平成21年の短歌
 

師走

ゆっくりと声に出しつつ板書する師は盲いなる吾を気ずかいて
(ゆっくりと こえをだしつつ ばんしょする しわめしいなる あをきずかいて)

譲られし路地会釈して盲導犬の歩を促せり住み慣れし町
(ゆずられし ろじえしゃくして もうどうけんの ほをうながせり すみなれしまち)

気さくなる友の話しを聞きながら ふと過ぎりくるさみしさのあり
(きさくなる とものはなしを ききながら  ふとよぎりくる さみしさのあり)

冬型の気圧配置を告ぐる朝 埠頭の霧笛のまた響き来る
(ふゆがたの きあつはいちを つぐるあさ  ふとうのむてきの またひびきくる)

ひたひたと真夜を静かに時雨降るひたひたと吾が心濡らして

ふんわりと芝生の上に雪乗せて少し早目の冬となり初む
(ふんわりと しばふのうえに ゆきのせて すこしはやめの ふゆとなりそむ)

降りて降る吾が膝埋むるどか雪を蹴散らす犬の引き綱強し
(ふりてふる わがひざうずむる どかゆきを けちらすいぬの ひきづなつよし)

ほてりたる頬に降る雪止まらせてまた雪除けのシャベルを握る
(ほてりたる ほほにふるゆき とまらせて またゆきのけの しゃべるをにぎる)

「あっしまった!」キー操作指が違えたり パソコンのデータ瞬時に消ゆ
(「あっしまった!」キーそうさゆびが たがえたり パソコンのデータ しゅんじにきゆ)

ためらわず召されし友の名を消しぬパソコンは小さき音を残して
(ためらわず めされしともの なをけしぬ パソコンはちさき おとをのこして)



    追いかけっこ
   この年も夜が明ければ二日となってしまった
   なんだかめっきり「年」をとってしまったような気がしてならない
   あれもせねば・・・
   これもせねば・・・
     そうそう、あれをしておかなければ・・・
     そうそう、これもしておかなければ・・・
   一向に私の一日は終わらないのに
   時間だけが確実に過ぎてゆく
     まあ、こんな年もあってもいいのか・・・
     などと自分にいい聞かせながら
     新しい朝を迎えることにしよう



霜月

サボテンの花咲き初むる玄関に今日一番の客迎えたり
(サボテンの はなさきそむる げんかんに きょういちばんの きゃくむかえたり)

片麻痺の重き腕持ち揉みおれば節くれし指かすかに動く
(かたまひの おもきうでもち もみおれば ふしくれのゆび かすかにうごく)

吾のほか待つ人のなき真昼まの無人の駅にすずめ連れ鳴く
(われのほか まつひとのなき まひるまの むじんのえきに すずめつれなく)

木の葉舞う路地の秋風身に沁みてすれ違う人らみな急ぎ行く
(このはまう ろじのあきかぜ みにしみて すれちがうひとら みないそぎゆく)

路地の角名を呼ばれたる心地して耳を澄ませば枯葉舞ゆく
(ろじのかど なをよばれたる ここちして みみをすませば かれはまいゆく)

学園の話題楽しく少女らの中に混じりてバスを待ちおり
(がくえんの わだいたのしく しょうじょらの なかにまじりて バスをまちおり)

夕暮れのひつじ田の上ひょうひょうと風は初冬の音運びくる
(ゆうぐれの ひつじだのうえ ひょうひょうと かぜはしょとうの おとはこびくる)

フライパンにじゅワっとひろがる溶き卵たちまちふわっとまあるく焼くる
(フライパンに じゅわっとひろがるときたまご たちまちふわっと まあるくやくる)

 11月下旬、25年ぶりでやむなく味わった入院生活。2,3日軽い腹痛が反復していたが、三日目の夜になると激痛と寒気に苦しんだ。ただならぬ思いで受診した病院で大腸憩室炎と診断され、そのまま緊急入院となってしまった。
24時間点滴と絶食のおかげで炎症も5日目に治まり普通食になるのを待って我が家に帰って来た。

