安藤家住宅 Andou ![]() |
無指定・公開 滋賀県長浜市元浜町8-24 建築年代/明治38年(1905) 用途区分/呉服商 公開状況/時期を定めて公開 長浜城下町の形成は豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)が主君・織田信長より長浜領の統治を拝命したことに始まる。秀吉は天正2年(1574)に城下町の整備を始めるが、天正10年(1582)に信長が本能寺の変により自害すると、秀吉は最古参の重臣であった柴田勝家を賤ヶ岳合戦で破り、信長の後継として天下人への階段を一気に駆け上ることとなる。秀吉は大局的な見地から大坂に拠点を移すこととしたが、出世城となった長浜の地に対しては町人自治を前提として商業の発展を促す政策を温存させたようである。その際に町場の自治を担ったのが城下49町を10組に分けて置かれた町年寄10家で、俗に長浜町年寄十人衆と称された存在であった。具体的には本町の宮部・西村・下村・田辺家、呉服町の安藤家、大手町の樋口・大依・川崎家、魚屋町の今村家、舟町の吉川家である。江戸時代には長浜町は彦根藩領に組み込まれることとなったが、彦根城下に次ぐ在町として代官は派遣されるものの、実質的には十人衆による自治が認められたようである。 安藤家は、3代目・安藤祐正が賤ヶ岳合戦で功績を挙げたことで、町年寄衆に加えられた家柄で、江戸中期の寛保2年(1742)に十人衆から絶家が相次ぐと、三年寄制が導入され、十人衆の中から下村藤右衛門家・安藤九郎右衛門家・吉川三左衛門家の有力3家が束ね役として選ばれることとなる。 明治以降は呉服商として東北地方に事業展開し、特に安藤芳兵衛(中村治郎兵衛)が1874年、福島市荒町に開いた中村呉服店は、中合百貨店と改称し、昭和48年に福島駅前に移転後、令和の時代まで続いたことで知られる。(2020年8月31日閉店) 主屋は明治38年~大正4年にかけて建築されたもの。離れの小蘭亭は北大路魯山人が天井絵や篆刻の額、襖障子に絵を描いたことで独特の空間を醸す存在。 |