平成24年の短歌
 

師走

語尾高く話す若きらと乗り合いて夕暮れのバスにほのぼのといる

留守居なすしぐるる夜はストーブの灯油満たして毛糸編みつぐ

IT講習受けつつ開くホームページに夕食のレシピの検索をする

不思議なるIT世界の受講終え出たる路地に「やきいもー」の声
(ふしぎなる ITせかいの じゅこうおえ いでたるろじに 「やきいもー」のこえ)

愛犬に腕枕させほろ酔いの夫の居眠る雪降る夕べ

還りゆく地を求むるか枯れ落ち葉風に乗り来てまた乗りて行く
(かえりゆく ちをもとむるか かれおちば かぜにのりきて またのりてゆく)

舗装路に風の路ありしや連なりて枯葉走り行く師走の夕暮れ
(ほそうろに かぜのみちありしや つらなりて かれははしりゆく しわすのゆうぐれ)

 今日は師走最後の日曜日の30日。小雨が止むことなく降り続いているが、一週間前とは比べ物にならないほどの暖かさである。
あれこれと片付け物をはじめたら、ついつい夢中になってしまった。普段使わないものなのに「もったいない」などと仕舞い込んでおいたものを思い切って処分した。
もう時刻は深夜、12時を過ぎてしまったが、玄関に大きなゴミ袋を三つも並べたのを見て、なんだか家の中がすっきりしたような気分。
明日この袋をごみステーションに運んだら、赤い実をつけたマンリョーと、父から受け継いだ万年青を玄関に並べ、新年に備えよう。



霜月

舞来るも散り敷くも哀し黄葉の美人林のただなかに立つ
(まいくるも ちりしくもかなし こうようの びじんばやしの ただなかにたつ)

ブナ落ち葉我が踏みしめて地に返す美人林の時雨ひねもす
(ブナおちば わがふみしめて ちにかえす びじんばやしの しぐれひねもす)

前になり後になりして枯れ落ち葉信号待つ間を追い越し行けり
(まえになり あとになりして かれおちば しんごうまつまを おいこしゆけり)

握りたるハーネス軽し枯葉色のジャケットまといて落ち葉踏み行く

着込みたるセーター脱ぎて「昨日まで寒かったのに」と独り言を言う

「違うのよ」「誤解なのよ」と言えぬ吾に尖りし声の電話切れたり

「シメジ、シイタケ、エリンギ、マイタケ九十八エーン!」露店の人だかりに吾も入りぬ

 この月初めに県内盲導犬ユーザーの研修会に参加し、温泉に、またおいしい料理にと晩秋の末の山を堪能して来ました。
 明くる日は心配していた雨にも遭わず、そう寒くもないお天気。10時過ぎに旅館の車で「美人林」に案内してもらいました。ちょうど紅葉のシーズンで観光客が訪れていましたが、私たちに遭うとブナの黄葉どころではなかったようです。「まあ、かわいい!」「お仕事中だから触ったらダメ」「頑張ってね!」「すごいもんだ…」などと、あちこちから聞こえて来ました。
散り敷いた落ち葉の上を風を感じて歩いたときの爽快感!パートナーの生き生きした動きと一体になって、つい早歩きになってしまいました。ブナのすべすべした幹に触れさせてもらったり、落ち葉を拾ってみたり。でも、私はあの風の感触やカサッという枯葉を踏む音は、これから到来する冬を前にした物悲しさを感じずにはいられませんでした。
今度訪ねるときは、新緑のシーズンにしよう…などと思いながら暮れゆく松之山を後にしました。



神無月

コスモスと木犀の咲くこの季節私の着メロ「赤とんぼ」にする

ケーキ二個求めて帰る路地裏の風透き通る 私の誕生日

山裾の木犀漂う湯の宿に「初めまして!」とジョッキを上げぬ

もみじ葉を渡り来る風の音哀し色づく前のフィナーレなるや
(もみじばを わたりくるかぜの おとかなし いろづくまえの フィナーレなるや)

木犀の風を抱えてかかし立つ「へへののもへじ」新井道の駅
(もくせいの かぜをかかえて かかしたつ 「へへののもへじ」 あらいみちのえき)

