滋賀の民家
大角家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和29年3月20日指定) 国指定史跡 (昭和24年7月13日指定) 滋賀県栗東市六地蔵402 建築年代/江戸時代(17世紀末1684-1693) 用途区分/商家・茶屋本陣(薬製造販売) 指定範囲/主屋・正門 公開状況/非公開 旧東海道の草津宿と石部宿の間ノ宿となる六地蔵集落に所在する町家建築である。和中散本舗と称して道中携行薬の製造販売を行う一方、茶屋本陣としても利用され、東海道名所図会に描かれる程の存在であった。実際その規模・造作は相当なもので、桁行10間、梁間8間に及ぶ主屋には街道に面して30畳大の広大な西ミセが設けられるとともに、土間を挟んだ東ミセには製薬機械を置いて実演販売を行ったとのことである。外観的にも主屋前面の小庇を受ける出桁の肘木や持送り等には繰形彫刻が施されるなど手の込んだ意匠が散見され、日本を代表する町家建築といっても過言ではないだろう。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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大角家住宅 (隠居屋) |
国指定重要文化財 (昭和29年3月20日指定) 滋賀県栗東市六地蔵568 建築年代/享保19年(1734) 用途区分/商家隠居所 指定範囲/隠居所 公開状況/非公開 前項の「和中散本舗・大角家住宅」の隠居所である。 主屋の道路を隔てた向かいに建てられており、指定外ではあるが馬繋ぎや薬師堂なども残る。主屋が本陣として使用された際の家族の避難所として利用されたと伝えられるが、式台玄関を構える本格的な建築は目を見張るものがある。 |
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辻家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和43年4月25日指定) 滋賀県長浜市西浅井町祝山282 建築年代/江戸後期 用途区分/農家(庄屋) 指定範囲/主屋・表門・南蔵・前蔵 公開状況/非公開 琵琶湖の最北端に位置する塩津湊の後背地に位置する祝山集落に所在する旧庄屋屋敷である。江戸初期に河村瑞賢により西廻り航路が開発されるまでは北国の諸産物は敦賀湊に揚がり、塩津街道を経て塩津湊から大津・京へと運ばれた。謂わば物流の大動脈が、この地に敷かれていた訳であるが、現在においてはその面影は殆ど無い。ただ、当住宅の存在を見るときに、一介の庄屋屋敷としては、非常に格の高さを感じるものがある。祝山は大和郡山藩の飛び地支配を受けた土地柄で、当家は代々、同藩の海津代官所に出仕していたという。大和郡山藩は、老中職を輩出した柳澤家が配された譜代中藩で、交通の要衝地であり、幕府中枢の支配地であった場所の庄屋職として、特別な存在であったのではないかと思うのは穿ち過ぎであろうか。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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田中家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和43年4月25日指定) 滋賀県長浜市西浅井町集福寺695 建築年代/明和5年(1768) 用途区分/農家(庄屋) 指定範囲/主屋 公開状況/非公開 滋賀県の最北部、福井県との県境付近の集福寺集落に所在する農家建築である。琵琶湖に面する最北端の町・塩津から敦賀に抜ける塩津街道を少し脇に入った位置にある。集落内を縦貫する道路よりも、一段高くなった谷間の平坦地に屋敷はあり、本来、茅葺であった屋根は、現在はトタン板で覆われているため、国の重文指定民家だとは気付かずに通り過ぎる程に地味な様子であるが、茅葺職人の少なくなった今の時代、豪雪地帯にあって茅屋根の傷みが早い状況を勘案すると止むを得ないことなのかもしれない。主屋は琵琶湖北方にのみ見られる余呉型に分類されるもので、入母屋造、妻入の形式を採り、土間と床上部の間に、ニウジと呼ばれる土座が設えられている。建築年代も明確であり、余呉型民家の完成形として貴重とされている。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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中村家住宅 | 国指定重要文化財 (平成30年8月17日指定) 滋賀県長浜市八木浜町809 建築年代/宝暦14年(1764) 用途区分/農家(代官) 指定範囲/主屋・表門・土蔵・馬小屋 公開状況/非公開 琵琶湖の北東岸、奥伊吹山塊を源とする姉川の河口北側の八木浜集落に所在する旧代官屋敷である。集落中央部に位置する当屋敷は、東西約60m、南北115mにも及ぶ広大な敷地を有し、今は北西辺にのみ残る石垣と水路は、嘗て屋敷全周を廻り、威容を誇っていたとのことである。西側には一般の民家の表門としては相応しくない程に立派な欅普請の三間藥医門を構え、その背後に控える長大な東西棟の主屋は桁行12.間半、梁間5間にも及ぶ巨大な建築である。主屋は地域に特徴的な余呉型に分類される建前で、土間と床上部の境にニウジと称する土座が設けられている。また床上部は六間取となり、余呉型民家としては最大規模となる。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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有川家住宅 | 国指定重要文化財 (平成24年12月28日指定) 滋賀県彦根市鳥居本町425 建築年代/宝暦9年(1759) 用途区分/商家(薬製造販売業) 指定範囲/主屋・書院・薬医門・粉挽蔵・文庫蔵・大蔵 公開状況/非公開 彦根城下より北東郊外に位置する中山道の宿場町・鳥居本に所在する大型町家建築である。当家は健胃薬「赤玉神教丸」の製造販売元として知られ、名所図会にも掲載される程の存在であるが、家伝によれば万治元年(1658)に隣町に鎮座する多賀大社の神託を受けて商売を始めたとのことである。