烏兎の箱庭――烏兎の庭 第二部 日誌
表紙 > 目次 > 箱庭  > 前月  >  今月  >  翌月

2005年12月


12/9/2005/FRI

鶴見俊輔と希望の社会学、原田達、世界思想社、2001

知と権力の社会学、原田達、世界思想社、1994

戦争が遺したもの――鶴見俊輔に戦後世代が聞く、鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二、新曜社、2004

これまで断片的に興味をもっていた鶴見俊輔についてまとめて本を読んだ。

きっかけは、書評「ハンセン病文学全集」。この感想文を書きながら、自分のなかに鶴見俊輔について両義的な思いがあることを発見して、その理由を探ってみることにした。

ネットを検索してたどりついたのは、社会学者、原田達さんのサイト

『希望の社会学』やサイトにある鶴見俊輔についての原田さんの文章は、鶴見俊輔の人となり、思想の戦略、対談の戦術を教えてくれた。これを知ったうえで『戦争が遺したもの』を読むと、鶴見の発言の背景や重みがよくわかる。

原田さんによれば、鶴見は『希望の社会学』も付箋をつけて熟読したらしい。これまでは進んで話すことのなかった父親との葛藤を鶴見流に解釈しながら話すことができたのは自分についての客観的な研究を読んでいたからではないか。

『希望の社会学』がなければ、『戦後が遺したもの』は生まれなかったように思う。

文中参照した、過去に書いた書評、とくに米倉斉加年『おとなになれなかったおとうとたちへ』を読みかえしてみると、私の読書と思索とはある方向に次第に向かっていること、そしてその方角を鋭敏に指す羅針盤のような本に出会うと、かえって読んだり書いたりすることが苦痛になることがわかってきた

『おとなになれなかったおとうとたちへ』の感想を書いてからしばらく文章を書くことをやめた。その理由が、いまはっきりわかる。


12/17/2005/FRI

書評「言葉の思想 国家と民族のことば」を剪定

書評「言葉の思想 国家と民族のことば」(1975、田中克彦、斎藤美奈子解説、岩波現代文庫、2003)を剪定。

途中に以下の文章を追加。

それに、押しつけられた言葉であっても、それを身についた言葉として、それを使って表現を極めようとする人もいないわけではない。そういう人に向かって、押しつけられた言葉の表現だから嘘だとか、間違っているなどとは言えない。

リンク先にあるのは、台湾で日本語俳句を続けている黄霊芝の名前。「俳句に託す台湾の心 日本語で創作活動、ただ自分のためだけに」と題した彼の文章が11月21日付日経新聞の文化欄にあった。

黄は日本語を母語として育ち、日本の敗戦とともに「不識字(字知らず)」という烙印を国民党政府に押された。その後もひそかに日本語での創作活動を続け昨年「正岡子規国際俳句賞」を受賞したとき、はじめて日本を訪れたという。

日本国に来たことがなくても日本語で表現する人がいずれ現れる、という私の予測は間違い。黄自身が、すでにそのような日本語表現者の一人だった。

   よく聞かれる。言葉を奪われたことをどう思うか、と。だが、世界の歴史を繙けば、ある国が他の国を侵略し、ある民族が他民族の言語を奪うことなど、当たり前に繰り返されてきたことだ。弱者が強者に逆らえるはずもない。今さら何を言うつもりもない。
   私は日本語で考え、学び、創作してきた。妻は私に台湾語で小言を言い、それを息子が北京語でなだめる。何の不自由もない。私は多分、今後も日本語での創作を続けるだろう。誰のためでもなく、ただ自分のためだけに。

言葉は、自然なものではなく、政治的な一面を持つ。その一面を批判的に検証する必要はある。そうではあるにしても、一人の人間にとって、言葉はあたかも自然なものとして身についていく面を完全に否定することもできない。


黄が使う日本語は、学者が研究対象とするために純化、類型化する日本語とは違う。台湾に住み、台湾語や北京語に囲まれて生活する一人の人間が使うエクソフォニーな日本語。黄が、彼だけの言葉を使い、自分のためだけに表現しているにもかかわらず、その言葉が私に響く。これが言葉の不思議、言葉の力。

見方をかれば、これは不思議なことではない。おそらく彼が自分のためにだけ表現しているからこそ、私のように遠く離れた者にもその思いが伝わってくる

そう考えてから、別な文章にも一文挿入した。音楽リスト「Home Position―失われた声を求めて」

器楽曲の音が楽器演奏者の声であるように、文章は作家の声。文字しかない文章を読んでいても、ふいに書いた人の声が、その文章を読んでいるように感じるときがある。

のあとに以下を挿入。

声だけではない。書いている人の息づかいまで文章から漂ってくるような気がしてくる。

漫画家が、女性の絵に矢印をつけて、「とても絵で描けない美人」と書いたら漫画家ではない。ピアニストが「これから弾くのは、音楽で表すことができない悲しみです」と言ったら、音楽家ではない。

作家が、言葉で言えないことを言葉で表現しきれないとしたら、いったい何のために言葉で表現しているのだろう。


さくいん:台湾


12/25/2005/SUN

随想「図鑑がすき――2005年読書録補遺」

文章は、随想「図鑑がすき」として植栽する一方、「読書録補遺」としては、それぞれの書名から、書評としてたどれるようにしてある。

書評「鶴見俊輔 希望の社会学」を改稿。この文章は何度も書き直している。最も新しい推敲は、以下二つの追記。

辛口というキャラを身にまとい、ばっさり人を評価する。でも、ほめるときには属性で、けなすときには名前で、というのでは、新しい才能を見つけ出すことはできないだろう。

鶴見と対比しながら、現代の自称知識人を批判した部分。属性という語は私がしばしば否定的に使うキャラという語と同じ意味。物語のなかでキャラが果たす役割を否定するつもりはないキャラクター・グッズも悪くない。でも、人生やリアルな人間をキャラを通じてとらえることは間違っていると思う。

ややこしいのは、名前でほめているつもりでも、属性でほめている場合があること。「さすが丸山」「丸山らしい」といった言い方は、仕事や行為を、名前と顔をもつ個人にではなく、名前を被せた属性に帰する意識を多分に含む。

メディアに流通している名前はそれ自体、個人の名前ではなく、そういうキャラ、そういうブランドを示している。これは「さすが」や「らしい」を避ければ済むような問題ではない。それではただの「言葉狩り」に終わる。問題は、自分を含めて人間をどう見るかという基本的な人間観に関わる。

もう一つの追記は、結語部分。

   「知識人」対「民衆」という図式じたいが古いという見方もあるかもしれない。人間を属性から見るかぎり、それは当たっている。原田も指摘するとおり、典型的な「知識人」も「民衆」はもうどこにもいない。おそらくは、いままでもいなかったはず。
  人間を属性で分ける図式に意味はない。しかし、人間の資質として考えれば、「一人」対「群れ」という図式は、今でも、というより、社会の全体が大衆化し、同時に成熟している現代にこそ意味がある。「知識人」対「民衆」という図式は、このような読み替えができると思う。
  そして鶴見俊輔は、徹底的に「群れ」のなかから「一人」を見つけだすことにこだわり、それを楽しんだ。とすれば、鶴見俊輔のなかで、すでに図式はただの図式では片付けられない躍動的な性質をもっている。
  人間の資質として「一人」と「群れ」を考えるならば、原田が提起するサド、マゾも個人に潜む病的な資質とみることができる。自分のなかにいる「一人」や「群れ」に対してどのような立ち位置で接するか、サド的な面もあればマゾ的な面もある。また、その位置とは別に主観的な態度にもサド、マゾがありうる。

「知識人」は属性ではなく、資質であり、自称できるものではなく、他者から与えられる尊称である、という考え方は書評「知識人とは何か」(エドワード・W・サイード、大橋洋一訳、平凡社、1995)を書いた時から漠然ともっていた。今回の読書を通して、ある程度、まとまりがついてきたように思う。

サンタクロースがスコットランドのアイラ島の小さな窪地にある水車小屋からとっておきの“Double Matured”を持ってきた。

明朝まで開けられないので、いまはアラン島の赤いモルトをサンタクロースと飲み交わしながら、今年最後の文章を植える。



uto_midoriXyahoo.co.jp