由緒
創立の年月を伝えず。一説に世田谷吉良家の家臣で、この地の開拓者川辺某なる者、ある年の夏多摩川大洪水の時、現在地に流れ着いた像を後に神体とし、信州の諏訪明神をあがめ勧請したとのみ伝承されている。この像多摩川上流より流れ着いたので、元に地の方位に向って神祠を西向に建てて祀ったといわれている。昭和49年に社殿と社務所を建築する。
また、平成になり、社殿を再建する。
東京都世田谷区玉川鎮座
御祭神:倉建御名方命(たけみなかたのみこと)
創立の年月を伝えず。一説に世田谷吉良家の家臣で、この地の開拓者川辺某なる者、ある年の夏多摩川大洪水の時、現在地に流れ着いた像を後に神体とし、信州の諏訪明神をあがめ勧請したとのみ伝承されている。この像多摩川上流より流れ着いたので、元に地の方位に向って神祠を西向に建てて祀ったといわれている。昭和49年に社殿と社務所を建築する。
また、平成になり、社殿を再建する。
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