鳥取の民家
鳥取は総じて大型の民家が豊富にある。大庄屋クラスの農家建築は、古く、センスも良く、目を見張るものがある。
それに比して町家の状況は多少貧弱である。裏日本側の宿命のようなもので、商業の発達が瀬戸内側と比して遅れてしまうことは止むを得ないところであろう。鳥取県を訪ねるならば、農家建築を中心に訪ねると感動がいっぱいである。
矢部家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和49年2月5日指定) 鳥取県八頭郡八東町大字用呂1278 建築年代/江戸時代(17世紀中頃) 用途区分/農家(大庄屋) 指定範囲/主屋 公開状況/非公開 鳥取と姫路を結ぶ国道29号線沿いの八東町と若桜町の境界付近に所在する農家建築である。平成の世になって屋敷の表構えが城造風に改められた為、少しばかり仰々しさを感じる向きもあるが、その奥に控える前庭から主屋を至る風情は長い歴史のみが紡ぎ得る厳かな上品さに溢れている。当家は近在の若桜城主を祖先とする家柄で、江戸時代に入って現在地に居を構えたとのこと。主屋は土間上の桁梁の架構や垂木構造の小屋組に相当な古式が窺えることから、確実に17世紀にまで遡る相当な古建築と考えられている。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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門脇家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和49年2月5日指定) 鳥取県西伯郡大山町所子360 建築年代/明和6年(1769) 用途区分/農家(大庄屋) 指定範囲/主屋・米蔵・新蔵・水車小屋・附/湯殿・雪隠・茶室・検査場・小屋・表門・裏門・土塀他 公開状況/非公開(春・秋に一般公開あり) 西日本の名峰・大山の北西山麓に所在する大庄屋屋敷である。平敦盛の末裔と伝える旧家で、美濃国に住し、織田信長にも仕えたとされるが、17世紀後半に現在の所子集落に移り、帰農している。18世紀前半には数十町歩に及ぶ相当な規模の田畑を集積、宝暦7年(1757)に鳥取藩より汗入郡西構の大庄屋に任じられている。主屋はその12年後に建てられたことが普請文書より明らかで、豪農の居宅であると同時に大庄屋の役宅としての性格を備えた建物である。屋敷周囲の付属屋もよく残り、山陰地方を代表する大型農家屋敷とされている。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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福田家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和49年2月5日指定) 鳥取県鳥取市紙子谷60 建築年代/江戸時代(17世紀後半) 用途区分/農家(庄屋) 指定範囲/主屋・上の蔵・下の蔵・土地 公開状況/非公開 さすがに鳥取県は日本一人口の少ない県だけあって、県庁所在地である鳥取市の市域でありながらも市街地から少し車を走らせるとすぐに長閑な田園風景が広がっている。そんな鳥取市の南郊の田園地帯に所在する当住宅は、丘陵地を背に屋敷前には低い石垣を築いて南面して堂々と建っている。その姿は実に上品である。屋敷の前は段丘状に田畑が広がり見晴らしも実にいい。屋敷構えからは標準的な農家の様子ではあるが、モノの本によれば庄屋を務めたこともあるという。いずれにせよ品の良さは並大抵ではない。座敷庭を取り囲むようには練塀が設けられてはいるものの、主屋の前の前庭には門も塀もなく開放的な構成となっている。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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後藤家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和49年2月5日指定) 鳥取県米子市内町72 建築年代/江戸時代(18世紀前半) 用途区分/商家(廻船問屋) 指定範囲/主屋・一番蔵 公開状況/非公開 米子市内を横断する加茂川の南岸に所在する旧廻船問屋の邸宅である。現在、屋敷と川は道路により隔てられているが、嘗ては接していたらしく、当家は数隻の大船を所有し、米子平野で産する藩米の輸送に従事していたことが記録されている。米子は鳥取藩池田家の筆頭家老・荒尾家が町場としては珍しく藩の直接支配ではなく「自分手」により治められた土地で、良港に恵まれた故か商業の町として鳥取よりも発達した観がある。