平成18年の短歌
 

師走

傍らの夫の寝息の確かなるリズムはま夜(まよ)の静けさを増す

舞い上がる紙風船のかすかなる風へ盲い(めしい)のてをのべて突く

路地いずこ違えたりしか盲導犬の動き乱れて歩みの止まる

愛犬も夫の隣に鎮座してカップ二つのコーヒータイム

盲導犬寝息たてつつ見る夢は野を駆けいるか手足の動く

渋滞の車の中に聞こえくる歳末売り出しのかん高き声

補助券をもらいて並ぶ抽選会暮れの商店街しばしにぎわう

 このごろ盲導犬ターシャとの散歩コースにやわらかな花の香りに出会う。それは、坂道を上りつめると住宅がなくなった一角で、下道までの斜面に咲いているらしい。斜面から吹き上げる風がその花の香りを運んでくれるのだろう。
 最近聞いた園芸番組で「山茶花」にも香りのする品種があるということを知った。それはさわやかなクールな香りがするのだそうだ。それ以来、この坂道に来ると「山茶花」が咲いているに違いないと勝手に決めてしまった。色は淡いピンクで、下道にあるお宅の垣根にでも植えられているのではないだろうか。
 もしもこれから先、私に垣根のある家に住むことができたら、この香りの山茶花を植えたい。そして山茶花梅雨に濡れて咲き盛る淡いピンクとやわらかいクールな香りの中でのんびりと平凡な年を重ねてゆきたい。



霜月

小春日のぽかぽか真昼竿売りの路地巡る声また聞こえくる

食洗機の終了告ぐるシグナルは二階に休む我を呼びいる

夕されば窓打つ雨音わびしかり留守居の家内(やぬち)に冷えしのびくる

通院の人らの話題聞きながら時雨の中にバスを待ちいる

枯れ落ち葉後(あと)になりまた先になり夜の路地帰る 夫を見舞いて

 今朝の散歩で急に手袋が恋しくなった。「あの手袋はどこにしまったっけ」などとしとしと降る雨の公園をターシャと歩きながら・・・。それはターシャのパピー(子犬)時代を育ててくださった奥様からいただいた手首に柔らかな毛のあるあったかい手袋なのだ。しかも偶然にも私のコートと同色のオレンジ系。指にフィットするのでつけたときの違和感もなくとても気に入っている。
 朝食後いつものコーヒーをのみ、私はそそくさとそれを探しにかかった。ロッカーの隅にマフラーや帽子の中からそれをみつけた。やはりそうだった。その手袋の指先は擦り切れ寸前だ。特に右手の薬指と中指が・・・。
 繰り返す日々をのんびり過ごしていたことに愕然としてしまった。この手袋で暖かイ冬を過ごしてきて、もう4年が経っていたことになる。穴のあいた手袋をつけたままぼんやりしている私に「それなーに?」とでも言うようにターシャが鼻をくんくんさせてきた。そういえば、あのころには無邪気だったこの子にも「ベテランおばさん」の風格がただよっているではないか。



神無月

秋晴れの風透き通る町角にケーキもとむる 私の誕生日

一面に秋桜咲かせたる休耕田を風穏やかに揺らして過ぎぬ

弥彦(いやひこ)の山すそ巡れる杉木立の万葉の道にひっそりと秋

山茶屋に背比べして盛られいるどんぐりの実のひんやりと秋

まんじゅしゃげの咲き溢れたるプランター三つ四つありて園静かなり

 今日は10月最後の日曜日。しばらく続いていた小春日和も夕方から湿っぽい風が吹き始め、予報どおり雨になりそうだ。夫の留守をいいことにして夕食の支度をサボり、思い切って越冬に備え鉢植えの片づけをした。
 コーヒー豆の木、金のなる木、タマサンゴ、ミルクプッシュ、サンスベリア、スパティーフィラム、がじゅまる・・。葉や鉢を洗い、伸びすぎた枝を適当にカットしてから出窓に並べた。取り込むにはちょっと早すぎたかもしれないかしら。でも、雨音を聞いていると、なんとなく心が満たされひとり安堵している。



