塩谷家住宅
【塩谷定好写真記念館】
Shiotani



 
登録有形文化財 (平成27年11月17日登録)
鳥取県東伯郡琴浦町赤碕1568
建築年代/明治39年(1906)
用途区分/廻船問屋
登録範囲/主屋・新蔵・質蔵・米蔵・ギャラリー棟
公開状況/公開 【塩谷定好写真記念館】

東西に長い鳥取県のほぼ中央部の海岸線に沿うように発達した赤碕宿に所在する廻船問屋の旧宅である。赤碕は海岸段丘の下側の僅かな幅の砂浜上に形成された町場で、伯耆往来の宿場であるとともに周辺で産出される木綿反物や御倉米の積出港でもあった。現在、赤碕港は集落の東端に新しく築かれているが、江戸初期に築かれた旧赤碕港は現在港よりも少し西側にあり、江戸初期の松江城主・堀尾吉晴の孫娘・菊姫の嫁ぎ先で赤碕に住していた河本家により整備されたことから菊港とも呼ばれ、但馬諸寄と出雲美保関の中間の寄港地として重要視されていたらしい。当住宅はその菊港を正面に臨む絶好の位置にあり、建ちが高く、桟瓦葺総二階建の明治期に建てられた近代町家らしい佇まいを見せている。住宅は昭和期に活躍した写真家・塩谷定好の生家でもあることから写真記念館として活用されているが、そもそもの生業であった廻船問屋の邸宅として、多くの遠来の客人をもてなしたであろう客間座敷の充実振りが印象的である。特に二階座敷の螺鈿細工を施した違い棚など目を瞠るものがある。

【文化庁報道発表】
塩谷家は、北前船の寄港地として栄えた赤碕で廻船問屋を営んだ。主屋は街道に面した町家で、2階にも座敷を多数配し、銘木や螺鈿を用いた座敷の造作は上質である。連続して建つギャラリー棟は主屋と調和した外観を持ち、町並み景観に寄与する。敷地内の土蔵群は、腰の海鼠壁や鏝絵などを施した丁寧な施工になるもので、良質な敷地景観を成している。
主屋/明治39年
ギャラリー棟/明治7年・昭和中期改修
米蔵/明治5年
質蔵/明治12年
新蔵/明治35年

 

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