わが腕に抱かれて眠る愛犬の小さき寝息 深々と真夜

せいいっぱい背筋伸ばしたはずなのにまた減っている私の身長

 「文化の秋」「スポーツの秋」「読書の秋」「食欲の秋」…言い尽くされた「秋」だが、私にとって今年は「もの想う秋」そんな心境かもしれない。
 それは、つい先日のこと。ずーっと書き続け、パソコンにストックしっぱなしにしておいたファイルの整理をしていたら子育て時代の詩に出会った。あのころは「みんな若かった」「かわいかった」二昔も前にしばしタイムスリップ、次から次へと想いは巡り「もの想う秋」の真っ最中になってしまったのである。
 そんな中から短い詩を二編アップし「もの想う秋」のページを閉じよう。

まま お願い ねー、ママも自転車買って ボクをむかえに来て
  だって ゆきちゃんも、しんちゃんも
  ママの自転車で おかえりするんだよ
そしたらボクが
   右とか左とか言って
  ママに危ない所おしえてあげるから…

ママ この色にあうよ
あのね このセーターは
  コーヒーにクリープを溶かした色よ
こっちのは
  レタスのようにうすい緑かな
あっちのはね
  ホラ 地図帳の一番深い海の色
娘に教えてもらいながら
  洋服を選ぶ日曜日
外はあったか
  ピンクもいいね



長月

ゴンドラを降りればリンドウの花盛り東館山ゆ秋の始まる

ゴンドラにきょとんと座る盲導犬フィズの頭撫で行く高原の風

草枯の上にしゃがみて初秋の澄める音聞く寺子山裾

夕風のそーよろ吹きくる裏庭に潜みいし虫のシンフォニー始まる

コール音切れし真夜中我が庭に途切れることなく蟋蟀の鳴く

「オイチイネェりんごのミジュ」遠き日の子を語りつつ夫と梨食む
(「おいしいね、リンゴの水」とおきひの こをかたりつつ つまとなしはむ)

梨一個四つに切りて食べたるは遠き日のこと 四人の家族
(なしいっこ よっつにきりて たべたるは とおきひのこと  よにんのかぞく)

 今日で9月もおしまい。台風17号が強い勢力を保ったまま関東後信東北地方を縦断するという予報に備え、花壇の手入れに取りかかった。すでにいつもと違う風が吹き始め、だんだん強くなる気配である。
ひと夏を楽しませてくれたカンナやベゴニア、ゼラニウムなどを思い切って刈り込んだ。これなら強風に鉢やプランターも飛ばされることはないだろう。
キキョウを刈り込んでいた手にやわらかな茎が触れた。あれー、なんだろう?右にも左にも…。すっくと伸びたその先には小さな蕾!なんと、それは間違いなく彼岸花だった。ご近所では彼岸花が咲きだしたというのに、我が家のは全く花芽の気配もなかったから、すっかりあきらめていたのだった。
 「彼岸花、花は葉を見ず、葉は花を見ず」何だか結ばれない恋人同士のよう。春の訪れとともに細い葉が伸び、地中に養分を取り込んでから、その花も見ずにひっそりと枯れてしまう。猛暑が過ぎ去ったある日、涼風とともにすっくと地上に茎が伸び出す。その先に蕾をかかげて。真っ赤なその花は、花壇や里山に「秋」の来訪を告げて散って行く。かつて視力のあったころ、この真っ赤に燃盛る曼珠沙華を見て哀愁を感じたものだった。「せめて葉の緑を添えてやりたい」と。
 二年ほど前に患者さんからいただいた球根が、やっと花を咲かせてくれようとしている。この台風におられてしまわないように、しっかりと軒下に避難させ、開花を待つことにしよう。
   まんじゅしゃげの花芽すっくと天に伸びかかげし蕾に秋が揺れいる
   (まんじゅしゃげの はなめすっくと てんにのび かかげしつぼみに あきがゆ   れいる)



葉月

タンデムのリズムに乗ってペダルこぐ緑風切り分け上る坂道
(タンデムの リズムにのって ペダルこぐ りょくふうきりわけ のぼるさかみち)

タンデム自転車のリズムつかみてペダル漕ぐ傾ぎつつ切るカーブのスリル

シュワシュワッとのど潤せる生ビールこの幸せは真夏日の使者
(シュワシュワッと のどうるわせる なまビール このしあわせは まなつびのししゃ)