長月

さわさわと波打つ稲田の風の色盲いの眼閉じて風聴く

すっぽりと雨に更けゆく夜の秋 夫の寝息と犬の寝息と

チチロ鳴く音に誘われひと夏をしまい置きたる毛糸編み継ぐ

ゆく夏を惜しみつつクーラー磨きいる吾が足下に蟋蟀(こおろぎ)の鳴く

木犀の著けく香る夕間暮れ(ゆうまぐれ)したためし文ポストへ落とす

木犀の香の漂える散歩道いつもの人と挨拶交わす

 9月の初旬は、このまま秋になってしまうのかと思うほど風がひんやり感じられることがある。つい昨日まで半袖で過ごしていたのに、あわてて長袖を引っぱり出して「昨年はまだ暑かったのに」などと回顧し、急に老け込んでしまった自分の姿を思ったりして。だから9月は一番寂しく心細くなってしまう。
  稲穂田を渡り来る風、庭隅でふいに鳴き出した蟋蟀、ふんわりと風が運んでくる木犀の香り・・・。どれも「秋」への序曲として奏でている大自然のなせる技ではないだろうか。こうした季の移ろいを三十一文字に詠んでみるけれど、いまだに納得できる作ができないでいる。



葉月

「燃ゆる水」微かに湧き出ずる音のして地球の不思議に触れたる思い

愛し子の命奪われし母の叫び夕げの支度の水止めて聴く

炎天下空のぶらんこ手で揺らし少年一人遊ぶ公園

盲導犬のゆまり終わるまで蝉時雨聞きつつ稲田の風に吹かるる

真夏日の続く朝はふつふつと香り満たして麦茶を沸かす

夏空へ手を差し入れて背伸びする今し立ちたり立山山頂

 ああ、暑かった夏ももう終わろうとしている。朝夕に聞こえる虫の音が少しづつ澄んできたもの。今日みたいに雨でも降れば、いっそう早足で秋へと季節が移ろうとしているではないか。
 24日から26日に行われた「全国視覚障害者山の会」東日本立山登山大会に参加し、無事その山頂に立つことができた。今回は第10回大会で、山を楽しもうという主旨を持つ仲間が350人も集まった。
 26日、晴天に恵まれた早朝、7台のバスで2450kmの立山登山の基地である室堂へ向かった。ここから一の越までは石畳の登山道である。途中3箇所ほど雪渓のうえを歩いた。かんかん照りなのに雪渓の風は冷たく心地よい。そこから3003kmの頂上までが岩場で見えない者にとっては至難の技であった。私の腰ほどの高さを岩につかまってよじ登ったり、今にも崩れそうな瓦礫の急勾配だったりで緊張の連続。3年ほど前に来たときは軽い高山病にかかり辛かったが、今回は快調に登れた。これは今月二回も弥彦山登山でトレーニングしたおかげだと同行してくれた友人に感謝している。
 私のようにまったく視力のない者が登山するには二名のパートナーが必要だ。まず一人から前を歩いてもらい、そのザックにつけた2メートルほどのロープを私が片手に持ち、方向やアップダウンの差をキャッチする。そしてもう片手に持ったストックでバランスをとりながら足場を確認する。もう一人は後ろについて、危険な箇所などの補足をしてもらう。立山のように岩がむき出しになっている登山道はとくにこの3名のチームワークが大切なのだ。登りよりも下山する方が危険で、ときには全神経を集中しなければならない。
それだけに山頂にたどり着いたときの達成感は大きい。今回の雄山山頂でも3人固い握手でその喜びを分け合った。一人でさえ辛い登山なのに、視覚障害者を誘導しながらの登山は大変だと思う。なのに、同行者はきまってさらりと言われる。「山の大自然をみんなで分け合いましょう」と。また「あなたたちと一緒だから私もがんばれる」とも。人の心まで浄化してくれる力を、山の大自然は持っているのだろうか。



