10/1/2023/SUN
7-9月のアクセス解析
3ヶ月で5000以上のアクセスは上上か。ふだんは読まれない文章が上位に入っているのがうれしい。
第七部の目次には多数のアクセスがあるのに、そこからたどれる毎月の箱庭(ブログ)にアクセスがないのはどうしたことか。目次を見て興味が持てないと感じる人が大半、ということだろうか。それならそれで、仕方がない。
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先週の金曜日。横浜の実家の前で撮影。ちょうど雲の流れが途切れたところで撮ることができた。
読み進めている「中国名詩選 中」(川合康三編訳)に中秋の名月を歌った詩を見つけた。
十五夜望月 王建
中庭地白樹棲鴉
冷露無聲湿桂花
今夜月明人盡望
不知秋思在誰家
最後の2行は「今夜月明 人尽く望む/知らず 秋思 誰が家にか在る」と読みくだす。
秋の寂しさを夜空から感じている。
やがて来るさびしい季節が恋人なの
——晩夏(荒井由実)
これから少しずつ涼しくなり、人恋しい季節が始まる。
さくいん:荒井由実
先週の土曜日は一日、活動した。朝、母と墓参り。猛暑のせいでお盆にもお彼岸にも行けなかった。ようやく塔婆を供えた。
ランチは、金沢八景にある行きつけのワイン・ビストロ、Re:vini。ビーフストロガノフとレモン風味のクリームパスタ。ビールもワインも呑み、デザートにカボチャのプリンもいただいた。
母と別れて、横浜の放送ライブラリーへ。「テレビとCMで見る1980年代!1978~1989メモリーズ」を見た。当時の番組台本や『俺たちひょうきん族』で使われた、タケちゃんマンとブラックデビルの衣装などが展示されていた。まだテレビが茶の間の中心にあった時代。ドラマも歌番組もバラエティも熱かった。80年代はちょうど私のティーンエイジと重なる。テレビばかり見ていた暮らしを思い出した。
日本大通り駅からみなとみらい線に乗り、西早稲田まで。高田馬場駅前で2時間カラオケをした。久しぶりに「メロウ」(須田景凪)に挑戦したけど完全に敗北した。この歌はとても難しい。
夜は高田馬場のスペイン・バル、ラ・セパでF会。大学時代のゼミ仲間。前回は3人だったので、4人で暑気払いをやり直し。呑んで、食べて、語った。ワインはたぶん5本開けた。
政治思想史のゼミだったので、いつもは政治が話題になることが多いこの会合、この夜はめずらしくテレビドラマや映画、マンガの話になった。
忘年会を開催することを約束して終電に乗った。帰宅すると1時を過ぎていた。二日酔いを防止するため、炭酸水を一缶飲んでから寝た。
明けて日曜日。さすがに疲れたのか、昼近くまで寝ていた。
先週末、墓参りをしたとき、墓地でヒガンバナとフヨウを見つけた。
きれいに撮れたので飾っておく。
お墓の前で手を合わせ、循環バスを待っているとき、姉の死について母が父を難じる言葉を聞いた。そうだったかもしれないと思いながら、返事はしなかった。
最近では、酒に「百薬の長」の効果はなく、タバコ同様に「百害あって一利なし」が定説になっているという。日経新聞の記事で読んだ。
それでも愚行権を行使して酒を呑みたい。
健康に酒を楽しむために気をつけたいこと。肝臓の専門医、尾形哲のコラムから。
酒はもはや友ではない。付き合うのをやめるべき相手かもしれない。それでも酒とは付き合いたい。酒は、付き合いけれないけど縁が切れない悪友かもしれない。
さくいん:日経新聞
X (旧Twitter)でTLに流れてきたあるツィート(今はポストというらしい)に教わった。山括弧〈〉と不等号記号<>は違うものと。
ちょっと驚いた。これまで同じものと思っていたから。
急いで、これまでに書いた文章に全文検索をかけて、山括弧として使っていた不等号記号を正しい記号に置換した。Kindle版も修正した。
それにしても、Xやポストという呼称にはなかなか慣れない。これからもX(旧Twitter)、ツィートで私はずっと遠す。
原書名にあるようにまさに百科事典。500ページを超える大型本。書名通り図解が多い。
宇宙、地球、生命、科学とテクノロジー、歴史、信仰と社会、芸術・スポーツ・ホビー。
大項目を一覧するだけでも本書の幅広い内容がわかる。
いつまで見ていても飽きることがない。そして、読んでいると、知識が増えて、賢くなったような気がする。