当住宅は建築が17世紀にまで遡る可能性のあるかなり古い町家であるが、後世の町家と比べて艶やかさには欠けるが重厚感に溢れる建前は燻銀である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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河本家住宅 | 国指定重要文化財 (平成22年12月24日指定) 鳥取県東伯郡琴浦町箆津393 建築年代/貞享5年(1688) 用途区分/大庄屋 指定範囲/主屋・離れ・味噌蔵及び米蔵・新蔵・土蔵・土地 附指定/大工小屋・米蔵・門及び納屋 公開状況/非公開(春秋に特別公開) 鳥取と米子の中間地点、日本海が間近に迫る旧赤碕町の西郊、箆津集落に所在する旧大庄屋邸宅である。当家の祖先は尼子氏に仕えた武士であったが、月山城落城の際に赤碕村に来住、現在の箆津への移住は寛文年間の5代目・弥三右衛門の頃という。以後、大庄屋職を代々務め、幕末には外国船の襲来に備えて砲台取締役の任にも就いた。屋敷は街道に南面して門及び納屋を置き、背後に貞享5年建築で山陰最古級の主屋が置くが、屋敷裏手にも多数の蔵群が往時のままに残る様は見事である。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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石谷家住宅 | 国指定重要文化財 (平成21年12月8日指定) 鳥取県八頭郡智頭町智頭396 建築年代/昭和3年 用途区分/山林経営 指定範囲/主屋・座敷棟・家族棟・1号蔵・2号蔵・3,4号蔵・5,6号蔵・7号蔵 公開状況/公開 鳥取と姫路を結ぶ智頭往還の智頭宿に所在する山林地主の大邸宅である。当住宅の宿場内での存在感は圧倒的で、宿内の中央部に位置するとともに、間口60m、奥行100mの広大な敷地を有する様子は本陣建築かと見紛うが、実際には大正末から昭和初期にかけて敷地を倍し、町屋形式の旧邸宅を全面的に建て替えた近代和風建築である。当家は江戸初期の元禄年間に鳥取城下の瓦町から智頭に移住、「塩屋」の屋号で問屋稼業を営むとともに地主化していくが、本格的な隆盛期を迎えるのは明治20年以降に山林業を営んだことによる。地方山林家の底知れぬ実力を思い知る豪邸である。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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尾崎家住宅 | 国指定重要文化財 (平成25年8月7日指定) 鳥取県指定文化財 (平成23年3月22日指定) 鳥取県東伯郡湯梨浜町宇野1518 庭園は国指定名勝(昭和12年12月21日指定) 建築年代/明和年間(1764-1772) 用途区分/農家(宗旨庄屋・大庄屋) 指定範囲/主屋・仏間・土蔵・新蔵・質蔵・南蔵・木蔵・・味噌蔵・板蔵・ワラ置場・旧味噌蔵・薪小屋・内長屋・塀 公開状況/非公開 宇野の集落は日本海に面した低山間に展開する小集落で、国道9号線から脇に逸れ集落の中を縦断する旧道筋に入っても、何の変哲もない小家が展開するばかりの土地である。しかしこの旧道から更に南脇へ逸れた集落の最奥には多数の蔵群と二階建の納屋門に囲まれた集落の盟主然とした当住宅が鎮座している。これ程に素晴らしい民家が日本にもまだ残っていたかと体の芯から震えるほどに感動的な民家である。大規模でありながら簡素な雰囲気を保ち、かつ威厳に満ちている。「何故この様な土地に、これ程の民家が在るのか」、時間を忘れてじっくり想像に耽りたい。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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木下家住宅 | 鳥取県指定文化財 (昭和49年3月29日指定) 鳥取県八頭郡河原町布袋337 建築年代/江戸時代中期 用途区分/農家(大庄屋) 指定範囲/主屋・表門・厩・離れ・新蔵・中蔵・米蔵・宅地 公開状況/非公開 少し以前までは、屋敷前の車の往来が激しく、折角の家がかわいそうだと思っていたが、裏手にバイパスができたおかげで、少しは落ち着きを取り戻した様子である。当家には茅葺の主屋も残されているが、私のお気に入りは表門。この門以上に規模の大きいものや凝った造りのものは幾らでもあるが、これほどバランスが良く美しい門は滅多にない。総じて私の印象では、藩政時代の建物は、どこか控えめで品がある。大庄屋としての格式の高さと農民としての慎ましやかさが混ざり合って、適度なバランスを醸し出している。明治以後の何でもありの時代の建物とは一線を画す何かがある。当家は一般に公開されていないので、主屋を見ることは叶わないが、表門だけでも必見だ。 |
