神社と祭神
伊勢神宮(正式には神宮)には、なぜ20年に一度の式年遷宮があるのですか
遷宮とは「宮遷(みやうつし)」の意味で、新しい神殿を造り、そこに神様のお遷りを願うことです。
式年とは「定めの年」の意味で、神宮では20年に一度とすることを1300年前に天武天皇がお定めになり、持統(ジトウ)天皇4年(690年)に第一回の式年遷宮が行われ、平成5年には第61回目のこの国家の重儀が天皇の思(おぼ)し召しにより、国民の尊いご奉賛をもって行われました。
社殿は掘立柱(ほったて)に萱(かや)の屋根という素朴な桧の白木造りです。第1回当時、すでに法隆寺が造られており永久的な建築が可能でしたが、神代からの伝統を重んじ、神様の最もお喜びになられる殿舎としてこの建築様式が選ばれ、今日に引き継がれたと考えられます。
神道では浄明正直(じょうみょうしょうじき)、つまり清く明るく、直く正しく麗(うるわ)しい心を大切にしていますから、神様のおはします神殿も常に清々しく在ることを理想とします。古代の人々は神様も万物も、命が親から子へと引き継がれていくように、生まれ変わると考えました。20年を一つの区切りにしたのは、それが人の一生の中でも、建造技術や調度品、祭器具等の製造技術の伝承の面からしても最もふさわしい節目となる年限であったのです。
神社の称号について教えてください
神社の称号には、「神社」といわれる他に「神宮」「宮(ぐう)」「大社(たいしゃ)」「社」などがあり、各々の神社の由緒に基づいて定められています。
「神宮」という称号は、明治神宮や熱田神宮、平安神宮のように、皇室と深いつながりをもつ神社であるとか、天皇を御祭神としてお祀(まつ)りしている神社に用いられます。ただし、単に「神宮」と称した場合は、伊勢神宮のことをさします(「伊勢神宮」は通称であり、正式な名称は「神宮」です)。
「宮」の称号は、八代宮や井伊谷宮(いいのや)のように、親王をお祀りしている神社に用いられます。 なお、東照宮や天満宮、八幡宮のように慣習的に称号を用いる例もあります。
「大社」の称号は、かつて官国幣社(かんこくへいしゃ)制度があったときには、出雲大社のことをさしました。しかし、戦後になってからは、春日(かすが)大社や住吉大社のようにこの称号を用いる神社が増えました。これらの神社は、いずれも旧社格が官幣(かんぺい)大社、国幣(こくへい)大社の神社です。
「社」の称号は、大きな神社から御祭神を勧請(かんじょう)した神社に用いられ、神明社や天神社などがあります。
氏神(うじがみ)・産土神(うぶすながみ)・鎮守(ちんじゅ)神の違いについて教えてください
日本全国の神社には、さまざまな神さまが祀られていすます。その中でも「氏神」と呼ばれる神さまは、とりわけ私たちの日常生活に関わりの深い神さまといえるでしょう。
氏神とは、もともと古代社会において血縁的な関係にあった一族(氏族)がお祀りした神さま、(一族の祖先神あるいは守護神)をいいました。しかし、中世においては、鎮守(ちんじゅ)の神さま(一定区域の土地や場所を鎮守守護する神さま)、あるいは産土神(産土とは生まれた土地という意味で、自分が生まれた土地の神さま)までが、氏神と混同されるようになりました。 そうしたことから、必ずしも氏神は、祖先神あるいは守護神を祀るものばかりとは限らなくなったのです。今では産土神さま・鎮守の神さまは氏神ともいわれるようになり、双方の判別はつきにくくなってしまいました。
なお、氏神と対になる言葉に「氏子」(うじこ)があります。古代社会においては、氏子は氏神を祀る氏族の子孫を意味しましたが、現在では氏族と関係なしに、神礼の祭祀圏内に住んでいて、お祭りに参加したり人生儀礼の際などに奉告に訪れる人達も、氏子と呼ぶようになっています。
稲荷神社はどなたをお祀りしているのですか
稲荷神社の御祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)(倉稲魂神)で、五穀を始めとして全ての食物をつかさどり、稲の成育を守護する神さまです。 稲荷とは、もともと「稲成(いねなり)」、つまり稲が成育することを意味しているといわれています。
中世から近世へと、商工業が発達するに従って、従来のように農業だけではなく、衣食住と諸産業の神さまとして崇敬されるようになりました。全国各地には、多くの稲荷神社がありますが、そのほとんどは京都の伏見にある伏見稲荷大社から分かれたものです。
2月の最初の午の日には、全国各地の稲荷神社で「初午祭」(はつうまさい)が行われます。これは、京都の伏見稲荷大社の御祭神である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)(倉稲魂神)が、和銅4年(711年)の2月の初めの午の日に、現在の本社の奥にそびえる三ケ峰の山上に降臨されたことにちなみます。
