田巻家住宅
Tamaki



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田上町指定文化財 (昭和62年11月17日指定)
新潟県南蒲原郡田上町田上丁2402-8

建築年代/大正7年(1918)
用途区分/農家別宅
指定範囲/
公開状況/公開
一般に豪農と称された地主の存在は明治以降に顕著となるものであるが、新潟県においては幕末期、既に千町歩を超す広大な田畑を所有する巨大地主が5家も存在していたという。当家の所有も1300町歩に及び、弥彦神社まで他人の土地を踏まずに行けたとの逸話を持つ。当別邸は本宅に隣接して建てられたもので、近代和風建築の粋を集めたものである。残念ながら隣接する本宅は農地解放により維持困難となり他家へ譲渡され、広大な敷地も駐車場になるなど、当時の面影は当別邸のみとなっている。




田上町には2軒の田巻姓の豪農があったという。それぞれ代々、七郎兵衛、三郎兵衛を名乗り、地元では七郎兵衛家を原田巻、三郎兵衛家を本田巻と呼んでいたらしい。当住宅はそのうち原田巻家の別宅で、大正3年から7年まで約3年半の歳月をかけて完成させたものである。ちなみに本宅は当該別宅に隣接して、現在も残っているが農地解放の煽りを受けて田巻家の手からは離れており、個人所有のため非公開となっている。また当該別宅も同じく田巻家の手を早くから離れ、旧国鉄の保養所として用いられてきたが、民営化の際に地元・田上町に譲られ、椿寿荘として公開され、現在に至っている。
原田巻家の豪農振りは目覚ましいものがあり、江戸中期に本田巻家の次男が原田巻家に養子に入り、中興初代となって以後、江戸末期の4代目、5代目の頃には約1300町歩の田畑を所有する大地主に成長していた。新潟市の南部に弥彦神社と云う越後一ノ宮が所在しているが、当家からこの神社まで他人の土地を歩かずに行けたとの逸話も残されており、他県では信じられない程の規模の豪農であった。もちろん苗字帯刀御免で四人扶持格の士分を得ていたというから、藩に対して相当に金銭的な貢献をしたであろうことは間違いない。

 

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