武田家住宅
Takeda



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旧黒埼村指定民俗文化財(昭和45年4月1日指定)
新潟市指定文化財 (平成13年1月1日町村合併による再指定)
新潟県新潟市西区木場2748-1
建築年代/江戸後期
用途区分/農家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
武田家は西蒲区曽根村(現・西蒲原郡西川町)の肝煎として新田開発に尽力した高橋源助の子孫。
高橋源助家は甲斐の武田家が滅亡した際に越後に逃れて曽根村に住した一族の子孫で、元は武田性であったと云われている。2代目・源助は干害に悩む曽根の耕地に水を引き入れるため、約6km上流の割前村(現・西蒲原郡巻町)地先の西川から取水堀の開削を長岡藩に嘆願し、実現させたものの、天和元年(1681)の通水式で反対派の妨害に遭い、水を流すことができず、その責任を取って打ち首にされたという。妻子は曽根から逃れ、やがて木場に移住して武田姓を名乗ったという。これが木場村の当武田家である。この事件は源助筒掘割事件と称され、源助は義民として語り伝えられているが、詳細は不明とされている。
茅葺寄棟屋根の主屋は主体部の裏手に突き出し部を設ける裏中門造で、更に上手側にも座敷を増築している。大戸口から内部へと足を踏み入れると土間が拡がり、土間の上手には3間四方の茶の間を設け、その奥に納戸が配置されている。この納戸から奥に向って裏中門の増設部へと出入りできるようになっている。
主屋の裏中門は明治26年の洪水被害後に床の高さを本屋よりも70cm余り高くして増築。間口3.5間、奥行2間の広さで寝間2室が設けられている。中2階建となっており、洪水に備えた住宅の形態として貴重とされている。
茶の間の上手側も明治以降の増築で座敷、寝間、仏間の3室が設けられ、いずれも畳敷となっている。
木場村の武田家から寄贈され、昭和46年に緒立流通2丁目に移築、長く黒埼常民文化資料館として活用されていたが、現在地に移転された後は新潟市歴史史料館として公開されている。



 

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