意に背き暴るる腑の鬼なだめつつ点滴のスタンド押して歩めり
(いにそむき あばるるふのおに なだめつつ てんてきのスタンド おしてあゆめり)

点滴の針解かれたる右腕を六日目にして大きく回す
(てんてきの はりとかれたる みぎうでを むいかめにして おおきくまわす)

「誰か来て」低き濁声病廊に今夜も響き来 病み愡けしか
(「だれかきて」 ひくきだみごえ びょうろうに こんやもひびきく やみほうけしか)

小春日に病室の窓少し開け汽笛と飛機の音数えおり
(こはるびに びょうしつのまど すこしあけ きてきとひきの おとかぞえおり)

 延べ九日間も病室で過ごしていたとき、寝溜めと食い溜め、そして暇溜めができたらどんなに有意義な人生が送れるものかと・・・暇に任せて真剣に考えあぐねていたことがうらめしく思い出される。
退院してからはや十日になろうとしているのに、雑用が一向に片付かないでいる。「師走」という月の性もあるだろうが・・・。



神無月

手の幅に間隔計りて球根を寒波に耐ユル深さに埋む
(てのはばに かんかく はかりて きゅうこんを かんぱにたゆる ふかさにうずむ)

手に包む花の球根まんまろと小さき命を砂に埋めたり
(てにつつむ はなのきゅうこん まんまろと ちさきいのちを すなにうめたり)

台風のことなく過ぎて秋めきし朝のさ庭に花鉢戻す
(たいふうの ことなくすぎて あきめきし あさのさにわに はなはちもどす)

草紅葉において哀し 立ち止まり引く我の手にからまりてくる
(くさもみじ においてかなし たちどまり ひくわれのてに からまりてくる)

めしい吾に触れさせくるる不器用な君の手揺るる コスモス揺るる
(めしいあに ふれさせくるる ぶきような きみのてゆるる コスモスゆるる)

ブナ林大樹の下に耳すます葉ずれさやさや空より降りくる
(ブナばやし たいじゅのもとに みみすます はづれさやさや そらよりふりくる)

後になり先になりして盲導犬と落ち葉と一緒の秋晴れの路
(あとになり さきになりして もうどうけんと おちばといっしょの あきばれのみち)

落ち葉踏み落ち葉の林に佇みぬかさっと一枚また落ちて来る
(おちばふみ おちばのはやしに たたずみぬ かさっといちまい またおちてくる)

朴の木の落ち葉を踏めば立つる音よ幼心に還る夕暮れ
(ほおのきの おちばをふめば たつるおとよ おさなごころに かえるゆうぐれ)

 いつのころからだろうか、手を重ねて眠るようになったのは・・・。ゴツゴツした節くれの指を組んだりこすったりして一日を振り返ってみる。大抵は振り替える間もなく眠ってしまうのだが、ここ数日、心に引っかかるものがあり解けないでいる。
   見えぬ身の眼となる諸手を握りつつ眠りゆく癖いつよりならん

 「あうは わかれの はじめなり」言い尽くされた言葉だが、これを覆すことができないものかとどんなに考えあぐねても、やはり「偶うは別れの初めなり」は絶対なのである。こんな愚かなことを考え込んでしまうほど、大切な人との(命との)別れは迫りつつあるのだ。



長月

秋茄子のあく抜きをする水の音 透徹りつつ季移りゆく
(あきなすの あくぬきをする みずのおと  すきとおりつつ ときうつりゆく)

小春日の匂い残れる干し物を取り込む夕暮れ風の身にしむ
(こはるびの においのこれる ほしものを とりこむゆうぐれ かぜのみにしむ)

傍らの小石をはねて飛び立てる虫の羽音を息詰めて聴く
(かたわらの こいしをはねて とびたてる むしの はおとを いきつめてきく)

熊笹やススキにてを触れしみじみと風にそよげるこの秋見たし
(くまざさや すすきにてをふれ しみじみと かぜにそよげる このあきみたし)

山すそは落ち葉落ち葉に秋雨の音際立たせ夕暮れてゆく
(やますそは おちばおちばに あきさめの おときわだたせ ゆうぐれてゆく)