興味を持って読んだのは「宇宙」と「科学とテクノロジー」。物理と地学は苦手科目だったのに宇宙にだけは興味がある。
宇宙への関心は小学五年生のときにテ見た、カール・セーガンが案内役をしたレビ番組『コスモス』にさかのぼる。
ビッグバンの前には何があったのか。宇宙は〈なぜ〉始まったのか。そして、自分の存在は宇宙全体にとってどんな意味があるのか。そんなことを考えながら眺めた。この番組には、夜遅くまで姉と二人で見た思い出がある。
広大な宇宙のなかで、私だけが私のことを私と自覚している。そこに何か意味はあるのか。
やがて、老いて衰え私は私のことを私と自覚できなくなるかもしれない。そのとき、私のことを私と自覚できない私はどうなるのだろう。
深遠で広大な宇宙について読んでいると、なぜか、そこでは卑小な存在である自分について考えてしまう。
さくいん:カール・セーガン
先週からテレビでスポーツ観戦をよくしている。アジア競技大会では、水泳、陸上、柔道、卓球、男子サッカー、女子パスケットボール。そしてラグビーワールドカップ。
スポーツ観戦の醍醐味は勝負が決まるまでのドキドキやハラハラ。ところが、それが弱い心は苦手でふだんはあまりスポーツ観戦をしない。
今回はドキドキ、ハラハラを楽しむことができた。ちょっとした進歩かもしれない。
スポーツには勝負がつきもの。今回も勝った人も見たし、負けた人も見た。敗者を見て、ふと思うことがあった。
彼らはもう次の大会を見据えている。今日の負けにこだわっている暇はない。
緊張する勝負どころで実力を発揮することも大変なことだろう。それ以上に、負けを引きずらないことがスポーツでは重要なことに思える。
私は仕事のミスやプライベートでの失言や諍いを引きずりがち。相手や周りの人はたいして気にしていない些細なことにいつまでもこだわる悪い癖がある。そして悪い結果を心のなかでこねくりまわし、憂うつな気分を深めてしまう。スパッと気持ちを切り替えることがなかなかできない。
悪い結果を引きずらず、気持ちを切り替えて、次のステージに向かう。
少し意識をして対処してみよう。スポーツ観戦では敗者の後ろ姿にもっと注目してみる。
ということを、先週土曜日、月一の診察日にS先生に伝えた。心境の変化について先生も「いい傾向」と言ってくれた。
病院の診察のあと、バスに乗って神代植物公園へ。
「秋のばらフェスタ」が開催中だったけど、まだ五分咲きくらい。
黄色いゴールデン・バニーがきれいだった。
バラ園の次は大温室へ。ラン室とベゴニア室を抜けて熱帯スイレン室へ。ここへ来ると心が落ち着く。先週は少し心がざわついていた。水辺の花を眺めていたら心が和んだ。
さくいん:神代植物公園
先週の土曜日は「待たされる日」だった。病院で30分以上待たされ、植物公園へ行くバス停でも10分以上待たされ、深大寺そばでも40分待たされた。ふだんは植物公園を回ってからそば屋へ行く。この日はすでに昼近かったので先にそばを食べてから植物公園へ行った。
いつもは正門から入る植物公園を回るルートも、深大寺門から入ったのでいつもとは逆になった。天気がよかったので、これまで見たことのない人出だった。
夕方、植物園から駅に戻り、妻と待ち合わせた。ここでは待たされなかった。
でも、彼女が連れて行ってくれた台湾喫茶の店では少し待たされた。
豆花は台北旅行以来だから4年ぶり。すっかり味を忘れていた。
もち麦にタピオカ、いろいろな果物、煮豆も入っている。そして柔らかい豆腐。蜜の甘さがちょうどよい。美味しかった。
妻は娘と何度も来ているらしい。私は初めて。母娘の強い絆を感じた。
さくいん:台湾
月一回の診察日には薬局で薬をもらったあと、ランチにハンバーガーをよく食べる。先週の診察後はそばを食べたので、翌日の日曜日にハンバーガーを食べた。場所は吉祥寺中道通りの「ちるとこ」。SNSや雑誌で見つけた店を日曜日に訪問する会(参加1名)の第二弾。
定番とメニューにあるのでベーコンチーズバーガーを頼んでみた。一見、小さめだけれど、ボリュームはたっぷり。
パティに他店にはないスパイスが効いている感じ。薄切りチップのようなフライドポテトが独特。大きめのカップになみなみと注いでくれるコーヒーも美味しい。
クリームソーダやプリン、バナナスプリットなど喫茶メニューにも気になるものが多い。
また行きたい。
午後はバスに乗って移動していつもの床屋で散髪した。
