1.人格と性格
2.愛情の問題
3.内在する主体
4.自立と依存
5.見捨てられる恐怖
6.怒り
7.自我の形成
8.終章
自立は理念です。現実に到達されることはないものです。
人はそれぞれの人生をどこへ向かって進めて行こうとしているのでしょうか。動物は目先のことに,欲求に従って行動しているように見えます。人間は動物の中でも特別な存在のようで,目先のことに欲求にだけ従って生きていけばよいというわけには,到底いきません。できれば自分らしく,充実した日々を送りたいと誰もが思うでしょう。人間の場合,生きる指針は,本能として身体に刻印されたものとしてあるようには思われません。では指針はどこに,どういう形であるのでしょう?
子供には躾けや教育が必要です。大人になって自分一人の力で生きていけるように,大人たちが人生の先輩として,必要と考える知識や,人との関わりの大切さを身をもって教えます。それらは欠かすことのできない重要なことですが,彼ら大人たちの誰もが,人生そのものの指針を伝授することはできません。
では,自立の理念とは何でしょうか?
依存からの完全な脱却であるというのは,どうでしょうか。同語反復のきらいがありますが,間違いではなさそうです。言葉を換えれば,自立とは,自己がそれ自体で自足することであり,あらゆる関係性から自由になるということであるといえるようです。
それでは依存とは何でしょうか。
それぞれの自己は,何ものかとの関係において存在しています。何ものかとの関係においてしか存在し得ないという方が,より適切です。
私がこの一文を書いているということに即して具体的にいえば,持っているペン,紙,向かっている机,椅子,暖房機,電気スタンド,書斎,家,家族,近隣の住人,家々,街,道路,などなど無数の物や人が,つぎつぎに私の意識的視界に入ってきます。それらのすべてが私との関係において存在し,私の世界を構成しています。それらは私の所有に属しているともいえます。それらのものは,私との関係において主観的,かつ客観的という性格を持っています。従って,たとえばAさんの世界に属するそれらのものと,わたしのものは,主観的というかぎりでまったく別個のものですし,客観的というかぎりで同一のものです。我々は互いになにものかを共有することができますし,しかし,なおかつ共有することができません。
私がいま使っているペンは,しかじかという会社の製品で,しかじかという名前の物であり,どこの文具店でも手に入るありふれた物です。Aさんもおなじ物を持っているとします。Aさんのも私のもおなじ物といえますが,しかし,まったく別の物ともいえます。つまり,私が持っているそのペンは,「私のペン」であり,「Aさんのペン」とはまったく異なります。仮にその関係性を無視して,私がAさんのペンを勝手に使えば,私は泥棒ということになります。このように,私はそのペンとの関係性の中にあり,私がそのペンに依存することにより,それは私に固有のものとなるのです。
私がそのペンを使ってみて,書き心地がいいから試してみてとAさんに勧めたとします。Aさんがそれに応じて試し書きをしたとすると,そのペンは共有されたことになります。Aさんも同感しておなじ物を買ったとすれば,ますます共有性を深めたことになります。あるとき何かのきっかけにAさんが私に対して著しく気分を害することがあれば,そのペンを捨てるかもしれません。Aさんがペンを買ったときと捨てたときとでは,おなじペンが対立する意味を持つものとなります。
このように見ていくと,私はおびただしい物や人との依存関係の上に生きているのが分かります。私はそれらによって人生を支えられており,それらが必要であるかぎり,どれ一つとして欠けてはならないものです。
また,不要の物はゴミとして捨てることになりますが,不要でありながら私が捨て切れないでいるものたちもあります。それらの物との関係においても,私の性格的特性が表われているのです。
隣の芝生がきれいに見えるという諺があります。
人をうらやむ心は誰にでもあるものでしょうが,度が過ぎると心を制御するのに苦しむことになります。自分が所有するものは,それを大切にする心がなければ,依存している当の物や人によって,ある意味で逆襲されることになります。
隣の芝生がきれいに見える精神は,満たされていない精神です。
私が貧乏であり,隣の家が裕福であるとしても,私の心が満たされていれば,羨ましく感じることはあって妬むことはないでしょう。しかし心が満たされていなければ妬むかもしれません。
私の心がある程度満たされているとすれば,私に本来与えられている自然的な精神の諸力が,過不足なく実践できている場合です。そのとき,それなりに他人の評価がもらえていることも,必要条件になるでしょう。
逆に心が満たされない思いをしているときは,本来自分が持っているはずの潜在的能力が実践されていないときです。
つまりは心が自然的であればおおよそ問題はないのです。そして人の心が自然的に成長するのが難しいのは,人間が他者との関係を必須のものとしているからです。
結論的にいえば,本来持っているはずの潜在的諸力を実践できないのは,自我の不始末ということになります。結論だけをいえば自業自得ということになるのですが,自我自身がその自然的な機能を他者によって歪められるので,ことは単純ではありません。自我の未発達は,悪しき依存関係の一側面です。それは何よりも,原初の他者であり,人格形成の根幹に関わる立場にある母親との関係において生じます。
このあたりを具体例に即して見てみたいと思います。
A氏は,画家です。ある農村の離農した農家の家と田畑を借り受け,自給自足の生活をしながら絵の修行に励んでいます。彼は元精神科医でした。私は彼の二十代後半から三十代前半にかけてと,その十数年あとの二年ほどをおなじ職場で仕事をしました。最初の職場でのA氏は,将来を嘱望される有為の青年医師でした。患者さんを診る能力は,周りが一目置いていたと思います。その能力は,何よりも柔らかな受容力にあったように思います。患者さんの立場からすると,受け入れられているという安心感と,理解されているという信頼感を得やすかっただろうと思われます。そういうセンスは,天性のものだったでしょう。精神科医は多くのものを学び取らなければならないのはいうまでもないとしても,学習によっては得られない何かが要求されています。それは一つには,病者の問題を他人事にしてしまわない共感力ですが,A氏にはそれがありました。病者と関わり,問題を共有するためには,治療者がその問題を自分自身の問題とする能力が必要です。それが共感能力というものですが,微妙なものも過たず感じ取るには,天性のセンスが要るように思います。病める心の人は,いわば全身で治療者を見ていると思います。相性のこともあるので各人各様ですが,一般論としては治療者の共感能力を感じ取ることができたときに,一応の安心が得られるものだろうと思っています。
心を病んでいるということは,自我の機能的能力が衰退しつつあるということです。人は自我に拠る存在です。自我は光の世界のものです。人は自我を持つことによって人となったのですが,自我によって光を知ることになったのです。そして光を知ったがために闇をも知ることになったのです。光は生きようとする世界のものであり,闇はその裏面の世界です。そして闇は,死に通じるものです。光は闇を前提とし,生きるということは死を前提とするのです。光と闇,生と死は,人間が自我を持つ存在であることで必然化された,人間ならではの遠大な矛盾です。
赤ん坊のか細い自我は,それを護るものがなければなりません。光を知る者として生を受けた赤ん坊は,必然的に闇に怯えるものでもあります。自我の機能を駆使して自らを生きる力を獲得できるまでは,他者の保護を絶対のものとする理由があります。
自我に拠る存在ということが,必然的に闇の世界の存在を前提としているというところに,人が依存的な存在であることの一義的な意味があります。
絶対的な保護を必要とする赤ん坊の未熟な自我が,しだいに力をつけて闇の世界のエネルギーを活用していくことになりますが,それに伴って絶対的な依存から自立の方向に向かうものの,闇の世界を凌駕することが結局は不可能なのも自我の一面です。従って,自立は単なる理念にとどまるのです。
そのようなわけで,人は人生の最早期に他者への依存を不可欠なものとし,結局,他者との依存関係を脱することはできません。
自我は強力な能力を与えられていますが,闇の力の前には何ほどのものでもありません。闇には意識を無化する力があります。それは場合によっては自我を滅ぼすことになるものです。ですから自我を共有する他者との関係は,なにを置いても重要な意味があります。しかし,それだけに他者は諸刃の剣です。自分を元気づけてくれる最たるものであるということは,逆に当てが外れるとひどい目に合うことにならざるを得ません。
小児のころ緘黙症であったある女性は,テレビなどのニュースで人が死んでもなんとも感じないが,犬や猫が死んだらとても悲しいといっています。頼りとする人間たちに,いかに傷つけられてきたかが察せられます。
犬や猫は自然のものです。犬にかまれても,犬を憎んだり,恨んだりする人は滅多にないでしょう。ふつうは飼い主に抗議するだろうと思います。犬は人の身体を傷つける力を持っていますが,心を傷つけることはありません。心を傷つけるのは人間ばかりです。心の傷は外部からの力によるのではなく,受け止める側の内部的な問題として生じるのです。このことは他者が,外なる存在者の中で,特別な意味を持っていることを示しています。つまり自己という存在は,構造として他者を内に含んでいるのです。それがいかなる外部的な状況に置いても,他者との関係が途絶えることがない理由です。犬は経験的に,学習としてそれぞれの個人の世界に外部から入ってきたものですが,他者は,経験以前のものとして存在しているのです。人と人とのあいだでは,言葉を交わさなくても相通じるものがありますが,犬の気持を察するには,人間的な類推をするしかありません。
それにしても他人に心の傷を負わせる人は,人の心の自然の性としてそうした行為におよぶのではありません。その人自身がかつて他人たちから傷を負わされ,いわば心の自然を撹乱されたために,怒り,憎しみが無意識のレベルに解消されずに残っているからです。
他者は,自我を共有するものとして最も頼りとするべきものであるだけに,最も傷つけられるものでもあります。人間の最大の敵である可能性を,人間は持っているといっても過言ではありません。それは人間の存在構造から,原理的にいえることなのです。
自己の存在条件として,他者の助けを絶対的に必要としているのが人間であるということは,親といえども赤ん坊を十分に守り育てる力を持っている保証がないということでもあります。つまり親にしても他に助けを求めたい心があっても,おかしくないどころではないのです。その相手が年端もゆかない赤ん坊であっても不思議はありません。むしろ心にわだかまりを抱える母親には,恰好の相手になります。動物に似て自然のものである赤ん坊は,どんな母親にとっても愛らしいかぎりではないでしょうか。滅多には味わえないであろう愛らしいものとのあいだでの至福の感情は,程度の差こそあれ,あらゆる母親がいつまでも封印しておきたいほどのものではないでしょうか。母親によっては,あの手この手と意識的,無意識的な策を弄し,自分の思うように育てようとするかもしれません。自分の望ましいイメージに沿って育児に励むとき,それが愛情と信じやすい心的状況ができるだろうと思います。ときによっては,投網にかける漁師のように我が子をからめとろうとする母親も,珍しくはありません。いずれにせよ,最良の母親も含めて,母親が赤ん坊に悪しき依存をしてしまう側面があるのは,避けられないことです。
