自主制作した本をもっと宣伝すべきか、読まれる「時」を待つべきか、迷っている。
関心のある人たちには読んでもらいたいと思う一方、広く宣伝してまで読んでほしい本でもないとも考える。
悲しみを共有できる人にだけ読んでもらいたい。
姉の友人からの便りをもらうという密かな願望はどうすれば叶うだろうか。
いろいろ考えた。Xに搭載されたAI、Grokにも相談してみた。以下、AIの回答。
最終的には、宣伝と待つことのバランスを見つけることが重要です。あなたの本が特定の読者に深く響くものであるなら、その価値は自然に認識されるでしょう。しかし、一方で、意図した読者に確実に届けるための小さな努力も無駄ではありません。
考えた末に、今日投稿したポストにリポストのお願いを追記した。
AIの回答が思っていたよりずっとまともだったので驚いた。これは確かに生活を一変させる可能性を秘めている。ちょっと怖い。
文体が気に入っているエッセイストの新刊。前に読んだ『そっと耳を澄ませば』の感想にも文体が好みと書いている。
基本的には森有正のような硬質な文体を好む。でも、正反対に見える辻邦生や小川洋子のような、優しい、温もりが伝わるような文体も好んで読む。三宮麻由子も、そういう好みの文体ので書く一人。
本書はシーンレス(視覚障害者)の著者がiPhoneを手に入れて、日々の暮らしから個人としての実存性まで変貌した経験を率直に書いた本。シーンレスでも一人暮らしをしていて買い物も料理もしている。私よりもよっぽど生活力がある。
その暮らしに欠かせないのがiPhone。スマホが言わば掌の目となって著者の身体の一部となってさまざまな手助けをしている。著者の驚きや喜びようが真っ直ぐに伝わってくる。
目が見えない人は「目が見えないだけ」と聞いたことがある。ほかの感覚、例えば聴覚はいわゆる健常者よりも鋭敏なことが多い。著者も読み上げを早い速度で聴いていると書いている。
スマホ依存が問題視される一方で、スマホを身体の一部として使いこなし、QOL(Quality of Life)を向上させている人もいることに気づかされた。
AIについても同じ。使い方を間違えれば害になるし、これまで不自由していた人の助けになる。使いこなすのは人間であることを忘れてはならない。
私はいま、スマホやAIを使いこなせているか?登場したときから使っているからある程度使いこなせていると思う。ただ、次々出てくる新機能には正直、ついていけてない。
さらに急発展しているAIは怖い。振り回されそうな気がする。
さくいん:三宮麻由子、森有正、辻邦生、小川洋子、Apple
土曜日。梅を求めて小金井公園まで出かけた。冬晴れで散歩日和だった。
全体としてはまだまだ。種類によっては満開に近いものもあった。白梅は長寿、八重野梅、古城の春に似る、品字梅に似る、などたくさん咲いていた。紅梅は緋の司だけ。色鮮やかな鴛鴦(えんおう)はつぼみが膨らんでいてもう少しで咲きそうだった。
今回はTwitter(現X)に白梅から紅梅へ視点が移動する動画も投稿した。
いつもはバスを乗り継いで行くところ、今回は田無駅から歩いた。往復で15,000歩。よくがんばったので普段は禁じているカツ丼ともりそばのセットを食べた。
日曜日は、雨と寒波が関東地方を襲ったので一日家にいた。テレビで全日本卓球選手権を見て、雨のなか近所のスーパーまで歩き、恵方巻を買ってきて夕飯にした。
さくいん:小金井公園
先日見た『ブラック・ジャック』展で、「めぐり会い」(第50話)から、如月恵がピノコと会話する場面が拡大されて展示されていた。
この話には、以前から少し違和感があった。
如月恵は、ブラック・ジャックの恋人だった。彼女は子宮がんを患い、子宮を摘出した。そして性別を捨てブラック・ジャックの前から去っていった。
多様な性が認められている現代であったなら、二人が結ばれるストーリーも考えられたのではないか。そもそも、子宮を摘出したから「女性」でなくなるという発想が、子宮を摘出した女性に対して差別的な視線を秘めていないだろうか。
BJは恋愛が上手くない。彼を慕う女性は何人もいるが、恋が成就したことはない。BJの方から去ってしまうから。彼の恋愛下手であるのは、母を幼いころに失くした影響が大きいと思われる。
そのBJが心を許す女性が一人だけいる。ピノコ。如月と結ばれていたらピノコの居場所はなくなってしまう。
「人生という名のSL」(第229話)でも明らかなように、BJは、ピノコをただ一人のパートナーとして認めている。恋愛下手のBJは、如月が病気にならなくても、いずれ彼女の元から去っていたかもしれない。
もっと憶測を深めれば、如月恵はBJのそんな性格もわかった上で、彼の元を去ったのかもしれない。私のなかではそういうことにしておく。
さくいん:『ブラック・ジャック』
哲学と思想はどう違うのか?
哲学は学問。だから学ぶことができ、教えることができる。
思想は違う。人から学ぶことができず、教えることもできない。
自ら見出していくしかない。
その意味では「生き方」とも言えるし、三木清の言葉を借りれば、「人格」とも言える。
哲学は学問だから必読図書もあるだろう。思想にはそういうものはない。極端に言えば、本を一冊も読まなくても自分の思想をつかめる人もいる。
私は思想には関心があるけれど、哲学にはあまり興味はない。
だから、自分の思想を豊かにするための読書はしても、哲学の知見を増やすための読書はしない。
さくいん:三木清
今日は寒梅忌。姉が亡くなって44年の時が過ぎた。
彼女と過ごした時間は私の人生の1/3にも満たないけど、彼女の存在は悲しみと愛おしさに彩られて今も私の心を占めている。
悲しみを言葉にして本の形にするまで40年かかった。
40年かけてできたことは自分の悲しみを言葉にすることだけで、彼女が確かに生きていた証を書き残すまでのことはできていない。
彼女が生きた時代、とりわけ青春時代を送った70年代とはどういう時代だったのか。その時代に、彼女は何を考え、どう行動して、何に悩み、苦しんでいたのか。もっと知りたいし、きちんと言葉にして残しておきたい。
そうすることが、彼女が生きていた証になると信じている。
でも、苦しい気持ちになるのがわかっているので、彼女が残した日記を読むこともできずにいる。
例年、静かに悲しみにひたる日なのに、用事を頼まれて出社したため落ち着かない一日になってしまった。
さくいん:自死遺族、悲しみ(悲嘆・グリーフ)、70年代
『100分de名著』「心の傷を癒すということ」の感想に次のように書いた。
安は翻訳や患者の治療など多くの仕事を中途のままで亡くなった。それらの仕事を仲間が引き継いだ。安の遺志を継ぐことが「死別を十分に悲しむという作業」、すなわちグリーフ・ワークになったと宮地は言う。
故人がやり残した仕事を継ぐことがグリーフワークになる。そういう発想はなかった。姉がやり残したことを引き継 ぐことが、私の庭を耕すことになるだろうか。いったい何が彼女のやり残したことだろうか。命日のある2月のあいだにじっくり考えたい。
安克昌にはやり残した仕事があった。18歳で夭折した姉がやり残したことは何だろう。
彼女が卒業できなかった大学の大学院を修了した。それだけでも弔いになったと思う。
書き残した文章を公開することも考えた。でも、それは彼女が望んだこととは思えない。
上に書いたこととは別の考えもある。「彼女の遺志を継ぐ」という発想が、姉の影から逃れられていない証左ではないか。私は彼女の不在を受け止めつつも、自分の人生のミッション(使命)は自分で探さなければならない。
それにしても、五十代半ばを過ぎているのに、まだ自分の使命が見つからないとは、何てお粗末なことだろう。
写真は我が家の梅の苗木。つぼみは膨らんできていてもう少しで咲きそう。
さくいん:安克昌、自死遺族
『芸術新調』の図鑑特集で紹介されていた本。運よく図書館にあった。
私の宇宙への興味は小学五年生にさかのぼる。カール・セーガンが案内役を務めたテレビ番組『コスモス』。1980年秋のこと。姉と二人で夜遅くまで見ていた。その後、宇宙や物理化学への関心は薄れていき、理系に進ことはなかった。
その番組のなかで「宇宙カレンダー」という暦が紹介された。ビッグバンを1月1日として現在を12月31日23時59分としたカレンダー。本書はその暦を詳述したような内容。違いは本書の方は人類が誕生してからの歴史に重点を置いているところ。
面白いのは、ビッグバンから地球に生命が生まれるまでの宇宙が膨張していく歴史。自分の想像力をはるかに越えた話が気持ちいい。
銀河や遠い恒星の写真は見ているだけで楽しい。こういう写真には気持ちを穏やかにする効果がある。気分が落ち込んだときには壮大なスケールの写真を見るのもいいだろう。
人間が暮らす世界は宇宙の広さや歴史から見れば、空間的にも時間的にもほんのわずかに過ぎない。これから先、人間の世界が終わっても何の不思議もない。
さくいん:カール・セーガン
三鷹の書店で見つけた。買おうか迷っていたところ、図書館にあったので、借りて読んだ。
どの文章にも中央線愛があふれていて面白い。
所収されている文章から中央線の魅力をまとめると次のようになる。
- 都会から郊外、田舎までが一本でつながっている
- とくに都電が廃止される時期までは阿佐ヶ谷でも田舎の風景が見られた
- 文化的な匂いがする(文人や学者が多く住んでいる)
- 古書店や居酒屋、喫茶店が多い
最近は、漫画家や若いお笑い芸人がたくさん住んでいると聞く。文化的な匂いは継承されているということか。
中央線沿線に住んで30年近くになるけれど、最寄りの吉祥寺と三鷹、それから一番最初に住んでいた武蔵小金井以外はよく知らない。高尾山にも登ったことがない。
私が考える中央線の魅力は図書館と公園が多いこと。田園風景は無くなってしまったけど、雑木林は大きな公園に残っている。
いまは定期券も持っていないので週末にちょっと電車に乗ることもためらいがち。用事は徒歩か、せいぜいバスで行ける範囲で済ませてしまう。その範囲に図書館も公園もたくさんあるので、遠出をしなくてもほとんど用は済んでしまう。
ところで、別役実は中央線沿線について「自殺の名所」とドキッとすることも書いている。太宰治や原民喜からの連想だろうか。一直線の線路を高速で走っているので、誘惑に駆られる人が少なくないと聞いたことがある。何にせよ、聴き心地のいい言葉ではない。
この汚名を返上するため、最近は、駅や踏切の照明を心を落ち着かせる青色に変えたり、対策は打っているらしい。ホームドアも早くすべての駅に設置してほしい。
さくいん:東京、エッセイ、自死、太宰治、原民喜
本の紹介文を作り、リポストをお願いする投稿もしてみたけれど、さっぱり反応がない。
これ以上、ジタバタしても効果はなさそう。もう過剰な期待は捨ててあきらめる。
販促活動はいったん辞める。読まれることをひたすら待つことにする。
もともと、そういう本なのだから。
日曜日、母を連れて鎌倉へ出かけた。宝戒寺が梅の名所と聞いて行ってみたけれどまだ見頃ではなかった。偶然、ピンクの梅が咲く枝に止まったメジロを写すことができた。
鶴岡八幡宮も梅はまだ五分咲程度。能舞台で神式の結婚式が行われていて観光客が盛んに写真を撮っていた。撮られている方は有名人になった気がしているのだろうか。
去年、同じ頃に鎌倉へ来て、東慶寺で見事が梅の参道を見た。今年も期待して行ってみるとまったく咲いていなかった。いずれにしろ、東慶寺は撮影禁止なので記録には残せない。
夕食は、これまた去年と同じ、逗子のレストラン。発想が変わっていない。
明けて月曜日。地域包括支援センターで要介護1の認定を受けた母のデイサービスについて相談。「私は一人で何でもできる」と頑なに拒む母を説得するのに苦労した。
とりあえず、ケア・マネージャーを紹介してもらうことにした。週1回、短い時間でもいいから外へ出て社会性のある暮らしをしてもらいたいけれど、納得するかはまだ不透明。
さくいん:鎌倉
昨日は床屋をはさんで三つの公園を回遊した。
冬には冬らしい景色がある。
葉が落ちて、まだつぼみも膨らんでいない桜の木を見た。じっと寒風に耐えている姿に勇気づけられる。私も私であることに耐えなければいけないと思わせてくれる。
メタセコイアもすっかり葉が落ちて、冬晴れの青空を突き刺している。これもいい。
駅前でインドカレーを食べて、ケーキ屋でモンブランを買った。帰宅して二人で食べた。
歩数は11,0000。平日、家にいるから週末にはこれくらいは歩かなければ。
おやつのあとに1時間くらい昼寝をした。コーヒーを飲んでいたから長くは眠らなかった。
庭に植えた小さな苗木から梅の花が咲いた。
花は薄いピンク色。
以前は庭の隅に冬は水仙が咲いていた。水仙が枯れてから花がなく、寂しい風景だった。
花が咲いて庭が明るくなった。
実家の梅は苗木から人の背丈よりも高く育った。小さな庭だけど大きく育ってほしい。
先週末、横浜に帰省したとき、庭の紅梅を撮影した。もう八分咲くらいだった。
実家の梅はとても赤が濃い。青空によく映えている。
さくいん:横浜
梅の開花を期待して再び神代植物公園へ行った。白い八重野梅は満開の木が多い。紅梅はつぼみが膨らんでいてもう少しで咲きそうな木が多かった。八重寒紅という種類は咲き始めていた。
うめ園は「まつり」というほど咲いてはいなかったので、大温室に移動してベゴニアとスイレンを眺めてゆっくり過ごした。スイレンはホワイト・パールとウッズ・ブルー・ゴッデス。
ベゴニアでは鮮やかな色の品種が好き。一方で、スイレンは白や薄い色合いの品種を好む。名前を覚えていなくても、毎回、無意識に同じ品種にカメラを向けている。
植物園に来ると穏やかな気持ちになる。頭が空っぽという感じ。ごちゃごちゃした自室で座禅や瞑想をしてもマインドフルネスは得られない。休職中に通った就労移行支援事業所でもメンタル・トレーナーから指導を受けたけど、なかなかマインドフルネスは得られなかった。
ところが、こうして花を眺めたり、雑木林を静かに歩いていると心の隅々から雑事が消えていく。自然のなかで、自然に得られる、二重の意味でナチュラル・マインドフルネス。
こういうマインドフルネスの方が精神の健康によい効果があるように思う。
ランチはいつもの店で熱燗をいただいてから冷やしたぬきそばの中盛り。
午後はカラオケ。2月には姉の命日と誕生日の両方があるので、グリーフ・ワークと供養の一環として、さだまさしの昔の歌をたくさん歌った。歌うことも、すべてを忘れて集中するとマインドフルネスのような効果があるように思う。少なくとも開放的な気分になれる。
夕方、妻とスーパーで待ち合わせて買い物をして帰った。夜にも日本酒を呑んだ。
さくいん:神代植物公園、グリーフ(悲嘆)さだまさし
どこかで見て名前を覚えていた。でも、記録は残っていない。美術館の予告ページを見ると何となく好きになりそうな画風だったので見に行った。
とてもよかった。近隣に住んでいるようで神代植物公園の風景画がいくつもあった。噴水や熱帯スイレン室など、よく知っている風景なので、画家が何を捨象して、どこに焦点をあて、どんな表現で描いているかがよくわかった。掲示されていた解説が的確に魅力を伝えている。
即興的な筆遣い、大胆な色合わせ、明るい光の表現など、近年の小西真奈の絵画は、見る者の心をほぐしてくれる。
「心をほぐしてくれる」を「マインドフルネスを呼び起こす」と私は読み換えた。美術浴と森林浴を同時に満たす幸せな時間を過ごした。この週末は大いに心の洗濯ができた。
コレクション展では牛島憲之の好きな作品、時計塔が緑の上に浮かぶ「ある日」と水面に島の景色が映る「灯台のある島」に再会できた。
帰りは府中駅まで20分近く歩いた。ランチはいつものラーメン店でみそらーめん。今日の歩数は12,000歩。この週末はよく歩いた。
小西真奈の作品は公式サイトでも見ることができる。
さくいん:府中市美術館、神代植物公園、牛島憲之
先週から姉のことを思い出しながら、二人で聴いていたさだまさしとオフコースとビリー・ジョエルを聴いている。『夢供養』『SELECTION』、それから"The Stranger"。
命日だった日、朝、出かけるときに妻が「今日はお姉さんの命日ね」と言った。覚えていてくれる、その優しさががうれしい。それだけで十分。
私に姉がいたことは子どもたちも知っている。秘密にしているわけではない。
彼女がどんな人だったか、どんな生涯を送ったかは話したことはないし、彼らも訊かない方がいいと察しているのか、尋ねてきたこともない。
それでも、息子がビリー・ジョエルが大好きで、娘がスヌーピーが大好き。姉が得意だった数学を息子は得意だし、娘は姉が果たせなかった理系進学をして修士まで取った。何も話さなくても、何かが伝わっているのかなと思うこともある。
娘に「結局、さだまさしとオフコースのどっちの方が好きなの?」と訊かれてドキリとしたことがある。家族でいるときに流しているつもりはなかったから。
話すべきか、悩んだこともあったけど、いまは私からあえて話すつもりはもうない。何かが伝わっているなら、それだけでもう十分。
私がこの世界から立ち去ったとき、このウェブサイトを見つけて、姉のことも含めて私の人生について、知らなかったことをいろいろ知ることになるかもしれない。
そのときには、もう真実を受け止められる年齢になっているだろう。
さくいん:さだまさし、オフコース、ビリー・ジョエル、秘密
プライベートで使用しているiMacが動かなくなった。
アップデートがあまりに長くかかるので電源を落としたら、二度と起動しなくなった。
アップル・サポートに問い合わせると、持ち込み修理が必要らしい。
アップデート中に余計なことをしたのがよくなかった。
2022年3月に購入してから今まで、機嫌の悪いときもあったけど、クラッシュすることはなかった。自分の早とちりで故障させてしまいとても悔しい。
とりあえずは10年前に買ったMacBook Proでしのぐ。捨てずに取っておいてよかった。
壊れたのが仕事用PCでなくてよかった。在宅勤務なので、パソコンが故障したらまったく仕事ができなくなってしまう。
さくいん:Apple
YouTubeが気まぐれにおすすめしてきた動画。1980年の秋、姉と二人で観たフィルムコンサート。45年前に見た映像を初めて見返した。
初めて観たにしてはたいした感動はなかった。思い出のほうがずっと鮮やかでなつかしいということもある。
日曜日の夜で、妻も一緒に見ていた。彼女も当時、さだまさしをよく聴いていたという。でも、彼女に姉と一緒に見たとはなぜか言えなかった。
なつかしい歌を聴きながら、ふと考えたことがある。「フレディ、もしくは三教街」。さだまさしはこの曲を「反戦歌」と自負しているとどこかで読んだ記憶がある。
よくよく聴いてみると、この曲は宗主国の住民が植民地時代の租界をなつかしく思い出す内容で、反戦歌以前に問題がありそうな内容と気づいた。
最近は、テレビに出ていても見なくなった。さだまさしは思い出の中にしかいない。
さくいん:さだまさし
一日の内、1/3はベッドで寝ていて、1/3は在宅勤務で机に向かっている。つまり、一日の2/3は自室にいる。
それ以外も自室にいる時間がある。退勤後、夕飯の支度を始めるまでは部屋にいる。本を読むこともあれば、ギターを弾いたり、寒いので布団のなかでじっとしていることもある。
昼休みも、納豆だけのランチを済ませたら短く昼寝することが最近多い。
以前は英語ニュースを聴いたり、夕方、ラジオを聴くこともあった。最近は音楽もかけず静かな部屋で過ごしている。本を読む時間も短い。勉強は何もしていない。
平日はほとんど家から出ない。他人から見れば隠居暮らしのように見えるかもしれない。
夜も早く寝ている。10時前には床につき、6時半まで寝ているから8時間以上、布団にいることになる。眠りも深く、よく眠れている。
いま、一番幸せに感じる時間は、本を読んでいるときでも文章を書いているときでもなく、酒を呑んでいるときでもない。布団をかぶって寝ている時間。春になったら、行動的になる。今はこれでいい。私には冬眠が必要。
さくいん:日常
八木重吉の詩集はすでに何冊も持っている。写真や資料が豊富な『文学アルバム』も持っている。それでも今回、岩波文庫の新刊を買ったのは若松英輔の解説を読みたかったから。
若松英輔はずっと読まず嫌いでいる。関心領域は重なっているけど、著書が多く、どれから読んだらいいかもわからず、新聞のコラムを読んだときにも何となく波長が合わない気がして手を出さないでいた。
本書の解説は読んでよかった。重吉の内村鑑三への傾倒や、同じキリスト教徒の舟越保武が重吉を高く評価していたことなど、新しい知識を得た。
若松は重吉をまず宗教詩人と見たうえで、「在る」という概念を探究した哲学詩人とも見ている。この見方はよくわからない。重吉の世界から逸脱しているようにも感じる。
私は、「ぐさり! と/やってみたし」(「人を殺さば」)や「このちちを みよ/なきもせぬ/わらいも せぬ わ」(『哭くな 児よ」)などに垣間見える、重吉のある意味、人間臭い面に注目する郷原宏の解説に共感する。激情や苦悩があるからこそ信仰や抒情が輝く。
八木重吉とは一見、正反対に見える石原吉郎が遠い関係にあるようには、私は思わない。情念という鏡に映った逆さまの像のように感じる。
さくいん:八木重吉、内村鑑三、舟越保武、石原吉郎
「過去相に生きる」の実例として、吉田満の生き方が挙げられる。
戦艦大和の特攻の生き残りであった吉田は特攻体験を忘れることなく、その体験を言葉にした『戦艦大和ノ最期』を原点にして戦後を生きた。
無謀だった特攻作戦や亡くなった戦友たちのことを何度も文章にしている。自己批判すべきところは厳しく批判し、一方で、擁護すべきところでは戦中派に対する批判に反論もした。
また戦争体験を軸として、高度成長を遂げる日本社会へさまざまに警鐘を鳴らした。
森有正の生き方がそうだったように、吉田満の「過去相に生きる」姿勢にも、死別体験が大きな影響を与えている。死別や喪失の体験、とりわけ思春期から青年期の初め頃に受けた戦争や災害、自死など過酷な体験はその後の生き方に大きな影響を与えるのだろう。
言葉を換えれば、若いときに強烈な喪失体験をしていない人にとっては、「過去相」という言葉は胸に響かないかもしれない。
そういう意味で、「過去相」は「悲しみ」「悲嘆」「グリーフ」と言い換えてもいいだろう。とはいえ、大きな悲しみを知らずに成長して大人になる人もいる。
それはそれで問題ない。人はそれぞれ自分の体験を深めていくことでしか思想、あるいは森有正の言う経験にはたどりつけないのだから。
「過去相」という言葉が響かない人は、何か別の概念を柱にして自分の思想を深めていけるだろうし、そうしなければならない。
さくいん:吉田満、森有正、悲嘆