高知の民家

土佐の民家は、南国ゆえに余り規模の大きなものはない。郷士といわれる半農半士の屋敷が各地に残存しているが、それほど立派な屋敷を構えているわけではない。一方、田野町に所在する町家建築の岡家住宅の座敷棟は、民家の座敷とは思えない程に格式高いもので、農家建築が不作な中で土佐らしさを形作っているのは水切庇を何段にも重ねた独特の風情を持つ町家建築である。主に室戸岬側の東部地区に多く見られるので、奈半利や吉良川といった町並を訪ねると良いかもしれない。
旧立川番所 国指定重要文化財 (昭和49年2月5日指定)
高知県長岡郡大豊町立川下名28
建築年代/江戸時代(寛政年間・18世紀後半)
用途区分/番所
指定範囲/書院
公開状況/公開
愛媛県の川之江方面に抜ける県道5号線沿いの山間部に所在する旧番所建築である。県道は江戸期においては北山越と称された藩主の参勤交代路に当り、当建物は国境を監視する土佐三大番所の1つとされる。土地の豪農・川合家による建築と伝えられ、藩主を迎える本陣の役割も担ったため座敷周辺は上段を設え、格天井を張るなど格式高い造作となっている。明治期に番所制度が廃止されたのち、商人宿として利用された経緯もあり、居室部が除かれるなど下手側の改造著しく、書院のみが残る。
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関川家住宅 国指定重要文化財  (昭和49年2月5日指定)  
高知県高知市一宮1819
建築年代/文政2年(1819)
用途区分/郷士
指定範囲/主屋・道具倉・米倉蔵
公開状況/公開
当家が所在する一宮は、その名のとおり土佐国の一の宮である土佐神社が所在する集落で、住宅は参道入口を少し外れた県道384号線沿いに在る。ちなみに県道はかつての国道32号線で、北山街道と称する瀬戸内側に繋がる大動脈であった。平野部における郷士住居の典型とされ、座敷を前方に突出させた鉤屋造となっている。土間上部の桁梁に角材が多用され、格調高い座敷部の設えに農家建築とは異なる武家住居としての折り目正しさの様なものが感じられる。県を代表する民家建築と云えるであろう。
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竹内家住宅 国指定重要文化財 (昭和47年5月15日指定)
高知県高岡郡四万十町大正1311(移築)
旧所在地/高知県幡多郡大正町中津川
建築年代/江戸時代(18世紀後半)
用途区分/山村農家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
県西部の町・窪川から愛媛県の宇和島方面に向かう国道381号線沿いの田野々小学校脇の谷間に移築される山村農家建築である。元来は直線で10km北方の中津川集落に所在していた。県下の山間部にある農家の例に漏れず、和紙の原料となる楮栽培を行っていた様子で土間には大きな楮蒸し釜が据えられている。開口部は立地的な制約から南側のみとし、残る三方の外壁は茅壁で囲われている。居間と座敷の2室に土間から成る単純な間取りで、居間には竹床を用いるなど原初的な風情が漂う。
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山中家住宅 国指定重要文化財 (昭和47年5月15日指定)
高知県土佐郡本川村越裏門89
建築年代/江戸時代(18世紀中頃)
用途区分/山村農家
指定範囲/主屋
公開状況/外観のみ公開
県北西部の山間部に所在する山村農家である。四周を険しい山々に囲まれ、辿り着くには相当な難路を覚悟する必要がある。当住宅脇に掲げられた看板に「四国のチベット」という表現が用いられているが、あながち冗談とも思えない程である。屋敷は山間部ゆえに石垣を築き僅かな平坦地を造成し主屋を構えるが、前面に広がる畑は傾斜地のままである。土間が極端に狭く、板壁を多用するのは山間地の農家らしい特徴。また「鞍止め」と呼ばれる箱型をした独特の棟形状は他地域では見られないものである。
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安岡家住宅 国指定重要文化財 (平成17年7月22日指定)
高知県香南市香我美町山北979-1
建築年代/文政11年(1828)
用途区分/郷士
指定範囲/主屋・道具蔵・米蔵・釜屋・風呂場・雪隠
公開状況/非公開
高知城から東へ20km程、旧香我美町域の北方に所在する郷士屋敷である。県内に残る郷士住宅の中で最も大規模、かつ格式を有するものと思われる。広大な敷地に点在する建物群は、19世紀初頭に分家し郷士株を取得した後に本格的に整備されたもので、それぞれの建物が受け持つ機能を簡潔に昇華している。屋敷の正面は白壁の土塀で仕切られ、御成門、本門、百姓門が一列に並ぶ。屋敷内の一際棟の高い建物が書院座敷で、郷士屋敷にこれほど整った独立棟の座敷が整えられたことに驚かされる。
