菅公千年祭紀念碑
由緒
『新編武蔵国風土記稿』には「除地一段二畝、村内吉祥院の門前にあり、本社一間に一間半、拝殿二間に一間半、東向きなり、神体は尋常の形にて長さ五寸余り、社前に鳥居を立、祭礼は九月二十五日、本村の鎮守にして吉祥院持、元は西寄りの田間にありしを近村此処へ移す、故に除地は其旧地にあり、社地は吉祥院境内なり、末社稲荷・神明合祀」と記されている。
昔の人々のその能筆ならんことを祈念して社の扉に筆をさげ、祈ったものだが、今はその風習も絶えてしまったという。明治35年村の有志によって建てられた菅公千年祭記念碑がある。
昭和57年に現在の社殿を御造営。