 切り株に足を取られて転びたる吾が顔撫でて水引草の花
(きりかぶに あしをとられて ころびたる わがかおなでて みずひきそうのはな)

むき出しの胸突き八丁岩肌へ息調えて一歩を運ぶ
(むきだしの むなつきはっちょう いわはだへ いきととのえて いっぽをはこぶ)

汗しつつ登り詰めたる山頂の風さわやかにさわやかに吹く
(あせしつつ のぼりつめたる さんちょうの かぜさわやかに さわやかにふく)

 「ねー!やっと真っ赤になったよ」と友達が甲高い声で呼んでいる。「さあ!お外に行くよ!」と寝そべっていたターシャを連れて庭へ出た。
彼女が得意そうに色付いたトマトに触らせてくれた。ちょっと小ぶりだが形良く寄り添うようになっているその4個をそっともぎ取った。「これで何個目の収穫かしら?」と思いながら。
猛暑が少なかったせいだろうか、お盆前に実を結んだこの4個だけが、なかなか色付かなかった。9月の半ばを過ぎたころ、あきらめて抜き取ろうとしたとき「もう少し待ってみたら」と彼女がストップをかけてくれたのだった。
 その夜はサラダのトッピングにこのトマトたちが添えられた。まっかになるまでもぎ取らなかったトマトは、とっても甘くおいしかった。100円で買った苗、適当に肥料をやっていただけなのに花を付け、しっかりと実を付けてくれた。しかも、途中で抜き取ってしまおうとしたのに・・・。こんな小さなトマトから人の生きるべき道を教えられたような気がする。
 そうそう、私と夫の間にお座りして夕食に参加しているターシャとも、この完熟トマトの味を分け合ったことは「もちろん」である。



葉月

9頭の盲導犬の慰霊式吾がシェルの名も読み上げらるる

歩くこと教えてくれし盲導犬シェルよ安らかに 小さキ骨抱く

シェルの骨納めんとして抱(いだ)きたり 手に蘇るふわふわの毛並み

促され納骨堂に骨壷を静かに傾ぐる さようならシェル

野を駆けるシェルの御霊かさわさわと今朝の散歩の夏草揺らす

2763m燕(つばくろ)山頂しかと踏み召されしシェルの御霊に近寄る

 8月22日12時30分、北海道盲導犬協会の慰霊式が静かに行われた。直前まで降っていた雨も上がり、多くの参列者に見守られながら、この一年間に召された9頭の盲導犬たちに黙祷が捧げられた。すすり泣く声をほのかな花の香りが優しく包んでくれていた。

弔辞(平成21年8月22日)
 シェル シェコちゃん シェーちゃん ・・・
 ありがとう! 一緒にいっぱい歩いたね  そして、いっぱい道に迷ったね
 あなたは 見えなくなって歩くことをあきらめていた私に  再び歩けることのすばらしさを教えてくれました
 そして残してくれました
 多くの人との出会いと  あったかい真心を素直に受け入れる生き方を
 シェル シェコちゃん シェーちゃん
 あなたの前に正座して  「洋子をよろしくね・・・」と言っていたおばあちゃんや  先輩のワンちゃんたちと仲良く暮らしてね
 ありがとう!シェル!
 16歳と3ヶ月の命をありがとう  やすらかに 安らかに・・・!!



文月


夏の夜に開いた大輪の月下美人の鼻。
香りが強く花びらは純白色。
写真:純白の月下美人

 7月も二日で終わろうとしているのにいまだに梅雨の最中。土砂崩れや竜巻の被害が報道されるたびに「異常気象」という言葉。こうなると果たしていつが「正常」な気候なのかがわからなくなりそうだ。
 晴れ間をみて庭に出てみると、移植したばかりの朝顔が生き生きと葉を広げやわらかな蔓が揺れていた。この長雨を疎ましく思っていたのに、まあ、うれしいこと!さっそく行灯を用意して蔓を絡まらせてやろう。「さあターシャ、お仕事よ!おつかいに行こう!」