10月2日、会社が加入する健康保険組合から呼び出された。健康診断の結果から肝機能の再検査が必要と考えたらしい。
検査の前週末には呑み会もあったので、数値はさらに悪くなっていると心配していた。
届いた結果を見ると判定はA(異常なし)。なぜか節制して臨んだ7月の健康診断よりもよくなっていた。肝臓検査.comでの計算値でも異常なし。
このくらいの変動は日常的にありうるということなのだろうか。
肝機能に黄信号が点いた健康診断の結果を見て、週末に呑むワインをフルボトルからハーフボトルに変えた。日本酒も小さいボトルに変えた。この習慣は続けたほうがいいだろう。
夕方の買い食いも止めたほうがいいことはわかっているけれど、こっちはすぐには止められそうにない。
先週の土曜日のこと。病院へ行く前、開店と同時に駅近くの大型書店に入った。
目的は、新聞広告で見た『パスカル小品と手紙』(岩波文庫)を買うこと。文庫本の棚を見る前にまず精神医学の棚へ向かった。書店に行くと、必ず、うつやトラウマについての本を一通り見ることにしている。
そこで思いがけず、『徴候・記憶・外傷』(中井久夫、みすゞ書房、2004)を見つけた。奥付を見ると「2022年14刷」とある。すぐに書棚から取り出し、レジへ向かった。
この本は絶版になっていると思っていた。古書店でひどい高直がついているのを見たこともあるから。復刊はとてもうれしい。
本書は、私の読書遍歴、そして大袈裟でなく私の精神史においてとても重要な一冊。大きな影響を受けた。本書は、遠い過去の記憶と向き合うきっかけをくれた。長い感想も書いた。
いま開いてみるととても難しく感じる。最初に読んだときは、何かに取り憑かれたように興奮して一気に読んだような記憶がある。
初読した2006年当時、「トラウマ」という言葉に強い関心を持ちはじめていたせいもあるだろう。日常生活を脅かすほどのひどい症状はないので、私は自分をトラウマ患者とは思っていない。けれど、12歳のときの姉の自死とその傷が癒えること間もないうちに始まった中学時代の異常な体罰体験は、私の心の奥まで深い傷を残したことは間違いない。
病名がつくほど深刻ではないかもしれないにしても、大人になっても忘れることのできない強烈な体験だったとは言えると思う。そして、その心の傷は治癒したとは言いがたい。
心についた傷の構造について詳しく説明してくれたのがこの本だった。
今回、再読して新たに感想が書けるか、まだわからない。いまは読書の秋。今回は時間をかけて熟読するつもり。自分の本なので蛍光ペンで線も引ける。
古書では8,000円以上の値もついていた本書は定価でも4,180円となかなかのお値段。思いがけない出費になったので、『パスカル小品と手紙』の購入は無期延期とした。
ブクログ:トラウマ
先週の金曜日、用事を頼まれて出社した。いつもの通り、誰とも会話することなく時間が過ぎた。私はここでは透明人間なのか。いや、違う。皆私を見ている。
あれがビョーキの契約社員か
奇異なものを見る眼差しで私を見ている。その視線に、私は耐えられない。用事はすぐに済んだので、午後は休みにした。
母との約束まで時間があったので上大岡でカラオケをした。ほかに空いている部屋がなくキッズルームをあてがわれた。どんな部屋でも気にしない。カラオケは私にとって、数少ない頼れるストレス・コーピング。誰の目も気にせず鬱憤を晴らす。
まず松山千春でのど慣らし。のどの調子がよくなってきたら浜田省吾を歌った。久しぶりに「J.Boy」を歌った。
J.Boy 受け止めろ 孤独ってやつを
J.Boy 吹き飛ばせ その虚しさってやつを
孤独を受け止めることも、虚しさを吹き飛ばすことも、私はできずにいる。「耐える」という言葉を思い出した。森有正の日記にうんざりするほど頻出する言葉。
「耐える」という試練を私は忘れていた。私は耐えなければならない、この孤独に、この虚しさに。
あと10年間。
先週の土曜日の午後、母を連れて横須賀美術館へ行った。バスの便が悪いので、馬堀海岸駅からタクシーに乗った。
「塩川コレクション」と但し書きがある1820年代のロイヤルコペンハーゲンの食器が保存状態もよく素晴らしい。中国の青磁の青もいいけれども、ロイヤルコペンハーゲンの「ブルーフルーテッド」の青もいい。やはり青を好む。あらためて自分の好みを認識した。
ハンマースホイの絵画「背を向けた若い女性のいる室内」にロイヤルコペンハーゲンの器が描き込まれているという解説に驚いた。確かにそれとわかるほど巧みに描き込まれている。
