1.子育てについて
2.患者さんは先生です
3.騎手と馬
4.病気がなかなか良くならないのは何故ですか?
5.引き受ける精神−1
6.引き受ける精神−2(雄雄しさと女々しさ)
7.引き受ける精神ー3(死にたがるあなたへ)
8.白い満足、黒い満足−1
9.「頑張る」ということ
Cさんは,絶えず死にたいという気持ちに悩まされています。それなりのいきさつもあって,薬の効果にも限界があります。Cさんは,どうしたらよいのでしょうか?
繰り返しになりますが,人を人として特徴づけるのは,自我といわれているものです。このあたりの事情は比喩をまじえていえば,次のようになります。
人の誕生は,いわば神様が,「これ(自我)を授けるから,この先は自分の力で生きていきなさい」といっているような出来事です。自我はいうまでもなく人間が創り出したものではなく,われわれの知恵のおよばない理由で人間に備わっています。人知を超えた理由ですから,それを例えば神という言葉で表しておくのも,荒唐無稽ということはないだろうと思います。
この契約はしかしながら一方的で,赤ん坊の方は引き受けたつもりがないという事情があります。しかし相手が人間であれば不当な契約ということになるのですが,神であればそうはいきません。とにもかくにも人間であれば,自我による私という現実は歴然としてあるので,「授ける」ということに対して,「分かりました,引き受けます」というしかないのです。引き受けるというのは,自分にふりかかる一切をという意味です。これが雄雄しい精神です。
そのようにして人間としての心の旅路がはじまるのですが,自我を授けた神はどうするかといえば,心の無意識の領域に座して,沈黙のうちに自我の仕事を見つめることになります。
ところで先ほども述べたように,一方では引き受けたつもりがないという事実があります。そして引き受けないというのはどういうことかといえば,死ぬということです。神に向かって文句もいえないので,母親に向かって,なぜ生んだのかなどと食って掛かることも起こります。ところが母親としては,全責任を負うという立場にはありません。父親としても同様です。それぞれの責任はあるにしても,本人が自分の責任において引き受ける精神がなければ,この問題の根本解決は望めません。引き受けない心は,いわば神に対しての異議申し立てということになり,神罰としての死があることになるといえるでしょう。だから死は容易ならぬ問題であり,恐るべきものという性格を持ちます。引き受けないわけにはいかないものを引き受けたくないというのは,女々しい精神です。
引き受けるかぎり自我は仕事をします。そして引き受けたくないかぎり自我は機能しません。無意識に座する神は,自我が神の意志を体現しつつある様子を見守ります。それは公正無私で,ある意味で呵責ないものにもなります。
引き受けない自我は次のようにして問題を抱えることになります。
例えば2歳の子(D)が兄(姉)になったとします。甘えたい盛りで母親を奪われたことになります。弟(妹)が眠っているときにDが母親の膝に乗ろうとします。ところが疲れている母親にうるさがられます。何度かそういう目にあっているうちに,Dは甘える心を断念します。それは2歳の自我が甘える心を引き受けなかったことを意味します。いうならば自我が,甘えたがる心を無意識という牢屋に閉じ込めてしまうのです。年齢を考えれば責められないのですが,理不尽なことをしたことになります。自我に引き受けられなかった心は,死ねといわれたのに等しいのです。
このような分身たちは,誰の場合でも作り出されます。それは自我に拠る人間の宿命です。これらの影の分身たちが一大勢力になると,自我の自立性自体があやしいものになります。それを内在する神なる主体の視点からすれば,自己の達成が由々しいことになり,見離されることになっていきます。自分自身が自分を見離すともいえるでしょう。言葉を換えれば,人生の大道で自分を見失うことになります。
死にたくなるときには,必ずこのような(引き受けられない)心の状況ができていると思います。そしてこのような心の状況では,さまざまな形で母親,ないしは父親に大きく気を取られていると思います。それらの親子関係での何らかの重圧のために,自分のために生きる,という当然のことができなくなるともいえるでしょう。
こういうときにどうするべきかといえば,答えは常に一つしかありません。自我が引き受ける以外に手はないのです。なにを引き受けるのかといえば,影の分身たちをです。
分身たちは,死ねといわれたのに等しいものたちなので,怒りとともに死を志向しているのです。自我はもはやそれに対応する力を持てないと感じたときに,死を意識すると思います。そのような状況にある自我はほとんど機能が固化しています。いわば自由な自我が不在になるのです。この機能が賦活しなければならないので,さしあたり力をふりしぼって,「死ぬわけにはいかない,いまはその力がないが,あなたたち分身を引き受けるつもりだ,しばらく待ってほしい」と影の分身たちに言明してほしいと思います。そして,死を志向する心の動きを見張り,可能なかぎりそれを排除する仕事が求められます。心が生きていこうとする精神で統一されるにつれ,自我の機能が回復されていくでしょう。そうであれば,自ずから生きるために有用な心の動きがはじまるはずです。そうすることで,一旦は知らずに死ねといってしまったものたちを,改めて救い出す決意を固めることになります。
‘05/09/14