降る雨に一日濡れつつ朝顔の蔓伸びてゆく絡まりながら
(ふるあめに ひとひぬれつつ あさがおの つるのびてゆく からまりながら)


 今月はアルバムでも開いて楽しかった旅の思い出を・・・。と言いたいのだが、見えない私には到底かなわないこと。でも、そのときに詠んだ短歌をピックアップし、その思い出をたどりながら梅雨明けをまとう。

ふらここを思いっ切り漕ぎ遠き日のタイムトンネルに導かれゆく

ジャム工場に「うまい」と友の高き声卓を囲みて順に試食す
(じゃむこうじょうに うまいとたかき とものこえ たくをかこみて じゅんにししょくす)

善光寺のお香盲導犬の眼にもかけ夫と並びて手を合わせいる
(ぜんこうじの おこうもうどうけんの めにもかけ つまとならびて てをあわせいる)

万歩計2万歩越えたる昼下がりホワンホワンと河童橋渡る

風の匂い清流の音に眼裏へ梓川広げて川原に立てり
(かぜのにおい せいりゅうのおとに まなうらへ あずさがわひろげて かわらにたてり)

墜落かとシートベルトを確かむる着陸の度みなぎる緊張

「はいキムチ」にっこりカメラへ仁川空港盲導犬十九頭ともなう旅のスタート

「日韓盲動犬使用者交流会」歓迎の辞の凛として即時通訳に拍手わきたつ

いくつもの嘘を沈めて波のどか北鮮日本に続く黄海

野の香り雪の冷気を運びくる尾瀬沼渡る風は遥けし
(ののかおり ゆきのれいきを はこびくる おぜぬまわたる かぜははるけし)

チングルマ サワラン キスゲ リンドウの花を揺らして尾瀬沼の風

しばらくを心洗わるる想いしてせせらぎを聞く霧の夢見平

廃村の跡形残る製材所朽ちかけのチップ足裏に優し
(はいそんの あとかたのこる せいざいしょ くちかけのチップ あうらにやさし)

緑風を指に止まらせ良寛の墓石の文字なぞりて居たり

咲く花もつぼみも優し蓮葉通り 手まりつく音聞こゆるような
(さくはなも つぼみもやさし はちすばどおり てまりつくおと きこゆるような)





水無月

早苗田の風も電車に乗せて来て降り立つ駅の土地訛り親し
(さなえだの かぜもでんしゃに のせてきて おりたつえきの なまりなつかし)

手術にて視力もどりし友の声紫陽花の花の色も告げつつ
(しゅじゅつにて しりょくもどりし とものこえ あじさいのはなの いろもつげつつ)

背を向けし友の心を計りかね 朝顔の蔓巻きつけている
(せをむけし とものこころを はかりかね  あさがおのつる まきつけている)

梅雨晴れの路地を盲導犬と巡り来て風鈴の音の初なるを聞く
(つゆばれの ろじをもうどうけんと めぐりきて ふうりんのねの はつなるをきく)

日の暮れは七時になりしと声の便り聞きて盲いの明りを点す
(ひのくれは 7じになりしと こえのたより ききてめしいの あかりをともす)

シソの葉の香はたらちねの母の匂い香を満たしつつ黙して摘みぬ
(しそのはの かは たらちねの ははのにおい かをみたしつつ もだしてつみぬ)

焼きたてのピーマン四個に足らいたり初なりの香を夫と分け合う
(やきたての ピーマンよんこに たらいたり はつなりのかを つまとわけあう)