そのような事情が,赤ん坊の自我を混乱させ,自然的な機能を守り通すのが困難になる主要な理由です。母親が第一番の頼りであるということは,母親によって人生を狂わされる最大の理由になり得るということでもあります。
ある中年女性は,離婚の経験者です。小学生の長女と暮らしています。年の暮れに,再婚している元夫から連絡があり,正月に長女を預かるといわれました。相談ではなく,要求であったのも神経を逆なでされることでしたが,長女が喜んで父親のもとへ去ったあとの寂しさは,言葉ではつくせないほどのものでした。そして元気で帰ってきた娘に,「おかあさん,淋ししかった?」と訊かれて,大丈夫だったから安心してね,とはいえませんでした。幼い娘に,母親自身が幼い子のように寄り添って,いつまでも離れたくないと思っていました。娘は母親を気遣って,あれこれと世話を焼いてくれるのです。親子の関係はまったく逆転していたそうです。
繰り返しになりますが,人間は依存的な存在であり,その依存の原初の関係は,母親とのあいだで体験されると考えて間違いないと思います。原初の他者である母親への絶対依存からしだいに自立していくことになりますが,それにはまずは母親の助けが必要です。そのためには母親が,それなりに自立していなければなりません。しかしながら先にも述べたように,母親の自立性には個々に問題があるのです。赤ん坊が頼りとするに値するかは疑問であるほど母性を欠く母親が少なくないのが,精神科の臨床現場からうかがえる現実です。子供の虐待報道さえ日常的というのが,昨今の状況です。まして子育てに悩み,自信を失くしている母親は無数にあると考えなければなりません。そこには時代の反映という側面もあると思います。
価値観が多様化している現代ですが,どうやら母親たちにとって,母性も多様化しているかのようです。
それは心の豊かさの表れでしょうか?価値観の多様化が,それぞれの自由の発露に基づいているのであれば,そこには精神の豊かさがあって然るべきです。そして,豊かさのしわよせとして,母性が希薄になるという事態はあり得ることでしょうか?私には,とてもそういうふうには考えられません。母親が個々の価値観に基づいて行動するのは個人の自由でしょうが,それが母性の希薄さを弁明することになるとは到底考えられません。そういうことは個人の問題だと思う人もあるかもしれません。しかし,それは間違いです。子供には自分を守る術があまりないのです。そういう子供の立場を,社会的に擁護する規範が要ると思います。
人間の精神が豊かであるとき,それは必ずその個性が自然的に解放されているはずだと考えます。母親にとって自然的であるとは,何を置いても母性が豊かであるということではないでしょうか。母性を欠く母親!これほどに矛盾したものは滅多にありません。
「私は母親になどなりたくなかった。しかしなってしまった」という人もあるでしょう。その人はどう生きればよいのでしょう。荷の重い育児に,全精力を奪われるのは耐えられないと思うかもしれません。その気持は分からなくはありません。そして自分のかけがえのない人生を精一杯生きる自由があると考えるのも,理解はできます。その女性は,社会的に成功するかもしれません。そのために家事や育児が疎かになってしまうのはやむを得ないと考えるかもしれません。
彼女たちが人生を自由に,豊かに生きる権利を否定することはできません。しかし,われわれ精神科医は,このような母親の下で呻吟する子供たちの例を,いくらでも挙げることができます。もし自分がよりよく生きる自由を追求するためには,やむを得ない犠牲だったという母親があるとすれば,なんといえばいいのでしょう。これが精神の恐るべき貧困の表れでなくして,どういう貧困があるのでしょう。
矛盾を生きる宿命の下にある人間には,まるごとの充実,豊かさはあり得ません。
ソクラテスは,アポロンの託宣により,最も知恵のある者とされました。ソクラテス自身は,自分が人に勝っているとすれば,自分が無知であることを知っていることにおいてであるという意味のことをいっております。
この例にならっていえば,ある母親が精神の豊かさを追求していくつもりがあれば,自分の心の貧困をこそ知る必要があるといえるでしょう。そうでなければ,恐るべきエゴイストと区別がつかないことになってしまいます。
望まない子を生んでしまった母親は,同情に値する面があるかもしれません。育児に煩わされることが,かけがえのない人生をより自分らしく生きる上で障害になると考えていたとすれば,大きな難題を抱え込むことになったといえるでしょう。彼女が考える自由な生き方,自分らしい生き方が,精神の豊穣を意味するものであり,精神の貧困を排除したいという意味であるのなら,不幸にして母親になってしまった現実を真剣に悩む必要があります。あっさりと’不幸の素’を切り捨てるやり方は,忌むべき自己本位,恥を知らない傲慢といわれても仕方がないことです。せめて自分がしていることは,そういう意味を持つのだという自覚を持つべきです。そうであれば,’不幸の素’を切り離すなどという結論には,滅多にいたらないでしょう。人は悩むべきことをしっかりと悩むべきです。真剣に悩むことができれば,やがて大きな解答が出てくるものだろうと思います。そして,そのとき,まったく別の人物になっていることでしょう。
彼女が自分の心の貧困に思いをはせる勇気を持つのなら,’望まなかった出産’に,自己の再生の重要な契機を見出すことでしょうし,そのときこそ精神の豊穣に一歩近づくのではないでしょうか。
現代の母親たちの母性の希薄化は,人間が心の自然から遠ざからざるを得ない時代的な潮流にも関係があると思います。人々の心はより世知辛くなり,小賢しくなり,心の飢えに人知れず悩まされているのが現代精神の潮流です。それに伴って現代人の精神の成熟が阻まれているようであり,それが母親たちにおいては,母性の未成熟化となって表われているということだと思われます。
また,人が依存の対象を絶対的に必要とし,それは必ず悪しきものを排除できないことを含むという問題の根本には,自我に拠る人間の存在条件があります。つまり,人間存在の一つの特徴は,諸矛盾をはらむということです。生きるということには,死ぬことが含まれ,自己であるためには,他者性を含み,良い依存を目指すべきであるということは,悪い依存を含むからこそである等々です。絶対的な良い依存というものは存在しないのです。諸矛盾の果てしない止揚(二つの矛盾,対立する概念を,一段高い段階に統一,発展させること)が,人間精神に許されている自己実現への王道です。人は矛盾を引き受け,矛盾に悩み,そして新たな高みへと進むことができるのです。
このように依存は相互的なものであり,母親と赤ん坊との関係も例外ではありません。かつ依存には,良い形態と悪い形態とがあります。いずれにせよ,どんなに母性に恵まれた母親であっても,悪しき依存の混在は避けられないことです。
母子のあいだでの依存関係では,力を持つ母親の側からの侵入,干渉が特に避け難く,悪しきものの典型です。それに伴って赤ん坊は,自然的な心性をさまざまに混乱させられます。それは悪しき影響ということになりますので,善悪の問題ではありますが,どうしても避けることができないのが人間の宿命的現実です。
話をA氏に戻します。
私が二度目の職場でA氏と再び仕事を共にすることになったのは,たまたまA氏と会ったときに,私が誘ったのがきっかけでした。A氏はすぐに応じてくれました。それは私が予想していないほどのことだったので,私は少々あわてました。施設長に頼まれて声をかけたわけではなく,そのときの話の勢いで私が勝手に誘ったからです。それから施設長に話を持って行ったところ,幸いに退職予定者が一人いるというのです。話が意外にも上首尾に運んでしまいました。私は再びA氏と仕事を共にすることが,素直にうれしかったのを覚えています。
しかし再会したA氏は,かつてのA氏ではありませんでした。
一言でいえば,A氏は影に呑み込まれていました。暗い無表情や,陰鬱な雰囲気から一目でそう感じました。しばらくぶりに再開したときに私が誘ったのは,一つには変わり果てたA氏の様子にあったと思います。あの有為の青年が一体どうしてしまったのかと驚いたのです。もともとA氏は外向的な性格ではありませんでした。人に媚びず,本物だけを大事にしようとする精神がありました。いうまでもなく,それは精神科医としては欠点ではありません。A氏には,自分の信じることだけをするという好ましい頑固さがあり,私はそういう彼が好きでした。患者さんを大切にし,仕事を誠実に,熱心にこなし,しかし小心ではなく,どこか人生を高括るようなところがありました。自分の才能を信じていました。しかし医者として認められ,それなりの地位を得て世間的に成功することなど,およそ念頭にないように見えました。それだけにどういう風にでも生きていける人のように思えていました。彼に見られた表情の翳りのようなものも,むしろ人格に深みを与えていました。
再会したときに,一体どうしたんだと私は心で叫んでいましたが,言葉には出せませんでした。彼がかかえている問題が重過ぎるように思えたためでした。そのとき,私はどこか保護者のような気分になりかけていたと思います。彼が私の誘いにあっさりと乗ってくれたときにも,彼が私に救いを求めているように思われたのです。そしてかつての彼を知る私には,共に仕事をするうちに,きっと回復するはずだという確信のようなものがありました。
しかし,二度目の職場に現れたA氏は,ひどく尊大でした。世の中も人間も憎んでいるように見えました。仲間たちへの最低限の礼儀もなく,あらゆるものを軽蔑しているようでした。なりふり構わず,人を人と思わないかのような態度に,仲間たちは最も善意のものも含め,一人として彼と口をきこうとするものはなくなりました。そういうことも一向に意に介する様子もないのです。
一番問題なのは,治療者としての自信も意欲もすっかり失せているらしいことでした。
彼がかなり深刻に人格を病んでいるのはほとんど明白でしたが,そのことで悩んでいるようには見受けられず,人生そのものを捨てている気配が感じられました。
私に対しても,不機嫌以外には何の感情も見せないに等しいのです。彼とのあいだで,まともに意見が交わされるということもおよそなかったのです。彼と心を分かち合う何ものもありませんでした。彼はいつまでたっても,単にそこにいるだけの,厄介な人物であるに過ぎませんでした。そうなると彼にとっては,医者の立場は,単に生活のためでしかないのです。彼は患者さんのために存在しているのではなく,患者の皆さんは彼のために存在しているに等しいのです。もはや彼は治療者ではありません。それを苦にしているようにも見えません。治療者としては,最も堕落した姿としかいえない有様でした。
私がA氏の例を上げるのは,心についての治療者とはどういうことか,心を病むということは,ひいては人間であるということはどういうことか,そうしたことを考えてみるためでした。
若い時代の精神科医としてのA氏は,治療者として機能している自己を感じていたと思います。しかし彼は,治療者としての自分を重視し,大切にしているようには見えませんでした。医者は働き口には恵まれています。そのためもあったでしょうか,彼は思いつくままに,いわば人生を彷徨していたように思われます。それは才能を持つ者にはありがちなことかもしれません。何かを模索していたのかもしれません。しかしながら,後年の彼の著しく変貌した様子をも合わせて想像すると,彼の世界を中軸として支えていたものは,なんといっても患者さんとの関係であっただろうと思われます。結果から見れば,その関係を疎かにしたことになるように思われ,真剣に人生に対峙することを回避してきたようでもあり,それは自我の不始末,力不足を意味すると思います。
それぞれの自己は,おびただしいものたちとの関係において存在可能です。自分をより良く生きるためには,それらの関係性をより良く生きなければなりません。そうでなければ糸の切れた凧になります。根絶やしになります。才能に溺れるものが陥る罠は,そういうところにあるといえます。大切なものを大切にしないと,その大切な依存の対象に,いわば復讐されてしまいます。
自己とは,主観的ー客観的な存在です。純粋な主観も純粋な客観も存在しません。それぞれの世界における客観的なものたちは,無限という様相を持っています。たとえば一本のバラの花には無限なものが秘められています。画家が納得のいく作品を描こうとすると,何枚ものバラの絵を描かねばならないでしょう。それでも,なおかつ納得できないかもしれません。他の画家は,またまったく別なバラの花の絵を描くでしょう。そもそも対象が無限の様相で表われているので,芸術家が作品にする意欲を持てるのです。
バラを素材にする植物学者は,いわば一本のバラの花と共に一生を送れるかもしれません。人が対象としっかりと向き合おうとすれば,対象は無限の様相を表すのです。逆にいえば,それら大切なものを大切に扱う心がなければ,心は貧困化するのです。
統合失調症に見られる世界没落体験をはじめ,自己を失う脅威は,関係が途絶える脅威であるといえます。一切の関係が途絶えたときに,人は身体的にか精神的にか,死に直面するのです。大切な関係は,それを疎かに扱えば,関係によって滅びるともいえます。
A氏にとって,患者さんとの関係は生命線であったように思われます。それを疎かにしてきたために,その関係の希薄化と共に,A氏の精神の後退が起こっていたのではないかと思っています。
A氏の自我がそのようであったのは,自我の自然的なものが人為的に撹乱されたためと考えるべきことです。そういう力を持つ他者は,人生の最早期の他者である両親をおいてなく,なかんずく母親の影響によるものと考えて間違いはないだろうと思います。その意味で,A氏は,悪しき依存の中にいたのだと考えられます。
若い時代のA氏は,有能ではあっても治療者として確立された何かがあったわけではありません。しかしおそらくは,自分が人並み以上に優秀な医者であるという無意識的な自負心があっただろうと想像されます。
後年の彼を見ていると,治療者としての自信も自負心も実質的に失っていたように思われますが,一方では人並み以上の評価をもとめる無益で,虚しく,不快なばかりの自負心が見えていました。それが実体を欠いた要求であるのを,他でもない彼自身が知っていたはずです。
しばしば驚かされたのは,人を出し抜いたときのはしゃぎぶりです。ふだんが暗鬱で,不機嫌なので,その様子は異様でした。また,いたるところに顔を出す羨望の色がありました。そういうものから察すると,彼の内部には並々ならぬ自負心が虚しく潜んでいたのだろうと思われるのです。
そうした実体を欠いた自負心というおぞましい姿は,しかしながら別な意味で実体があったといえるのでしょう。火のないところに煙は立たないのです。彼の内部には,日の目を見ない分身たちが,宝の持ち腐れ状態で埋没していたに違いないのです。それら分身たちは,A氏が自分に自信を持っていた時代には,無意識下でおとなしくしていたはずの者たちです。というのは,自我がそれなりに力を発揮していることは,それら影の分身たちにも好ましい,望みを持てることだからです。いつかは自分たちも,自我によって日の目を見る期待が持てるからです。
しかしそういう期待が裏切られると,無意識下にある分身たちは怒りと共に勢力を強めていきます。それは自我の衰退とパラレルの関係にあります。そして自我は傀儡化されるに等しい心的状況が生まれます。
それらの分身たちは,幼いころにおそらくは主として母親との関係で,自我によって抑圧されたものたちです。自我が中年期にいたっても悪しき依存から脱していない様子から察すると,自我は母親(と思われます)の自我によって支配されたままであることを,直接的に意味していると考えてよいと思います。そしておそらくは母親の自我による支配の代償に,母親の過保護があったのではないかと思われます。
無気力に傀儡化されている自我の下で,A氏はほとんど傲慢,不遜な小児でした。他者への配慮など,社会性は極めてあやしいものになっていました。自我の無力化に伴って,小児的に退行していたといえるのでしょう。
他に依存するA氏の自我は,虚しく,実体を欠いてしまった自己のありように対して,いたって無責任なのは当然といえば当然なのです。そうした自我の下にある無意識下の分身たちは,いまや日の目を見る当てもなく,勢力を拡張してしまっていたと思います。
A氏がおそろしく客観性を欠いている様子に,しばしば驚かされたものです。どう考えても,あきれるほどの現実のすりかえとしか思えないことを口にしたりもするのです。そういう自己本位そのものといったところは,かつてのA氏にはなかったことです。それを見ると,彼の自我は完全に傀儡化され,影の思考に支配されていたのだと考えるしかありません。自我を傀儡化しているのは,影の分身たちです。それら影の分身たちの首座にあるものを,私は裏の自我と呼んでいます。それは直接は表に出ないで,表の自我を操って欲求を満たそうとするのです。裏の自我は人生を生きようとするものではありません。生の世界のものを憎悪し,目先の欲求を自我をそそのかして手中に収めようとするのです。人生と他人と,そしておそらくは自分自身を憎悪しながらも,なにかのきっかけに,A氏が見せた上機嫌の中にはそのような色が見えていました。他人を出し抜くことで,してやったりと小躍りする黒い笑いは,裏の自我の下にある裏の世界の感情です。自我が果たせなかった満足を,まるで他人のせいであるかのような意識のすり替えが起こるのです。他人への悪意,憎悪をこめて腹いせをしようとするかのような様子は,かつてのA氏にはもちろん見られなかったことです。
本当は彼の自我が,内心に潜むそれらの諸欲求を満たすべく,何らかの研鑽,努力をする必要がありました。ところが現実には,彼は’蟻とキリギリス’のキリギリスだったのではないかと想像されます。
キリギリスには,バイオリンを奏でる才能がありました。蟻にはとりたてて才能がありません。しかし蟻には生きるために,せっせと餌を集めて冬に備える地道さと謙虚さがありました。キリギリスは,夏のあいだは才能にまかせていれば,満足のいく生活ができたのです。蟻もキリギリスが奏でる音楽に,仕事の合間に耳を傾けて賞賛しました。そして冬がやってきました。蟻はキリギリスが心配でした。外に出てみると,よろめき歩くやつれきったキリギリスがいました。肩を貸そうとする蟻を,キリギリスは振りほどき,巣に呼んで手当てをしてあげようという蟻の親切を断りました。そして死んでしまいました。別の蟻たちが見つけて,食糧にするために運んでいきました。
もしキリギリスに,冬のあいだにも蟻が音楽を聞きたがるほどの才能があれば,生きていけたかもしれません。ところが蟻は音楽を懐かしむのではなく,キリギリスの無力を助けようとしたのです。キリギリスにバイオリンの才能があるといっても,他から見ればその程度のものなのです。助けてあげなければ生きていけない哀れな生き物に過ぎないのが,客観的な現実です。他なるものである蟻によって支えてもらえなくても,キリギリス自身が己の演奏能力を信じることができていれば,蟻が差し伸べてくれた援助の手を断ることはなかったのではないでしょうか。キリギリスにも,夏のあいだも冬への不安があったはずですが,自立性に欠けるものがあったに違いない彼は,自分のバイオリンの演奏能力を評価してくれる他者の存在が必要だったようです。そして他でもなく,自分で自分の能力を信じきれていなかったに違いありません。なにものかを信じることができていれば,他との関係も保つことが難しくはないのです。自分を信じていなかったに違いないキリギリスは,他なる蟻も信じていなかったと思います。あらゆるものとの関係の薄弱なキリギリスには,他なるものの関心を惹きつける当てがない現実を,直視する勇気もなかったのです。そして誇り高いキリギリスには,演奏者としての自分を評価することによってではなく,自分の力では生きていけない哀れな者であるがために支えようとする親切は,とうてい受け取るわけにはいかなかったのでしょう。そういうふうに考えると,夏のキリギリスも既に絶望していたのだろうと想像されます。
キリギリスの自我は,バイオリンを奏でることに依存しています。それは夏のあいだは意味を持ちます。周りのものたちには,夏の気候の恵みによって,キリギリスのバイオリンを楽しむ余裕があるのです。しかしその自我は,冬の厳しさには何らの力も持っていません。つまりバイオリンは,冬の厳しさにも耐えるだけの依存の対象ではありませんでした。
A氏にとっての夏は,若さだったと思います。若さの勢いが,彼に,能力の暗示を垣間見せたのかと思います。そして彼はいつまでも若くはないということに気がつかなかったというよりは,高を括ったのではないでしょうか。
その盲点は,彼の自由意志,自主の精神を混乱させたに違いない悪しき依存関係に起因するものだろうと思われます。悪しき依存関係を克服できないままでいる自我の頼りなさの反映として,彼は恐れ入るほどの幼稚な心に陥っていたと思います。それに伴って,人間としてのあらゆる美点が消滅してしまったかという事態に立ち至ったのではないでしょうか。それはまさしく冬のキリギリスさながらに,「だれも俺に構わないでくれ,俺の価値を認めようとする気がある者を除いては・・・」というふうな,絶望的でなりふり構わない自己主張であったように思われます。自己を支える根拠が空洞化しているときに,それを補うかのように自負心だけが更に誇大的になっているらしいのも,人間関係的な状況を更に悪化させることになります。そこにも自我の後退に伴う社会性の喪失,影の性格の現前,幼児的退行といった様相が表われているといえるようです。
一般に,心の病理現象は,幼児心性が意識の表舞台に姿を表している様相といっても過言ではないようです。
J.Fマスターソンは,自己愛性の人格障害に関して,次のように述べております。
「自己愛パーソナリティ障害の子供を持つ母親の中には,基本的に情緒が冷ややかで利己的に他人を利用する人たちがいる。そういう母親は自分自身の完全主義的な情緒的欲求を正当化するためのちょうどよい対象となるように子供たちを型にはめ込み,子供の分離・固体化欲求を無視する。子供の真の固体化欲求は,母親の理想化投影に子供が共鳴するにつれて損なわれていく。母親の子供に対する理想化に子供が同一化すると,子供の誇大自己は保存されるようになり,・・・」
この論旨に従うと,A氏の幼児心性である誇大自己と万能感とを,母親が功利的に巧みに利用して,A氏を通じて母親自身の誇大的な欲求を満たそうとしたということなります。A氏は母親の干渉に気がついていたと思われ,母親への不快感,反発を強める一方,自己の誇大感を母親によってくすぐられることには大いに満足していたといえるのかもしれません。
彼の無意識は他者の賞賛を強く求めるものがあり,それに見合う実質を欠いてしまった後にも,虚しさと一体となった誇大感に相応する自負心を捨てることができなかったように思います。
彼の気分は当てのない賞賛をそれとなく他に求めていたように思われ,いまや他人は滅多なことでは彼を賞賛する理由もないので,彼は常に不機嫌に’愚かな他人ども’が不愉快で仕方がなかったのでしょうか。
夏のキリギリスは光の思考が可能でした。そのとき無意識の闇の世界に葬られている分身たちも息をひそめて自我の働きぶりを見守ります。いつかは自我が自分たちにも目を向ける力を持つかもしれないからです。
冬のキリギリスは影の思考に支配されてしまいました。心の世界全体が影に支配され,世界を構成するものたちとの関係が生気を失ってしまいました。それは一途に無気力になっている自我と,相対的な関係にあります。影の世界のものである怒り,憎しみ,怨念などの暗い情念が,冬のキリギリスのように滅びを志向しようとします。
冬のキリギリスの世界は病者の世界です。世界がすっかり影に覆われたときに,自我の世界である社会性が後退し,幼児性が露わになります。幼い時代に満たされなかった心たちが,頼りにならなくなった自我に見切りをつけ,自分たちの姿を露骨に表すのです。
精神科医は,影の専門家であるといえると思います。自我の気弱さが影の勢力増大を招き,ますます自我が力を衰退させることになるのを,精神科医は病者の自我に代わって病者の心を力づける役目を持っています。
影というのは,先ほど述べた闇に通じるものです。影が支配的になると,意識が無化されていきます。自己の世界の関係性を剥奪する力を,闇は持っています。自我の機能不全が回復不可能なレベルに及ぶと,闇による自我の回収,つまり死への直面ということになっていきます。
自我の活力が不十分であれば,自我は自分の影を扱うことができません。影は他者の介入によって,自我が懼れをなして身売りをしてしまったというような心的過程に伴って生じたものです。自分が思わずしてしまった無意識的な不始末を,衰弱した自我が改めて回収することはほとんど困難です。他者の利を優先させて自己の不利益を我慢するというのは美談にもなり得ますが,自我の気弱さのなせる業であれば,大きな禍根を残すことになるのです。
自己の世界を支える諸々のものたちとの関係が無化されているときに,治療者が介入することで,治療者とのあいだに新たな関係が生じます。それが信頼関係といえるほどのものになっていけば,それだけで病者の世界は活気づくきっかけを持つことになります。
A氏が画家として再生しかけているのは,A氏の自我に潜勢力があったということになるのでしょう。彼は画家として外的対象の無限性に関わることになったといえますが,それは同時に彼の影や闇の世界である無意識の無限性との関わりが新たに始まったことをも意味するでしょう。心を無化する力を持つ闇は,自我が力を回復させると,自我の拠り所となって大きな活力の源泉になるのです。
精神科医をやめ,画家に転向したことはよいことでした。
精神科医は,自分の影の世界に精通していなければなりません。精通とまでもいかなくても,そこに関心を向けつづけなくてはなりません。というのも患者の皆さんは,影に呑み込まれそうになって医者を求めるからです。医者が自分の影に無関心で,無神経でいるかぎりは,心の治療者の資格がないといってよいでしょう。さもなければ患者さんの影に直面して,医者は間違った反応,対応をしてしまうのが避けられないのです。影に反応して,自分の影である鬱屈したものを相手にぶつけることになれば,攻撃的,拒否的,敬意の要求という傲慢など,してはならないことを防ぐ手立てがありません。また影を共有しあうことで,悪しき依存関係が形成される場合もあるでしょう。それは患者さんを利用して,「傷のなめあい」をしていることになるのです。
心の治療者は,心を病む人の指導者です。一歩上にいる必要があります。それは知識があるとか,地位があるとかということでは勿論ありません。患者さんの影に呑み込まれず,その影を見つめつつ,治療者本人の心の影の動きを見張ることによって成り立つ類のセンスと技術に関わるものです。
それぞれの自己はおびただしいものたちとの関係を持ち,それぞれの自己の世界が構成されています。私が日々の生活でどの程度満たされているかということは,それら私の世界を構成しているものたちとのあいだで,生きた関係を保つことができているかどうかにかかっています。その中でも主柱となるものたちとの関係が,とりわけ重要です。それらとのあいだに生きた関係が保たれていれば,私の世界は親和的な相貌で表われるでしょう。しかしそれらとの関係が親しみを欠いていれば,世界は寒々としたものであるでしょう。何か特別に悲しいできごとに見舞われれば,そういう事態になります。
H.テレンバッハが提示した「メランコリー親和型」という性格類型は,内因性メランコリーへの親和性を持つものとして提唱された概念です。この概念は,下田光造が提唱した「執着性格」との類縁性が指摘されており,日本的な性格類型であるといわれております。その要旨をかいつまんで翻案すると以下のようになります。
日常の生活は,有形無形の規則で秩序立てられています。日本には日本的な暗黙の生活習慣というものがあります。個々の会社や学校には,それぞれの社風なり,校風なりがあります。家庭には家風があります。自分が置かれている組織や集団などの秩序に基づいて,忠実に,几帳面に,自己を捧げようとするのがこの性格類型です。彼らは,所属する集団の中で感じ取った期待されている役割を敏感に感じ取って,それを高いレベルで忠実に守り通そうとする生来的な気質を持っています。彼らは与えられた立場において,その立場を主体的に生きようとするよりは,要求されている秩序の中に自らを主体的に投げ入れるのです。主体者として行動するよりは,忠実な僕であろうとすることに主体的に関わるのです。彼らの仕事ぶりは,几帳面,勤勉,堅実,綿密です。非の打ち所なく役目を果たすことに,彼らは使命感を見出します。仕事はすべて人との関わりを持ちますから,人に対して誠実,律儀,世話好きな性格が好都合に働きます。
彼らの厚い愛他的な性格と確かな仕事ぶりは,人に信頼され,敬愛されることになるのは当然といえば当然です。
それらは立派な処世の術となっているのですが,彼らが狡猾に見えることは決してないでしょう。人にそのように見られるとすれば,彼らには耐え難いことだと思います。行為の無償性が,彼らのもう一つの美徳といえます。だから人を出し抜いたり,争ったりということは決してないだろうと思います。誰の目もないところではずるく立ち回るなどということは,およそなさそうです。
彼らの自分への高い要求は,何に基づいているのでしょうか?
彼らの性格の根本問題は,個々の他者の眼ではなく,公共の眼のごとき高次の他者の眼を畏れ,敬うところにあるように思われます。それは個人的な他者への依存ではないので,確固としたものへの依存ということになり,彼らは容易には動揺しないのです。
彼らの思考や感情や行動の原理は,そのように公共的な他なるものへの高度の依存といえるものなので,身の回りのあらゆるものに優しく心を配り,場合によっては他人のために命をも惜しまないほどのものだと思います。
♪ しばしも休まず槌打つ響き,飛び散る火花や走る湯玉,ふいごの風さえ息をもつかず,仕事に精出す村の鍛冶屋・・・。
これは明治時代の小学校唱歌の一節ですが,ここには執着性格の特徴が表されているように思います。
明治時代は封建的支配から脱し,近代的統一国家への体裁を整える大激動の中にありました。文明開化の気運や自由民権運動の高まりなどがある一方で,政府の富国強兵策が浸透していきます。開発途上にある国家は,軍部による支配を目指すのは必然のようです。人民の不満の噴出をはじめ,激動期のエネルギーを抑え,かつ利用するためには,軍の力は欠かせないものでもあるのでしょう。日本国の富国強兵策は,モデル的な成果を上げたといえるようです。短期間に欧米列強と肩を並べる軍事力を育成し,産業革命を成し遂げました。産軍の興隆と人民の支配とが切り離せない統治策であったと,明治史は語っているように思われます。
小学校唱歌は,欧米の先進国に追随しようとする,当時の為政者の施策の一端でもあり,為政者にとって望ましい日本人像が,唱歌を通じて働きかけられているという色合いの濃いものだったと思います。
このような時代に,執着性格は,模範的な美質としてとりわけもてはやされた一面があります。公共的な意志とでもいうものに依存する「執着性格」の人たちは,為政者にとっては都合がいいという面もあると思います。
ところで執着性格が云々されたのは,うつ病の病前性格という観点からでした。
その性格特徴が,与えられた秩序の枠の中の規範的な価値を最大限に追求するというものなので,彼らが危機に陥る状況は,大きく分けて二つあります。
一つは,与えられた課題が大きすぎるということです。比喩的にいえば,負わされた荷物の重さにつぶされてしまうのです。
たとえ不寛容な心を持つ上司であっても,この性格的特長を持つ人たちには,上司は上司なのです。命じられた仕事は,家庭を犠牲にし,休日を返上してであっても応えなければならないのです。責任感が強い彼らには,役目を果たせないことは何よりも申し訳ないことです。その罪悪感は,例えていえば,最も頼りとする父親の期待に背いて顔向けが出来なくなっている様といえます。拠り所が自己の中にではなく,内なる公共的な他者(イメージ的に父親に通じるものです)にある彼らには,職責を果たせないということは,弁解の余地なく許されないことです。外なる他者は許してくれても,彼らの内なる他者は過酷です。そもそもが,その過酷さが彼らに規範的な価値への高い忠誠を要求したのです。彼らが自分の意志で,決意して自分に高い要求を出したのであれば,それは責任を取れる話です。しかし要求を出したのが,自己ならざる自己である内なる他者であれば,挫折したときに責任の取りようがありません。言葉を換えれば,問題を受け止める主体が不在であるに等しいのです。
いかなる場合でも,問題は受け止められないでいるときに,心は乱調の中にあります。そして更に乱調に陥ります。
危機的な状況のもう一つは,全身全霊を込めて奉仕をしてきた秩序体が,別種のものに変わるという事態です。具体的には,転居,昇進,転勤などです。折角作り上げたものを捨て,また一からやり直すのは,途方もない精神力が必要と感じるのです。
オリンピックで三連覇を成し遂げた柔道選手が,テレビの番組で,「四連覇を狙いますか」と質問されていました。それに対して彼は,次のように答えていました。
「監督に,練習の再開は年が明けてからするようにといわれている。今は練習を何もしていない。練習を再開してから身体の様子を見て決めることになると思う。三連覇に向けた二年間の練習の苦しさを考えると,年齢のこともあり,今は狙いますとはとてもいえない」
この選手はオリンピックの二年前の世界選手権で不覚を取っています。その口惜しさがばねになって,激しい練習に耐えてきたのです。
一流選手が目標を定めたあとの日常生活は,執着性格の人の完璧を目指す忠勤ぶりに似ているように思われます。
ただし,この選手が,「四連覇を狙うかどうかは自分が決める」と明言しているかぎり,うつ病に悩むことはなさそうです。執着性格の人は,「自分が決める」といういい方はできないように思います。
30代のある男性は,外出恐怖の悩みを持っています。外出中に不穏感が出てくる恐怖があるのです。ある日,薬を持たずに外出してしまいました。用心深くなっているので,外出するときには薬を携えるのが習慣でした。しかしこのときはどうしたことか,忘れてしまったのです。しかし,「まあ,いいや」と思い直しました(何かのときに,「まあ,いいや」と思えることは案外重要なことです。それは問題を受け止める気になっているという意味があるからです。不安に見舞われるかもしれないが,それはそれで仕方がないという気持がこめられています。ほどほどの感覚ではなく完璧な安全を求めるようであれば,その時点でパニックに陥ってしまうでしょう。多少の不安でも耐えられそうにないと感じれば,完璧な保証を求めたくなるのです。それがないかぎり,安心はないことになります。ほどほどのことは許そうという心が大切なのです。人間に完璧はないので,完璧を求める心は常に病的です。それらの心理を集約している言葉が,「まあ,いいや」です)。
「まあ,いいや」と思えたことが,薬ではなく,自分の力を信じようという気持に傾くきっかけになったようです。そのときから,外出の恐怖が和らぎはじめました。
近くに,結婚している妹が住んでいます。甥と姪がいて,彼は彼らに慕われています。妹に,兄の外出訓練を助けようという気もあってか,兄にその相手をしてやってほしいと頼まれていました。行けるときもあれば,行けないときもあります。行けるときでも,ウオークマンで武装するようにして,まっしぐらに,脇目も振らずに歩くのが習いでした。しかし薬に頼るのをやめてから,周囲の景色が自然に目に入るようになっていました。子供のころに遊んだときの情景が浮かんで懐かしんだり,民家のクリスマスの電飾をきれいだと感じたりしながら,歩けるようになったのです。
この話は,’元気になる’ということについて示唆するものがあります。
先にも述べましたが,それぞれの自己は,それぞれの固有の世界と共にあります。世界は,もろもろの物や人との関係で構成されています。この男性の例でいえば,妹さんのところへ歩いていく道すがらの歩いている道,周囲の景色,これから会うことになる妹や甥や姪,妹の家,周辺の民家,などなどが彼との関係において存在し,彼の世界を構成している様子が語られています。
不調の彼は,道も野原も小山も樹木も民家も,ほとんど心から排除されて,それらとの間で生きた関係にないという心的状況にあるといえます。それらの道や野原などからすると,主人公の自己から存在を無視されているに等しいことになりますし,心の側からいえば,闇の無化作用を受けて,それらとの関係が疎遠なよそよそしいものになっているともいえると思います。それに相応して,彼の心は不安に脅かされていました。関係があいまいになり,途絶化,あるいは無化することにより,彼の心は繋ぎとめるものを失って危うくなるということだと考えられます。
そして心が回復してくると,それらのものが一斉に彼の世界に戻ってきたといえるのです。それらとの関係は生きたものとなり,親しみを持つものとなり,そうした関係に繋ぎとめられて心が落ち着くことができたのです。
このように心が不調のときは,自己と自己の世界を構成するものたちとの間の生きた関係が損なわれているといえます。逆にそれらとの関係が改善されれば,心の回復が図られることになりますので,あえて自分の世界を構成し,支えているものたちに意識的に目を向けることは意味のあることです。それらは自分が存在し,生きていく上で大切なものであるのは明らかですから,生きた関係が保たれているときは,自ずから感謝の心が,特に意識はしなくても,それとなく流れているのではないでしょうか。健康なときに,暖かな心でいられるのは,そういうことの反映であるといえると思います。「物を大切にしなさい」といえば,現代ではうさんくさく思われるかもしれませんが,自分にとって大事なものを大事に扱わなければならない意味があるのは明白です。プロ野球の落合監督は,現役時代にバットを常に磨いて大切に扱っていたと聞いたことがあります。
自分の世界を構成している物や風景や動物については,それらとの関係を改めて確かめてみることで,心の世界の活力を導き出す意味を持つと思います。しかし人の場合は特別に複雑です。それだけに重要な意味があり,両親を中心とした鍵を握る人たちとのあいだの関係改善をはかることが,精神療法の要件です。
中年のある女性は,長年のあいだ,さまざまな程度のうつ状態がつづいております。
彼女にとって重要な関わりがある人が三人います。一人はおなじ敷地内に住む高齢の母親,一人は夫,一人は既に嫁いでいる一人っ子の長女です。
母親はおなじ敷地内に住んでいます。その母親に,亡父の墓参りに誘われました。その日,起きたののはお昼ごろでした。母親は,「一人で行くからいい」と怒って行ってしまいました。
母親には,すぐ近くに住んでいることでもあり,食べるものを持って行ったり,身の回りの世話をやいてあげたり,できるだけのことをしようと努めてきました。しかし母親は一向に有り難がらないのです。持って行ったものを,「要らない」と突っ返されることもあります。夜中に目覚めたときに,母親が無事かどうか,しきりと気になった一時期がありました。それは母親を思う情に違いないのですが,その裏返しの感情も潜んでいるかという趣がありました。母親に認められたい心が強く,それがいつかな適えられないので,怒りが潜在していてもおかしくありません。妹と母親との関係もあり,母親はたぶんに操作的,支配的で,母親との間の歪んだ依存関係が根本問題の一つといえるでしょう。
夫に対しては,結婚早々から不満が内向しています。会社が倒産したとき,保証義務がおよんで大きな経済的損失を余儀なくされました。夫はいま困難な病気と闘う身です。始終辛そうにしている夫に気疲れします。怒りをぶつけることもできません。特別食をいつも考える負担も耐え難いものがあります。
長女には手を焼いてきました。いいたい放題,したい放題の娘だったと思っています。いまは結婚し,子供も生まれました。たまに帰ってきたときは,母親の都合は念頭になく,子供を預けて夜中まで遊んでいます。
母親との墓参の約束を寝坊して果たせなかったあと,夕方まで眠りました。そして目が覚めたとき,無性に死にたくなったのです。死のうと思い,身の回りの物を整理し,遺書をしたためました。
しかし長女のことが目に浮かんできました。そして身勝手なことはできないと思ったのです。
彼女が自殺を考えるほどに追い詰められたとき,彼女の世界を支え,彼女を世界に繋ぎとめておく一切のものとの関係が途絶えかけたといえます。その背景には強い怒りが潜在し,それが一切の関係を断ち切ろうとする勢いを示したともいえると思います。自殺に走るのは,このように自己の世界を支え,自己を世界に繋ぎとめているもろもろとの構成的関係が終焉を向かえ,関係が死滅するときであるといえるのでしょう。
そういうときに,彼女の場合,長女との関係が蘇ったのです。そして,それによって生きる力が回復したのです。
統合失調症では,世界が貧困化します。誇大感を持つある患者さんは,芸術や学問の世界で超一流の力を発揮する夢のような話をしばしば語ります。その夢は決して実現されることはないでしょうが,それによって生きる支えを得ているのも確かでしょう。
統合失調症では,現実吟味力が問題にされます。どのくらい客観的な認識力が保たれているかという意味です。この力は,自我の機能の一つです。現実の上にしっかりと立っていないと,自己を正しく保つことができません。現実吟味力が病的に損なわれているとき,自我の機構に深刻な障害が生じている端的な表れであると考えなければなりません。現実に立脚することが困難であることと,関係性が広範囲に損なわれているということとは,おなじことの二つの表現です。それは,言葉を換えれば,世界が病的な変容をきたしているということになります。
これらのことを考えると,人や物など客観世界のもろもろのものとの間で生きた関係にある心は,文字通り生きているのです。個々人それぞれの世界は,主観的=客観的という性格のものであるといえます。
まったくの客観的な世界というのは,それ自体で自足する世界です。まったくの主観的な世界というものは,たぶん存在しないでしょう。こうしたことは,おそらく人間が自我を持つ存在であることに起因します。人間の誕生は客観的世界からの乖離という意味があり,そのときに自我が付与されたというふうに考えることが可能です。付与したのは何ものかというのは,人間の理性を越えた問題であるとしかいいようがありませんが。ともあれ人間を特徴づける最たるものは何かといえば,自我を持つものであることといえるでしょう。そしてその由来は,おそらく永遠の謎だと思われます。そしてまた,人は自我によって主観的な存在であり,かつ客観世界との関係を必須のものとしているといえるのです。心の内部の客観世界は無意識の世界です。比喩的にいえば無意識は海であり,自我はその上に浮かぶ小舟の船頭です。もっともこの海は,無限大の広さと深みを持っています。船頭の操船にあやしいものがあれば,船頭に期待されている予定調和が乱され,怒りが海を荒れさせます。それで更に船頭が操船に自信を失うと,海はますます荒れて子舟を呑み込もうとします。それが無化作用です。
客観的世界との関係を保ちつつ,自我に拠り自己自身であらんとする存在者,それが人間です。まったくの主観的世界は存在しませんが,自己自身であらんとすることに難渋すると,客観世界との関係が途絶に瀕することになります。その極端な様態が統合失調症というものです。そこでは主観的=客観的という関係に,さまざまなほころびが生じ,著しく主観に傾くのです。主観的自己が客観世界のものとの関係に繋がれていないと,自己はかぎりなく貧困化します。その病的過程では,自己がバラバラになりそうだという強い不安が訴えられますが,このような深刻な事態が進行していることに伴う不安であると考えられます。
客観的世界との生きた関係が確固としていることが,もう一方の主観的世界が充実しているためには不可欠です。それは人間という独自の存在者が目指すべき自立理念が,客観的世界への合流であることを示唆しているように思われます。そして客観的世界に属するものの性格は,汲めども尽きない豊穣性と,冷酷ともいえる沈黙であるように思われます。
心と世界が充実し,温かくなるのは,心が,この客観的世界の豊饒性に触れているということであり,心と世界が寒々として貧困化するのは,その接触が希薄化し,冷酷なものが前景に表われているということであるように思われます。
自我の出現以前の自然が,人間的に理解すれば,全(豊饒性)または無(冷酷性,沈黙性)であり,自我とともに自然から乖離された人間存在は,それ自体で自足する存在ではなくなったということになると考えられます。自我に拠る存在として,人間は主観的であり,かつ客観的であるという独自の存在構造を持つにいたったと考えることができると思います。
そもそもの自然は,その全体性という性格から全という豊饒性であり,かつ無という性格から冷酷性ないしは沈黙性でもあり,自我との関係においてはそれらのいずれもの様相が,さまざまな形で現前するということではないでしょうか。
さきほど,自己の世界を構成するものの中で,自己と物や動物との関係はシンプルなので,それらについて意識的になることで,ある程度の心の化粧直しが可能だが,人については複雑で別格であると述べました。
そのことを具体例に即してみて見ます
長期間,うつ状態から脱せないでいるある女性が,母親と激しい口論をしている夢を見たと報告してくれました。現実にはそういうことは起こったためしがないそうです。つまり彼女の意識では,「子供じみたところがあり,あまり母性的とはいえないとは思いますが」と控えめに批判しますが,母親との関係は穏やかなのです。
こういうときに,心の化粧直しは,より手の込んだ方法が必要です。つまり,意識はしばしば己をも欺くものなので,意識が捉えている母親や父親をはじめとした他者のイメージが,心にとっての真相を必ずしも表していないのです。意識が真相を隠そうとするのは,それが心にとっての影に所属するものだからです。
彼女の場合,怒りを強く抑圧していることがうつ状態の遷延につながっていると推測されます。意識的な心の内景は,母親との関係が穏やかなものということになります。そのかぎりではよい関係にあるということになりますし,物や動物との関係であれば,それで十分といえます。しかし人との関係ではまったく十分ではありません。
仮にこの女性の意識が,それなりの心の準備を抜きにして怒りの存在を捉えてしまったとすれば,心は大混乱に陥ると思います。自我が激しい怒りを受け止める勇気を持てないので,抑圧の手を緩めることができないでいるのです。それが生きている気がしないほどの抑うつ感の理由と思われるのですが,抑圧の手を緩めることができない自我は,おそらく自立には程遠いのです。父親ないしは母親の自我の支配を強く受けているので,彼女の自我は自分を助ける独自の働きを封じられているといえます。
彼女の場合,いわゆる対人関係の改善は,内的な両親との関係をあるべき姿に改変しなければ果たせないといえます。意識の上では穏やかな関係をひと掘して,彼女の自然の自我の機能を大いに混乱させられたことの怒りを,意識が明るみに取り出さなければ解決しません。それは必然的に親への怒りを表に現わすことになります。その筋の心理的作業を貫徹するには,自我の強化が果たせなければできない相談ですが,その勇気を持ち始めたときに,心の大混乱の彼方に新たな心の平衡が待っているといえます。
自立が理念であるというときに,その方向を指し示すのはどうやら自我ではありません。
自立の概念が成立するのは何を根拠としているのかといえば,人間は究極的にどこへ向かおうとしているのかという問いに発すると思います。人生は死によって終焉を向かえます。生と死のあいだには連続性がありません。そして死は人生の到達ではなく,生の回収です。生は自我の世界のものですが,死は自我の力のおよばない世界のものです。そのように考えると人生に究極的な到達点はなく,未完のままで終わる宿命の下にあります。死は自我の力を超えた世界のものであり,自我を無化し回収する力を持つものとして,自我を超越した,上位にあるものです。そうしてみると,自我が回収され,生が終焉を向かえるときに,人は,「人生は結局は虚しい」と考えるか,「これでいい」といいおおせるかの両極に分かれると思います。前者は闇に包まれてしまっている者がする影の思考であり,後者は自我が生きている光の思考であるということができます。
生に到達点がないことと,生が回収によって終焉を向かえるのは同じことのようですが,生があるべき到達点に向かおうとしつつ終焉を向かえるときには,「これでいい」という肯定的な気分になれるのです。この’あるべき’到達点への到達が自立というものであり,それは実際にそこに到達することはできませんが,指し示される朧な光として感じ取ることが,人によっては可能のようです。
はるか遠方に,朧にかすんで定かには捉え難い光を捉えるのは自我です。その発光体は,矛盾したことをいうようですが,自我の内部にあるといえるのでしょう。つまり自我が拠り所とする自我機構のうちに存在していると考えられます。自我は機能であり,自我機構を拠り所としますが,機構そのものは自我が作り出した作品ではありません。
結局,自立は自我の直感に訴える何かとして感じ取られることは可能ですが,現実には到達不能の理念であるということになります。
人間に可能なことは,自我が意識という光を機能させて目下の問題を探索することです。そして,その極限に達したときに闇の世界がはじまり,そこは人間の世界であって人間の世界を超えています。朧な光につつまれた自立の理念は,自我を通じて発光させる闇の世界のなにものかの意志であるようにも思われます。
その朧な光の根拠,ないしは自我機構の存在根拠は,自我と直接的に関わりつつ自我を超越しているものという性格のものであり,それを前章で述べた内在する主体と呼ぶことができるのではないかと考えます。
自立は自然に通じるものがあると思います。自然とは,自ずから然りということです。つまりそれ自体で自足しているということです。自立もまた,それ自体で自足しているということですから,両者には共通するものがあると思います。
自立は自我に与えられている課題です。自我は内なる自然である無意識に拠り所を持ちつつ,外なる自然に関わる諸々の現象としての自己の世界を構築していきます。そしてやがては自然そのものに合一するべく自己を導く使命を帯びています。それは果たしえない目標であり,ついには死によって人生は切断されることになりますが,精一杯生きるというのはそのように生きることだと思われます。何事も精一杯生きることはいわば理想です。何らかの目標があり,それにかなう能力への信頼があるときに,そうした最善の生きる姿勢が得られるのです。自分を信じていなければ,目標があっても行動は伴いません。自分を信じていられるときは,自分の自然に触れているときです。何事によらず,自然が一番よいのですが,自然そのものを生きることができないのが人間です。自然的に生きるのは難しい課題です。しかしそれを求める心があれば,そこに近づくことは可能で,そのときにたぶん満足のいく充足感があることでしょう。
人が自然的な生き方ができる拠り所は,内なる自然にあります。関わりを断ち切るわけにはいかない重要な意味を持つ他人たちによって,一途に心の自然を混乱させられるのは皮肉以上の不可思議ですが,それが現実です。その不自然となった心を,内なる自然を拠り所に,改めて自然に立ち返るのが人生です。そのことの手がかりは夢が与えてくれるかもしれません。夢には内なる自然の叡智が表われる可能性があるのです。そのことからも闇の世界である無意識の領域は,自然そのものが心に関与しているものであると考えられ,そこには人知を越えた叡智が沈黙のうちに存在していると考えてよいようです。
自立が自然の特性である完全性を持っているのに対して,自我に拠る人間は不完全な存在です。であればこそ,完全なものである自立を理念とするのです。,
人間存在の不完全性は,心の二極構造として表われています。自己が存在するためには他者の存在を不可欠のものとしていますが,他者は外的な存在にとどまらず,自己の構造に内的に含まれているのです。
私が男として存在しているということは,自己の構造として他者を内に含み,異性を内に含んでいることになります。完全なるものを希求するものであるらしい自己存在は,自己の構造に他性を含み持ち,それによって外的な他者,および異性との関係が不可欠なものとなっていると考えられます。かつまたその一方で,それら外的な他者,異性と結局は一体のものとなることは不可能であり,自己は不完全性を克服し得ない存在なのです。
自己の内的な構造として異性や他者が含まれていることにより,外部に存在する彼らが,外部からの観察と学習によって初めて理解可能な異星人のごときものではなく,経験以前にそれらの存在を了解しているといえます。
それらのことの根本には,人間が自我を持つことによって人間であることに伴い,自我と無意識との二極に分離して心が成立している存在であることに関連していると思います。つまり人間の誕生というできごとは,自我と無意識との二極に分裂した存在として,自然から乖離したものが世界に登場することであると考えられますし,死によって自我と無意識の両者が再び合体したときに,自然に帰還することになるというふうに考えられのです。
ともあれ,いかなる叡智が人類を生み出したのかは知るよしもありません。しかしたとえば夢において,日常の思考系列からすると啓示のような考えが現に見られるのであり,それは自然の叡智とでも呼びようがない思考のひらめきです。そのことからしても,人間は無目標のまま放り出されたというようなものではないように思われます。人生は難解そのものであり,その生誕と終末との謎を解き明かす力は人間にはないといわざるを得ません。漂流するかのような人生があります。極悪人も存在します。病気という心の破綻もあります。人生の舵取りはしばしば困難を極めますが,それでも心の奥底に耳を傾ければ,意味深いつぶやきが聞こえてくることも可能です。それが生きる方向を指し示す力として感じ取られたときに,自立の方向が朧に感じられたということであるのかもしれません。それは分かる者にだけ分かることなのでしょう。
いずれにせよ自我の認識能力がすべてではないと思います。それを超えたものがあるのは明白ですから,自我万能主義は愚かな迷妄というしかありません。そこからは,「人生は結局は虚しい」というつぶやきが聞こえるばかりだろうと思います。自我を超越したものが存在しているのは論を待たないので,その前に頭を垂れる謙遜こそが人間にふさわしいといえるのではないでしょうか。自分よりゆるぎのない上位のものが存在することを認めることは,その前に自然に頭を垂れることが含まれるはずで,これ以上の豊かさ,喜びはないといって決していい過ぎではないでしょう。
自立理念は,それに向けて現在の自己を脱し,より好ましい自己に改変していく方向を示すものです。好ましい自己の方向とは,いうならばダルマへの道です。自己の重心が自己の真ん中にある感覚です。なにか痛切な出来事があって,自分を保つのが危うくなっても,ほどなく傾きかけた心の態勢を立て直すことができるための拠り所が,自己の内にあるという感覚です。
現実に,人は何事かに依存しつつ存在します。自己があるということは,同時に,それは何事かとの関係で存在するということです。その関係の連鎖の先には,他者との関係があります。自己が存在するということは,結局,他者との関係として存在するということです。
人間を特徴づける自我は無意識の力に依存しています。それが,自我に拠る人間が,基本的に依存的な存在であることの根本理由かもしれません。依存は一般には相互的なものですが,自我と無意識に関してはそうではないと思います。無意識の中でも,個人的無意識(ユング)と自我の関係は相互的です。しかし集合的無意識は人間の心の内部にある自然であり,全という性格を持つものなので,自我が一方的に依存する関係にあると考えるべきだと思われます。
先に述べたダルマ的な心の中心という意味は,拠り所としている無意識の力と接触している感覚であるように思われます。人は他人との関係に依存しますが,それは必ずしも他人が信頼に値するという意味ではありません。それは,また,別問題です。他人は力を貸してくれることもあり,しばしば裏切りもします。ですから他人との関係に自己の命運そのものをかけてしまうのは,大変危険です。自己の重心がむしろ他者にあるときに,精神は病的に不安定になりがちです。他人の裏切りにあえば,ひとたまりもなく自己は傾きかねません。いうならば他人しだいの人生になってしまっている人は,現実に決して少なくないように思います。彼らは,他人によってわずかな打撃を心に受けるだけでも,しばしば深刻なダメージが残り,容易には回復しないのです。
しかし自己の重心が自己自身の中にあれば,心に打撃を受けても,ダルマのように態勢を立て直すことができるのです。
自己の重心の本来的なものは,心の内なる自然である集合的無意識にあると考えてよいと思います。その自然が自我の機構に及んでいると考えられ,それとの関係に自我が直接的に拠り所とする首座があると考えることが可能だと思います。その自己の本来的な拠り所と思われるものを,内在する主体と呼びたいと考えます。
この主体との関係が好ましくはかられている状況にある自我の下にあるとき,心はダルマ的に安定し,関係が好ましくないときに心はダルマ不在,もしくは他者への悪しき依存ということになると考えられると思います。
Pさんは40代後半の主婦です。夫と長男,長女との4人家族ですが,長男は一人暮らしをしています。地方都市で大きな割烹料理店を営む両親の下で育ちました。母親は優しい性格といいますが,夜遅くまで店の仕事があるので,朝は遅くまで寝ているのが日常でした。当然のように,幼いときから,毎朝幼い弟の分と二人分の弁当を自分で作って学校へ行っていました。家には住み込みの従業員が大勢いて,いつも賑やかでした。弟は寂しい思いをして可哀想だったといいますが,本人自身は大勢の人に可愛がられて仕合せに暮らしていたそうです。
ずっとよい子だったといいます。母親が忙しい姿を見ていたので,たいていのことは自分でしていました。気分がすぐれないときも,面には出さず,元気そうに振舞っていました。
高校を卒業した年に,東京の大学に入りました。寂しい日々で,寮の自室に閉じこもりがちだったようです。
20代前半で,学生のころから交際していた男性と結婚しました。夫は優しい性格で,これ以上いうと嫌われるかなと思いながら,思いのたけをぶちまけることもしばしばでしたが,常に優しかったそうです。その夫より自分が上位にいるような気分もあったといいます。夫には社会的な地位があるので,その妻である自分が誇らしくもあり,惨めなようにも感じていましたが,「私がいないと家庭がまわっていかない」という自負心を持っていました。
育児は生き甲斐を与えてくれました。元々手を抜けない性質ですが,常に良い母親でありたいと考えつつ,我ながら一所懸命にやったと思っています。しかし子育てが終わり,子供たちが成長していく姿を見ていると,自分だけが取り残されていく焦りと不安を感じるようになりました。
舅が死んだあと,姑を引き取り10年間生活を共にしました。最後の2年間は痴呆症になり入院しましたが,毎日のように見舞いに通いました。夫に負担をかけたくないと思い,休日も,「いいから休んでいて」といっていました。
難しい性格だった姑が死んで,数ヵ月後に初診となりました。そのころはしばしば落ち込み,何につけ自信がなく,夫に八つ当たりしがちになっていましたが,発端と思われる問題は,姑が亡くなる2ヶ月ほど前に起こりました,帰宅した夫の顔を見たとたん,居ても立ってもいられない気分に襲われたのです。
Pさんの通院は数年におよびます。一進一退ながら徐々に動じなくなる方向に向かっているといえます。
Pさんの問題は表面を見ればうつ病ということになりますが,依存的な性格がより根本の問題です。つまりPさんはダルマ性に程遠い性格といえます。Pさんを支えるのはPさん自身ではなく,夫と長女です。なかんずく夫であり,夫を支配しつくさないと安心できないのです。
育児と姑の看病は,Pさんにとって頑張りどころでした。自分の価値を示すよい機会でした。模範的な良い母親,良い妻というのがPさんに与えられた課題です。その課題を与えたのは,おそらく母親と父親です。実際には両親がそういう指示をしたわけではないのですが,Pさんが両親の覚えを確かなものとするために必要な,無意識的な戦略であったようです。夫の帰りが遅く(接待が多いのです),長女もまだ帰宅していない一人でいる時間に,見捨てられたような不安,寂しさがあったと,あるとき述べております。
芸妓もまじえた大勢の人がのべつ出入りする環境の中で,Pさんは実際にみんなに可愛がられていたようです。Pさんはずっと良い子だったと思うと述べています。そういう事情を見ると,一見なに不自由なく恵まれた環境に育ったようであり,Pさん自身がそのように認識しております。両親が家業で忙しいのを目の当たりにしているので,我慢して当たり前という生活状況でした。それだけに,いっそうPさんには両親を困らせないようにする理由がありました。しかし良い子というのは,大きな自己犠牲を払わずには成り立たないものです。幼い子の心の自然の欲求が満たされなかったと思われるのですが,それがPさんの心に残った寂しさと依存心と支配欲の源泉と考えられます。どんなに大勢の人に大切に扱われても,両親は別格です。両親,なかんずく母親に見捨てられる不安は,すべての赤ん坊に共通する本源的なものといえます。それを甘えによって和らげていくことが心の成長には必須といえます。Pさんは,大いに恵まれた環境に育ったともいえますが,肝心な一点で欠けるものを持っていました。
「なんでも一番でないと気がすまないところがある」と控え目なPさんが何度か述べております。幼いころに自宅が新築されたときに,弟の部屋の方が大きかったのが口惜しかったということです。元気だったころには,夫を下に見ていたといっておりますし,夫が昇進すると誇らしく感じる一方で,自分が置いてきぼりにされるようで不安だともいっております。夫が接待で女性の多い場所に出入りすることが多いようですが,若い子の話をされると,嫉妬とともに自分は不要といわれているように思えます。私がいるとどうせ邪魔なんだろうと,家族旅行をキャンセルしたこともあったといいます。
Pさんの性格は,明るく,穏やか,優しく,親切といったふうな好ましいものだと思います。特に無理をしてそのようにしているとは思えません。それがいわば表の人格です。一方,裏の性格には,人に認められ,受け入れられないという大きな不安があります。そこには裏の性格につきものの大きな怒りが潜在していて,その怒りが,当然の欲求を満たされることがなかった理不尽さにからんできます。それは母親には私が可愛くないのか,不要な子なのかという不安と不満でもあるはずです。
夫は優しく,受容的な人のようで,依存する相手が切実であるPさんには,自分を託すにはこの上もなかったようです。その夫を,Pさんの無意識は支配しようと考えたようです。自分が受け入れられない不条理と,それに伴う怒りとが裏の性格を彩っています。従来は,そのつもりがなかったでしょうが,抑制に抑制を重ねてきたので,大きな怒りと不満とが,お門違いともいえる夫に向けられたのだと思います。その不条理も知っているので,Pさんはしばしば懊悩し,落ち込みもします。それが表の性格をリードする自我の悩みであり,力不足でもあるのです。そして内心の不満と怒りとに煽られる裏の性格が,安心のできる夫に,いわば完璧で,全的な受け入れを求めるのです。
このような表の自我の力不足が,裏の自我の強い要求を引き起こしているのですが,両者のあいだの葛藤がPさんの病態を招いているといえるでしょう。両者の綱の引き合いで,ときには気分が晴朗になり,ときには不安と憂鬱と苛立ちになるのです。
悪しき依存には怒りが介在します。それはしばしば無意識です。怒りをつよく抑圧した依存(本人には怒りは意識されません)の状態にあるとき,依存する相手に絶対的な忠誠心を持つことがあります。その極端な例は,昨今問題になっている虐待に見られます。命が危ないほどの目にあっている子が,第三者が救助の手を差し伸べようとしても,十人が十人,放って置いてほしいというそうです。
子供の方が怒りをあらわにし,親に暴力的になる形の依存もあります。この問題もしばしば深刻ですが,怒りを表せない依存は問題視されにくいことが多く,こちらも同様に深刻です。怒りを出せないのは,当然,恐怖や不安からです。恐怖や不安を持ったために”物言わぬ子”になってしまうのは,ごく幼いときに問題の発端があったからでしょう。心身がある程度成長し,それなりに力を自覚するようになってからは,いわゆるPTSDにつながるような特殊な状況下ではともかく,滅多には”物言わぬ子”にはならないだろうと思います。
人間の誕生は,自我に拠る世界の幕開けです。何によってか,人となるということは,自我が付与されることによってということです。自我は,それぞれの個の世界を切り開き,構築していく上で必須のものです。また,自我が付与されたということは,自分の責任で生きなさいという意味が含まれています。赤ん坊にはそんなことは分かりようもないでしょうが,しかし,無意識のどこかで地獄のような人生を背負わされたと感じているかもしれません。胎児以前の自然の一部であった時代は,苦楽はもとより,一切の意識が存在せず,従って永遠の沈黙の中にあったともいえるのでしょう。それがいかなる理由によってか,永遠の沈黙の世界から乖離されたのです。それが自我に拠る人間の誕生です。生まれ出るものは,人々に喜びをもたらします。それは人間が自我によって生を切り開く使命を帯びており,自我は光の世界の演出家であるからです。光をもたらすものは,自我の世界への参入だからです。そして生まれ出た赤ん坊はどうでしょうか。光を知るものとして歓喜するでしょうか?それはおそらく違うと思います。光を知ることは闇を知ることでもあるからです。赤ん坊に光も闇もないかもしれませんが,人間の誕生ということは,光と闇の世界の始まりということですから,赤ん坊が何も感じないと考える根拠はありません。赤ん坊が驚愕と怒りの中にいるとしても不思議はないと思います。後々,そういう記憶が感覚として残っていないという証拠もないと思います。
人間の誕生はいずれにしても並大抵のものではありません。
児童心理学の研究者でもあったイギリスのメラニー・クラインによると,生れ落ちた赤ちゃんは激しい怒りを持っているということです。おそらくは安全で心地よかったはずの母親の胎内からいきなり放り出されるのですから,途方もないことといって過言ではないでしょう。いずれにせよびっくりもし,怒ってもいて当然のように思います。
出産とは,赤ん坊に成り代わって想像的に大人の言葉で表すと,不安,恐怖,猜疑,怒り,寄る辺なさといった大きな感情を伴う体験ではないでしょうか。
そのように激しく傷つく心は,万能感といわれているものによって守られていると考えられています。「大きな力で守られているのだから大丈夫」という感覚です。それを満たす立場にあるのが,誰よりも母親です。しかしいうまでもなく母親の力は万能ではありません。ですから胎内にあったときに匹敵する安全感と満足感を求めるだろう赤ん坊の激しい欲求は,たえず裏切られないわけにはいかない宿命の下にあるのです。その欲求を母親が満たしてくれるときには至福の感情を味わい,満たされないときには激しい怒りの虜になるのです。
赤ん坊の恐怖は,闇を感覚的に意識するからではないでしょうか。それは自我という光のものを持つことに伴う必然です。そして光は生世界のものであり,闇は死の世界のものです。生まれたばかりの赤ん坊にして,生と死を過敏に感じ取るのではないかと想像されます。
赤ん坊の不安は,闇または死を感受することにあるように思われます。その恐怖を和らげ,安心保証をする役目を持っている母親が,赤ん坊の欲するものを与えてくれていないと感じるときに,赤ん坊は激しく恐怖し,怒りを持つと思います。怒りは保証を求める叫びでしょう。そして赤ん坊が自分の怒りの投影を,母親の表情の上に見たとき,母親が世にも恐ろしいものに見えることがあると思います。場合によっては悪鬼のように見えることもあると思います。そういうときには怒りが麻痺し,恐怖であらゆる感情が抑えられるかもしれません。
そのようにしてよい母親とわるい母親とが交互に現われ,それがやがて一人の人物として統合的に認知できるほどに自我が成長していきます。
乳児はまったくの依存の中にいます。絶対的な依存の対象を必要とします。胎内にいるある時期までは,自然の特性であるそれ自体という存在形態でしょうが,生れ落ちると同時におぼつかない自我を保護し助けるものが必要です。依存の絶対的な対象を必要とするということになります。母親の胎内での安全感に匹敵するものが求められ,それが先ほど述べた万能感という幻想です。ここに依存の原型があります。
万能感が満たされたときによい母親が体験され,満たされず怒りに駆られるときにわるい母親が体験されるというふうに考えれば,依存にもよい形とわるい形とがあることになると思います。よい依存は,自分が愛され,認められているという自我意識の形成に寄与することでしょう。それは自分は自分を愛している,認めているという健全な自己愛の形成にも寄与するはずです。そして自立へと向けた心の動きにつながります。わるい形の依存は,自分は愛されてはいないのかもしれない,認められていないらしいという恐怖,猜疑を伴う感覚的意識で,自分でも自分を愛せない,認められないという自我意識に発展すると思います。そうであれば人間に必須である自己愛の健全性が傷つけられることにもなると思います。それは自立するための基盤を危ういものにすることになると思います。
これらのことはだれもが程度の差はあれ置かれている,あるいは置かれざるを得ない人間の宿命的な姿ともいえるでしょう。強い自我に恵まれた人であれば,こうした心の逆境(悪しき依存に伴って,それを助長する体験が集積されて,心の暗部に得体の知れないものが沼のようにたまります。それは心の内側からおびやかされる原因になります)に悩まされながらも,立ち向かっていく力を発揮することがあります。大きな仕事をなしとげる人は,むしろいま述べたような心の重圧をかかえていた人たちといえます。自分の内部に鬱屈した問題を抱えてしまったために,真剣に人生と対峙し,人生を模索する人は強い自我の持ち主です。しかし多くの人の自我はむしろ弱く,人生と対峙するよりは回避する傾向が強くなるのは否めません。
ある不登校の高校生の例です。
新学期になれば学校に行けると思うといっていましたが,実際には行けていません。学校に行かないことを除けば,何事もないかのように過ごしています。友達とディズニーランドへ遊びに行ったりもします。
しかし朝は,蒲団をはいでも起きようとしません。母親には理解ができず,苛立ちがつのります。
学校に行けないはっきりした理由は,本人にもよく分かりません。積極的に行きたくない理由が学校にはありません。
学校という管理された社会と個人の自由な世界とで,この子は別な顔を持っています。母親の苛立ちは,人としての義務を遂行せず,わがまま勝手に生きているという類の怒りに発しているようです。そんなことでは大人になって落伍者になるという不安でもあるでしょう。確かに,それぞれが大人になったときに,自立的な人生を送ってもらわなければ困ります。母親の不安を解消するには,自立した大人に向けてのプログラムが見えたときといえるかもしれません。
この子の母親が安心する自立とは,依存から脱出しつつある傾向が見えるということでなければならないでしょう。しかし実際には,母親が心からそういうことを望んでいるかは疑問です。ふだんは元気にしていて,なぜ学校に行けないのかという母親の思いが間違っているとは思いません。ただ,ふだんの気楽そうな生活ぶりに幻惑されてか,学校へ行くか行かないかというレベルで苛立っているのは問題です。というのは,なぜという問いを,子供の心に即して発していないからです。母親は自分自身の常識の中から出ようとせず,その常識の高みから子供の行動を批判的に見ているのでは,依存の中にいるからこそであるに違いない不登校問題の核心は見えないだろうと思います。自立が問題であれば,依存の形を見なければなりません。それは子供の行動を,批判的に見ることによって得られるものではないはずです。それが問題であれば,母親は子供の問題に関して,自分自身を見つめる必要があるのです。それはたぶんに母親自身の問題だろうからです。そういう発想ができていないことが,そもそも母親の養育姿勢が,自分の思考や感情から子供の行動を批判的に見,かつ指導する体のものだっただろうことを暗示しています。つまりそれは,母親一般が実にしばしば陥るものである,子の世界へのぶしつけな侵入であり,干渉であるだろうということになります。そしてまた,それは子供が持っている力を信じようとしなかったということにもなるのです。子供の立場からすると,母親が望むようになるしかないのです。それは悪しき依存の形を作る典型です。
そうして見ると,母親の苛立ちは,自分の思い通りにいかない子供に対して腹を立てている以外のなにものでもありません。
子供は心の根っ子のところで,母親に信じてもらっているという安心を得られなかったと思います。これは不登校児にかぎりませんが,なんらかの心理的なつまずきに至っている子に,共通して見られる問題といえます。
乳幼児期に母親から母親本位のではない愛情を受けることができず,従って信頼を受けていなければ,自分は人に信じてもらえないという基本的な不安をかかえることになっても不思議はありません。そうすると自分は駄目な子で,人に受け入れてもらえない性格だという考えに直結することになります。
この子の場合も,級友たちに受け入れてもらえない不安が強いのです。本人もそう思っています。
本人の問題を解決するには,母親自身が変わらなければなりません。
この子の場合も,乳幼児期にどんな体験をしてきたかは誰にも知ることはできませんが,以上のように見ていくと,おそらく母親の養育姿勢は自分本位ではなかったかと想像するだけのものがあると思います。母親が子供の自然な能力を大切にしようとせずに,母親の思い込みどおりであってほしいと望んで育てたとすると,子供の心の自然は混乱させられるのは必至です。母親の介入によって混乱させられた心的状況では,乳幼児期の自然な欲求は,自覚がないままに無意識界に抑圧する以外に,母親との関係は保てないことになるのです。そしてその分母親の自我に従うことになり,本人の自我の成長は阻害されることになるのは避けられません。それは悪い形の依存ということになり,それに伴い,抑圧された影の分身たちがしだいに大きな勢力になっていきますし,いつまでも日陰者のように抑圧されたままでいるしかないことにもなります。それは影の性格とでもいうべきものとなり,表の自我を脅かすことになっていきます。
これらの日陰者たちが勢力をつよめることになったそもそもの理由は,自我が本来求められている指導性を発揮するに足りる力を示すことができなかったところにあります。そしてそうなったことについては母親の干渉があったので,母親に依存する分,自我は無責任にもなるのです。その結果として影の分身たちが裏の性格といえるほどに勢力を増すのを許してしまっている今となっては,ますます自我の手には負えるものではないのです。自我は無責任に,触れずに済ませたいという態度になるしかないといえます。
この子に即していえば,学校に行こうとするのは表の自我の役目です。その力が自律的に伸びるのを奪ったのは,どうやら母親のようです。本人は,学校へ行けないのは反抗もあるといっております。自我の力不足が学校へ行けない直接の理由ですが,そこには母親の関与が大きく働いているので,反抗という側面はあっておかしくないのです。
母親は,良い子を求めてきたということになりますが,それが仇となって,表の人格形成の成り行きとして,学校へ行けない’悪い子’にしてしまう結果を招いてしまったことになります。また,「学校へ行きもしないで平気で遊んでいる」というのも,母親の観点からすると悪い子ということになります。これは裏の性格によるということになると思います。本人の場合,悪というほどのものではないので,友達との関係,明るい遊びという’逸脱行為’にとどまっているのですが,裏の性格に基づいたものの中には,悪の性格の色が見える場合も少なくありません。
断っておきますが,一般論として子供が学校へ行かないのが悪い子というわけでは,勿論ありません。
ここで事例として上げたお子さんについて,母親の価値観からすると悪い子になってしまっているということですが,母親が自分の望みどおりに子供をしつけようとすることも,悪いことといえるのです。
それにしても,社会性がないと将来が案じられるという現実があります。学校に行かない「悪い子」であっても,芸術的な才能なりがあれば,あまり問題になることもないでしょう。要は,その子が一生を託すにあたいする拠り所を持つことができればいいのです。特殊な才能に恵まれることは稀なので,一般には自分の力を信じることができているのが望ましい拠り所になるのです。そのためには,学校へ行けないでいる現実を,母親が容認する必要がまずはあるでしょう。
かつて作家の野坂昭如氏が,「子供は生きていてくれればそれでいい」と語っていました。この言葉につきるのではないでしょうか。現にある我が子のありようは,良いも悪いもないのです。それはそっくり容認されるのが原点であり,出発点です。親が容認することは,本人が自分の現実を認め,受け入れていくのを助けることになるのです。いずれにせよ,自分を助けることができるのは,自分自身しかありません。親はそれを側面援助できるばかりです。本人の自助の努力に水を差すようなことをしなければいいのです。
自分の力を自分自身が信じることができれば,他人は怖くなくなるでしょう。学校へ行こうが行くまいが,他人が怖いという理由は排除されるでしょう。
悪しき依存は心の障害の欠かせない前提のようなものです。それは精神を試練に立たせます。克服して自立の方向へ向かうことができるか,さもなければ様々な形でつぶされてしまうか,あるいはいやな気分を紛らわせるために気晴らしの日々を送るか,人生を分けるものでもあるでしょう。