外村宇兵衛家住宅
Tonomura Uheye



 
初代宇兵衛は6代与左衛門の末子。文化10年(1813)に独立。呉服太物商を営む。
明治29年(1896)の隆盛時には2720uの敷地に主屋・書院・大蔵等十数棟の建物が建ち並んでいた。
主屋は万延元年(1860)の建築。
作家・外村繁家の本家に当たる。

外村宇兵衛
初代外村宇兵衛は、安永6年(1777)、6代目外村与左衛門浄秋の末子として神崎郡金堂に生まれました。外村与左衛門家は、元禄年間(1688〜1703)から近江麻布を姫路・大坂・堺などに行商し、大和郡山などに出店を持つ近江商人でした。宇兵衛は、兄与左衛門得候を助けて京都店を支配。絹布・繰綿などを売買し、事業を拡大しました。文化10年(1813)に分家して独立。本家の商圏であった尾州名古屋と重ならないように京都や上州から呉服類を仕入れ、大坂・堺・和歌山に登せ荷して、毎年40貫目から100貫目の利益を上げました。文政3年(1820)に44歳の若さで没するまでの7年間で、独立当初の資産を約15倍の939貫目にまで増すほどの精進振りでした。
2代目元成は、長浜の商家から養子として迎えられ、初めは養父と同じく大坂・紀州へ行商。弘化2年(1845)には、江戸橘町店を開店して商売の主力を江戸に集中しますが、その後、橘町店が大火で焼失したため、店舗を統合して安政3年(1856)に新大坂店を設けます。大坂に出店した同年8月、宇兵衛家の家訓が記されています。その文章は「凡そ人は忠孝仁義誠の五道に基づかずして諸道成就致し候ためしこれ無し」から始まり、この儒教の教えに絡めて商家の在り方が面々と綴られています。【現地案内看板より】 

五個荘商人を代表する外村宇兵衛家は、近江商人として活躍していた外村与左衛門浄秋(6代目)の末子・嘉久が享和2年(1802)に分家して宇兵衛家を興したものです。文化10年には独立して商いを始め、努力の末に東京・横浜・京都・福井などに支店を有し、呉服木綿類の販売を中心に商圏を拡げました。明治期には全国長者番付に名を連ねるなど近江を代表する豪商としての地位を築きました。屋敷は家業の隆盛と共に数次にわたる新増築が重ねられ、主屋、書院、大蔵など十数棟にわたる建物が建てられていました。また、庭は作庭当時、神崎郡内一番の庭と評される程立派なものでした。しかし残念ながら建物や庭の半分程度が取り壊され、旧状を損なっていました。そこで五個荘町が茶室、四阿を復元、主屋、庭の改修や整備を行い、明治期の姿に修復し、てんびんの里伝統家屋博物館として公開するものです。【近江商人屋敷 現地案内看板より】



 

一覧のページに戻る