 ここ3日間ほど真夏日が続いている。そんな中、久しぶりにさまよい歩行をしてしまった。つまり現在位置が分らなくなったのだった。
 朝からの会合を終え友達と食事やおしゃべりの後、2時半過ぎのバスに乗り込んだ。一停留所前でバスを降り遊歩道に向かった。ターシャのトイレを済ませたところまでは良かったのだが。足もとでスースーと変な音が・・・。木の影あたりで人の気配が・・・。ターシャの動きもおかしくなるし、たて続けに異常なほどのくしゃみをし出した。後ろからついて来るヘンな音を気にしながら、もうメチャクチャにターシャをせかせて歩いた。
こんなときに限ってターシャの歩行はゆっくり。車の音やすれ違う人だって一人もいない。カーフェリーの駐車場だと思うのだが歩道に抜け出せない。おまけに一番暑い時刻。あと2週間で9才になるターシャの体調が心配。このまま暑さに負けて倒れてしまうのじゃないかと思われるほど足取りが乱れる。
ふっとリュックの中に氷水があったことを思い出した。あの変な音がしなくなったことを確認してからターシャと並んで地べたにしゃがみこんだ。アスファルトの上は暑い。もちろん、ターシャは水に飛びつきむさぼるように飲んだ。そう、寒中にもここで迷ったことがあったっけ。こんな風にさまよい歩行をする場合は、暑いときと寒いときとどっちが良いのだろう・・・。もう私の飲む水は1口しか残っていなかった。
 気を取り直して「まっすぐお家よ!」とたしなめると、ちゃんと心が通じたではないか!すぐそばにいつもの遊歩道に抜けるコーナーがあったのだ。
 家に着いてすぐに保冷剤でつらそうな呼吸をしているターシャを冷やしてやった。それにしても、あの音、あのターシャのくしゃみ、あの人の気配、いったい何ことが起こりかけようとしたのかしら?



皐月

埠頭より霧立ち込むるこの朝は鳩の鳴き声くぐもりて聞こゆ
(ふとうより きりたちこむる このあさは はとのなきごえ くぐもりてきこゆ)

初夏の風部屋いっぱいに入れながら窓ガラス拭く連休二日目
(しょかのかぜ へやいっぱいに いれながら まどガラスふく れんきゅうふつかめ)

花房の甘き香満る藤棚に羽音せわしく虻しきり飛ぶ
(はなぶさの あまきかみつる ふじだなに はおとせわしく あぶしきりとぶ)

日の陰り雨呼ぶ風かさらさらとタイつり草の小花が揺るる
(ひのかげり あめよぶかぜか さらさらと たいつりそうの こばながゆるる)

ハーブ園わたり来る風をポケットにサワッと詰めて香を持ち帰る
(ハーブえん わたりくるかぜ ポケットに サワッとつめて かをもちかえる)

柿の実の色づくころにまた来よと緑の風を入れて封する
(かきのみの いろづくころに またこよと みどりのかぜを いれてふうする)

浜茄子の風を切りつつ盲導犬とハーネス軽く草原下る
(はまなすの かぜをきりつつ もうどうけんと はーねすかろく そうげんくだる)

クローバー咲き匂う芝生にふんわりと束の間偲ぶ遠き初恋
(クローバーさきにおう しばふに ふんわりと つかのましのぶ とおきはつこい)

帰らざる吾が見えし日の過去に浸りオルゴールの小箱静かに閉ずる
(かえらざる わがみえしひの かこにひたり オルゴールのこばこ しずかにとずる)

 「風薫る五月」すでに言旧されている時候の挨拶だが私は好きだ。玄関から一歩踏み出したとき、どこからともなくさわやかな風を感じるのである。耳を澄ますようにじっとその空気の動きを味わって佇んでいると「はやく歩こうよ」とターシャからしっぽを振って促されることしばしば。
 いつもの散歩コースに桜並木がある。この季節にこの並木の下を歩くのが大好きなのだ。みずみずした風を頬に感じながら坂道を上って行く。近づくに連れ、葉づれの音で若葉から深緑に変わりかける葉のつやめきや大きさが手に取るように分るのだ。その日によって、周辺に咲いている花の香りも運んで来てくれる。
 先日たずねたハーブ園で、アジアンタム、オーデコロンミント、ローズマリー、ライラックなど、いずれも香りのはっきりした苗を求めて来た。いつの日にか「風薫る五月」には、開け放った窓辺にこの香りを届けてくれるのを待つことにして、まだちっちゃな苗に水やりをしている。



卯月


コンクリートの割れ目に咲く薄紫のスミレ草。スミレさん、頑張れ!
写真:薄紫のスミレ

囀りの澄みてひろがる春の日はうら哀しかりめしいの吾の
(さえずりの すみてひろがる はるのひは うらがなしかり めしいのわれの)

ツクシ摘む背なに春の日やわらかしま昼静かに潮騒のして
(つくしつむ せなにはるのひ やわらかし まひるしずかに しおさいのして)

満開の君子蘭諸手に愛でている盲いなる吾を花見詰むるか
(まんかいの くんしらんもろてに めでている めしいなるあを はなみつむるか)

かすかにも見ゆる日ありき新緑を際立たせ降る雨音を聞く
(かすかにも みゆるひありき しんりょくを きわだたせふる あまおとをきく)

いかり草の咲き継ぐ山を登り来て潮騒遠く風を聞きいる
(いかりそうの さきつぐやまを のぼりきて しおさいとおく かぜをききいる)

鶯の初音聞きたり雪柳の匂う小道の朝日浴みつつ
(うぐいすの はつねききたり ゆきやなぎの におうこみちの あさひあみつつ)

花冷えの続く日々なりデパートのマネキンははや初夏の色着る
(はなびえの つづくひびなり デパートの マネキンははや しょかのいろきる)

縁側の日溜りに寝そべる犬の尾を素足に寄りて踏んでみんとす
(えんがわの ひだまりにねそべる いぬのおを すあしによりて ふんでみんとす)

咲きにおうライラックの下抜けるときふわっと花房顔に触れくる
(さきにおう ライラックのもと ぬけるとき ふわっとはなふさ かおにふれくる)

 私の趣味の一つに「寝る」ことがあるといっても過言ではない。人はよく「枕が替わると寝付けない」とか「コーヒーやお茶を飲んだから寝付けなかった」などと言うが、いつでも、どこでも寝ることができるのだ。たとえ悩み事に遭った時でも、気づくといつの間に「朝」が来ているのだから。
昨日から「若葉冷え」というにぴったりの寒さと雨風。6時に携帯の目覚ましに起こされ、いつものように耳を澄ますと外は風と雨が降っている様子。朝の散歩はこれで取り消しと決め、目覚ましを7時に延長してまた夢の中へ・・・。
遠くで誰かに呼ばれているみたい?しかもどんどんトーンが高くなってくる・・・。「おいっ!飯はまだか!いったい何時だと思ってるんだ!」  えっ?!
とっさに押した携帯から「ただいま午前7時45分です」・・・。似たもの同士、隣の盲導犬なる愛犬のターシャをたたき起こして、今度は夢中で現実の主婦に身支度を整えたのだった。

「あらあらこんなに寝坊しちゃって」エプロンきりっと厨に立ちぬ
(「あらあら こんなにねぼうしちゃって」エプロンきりっと くりやにたちぬ)

冷蔵庫のひんやり暗闇好むらし 葱の切り口いつも伸びている
(れいぞうこの ひんやりくらやみ このむらし ねぎのきりくち いつものびている)

冷蔵庫にもやし、キャベツ、肉ありて 今日のお昼は焼きそばにしよう
(れいぞうこに もやし、キャベツ にくありて きょうのおひるは やきそばにしよう)



弥生


道草して蓮華草を摘みました。花言葉は「あなたの幸せ」。
写真:蓮華草

春蘭のえくぼのような花びらにそうっと触れたり 盲いの吾の手
(しゅんらんの えくぼのような はなびらに そうっとふれたり めしいのわれのて)

椿の紅 照り葉の緑の定かならぬと色弱の友の哀しみ聞きぬ
(つばきのあか てりはのみどりの さだかならぬと しきじゃくのともの かなしみききぬ)

その一輪そうっとめしいの手に触るる彼岸日向の藤五郎梅林
(そのいちりん そうっとめしいの てにふるる ひがんひなたの とうごろうばいりん)

ほのかなる香りひろげて開きゆく梅の小枝を揺らすそよ風
(ほのかなる かおりひろげて ひらきゆく うめのこえだを ゆらすそよかぜ)

スーパーのパック詰めなるフキノトウ刻めば野の香しずくこぼるる
(スーパーの パックづめなる ふきのとう きざめばののか しずくこぼるる)

