−− 2003.02.07 まどか
[編集:エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)]
私の知り合いの会社のまどかちゃんは”女だてら”に痛快な旅をして居ます、「恐れを知らず」と言った所でしょうが。
そこで私から旅行記を書いて呉れる様依頼しました。文章は苦手と言い乍ら中々面白く仕上がって居ます。写真は私がスキャナーで読み込みデジタル画像にし、文章に合わせて挿入して全体を編集し、最終的にまどかちゃんに校正して貰いました。彼女がどんな女性か知りたい方はコチラをご覧下さい。又、モンゴル国の地図は▼下▼から。
地図−モンゴル国と中国の内蒙古(Map of Mongolia and Neimenggu, -Mongolia, China-)
今回の旅では色々な所を訪ねて居ますので、行き先別に目次を付けました。
北京からウランバートルへ
モンゴル族の五体投地礼
憧れのカラコルムへ
カラコルムのエルデニ・ゾー
北京の「万里の長城」
それではまどかちゃんの旅の、始まり始まり〜!
1998年9月17日。神戸港から「燕京号」という名の船に乗りこみ2泊3日。「燕京」とは「北京」と呼ばれる前の北京の呼び名です。2日後の9月19日、天津港に着き北京までバスに揺られる。
神戸港を出発してから約1ヵ月かけて、北京〜西安へ、そして、国際列車でモンゴルはウランバートルへ行き、カラコルムへ。
<写真1(左下):ウヘッ、足が真っ黒!>
北京市内を歩き回って、シャワーを浴びる前に気がつきました。足が真っ黒です!
サンダルを履いていたのですが、けして泥の中を歩いた訳ではありません。思えば、建設中の建物が多く、車道以外は少し砂っぽい道でした。空気も乾燥していましたし。思わず、激写!
<写真2(右):列車でウランバートルへ>
シベリア鉄道は北京〜ウランバートル(モンゴル)〜モスクワ(ロシア)間の国際列車(※1)です。一車両か二車両に一人ずつ、車掌さんがいます。私は北京〜ウランバートル間だけを使いました。
みどころは中国・モンゴルの国境の町、二連浩特(エレンホト)での車輪交換です。中国国内とモンゴル国内の線路の幅が違うので、車輪を交換するのです。大きなクレーンが車両を一つずつ持ち上げる様や車両を持ち上げる鎖をクレーンに引っかけて廻る作業員さん達の逞しい腕と身軽な動きはなかなか面白いです。
しかし深夜で長時間にわたる作業なので、これを野次馬見物するためには先に仮眠を取っておく事をお忘れなく。
<写真3(右):ウランバートルの空に>
ウランバートルに着いて宿を確保した後、市内散策に出かけました。中心部のスフバートル広場から2kmほど北西の丘の上にあるガンダン寺へ歩いていきました。
列車の長旅で疲れていたのでしょう、ぼんやりと空を見上げるとひこうき雲がありました。じっと眺めていると日没前のくっきりとした青い空の端から端へ、ゆるやかな弧を描くように白い雲がどこまでも伸びていきます。モンゴルの青く澄んだ空の象徴のように思えました。
<写真4(下):五体投地礼〜祈りの光景〜>
記憶が薄れてしまったので、ガンダン寺かどうかちょっと判りませんが、ガンダン寺の周辺にあった白い建物(※2)です。この建物の前には五体投地礼(※3)をするための台があります。
五体投地礼とは、頭と両手両膝を大地に着けて仏に敬礼するものです。そのための台は、一人の人間が体を両腕を頭の上で伸ばし、両足をまっすぐにしてうつ伏せになることが出来、かつゆとりのある幅のつくりで、足元から頭のほうに向かって上向きのゆるい傾斜があります。横から見ると台が20度くらい斜めになってます。
しばらく見ているとモンゴルの民族服デールを身につけたおばあさんがやって来て五体投地礼をはじめました。ゆったりとした動作で何度も繰り返し台に上ったり、下りたり。下りて顎をぐっと上げて白い建物を見上げては、また台の上に体を投げだしたり。なんとも美しい祈りの光景でした。
ウランバートルを朝8時にカラコルム行きのバスに乗る。前夜、地元の人に招待され、遅くまでモンゴリアンウォッカ”アルヒ”をご馳走になったので、二日酔い。
ぎゅうぎゅう詰めのバスの中、隣の席の女性が抱いている子供は足をばたばたさせ、私の膝を蹴り上げる。草原の道はひどい凹凸で、砂煙を上げてバスは走る。時に大きな陥没を発見すると、バスは車道を外れる為に道なき道へがたんと体を揺らし、下りて進みまた道へ戻る。もちろん。がたんごとんがたん、と。
ああ、頭がゆれる。
車道とは云うもののアスファルトのようなもので形作ってあるだけで、ほとんど草原の中の轍を道路とみなしてあるようだ。だから、道路であろうが、草原の中だろうが、要は前へ進めればいいわけなのである。
どこを見ても枯れかけた草々。モンゴルの冬は早い。今のような10月では青々とした草の海など見ることは出来ない。この広い平原いっぱいに陽の光を受けた青い草が揺れる。遠くにてんてんと見える白いゲル。少年達が馬を駆り、頂きに金糸の装飾をほどこされた帽子がきらきらと光る。
モンゴルの夏を二日酔いの白昼夢に見る。 − 1998.10.6 −
カラコルム(現在はハラホリン)は、モンゴル帝国(元帝国とも云う)の首都があった街です。ウランバートルからバスで8時間。13世紀から14世紀、ユーラシア大陸のほとんどを制圧したモンゴル帝国は最初の都をこの地に定め、壮麗な宮殿を築いたそうです。
日本中を転勤して回る仕事についていた父の転勤の影響なのか、大陸を転々とするモンゴル民族の生活にシンパシーを感じていました。中学生の時、歴史の授業でかの元帝国の都の遺跡があると知った時からカラコルムはずっと憧れの土地となっていました。
実際には遺跡らしい遺跡は専門家でない私には分かりませんでした。歴史博物館があるわけでもなくて。それがかえって、歴史は博物館にあるのではなく、大地に空に人に刻まれ継いでいくものなんだと自分の考えを変えるきっかけとなり貴重な体験だったと思います。
そんなカラコルムの街は草原の中に突如として現れ、小さくシンプルでした。モンゴルの伝統的なテント式の家「ゲル(gher)」の集合した住宅街もありましたが、2階建ての四角いソ連式のビルがいくつか中心地にはあり、国内では都会のほうのようにも思えました。
が、すぐに地図が書けそうです。なにせごくシンプルでしたので。いうなれば、ドラクエの街のような...。
<写真5(右下):ゲルの朝>
カラコルムではノミン・キャンプというツーリスト・キャンプに泊まりました。キャンプでは観光客をゲルに泊めてくれます。
ゲルは中心を天窓と煙突用に丸く空間を空け、ドーム状に組んだ木の上にフェルト生地の布をかぶせたものです。形はずんぐりした円筒に、お椀をさかさまにしてかぶせたようなかんじです。中の広さは人が立って自由に歩き回れる位の余裕があり、ものによって違うとは思いますが、私が泊まったゲルは10畳分くらいはあったのではないでしょうか。ゲルの組木や木製のドア部、中に置かれたベッドにもモンゴル風の模様が描いてありました。
一人で来ていた私をオーナーが気遣ってくださり、雇っている若くかわいい女の子を同じゲルの3つあるベッドのうちの一つに寝るようにしてくれました。遅くまでストーブの番をしてくれとても助かりました。朝起きたときにはもう女の子は働きに出ており、ゲルの天窓が開いていました。朝日が天窓から降りそそいで組み木を映していました。
<写真6(左下):寝そべる牛>
朝起きて、キャンプ周辺の草原をてくてくと散策に出かけました。遠くに街が見えるのですが、歩いても歩いても近づきません。
そうです、ここは草原の中です。何もありません。何もありませんから、遠くのものに手が届くような気がするのです(足が?)。
あきらめて踵を返します。見渡すとなにやら水辺に牛が二頭、寝そべっていました。写真に見える黒い塊がそうです(拡大したのが写真6−1:左下)。
出来るだけ近くに行こうとうきうき歩いていきますが、ちっとも近づけません。遠いんです。思ったよりも。また目測を誤りました。そんなことはもう気にせず遠くから写真を撮ってみました。誰の牛だったのでしょうか?、それとも野生なのか?
他には地面を見ながら歩いて白骨化した羊の角が落ちているのを見つけて写真をとったりしました。(写真6−2:右)なにせ、地面を見ながら歩いても何にもぶつかる心配がないので。
<写真7(下):白い外壁に囲まれた寺〜エルデニ・ゾー〜>
エルデニ・ゾーはモンゴル帝国の首都カラコルムの存在した時代から約300年ほど経た1586年に建立された寺院です。下が白い外壁に囲まれたエルデニ・ゾーの遠景です。周りにはラマ教の仏塔が建っています。
左(写真7−1)は中央が漢民族の影響をうけた様式の建築で、右奥に小さく見える白い建築物が、モンゴル式(実はチベット様式のラマ教仏塔(※2))のようです。
このエルデニ・ゾーの外壁北側に接する地点にカラコルムの遺跡が発見されているそうで、つまりこのあたりにかつての宮殿があったというわけなのです。
北側の草原を歩き回り、宮殿に置かれていたという亀趺(読み「キフ」・亀石)を探しました(写真7−2:右)。大きな亀が世界を支えているという神話から宮殿に亀の形をした石を置いていたのだそうです。人間の世界に対する認識は時代によって変わることを感じました。
結局、地球は丸く宇宙空間に浮いており亀が支えているわけではなかったのですが、宇宙の果てはどうなっているのでしょうか...。
興味は尽きません。
万里の長城といえば八達嶺長城という名の地が有名ですが、なにしろ長城は万里もあります。万里といえば、1里が0.65km(日本では3.6km)ですから、万里といえば6500km。6500km??、中国の端から端までいってもまだ足りない位でしょう(また調べておきます)。
それほど長い長城ですから、もちろん観光地たりえない場所も出てきます。すると先ほどの八達嶺のように整備された所ばかりとはいえないのです。長城は日本でいう「城」つまり、英語で言うcastleではなく、英語で言うwall(英語では確か”the Great Wall”とか”Long Wall”とかいったような気がします。)、つまり外敵から国をまもるために稜線に築かれた「壁」なのです。
その壁を修復しながら今も守っている人々と出会うことが出来ました。
<写真8(左):司馬台長城>
司馬台長城は地球の歩き方にも掲載されているので、観光地です。小さな一人用のロープウェイに乗って山の中腹まで運んでくれます。(このロープウェイがスリル満点なのは、またのお話で)。
(編者注:八達嶺長城は北京の北北西30km位の所に在るのに対し、司馬台長城は北京の北東120km位の地点に在ります。)
切り立った山は、樹木が少なく砂山のような様相です。稜線に沿って幅3mくらいの壁が続きます。レンガ造りの壁は所々に守衛所のような小さな小屋(これもレンガ造り)があり、壁の上を歩いて衛兵は外敵を見張っていたのでしょう。我々も、衛兵と同じように壁の上を歩きます。柵は膝くらいの高さでしょうか。今にも落ちそうです。
稜線の高低を歩き回るには階段がしつらえてありますが、幅は狭くなり2mあるかないか位で、一段一段の足を置くスペースはほぼ私の足の大きさ23.5cmくらい、手すりはおろか柵すらありません。
おそるおそる降りていくと向こうからロバを連れたおじいさんがゆっくりと上ってきます(写真8−1:右)。彼らが歩いている場所はレンガが崩れ山の土が剥き出しになっています。よく見てみるとロバにはレンガが吊られておりおそらく、この壁の修復作業にあたるために上ってきたようでした。時間は午後4時近く、すれ違う彼らに道を譲り、後姿を見送りました。霧が濃くなり、雨になりそうでした。
どうか彼らの作業が終わるまでは雨が降らないでくれればと願っていました。(それから、私が帰るまで。)
この旅では本当にたくさんの人と出会い、助けられました。初めての海外一人旅にもかかわらず、準備や慎重さが足らず、何度も困難に直面しましたが、なんとか切り抜けられたのは私を助けてくださった多くの人々の御蔭です。
とくに、往路の船(というか阪急電車で)で出会った女性には白堆子にある首都師範外語大学の留学生楼まで紹介してもらい、卒論の書上げで忙しいにもかかわらず本当にいろいろな面で助けていただきました。この場をお借りして重ねて御礼申し上げます。ありがとうございました。
最後に私のような未熟なものに御手を貸してくださった方々に心から御礼申し上げます。モンゴルの皆様へ、バイルラー。中国の皆様へ、非常感謝。日本人の皆様へ、誠にありがとうございました。
それでは、よろしければ次の「マレー半島北上の旅〜シンガポール・マレーシア・タイ〜」をお楽しみくださいませ。
「中国・モンゴルの旅」はこれで終わりです。どうでしたか?、中々面白かったでしょ!!
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【脚注】
※1:この線はシベリア鉄道の支線とも言えますが、ロ蒙中鉄道と呼びます。1956年開通。
※2:チベット仏教(=ラマ教)の仏塔。モンゴル族は、同じ遊牧民族のチベット族の影響を受けて、大部分がラマ教を信奉して居ます。
※3:両膝・両肘・額を地に付けて、尊者・仏像などを拝すること。最高の礼法。接足礼。頂礼(ちょうらい)。日本霊異記下「五体を地に投げ」。
『日本霊異記』が書かれた平安初期には日本でも五体投地の礼が行われて居たのでしょう。日本ではその後鎌倉時代に念仏仏教が流行し次第に仏教本来の礼拝様式が失われて行ったのです。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『地球の歩き方42 モンゴル 1998〜99年版』(「地球の歩き方」編集室、ダイヤモンド社)。
△2:『地球の歩き方6 中国 1998〜99年版』(「地球の歩き方」編集室、ダイヤモンド社)。
△3:『角川新版 国語辞典 1991年版』(角川書店)。
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):モンゴル国の地図▼
地図−モンゴル国と中国の内蒙古
(Map of Mongolia and Neimenggu, -Mongolia, China-)
@参照ページ(Reference-Page):中国の少数民族▼
資料−中国の55の少数民族(Chinese 55 ETHNIC MINORITIES)
@横顔(Profile):まどかちゃんの紹介▼
まどかちゃん(I'm Madoka)
モンゴル族(=蒙古族)については「中国の少数民族」からどうぞ▼
外部サイトへ一発リンク!(External links '1-PATSU !')