南北に伸びる町場を貫く街道が東へ鍵手に折れる正面位置に屋敷を構え、街道を北進してきた旅人は必ず当家の豪壮な佇まいを正面に見ながら往来することになる。また、規模も然ることながら軒下の木鼻に寺院建築で見られるような獅子の彫刻を施す意匠の存在にも驚かされる。時々に古写真で藩政期の建物ながら異様な意匠の商家建築が嘗て有ったことを知ることがあるが、当住宅もその一端を担うかのような存在である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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宮地家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和43年4月25日指定) 滋賀県蒲生郡安土町下豊浦6839 近江風土記の丘内 (移築) 旧所在地/滋賀県長浜市国友388 建築年代/宝暦4年(1754) 用途区分/農家 指定範囲/主屋 公開状況/公開 琵琶湖東岸の県北地域は入母屋造妻入民家の分布地帯として知られる。いわゆる余呉型と称される様式であるが、建築年も判明する当住宅は小規模ながらその典型として高い評価を受けている。現在は安土町の近江風土記の丘に移築されているが、旧所在地では妻側の大戸口は主屋側面部に移され平入りの建物に改造されていたらしい。地域特有の建前よりも利便性が優先された結果の改造だったのであろうかと思う一方、土間に接するニウジと称する居間は土座のままに残されており、昭和44年の移築時まで床板も張らずに往時の姿で生活が続いていたようである。大壁造で閉鎖的な寒冷地民家としての特徴を備え、桁梁の架構等も豪壮で、見るべきものが多い民家である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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西川家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和58年1月7日指定) 滋賀県近江八幡市新町2-19 建築年代/宝永3年(1706) 用途区分/商家(蚊帳販売業) 指定範囲/主屋・土蔵 公開状況/公開 一時は豊臣家の後継にも補された関白秀次公の居城であった八幡城の城下町として発展した近江八幡は、彼の失脚とともに城は破却されたが、近江商人の本拠地として藩政期を通じて繁栄を維持した。当住宅はその近江八幡の旧市街、新町通沿いに東面して建つ商家建築で、城下町の創設当初から当地に住んだという。屋号は大文字屋を称し、昭和初期まで主に畳表や蚊帳などを扱い、京や大坂、江戸にまで出店を持った程の豪商であった。しかしながら主屋の建前は県内街道筋の名物的な大店建築と比較すると装飾もなく、至って簡素である。 |
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田中家住宅 (草津宿本陣) |
国指定史跡 (昭和24年7月13日指定) 滋賀県草津市草津1-2-8 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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西川家住宅 | 滋賀県指定文化財 (昭和58年3月28日指定) 滋賀県近江八幡市新町2-8 建築年代/ 用途区分/商家(蚊帳販売業) 指定範囲/主屋・でみず間・化粧間・表土蔵 公開状況/非公開 近江商人が活躍した在郷町として重伝建地区に選定される近江八幡市八幡地区内に所在する商家建築である。国指定重文の西川利右衛門家住宅の道を挟んだ向いに所在しており、2代目西川利右衛門の子・庄六を初代とすることから本家分家の関係にあったことが判る。 |
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藤井彦四郎邸 | 滋賀県指定文化財 (平成13年3月19日指定) 滋賀県東近江市五個荘町宮荘681-2 建築年代/昭和8年(1933) 用途区分/実業家(毛糸製造) 指定範囲/客殿・洋館 公開状況/公開 【五個荘町歴史民俗資料館】 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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伴家住宅 | 近江八幡市指定文化財 滋賀県近江八幡市新町3-15 建築年代/江戸後期 用途区分/商家(麻布・畳表・蚊帳等の販売) 指定範囲/ 公開状況/公開 旧伴庄右衛門家の本邸。 屋号は扇屋、寛永年間には江戸日本橋に出店し、麻布や畳表、蚊帳などを販売した。当住宅は7代目・庄右衛門能尹によって文政10年(1827)〜天保11年(1840)の年月を費やして建てられた。 明治になって八幡町に譲渡されて以降、小学校、役場、女学校となり、戦後は近江兄弟社の図書館、八幡町の図書館などに利用された。 |
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諏訪家住宅 | 守山市指定史跡 (昭和52年4月30日指定) 滋賀県守山市赤野井町171 建築年代/江戸中期 用途区分/大庄屋 残存建物/主屋・書院・茶室・表門・土蔵 公開状況/公開 JR東海道本線の守山駅から北西4km程に位置する赤野井集落は、琵琶湖の干拓が進んだ現在では想像が付きにくいが、嘗ては湖岸交通の湊町として賑わった土地柄である。集落内には巨大な真宗本願寺の東西の両別院が置かれていることからも、単なる田園地帯の小村ではないことが窺い知れるところである。信州の名門・小笠原家の流れを汲むとされる当家の祖先・諏訪左近将監永治が、此の地に土着したのは室町時代の永正年間(1500頃)のことで、藩政期に淀藩の飛び地となって以降においては、代々大庄屋職を務めた。表門を潜り屋敷内に歩を進めると正面には茅葺入母屋屋根の主屋が建つ。主屋は江戸後期の文化年間に建てられたとされるが座敷は整えられてはおらず、主屋北脇に書院座敷が別棟で建つ。それ故に土間の架構を含めて直感的には建築年がもう少し遡るような印象である。大津円満院から明治年間に移築された茶室も見応えがあり、見所の多い民家である。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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善利組 太田家住宅 |