ピーピピー電気に生活の支配されお湯かご飯か聞き分けて立つ
(ピーピピー でんきにたつきの しはいされ おゆかごはんか ききわけてたつ)

玄関に導きくれし盲導犬の足拭きやれば日向の匂い
(げんかんに みちびきくれし もうどうけんの あしふきやれば ひなたのにおい)

沈丁花の香り漂う日溜りに抜け毛目立ちたる犬の毛を梳く
(じんちょうげの かおりただよう ひだまりに ぬけげめだちたる いぬのけをすく)

 今年も妙高高原でスノーレクを楽しんで来ました。心配していた積雪も1メートルくらいで、天候も上々。宿舎周辺の雪原をスノーシューでギュッギュッと踏みしめながら散策するのです。まっさらな雪の上に兎と狐の足跡が追いかけっこをしたように続いている様を手で触れたときの感動!「追いかけたのは狐だ」などと、勝手にストーリーを作る人もいました。
雪の下で谷川の流れる音がロマンチックに聞こえ、もう一度聞きたい思いです。でも、積った雪が凍ってできた橋(スノーブリッジといったかな?)を最後尾に渡ったときはビクビクでした。みんなの体重を支えた後、緩んできた気温も手伝って溶け、ボッチャリと落ちはしまいかと・・・。無事、渡りきってからその橋に下がっていたツララを取ってもらってほおばったら、なんとなく谷川の味がしました。
朴の木、こぶしなどの枝先には新芽がしっかりと膨らんでいました。杉林からお線香のような、花のようなやわらかな甘い匂いがふんわり風に乗ってきて、思わず鼻をくんくん。あの「花粉症」たる根源もこんなにすてきな香りを漂わせているのです。
見晴らしのよい所では、周囲にそびえる山々の様子を教えてもらい、冬山のオゾンを思いっきり吸い込んだのも滅多にできない体験でした。
 冬山ハイクは、スノーシューの蟹股歩行になれさえすれば、山道の凸凹が雪で埋っているので視覚障害者にとって安心して歩けます。また、雪がクッションとなって足にかかる負担も少ないと思いました。
 「童心」に返っての楽しい一時を三十一文字に残したいのに、なかなか思うように詠めないのが残念です。

ゲレンデを圧雪してゆくキャタピラー凍てつく朝の気を震わせて

スノーシュー新雪踏みて歩み行く音小気味よし冬山ハイク

ハーネスを解きやればターシャ雪原を自在に駆け回る犬にもどりて

弾丸のように雪原駆け回るターシャの顔は「笑っているよ」

ゲレンデのちびっ子広場に巨大なるかまくらドンと据えられてあり



如月

眼裏にりんごの色を描きつつながく長くとその皮を剥く
(まなうらに りんごのいろを えがきつつ ながくながくと そのかわをむく)

手に余るほどの大きなりんご剥く朝の厨に甘き香のたつ
(てにあまる ほどのおおきな りんごむく あさのくりやに あまきかのたつ)

のみどにも冷気沁みくる大寒の晴れたる朝うすらいを踏む
(のみどにも れいきしみくる だいかんの はれたるあした うすらいをふむ)

もう少しあともう少しと二十五分待っても来ない雪のバス停

外套を纏いたるまま入り来たる夫に雪の香ひんやり匂う
(がいとうを まといたるまま いりきたる つまにゆきのか ひんやりにおう)

立春の朝すがしきクックッと足裏に雪を鳴らして歩む
(りっしゅんの あしたすがしき クックッと あうらにゆきを ならしてあゆむ)

鱈ちりの鍋にいっぱい葱を入れ熱燗よろし 戻り寒の夜は
(たらちりの なべにいっぱい ねぎをいれ あつかんよろし もどりかんのよは)

つんつんと水仙の芽をみつけたり土にかすかなぬくもりありて

ヒヤシンス花の重みに傾ぎつつ日向に春の香を放ちいる
(ヒヤシンス はなのおもみに かしぎつつ ひなたにはるの かをはなちいる)

