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バガーマン
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2008/12/15 20:47:48 |
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>秘境 寒川 地学的なアプローチ その調査きっと失敗だったべね?そうさ!なんたって団長が物見遊山に終始したに決まってるもん。 ボートに乗って「俺のしゃすんさ撮れ!」と偉そうに言ってただけに決まってる。
>湯の川ー恵山ー茅部の謎の秘境三角地帯 バスで通るだけでもぞくぞく来ますなあ。 なんか色々あったようですね。
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バガ-マン
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2008/12/13 17:54:23 |
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>ハ教会(特に略す)は壁の塗装も禿げチョロケでしたし、屋根も錆が来てました。
ほんとだよね。ぼろっちかった事! 私が初めて父に連れられて雪道をあるいてハ教会の門を潜ったのは小3〜4の頃でした。あの頃からぼろだったからMidy先輩が花の高校生の頃にはぼろ度が一層昂進してたでしょうね。道の側の壁が剥落していましたし、聖堂の外のドアはともかくとして、内側のドアを開けると窓のガラスも一部破れていたと思います。 酷い状態でした。なんでこんな処に父が来るのか?全く不明のままでしたよ。
しかし、あの時、破れた天井か破れた窓かの左上からこ汚い床に射す一条の光! あの光こそ、幼いながら子供心に「神」というものを感じた人生最初の一瞬の出来事でしたね。
今ごろ有り難く思うものです。(かと言ってハ教会の信徒になろうとはこれっぽちも思いませんが)
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midy
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2008/12/14 12:03:19 |
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> >ハ教会(特に略す)は壁の塗装も禿げチョロケでしたし、屋根も錆が来てました。 > ほんとだよね。ぼろっちかった事!
> しかし、あの時、破れた天井か破れた窓かの左上からこ汚い床に射す一条の光! あの光こそ、幼いながら子供心に「神」というものを感じた人生最初の一瞬の出来事でしたね。 神々しさとかを感じるっていうのは、なにも心構えもしていないのに突然ってことが多いんですよね。 心の中の何かとシンクロするんだべね。 >ボロ まだまだみんな大変な時代、まして終戦間際の一件や樺太からの引揚者が多いこともあってソ連に対するイメージ=ロシア聖教への支援も少なかったんだべね。 中学生の頃、学区内にある外人墓地も清掃を生徒会でやってました。 当然、ロシア正教会の墓地もあるわけで、柵もなく草茫々の墓地を年2回掃除していました。 それに感謝して、当時駐日大使だったグロムイコさんが来校し、感謝状貰ったよ。 帰国後外務大臣かなんかやってニュースに良く出てくると、あの人と握手したことあるって思ったもんです。 >聖堂の灯 多分、後の推理の方が正解ですね。日中は200円の拝観料とって中を見せてるからね。 立派なイコンがあったので、いつの時代のものですか?って尋ねたら 祈りの対象であり、制作時代は関係ありません!ときっぱり答えを断られた。 後に見た本によれば、あの中に日本人が初めて書いたイコンもあるのだとか。 聖堂を観光客に見せると割り切ったんなら、その辺も割り切れば、美術的な関心も高まるというもんだと思うけどね。 >他所の学校 白百合、遺愛、大谷(当時はまだ女子校だったよね)と女子高3校も行ってりゃ立派なもんですよ。 私は女子校は白百合と大妻の2校しかない。女子高生の値踏みするような目が怖かったな〜〜! 共学校は東、工業、商業くらいかな? 中学は部活の関係で沢山行ったけどね。(愛宕、潮見、旭、新川、中央、柏木、湯の川、港、その他何校か)
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バガーマン
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2008/12/13 23:37:46 |
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もう一回考えてみるてーと・・・・・ 観光用に開けていたんかもね。
叔父の話じゃハ教会のミサは夜通し暗闇でやるって言ってのを思い出しました。だから懐中時計も文字盤が見えなくても時が判るようにオルゴールというか音が出るようになってるんです。時、15分、1分とそれぞれ音色が違います。 11時59分は時を11回打ち、15分が3回、1分が14回・・・うるさいよ結構。
それにミサなら表のドア閉めるべね。
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バガーマン
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2008/12/13 23:25:10 |
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思い出した!
>Midyさん、おぢさん ハ教会(特に略す)の正面からの写真に灯りがともっていたのを覚えて、見たでしょう? 通からも聖堂の灯りが見えました。 6日土曜日の午後4時頃にミサやるのかな?とちょっと不思議に思っていたんです。
判りましたよ、その訳。勿論多分ですがね。 5日にモスクワのロシア正教の総司教が亡くなっていたんですよ。 それで・・・・ああいう風に。
おぢさん、あの写真ちょっと記念になるかもよ。
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おぢさん
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2008/12/13 23:24:29 |
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用事が無いのに、他校に入るのは気が引けるので
母校(函工) 学校祭で、白百合、遺愛、大谷 新川小、中 未来大
これ以外の学校には、入った事が無い 寺にも入らない
官庁関係も数へるくらい
あんまし、建物には縁がないのかも
西高は立派だったね。
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バガーマン
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2008/12/12 20:58:31 |
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>Midyさん あの角度と距離の風景も見慣れていたんですか? ハ教会(特に略す)をあそこから撮った写真は今までには見たことがないんですが。
殆どの正面からの写真は門かまたは遺愛幼稚園の生垣にへばりついて撮影したものだと思うんです。 おぢさんのは本邦初でないかい? あれ見て沢山の人が西高に勝手にお邪魔しなければいいんですけどね。
あの位置からの写真は枯れ木になって初めて可能なものでしょうね?春〜初秋は葉陰に隠れるもんね。
>麻美ちゃん て、あのはごだでぃバガーマンさんの? 私の後輩の?
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midy
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2008/12/13 15:03:03 |
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> >Midyさん > あの角度と距離の風景も見慣れていたんですか? > ハ教会(特に略す)をあそこから撮った写真は今までには見たことがないんですが。 > 殆どの正面からの写真は門かまたは遺愛幼稚園の生垣にへばりついて撮影したものだと思うんです。 > おぢさんのは本邦初でないかい? あれ見て沢山の人が西高に勝手にお邪魔しなければいいんですけどね。 > あの位置からの写真は枯れ木になって初めて可能なものでしょうね?春〜初秋は葉陰に隠れるもんね。 ですね、教会の尖塔は見上げるもので横に見るという感覚ないし、 坂の上の学校に入っちゃいけないと思っているでしょうからね。 高校の頃、教会の尖塔と言えば、カソリックの方で、ぶっちゃけた話、ハ教会(特に略す)は壁の塗装も禿げチョロケでしたし、屋根も錆が来てました。 通称オンボロ教会、ハ教会の貴重さが判るのは卒業してからの話です。(しっかり勉強してた子は知ってたでしょうけど…)
> >麻美ちゃん 麻美ちゃんで盛り上がってますね〜〜! にしても、バガーマンさんの人脈ネットワークってすごいですね。 いろんなところに繋がっちゃうんですね。
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バガーマン
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2008/12/12 23:58:41 |
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>麻美ちゃん これもご縁だよねえ。 おぢさんのカズ少ない良友の一人のお娘さん。 お父さんからは前の夏にお手紙頂いた。
そして2004年1月2日の国立競技場。 父娘揃って応援に来てくれた・・・・よく聞いたら、時の副将、2番の要君と同じゼミだったんだね。そのゼミの教授が私のサークルの4つ上で学生時代から当然知っていたというより、彼がその時のラグビー部長、という事。
結論、お父さんとは滋養軒でよく会う。杉の子でも。
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おぢさん
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2008/12/12 22:59:56 |
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>麻美ちゃん > て、あのはごだでぃバガーマンさんの? > 私の後輩の?
はい、KDDI auのHPのコーナに載ってました すっかり大人になってましたね。
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midy
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2008/12/11 17:34:59 |
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西高の校歌の最初のフレーズです。 その後♪つゝじヶ丘に花咲けば と続くんですが、どうして学校って「丘」が好きなんでしょうね。 どこの学校にも「○○丘」みたいのつけるよな〜〜! おぢさん、西高の写真堪能しました。あの新校舎は全く無縁でした。 高女時代の古い校舎で廊下も教室も暗くて、よう冷えてストーブ焚いても 寒い学校でした。女学校だったので、廊下のそこここに鏡が設置されていて、 部活を終えて夕方帰る時はドキッとしたもんです。 しかし、立派な校舎だな〜〜!
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おぢさん
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2008/12/12 14:17:02 |
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私たちの時代は、高校が選べない時代でしたので 普通高校は中部だけでした 若松町の一部だけが、西高 その中に、憧れの女子が居て
どうだったかは、忘れた
白百合の生徒には、山小屋の孫さん関係
何度か 入ったような気がします。
若い時には、景色より、食い気、色気だったんで
電車通学中、女子高が多かった電車の方が、楽しかったのかも。
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midy
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2008/12/11 22:38:16 |
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三年間、って言うよりもその前から、冬になると西高グラウンドの上にスキーを滑りに行ってたんで あの景色はじつに見慣れた景色で、あの景色が「当たり前」だったmidyとしては、なんかこそばゆい感じです。 もっとも、あの頃は景色見るより、屋上に上って白百合を覗く方が興味あったからね。 授業中の教室に向かって手を振ると、白百合の中にもひょうきんなのが居て、手を振り返してくれるんだよね。 この程度でも「生きてて良かったぁ〜!」という快感を味わえる初心な高校生でした。 見慣れた景色と女子高生、この二つ並べたらどっち取ります? 答えは明白だよね。 >清水ヶ丘 これもまた雄大な眺めの丘ですね〜〜!
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バガーマン
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2008/12/11 20:27:29 |
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さっきは返信で書き込みしないで失礼。 私の高校も丁度西高のような山の麓ー中腹にありました。標高は800m以上でしたが、裏の山は200−250m程度でほぼ一緒かな。 1時限75分授業と長く、毎週火曜日はHRを挟んで1時限授業が無いのでその時間をフルに山遊びして山頂のゴルフ場まで登って周囲の景色を楽しんだものです。 西高と違って海は勿論見えないけれど、南アルプス、中央アルプス、北アルプスからSachiさんが今毎日見ている立山は手前の山で見えないけれど、富士も含めて所謂名山の多くが見えました。 そして眼下には湖もね。
高い処にある学校は色々と得することがあるもんですよ。 どうだい、おぢさん、羨ましいべ?
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おぢさん
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2008/12/11 20:04:41 |
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実は、西高の敷地に入ったのは、初めてでした
友人の息子が見晴らし、景色は最高だと言ってたので 気にはなってたけど、ほんとんだね
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バガーマン
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2008/12/11 18:37:26 |
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私もおぢさんの後について、初めて足を踏み入れました。 坂の手前に螺旋階段があって、近道になっているんですね。 Midyさんの頃にはなかったでしょう。その階段を登ってちょいと行くと絶好の撮影ポイントがありました。
校舎は丘の上まで随分と沢山あるんですねえ、驚きました。 上の校舎に教室のある生徒は遅刻しそうですね。
私の学校も清水ヶ丘に建っているのでそう命名されました。 まあ、高いところが好きな人間は・・・・多いわけでね。
しかし、西高の立地の良さには感服しました。 ほんとリッチでっせ!(どう、いい洒落でしょ?)
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バガーマン
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2008/12/09 22:02:59 |
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Midy実行委員長の出番だべね。確か懐かしいはごだでぃではそうなっていた筈ですよね。 確かに橇は山麓にすんでいた男子にはあったり前のことでも、おぢさんのような平地の子には馴染み無いべね。 あんな小さな(今となってはですが)地域でもこんなに違うんだ。
精養軒のご主人は、「竹すべり?あれは女の子!男は橇だ!」と断言してましたよね。 Midy実行委員長!一言お願いします。
今日は、啄木の生まれ育った渋民村の隣村まで行ってきました。なんとまあ美しいところでしょう。 彼の郷里を思う気持ちの一端は理解しました。 岩手山と姫神山に囲まれて、どこを流れているかは確認できなかったが北上川も流れ、さすがに柳の木もありましてね。 当時のあそこから東京に出るのは体も心も大変だったべねえ。
明日は柏崎原発と出雲崎巡りです。
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バガーマン
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2008/12/10 20:28:31 |
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さすがMidy実行委員長の発言には迫力ありますなあ。 あのご主人も橇で坂すべるのはやめれ!と言われてけどそんなの気にしちゃ橇には乗れなねーと啖呵切ってましたね。そのお隣の方が、されよー、されよー!と合いの手入れてましたね。
おぢさんだって子供時代にあの橇に乗ってたら今頃は密かに橇の真鍮を磨いているかも。 ありゃ楽しいもんですよ。横になって足で舵取りながら頭から突っ込むのは最高!尤も、危うく三輪車に轢かれそうになり、急ブレーキ掛けた運転手さんが顔を蒼白にして運転台から飛び降りて来たのを経験して以来少しは慎重になりましたが。子供は何事も経験ですわ。
今日は出雲崎の夕陽は見えず。 明日はこのセッション最後で会津鶴ヶ城に行きます。
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おぢさん
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2008/12/10 12:23:30 |
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確かに 長靴の中に竹すべり入れて、学校に通ってた
あの頃、冬の雪遊びに女の子が居た記憶が無いんですよ
小さなカマクラでままごと位だ
雪スケートも男子だけで遊んでたし
女の子がズボンをハイテた記憶も無い
女の子は、家の中に居たんでは、ないかい おてだま、カルタ、センジャク、ガラスの平べったいやつ すごろく、ラジオ あとなんか判らないけど 直ぐほれ、テレビが出てきたから、がっつり変化したのでは
70歳、65歳、60歳 55歳では、遊びの変化が有ったんでしょう
大人の遊び、子供の遊び、女、男、ちゃんと判れた
遊び違いが 好ましい時代だったのでしょう
ゴムとびや、球つきは、男はしないしょ
橇も竹すべりも おっかねー
昨日、今日と函館は11度、雪はすっかり消えました。
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