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鳥飼家住宅 | 鳥取県指定文化財 (昭和49年3月29日指定) 鳥取県倉吉市関金町関金宿1570-3 (移築) 旧所在地・鳥取県東伯郡関金町大鳥居 建築年代/江戸中期 用途区分/庄屋 指定範囲/主屋 公開状況/公開(但し内部は要連絡) 名峰・大山の東麓に在る関金温泉郷の入口に移築されている旧庄屋住宅である。そもそもは現在地から少し北方の大鳥居集落に所在していたもので、移築は主屋のみであるが、当初屋敷では長屋門形式の表門や隠居屋付属裏門、米蔵や味噌蔵等の土蔵が建ち並んでいたことが家相図から判る。また内部は下手半分が土間に割かれ、大戸口脇の厩は牛を3頭分飼育できる規模で相応の上層農家であったことが窺える。指定当初は江戸初期の建築と推定されたが、解体調査により少し時代が下ることが明らかとなった。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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高田家住宅 | 鳥取県指定文化財 (主屋・昭和49年3月29日指定/主屋以外・令和2年5月22日追加指定) 鳥取県米子市福万347 建築年代/江戸時代中期以降 用途区分/農家(庄屋) 指定範囲/主屋・カド蔵・米蔵・道具蔵・味噌蔵及び風呂・門長屋・養蚕場・薬用人参製造場 公開状況/非公開 米子市の南東郊外に所在する旧庄屋屋敷である。当家の所在する福万集落は中国山地を源とする日野川が広大な米子平野を形成する扇の要の位置にあり、辺りは広大な田園地帯となっている。当住宅は九間取平面の近世民家としては最大規模の建物であることから江戸末の民家建築が完成された時期の建築と考えてしまうが、口伝によると江戸中期の建築とのこと。茅葺の大屋根も軒を庇で受けずに葺き下ろしているため凄い迫力である。屋敷周囲には門長屋や米蔵、味噌蔵などの多くの付属屋が建ち並び、往時の様子がそのままを保ち残されている。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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三百田家住宅 | 鳥取県指定文化財 (昭和39年3月3日指定) 鳥取県八頭郡若桜町屋堂羅37 (移築) 旧所在地・鳥取県八頭郡若桜町吉川 建築年代/元禄7年(1694) 用途区分/農家(庄屋) 指定範囲/主屋 公開状況/公開 「三百田」とは変わった名前である。当家の所在する「若桜町」は「ワカサ」と読む。当家の苗字といい、移築された「屋堂羅」(ヤドラ)といい、変わった読み方が多い。何かいわくがあるに違いない。若桜は鳥取藩・池田家の分家「西館」が明治維新のどさくさに若桜藩を立藩したため、近世にも城下町として発展したように思われるが、実は城下町として機能した時代は中世にまで遡り、近世には宿場町として発展した。今でも趣のある町家が本通りには残されており、興味深い。ところで当家に関して予備知識を持たずに見学したとして、よほどの眼力の持ち主でない限り、特筆すべきこともない一般的な農家住宅のように思われるが、実は建築年代は17世紀にまでさかのぼることができる古い家なのである。 |
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吉持家住宅 | 鳥取県指定文化財 (昭和49年3月29日指定) 鳥取県西伯郡会見町田住98 建築年代/文化年間(1804-1818) 用途区分/農家(大庄屋) 指定範囲/主屋 公開状況/非公開 美保湾に注ぎ込む日野川の支流・小松谷川を遡った会見平野の最奥部に所在する旧大庄屋屋敷である。南・北・東方を穏やかな丘陵に囲まれた微高地に屋敷は在り、正面に小振りな表門を構え、その背後に高棟の大屋根を冠する主屋を配置する。寄棟造・平入の主屋は復原すると桁行7間半、梁間5間半の中規模な建前ながら、傍に寄ると意外なまでに軒高で、遠目からの印象とは異なり大振りな建前である。当家は近世初期に武士から帰農し、元和4年(1616)に当地に土着して以降、代々に亘り大山山麓の長者原の開墾に貢献があったとされる旧家である。名峰・大山を祀る大神山神社の参道脇に吉持長者寄進の大岩に刻まれた地蔵様が残されているが、どうやらその長者様とは当家のことらしい。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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南門脇家住宅 | 鳥取県指定文化財 (平成23年11月25日指定) 登録有形文化財 (平成16年11月29日登録) 鳥取県西伯郡大山町所子361 建築年代/安政7年 用途区分/大庄屋分家 指定範囲/主屋・奥座敷・裏座敷・茶室・夜具蔵・新蔵・米蔵・味噌蔵・所帯蔵・北座敷・門長屋・庭門 附指定/大工小屋・北納屋・南塀・西塀・隅納屋・土地・中塀・井戸・洗い場・石橋 登録範囲/主屋・米蔵・茶室・夜具蔵・南面土塀・門長屋・新蔵・旧僧侶用座敷・離れ座敷・南納屋・北納屋 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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高田酒造 (高田家住宅) |
鳥取県指定文化財 (平成22年9月17日指定) 鳥取県倉吉市西仲町2663 建築年代/天保14年(1843) 用途区分/商家(酒造業) 指定範囲/主屋・茶室・待合・仕込蔵・新蔵・窯場麹室・会所場・ ふなば試験室・宅地 公開状況/店舗として営業中 庭園部は県指定名勝(平成22年9月17日指定) 屋敷背後の醸造蔵2棟は登録有形文化財(平成13年8月28日登録) ▼個別解説ページへ(製作中) |
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桑田家住宅 | 鳥取県指定文化財 (平成22年9月17日指定) 鳥取県倉吉市東仲町2591 建築年代/ 用途区分/商家(醤油醸造業) 指定範囲/主屋・西土蔵・作業場・倉庫・物置・煙突・宅地 公開状況/ 明治9年創業の醤油醸造施設。屋号は山白屋。明治40年の東宮(後の大正天皇)の山陰道行啓時には東郷平八郎元帥の宿舎となったという来歴を持つ。庭園は県指定名勝(平成22年9月17日指定) ▼個別解説ページへ(製作中) |
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近藤家住宅 | 鳥取県指定文化財 (平成30年10月9日指定) 鳥取県日野郡日野町根雨 建築年代/元治元年(1864) 用途区分/商家(鉄師) 指定範囲/主屋・旧奥座敷・新奥座敷・小座敷・土蔵・大蔵・南蔵・内蔵・上風呂及び上便所・下風呂及び下便所 公開状況/非公開 安永8年(1779)に日南町笠木の谷中山に鉄山開発に成功、大鉄山師、大山林地主に成長し、大庄屋職を務めた近在で抜きん出た存在である。 |
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庄司家住宅 | 境港市指定文化財 (昭和62年3月25日指定) 鳥取県境港市渡町2228 建築年代/天保4年(1833) 用途区分/大庄屋・木綿問屋 指定範囲/主屋・茶座敷 公開状況/非公開 幕末頃より口会見郡の大庄屋を務めた大地主家。 |
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牧田家住宅 | 倉吉市指定文化財 (平成19年2月22日指定) 鳥取県倉吉市東岩倉町2280 建築年代/宝暦10年(1760) 用途区分/商家(米穀商・木綿商) 指定範囲/主屋・附属屋 公開状況/公開 県中部の商都・倉吉市内に所在する商家建築である。江戸中期に大阪の豪商・淀屋の番頭であった牧田仁右衛門が主家の闕所に備え、当地において米問屋、木綿問屋を営んだことに始まるとされるが、幕末に至っては町年寄を務める程の豪商に成長している。建物は市内最古となる宝暦10年(1760)建築の主屋と天保9年(1838)建築の付属屋から成るが、主屋は柱や梁の木割が太く豪壮な建物であるのに対し、付属屋は15畳敷の広大な数寄屋座敷を備えた瀟洒な造作。主家と同じ屋号・淀屋を名乗ることから、その関係性が取り沙汰される注目の民家である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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藤原家住宅 | 智頭町指定文化財 (平成11年10月1日指定) 鳥取県八頭郡智頭町大字市瀬字上三手屋敷1949 建築年代/明治32年(1899) 用途区分/山村農家 指定範囲/主屋・附属屋及び敷地 公開状況/非公開 JR山陽本線の上郡駅で智頭急行電鉄に乗り換え、終着駅となる智頭駅で下車。更に北東3km程の山間部に昭和30年代の農山村風景をそのまま残すことで知られる板井原集落がある。当住宅は集落の中心部に所在する平均的な農家建築であるが、集落唯一の茅葺建物なので象徴的な存在となっている。そもそも集落では焼畑を中心に炭焼や養蚕等で生計が立てられていたらしいが、冬場の厳しさから住民は里に降り、春に戻る通い農業へシフトしたため奇跡的に往時の姿を留めたらしい。ここでは住宅も然ることながら集落の風情を是非とも味わって欲しい。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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小椋家住宅 | 三朝町指定文化財 鳥取県東伯郡三朝町木地山 建築年代/江戸末期 用途区分/木地師 指定範囲/主屋 公開状況/非公開 嘗てウラン鉱の採掘場として全国的な知名度を誇った人形峠の手前にある木地山集落の中程に所在する木地師住宅である。集落名が「木地山」であり、姓名も木地師の系譜を示す「小椋」であることから当家が木地屋であったことは疑いようのないところであるが、集落の頭役を務めたと伝えらることから集落内では上層に位置する存在であったと推定される。屋敷裏手には加谷川が迫る山間の狭隘な土地柄ながら、屋敷地には比較的ゆとりがあり、主屋は平野部の農家の建前に近く、道路改修以前には主屋の周りには米蔵や味噌蔵が配されていた程である。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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足羽家住宅 | 旧溝口町指定文化財 (昭和52年7月20日指定) 鳥取県西伯郡伯耆町二部 建築年代/江戸後期 用途区分/本陣・鉱山業 指定範囲/主屋 公開状況/非公開 【雲州松平候本陣跡】 名峰・大山の西南方向、中国山地を縦貫する出雲街道の宿場町・二部に所在する旧本陣建築である。当家の祖・将監重成は越前国足羽郡の出身で、越前国主・朝倉氏に仕えた武将であったが、主家滅亡後の天正年間に当地に移住、住宅の背後に聳える要害山城に住したという。江戸初期に帰農後は富田城主・堀尾氏、米子藩主・中村氏の旅宿を、寛永期以後は松江藩主・松平候の本陣を務めた。生業として鑪製鉄を営み、出雲街道の整備に努めた業績は古文書等で知られるところであるが、残念ながら主屋建物の改造は甚だしく、往時の風情は大きく損なわれている。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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吉村家住宅 | 登録有形文化財 鳥取県鳥取市立川町4-140 建築年代/明治中期 用途区分/商家(米穀商) 指定範囲/主屋・什器蔵・勝手蔵・米蔵・通用門・附属棟 公開状況/非公開 |
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岩田家住宅 | 登録有形文化財 (平成26年4月25日登録) 鳥取県鳥取市立川町1-94 建築年代/江戸末期 用途区分/商家 登録範囲/主屋・茶室・離れ 公開状況/非公開 |
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高砂屋 (旧池内家住宅) |
登録有形文化財 (平成19年7月31日登録) 鳥取県鳥取市元大工町1 建築年代/明治初期 用途区分/商家 登録範囲/住居棟・店舗棟・蔵1・蔵2・蔵3・脇門 公開状況/公開(城下町とっとり交流館) 平成16年に道路拡幅により曳き屋されている。 住居棟は明治初期、店舗棟は明治後期の建築。 |
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加藤家住宅 | 登録有形文化財 (平成18年8月3日登録) 鳥取県鳥取市倭文491 建築年代/江戸中期 用途区分/農家 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 鳥取藩の御殿医を務めた。式台を正面に構える。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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有隣荘 | 登録有形文化財 (平成25年3月29日登録) 鳥取県鳥取市国安895-5 建築年代/大正12年(1923) 用途区分/主屋・長屋門・離れ・二番蔵・三番蔵・四番蔵・土塀・仕切門及び塀・石垣 公開状況/料亭として営業中 因幡地方屈指の大庄屋と称された西尾家の邸宅跡。 池泉回遊式の庭園も備えた大規模邸宅。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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石尾家住宅 | 登録有形文化財 (平成31年3月29日登録) 鳥取県鳥取市鹿野町鹿野字大工町南側1687 建築年代/江戸末期(1830-1868) 用途区分/商家 登録範囲/主屋・土蔵・門及び塀 公開状況/非公開 |
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高田家住宅 | 登録有形文化財 (平成30年11月2日登録) 鳥取県鳥取市鹿野町鹿野字大工町南側1644 建築年代/江戸末期(1830-1868) 用途区分/商家(酒造業) 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 |
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田中家住宅 | 登録有形文化財 (平成29年10月27日登録) 鳥取県鳥取市鹿野町鹿野字鍛冶町西裏1408 建築年代/江戸末期(文久年間1861-1864) 用途区分/商家 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 現在、桟瓦葺となる主屋は元板葺の建物。 |
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原田家住宅 | 登録有形文化財 (平成28年11月29日登録) 鳥取県鳥取市鹿野町鹿野字下町南側1344 建築年代/明治33年) 用途区分/商家 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 |
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塩屋出店 | 登録有形文化財 (平成12年12月4日登録) 鳥取県八頭郡智頭町智頭545 建築年代/明治30年(1897)頃 用途区分/商家 登録範囲/主屋・納屋・洋館・外塀 公開状況/飲食店として営業中。洋館は公開 洋館は昭和10年の建築 |
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藤原家住宅 | 登録有形文化財 (平成18年3月27日登録) 鳥取県八頭郡智頭町市瀬1947 建築年代/明治末期 用途区分/養蚕農家 登録範囲/主屋・土蔵 公開状況/飲食店として営業中 主屋は当初は茅葺平屋建。大正末期に2階を蚕室として増築。現在は喫茶店「野土香」として営業中。また土蔵は大正期の建築。 |
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太田家住宅 | 登録有形文化財 (平成29年6月28日登録) 鳥取県八頭郡八頭町富枝 建築年代/明治30年 用途区分/ 登録範囲/主屋・新建・門長屋 公開状況/民泊施設として活用中 |
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小川酒造 | 登録有形文化財 (平成10年10月9日登録) 鳥取県倉吉市河原町1969 建築年代/大正初期 用途区分/商家(酒造業) 登録範囲/主屋・道具蔵・二階蔵・三階蔵・旧仕込蔵・槽場・ビン詰場 公開状況/非公開 主屋の東側にはコリント式オーダーの応接間が附属する。 庭園部は登録記念物(平成22年8月5日登録) 以前は「打吹正宗」の銘柄で酒造業を営んでいたが、現在は醸造は行っていない様子。 |
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山陰民具店 | 登録有形文化財 (平成19年10月2日登録) 鳥取県倉吉市西岩倉町2196 建築年代/江戸後期 用途区分/商家(現在は骨董商) 登録範囲/主屋兼店舗 公開状況/骨董店として営業中 18世紀後半の建築で、本来は茅葺であったが、明治後期に表側のみを総二階建の瓦葺に改め、背面側は茅葺にトタンを被せたままの造作としている。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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金平家住宅 | 登録有形文化財 (平成30年11月2日登録) 鳥取県東伯郡琴浦町太一垣字宮ノ前179 建築年代/明治18年(1885) 用途区分/農家 登録範囲/主屋 公開状況/宿泊施設として利用 |
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矢城家住宅 | 登録有形文化財 (平成27年11月17日登録) 鳥取県倉吉市横田693 建築年代/大正2年(1913) 用途区分/ 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 |
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塩谷家住宅 | 登録有形文化財 (平成27年11月17日登録) 鳥取県東伯郡琴浦町赤碕1568 建築年代/明治39年(1906) 用途区分/廻船問屋 登録範囲/主屋・新蔵・質蔵・米蔵・ギャラリー棟 公開状況/公開 【塩谷定好写真記念館】 東西に長い鳥取県のほぼ中央部の海岸線に沿うように発達した赤碕宿に所在する廻船問屋の旧宅である。赤碕は伯耆往来の宿場町である一方、周辺で産出される木綿反物や御倉米の積出港として重要視された土地柄で、江戸初期に築かれた旧赤碕港は菊港と呼ばれ、但馬諸寄と出雲美保関の中間の寄港地でなった。当住宅はその菊港を正面に臨む絶好の位置にあり、建ちが高く、桟瓦葺総二階建の近代町家らしい佇まいを見せている。住宅は昭和期に活躍した写真家・塩谷定好の生家でもあることから写真記念館として活用されているが、そもそもの生業であった廻船問屋の邸宅として、多くの遠来の客人をもてなしたであろう客間座敷の充実振りが印象的である。特に二階座敷の螺鈿細工を施した違い棚など目を瞠るものがある。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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齋尾家住宅 | 登録有形文化財 (平成29年5月2日登録) 鳥取県東伯郡北栄町国坂468 建築年代/大正2年(1913) 用途区分/大庄屋 登録範囲/主屋・醤油蔵・炭小屋及び味噌蔵・土蔵・長屋門及び塀・南蔵・浴室・露地門及び塀 |
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遠藤家住宅 | 登録有形文化財 (平成15年3月18日登録) 鳥取県西伯郡大山町坊領486 建築年代/江戸時代後期 用途区分/寺侍 指定範囲/主屋・表門・離れ座敷・家財蔵・通用門 公開状況/非公開 |
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東門脇家住宅 | 登録有形文化財 (平成16年11月29日登録) 鳥取県西伯郡大山町所子425 建築年代/文政元年(1818) 用途区分/農家・酒造業 指定範囲/主屋・門長屋・化粧部屋・旧麹室・旧酒蔵・旧味噌蔵・納屋・住宅蔵・西面土塀 公開状況/非公開 霊峰・大山北西麓の所子集落に在り、同集落内で国の重文に指定されている門脇家住宅を本家とする分家住宅である。重伝建地区にも選定される所子集落の西側の下地区を一族の住宅群と共に形成し、本家屋敷との位置関係から「東門脇」と呼ばれている。集落を縦貫する大山寺参詣道の坊領道沿いの角地に広大な屋敷を構え、山陰特有の黒釉の瓦葺きに黒色下見板張を施した土塀が周囲を巡る様子は重厚感に溢れ、分家屋敷ながら相当なものである。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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美甘家住宅 | 登録有形文化財 (平成21年4月28日登録) 鳥取県西伯郡大山町所子字前田170 建築年代/江戸後期 用途区分/宗旨庄屋・地主 登録範囲/主屋・表門・新蔵・宝蔵・旧厩・倉庫・中門及び土塀 公開状況/外観公開 平成25年に重伝建地区に選定された大山北西麓の所子集落にはこれまで幾度も訪れていたけれど、当住宅が文化財登録されるまでは大庄屋・門脇一族の屋敷が集中する西側一帯(下地区)にのみ関心が行きがちで、集落の発生が当家が所在する東側(上地区)より始まったことを当家の御当主より初めて教わった。当家は中世土豪の系譜を引き、近世初頭には当地に居を構えた集落では最も古い家柄で屋敷の周囲には土塁の痕跡まで残している。広大な敷地にゆったりと建物群が配される様が古い歴史を物語っている。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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矢田貝家住宅 | 登録有形文化財 (平成23年7月25日登録) 鳥取県西伯郡伯耆町上細見字樋ノ上486 建築年代/嘉永7年(1854) 用途区分/地主・醸造業 登録範囲/主屋・離れ・茶室・腰掛待合・土蔵・長屋門・庭門 公開状況/蕎麦店として営業中であったがH26.1以降休止中 JR伯備線の米子駅を出て岡山方面に向かう途中、10分程のところで右手の国道沿いに長屋門を構えた立派な邸宅があることに以前から気付いていたが、文化財登録されたことで当家の存在を詳しく知ることができた。当家は近世初期に出雲より日野郡に来住した鑪製鉄に関わる一族で、幕末に至って初代・斎一郎氏が上細見村に分家したことに始まるらしく、「倉屋」の屋号により日清戦争頃までは酒や醤油の醸造業を営んでいたという。商家らしからぬ別邸屋敷のような風情を醸しているが、これは大正〜昭和初期に屋敷を数寄屋風に改めた故のようである。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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坂口家住宅 | 登録有形文化財 (平成21年4月28日登録) 鳥取県米子市尾高町13 建築年代/明治25年(1892)・大正/昭和前期改修 用途区分/商家 登録範囲/主屋・土蔵・土間倉・離れ及び渡廊下・門及び塀 公開状況/非公開 米子市の中心部には藩政期に城下を迂回する形で付け替えられた旧加茂川が横断し、実質的に中海に繋がる運河の役割を担っていた。嘗ては、その旧加茂川に面して土蔵群が建ち並んでいたとのことで、今でも僅かながらに風情を残している。当住宅もそのような商家の一軒で、鰻の寝床状の敷地に多くの建築群を未だに残している。米子で坂口家と云えば、年配の方であれば、山陰御三家と称された家柄を思い浮かべると思うが、当家はその分家筋に当たるらしい。当住宅の道を挟んだ対面には坂口本家の広大な屋敷が今でも残されており、併せて風情を楽しむことができる。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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面谷家住宅 | 登録有形文化財 (平成26年4月25日登録) 鳥取県境港市花町8 建築年代/明治前期 用途区分/商家(酒・醤油醸造業) 登録範囲/店舗兼主屋・新座敷(旧精米所)・道具蔵・旧砂糖蔵 公開状況/非公開(店舗として営業中) |
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近藤家住宅 | 無指定・公開 鳥取県日野郡根雨町根雨645 建築年代/明治元年(1867) 用途区分/商家 残存建物/主屋 公開状況/公開 出雲地方における鑪製鉄の歴史は、櫻井・田部・絲原の鉄師頭取御三家の存在と共に広く知られているが、伯耆地方にそれらを凌駕する大鉄山師の存在があったことは意外に知られていない。江戸中期の安永8年(1779)頃より鉄山経営に乗り出した根雨の近藤家は明治維新後の近代製鉄勃興により出雲の鉄山師が次々と廃業していく中、大正初期まで操業を続けた最後の鉄山師と云うべき存在で、当住宅は出雲街道沿いに建つ近藤家本宅の向かいに所在する「近藤出店」である。明治初年に近藤家から分家した出店近藤家が住まいした建物で、本家住宅とは比べ様も無いが、相応に立派なものである。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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行徳苑 | 無指定・公開 鳥取県鳥取市行徳3-327 建築年代/明治42年(1909) 用途区分/官舎(鳥取刑務所長官舎) 残存建物/主屋 公開状況/公民館的に使用 鳥取市西郊の千代川に架かる千代橋を渡った旧大正村(現・鳥取市古海)には、嘗て鳥取刑務所が在り、橋の手前の行徳地区には看守達の官舎が建ち並んでいたらしいが、刑務所が昭和53年に南郊の下味野に移転したため、現在ではすっかり様子も変わり、現在残っているのは刑務所トップの長官官舎である当住宅のみとなっている。当建物はその役柄故か、決して華美なものではないが、簡素ながらも書院座敷を備えた相応の造作となっている。周辺は嘗て千代川の氾濫原に当たる低湿地であるため、床を高くし床下の換気性にも配慮した造りが特徴的である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |