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断片集

1.子育てについて
2.患者さんは先生です
3.騎手と馬
4.病気がなかなか良くならないのは何故ですか?
5.引き受ける精神−1
6.引き受ける精神−2(雄雄しさと女々しさ)
7.引き受ける精神ー3(死にたがるあなたへ)
8.白い満足、黒い満足−1
9.「頑張る」ということ

断片集−その1

■子育てについて

私が直接経験した範囲にかぎっても,子育ての悩みを持つお母さんは,とても多いです。

子供をどうしても叱ってしまうと,あるお母さんはいいます。「そんなことぐらいで叱らなくてもいいのではないか」と夫にいわれたりします。しかし,ふだん夫のサポートが少ないという思いがあるので,かえって反発を感じます。いらいらしたり,気が滅入ったりするだけで,励みになりません。自分でもそんなふうにはしたくないのです。もっと穏やかにいってやれるようにと思うのです。しかし,できないのです。

お母さんの怒りと悩みは二つの方向に向かいます。叱り過ぎる自分と,いうことを聞かない子供と。子供がお母さんのいうことをきちんと守ってくれさえすれば,お母さんも目くじらを立てることはなくなるのです。そういう思いがあるので,自分の怒りが正当化されます。そして正当化されているかぎりは,このジレンマはつづくと思います。

お母さんが,我が子にいい子になってほしいと願うのは,一見すると無理がないように思えます。しかし,いい子とはどういうことなのでしょう。親の願いどおりの子になるということでしょうか,それとも子供が自分の幸せをつかみ取る,そういう能力を身につけるということでしょうか。いうまでもなく両者のあいだには,天と地ほどの差があります。

子供の幸福を願わない親は,ふつうに考えればいないでしょうが,親の側に盲点があれば,実際上,子供を不幸にしてしまいます。そういう例は決して少なくないのです。親の側で,自分の大人性に問題をかかえたままでいると,自分の未熟さに補いをつけようとするかのように,子供に大人性を無意識的にもとめるようになるのです。それで,子供の未熟なところ,よその子に劣っているように感じられるところに神経質になります。お母さんが,自分の未熟なところを自分で認め,受け止めるることができていれば,「私がこんなだから」と笑って我が子の未熟さに寛大になれるかもしれません。そういう態度自体が立派に大人の姿勢だと思います。未熟であるのは善悪の問題ではなく事実の問題です。子の未熟は親の未熟の反映という側面もあるかもしれません。いずれにしても親子の共通の課題です。叱ってすませるのはお門違いということになるのではないでしょうか。

問題があれば,まずは受け止める。それが原則です。解決の第一歩です。

おとなしく親のいうことを聞く子より,反抗的な子のほうが問題の解決にいたりやすいものです。親としても叱って解決できることではないので,真剣に問題を受け止めようとするしかないからです。子供がおとなしくいうことを聞いてくれれば,親は反省する機会がなかなか持てないので,子の犠牲(我慢に我慢を重ねるのが性分となるような)において,親の満足があるということになりかねません。親はもちろんですが,子もうまくいっていると思おうとしたり,いっても聞いてもらえないとあきらめる癖が身についていたりします。

子供は自分の力で伸びていきます。親が手を引っ張って伸ばすのではありません。ずいぶん幼くても,自分の中に伸びる芽があり,自分の力で伸びていくと考えて間違いがないと思います。問題が起こるとすると,親がしてはならない介入をしたときです。子供の伸びる芽を邪魔しない環境を作ってあげるためには,親の本物の愛情と信頼が欠かせません。そしてそれは容易なことでもありません。むしろ甘すぎたり,厳しすぎたり,環境破壊をしてしまうことの方が多いだろうと思うべきです。親はなんといっても子に対して権力者です。権力を持つものは力をふるいたくなるものです。力にものをいわせようとするときに,たぶん環境破壊をはじめていると思います。

H14/02/27


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