限りなく透明な世界
私の目の前はいつも透明。日常の生活を三十一文字に託して
写真:日日草
今では見えていた年月よりも、見えなくなった年月が長くなってしまいました。でも私の目の前はいつも透明なのです。残された感覚から得た情報がまな裏に広がり、その色を描いてくれるのです。
木の葉をゆらしさわやかな風が運んでくる匂いで深緑を。ぽかぽか差し込む日射しで春のまぶしさを。小鳥のさえずりが高く澄んで聞こえる朝はまっ青な空を。庭先で並んで咲いているチューリップに触れて、赤、白、黄色と。野菜サラダを盛りつけるとき、トマト、キュウリ、レタスの色を。
それは私の記憶の中にある情景で、もしかしてセピア色になっているかもしれない。それでもいいのです。残された感覚を精いっぱい動員して、私だけの世界を三十一文字に託すことが、今の私の喜びなのです。
短歌とはほど遠い作品ですが、約二十五年間に詠んだ三十一文字の作品を、思いつくままランダムにアップし、一言を添えてみたいと思います。そして、このページを訪ねてくださった方に、視覚を失った私の日常生活や感覚の世界と、三十一文字短詩型を理解していただくきっかけになれば幸いに存じます。
平成26年7月(文月)の短歌はこちらです。
平成26年3月(弥生).4月(卯月)の短歌はこちらです。
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平成26年1月(睦月)の短歌はこちらです。
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これで、限りなく透明な世界のページを終わります。
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