ジェンセンの銀のカトラリーもよく磨かれていた。北欧デザインのガラス類も見事だった。絵画ばかりでなく工芸の展覧会も楽しい。
我が家にも少しだけロイヤルコペンハーゲンのお皿がある。Tranquebarという名称の皿。廃番になっているので今ではとても貴重な品。大事に使っている。
常設展では思いがけず、国吉康雄(「毛皮の女」)と難波田龍起(「コンポジション 黄」)を見ることができた。難波田龍起の配色はどれもいい。
もう一つの企画展、勝又豊子「不在の向こう」展もよかった。薄い灰色の空間にぼんやり浮かび上がる人影。
横須賀美術館のあと、各駅停車に乗って金沢八景まで戻り、ワイン・ビストロ、Re:viniへ行った。なじみの店なので、とても居心地がいい。母も気に入っている。
この店にはこの店でしか呑めないワインがある。Les Enfers Tranquilles。この店が蔵元から直接輸入しているワイン。
この日はデザートの前にコニャックももらった。IRIS POIVRÉ XO FANNY FOUGERAT。深い甘味があって美味しい。ノチェロのように虜になりそう。
よしながふみのファンである妻のすすめでテレビドラマ『きのう何食べた?』の2nd seasonを見始めた。同時に1st seasonもAmazon Primeで見ている。
内野聖陽がとてもいい。西島秀俊は真面目で冷静という性格なので、『ドライブ・マイ・カー』のときからそれほど離れていない。あちらの方がさらに厳格という印象はある。
漫画も電子版で何冊か読んでみたけれど、実際に料理をしているので料理の描写は圧倒的にドラマのほうがいい。
子ども二人が独立して我々も二人暮らし。
互いに思いやりながら楽しく暮らそうとしている点では彼らと同じ。
いろいろ参考になる。
あそこまで料理に凝ることはできないけど。
主人公がピンチになったりいじめられたり挫折をしたり、また何とかしてそういう境遇を切り抜けたり。そういうアップダウンの激しいドラマはあまり好まない。
このドラマはほのぼのした雰囲気しかないので、安心して見ていられる。
さくいん:よしながふみ
肝臓の専門医による啓発書。前に読んだ本が実践編で、こちらが理論編。なぜ肝臓をいたわることが大切なのか、こんこんと説得してくれる。
再検査の結果は悪くなかった。とはいえ、数値は基準値ギリギリ。改善する必要がある。
在宅勤務で座っている時間が長い。運動が少ない。これは問題。
そこでダンベルを使った筋トレに加えて、エア縄跳びを始めた。100回を1時間毎に。
8時半から5時のあいだに9セットできる計算になる。そこまではまだ追い込んではいない。1日5セット、つまり500回くらい。それでも息が上がる程度の運動にはなっている。
ほんとうはウォーキングがいいのだろう。わかっているけど、最近、外へ出るのが面倒になっている。週末は終日出かけているけど、平日は買い物や図書館での予約資料の引き取りなど、何か用事がないと外へ出ない。
だから、何か用事を作ればいい。そこで週半ばに買い物に出かけて、図書館には定期的に予約をするようにした。ただ、これから気温が下がってくるとさらに出不精になる。室内での運動は要継続。
肝機能改善の努力をするのはお酒を呑み続けたいから。
お酒をやめてください
木曜日の夜のこと。いつものように10時過ぎにベッドに入った。ところが、目を閉じても眠れない。左右に寝転がっても眠れない。
バッハの静かなピアノやギター作品を集めたアルバム"Solo Journey"を流してみても眠れない。ゴロゴロしているうちに、とうとう0時を回ってしまった。
そこで最近、寝る前にときどき聴いている、あるプロテスタント教会の説教をYouTubeで聴くことにした。その説教のなかで牧師が旧約聖書の箴言から一説を紹介した。
人の霊は病苦をも忍ぶ。
しかし、打ちひしがれた霊はだれが担えるだろう。(箴言18:14)
旧版では次のよう言葉になっている。
人の心は病苦をも忍ぶ。
しかし心の痛むときは、誰がそれに耐えようか。
英語訳ではさらに鋭い言葉が使われている。
Your will to live can sustain you when you are sick, but if you lose it, your last hope is gone.
私はこの言葉につまづいた。牧師は森有正の「人生は冒険である」という言葉や、フランクルの「それでも人生にYesと言う」という言葉を引用しながら、前半部に焦点をあて詳しく解説していた。後半部については深い解説はなかった。
私は前半部より後半部の言葉に心を奪われた。信仰でさえ支えきれない苦しみや悲しみがあるのかもしれない。信仰に疑いを持つ者はそうとらえてしまう。
ここで、石原吉郎の言葉を思い出す。
「ゆるされてそこに在る」という言葉を、私はある時教会で聞いた。私はゆるされて、ここに在るだろうか。私には、私が「ここに在る」ことにより罰せられているとしか思えない。(「一九五六年から一九五八年までのノートから」『石原吉郎詩文集』)
この言葉から、石原吉郎の思想の核心は、「それでも人生にYesと言えない」と言い換えることのできる、ある種の絶望にあるのではないか。信仰を持てずにいる私はそのように解釈した。そして、私はその心境に共感を覚えてしまう。
結局、いつもなら説教の途中で眠りに落ちるのに、この夜は2時過ぎまで眠れず、浅い夢を見たかと思ったら目が覚めた。時計を見ると4時だった。朝まで布団のなかで何を考えるでもなく、ぼんやり過ごした。
目を閉じたまま、最近、目にしたある言葉を思い出した。
何もなくても、助け合って互いに優しく慎ましく生きた方が幸福じゃないかな。
「何もなくても、助け合って互いに優しく慎まし生きる世界」。
それがまだ見つからない。その世界に導いてくれる〈信〉もまだ見つけられない。
だから、いまだに世俗的な富や名声に憧れている。そんなものに届くはずはないのに。
きっと、青い鳥のようにその「世界」にすでに私はいるのだろう。見えていないだけで。
そんなことを考えているうち少しは眠ったみたい。
毎日、ほとんど同じ時刻に目を閉じ入眠に苦労することはないのに、なぜ突然、眠れなくなったのか。今もわからない。こんなことは初めて。
さくいん:バッハ、森有正、ヴィクトール・フランクル、石原吉郎
雑誌『芸術新潮』の特集号が単行本になった。世田谷文学館での展覧会へ行く前の予習も兼ねて、じっくり読み直し。
江口寿史の魅力の一つに時代性があるように思う。『ストップひばりくん』大空つばめは聖子ちゃんカットで、ほかにもには当時の薬師丸ひろ子にそっくりなキャラクターも登場している。
一方、最近の作品、とりわけ「彼女」シリーズは実在している人物をモデルにしているから当然、現在流行りの髪型やメイクになっている。
いま『パイレーツ』や『ひばりくん』を読むと連載当時の空気感が伝わってくる。これらの作品で育ったから余計にそう思うのかもしれない。80年代後半に青年誌に描いた作品はほとんど知らない。
本書も取り上げている「吉祥寺」という場所も、私のなかで江口寿史と結びついている。雑誌の感想にも書いたように、彼の描く街と女性は吉祥寺のイメージアップにかなり貢献していると思う。
しばらく前、吉祥寺での個展に妻と娘と3人で出かけた。なぜか、書き残していないけど、面白いことがあった。
直筆デッサンを見ながら娘が「もう感動しかないっ!」とつぶやくと背後から「へへへ」と笑い声が。振り向くとサインの列を前にした御大がうれしそうな顔をして立っていた。母娘はさらに感激していた。
さくいん:江口寿史
先週の土曜日、雑誌で見つけたハンバーガー店、Butcher's Tableへ行ってみた。
すでに2時近かったのに、店の前で数人待っていた。10分近く待って店内に案内された。
頼んだのはいつも通りチーズバーガー。この店ではチェダーとゴーダの2枚が挟んである。付け合わせはデフォルトのポテトをやめてオニオンリグを追加した。さらにホワイトビールのヒューガルテン。
