藤井彦四郎家住宅 Fujii |
滋賀県指定文化財 (平成13年3月19日指定) 滋賀県東近江市五個荘町宮荘681-2 建築年代/昭和8年(1933) 用途区分/実業家(毛糸製造) 指定範囲/客殿・洋館 公開状況/公開 【五個荘町歴史民俗資料館】 藤井彦四郎は、明治32年(1899)、23歳で分家して明治40年(1907)に藤井糸店を創業しました。さらに朝鮮に出店し、撚糸の特許権を取得して絹紡糸(生糸の屑を紡績した糸)の縫糸「鳳凰印の小町糸」や化学繊維「人造絹糸」を発売、「スキー毛糸」の製造を行うなど持ち前の進取の気性で一代で成功しました。屋敷は敷地総面積8155㎡、建物面積710㎡に及び、特に庭園は彦四郎自身の構想で珍石・名木を配し、琵琶湖を模した池を中央に設け、雅趣に富んだ雄大なものです。建物は豪華な総檜造の客殿と、彦四郎の生家を移築した生活の場となる本屋から成り、本屋は質素な建前で、その生き様を感じることができます。(地元発行パンフレットより改訂) 当館は藤井家にとり由緒ある土地、建物で今回、五個荘町歴史民俗資料館として新装公開することになりました。藤井彦四郎翁は生粋の近江商人で明治9年9月29日当時の北五個荘村大字宮荘で生を受けられました。同家の先祖は、享保年間に宮荘の篤農家・彦六を以って遠い祖とし、幼名千次郎が長じて初代善助と称したのが藤井家の始祖であり、4代善助の弟が彦四郎の名を興し、本家の横に家屋を買い求め、以来昭和7年までそこに住み、同年この土地を選び、生家を忘れないため建物全部を原形のまま移築すると共に増築したものであります。 その敷地総面積8155.37㎡、建物面積710.08㎡に及び、特に庭園は翁独自の構想であり、雄大で雅趣に富み、大自然を模して珍石、銘木を配し池に麗水をたたえ、数寄を凝らした借景庭園は田舎では珍しく一大偉観を呈し、素人離れをした趣味の持ち主であったことを窺い知ることができます。【現地案内看板より一部改編】 敷地内主屋建物について この主屋は明治32年(1899)藤井彦四郎翁の24歳の年、厳父(3代目・善助)が翁のために、本家の横裏に家屋を買入れ、住居に充てたものです。翁にとっては結婚以来、昭和7年まで足掛け34年間、翁の本拠でした。昭和7年に現在地に移築を計画し、昔を忘れぬため建物全部を原形のまま移築し、修築を行ったもので建物総坪数は398.8㎡(120.85坪)で明細は次の通りです。 木造瓦葺平屋建住宅 1棟 255.8㎡(77.5.坪) 木造瓦葺平屋建浴室便所 1棟 10.7㎡(3.27坪) 木造瓦葺2階建倉庫 1棟 25.9㎡(7.87坪) 木造亜鉛葺平屋建物置 1棟 28.2㎡(8.56坪) 木造瓦葺き2階建物置 1棟 31.5㎡(9.56坪) 外2階 20.4㎡(6.19坪) 合計 398.8㎡ (120.85坪) その後、奥座敷棟1棟を増築し、今日に至っています。建物は、江戸時代の寛政年間のものであると云われています。 【現地案内看板より】 藤井彦四郎家の家訓 スキー毛糸で知られた藤井彦四郎の祖・初代藤井善助は、天明2年(1782)に神崎郡北庄村(現・五個荘町宮荘)に生まれました。早くより干旱の害多い同地の農業で一家を興すことは不可能と悟り、商いで立身することを決意。苦労を重ね他家奉公から独立して天保12年(1841)京都に店を持ちました。藤井彦四郎は3代目善助の子として明治9年(1876)に生まれ、兄・4代目善助を助けて明治35年(1902)に呉服太物を扱う藤井西陣店を開店します。日露戦争後の不況期にフランスから輸入した人造絹糸を商う藤井糸店を創業。兄・善助が衆議院議員として政界に進出したため社長に就任。大正7年(1918)に藤井彦四郎商店とし、翌年にヨーロッパとの貿易の欧亜通商株式会社を創立。第一次世界大戦で業績を伸ばしますが、大正9年の反動恐慌で大損害を出し、同12年の関東大震災で東京店を全焼。この危機をくぐり抜けるため経営の近代化を図り、個人商店から株式会社藤井商店へ。その後の昭和2年(1927)からの金融恐慌、世界恐慌、昭和恐慌と続く不況期を乗り切り、その後の満州事変を契機とした軍需インフレ政策で業績は回復し、共同毛糸紡績株式会社など数々の会社を設立し、昭和12年(1937)戦時統制経済で国内の企業活動が制約されると活動の場を海外に求め、株式会社藤井洋行を設立しました。 藤井彦四郎の事業に対するモットーは、「現状維持は退歩なり」。彦四郎が店内の反対を押し切って新商品の取扱いを決めた時に次の訓話がありました。「新商品の研究と声ばかり大にして荏苒日を送ることは、水泳の場合、丘の上から水を眺めて思案するに等し。深いだろうか、流れが急だろうか、暖かいだろうか等と小田原評定に過ごしていては、何時まで経っても泳げるようになれない。飛び込むまでは十分な調査もし、研究も必要だが、大体の研究がつけば、思い切って飛び込むことである。時には溺れてアップアップせねばならぬが、この危機を犯してこそ、泳げるようになる。新商品の取扱いに於いても同じことで、取り扱いの前に考えれば考える程、手が出なくなるが、研究を十分にして七分の自信を得れば、思い切って断行せねば何事も出来るものではない。」【現地案内看板より】 |