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竹村家住宅  国指定重要文化財 (平成19年12月4日指定)
高知県高岡郡佐川町甲字東町1301
建築年代/安永9年(1780)
用途区分/商家
指定範囲/主屋・土蔵・表門
公開状況/非公開
県中西部の佐川町は土佐藩筆頭家老の深尾家1万石の陣屋町である。しかし往時の陣屋や武家屋敷が失われた現在、むしろ高知を代表する名酒・司牡丹の酒蔵がある町と云った方が判り易いかもしれない。司牡丹は地元の酒造家が大正7年に合併したことに始まるが、その母体となったのが黒金屋本家を称した当家である。江戸初期から続く酒造家・鉄屋から江戸中期に酒造株を譲り受けた当家は町年寄を務め、御目見得・苗字帯刀を許されるまでに栄達、住宅は幕府巡検使の宿舎にも充てられたという。
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吉福家住宅 国指定重要文化財 (平成11年5月13日指定)
高知県土佐清水市松尾字女川サキ209-2
建築年代/明治34年(1901)
用途区分/漁家(鰹漁網元)・廻船業
指定範囲/主屋・納屋・釜屋・内屋
公開状況/公開
足摺岬の西にある松尾集落内に所在する旧網元邸宅である。断崖絶壁の荒々しい景色で有名な岬同様に、当集落もかなり険しい崖地にへばりつくように家並みを形成しているが、その中に在って四周に石垣を築き相応の平地を確保している様は当家の集落における位置を物語っている。明治中期に建てられた主屋は外観からは想像がつかぬ程に豪壮な建前である。幅広の材を縦横に組み合わせた梁や桁は北陸地方の民家の趣である。土間周辺の段差を設けた上り框の造作も民芸的な風情で実に良い。
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武市半平太旧宅 国指定史跡 (昭和11年9月3日指定)
高知県高知市仁井田吹井3021

建築年代/
用途区分/郷士
指定範囲/主屋・墓所
公開状況/非公開
武市半平太は云わずと知れた幕末維新の英傑である。土佐勤王党の首領として藩内における勤王攘夷を主導したことで知られるが、志半端で佐幕的思想の前藩主・山内容堂に疎まれ投獄、切腹を命じられた。享年37歳、さぞかし無念であったに違いない。住宅は高知城下から南東10km程の田園地帯に在り、彼が城下の新田田渕に移住して剣道場を開設する22歳までを過ごした生家である。県道東方の山麓の高台に屋敷はあり、郷士階級ながら上士扱いとなる白札という身分に相応しい風情である。
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岡家住宅  高知県指定文化財 (昭和60年4月2日指定)
高知県安芸郡田野町2147-1
建築年代/天保13年(1842)
用途区分/商家・本陣
指定範囲/
公開状況/公開
県東部の田野町に残存する御殿建築である。奈半利川河口部に営まれた田野浦は日本三大美林として名高い魚梁瀬杉の集散地として発達した湊町で、当家はここで材木商、廻船商として財を成し、田野浦随一の豪商として名を馳せ、幕末には藩への借銀融通などの功により独礼御目見を許された名家である。現在、屋敷は往時の半分程度の規模となり店舗・居室棟、土蔵群は既に失われているものの、残る藩主の領内巡見の宿舎に充てられたという御殿座敷や御成門の格式の高さは言葉を失う程である。
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岡家住宅
(西の岡家) 
高知県指定文化財 (平成9年5月6日指定)
高知県安芸郡田野町1846-2
建築年代/
用途区分/商家(製材業・廻船業・酒造業)
指定範囲/
公開状況/公開
県東部の田野町には県文化財に指定される2軒の岡家が存在する。1軒は前述の屋号を米屋と称する田野随一の豪商・岡家で、残る1軒がここで紹介する「西の岡」と称される岡家である。当家は米屋の分家筋で製材・廻船業を営んだという商家であるが、道路を挟んで本家の西側に所在する住宅は街路に沿って表門を開き、板塀を廻らせ、少し控えて主屋が建つ「屋敷型」の形態を採り、商家らしからぬ風情である。現在、主屋の前半分のみが修復され、後半分は荒れたままとなっている。実に悲しい状況である。
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手嶋家住宅 高知市指定文化財 (平成8年3月1日指定)
高知県高知市大川筋2-2-15

建築年代/江戸末期
用途区分/武家(馬廻役250石)
指定範囲/主屋・長屋門
公開状況/公開
高知城址の北東、市内を横断する江ノ口川に面する大川筋に所在する旧武家屋敷である。当家は藩主・山内家が掛川城主であった頃より臣従し、藩政期には馬廻役を務めた上士の家柄であったという。屋敷南面に武者窓を配した厳しい長屋門を構え、これを潜ると大きな蘇鉄の植え込みの背後に大振りな千鳥破風の式台玄関を構える主屋が少し窮屈な様子で配されている。室内は部屋の仕切りに土壁が多用され、表と奥が厳然と区別されている。武家を意識して少し気張り過ぎの印象を受ける建物である。
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掛橋和泉旧宅  梼原町指定文化財
高知県高岡郡梼原町梼原1532 (移築)
旧所在地・高知県高岡郡梼原町梼原1537
建築年代/江戸末期
用途区分/社家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
県中西部の梼原町は須崎と愛媛県の大洲を結ぶ国道197号沿線に在る山間集落である。幕末に坂本龍馬が土佐を脱藩する際に当地を経由して伊予・長浜に至ったことから「脱藩の道」として維新の志士愛好家達には夙に知られる場所でもある。さて維新の志士の1人として名を残す掛橋和泉は幕末に三島神社の社家に生まれ、勤王の志を抱きながらも家を捨てきれず27歳という若さで自害した人物。住宅は山間地の建物としては大振りで、座敷の奥には「神の間」を設けるなど社家住宅らしい特徴を持つ。
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清岡道之助旧邸  田野町指定文化財
高知県安芸郡田野町土生岡4577
建築年代/不明
用途区分/郷士
指定範囲/不明
公開状況/公開
県東部の田野町北方に所在する郷士住宅である。田畑が広がる土生台地の最奥部に石垣を組み正面に冠木門を開く屋敷は、一見して当家がこの台地の開拓主であることを示してくれる。その背後には簡素ながらも式台玄関を構えた主屋が建つ。住宅は幕末の野根山事件の首謀者である清岡道之助の旧宅として案内されているが、15代藩主・山内容堂によって投獄された土佐勤王党の首領・武市瑞山の助命嘆願に同志23人が屯集した廉で逆に捕縛斬首された事件を知る者が今の世に一体どれ程いるだろうか。
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濱口雄幸旧邸  田野町指定文化財 (昭和47年5月8日指定)
高知県安芸郡田野町中森次378
建築年代/内部新しく復元時に建替えの可能性。
用途区分/郷士
指定範囲/
公開状況/公開
昭和4年に県出身者で初の内閣総理大臣となった浜口雄幸の旧宅である。高知市五台山村唐谷の水口家の三男として生まれた雄幸は20歳の時、当浜口家の養嗣子となり東京大学を卒業後、大蔵官僚を経て政治家への道を歩んだ。欧米との軍拡競争が進む世相において、日本の国力を考えたときむしろ軍縮を進めるベきとの方針を打ち出した硬骨漢で、国民からは絶大なる人気を得た。その風貌から「ライオン宰相」との異名を持つ。住宅は新田開発の功により白札郷士となった家格を反映した風情である。
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旧河平家住宅  馬路村指定文化財
高知県安芸郡馬路村馬路3569
建築年代/
用途区分/
指定範囲/
公開状況/公開






 
 
旧伊吹家住宅  馬路村指定文化財
高知県安芸郡馬路村馬路3569
建築年代/
用途区分/
指定範囲/
公開状況/公開




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中平家住宅 旧十和村指定文化財 (平成5年1月20日指定)
高知県高岡郡四万十町大井川782
建築年代/明治42年改築
用途区分/庄屋
指定範囲/主屋・土蔵・木小屋・附属屋(取壊)・土地
公開状況/非公開
土佐を代表する清流・四万十川が山間に向かって奇妙に蛇行する様子を横目に見ながら、並行する国道381号線で窪川から宇和島方面に向かう途中の旧十和村に所在する旧庄屋屋敷である。
国道から昭和橋を渡って少し奥まった台地上に建つ立派な白壁の土蔵が目印である。当家は室町時代から続く旧家で、江戸末期に至り庄屋職を3代続けて務めたという。冬場の季節風を避けるため土地を掘り下げ、北西面に石垣を築いて屋敷を囲う様子は、まるで近世城郭の廓のような風情である。
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門脇家住宅  登録有形文化財 (平成20年3月7日登録)
高知県高岡郡四万十町大正32-1
旧所在地・高知県高岡郡四万十町下津井字下藤茂
建築年代/明治8年(1875)  【平成2年3月移築】
用途区分/山村農家
登録範囲/主屋
公開状況/公開
四万十川中流域の旧大正町に所在する山村農家建築である。現在は町村合併により名を改めた四万十町郷土資料館脇に移築されているが、かつては現在地より四万十川の支流・梼原川を15km程も北上した険しい山間部の小集落に所在していた。内部は平成2年の移築時に基軸材を残して相当な改築が行われた様子で、どこまで往時の建前が忠実に復元されているか定かではないが、土間が極端に狭く、内外壁は共に板壁を基調とし、奥側に収納棚を造り付ける点など山間農家らしい建前である。
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 味元家住宅 登録有形文化財 (平成12年4月28日登録)
高知県南国市岡豊町八幡1099-1 (移築)
旧所在地・高知県高岡郡津野町北川
建築年代/天保3年(1832)
用途区分/山村農家
登録範囲/主屋
公開状況/公開
高知県立歴史民俗資料館の屋外展示施設として移築されている山村農家建築である。そもそもは四万十川の最上流部に位置する高岡郡の旧東津野村に所在していた。現在、主屋のみが移築されているが、移築前には隠居棟や納屋が軒を接するかのように建てられていた。土間に据えられた大きな蒸桶は和紙の原料となる楮・三椏といった植物の皮を蒸して剥ぎ取り易くするためのもので、藩を代表する産品であった土佐和紙の原料供給を担った山間部農家の往時の姿を今に伝えてくれるものである。
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島内家住宅
(島内幸家)
 
登録有形文化財 (平成14年6月25日登録)
高知県香南市野市町上岡2596
建築年代/明治初期・明治43年移築
用途区分/農家(郷士分家)
登録範囲/主屋・蔵・門・離れ・脇門及び塀
公開状況/非公開 【島内幸家住宅】
高知市より東へ12〜13km程の平野部に所在する農家建築である。19世紀中頃に郷士層より分家独立した家柄とのことで、周囲には同時期に分家した一族の屋敷が建ち並んでおり、当家はその屋敷位置から「西家」と称されている。この辺りは物部川の氾濫原にあたり、見渡す限りの田園地帯となっている。住宅は微高地の南端にあたる傾斜地に前面を石垣で固め、万が一の洪水に備えるように建てられている。主屋は明治初期の建物を移築したものらしいが、軽快で洒落た外観の建物である。
【平成28年9月14日解体により登録抹消】
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島内家住宅
(島内克之家)
(古新宅)
登録有形文化財 (平成14年6月25日登録)
高知県香南市野市町上岡2621
建築年代/嘉永3年(1850)・明治期に増築
用途区分/郷士分家
登録範囲/主屋・蔵・長屋門・内塀・外塀・納屋及び蚕室・汲池
公開状況/非公開 【島内克之家住宅】
先述の島内幸家の北東に所在する農家建築である。当家も19世紀中頃に郷士層より分家独立した家柄とのことで、「古新宅」と称される。恐らく、その屋号と屋敷位置関係から島内一族の中では最も早くに分家したのではないかと推測される。主屋は江戸時代の嘉永3年に建築され、元来は入母屋造平屋建であったものを明治期に二階部分を増築したとのことであるが、桁行よりも梁間が大きく重厚感のある建物である。屋敷正面の長屋門は門脇の袖壁に紗綾文様の漆喰彫刻が印象的である。
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島内家住宅
(島内章子家)
 
登録有形文化財 (平成14年6月25日登録)
高知県香南市野市町上岡2604
建築年代/昭和10年(1935)
用途区分/
登録範囲/主屋・離れ・蔵・風呂・石垣
公開状況/非公開
上岡集落内の南端、一族である島内幸家の東隣、島内克之家の南西に所在する郷士層から分家した農家建築である。前述の2家と同様に19世紀中頃に分家独立した家柄で「角家」と称されている。主屋こそ昭和10年に建替えられた比較的新しい建築ながら、蔵や納屋などの附属建屋は江戸末期のものである。主屋は玄関棟、居間棟、かま屋から構成され、複雑な屋根形状は新しい時代を感じさせてくれる。同一集落内に3軒もの一族の屋敷が文化財に登録される例は珍しく、各々の屋敷の個性が実に楽しい。
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福田家住宅  登録有形文化財 (平成14年8月21日登録)
高知県香南市野市町東佐古105
建築年代/大正13年(1924)
用途区分/酒造業
登録範囲/主屋・客殿及び離れ・応接棟・外塀・蔵及び番小屋・門及び庭間仕切塀・風呂及び便所・門
公開状況/非公開
県東部の旧野市町北域に所在する在郷の邸宅建築である。住宅は烏ヶ森山系の南端に位置し、西側を流れる物部川の河岸段丘上にあるため豊富な地下水に恵まれていたこともあり、嘗ては「千代の松」の銘柄で酒造されておられた。住宅は大正12〜13年頃に整えられたもので、時代分類的には近代和風建築となる。応接棟や門、外塀は鉄筋コンクリート造を採用し、これは県下における初期の事例とのことであるが、やはり土佐の地にあっては客殿や蔵に見られる白漆喰土蔵造の方が映えるように思う。
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森澤家住宅  登録有形文化財 (平成17年11月10日登録)
高知県安芸市土居559
建築年代/明治中期
用途区分/地主
登録範囲/主屋・長屋門・納屋・内塀・漬物部屋・北蔵・離れ・築地塀・汲み池・外塀・外周石垣・井戸屋・便所及び風呂
公開状況/非公開
県東部の安芸市中心部の北方にある土居は、その名が示すとおり藩政期においては土佐藩家老・五藤家の在郷居館が在った場所である。往時の家臣団の屋敷跡は領主館を中心とする土居廓中と称する一帯に今でも僅かに残っているが、その南方に彼らの武家屋敷以上に立派な家並みが続く一画がある。その中核となるのが屋敷脇に水路を廻らせ、下見板張りの外塀や離れによって囲まれる当住宅である。年輩の方にはNHK朝ドラの「のんちゃんの夢」のロケ地として知られる家である。
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畠中家住宅  登録有形文化財 (平成8年12月20日登録)
高知県安芸市土居638-4
建築年代/明治20年(1887)
用途区分/地主
登録範囲/主屋・蔵
公開状況/非公開 【野良時計】
かつて高知への旅を誘うパンフレットには必ずと云って良い程に田園地帯に佇む野良時計の姿が掲載されていた。北海道のガイドブックに必ず札幌の時計台が掲載されていたのと同じ感覚である。しかしその後、かつて田圃だったところに道路が通り、周辺が公園として整備されたために「野良」の風情が失われ、訪れる観光客も急速に減ったように感じられる。はっきり云って改悪である。さてその野良時計は当家の主屋に建つ櫓時計である。明治末期に当主であった畠中源馬氏が自作したとのことである。
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五藤家住宅  登録有形文化財 (平成20年3月7日登録)
高知県安芸市土居土居跡955
建築年代/明治29年(1896)
用途区分/旧邑主(1100石のちに2400石)
登録範囲/主屋・離れ・事務所・納屋・附属屋・物置・板塀
公開状況/非公開
県東部の安芸市郊外に中世から周辺統治の中心地であった安芸城址がある。藩政期に入って藩主・山内氏の家老職を務めた五藤家が当城の仕置きを任されたものの、元和一国一城令により山上の城郭施設は破却、平地に屋形のみを置くことを余儀なくされ、明治維新まで陣屋として機能した。現在の住宅はその土居跡に五藤家が明治中期に再び屋敷を構えたもので、藩政時代の陣屋建物からは比較にならぬ程に小規模なものであるが、現在の世において城址に屋敷を構えているという事実だけでも凄い。
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野村家住宅
(野村隆男家)
 
登録有形文化財 (平成17年7月12日登録)
高知県安芸市土居994
建築年代/江戸末期
用途区分/武家
登録範囲/主屋・門・納屋・薪置き場・井戸・塀・便所風呂棟
公開状況/公開
慶長5年(1600)に五藤家に仕えた。50石取りの馬廻りの上士の家柄。炊事場と縁側の一部に改造が見られるものの旧態をよく残している。敷地は約300坪ほどで屋敷内に菜園を営み、自給自作的な生活を送っていたようである。古い記録には織物を織る機屋や味噌部屋などもあったようである。屋敷西面に薪炭場・米蔵・納屋・厠・表門が一列に配されている。門内は塀重門により玄関前庭と生活空間が完全に仕切られている。土用竹の生垣が美しい武家屋敷街である。
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野村家住宅
(野村典男家)
 
登録有形文化財 (平成17年7月12日登録)
高知県安芸市土居989
建築年代/明治40年(1907)
用途区分/武家
登録範囲/主屋
公開状況/非公開
県東部、安芸市の土居廓中に所在する。藩政期の土佐藩では領内5ヶ所に土居付家老と呼ばれた譜代の重臣を配し私領地を直接管理させたが、安芸に配された五藤氏は中世城郭である安芸城址に陣屋を構え、その周囲に家臣団の住宅が置かれた。これが現在土居廓中と呼ばれる旧武家町で、当住宅は廓中の西端に位置し、屋敷の周りをウバメガシの生垣で囲む。建物は居室棟を中心に南東隅に離れ、西北部に釜屋を附属させるが、維新後に陸軍に出仕した当主が退役後の明治末期に建てたものである。
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寺村家住宅
(寺村徳夫家)
 
登録有形文化財 (平成17年7月12日登録)
高知県安芸市土居993-1
建築年代/明治後期
用途区分/医家
登録範囲/主屋・長屋門・離れ・蔵・塀
公開状況/非公開
平成24年に重伝建地区に選定された県東部の安芸町の土居廓中に所在する旧医家住宅である。当住宅は元々は安芸を治めた土居付家老・五藤家の家臣・小牧家の屋敷地で、禄高100石、騎馬身分の上級武家屋敷であった。幕末に当家から出た小牧天山、米山兄弟は漢学者として著名な存在。屋敷は土居廓中の最も南に位置し、表に武家風の重厚な長屋門を構えるが、建物は全て明治中期から屋敷の主となった医師の寺村氏が整備したもの。主屋も診察室が併設されるなど完全に医家住宅と化している。
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岩崎家住宅  登録有形文化財 (平成22年4月28日登録)
高知県安芸市井の口字杉ヶ本甲1696
建築年代/寛政7年(1795)
用途区分/郷士
登録範囲/主屋・西蔵・東蔵・番屋・便所・練塀・祠
公開状況/公開
重伝建地区に選定される土居廓中から北西2km程の旧井ノ口村に所在する岩崎弥太郎の生家である。弥太郎は現在に続く三菱財閥の創設者として知られる人物ではあるが、彼が生まれた頃の岩崎家は経済的困窮から郷士株を他家に譲渡し地下浪人に落ちる程の落魄振りであった。住宅は正面に玄関を構え、座敷や座敷庭が整う旧郷士身分に相応しい建前。三菱グループにより管理が行き届いた現在の住宅からは一代で日本を代表する財閥に育て上げた彼の豪快な人生を窺い知ることは難しいかも。
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南家住宅
(南千賀家)
 
登録有形文化財 (平成19年7月31日登録)
高知県安芸郡安田町安田1080
建築年代/明治後期
用途区分/商家
登録範囲/主屋・蔵・便所及び風呂
公開状況/非公開
安田町は高知市内より東へ50km程の所に在る街道筋に形成された町場である。日本三大美林と称される魚梁瀬地方に源を持つ安田川河口部に位置するため良質の水を産することから酒造業が盛んなことでも知られている。当住宅は安田川に沿う県道安田東洋線に東面して建つ商家建築で、嘗ては呉服商を営んでいたとのことである。並列する主屋と蔵に水切瓦を施す点は土佐の町家らしい風情であるが、総じて軽快な印象である。昭和30年頃の県道拡幅工事により当初から3m程曳屋されたらしい。
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南商店  登録有形文化財 (平成19年12月5日登録)
高知県安芸郡安田町安田1771-1
建築年代/大正後期
用途区分/商家
登録範囲/店舗兼主屋・外塀・内塀
公開状況/非公開
県東部の安田町中心部に所在する商家建築である。住宅は旧国道55号線と馬路村に続く県道安田東洋線が交差する東南角地に所在しており、云わば町内で最も重要な位置に屋敷を構えていることになる。屋敷前に掲げられた解説板によれば洋服や食料品、雑貨等を販売し、戦前には銀行の代理店を務めたとのこと。屋敷構えは伊勢参拝時の見聞を下に三重風の影響を受けた様式とのことだが、どのあたりが三重風なのかはよく判らない。ただ県道に面する主屋切妻面を5段の水切瓦で飾る意匠は実に美しい。
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野村家住宅 登録有形文化財 (平成12年10月18日登録)
高知県安芸郡奈半利町乙2578
建築年代/大正11年(1922)
用途区分/地主(倉床)
登録範囲/主屋・東石塀・南石塀
公開状況/非公開
奈半利町の中心部より少し北に所在する。この場所が藩政時代に藩に貢納する年貢米の集積地で「倉床」と称されたことが案内板に解説されているが、当住宅との関連性はよく判らない。そうした来歴を聞くと米蔵のような外観の住宅にも思えるが、建築年代は大正年間であるので全く関係ない。ただ、住宅の南東に廻らされた石塀は浜石を半割りにして小口を表に隙間を土で固めながら積み上げ、頂部に瓦を置いたもので、相当に手間のかかる造作であることは間違いない。
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濱田家住宅 登録有形文化財 (平成12年10月18日登録)
高知県安芸郡奈半利町乙1751

建築年代/江戸末期・明治36年増築
用途区分/商家(酒造業・質屋業)
登録範囲/主屋・蔵・大蔵・レンガ蔵
公開状況/非公開

県東部の奈半利町は野根山街道の起点である。野根山街道は奈良時代から阿波国に抜ける官道として整備された歴史を有し、奈半利町は宿駅として栄えた。当住宅は町の中心部の旧道沿いに在り、増田屋の屋号で酒造業、質屋を営んだという商家建築である。。創業は寛政7年(1795)で「日本魂」という銘柄で造酒していたらしく、屋敷裏手の大蔵はその時代に使用された酒蔵である。主屋の表側は現在ガラス窓付の引き戸に改められているが、この奥に出格子が設えられている。少し変わった造作である。
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森家住宅  登録有形文化財 (平成12年10月18日登録)
高知県安芸郡奈半利町乙2595
建築年代/大正初期
用途区分/実業家(交通王と称される)
登録範囲/主屋・蔵・西石塀・東石塀・南石塀
公開状況/非公開
土佐の交通王と称された野村茂久馬の旧奈半利邸である。邸宅型の屋敷構えながら主屋を道路際に配し、内部は和風ながら外観を縦長窓を用いて洋風に演出。また屋敷を取り囲む外塀は「いしぐろ」練塀と呼ばれる当地方独特の様式とする。ちなみに茂久馬は紺屋商(染物屋)を営む野村健吉の長男に生まれながら明治30年に高知へ出て荷物運送業を始め、大正14年には高知県交通を設立。また大阪商船から土佐航路を譲り受けて土佐商船を興し、貴族院議員、高知商工会議所会頭を歴任した傑物である。
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改田家住宅 
竹崎家住宅  登録有形文化財 (平成12年10月18日登録)
高知県安芸郡奈半利町乙1699
建築年代/明治23年頃(1890)
用途区分/商家(樟脳業)
登録範囲/主屋・蔵・離れ
公開状況/公開 【高田屋】
奈半利駅の東方、国道沿いに建つ商家建築である。西面して建つ開口部の少ない主屋の北側に蔵を接続させる。蔵は本来の役割を考え、奈半利川の氾濫に備えて築かれた堅牢な石垣上に建ち、下見板張り付の白漆喰で仕上げられた町のランドマーク的な位置にある。当家は幕末から樟脳の製造に携わり、明治年間に大量生産が可能になると富を蓄積し、新興地主へと発展を遂げた家歴を持ち、幕末生まれの3代目は自由民権運動にも参加し、政界でも活躍したとのことである。
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東山家住宅  登録有形文化財 (平成15年1月31日登録)
高知県安芸郡奈半利町乙1281-2
建築年代/明治38年(1905)
用途区分/商家(製材業・薬局)
登録範囲/主屋・蔵・石塀・便所風呂棟
公開状況/非公開
県東部の奈半利川東岸河口部に形成された奈半利町は奈半利川の水運を利用して魚梁瀬から下る木材の集散地として発達した町場である。当住宅は野根山街道の起点となる横町と海に面した東浜町を結ぶ中間地点に所在する商家建築で、初代当主は製材業で財を成したとのことであるが、現在は土蔵を改装して薬局を営んでおられる。通りに西面して主屋と蔵を並べ屋敷の間口を広く取るが、つし2階建の主屋は明治中期の建築ながら建ちを低く抑え、真壁を基調に地味な演出に徹している。
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濱田典弥家住宅  登録有形文化財 (平成16年11月8日登録)
高知県安芸郡奈半利町乙1028-1
建築年代/昭和9年(1934)
用途区分/地主 
登録範囲/主屋・土蔵・かま屋・石垣塀・米あずかり場
公開状況/非公開
奈半利町内の登録文化財民家の大半が街道筋を中心とする町場に集中しているが、当住宅は町場から少し東に逸れた田園地帯(現在では周囲に家が建ち並びつつある)に所在する邸宅型の地主屋敷である。往時は小作人を400人も抱えていたというが、屋敷の規模はさほど大きくはない。しかし建物は一瞥して相当に丁寧な造作であることが判る程に高い技巧が施されたもので、外観、内部ともに県内では超一級の住宅建築である。附属する土蔵も腰壁を海鼠壁とし、6段の水切瓦を設えるなど見応えがある。
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清岡家住宅  登録有形文化財 (平成15年12月1日登録)
高知県安芸郡田野町1845
建築年代/大正14年(1925)
用途区分/商家
登録範囲/主屋・店舗
公開状況/非公開
県東部の田野町に所在する商家建築である。県の文化財に指定される岡家住宅(分家・西の岡家)の2件隣に在り、屋敷地は東側で道路に接し、表に明治23年建築で寄棟造平屋建の店舗棟を、その背後に大正14年建築で2階建の主屋を配置する。屋敷の南側には奈半利川の支流で町を横断する丈丈川が流れ、当住宅は川に架かる新町橋の袂に位置する商売上絶好の立地にある。残念ながら平成25年頃に当家は解体された様子で、恐らく近日中に文化財登録も抹消されることであろう。
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須藤家住宅  登録有形文化財 (平成15年12月1日登録)
高知県安芸郡田野町2159
建築年代/明治初期
用途区分/鍛冶屋・金融業
登録範囲/主屋・釜屋・離れ・西蔵・東蔵
公開状況/非公開