美味しかった。他店よりトマト、玉ねぎ、レタスなど野菜の量が多い感じ。そのためか、味はさっぱりしている。
さっぱりめの味なので、さっぱりした味のビールとよく合う。
フィッシュ&チップスやデザート、お酒のメニューも多いので夜に来るのもよさそう。
石神井公園駅近くのハンバーガー店から歩いて南下して石神井ふるさと文化館へ。
企画展は「紙のおもちゃがいっぱい 北原コレクション」展。期待以上に面白かった。
時代を映した愛国少年双六や戦争ごっこ。時代を映した愛国少年双六。思いのほか精巧にできている立体付録や鉄道ごっこ、お店屋さんごっこ。一流芸者を目指す(?)人形遊び。多彩な着せ替え人形。
戦前の子どもたちの遊びが想像できた。
こういう雑誌を買ってもらえたのは、一部の子どもだけだったのだろうか。それとも庶民が買える価格で売られていたのか。
この郷土館は常設展示も充実している。きれいに整備されていて、ジオラマも精巧な作り。
50年前の茶の間が再現されていた。「50年前か、ずいぶん昔だな」と思った途端、自分はすでに生まれていたことに気がついた。50年前のといえば5歳だった。確かにこの部屋の雰囲気にはなじみがある。いつの間にか自分の半生が歴史の一部になっている。年をとった。
50年前といえば1975年、私は7歳。微かながら記憶はある。確かに、この部屋の調度品や雰囲気にはなじみがある。父方の祖父母の家の茶の間がこんな部屋だった。
いつの間にか自分の半生が歴史の一部になっている。加齢を嫌でも自覚した。
さくいん:70年代
『すすめ!パイレーツ』と『ストップひばりくん』の原稿をよくよく見た。デビュー時から画力が高かったことがよくわかった。もちろん、ギャグのセンスも。
一番好きなキャラクターは大空つばめ。つばめちゃんばかり写真に撮った。
一番好きな作品は、愛読者賞のために描いた読み切り作品『名探偵はいつもスランプ』。今回、残念ながら、その作品の原稿は展示されていなかった。
『彼女』展、吉祥寺での個展、今回、と続けて江口寿史の展覧会を見てきた。毎回、絵のうまさに舌を巻く。
漫画家は話と絵の両方の実力がないとなれない。たいへんな職業とあらたてめて思った。
世の中には、つばめちゃんファンがたくさんいるらしい。このツィートには、100以上の「いいね!」をもらった。「バズる」というには程遠いけど、私にとっては極めて珍しい。
さくいん:江口寿史
歴史モノが好き。といっても歴史小説はほとんど読まない。好きなのはジオラマや模型のある博物館へ行ったり、図や写真が豊富な図鑑を見ること。本書のような高価な図鑑を借りられることが図書館の魅力の一つ。
今回、借りた2冊も非常に面白かった。中国史の図鑑には美術品の写真が多い。どちらかといえば政治史よりも文化史に興味があるので、この構成はうれしい。
音楽の図鑑は「大」と名につくように豊富な情報量に圧倒される。西洋音楽の起源をギリシア・ローマまでさかのぼり、クラシック音楽と楽器の歴史、西洋以外のさまざまな地域の音楽、日本の演歌やアイドル、ラップやK-Popまで幅広く取り上げている。
音楽はクラシックにしろジャズにしろ詳しくない。クラシックについては、テレビで初心者向けの番組『CLASSIC TV』をよく見ている。番組で見聞きした話を図鑑で復習した感じ。
面白い図鑑を読み終えると、博物館を一つ回ってきたような気になる。
読みたくなったら、また借りればいい。図書館は歩いていけるところにあるので我が家の拡張本棚と言ってもいいだろう。
江ノ電公式アカウントが募集したタグに写真を投稿した。
あえて車両が写っていない写真を選んだ。江ノ電の魅力はレトロな車両だけではない。その車両が走る線路沿いの景色も魅力の一つ。
実際、江ノ電に乗って車内から車窓の風景を楽しむことが多い。そのとき、車両は視界にない。
撮影場所は以下の通り。
アンティークのロイヤルコペンハーゲンを横須賀美術館で見たとき、売店に並んでいた本。地元の図書館にあったので借りてきた。
陶器の歴史から製造技法の種類、有名ブランドの由来とそれぞれの特徴、西洋美術史との関連、などが簡潔にまとめられていて、とても勉強になる。
ビレロイ&ボッホ(Villeroy&Boch)の、ルクセンブルクの田園風景を素朴な挿絵にしたNaifというシリーズが好きで、マグカップを長く愛用している。
そういうわけで、ビレロイ&ボッホはルクセンブルクのメーカーとずっと思っていた。創業地がルクセンブルクで現在はドイツに拠点を置いているという。
Naifシリーズは百貨店のVilleroy&Bochコーナーには置いていない。廃番になったと思っていたけど、そうではなく、直販サイトにはまだ掲載されている。
面白いのは、歴史上の事件や人物との陶磁器の意外な関わりを書いたコラム。さながら「陶磁器から見た欧州史」。歴史の一面を知ることができるし、読み物としても面白い。
先週金曜日、休みにした。
毎年10月には体調を崩して一日会社を休む。今年は休まずに乗り切ることができた。在宅勤務のおかげでストレスが少ないからだろう。年末で失効する有給休暇があるので、調子が悪いわけではなかったけれど一日休みにした。
朝、耳鼻科まで歩いていき、インフルエンザの予防接種。それから自転車で図書館に行き予約してあったCDや本を受け取った。昼前に泊まりの支度をして家を出て駅前で5時間カラオケをした。
いつもの通り「君住む街へ」(小田和正)と「himawari」(Mr.Children)で〆たあと、追悼の気持ちを込めて「いい日旅立ち」(谷村新司)を歌った。
カラオケ店の店員にはどうやら顔を覚えられたらしい。一人で歌ってから清算するとき、まだ少し恥ずかしい気持ちがする。一人の食事は恥ずかしくはないのに、一人のカラオケはまだ恥ずかしい。
夕方、横浜方面へ南下して母と待ち合わせた。夕食は天ぷら。初めて食べたカキの天ぷらがおいしかった。
さくいん:小田和正、Mr.Children
先週の土曜日。昼食を家で済ませてから、母の補聴器を調整するために横浜まで出た。
補聴器は耳に掛けるタイプ。細い線がマイクにつながっていてこれを耳に入れる。マイクはとても小さい。これが皮脂や耳垢で汚れるので定期的に掃除と部品の交換をする。外出する理由があることは悪いことではない。担当の人がとても親切で、丁寧な接客に母は毎回感心している。
百貨店にある喫茶店で、鉄鍋で焼いたホットケーキを食べた。注文してから出てくるまで20分待って出てきたのは、ぐりとぐらが作ったような、ふわふわのカステラホットケーキ。ホイップクリームとメイプロシロップをかけて食べる。
夕飯は、刺身と鉄火巻。純米酒を二人で分けて呑んだ。そのあと、白ワインも空けた。
先週末はちょっと糖質多め。今週は制限しないといけない。
夕食後、YouTubeで昭和30年代の東京の風景を撮影した動画を探して母に見せた。運よく昭和30年代の丸の内の記録映像が見つかった。終戦前後の軍歌や歌謡曲、街の様子の映像を見せると喜んでくれる。古い映像を見ていると、これまで聞いたことのないエピソードを話し出すことがある。
最近はほとんど聞いたことのある話しかしない。こういう古い映像が記憶を引き出すいいきっかけになるのはありがたい。