若者がリズミカルにてメール打つペコペコペコの無機質な世界

ほてる足波に洗わせ眼裏の水平線へ眼を凝らしいる
(ほてるあし なみにあらわせ まなうらの すいへいせんへめをこらしいる)

里の家ひときわ高し蝉しぐれ大き欅の真下に入りぬ
(さとのいえ ひときわたかし せみしぐれ おおきけやきの ましたにいりぬ)

蝉しぐれひた鳴く並木を抜け出でて父母の眠れる墓土はもう秋

 今日はもう9月5日、猛暑を置き去りにしたまま「夏」は過ぎてしまった。朝夕に は虫の音が聞こえ、自然界は確実に「秋」の気配が濃くなっている。
 ゴーヤーが勢いよく葉を広げ、南側の窓いっぱいに程よい日陰を作ってくれている。昨日弟が「これでもうおしまいかな?」と15センチほどのかわいいゴーヤーをもぎ取ってくれた。さーて、このかわいいゴーヤーちゃん、どうやって食べてあげようか…。最後となると急にかわいくなって、いつものようにすぐに包丁を当てることができない。猛暑にもめげずに風の音を届けてくれた風鈴とテレビの横に今少し並べておくことにしよう。
  風の調べ届けくれたる風鈴のほこり払いてゆく夏惜しむ

  コール音三回鳴りて真夜中の電話切れたり 蟋蟀(こうろぎ)の鳴く



文月

その声をその羽をおくれ鶯よ続く岩場の白馬ひた登る
(そのこえを そのはねをおくれ うぐいすよ つづくいわばの しろうまひたのぼる)

岩場道登り来る人らに譲りおり鶯の音に耳遊ばせて
(いわばみち のぼりくるひとらに ゆずりおり うぐいすのねに みみあそばせて)

声あげて大き岩場を登りたり ふいに開けし天狗の庭が
(こえあげて おおきいわばを のぼりたり ふいにひらけし てんぐのにわが)

次の世は天狗になりてこの岩の上より見たしお花畑を

雪渓を渡り来る風に花の香のほんのりありて深く息吸う
(せっけいを わたりくるかぜ はなのかの ほんのりありて ふかくいきすう)