県東部、田野町旧市街のうち旧国道沿いに展開する新町地区に所在する商家建築である。純和風の伝統的な佇まいに対して屋敷正面に白い十字架が掲げられているので少々訝しく思うかもしれないが、現在は中芸キリスト教会として用いられているようである。そもそも当家は明治中期までは鍛冶屋を、以降は金融業を営んだとのことで主屋背面の離れは鍛冶屋時代の作業場、主屋前面の釜屋は金融業時代の事務所として用いられたらしい。主屋正面には式台玄関が設えてあり、意外な格式の高さである。
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川田家住宅 登録有形文化財 (平成15年12月1日登録)
高知県安芸郡田野町2165
建築年代/明治元年(1868)
用途区分/商家(問屋)
登録範囲/主屋・蔵・離れ・風呂及び便所
公開状況/非公開
県東部の田野町旧市街を横断する旧国道に南面して建つ商家建築である。道路から少し奥まった位置に建つ桁行6間、梁間4間半の主屋は界隈にある他の町家と比して規模が大きく、上手の東南隅には縁を廻す座敷を設えていることから相応の富裕であったことが窺える。明治初期建築の主屋以外の離れや蔵といった附属建物群は昭和初期に整えられたもので、この時代には問屋業を営んでおられたとのことであるが、それ以前には酒造業を営んでおられたというから納得である。
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有沢家住宅  登録有形文化財 (平成15年12月1日登録)
高知県安芸郡田野町2391-2
建築年代/昭和12年(1937)
用途区分/漁家(網元)
登録範囲/主屋・蔵・離れ
公開状況/非公開
奈半利川の手前に展開する田野町は、旧市街の家並みが東西約1km以上に亘って続く大きな町場である。当住宅が所在する新町地区は海岸に並行する土佐東街道の両脇に町家が余裕をもって建ち並び、恐らく幕末頃になって自然発生的に町並が延伸して成立したに違いない。当家は地域の鎮守である田野八幡宮参道入口近くに所在する漁家で、街道から少し控えた位置に主屋を構え、その背後に離れと蔵が建つ。離れ1階の通り土間から裏手の海岸に抜けられるようなっており、漁家らしい特色とされている。
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普光江家住宅    登録有形文化財 (平成15年12月1日登録)
高知県安芸郡田野町2051
建築年代/明治初期・大正13年移築
用途区分/商家
登録範囲/主屋東棟・主屋西棟・蔵・納屋
公開状況/非公開
県東部の田野町中心部に所在する商家建築である。県文化財に指定され嘗ての本陣・岡家住宅の北方に位置し、ちょうど奈半利川の渡し場の手前に位置するため周辺には間口の狭い町家が櫛比するが、当家は7間もの間口を有する大店である。屋号は扇屋を称した。旧土佐東街道に北面する主屋は東西2棟から構成されており、東棟は明治初期の建物を大正13年に移築したもので帳場と居室に、西棟は東棟移築時に建てられたもので店舗として用いられた。東西棟で意匠が異なるのも一興。
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大西家住宅  登録有形文化財 (平成15年1月31日登録)
高知県安芸郡奈半利町甲105
建築年代/昭和10年(1935)
用途区分/漁家(網元)
登録範囲/主屋
公開状況/非公開
県東部の奈半利町の東郊、加領郷に所在する網元漁家住宅である。狭い港町の路地奥に密やかに所在しており、最近に国道55号線の高架バイパスができたため、当住宅の大丸の家紋を描いた入母屋の妻飾りがチラリと覗かれるようになったが、以前には旧道を歩いていても全くその存在に気付かない程であった。当住宅は鰹遠洋漁業の創始者と云われる大西源吉氏の邸宅で、二階建の土蔵風建物の下層に石積の蔵を設けて実質三層建とし、海に向かって開口部を開き、まるで物見櫓の様な風情である。
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山中家住宅 登録有形文化財 (平成16年3月2日登録)
高知県吾川郡いの町長沢131-28
建築年代/大正末期
用途区分/旅館
登録範囲/主屋
公開状況/非公開
平成16年に伊野町、吾北村、本川村が合併・成立したいの町の町域はかなりの広範囲に及び、当住宅が所在する旧本川村は四国最奥部と形容しても差し支えない程の山間部である。平成22年度国勢調査では旧本川村の世帯数は299、人口は563人とあるので何となく雰囲気はお察しいただけると思う。当家は村の中心地である長沢地区で旅館を営んでいたというから村の顔の様な存在であったに違いない。戸袋や欄間に鶴や亀、弥山、茄子、鯉といった吉祥の漆喰鏝絵が施され、訪れる者を楽しませてくれる。
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