彦根市指定文化財 (平成17年2月13日指定) 滋賀県彦根市芹橋2-4-58 建築年代/江戸後期 用途区分/武家(足軽) 指定範囲/ 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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善利組 磯島家住宅 |
彦根市指定文化財 (平成21年2月13日指定) 滋賀県彦根市芹橋2-5-16 建築年代/江戸後期 用途区分/武家(足軽) 指定範囲/ 公開状況/公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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善利組 林家住宅 |
彦根市指定文化財 (平成21年2月13日指定) 滋賀県彦根市芹橋2 建築年代/天明7年(1787)以前 用途区分/武家(足軽) 指定範囲/ 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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善利組 椿居家住宅 |
彦根市指定文化財 (平成23年3月9日指定) 滋賀県彦根市芹橋2 建築年代/江戸後期 用途区分/武家(足軽) 指定範囲/ 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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善利組 吉居家住宅 |
彦根市指定文化財 (平成23年3月9日指定) 滋賀県彦根市芹橋2 建築年代/江戸後期 用途区分/武家(足軽) 指定範囲/ 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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善利組 村山家住宅 |
彦根市指定文化財 (平成23年3月9日指定) 滋賀県彦根市芹橋1 建築年代/江戸 用途区分/武家(足軽) 指定範囲/ 公開状況/非公開 |
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馬場家住宅 | 彦根市指定文化財 (平成24年3月6日指定) 滋賀県彦根市高宮町 建築年代/天保4年(1833) 用途区分/商家(呉服商)・大庄屋 指定範囲/主屋・文庫蔵・道具蔵・新蔵 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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岩根家住宅 | 彦根市指定文化財 (平成26年3月17日指定) 滋賀県彦根市鳥居本町 建築年代/嘉永3年(1850)以前 用途区分/合羽製造 指定範囲/ 公開状況/非公開 彦根市東郊の鳥居本宿内に所在する商家建築である。当家は合羽の製造販売を生業としていたとのことであるが、京を起点とする中山道が平野部を通ってきた近江路から、山がちで、雨の多い木曽路に入るため、旅人は挙って合羽を手当したらしく、往時には宿内に十数件の合羽製造業者がいたと記録されている。そもそも鳥居本宿で合羽が名物となった由縁は、保湿性と防水性を高める工夫として弁柄を混ぜた柿渋を合羽に塗布したことにあり、それ故に江戸時代には当地の名物として「鳥居本宿の三赤」として赤玉神教丸、西瓜と並び称されたとのことである。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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市田家住宅 | 東近江市指定文化財 (平成17年1月13日指定) 滋賀県東近江市五個荘北町屋町201 建築年代/明治11年 用途区分/商家(呉服繊維商) 指定範囲/主屋・表蔵 公開状況/公開 【萬松園・市田庄兵衛家住宅】 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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山中家住宅 (山中正吉邸) |
日野町指定文化財(平成27年3月31日指定) 滋賀県蒲生郡日野町西大路1264 建築年代 用途区分/商人本宅 指定範囲/ 公開状況/公開【近江日野商人ふるさと館】 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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森本家住宅 | 登録有形文化財 (平成23年7月25日登録) 滋賀県大津市浜町33-1 建築年代/嘉永2年(1849) 用途区分/ 登録範囲/主屋・門塀 公開状況/非公開 |
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奥村家住宅 | 登録有形文化財 (平成29年10月27日登録) 滋賀県大津市長等2-408-1 建築年代/昭和10年(1935) 用途区分/ 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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木村家住宅 | 登録有形文化財 (平成24年8月13日登録) 滋賀県大津市長等2-809 建築年代/明治前期 用途区分/ 登録範囲/主屋・土蔵 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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豆信 | 登録有形文化財 (平成23年10月28日登録) 滋賀県大津市長等3-308 建築年代/大正7年(1918) 用途区分/料亭 登録範囲/料亭棟・門塀・蔵 公開状況/料亭として営業中 |