2380メートル白馬山冴え返る星のささやきに耳を尖らす

 この月末、所属している「山の会」主催の白馬大池登山に参加した。新潟組は糸魚川駅前で前泊し、翌朝蓮華温泉ロッジから総勢15名でスタートした。山の天気は変わり易いといわれているが、前日の居酒屋で交わした「お天気祭り」の効き目があったのだろう、下山まで雷にも会うことなく高山の雰囲気を味わうことができた。
 知人から「白馬はすごい山だよ」と聞き、覚悟をしていたものの・・・最初から瓦礫と岩場の連続、それにすごいアップダウンで、私の体力をはるかに超えたコースだった。とはいえ、途中でのダウンもできない。難所は両手を引っ張ってもらったり、お尻を押し上げてもらったり、四つん這いで這い登ったり・・・。パートナーのザックにつけた誘導ロープとストックも放して、メンバーの指示に従いながら慎重に足を運んだゆらゆらの「梯子」はスリル満点。また、大きな一枚岩の上を乗り越えるときと、一歩間違えば谷に滑落しそうな個所を通過するまでの緊張感は、今、思い出すだけでも身震いがする。他のパーティーや登山者に山道を譲っている度に聞こえた彼らの軽快な靴音は、見えない私にとって神業にさえ思えた。
 急に空気の流れが軽くなり開けた感じがしたと思ったら「うわー!すごい!」とあちこちからあがる感嘆の声。そこは「天狗の庭」だった。一面に広がるお花畑、その先に続く雪渓、その周囲には北アルプスの山並み…。とにかく素晴らしい大自然のパノラマにしばしの沈黙。このさわやかな空気と風の冷たさから私にもその雪渓を想像できるのだが、お花畑だけは「見たい!」と悔しくなってしまう。次の世は、天狗になってこの岩を自由に飛び回ってお花畑を堪能してみたいものである・・・ジャコーソーの心地良い香りの中で。
 こんな繰り返しで、へとへと状態になりながら全員無事に大池山荘到着したときの達成感は最高。生きていてよかった!この感動があるからこそ、私はこの年になっても山登りをやめることができない!ベンチで汗を拭いていると「雪渓に行ってみたい人」とリーダーの呼びかけに、疲れも忘れてまた歩き出した。10メートルも歩かないうちに冷たい空気と靴底の変化、正にそこは雪渓の上だった。雪の上なのに靴が埋まることもなく、今までに体験したことのない残雪の感触。その雪が溶けたすぐ際に柔らかな葉が伸び、小さな花を咲かせている。なるほど、天狗の庭でメンバーから上がった感嘆の声は、この花たちがもたらす大自然の素晴らしさだったのだと納得。「これがチングルマ、これがイワイチョウ・・・」チングルマの綿毛、そして高山植物を守るために張ってある進入禁止のロープなど、私の想像することができないのにもこの手で触れさせてもらったのは何よりの心のお土産となった。
 山荘の中はとにかく暑く、なかなか寝付けない。10時過ぎに数人と外へ出てみた。物音一つしないという状態はこのことをいうのだろう、ひんやりと静まりかえった高山の夜気に思わず深呼吸。もう二度とこのような高山に登る機会はないだろう…。
 翌朝も天候に恵まれ、他の登山客がスタートした後、私たちのパーティーも7時前に下山開始。いつものことだが「よくもこんなにすごい参道を登って来たものだ」と驚嘆の声があちこちから聞こえてくる。私は上りよりもこの下山が好き。だが今回は岩場や浮石が多く、パートナーの動きに集中し慎重に足を運ばなければ危険な難所だらけ。あのスリル満点だった「梯子」の難所も無事に通過できたときはニコニコ顔になってしまった。太腿がこわばり無意識に足が動いて、ちょっとでもアップの箇所があるとつまずきそうになる。もう惰性で蓮華温泉ロッジにたどり着いたときは正午を回っていた。山荘で渡されたお弁当よりも、冷麺やアイスコーヒーが欲しいほど平地は猛暑だった。
 一人でも大変な登山コースなのに、視覚障害のハンディーを持つ会員をさぽーとしながらの登山、この会の「みんな一緒にチャレンジしよう、そして達成感を分け合おう」という精神にあらためて感謝の念を抱いた白馬大池登山だった。



水無月

梅雨晴れの父の命日形見なる万年青の一鉢花芽を持てり
(つゆばれの ちちのめいにち かたみなる おもとのひとはち はなめをもてり)

素足に踏む花ござすがし初夏の風入り来る部屋に髪梳きている
(すあしにふむ はなござすがし しょかのかぜ いりくるへやに かみすきている)

梅雨晴れの風の入りくるリリングに石油ストーブの空焚きをする

見ゆること疑わざりき若き日のふと蘇る 百合の香の風
(みゆること うたがわざりき わかきひの ふとよみがえる  ゆりのかのかぜ)

住む人のいなくなりたる隣家に今年も気負いて紫陽花の咲く
(すむひとの いなくなりたる となりやに きぞもきおいて あじさいのさく)

降り立てば春蝉の声迫りくる山の気すがし苗場ふれあいの郷
(おりたてば はるせみのこえ せまりくる やまのきすがし なえばふれあいのさと)

地面より湧き出ずるがに春蝉の鳴きいる中に登山靴履く
(じめんより わきいずるがに はるせみの なきいるなかに とざんぐつはく)

 スーパーまで買い物にと出かけた日のこと。「ヤーヤー!!どけ!どけ!」突然背後でわめき声がした。何が何だかわからぬまま立ち止まった私を、足もとにいたパートナーのフィズが強い力で車道側に押して来た。バランスを失い転びそうになったが、ガードレールに寄りかかって一安心。
「どけどけ!!こらこら!危ない!」背後でしていたわめき声が近づいたかと思う間もなく、風を残して通過して行ったのだった。フィズの全身をぶるぶるさせた動きがハーネスから伝わり、私もバランスを取り戻し姿勢を正した。そしてようやく事の次第を理解できたのだった。
 そこは次の路地までのわずかな距離だが、通りの激しい国道に沿った歩道で植え込みや電柱がある。その上、ガードレールを支えている柵が歩道の幅をより狭くしているので普段でも要注意の場所。
自転車に乗った男性(多分?)がスピードを緩めることなく、私とフィズを追い越して行ったのだった。見えない私には、その姿や状況の把握は難しいのであくまで推測にすぎないのだが…。
 そのあなた、なぜそんなに急いでいたのですか?大声をあげて歩行者を傍らに寄せてまで追い越さなければならなかったのでしょうか。あなたには私が盲導犬と歩いている視覚障害者だということがわからなかったのかも知れませんね。後方からでは、それを認識するには無理だったかもしれません。
私はフィズの迅速な対応があったからあなたと衝突せずに済んだのです。そして、あのガードレールがあったから車道へ転ばずに済みました。これがもし高齢者や子供だったらどうなっていたことでしょう?
それにもう10メートルほど先に行けば、この狭い歩道も広くなるのが見えたはずなのに、あなたはそこまで追い越しすることが待てなかったのでしょうか・・・。

  背より頓狂な声に歩止むれば風を残して自転車の過ぐ
   (そびらより とんきょうなこえに ほとむれば かぜをのこして じてんしゃの    すぐ)



皐月

「この匂い去年もしてたね」椎の木の芽吹き初めたる児童公園
(「このにおい きょねんもしてたね」 しいのきの めぶきそめたる じどうこうえん)

ようやくに会議終わりてたどる路地小石が一つ靴に入りくる
(ようやくに かいぎおわりて たどるろじ こいしがひとつ くつにいりくる)

震災より七年経たる田麦山新たな家並みに草萌えの風
(しんさいより ななとせたちたる たむぎやま あらたなやなみに くさもえのかぜ)

手探りにようやく触れしとがり葉の杉の緑の眼裏に映ゆ
(てさぐりに ようやくふれし とがりはの すぎのみどりの まなうらにはゆ)

ふんわりと遠き初恋シノバルるクローバー咲き匂う芝生におりて

笑ってたメガネの人は誰だろう 意識が夢に取り残される

   夢か現か…。
   メガネをかけて笑っていた人は誰だろう?
   小学生のころにメガネをかけていた 隣の席の男の子?
   中学生では もう二人いたような…
   それとも、高校時代の あの人だったかしら?
   意識だけを残して消えて行った 夢

大ないに鳥居倒されし笠間稲荷藤棚の陰に柏手を聞く
(おおないに とりいたおされし かさまいなり ふじだなのかげに かしわでをきく)

被りたる帽子のつばを翻し真っ直ぐに緑風 笠間工芸の丘
(かむりたる ぼうしのつばを ひるがえし まっすぐにりょくふう  かさまこうげいのおか)

 一端の芸術家よろし笠間焼のてび練に挑む夫婦の湯飲み
(いっぱしの げいじゅつかよろし かさまやきの てびねりにいどむ めおとのゆのみ)



卯月

桜花ハンカチに包み持ちくるるしっとり幼の手も桜色
(さくらばな ハンカチにつつみ もちくるる しっとりおさなの てもさくらいろ)

物陰となりたる鉢の水仙は地を這いつつも日に向きて咲く
(ものかげと なりたるはちの すいせんは ちをはいつつも ひにむきてさく)

木の芽雨煙るがに降る一日なり水仙の芽の尖りツツ萌ゆ
 (このめあめ けむるがにふる ひとひなり すいせんのめの とがりつつもゆ)

