世田谷区喜多見

氷川神社

喜多見 氷川神社

御祭神:素戔嗚尊(すさのおのみこと) / 天照大神 / 稲田姫命

由緒

当社は天平十二年(740)の創建と伝えられているが、延文年間(1356~60)に宮殿大破し、ついで多摩川洪水のため古縁起・古文書など流失して詳細は明らかではない。古く多摩川岸に近いところにあったという。

永禄十三年(1570)この地の領主江戸刑部頼忠(東京の開祖江戸重長の末流で後に喜多見氏と改めた)は当社を修復し国家安泰・武運長久を祈願し、天和二年(1682)喜多見若狭守勝忠は篤く当社を敬い神領五石二斗を寄進し再興す、慶安二年(1687)喜多見若狭守により再建せられた。

承応三年(1654)に喜多見重恒・重勝兄弟は銘文を刻んだ石の鳥居を寄進し今に残っている。また当社の別当を華蔵院と称し、慶安二年(1649)徳川家光より社領十石二斗余りを賜わっている。

もと祭礼には湯立神楽が奉納された。明治十七年郷社に昇格し、大正十一年社殿改築の計画が震災により一時中止となり同十五年に落成した。昭和六十三年不慮の災いをうけ社殿焼失、平成二年に現社殿を再建す。

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境内社

七つ宮:稲荷神社・天神社・大山祇神社・月讀神社・出雲神社・大鳥神社・祖霊社

二の鳥居
承応3年(1653)明神鳥居 喜多見勝忠の子、重恒と重勝の兄弟によって建立(第四代 徳川家綱)され、都区内の鳥居としては最古の部類に入り、世田谷区有形文化財に指定されています。

立石大神
参道より社殿に向かって左側には、付近より出土した石棒が立石大神として祀られています。

石燈籠
嘉永2年奉納 1849年(江戸時代 第12代 徳川家慶)

水盤
文化12年奉納 1815年(江戸時代 第11代 徳川家斉)

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社殿概要

本殿:流れ造り
拝殿:入母屋破風造り

向拝・拝殿の蟇股(かえるまた)には、向拝正面右より榊・桧・樟(くす)・杉、向拝中右より松・竹・梅・桃、拝殿正面右より本正真・先清浄・宗信心・体神徳、拝殿四隅には青竜・白虎・朱雀・玄武の彫刻がある。

アボヘボ(現在、奉製しておりません)

喜多見、大蔵、祖師谷あたりに伝わる豊作祈願として、年の初めに神棚・玄関などに飾り付け「豊介久、牟久佐加」(ゆたけく、むくさか)にと祝うものである。
郷土の祖先が残した行事の一つを偲んで、「アポヘホ、門辺にたつ、百姓に問へばニワトコといふ。粟ボ稗ボの形なりと言ふ。これ都下の削り掛のかはりなり。」(蜀山人著 向岡閑話)とあるように当社神苑の吉方に自生している接骨木(にわとこ)にて作り、梅枝にさして言寿・子孫繁栄・商売繁盛・五穀豊穣・進学成就を神々に祈願したものである。
尚、アボヘボの削り掛は、冬至の日に一陽来復を祈り神苑にて奉製しておりましたが、残念ながら現在は奉製していません。

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