旧牧田家住宅 Makita |
倉吉市指定文化財 (平成19年2月22日指定) 鳥取県倉吉市東岩倉町2280 建築年代/宝暦10年(1760) 用途区分/商家(米穀商・木綿商) 指定範囲/主屋・附属屋 公開状況/公開 県中部の商都・倉吉市内に所在する商家建築である。江戸中期に大阪の豪商・淀屋の番頭であった牧田仁右衛門が主家の闕所に備え、当地において米問屋、木綿問屋を営んだことに始まるとされるが、幕末に至っては町年寄を務める程の豪商に成長している。建物は市内最古となる宝暦10年(1760)建築の主屋と天保9年(1838)建築の付属屋から成るが、主屋は柱や梁の木割が太く豪壮な建物であるのに対し、付属屋は15畳敷の広大な数寄屋座敷を備えた瀟洒な造作。主家と同じ屋号・淀屋を名乗ることから、その関係性が取り沙汰される注目の民家である。 【備忘】 大阪の豪商・淀屋は岡本常安を初代とし、言當、箇斎、重當、広當と続く。その威勢は全国の持丸長者鑑でも大関に位置づけられる存在で、豪奢な生活振りに逸話は数知れない。しかし常に世の中は好事魔多し、5代・広當の代に幕府より商人にあるまじきとして、闕所、処払いを命ぜられることになる。 4代・重當の番頭であった牧田仁右衛門は、闕所に備え、身代の一部をこの倉吉の地に移したと伝えられる。これが後期淀屋の始まりである。その後、仁右衛門家の系統で、2代・孫三郎は旧地・淀屋橋に戻り「多田屋」を名乗り、孫三郎の四男・五郎右衛門は淀屋清兵衛を名乗ったという。、 |