しかし、学者によっては稲荷が農業に関係する神さまなので、農耕に使用する馬、つまり午の日を祭日として選んだという説をとなえる人もいます。
稲荷神社と狐の関わりについて教えてください
古来から日本では、山や森、樹木に神さまが宿るとされ、御神木(ごしんぼく)としてお祀りされている例があります。これと同様に、動物にも神さまとの関わりを認めてきました。動物に対する信仰は、やがて特定の動物を特定の神さまの、その神意を伝える使い(使者)とする信仰へと展開していきました。
これらの動物の代表ともいえるのが、お稲荷さんの狐です。稲荷神社の御祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)(倉稲魂神)で、「宇迦」とは食(うけ)の意味であり、食糧をつかさどり、稲の成育を守る神さまです。狐が稲荷神社の使いとされた理由としては、御祭神の別名である御饌津神(みけつかみ)のその文字に、狐(ケツネ=キツネの古語)を使い三狐神(みけつかみ)と記したことによるといわれていますが、これについては諸説があります。
いずれにしても狐という動物は、私たちの先祖が、その生活の中で接ことの多かった親しい動物でもあり、おのずと稲荷神社の「使い」としての信仰が定まったのでしょう。
三峯神社と狼について教えてください
三峯神社は、埼玉県秩父郡大滝村三峯に鎮座し、三峯山(関東の霊山で、雲取・白石・妙法の三つの峯)をご神体山として仰いだ信仰にもとづいています。
社伝によれば、景行天皇の41年、日本武尊の東国征定の際に、伊弉諾神(いざなぎのかみ)伊弉冉神(いざなみのかみ)の2神を祀つたのに起るとあります。これに、中世以降、山伏修験の信仰が加わり、のち明治初年の神仏分離令により寺院を廃して三峯神社となりました。
秩父山中には狼が多く生息し、狼はその獰猛さから猪鹿の害より農作物を守る眷属(神使)「大口真神:おおくちまがみ」「お犬さま」と崇められ、さらにこのことから盗賊除け・火災除けの守護神となり、三峯神社の神使(狼:おおかみ:大神)として眷属の護符(狼、或は、山犬の神符)が現在も領布されています。
神明社の神明とはどういう意味ですか
神明社の「神明」には、二つの意味があります。一つは神さまと同じ意味、もう一つは天照大神の別名です。天照大神を奉祀する神社を神明社(神明神社・神明宮)と称します。伊勢神宮から分霊が勧請された神社です。
天照大神は、日本の国土や神々を生んだ伊弉諾神・伊弉冉神の子として誕生しています。またの名を日神(ひのかみ)・大日霎貴(おおひるめむち)ともいい、太陽と密接な関係があります。こんなところから、皇室の御祖神であるとともに国民の大親神として信仰されてきたのです。
八幡さまはどんな神社ですか
全国の神社の3分の1(約2万5千社)を数える八幡さまの本社は、大分県宇佐市にある宇佐八幡宮です。八幡さまでは、応神(おうじん)天皇(誉田別尊:ほんだわけのみこと)と神功(じんぐう)皇后(息長帯比命:おきながたらしひめのみこと)、そして比売神(ひめがみ)も併せてお祀りしています。八幡さまは、早くも奈良時代の頃から皇室の篤い(あつい)信仰があり、平安時代になると、京都に石清水(いわしみず)八幡宮が創建され、国家の守護神として宇佐神宮の御分霊がお祀りされました。 その後、源頼朝が鎌倉に鶴岡八幡宮を創建し、清和(せいわ)源氏の氏神として信仰したことから、武神としての信仰を集め厚く崇敬され、源氏の武将は各領地に八幡さまをお祀りしたのです。現在では多くの人々からの根強い信仰を集めています。
諏訪神社はどんな神社ですか
諏訪神社の本社は、延喜式内社で信濃国一宮である信州の諏訪大社で、上社と下社にわかれ鎮座しています。祭神は建御名方(たけみなかた)神 妃神である八坂刀売(やさかとめ)神です。
古くから風の神、また、農耕・狩猟の守護神であり、さらに中世以降は武田信玄をはじめ、鎌倉幕府に使えた信州源氏の崇敬が厚く、日本一の威烈ある軍神として、その信仰が全国(約一万余社)にひろまっていきました。(御柱祭・諏訪湖の御神渡りが有名です)
四神(しじん:ししん)について教えてください
天上の四方の神(星宿)、すなわち青竜(せいりょう:東:青:春)・朱雀(すざく:南:赤:夏)・玄武(北:黒:冬)・白虎(びゃっこ:西:白:秋)をいい、高松塚の古墳の壁画にも見られます。
この四神をそれぞれに描いた四本の仗旗(じょうき)を四神旗といい、昔、朝廷で元日朝賀・即位礼などに、大極殿(だいごくでん)または紫宸殿(ししんでん)の庭に立て威儀を整えました。当社では、拝殿四方の蟇股(かえるまた)にこの四神を配して威儀を整えております。
兼務社とはなんですか
一人の宮司がいくつかの神社の宮司を兼任している場合、宮司が専従している一神社を本務社とし、それ以外の神社を兼務社としています。神職の人数(約二万五百人)に対して、神社数(神社本庁に包括している神社数約七万九千社)の方が圧倒的に上回る為です。