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初田家住宅 | 登録有形文化財 (平成22年4月28日登録) 滋賀県大津市中央2-14 建築年代/江戸末期 用途区分/ 登録範囲/主屋・土蔵・塀 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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佐野家住宅 | 登録有形文化財 (平成22年4月28日登録) 滋賀県大津市中央2-6 建築年代/天保9年(1838) 用途区分/ 登録範囲/主屋・土蔵 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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川村家住宅 | 登録有形文化財 (平成29年10月27日登録) 滋賀県大津市中央1-102 建築年代/大正12年(1923) 用途区分/ 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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橋本家住宅 (旧正蔵坊) |
登録有形文化財 (平成25年3月29日登録) 滋賀県大津市小関町88 建築年代/正法元年(1644) 用途区分/旧宿坊 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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旧中島家住宅 | 登録有形文化財 (平成19年10月22日登録) 滋賀県栗東市小野223-8 栗東歴史民俗博物館内 (移築) 旧所在地・滋賀県栗太郡栗東町大字霊仙寺591番地 建築年代/江戸末-明治初頭 用途区分/農家 指定範囲/主屋 公開状況/公開 当住宅は現在のJR草津駅の北方2km程の霊仙寺集落に所在していた中規模農家建築で、初代当主が同じ霊仙寺村から隠居分家して米屋を営んだ屋敷であったとのことである。建築年代が比較的新しく、整形四間取りの完成された平面構成となるが、土間内の厩の位置が通常は大戸口脇に設けられることが多い中で、土間奥に配されているのは米屋を営むうえで土間を店先や作業場として利用したためと推測されている。また居室部上手の座敷の脇に縁側を設けているが、縁先の柱間は土壁で閉じられており、少し不可解な造作も見られる。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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山中家住宅 (山中兵右衛門邸) |
登録有形文化財 (平成10年1月16日登録) 滋賀県蒲生郡日野町大窪110 建築年代/昭和11年(1936) 用途区分/商人本宅 登録範囲/主屋・表門・西蔵・東蔵・井戸屋形・物置 公開状況/公開【近江日野商人館】 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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正野玄三薬店 | 登録有形文化財 (平成11年11月18日登録) 滋賀県蒲生郡日野町村井1284 建築年代明治初期 用途区分/薬商 登録範囲/店舗・東蔵 公開状況/公開【日野まちかど感応館】 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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奥野家住宅 | 登録有形文化財 (平成24年8月13日登録) 滋賀県彦根市本町2-102 建築年代/安政2年(1855) 用途区分/公事宿・醤油醸造業 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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森家住宅 | 登録有形文化財 (平成25年6月21日登録) 滋賀県彦根市芹町7-14 建築年代/江戸末期 用途区分/商家 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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石橋家住宅 | 登録有形文化財 (平成25年6月21日登録) 滋賀県彦根市芹町11-1 建築年代/江戸末期 用途区分/商家 登録範囲/中主屋・東主屋・西主屋・中蔵・東蔵・西蔵・南蔵・北塀・西塀・南塀・庭塀 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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成宮家住宅 | 登録有形文化財 (平成25年6月21日登録) 滋賀県彦根市鳥居本町1669 建築年代/明治36年(1903) 用途区分/商家 登録範囲/主屋・土蔵 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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百々家住宅 | 登録有形文化財 (平成22年9月10日登録) 滋賀県彦根市鳥居本町1804 建築年代/江戸末期 用途区分/商家 登録範囲/主屋 公開状況/蕎麦屋として営業中 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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ダイコウ醤油 | 登録有形文化財 (令和元年9月16日登録) 滋賀県長浜市木之本町木之本1137 建築年代/江戸末期 用途区分/商家 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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冨田酒造 | 登録有形文化財 滋賀県長浜市木之本町木之本1107 建築年代/延享元年(1744) 用途区分/酒造業 登録範囲/主屋 公開状況/酒造店として営業中 彦根市東郊の鳥居本宿から北陸方面に分岐する北国街道の木之本宿に所在する酒造屋敷である。