも頷けます。
 ここで私が言う「野球道」について説明する必要が有るでしょう。日本の武士が「武士道」(※9)と称して単に剣術の「技」と「体」だけで無く、サムライ(侍)としての「心」の鍛錬に重きを置いたのと同じ意味合いで、野球の中に「人としての道理」「人の道」を見出そうとする態度が「野球道」です。ヨーロッパにも「騎士道」(※9−1)が在りました。但し、【脚注】に在る様に過去の武士道は儒教を、騎士道はキリスト教をベースにして居ますが、私の言う「心技体」は儒教復活論とは無縁、ということをお断りして置きます。
 元来、「侍(さむらい)」という語は
  侍(さぶら)ふ → 侍(さぶらい) → 侍(さむらい)
と変容して来たもので、「侍(はべ)る」とも使われます。「侍(さぶら)ふ」とは「居り」「有り」の謙譲語(※10)であり、「侍る」は傍に控えることです。ここで期せずして前述の「謙譲」という言葉が出て来ましたね。

 (3)二人の”球道者” − イチローと王貞治の共通点
 この様な意味でイチロー以前に求道精神で「野球道」を追究した”球道者”として挙げられるのは、日本刀の素振りで打撃の呼吸を掴み精神鍛錬した王貞治氏(現在福岡ダイエー・ホークス監督、※7)が筆頭でしょう。そもそも前述の国民栄誉賞は王さんのホームラン世界記録を表彰する為に創設されたのでした(※7−1)。
 イチローと王さんの共通点は前述の「イチローとシスラーの共通点」の[3]を除く全てが当て嵌まる(←王さんは「走」「守」は普通)ので、これ又不思議です。更に二人は、修行僧の様に自分自身への厳格さ徹底した合理精神で心身を鍛え上げた点、数々の記録保持者である点、王さんは「一本足打法」イチローは「振り子打法」という誰にも真似の出来ない自分独自の「型」を完成させた点で、何れも共通して居ます。違いは王さんが本塁打型であるのに対しイチローは安打型である点だけです。
 この様に見て来るとイチローと王貞治の二人の「野球道」は、本人たちは意識して無いかも知れませんが、同じく「孤高」を貫き「二刀流(=二天一流)」という「型」を完成させた剣豪・宮本武蔵(※11)に極めて近い境地に達して居る様に思えます。『五輪書』(※11−1)には”机上の空論”では無く武蔵が武道の実践者として到達した極めて独自且つ合理的な「「勝つ」為の心構え」が記され、儒教的な”教科書臭さ”など微塵も含んで無い、ということを付記して置きます。
                (-_*)

 「人としての道理」「人の道」と言うと難しく聞こえますが、その出発点は社会の「常識」です。前述の様にヨーロッパにも「騎士道」精神が存在した訳ですから、年俸が”非常識”に高騰し拝金主義に陥っているアメリカのベースボールも「心技体」を鑑(かがみ)とすべき、と感じる今日この頃です。

−−− 完 −−−

【脚注】
※1:米大リーグが出来る切っ掛けは1869(明治2)年に米国初のプロの野球チームである「シンシナティ・レッドストッキングス」がアメリカ国内を巡業し、130連勝を記録したことです。
 そして1876年「ナショナル・リーグ」が8球団で創設され、次いで1900年「ナショナル・リーグ」が8球団で創設されて現在の2リーグ制の基礎が確立され、1903年には初の「ワールド・シリーズ」が開催されました。
 しかし何事も順風満帆とは行きません。1920年には大リーグ史上最大の「ブラックソックス事件」が発覚します。これは前年のワールド・シリーズで圧倒的有利と見られて居たシカゴ・ホワイトソックスの選手8人が賄賂を受け取り、相手のシンシナティ・レッズにわざと負けたという八百長事件でした。日本でも”黒い霧事件”とかで似た様な事件が起こって居ます。
 これを払拭したのがベーブ・ルースです。彼は翌1921年に59本塁打を打ち、このモヤモヤを打ち消したのです。同時にこの頃から野球が変わりました、つまりホームラン時代の幕開けです。ホームランは興行的にもプラス面が大きく”飛ぶボール”が採用され、それに依りヒーローがタイ・カッブからベーブ・ルースへと移行したのです。
 この後は暫く”順調に”成長した米大リーグですが、徐々にチーム数が増え両リ−グ共12球団に成った時点で1969年それぞれ東西2地区に分かれる事に成りました。その結果リーグの覇者を決めるプレーオフ制が導入されたのです。そして1973年には指名打者制度を導入し、投手は打席に立たなく成りました(後に日本でもパ・リーグがこれを導入しました)。
 1994年には選手の年俸引き上げの為の長期ストライキが打たれ年俸は高騰しましたが、逆にチーム数の増加などで年俸と反比例して選手の実力が落ちて来ているのが実態です。

