新潟の民家

笹川家住宅 国指定重要文化財 (昭和29年3月20日指定)
新潟県新潟市南区味方216番地

建築年代/文政4年(1821)
用途区分/農家(大庄屋)
指定範囲/表門・表座敷及び台所・居室部・奥土蔵・雑蔵・文庫・米蔵・飯米蔵・三戸前口土蔵・井戸小屋・外便所
公開状況/公開
新潟市南西郊外の田園地帯に所在する豪農屋敷である。鬱蒼とした屋敷林に覆われる5000坪超の屋敷地の四周に濠を廻らせ、正面に室町期の建築と伝承される小振りな茅葺の表門を置く。門を潜ると眼前に桁行15間半、梁間7間にも及ぶ日本最大級の主屋が現れる。広大な前庭を挟んで対峙する主屋は格調高く、実に気品がある。天正年間に土着して以来、藩政期を通じて村上藩領味方組大庄屋職を務めたという旧家で、群を抜くような大地主ではなかったらしいが、屋敷には新興の家では到底醸し得ない厳かな趣が漂う。
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目黒家住宅  国指定重要文化財 (昭和49年2月5日指定)
新潟県魚沼市須原890

建築年代/寛政9年(1797)
用途区分/農家(大庄屋)
指定範囲/主屋・中蔵・新蔵・橡亭・石動社・宅地
公開状況/公開
戦前の新潟は日本を代表する穀倉地帯として数多くの豪農を輩出したことで知られるが、その大半は当然ながら平野部に集中していた。そうした中、JR只見線沿線の冬の間は雪に閉ざされる山間部に当家は150町歩もの耕地を保有し、魚沼地方第2位の大地主として近在にその名を馳せる存在であった。緩やかな雛壇状の屋敷地に低く石垣を廻らせ、やや奥まった位置に桁行16間、梁間6間に及ぶ巨大な茅葺の主屋が鎮座する。最深積雪量平均が2mを超える豪雪地帯の民家らしく、平野部の民家と比して建ちが高く、屋根も急傾斜である。平野部の豪農達が目指した住居とは異なる骨太の民家は実に魅力的である。
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佐藤家住宅  国指定重要文化財 (昭和52年1月28日指定)
新潟県魚沼市大倉1273-1

建築年代/元文3年(1738)
用途区分/山村農家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
高級米の産地として知られる魚沼地方に所在する農家建築である。豪農の居宅として知られ、同様に国の文化財に指定される目黒家住宅から北西約2kmの山中にあり、桁行8間、梁間4間の中規模な主屋は、その造作から庄屋格の住居ではなかったかと推察されている。新潟や秋田などを中心に分布する中門造の形式を採り、土間の前面に出入口と厩を兼ねた入母屋屋根の突出部が附属する。当地は積雪が3〜4m程にもなる豪雪地帯で、故に軒は高く、柱は太い重厚感のある雪国らしい建前となっている。
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長谷川家住宅 国指定重要文化財 (昭和57年6月11日指定)
新潟県長岡市塚野山773-1

建築年代/享保元年(1716)
用途区分/農家(庄屋)
指定範囲/主屋・表門・井籠蔵・帳蔵・新蔵・庭塀・裏門・宅地
公開状況/公開
長岡市南郊の旧越路町に所在する豪農住宅である。新潟には他県とは比較にならぬ程に広大な田畑を所有した大地主が少なからず存在していたが、当家の場合は江戸初期から代々大庄屋を務め、幕末には近郊4ケ村の耕地・山林の7割を所有するほどの規模を有した。2500坪程の敷地中央に建つ主屋は県内最古の建物とされており、鍵状に配された座敷は格式高く整った空間となる一方、その他の居室部は板敷きのままで、土間が極端に広く独立柱が林立するなど古式を感じさせてくれるものである。
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渡辺家住宅 国指定重要文化財 (昭和29年3月20日指定)
新潟県岩船郡関川村下関904

建築年代/天明8年(1788)
用途区分/商家(廻船業・造酒業・金融業・大庄屋)
指定範囲/主屋・味噌蔵・金蔵・米蔵・宝蔵・新土蔵・裏土蔵
公開状況/公開
新潟と米沢を結ぶ米沢街道の宿場町・下関に所在する豪商の居宅である。古くから全国的に知られた商家建築で日本を代表する民家の1つと云っても過言ではない。当家はそもそも村上藩松平家の家臣として郡奉行を勤めたが、主家の転封により致仕し、当地に移り住んだという。その後、廻船業、酒造業、新田開発により財を成し、幕末には米沢藩への献金等により持高400石の郷士待遇を受けるとともに大庄屋職を務めた。2800坪弱の広大な屋敷地に木端葺の屋根に巨大な撞木造の主屋を構える。
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佐藤家住宅 国指定重要文化財 (平成3年5月31日指定)
新潟県岩船郡関川村下関897

建築年代/明和2年(1765)
用途区分/農家(庄屋・地主)
指定範囲/主屋・新座敷・上土蔵・米土蔵・新土蔵・門長屋
公開状況/非公開
新潟県北部の旧米沢街道沿いの関川村にある豪農住宅である。関川村下関は在町的な様相を帯びる集落で、街道に面して半商半農的な住宅が建ち並んでいる。当地は北越後を代表する豪農・渡辺家の屋敷が所在することで知られるが、当住宅は渡辺家の3軒隣に位置し、渡辺家に次ぐ大地主であったという。妻入主屋の両側面から座敷部を張り出した姿は、その形から撞木造と称されるもので、これほどの規模の茅葺の丁字屋根は他に類をみない。実に品の良い住宅である。
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五十嵐家住宅  国指定重要文化財 (平成3年5月31日指定)
新潟県東蒲原郡阿賀町豊実736
建築年代/宝暦9年(1759)
用途区分/山村農家(農林業・金融業・酒造業)
指定範囲/主屋・上手蔵・下手蔵
公開状況/非公開








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星名家住宅 国指定重要文化財 (平成3年5月31日指定)
新潟県十日町市上野甲1045

建築年代/天保13年(1842)
用途区分/酒造業・地主
指定範囲/主屋・米蔵2棟・質蔵・宝蔵・家財蔵・雑蔵
公開状況/非公開
当住宅は小千谷街道に面する南北60m、東西85mの広大な敷地に桁行16間、梁間6間の主屋を筆頭に、その背後に6棟もの土蔵が建ち並ぶ大規模町家建築である。当家は中世末期に信濃国保科から移り住み、稲荷屋の屋号で元禄年間には既に酒造を始め、米穀販売、金融業等も営んだという旧家で、明治36年の調査では農地面積149町歩を保有した大地主でもあった。主屋は幕末の建築らしく端正な佇まいであるが、チャノマ付近の太い木割の柱や梁、指物を多用して広い空間を演出する様は実に豪快である。
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山口家住宅 国指定重要文化財 (昭和52年1月28日指定)
新潟県糸魚川市下出619

建築年代/安永8年(1779)
用途区分/農家(庄屋)
指定範囲/主屋
公開状況/非公開
県西部の糸魚川市に所在する山村農家である。県内唯一の活火山である焼山に端を発する早川沿いに形成された河岸段丘上に営まれる下出集落の中程に、トタン屋根で覆われてはいるものの上層の農家と一目で判る大型農家が2軒並んでいる。どちらも藩政期には庄屋職を務めたという上層農家で、手前の建物が当家である。山村農家ゆえに屋敷地を広く取ることは能わぬが、主屋は桁行11間、梁間5間半の規模。豪雪地帯ゆえに軒が高く、床高は90cmもある。柱や梁も密に組み、堅固な造作となっている。
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北條家住宅  国指定重要文化財 (昭和52年1月28日指定)
新潟県佐渡市泉乙33番地
建築年代/18世紀後半(江戸後期)
用途区分/地主・医家
指定範囲/主屋・長屋門・家財蔵・米蔵・味噌蔵
公開状況/外観のみ
北条家は丹後の出身で、寛文3年(1663)に佐渡に流され、相川集落に住み着き、道益を名乗り、医業を営んだが。元禄6年(1693)に現在地に移り、地主化したとのことである。屋敷の東面に長屋門を開き、主屋は敷地の中央に南面して建つ。



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伊藤家住宅   国指定重要文化財 (平成30年12月25日指定)
新潟県糸魚川市
建築年代/明治25年
用途区分/廻船業
指定範囲/主屋・座敷の蔵・米蔵・味噌蔵・米蔵・裏蔵・門及び塀・【附】覆屋・離れ・大工納屋・牛小屋・裏蔵覆屋・
公開状況/非公開



若林家住宅  国指定重要文化財 (昭和52年1月28日指定)
新潟県村上市本町720
建築年代/18世紀末頃
用途区分/武家(150石・物頭役・大目付・奉行)
指定範囲/主屋
公開状況/公開
県北の城下町・村上に所在する武家屋敷である。江戸初期には藩主家の交代が頻繁であった村上の地であるが、享保年間以降は内藤家が明治維新に至るまで50090石で領し、当家はそこで物頭役の地位にあり、大目付や普請奉行などを務めた。藩内での序列は中級上位の家柄ながら、屋敷は上級家臣団が住まいする三の丸に所在する。主屋は東西棟の居室部に直交する形で角屋の座敷棟が付属するL字型の平面で、土間が狭く、部屋割が細かいながら接客座敷が整っている点など武家住居としての特徴が顕著である。
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新発田藩
足軽長屋
 
国指定重要文化財 (昭和44年12月指定)
新潟県新発田市諏訪町
建築年代/天保13年(1842)
用途区分/足軽
指定範囲/長屋
公開状況/公開
新発田藩溝口家6万石の城下に残る足軽長屋である。新発田城から1.5km程の距離に営まれた清水谷御殿の近くに所在しており、桁行24間、梁間4間の長大な建物である、古図によると藩政期には4棟の足軽長屋が設けられていたようであるが、「北長屋」と称された当長屋のみが現存する。内部は間口3間ずつの8軒長屋の形態を取り、各軒ごとに多少の違いはあるものの、畳敷の間が2室、板間1室に1畳程の広さの土間から成る。全国に独立した足軽屋敷と称する住居は数多く残されているが、長屋形式の遺構は非常に珍しい。新発田藩において足軽は武家身分ではなく、姓を持たない存在であったらしく、各部屋の造作も床や書院なども無い、至って簡素なものとなっている。
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津野家住宅 新潟県指定文化財 (平成元年3月28日指定)
新潟県岩船郡関川村下関903

建築年代/江戸後期(1789年)
用途区分/商家
指定範囲/主屋・上土蔵・下土蔵・板塀・門
公開状況/非公開
国重文に指定されている渡辺家住宅と佐藤家住宅に挟まれる恰好で米沢街道に面して建つ商家建築である。このように規模の大きな文化財指定の民家が連続する景観は他では見られぬものである。当住宅は佐藤家と類似し、寄棟造妻入の主屋に側面部から座敷棟を張り出す形を採るが、当家の場合は片側面のみのL字屋根となり、規模も一回り小さい。江戸中期に下関村庄屋を務めたと記録に残るが、家産の集積は明治以降のことであり、屋敷北側の土蔵などは明治中期以降の建築となる。
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菊地家住宅 新潟県指定文化財 (昭和56年3月27日指定)
新潟県佐渡市浜河内81
建築年代/文政8年(1825)
用途区分/農家(名主)
指定範囲/主屋
公開状況/非公開
桁行18.3m、梁間9.1m、寄棟造、茅葺


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旧石黒家住宅 新発田市指定文化財 (平成11年8月18日指定)
新潟県新発田市大栄町7-9-32 (移築)
旧所在地・新潟県新発田市

建築年代/江戸時代後期
用途区分/武家(石高70石)
指定範囲/主屋
公開状況/公開
現在は北方文化博物館の分館として公開中の旧新発田藩下屋敷跡・清水園の駐車場脇に移築されている武家住宅である。以前は新発田城三の丸近くの旧八軒町に所在していたという。幕末頃の藩の武鑑によれば馬廻役・石黒門三郎70石との記載があり、石高5万石の新発田藩内では上士に分類される中級程度の家格であったと思われる。住宅は寄棟造茅葺の桁行7.5間、梁間3間で、約23坪程の小規模なもの。ほぼ中央部に1間幅の小振りな玄関を構え、座敷は1室のみと家格の割に簡素な造作である。
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武田家住宅 旧黒埼村指定文化財 (昭和45年4月1日)
新潟市指定文化財 (平成13年1月1日)
新潟県新潟市西区木場2748-1
当初移転地/新潟市西区緒立流通2-1-2(黒崎常民文化史料館)

建築年代/江戸時代(18世紀前半)
用途区分/農家
指定範囲/主屋
公開状況/公開(新潟市文化財センター内)
昭和46年に黒埼常民文化史料館として旧黒崎町緒立に移築されていたものを現在地に再移築。新潟県内の文化財民家としては重文・長谷川家に継ぐ古いもので、土間内の独立柱や用材に手斧仕上げの痕跡が残るなど古式を残す。当初は寄棟造の直屋という単純な建前であったと推測されるが、仏間や裏中門が付加され複雑な屋根形状となっている。裏中門棟は明治期の増築で、二間の寝室は床高さを65cm上げて洪水に備える造りとなっており、信濃川流域の低湿地帯の民家としての特徴を持つ。
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藤井家住宅 村上市指定文化財 (平成6年9月26日指定)
新潟県村上市堀片2-48
建築年代/嘉永3年(1850)
用途区分/武家(250石・物頭役・普請奉行)
指定範囲/主屋
公開状況/公開
城下絵図によれば、重野兵馬の屋敷とあり、藤井家は明治30年代に当住宅を取得したものである。





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嵩岡家住宅  村上市指定文化財 (昭和62年12月11日指定)
新潟県村上市庄内町9-5
旧所在地・新潟県村上市
建築年代/幕末〜明治初期
用途区分/武家(100石・江戸藩邸詰)
指定範囲/主屋
公開状況/公開





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旧成田家住宅 村上市指定文化財 (平成5年3月25日指定)
新潟県村上市新町3-23
建築年代/
用途区分/武家
指定範囲/主屋
公開状況/公開


嘉永7年に記された佐賀藩士の日記には、当住宅は本岡元左太夫家であったとされている。



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小澤家住宅 新潟市指定文化財 (平成18年8月24日)
新潟県新潟市中央区上大川前通12番町2733

建築年代/明治13年頃(1880)
用途区分/商家(米穀商・廻船業)
指定範囲/主屋・新座敷・離れ座敷・道具蔵・家財蔵・蔵前及び渡り廊下・門及び東塀
公開状況/公開
新潟市の旧新潟町内に所在する商家建築である。北前船の寄港地であった新潟において、藩政期には48軒に限られていた廻船問屋株が明治維新で廃止されたことにより、新興商人達が続々と参入することとなった。当家も米穀商から廻船業に参入し、大きく家運の興隆に成功し、新潟を代表する商家の一つにまでなった。住宅は商売の進展とともに拡張・増築を重ねた経緯がほぼ判明しており、明治初期建築の粗末な主屋から明治後期建築の豪華な新座敷に至る造作の変遷が家の歴史を辿るようで楽しい。
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松沢家住宅 糸魚川市指定文化財 (平成3年3月26日指定)
新潟県糸魚川市来海沢2278

建築年代/19世紀中期以降
用途区分/庄屋
指定範囲/主屋
公開状況/非公開
ラテン語で「大きな溝」という意味のフォッサマグナという言葉、日本列島を東西に分断する地学上の用語である。糸魚川という町に幾筋もの谷が存在するのは、こうした地形学的な背景があってのことだろうか。当住宅はその谷筋の一つ、日本海に注ぎこむ海川の上流部に営まれる山間部の集落に所在する。谷あいを雛壇状に造成した狭隘な集落のやや奥まった位置に広い敷地を有し、桁行12間、梁間6間、建坪125坪の堂々たる大型の主屋を構える様子は集落内でも圧倒的な存在感である。
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鶴巻家住宅 加茂市指定文化財 (平成13年3月27日指定)
新潟県加茂市黒水856-6

建築年代/明治8年(1875)
用途区分/
指定範囲/主屋・酒蔵・旧七谷郵便局舎
公開状況/非公開
桐箪笥の生産地として知られる加茂市の中心部より加茂川を6kmほど遡った黒水集落に所在する商家建築である。黒水集落は藩政期には陣屋町・村松と在町・見附を結ぶ丹波街道の宿駅であり、更に運上取立の番所が置かれるなどしたことから在郷町的な性格を帯びていたようである。こうした背景を知ると当住宅が純農村部に在りながら商家的な建前であることにも納得がいく。以前には「鶴泉」という銘柄で酒造業を営んでおられ、主屋背後には大正10年築のコンクリート造の酒蔵も残されている。
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田巻家別邸
(椿寿荘)
田上町指定文化財 (昭和62年11月17日指定)
新潟県南蒲原郡田上町田上丁2402-8

建築年代/大正7年(1918)
用途区分/農家別宅
指定範囲/
公開状況/公開
一般に豪農と称された地主の存在は明治以降に顕著となるものであるが、新潟県においては幕末期、既に千町歩を超す広大な田畑を所有する巨大地主が5家も存在していたという。当家の所有も1300町歩に及び、弥彦神社まで他人の土地を踏まずに行けたとの逸話を持つ。当別邸は本宅に隣接して建てられたもので、近代和風建築の粋を集めたものである。残念ながら隣接する本宅は農地解放により維持困難となり他家へ譲渡され、広大な敷地も駐車場になるなど、当時の面影は当別邸のみとなっている。
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武石家住宅  弥彦村指定文化財 (平成5年2月5日指定)
新潟県西蒲原郡弥彦村麓7056

建築年代/江戸中期(18世紀初頭)
用途区分/農家
指定範囲/主屋・味噌蔵・薪小屋
公開状況/公開
越後国の一宮である弥彦神社の南方に所在する農家建築である。当家は同集落に所在する廣福寺の開祖・延定坊祐善に供奉して天正年間に能登国から来住し、この地を拓いた草分けの家と伝えられる。主屋前面が開放的な造りとなっているため一見すると江戸後期の建物の様であるが、内部はチャノマやネマが土座となり、各部屋の境界部には十分な建具さえもなく、かなり古風である。そのギャップに少々驚かされるが、恐らく後世の改変が著しく十分な復元が儘ならなかった故であろう。
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東桂苑
(渡辺家住宅)
関川村指定文化財 (昭和60年4月24日指定)
新潟県岩船郡関川村下関906-3

建築年代/明治38年
用途区分/大庄屋分家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
下越地方を代表する豪商で国の文化財にも指定される関川村下関の渡辺家の分家住宅である。本家の屋号・本桂屋に対し、その東隣に居を構えたことから東桂屋を称し、住宅が関川村に寄付されたのち、公募により東桂苑と名付けられた。当家初代の善俊氏は本家10代の三左衛門善郷氏が幼少であった際の後見として家政・村政を担ったが、明治38年に善郷氏が成人したため、分家独立し当住宅を建てたという。職住が一体化した近世民家の本家に対し、職の気配が全く感じられない別宅のような建物である。
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伊藤家住宅 登録有形文化財 (平成12年4月28日登録)
新潟県新潟市江南区沢海6970

建築年代/明治20年(1887)
用途区分/農家(大地主)
登録範囲/主屋・常盤荘・集古館・三楽亭・佐度看亭・旧作業場・井戸小屋・いなのや・土蔵・味噌蔵・米蔵・塀・銅門及び塀・湯殿・東蔵・土蔵門・店蔵・帳庫・大呂菴・大広間・大工場・積翠庵是空軒・新座敷
公開状況/公開 【北方文化博物館】
広大で肥沃な田園地帯が続く新潟には太平洋戦争後の農地解放以前まで他県の者には到底信じられない規模の大地主が多数存在していた。その代表格が1370町歩という県内一の田畑を保有した伊藤家である。明治15年から8年がかりで本宅として整備された当住宅は8800坪の敷地に1200坪の建坪の規模を誇り、民家建築としては桁外れの大きさである。大広間の座敷などはまるで大名屋敷の様相である。多くの地主層が農地解放後に没落した中、今世までこの巨大な家宅をよくぞ残してくれたものだ。
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刈羽民家  登録有形文化財 (平成12年4月28日登録)
新潟県新潟市江南区沢海6970 (移築)
旧所在地・新潟県柏崎市大沢(新潟県刈羽郡南鯖石村大沢)

建築年代/江戸後期 (現地解説板には江戸初期と記述)
用途区分/農家
登録範囲/主屋
公開状況/公開 【北方文化博物館内】
豪農の館として著名な北方文化博物館内に移築された民家である。そもそもは柏崎市の南郊、鯖石川沿いの集落にあった建物で主屋の土間前方に入母屋屋根の別棟を突出させる中門造と呼ばれる形式を採る。内部の大半は寒冷対策のため床を作らず土座のままとするが、これについては藩から「板の間禁令」により一軒に一室しか板間の造作が認められていなかったためとも解説されている。当住宅が邸内(北方博物館内)に在ることで、伊藤家の屋敷がどれほど桁外れに豪壮なものかが却って良く判る。
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吉ヶ平民家
(椿家住宅)
登録有形文化財 (平成12年4月28日登録)
新潟県新潟市江南区沢海6970

旧所在地・新潟県南蒲原郡下田村吉ヶ平 (昭和45年移築)
建築年代/江戸後期 (現地解説板には明治初期と記述)
用途区分/農家
登録範囲/主屋
公開状況/公開 【北方文化博物館内】
当住宅も前項の刈羽民家と同様に北方文化博物館内に移築された一般農家で、そもそもは中越地方の名峰・守門岳の登山口で、源氏の落人伝説にも彩られた吉ヶ平集落に所在していたが、交通不便により廃村となった際に譲り受けたものである。当住宅は中層以上の農家であったと思われ、刈羽民家と比較して規模も一回り大きく、かつ室内に床も張られており、ずいぶん造作も立派である。土間前方に張り出す妻入石置き屋根の中門や母屋の軒を支える側柱の存在は豪雪地帯民家の特徴である。
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谷村家住宅  登録有形文化財 (平成11年2月17日登録)
新潟県糸魚川市蓮台寺952

建築年代/江戸時代(19世紀初頭)
用途区分/農家(庄屋)
登録範囲/主屋・土蔵
公開状況/非公開
古くからの翡翠の産地として知られる糸魚川には、当然の如く翡翠に纏わる美術館があり、その1つに「翡翠園」という庭園の美しい施設がある。ここに向かう途中、蓮台寺谷の東岸に石垣を築いた高台に建つ旧庄屋屋敷が当住宅である。藩政期は斎藤家の所有であったが、後に谷村家が購入した。西面する主屋は四間取を基本とし、ダイドコロを土間に張り出す典型的な西頸城型の建前である。主屋の背後には嘉永年間建造の置き屋根形式の土蔵があり、積雪に備えて2階床高さまで下見板張りを施している。
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中野家住宅  無指定・公開
新潟県新潟市秋葉区金津598
建築年代/
用途区分/庄屋・石油採掘業
公開状況/時期を指定して公開



 
佐藤家住宅 無指定・公開
新潟県新潟市西蒲区福井1908

建築年代/江戸後期
用途区分/農家(庄屋)
公開状況/公開
新潟市南西部に聳える角田山の南麓に「越後の三梅」と賞される名酒「峰乃白梅」の醸造元や柚餅子の製造元で有名な「本間屋」など老舗商家が軒を連ねる福井という集落がある。その町場的な様相を呈する集落の外れに広大な敷地とともに唯一茅葺の農家建築として残されているのが当住宅である。昭和49年の民家緊急調査の第一次調査対象にも選定されており、報告書には「庄屋の家で、規模が大きく、接客座敷が整っている。屋根は寄棟造、茅葺である。曲がった梁を巧みに使っている。」とある。
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三角家 無指定・公開
新潟県佐渡市宿根木448



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