春の日のぬくもり増し来る窓際は犬が占めたり寝そべりてうらら

バス停も車もポストも吾と歩む盲導犬もぬらし芽吹き雨降る

シルバーカー押し行く人の後につき花吹雪の路地盲導犬と歩む

フキノトウ、ヨモギ、タラノメ山頂で春をまるごと揚ぐる天ぷら

 つい先日のこと、新タマネギを買って来たので野菜ケースの中にしまおうとした手にひんやり触れた物があった。予想もしていなかったその感触に思わず手を引っ込めてしまったが、思い直してよくよく見ると、いや、触ってみれば・・・それは隅っこに忘れられていたタマネギの新芽だった。
伸び出た新芽はケースの蓋に阻まれ、ぐんにゃり曲がりながらその先をつんと尖らせているのだった。しっとりと手ごたえのある新タマネギと入れ替えながら、私がまだ勤めていたときのことを思い出した。
 それは、調理室にいたおばさんのことだった。彼女は日当たりのよい出窓の上に野菜をコップの中で育てていた。ニンジン、大根、ネギ、キャベツなど、その中にあったネギボウズがかわいかった。彼女は伸びた新芽を積んでサラダやみそ汁に使うと楽しそうに話してくれた。
 そうだ、私も育ててみよう。ごみ箱に捨てたそのタマネギを取り出し、そっと新芽に触れてみた。芽は曲がってこそいたけれど、折れずにみずみずとしていた。以前にヒヤシンスの水栽培をしたときの容器があったことを思い出し、そのときと同じように水を入れタマネギを置いてみた。まるでそのための容器みたいにぴったりおさまったので、すっかりうれしくなってしまった。
 それから今日で十日も経ったであろうか。毎日、日の当たる方に向きを変えた甲斐あって、あんなに曲がっていた芽も太い葉を何本も真っ直ぐに伸ばしている。もう畑のタマネギに負けないほどの成長ぶりなのだが…さーて、これから先、このタマネギの水栽培はいかにしたら良いのだろう?果たして「ネギポーズ」を見せてくれるのだろうか…。



弥生

著けくも花の香におう水仙の一鉢を買う春立つ町に
(しるけくも はなのかにおう すいせんの ひとはちをかう はるたつまちに)

うなりつつ窓打ちつける暴風雨温き寝床に耳尖りいる

足踏みをしつつ待ちいる交差点歩数計揺れて春カウントす

プランターの新芽覆いて淡雪のまたも降り積む 阻まるる春
(プランターの しんめおおいて あわゆきの またもふりつむ  はばまるるはる)

手袋をぬぎて日向へ手をかざし幽けき春を確かめており
(てぶくろを ぬぎてひなたへ てをかざし かそけきはるを たしかめている)

毛糸玉たぐりつつ編むもへあーのセーターふんわり 眠気ふんわり

ことのなき今日の終わりに米を研ぐ晩酌の夫へ相づちしつつ

 「まあ!かわいい!ぼくちゃん?それとも嬢ちゃん?」
 「はい、男の子です」
 「ほらほら上林さん、おテテよ…アクチュしてもいいかしら?」
 「はいはい、どうぞ  あら、かわいいワンちゃんね!」
 「うわー、アクチュ!このおテテ、ちっちゃい!かわいいね」
 「お誕生日過ぎたかな?ほんとにかわいいですね」
 「はい、つい二週間ほど前にね」
 「まあまあ、そうなの、パパも大喜びよね!  上林さん、ほら、しっかりママを見ているのよ」
 「パパいないんです・・・私シングルマザーなんです」
 「…なら、その分かわいいでしょう?」
 「はい、かわいいです!この子がいるから頑張れるんですよ」
 「そっかー、 まま偉い!抱っこして歩いているのって、足もとが見えにくくって怖くない?」
 「大丈夫、もう慣れました。いつもこの子の顔を見ていられるから、負んぶしているより安心なんですよ」
 「おテテ、かわいいね! おしゃべりできるかな?ワンちゃんはおしゃべりできないのよ」
 「アア、ママ、バー・・・くらいかな?伝い歩きをするようになったんですよ。 
ほら、このワンちゃん、お仕事しているのよ、えらいねー」
 「なら、いっぱいおしゃべりできるのももうすぐね。 フィズはおしゃべりできないけど、この尻尾を振っておしゃべりするの」
 ・・・「春も名のみの風の寒さ…」こんなメロディーが良く似合う日曜日のバス停でのことでした。あのちっちゃな手と「シングルマザー」だと答えた明るいままの笑顔(声)がスナップ写真として心のアルバムにとじ込まれたのでした。



如月

いそいそと新しき包丁にリンゴ剥く長くなーがく良きこと在らん

寒風の吹きすさぶ夜はまるまりて胎児のように小さく眠る

寒の夜のしじまに生るる音数う切りたるストーブの冷めゆく音も
(かんのよの しじまにあるる おとかぞう きりたるストーブの さめゆくおとも)

間を置きてまたも窓打つ吹雪の夜未だ帰り来ぬ夫を案ずる
(まをおきて またもまどうつ ふぶきのよ まだかえりこぬ つまをあんずる)

深呼吸二つ三つしてまた握る除雪のシャベルは至大に重し
(しんこきゅう ふたつみつして またにぎる じょせつのシャベルは しだいにおもし)

寒中のアイスバーンの坂道を盲導犬はゆっくり導きくるる

帰り来て氷雨に濡れし盲導犬の冷たき足裏手で包みやる
(かえりきて ひさめにぬれし もうどうけんの つめたきあうら てでつつみやる)

 久しぶりに来た娘とコーヒータイムにでもということになり、夫が率先して準備を始めた。私の役目は3カップの水を沸かすだけ、夫は豆をひき湯を注ぐ。たちまち部屋にコーヒーの香りが広がりホットな雰囲気になる。パソコンのこと、職場のことなどと娘を中心に話が弾んだのだが…。
 「あれっ!お母さん、フィズの様子がおかしい」と娘が叫んだ。「発作を起こしたみたいだぞ!」と夫も叫ぶ。たった今までコーヒータイムに参加して私のそばにいたはずのフィズが手に触れない・・。私もあわててその音のする方へ耳をそばだててみたら…。フィズは部屋の真ん中であおむけになって4本の足としっぽを激しく動かしながら「フガフガ」と声にならない声を出している。「なーんだ、発作じゃなくって嬉しいダンスをしてるんだよ」私は思わず吹き出してしまった。
 いつものコーヒータイムはフィズが中心なのだが、この日は娘にその中心を奪われたので、フィズは犬なりの頭で考え出した結果のデモンストレーションだったのだ。
突然こんな動作をしたら誰もがフィズに注目してしまうことを計算しての仰向けダンス。それからはフィズの話題に盛り上がってしまったことはここに記すまでもない。



睦月

太々としじま貫き響き合う年明けの汽笛吾の腑に留む
(ふとぶとと しじまつらぬき ひびきあう としあけのきてき あのふにとどむ)

とそ少し飲み過ぎたかなと言いにツツ寝そべる夫へ愛犬寄り行く

ほころびし水栽培のヒヤシンス仕事始めの部屋に匂えり

烈風の吹き下ろし来る高台に冬が居座り遠吠えを為す
(れっぷうの ふきおろしくる たかだいに ふゆがいすわり とおぼえをなす)

ぴったりと寄り添いて来る愛犬に編む手を止めて呼吸を合わす

指先の覚えしままにキーを打つ文字の生れ(あれ)くるパソコン不思議

総合学習に書きくれし子らの点字文パズル解くごと吾が指たどる

冬は冬らしく積雪がなければ…などと言っていたものの、いざ降り積もってしまうと見えない者にとっての歩行は大変である。その日はこの15日の日曜日のこと。
 散歩に出て間もなく、雪と風が激しくなり、あっという間に路面に雪が積もってしまった。普段は路上の凹凸や歩道と車道の段差、点字ブロックなどを目印にして盲導犬のフィズに指示を出して歩行しているのだが、こんなに急に雪が積もった場合は、それらの手がかりがなくなってしまう。その上、雪は周囲の音を消してしまうので状況が全くつかめない。いつもの交差点を確かに渡ったはずなのに…あれっ、おかしい!風向きが違う?。いつまで歩いても家にたどり着けず、しばらくうろうろ歩くほかなかった。「どうしたんですか?」と近づいて来るかわいい声に「助かった!」と心の中で叫んだ。
 それは町内にある山ノ下小学校5年生の女の子だった。昨年、総合学習の授業にうかがったときのことを覚えていて声をかけてくれたのだった。部活に行く途中だと言うので学校の前まで一緒に歩いてもらった。そこから先はフィズと歩き慣れた道なので無事に我が家に帰り着くことができた。
 もう20年にもなるだろうか、近くの学校でお話しさせていただく機会が年に数回ある。ごく当たり前の私自身の体験談しかお話しできないのだが、子供たちと交流させていただくことにより、みんなが安心して暮らせる町作りの一助になっているのだと思う。実際、私自身がその恩恵あってこそ、日々この町で暮らしているのだと実感した最近の出来ごとだった。

これで平成24年の短歌のページを終わります。
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