※2:Ty Cobb。アメリカのプロ野球タイガースの選手(1886〜1961)。右投左打。1905〜28年迄の24年間プレー。首位打者12回(1907〜15年は9年連続)、本塁打王1回、打点王4回、盗塁王6回「球聖」と呼ばれた。
 米大リーグ初の三冠王(1909年、.377、9本、115点)、初の殿堂入り(1936年)。しかし晩年は不遇。

※3:日本のプロ野球が「日本職業野球連盟」という名称で発足したのは1936(昭和11)年2月5日で、同年から1リーグ2シーズン制のリーグ戦がスタートして居ます。

※4:プロ初年度のこの年は二軍のジュニア・オールスターでMVPを獲得、その賞金100万円全額を神戸の養護施設に寄付した話は語り草に成って居ます。

※5:名球会とは、日本プロ野球名球会の通称。プロ野球選手の親睦団体で、入会資格は昭和生まれを対象に投手では200勝以上、打者では安打2,000本以上の条件が有る。金田正一らに依り1978年設立。その後、時流に合わせ2004年度から投手として250セーブ以上を付け加え、日米通算も可に改定。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※6:Babe Ruth(本名 George Herman Ruth)。アメリカのプロ野球レッドソックス、ヤンキースの選手(1895〜1948)。左投左打。1914〜35年迄の22年間プレー。首位打者1回、本塁打王12回、打点王6回、最優秀防御率1回(最初は投手)、22年間で通算714本塁打。投手としても94勝をマーク。1939年殿堂入り。

※7:王貞治(おうさだはる)は、プロ野球選手・監督(1940〜)。東京都生まれの台湾人。読売ジャイアンツ(=巨人)の一塁手。日本プロ野球を代表する大打者。一本足打法通算本塁打868本年間本塁打55本2年連続三冠王の他、本塁打王15回首位打者5回打点王13回。1977年には通算本塁打世界記録(755本)を破り、初の国民栄誉賞を受賞。巨人、次いで福岡ダイエーの監督。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※7−1:国民栄誉賞とは、広く国民に敬愛され、前人未到の業績を上げた人に内閣総理大臣の決定を経て贈られる表彰。1977年、プロ野球の王貞治選手が最初。
 補足すると、国民栄誉賞は1977年福田赳夫内閣の時に米大リーグのハンク・アーロンが保持して居た本塁打の世界記録755本を抜いた王貞治選手(読売ジャイアンツ)を表彰する為に創設された。

※8:motivation。動機付け、刺激、遣る気。

※9:武士道(ぶしどう)は、我が国の武士階層に発達した道徳。鎌倉時代から発達し、江戸時代に儒教思想に裏付けられて大成、封建支配体制の観念的支柱を成した。忠誠・犠牲・信義・廉恥・礼儀・潔白・質素・倹約・尚武・名誉・情愛などを重んずる。葉隠「―と云ふは死ぬ事と見付たり」。
※9−1:騎士道(きしどう、chivalry)は、中世ヨーロッパで、騎士身分の台頭に依って起った騎士特有の気風。キリスト教の影響をも受け乍ら発達、忠誠・勇気・敬神・礼節・名誉・寛容・女性への奉仕などの徳を理想とした。

※10:「候ふ・侍ふ」(さぶらう)とは、(サモラウの転。じっと傍で見守り待機する意。「居り」「有り」の謙譲語、又、丁寧に言う語としても使われたが、鎌倉時代には、男性は「さうらふ」、女性は「さぶらふ」と使い分けていた(平曲指南抄)。室町時代には女性語として「さむらふ」も使われた)
 目上の人の傍に控える。古今和歌集序「―ふ人々を召して、ことにつけつつ、歌を奉らしめ給ふ」。

※11:宮本武蔵(みやもとむさし)は、江戸初期の剣客(1584?〜1645)。名は玄信。二天と号。播磨(一説に美作)生れと言う。武道修業の為に諸国を遍歴して二刀流を案出し、二天一流の祖。佐々木巌流(小次郎)との試合が名高い。晩年は熊本に住み、水墨画も良くした。著「五輪書」
※11−1:五輪書(ごりんのしょ)は、武道書宮本武蔵著。地・水・火・風・空の5巻。厳しい剣法修業に依って究め得た兵法の奥義を述べたもの。1644年(正保1)頃成る。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『イチローとわが家 ほうとうの話』(鈴木宣之著、家の光協会)。

●関連リンク
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資料−日本プロ野球の用語集(Glossary of J-pro-baseball)
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資料−日本の相撲の歴史と仕来たり(History and custom of Sumo in Japan)
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