道幅も広く、堂々たる町屋が数多く残る宿場内にあって、間口の広さだけでなく、主屋の建前から一際異彩を放つ存在である。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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大村家住宅 | 登録有形文化財 (平成10年10月9日登録) 滋賀県高島市マキノ町白谷343 建築年代/江戸後期 用途区分/庄屋 登録範囲/主屋・土蔵 公開状況/公開【白谷荘民俗資料館】 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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旧竹中家住宅 | 登録有形文化財 (平成15年1月31日登録) 滋賀県坂田郡伊吹町甲津原897 建築年代/江戸後期 用途区分/山村農家 登録範囲/主屋 公開状況/公開【奥伊吹ふるさと伝承館】 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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伊藤家住宅 (伊藤忠兵衛邸) |
無指定・公開 滋賀県犬上郡豊郷町八目128-1 建築年代/明治15年 用途区分/商人本宅 公開状況/公開【伊藤忠兵衛記念館】 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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又十屋敷 (豊会館) |
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小林家住宅 | 無指定・公開 滋賀県東近江市小田苅町473 建築年代/ 用途区分/織物卸業・金融業 残存建物/ 公開状況/公開 【近江商人郷土館】 豪商・小林吟右衛門の屋敷跡。丁子屋の屋号を称したため丁吟の名で全国的に知られた。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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外村宇兵衛家 | 無指定・公開 滋賀県東近江市五個荘金堂町645 (近江商人屋敷) 建築年代/万延元年(1860) 用途区分/商人本宅(呉服商) 公開状況/公開 滋賀県の中央部に位置する五個荘町の金堂地区は多くの近江商人を輩出した町として知られる。そもそも町の発展は大和郡山藩の飛地支配のために陣屋が置かれたことに始まるらしいが、江戸や京・大阪に出店を構えて豪商へと発展を遂げた地元出身の商人たちが故郷に本宅を持ち続け、美しい日本庭園を備えた広大な邸宅を構えたため独特の屋敷町が形成されている。特に呉服類の販売で財をなした外村一族の屋敷は本分家共に何れも素晴らしく、当住宅も文化10年(1813)に独立した宇兵衛家が全国長者番付に名を連ねた明治期に建てたものである。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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外村繁家 | 無指定・公開 滋賀県東近江市五個荘金堂町631 建築年代/ 用途区分/商人本宅(呉服木綿問屋) 公開状況/公開 天秤棒を肩に担いで全国津々浦々を廻ったと云われる近江商人は、時代によって微妙に出身地が異なっていたらしい。江戸初期には八幡、中期には日野、後期には五個荘の商人がそれぞれ活躍の中心になったという。当家は江戸後期に本家から独立して呉服販売業を営んだ外村宇兵衛家から更に明治40年に分家して呉服木綿問屋を営んだという新興の近江商人で、それゆえに屋敷の保存状態が非常に良い。当家から昭和初期の文壇で活躍した外村繁が出たことから「外村繁文学館」の名称で公開されている。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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中江家住宅 | 無指定・公開 滋賀県東近江市五個荘金堂町643 建築年代/ 用途区分/実業家本宅(百貨店経営) 公開状況/公開 近江商人の本宅が建ち並び重伝建地区にも選定される五個荘町金堂地区は、実は江戸後期から呉服商として活躍した外村一族と、明治末期から昭和初期にかけて百貨店王の異名を取る程に急成長した中江一族を双璧とする巨大な屋敷群から構成されていると云っても過言ではない。当住宅は戦前に海外を中心に13店舗を数える程の規模を誇った三中井百貨店の創業者・中江勝治郎の五男・準五郎が分家した際に建てたもので、その時代性の相違もあって外村一族の邸宅とは異なる趣が楽しめる近代和風建築である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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中江富十郎家 住宅 |
無指定・公開 滋賀県東近江市五個荘金堂町904 建築年代/ 用途区分/実業家本宅(百貨店経営) 残存建物/主屋・表門 公開状況/公開 【まちなみ保存交流館】 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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安藤家住宅 | 無指定・公開 滋賀県長浜市元浜町8-24 建築年代/ 用途区分/商家(町年寄) 残存建物/ 公開状況/公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |