患者様からの励ましのおたより


蛯名先生はじめスタッフの皆様

今年7月末日、父を連れて先生の元へ受診させていただきました青森県むつ市在住の○○と申します。

当時の父は脳梗塞を患い、地元の病院を受診しておりましたが、
急な言語記憶障害を訴え、本人はもちろん家族も悩んでおりましたところ、
私自身15年前に先生にお世話になっておりましたので、「とりあえず蛯名先生の所に」と伺わせていただきました。
父曰く、過去の事故で顎にプレートが入っていると言うことで、地元病院でもMRI検査を諦めていたところ、先生の「やってみよう、撮らなきゃ何も進まない」の一言でMRI検査をし、まさに言語記憶障害の原因を見つけていただく事ができました。

あのときの私達の喜び、そして安堵感は今でも鮮明に記憶しております。
何より病にはめっぽう弱気な父でしたので、あのときの父の表情を思い浮かべますと、これ以上ないほど精神的に救われておりました。
それから地元病院、県立中央病院、そして蛯名先生の所へと通院生活をしておりましたが、父は「先生に会ってお話をするだけでも安心できる」とむしろ病院に行くのを楽しみにしておりました。
家族一同、本当に「蛯名先生の所に行ってみて良かった」と喜んでおりました。
しかし11月になり再度体調不良を訴え、ちょうど受診予定日でした県立中央病院で検査をしたところ、「肺腺ガンステージ4」との診断でした。
まさに青天の霹靂とも言うべき。
すでに肝臓、リンパ、筋肉への転移が見られ余命3ヶ月との診断でしたが、入院から18日目の12月2日、病院にて天寿を全ういたしました。

入院後、父との会話で「蛯名先生の所へ初めて行ったときの事が忘れられない」と言っておりました。
諸事も済み、少しずつゆっくりと生前の父を思い出す時間もできたところで、
蛯名先生への感謝の言葉を伝えさせていただきたく、ご連絡させていただきました。
私自身が先生の所へ受診していて感じた、先生の医療に対する熱意で
父、そして家族一同が救われたあの瞬間を今でも思いだし心の底から感謝しております。
きっと私達と同じような想いをしている方々が大勢いらっしゃると思います。
これからも蛯名先生、そしてスタッフの皆様のご活躍をお祈りしております。
先生には感謝の言葉しかありません。
大変ありがとうございました。
乱筆にて失礼いたします。
○○ ○○


熊野詣に想うこと

  
 アベノミクスにようやく明るい兆しの見え始めた日本の経済ではありますものの、失われた20年ものデフレからの脱出は容易ではありません。オイルショック、アジア通貨危機、リーマンショック、世界規模の幾多の危機をバネに、よりつよい経済基盤を築きつつある日本の底力に、きたる年こそは希望の年であって欲しいと祈らずにはいられない、今日この頃ですが、皆様におかれましては、ご活躍のこととお慶び申し上げます。
 9月、
世界自然遺産小笠原へのクルーズで、2つのことが心に残りました。折悪しく父島方面へ発達しながら直撃が予想される熱帯低気圧のため、八丈島からやむなく和歌山県新宮市熊野世界文化遺産へと、方向転換せざるを得なかったときの、船長の対応は素晴らしい感動的なものでした。ツアーデスク任せにせず、船を預かる最高責任者として、契約されている気象会社からの今後予測される詳細な情報をもとに、数百名のいのちを預かる立場から、返金を覚悟で目的地変更のやむなき状況を、聞くもの全てが納得出来るよう、説明を尽くされる姿に、危機管理の時のリーダーのあるべき姿と決断の重さに、深い感銘を受けたものでした。
 また奇遇を感じたのは、清盛公の熊野詣や熊野古道、那智の大滝などは、とても有名ですが、このクルーズに5年前に閉店セールで購入してもみる暇もなく、捨て置いたDVD『チュモン』をたまたま持って乗船のことでした。船内行事の合間に観てみると、この歴史ドラマに出てくる、
【さんそくカラス】が神の使いとして登場し、チュモンを高句麗建国へと導く81話の壮大なストーリーでしたが、『熊野速玉大社』《熊野牛王》はこの【さんそくカラス】【おからすさま】と呼ばれ、熊野権現の使いとして、信仰の対象になっておりました。熊野牛王符をいただきながら、この二つのことに同時に導かれるように出会えたことに、単なる偶然とは思えず、熊野詣の機会を神から与えられたような衝撃でした。全国放送で一日中台風の惨状が伝えられるほどの、巨大な台風にもかかわらず、猛追される暴風雨に濡れることもなく、無事帰宅できたのも、神のご加護のおかげかもしれません。




人生は塞翁が馬
 
 
還暦を迎えたものとして、これを機にこれまでの生き方を振り返りながら、新たなる一歩を踏み出すべく、想うところを述べてみたいと思います。

 人生の第一の転機は、思いもよらない父の突然の死でありました。いま思えば3度もの、くも膜下出血を繰り返しての死。いまから40数年前、頭痛がおさまると、くも膜下出血は治ったものとして家に帰された時代の出来事である。その後くも膜下出血は脳動脈瘤の破裂によるものであることを知り、40歳の若さで亡くなった父の無念、4人の子を抱えて途方にくれる母の後ろ姿、脳動脈瘤の手術をすると助かる可能性のあることを知ったとき、なんとしても脳神経外科医になりたいと思った。そのとき、初めて脳外科医になるためには、医師にならなければならないこと、医師になるためには医学部に入らなければならないことを理解したが、将来の夢などさして考えてもおらず漠然と高校に籍を置いているだけで、状況は最悪であった。既に高校2年の春になっていた。想像を絶する苛烈な勉強が始まった。ただ奇跡を信じて。昭和41年諦めかけていた者に最下位でやっと弘前大学医学部に入学を許された。
 第二の転機はいざ卒業間近となって、弘前大には脳神経外科学講座が無いため、虎ノ門病院の脳外科研修医として進路を決めかけていた矢先、胸の病に冒されている事を知りやむなく入院、卒業式も国家試験も外出、外泊許可のもとに受けざるを得なかった。首席の通知がただただ虚しかった。目的は脳外科医になり、脳卒中と闘うことであり、医師になることは手段でしかないからだった。脳外への道は閉ざされ、何もかも諦めかけていたとき、6月頃になって、弘前大にも脳外科講座ができることを知り、一縷の望みが湧いてきた。ひたすら療養する傍ら、平山恵造先生の神経症候学1234Pに出会ったとき、今でもその鮮烈な感動をはっきりと覚えている。現在に至るも小生の神経学のバックボーンになっている。また、山岡荘八著の徳川家康全26巻を愛読、徳川家康を介して語る山岡荘八氏の人生哲学に共鳴し、以来小生の活きる手引書となっている。10ヶ月後、弘前大にも初代教授岩淵 隆先生が着任、入局を許され、戦場のような毎日が始まった。あまたの大学ではまだ一般外科講座の一部の脳手術グループとして産声を上げ始めた、脳外科黎明期の時代のことである。さしたる事もできないが、ただ
『あたり』の患者と接しているだけで嬉しかった。25年間の大学生活を振り返ると、いつも臨床と研究のはざまで振り子のように揺れていた。今、想えば、脳動脈瘤の治療方法や神経内視鏡の開発、脳内出血の治療の研究などにより第1回、第6回、第12回中村賞、第2回鈴木二郎賞などを受けたものの、脳外総会での発表が終わると同時に、また次の年の演題のための研究に追われる異常な研究生活であったと思います。いつも何かに追いかけられているような、不完全燃焼のままに過ぎた25年間でありました。
 この25年間、
『あたり』は術前の状態が予後を左右する大きな因子であることに変わりは無く、『あたって』しまってからでは如何ともし難いのが現実でありました。無理をすれば植物状態も増え、やればやるほど虚しさもつのり、『あたりは予防に如かず』と真剣に考え始めたとき、第三の転機が訪れた。48歳にして開設だから遅咲きに加えて、脳外科の開業は県下では初めてのこととて、全てのことが五里霧中の中で、実に多くの方々のお世話になりました。改めて感謝申し上げます。
 脳動脈瘤を破れる前に処置し、脳梗塞を発症する前に適切な治療方針を立てるべく、脳卒中の予防の切り札として取り組んで参りました、
脳ドックの華を美しく大きく咲かせ、いつの日か父の墓前にその華を飾りたい。


道の果て 赤心にかへりて なほ 足るを知らず


  
街路樹のナナカマドは時には真白く、時には寒き中に燃えるがごとく赤く、熱き想いを奥に秘めたるごときナナカマドのたたずみに、激動の一年の想いを重ねるとき、きたる年こそは希望の年であって欲しいと望まずにはいられない、今日この頃ですが、皆様におかれましては、ご健勝にて、ご活躍のこととお慶び申し上げます。
  昨年もたくさんの皆様のご厚情に接し、この上なく励まされる思いが致しました。心をこめて感謝申し上げます。
  想えば、脳神経外科の黎明・発展期にこの道に起ち、実に多くの先達の諸先生やスタッフ、患者との出会いの中で、研鑽をさせていただいたことに、改めてその幸運と充実感に、感謝の念でいっぱいになります。弘前国立病院、青森県立中央病院、公立野辺地病院、青森労災病院、むつ総合病院、西北中央病院、三沢市立病院、秋田の北秋中央病院、盛岡のはらだ脳神経外科病院、青森市民病院などにおいて、脳神経外科の開設やトランク、非常勤いろいろな形で、県内外の多くの病院に、お世話になったことを昨日のことのように想われてなりません。県病からのトランクの後、青森市民病院での脳外科の開設の後、大学での講師時代など、卒業時を入れて、四たびも体調を崩し、長期入院を強いられ、そのたびに深い挫折感を味わいながらも、今日まで36年間、脳神経外科医としてやってこれたのは、やはり家族・友人の支えと理解、患者やスタッフからの篤い信頼と激励、先輩や同僚、他科の諸先生方の指導に感謝せずにはいられない。脳動脈瘤の治療方法や神経内視鏡の開発、脳内出血の治療の研究などにより第1回、第6回、第12回中村賞、第2回鈴木二郎賞など、身に余る光栄に浴することが出来たことも、この道を歩んできた者として、無上の幸せ者でした。
  これからは、如何なる脳動脈瘤が破れるのか、脳梗塞を発症する前、如何なるシグナルを発しているのかを見極め、脳卒中の予防の切り札として、『脳ドック』の質の更なる向上のために研鑽を続けてゆきたい。
  25MBから開設した、ホームページも現在は350MBに達するなど、更なる充実に心がけながら、石垣島から旭川まで日本各地からの、セカンドオピニオンの要請や悩みや質問に出来るだけお答えし、駆け込み寺のような、小さくとも希望の灯をともし続けたいと願っております。
  開設の時の夢であります、脳卒中の予防へのゴールは遥かに遠く、未だ道は見えてきませんが、脳卒中の予防を天職とし、止むことなく、一歩一歩、進んで参りたいと思います。
 これからも、自己に厳しく、常に病める心の視点を失わず、気軽に相談できる
『心のこもった医療』を信条に、《脳卒中予防》の立場から、脳ドックの華を、美しく大きく咲かせて行くことに、夢とロマンを胸に、スタッフ一同、意気に燃えております。
 近くにお出での節は、小さな小さなクリニックですが、是非、気軽にお立ち寄り下さい。

えびな脳神経クリニック
蛯名国彦
スタッフ一同



               

 
ホームページは当院で経験させていただいた症例を詳細に検討させていただいたものを、ベースにして、皆さんが日頃、疑問に思っていることに答えたく意を尽くしたつもりです。
 どこからでも好きなところに自由に散歩できるように構成されております。
 また、質問やセカンドオピニオンを希望する方、意見のある方は【メール】をクリックして、ご質問いただきますと、できるだけ速やかにお返事を差し上げたいと思っております。

 それでは、ごゆっくりと脳ドックの真にあるべき【心】にふれていただければ幸いです。

 


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