   つい先日、家の前の交差点でのことである。靴底からキャッチした点字ブロックで横断歩道の位置を確認してから盲導犬ターシャに「OK」とゴーサインを出した。にもかかわらずターシャは動く気配がない。
今度は少しきつい口調で「OK!」と言ったのだが、やはりターシャは動いてくれない。耳を澄ましても車の音がしないので私は「えいっ」とばかりにハーネスを押して渡ろうとした。
そのとき、直前をすーっと横切ったのは車。確かに車だった。もう一、二歩進んでいたら・・・。家の玄関に入っても私の心臓のどきどきは泊まらなかった。
 先方で用が足りずに落ち込んでいたし、夕食の支度も気になり急いでいた。 この横断を渡ればすぐ家だという安心感で注意力がなくなっていたのかもしれない。それとも、疲労感に加齢も手伝って聴力が落ちていたのだろうか?
 その夜のテレビで「ハイブリッドカー」のことが話題になっていた。昨今のガソリン暴騰で経済上からも、また地球温暖化防止や環境に優しいという観点からも大いに期待されている。もしかして、夕方あの危うく事故に遭遇しそうになった車は、このハイブリッドカーだったのでは?視力ゼロの私にはそれを知る術もないのだが・・・。
だとしたら、この種の車が普及したら?どんどん予測が大きくなり、見えない私にとっての歩行に欠かせない「車の音」が消音の方向に進んでいくことの恐怖が深まってしまった。
 新聞やテレビのニュウスに「盲導犬連れの女性が交差点で車にひかれる」なんてことから救ってくれた良きパートナーのターシャを感謝いっぱいで抱きしめたのはもちろんである。



睦月

響きくる太き汽笛を腑にしかと受けとむ吾の21年明く
(ひびきくる ふとききてきをはらわたに しかとうけとむ あの21ねんあく)

「こんにちは」はにかみながら頭下げる息子の連れ来し彼女ちはるさん
(「こんにちは」 はにかみながら ずをさげる むすこのつれこし かのじょちはるさん)

上の座に隅を焼べいる弟の渋き咳ばらい父に似て来ぬ
(かみのざに すみをくべいる おとうとの しぶきせきばらい ちちににてきぬ)

両の眼を天にあずけて盲導犬と新年のウォークゆっくり歩む
(りょうのめを てんにあづけて もうどうけんと しんねんのウォーク ゆっくりあゆむ)

アイスバーンのように凍てつく坂の道27キロの盲導犬に導かれ行く
(アイスバーンの ようにいてつく さかのみち 27キロの もうどうけんに みちびかれゆく)

頭からいやしっぽから食べようかふっくら鯛焼き掌にのせながら

ふんわりと揚げたる寒の牡蠣フライ夫の晩酌に磯の香も添え
(ふんわりと あげたるかんの かきフライ つまのばんしゃくに いそのかもそえ)

 20センチほど雪が積ったのは近年に珍しい。引き綱を3,4メートルほど長くしてターシャを駐車場や花壇で遊ばせてやると、跳ね回る様がその綱に伝わってくる。それが面白くって日に数回も繰り返すのだが。その雪も今朝はカチカチに凍って、4本の足がぱりッぱりッと小気味よい音を立ててかけ回るのだ。
   真っ新な今日の始めに真っ新な雪をけ散らし犬が尾を振る
   新雪をけ散らしながら駆け回る盲導犬は犬にもどりて
 外は凍てつく寒さなのに、家の中に「春」をみつけた。昨年の暮に取り込んでおいた鉢植えのみに水仙がみごとに咲いたのだ。窓越しに差し込む日差しがすっかり「春」を思わせたのだろう。手のひらに乗るほどの小さな鉢なのに六つも蕾をつけて、その一つが今朝開き清そな香りを漂わせている。この蕾がみんな開いて、もっと香りが広がる日を待ちながら1月を見送ろう。
   一番雪の消ゆるを待ちて取込みし窓辺の水泉ぬくぬく伸びる
   淡淡(あわあわ)と日差し入りくる窓際に春に先駆け水仙の咲く

これで平成21年の短歌のページを終わります。
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