文月

紫陽花の今日の色はと問う窓に梅雨の晴れ間の風通りゆく

諸(もろ)の手にふんわり包むまり花は見えし日の色紫陽花の花

幾日を待ちたる雨か紫陽花のまりみずみずと膨らみて咲く

紫陽花の大きまり花開かせて梅雨はまぁるくまぁるく降りぬ

住む人のなき隣家にこの年も大き紫陽花庭占めて咲く

 梅雨の中に生きいきと咲くアジサイの短歌だけを載せてみました。紫陽花は別名「七変化(しちへんげ)」とも呼ばれ、日毎に色を変えて咲き続けるので花言葉は「移り気」とか。かつて友達は「だから大嫌い」だと言っていたっけ。本花にとっては大迷惑なことだと思いませんか?
 最初の短歌は25年以上も前に詠んだものです。娘がまだ小学生のころでした。お隣の庭に咲いているアジサイを見ながら「今日はお空の色みたい」とか「まんまるく咲き極まった色は「地図帳の深い海の色」「ちょっとにごって茶っぽくなったよ」などと教えてくれたものでした。
 アジサイの花は手で触れてはっきり分るので、見えなくなってからの私の大好きな花のひとつになりました。「額アジサイ」や「柏葉アジサイ」「スミダノハナビ」など挿し木をして咲かせた鉢が庭先に並んでいます。残念なことに毎年楽しませてもらっていたお隣のアジサイも今秋には取り壊され、今年限りとなりました。一枝いただいて挿し木をしてみましたが、庭のない我が家のこと鉢の中でもあの色を見せてくれるといいのですが・・・。



水無月

バラの花
写真:バラの花

取り上げし受話器にかわずの声のして元気でいるかと母の問いくる

かわず鳴く声も伝え来(く)ふるさとの母の電話に心安らぐ

 6月になるとあの故郷のかわずの大合唱がたまらなく聞きたくなる。日が暮れかかるのを待っていたかのように最初の一声が鳴くと、あちらからもこちらからも「ケロケロ・・・ケロケロ」と鳴き始める。そして間なく大合唱のステージが植え田いっぱいに広がるのだ。それは、ときに大行進曲だったり、愉しげなコーラスだったり、大集会のどよめきだったり。また、何万ものかえる軍が人間社会を襲撃してくるようにも聞こえた。
この大合唱の終演を確かめようと、眠さをこらえ布団の上に座っていたこともあった。が、一度として終演に立ち会うことができなかった。気がつくとそこには植え田いっぱいにまぶしいほどの朝が広がっていた。
 今となれば、みんな遠き日の思い出。電話でそれを聞かせてくれた母ももういない。15年も前に詠んだ三十一文字がただ懐かしい。

かわず鳴く村はずれなる早苗だの風に吹かれて終バスを待つ

再会を約して別れし友なりき好みし花のくちなし匂う

夏至の日の日暮れの公園いつまでも まりつく子らと散歩の吾と

鉢植えの鬼灯愛し三つ四つほろ苦き香を懐かしみいる
(はちうえのほおずき いとし みつよっつ ほろにがきかをなつかしみいる)



皐月

夫と我声かわしつつリビングへ春の風入れ窓ガラス拭く

みそ汁に茗荷の新芽放ちたり立夏の風少しリビングへ入れ
(みそしるに みょうがのしんめはなちたり りっかのかぜ すこしリビングへいれ)

葉に触れてつぼみに触れて花に触るる浜茄子の土手 浜茄子の風
(はにふれて つぼみにふれて はなにふるる はまなすのどて はまなすのかぜ)

走り根に歩みを止めて見上ぐれば杉の大樹の上に風鳴る
(はしりねに あゆみをとめて みあぐれば すぎのたいじゅの うえに かぜなる)

救急車通り過ぎたり一時の静けさ破りまた蛙鳴く
(きゅうきゅうしゃ とおりすぎたり いっときのしずけさやぶり また かわずなく)

こくこくと喉鳴らし飲む盲導犬吾が手に掬う初夏の湧き水
(こくこくと のどならしのむ もうどうけん わがてにすくう しょかの わきみず)

 今年はなかなか気候が定まらない。昨日までストーブがいるほど肌寒かったのに、今日はいきなり30度近い真夏日。それに南風がかなり強い。そんな中、昼食のパンを買いにちょっと出かけただけで汗ばんでしまった。ターシャの息遣いも「ハーハー」と暑そう。急いでまだしまい込んだままの半袖Tシャツをとりだす始末。夕方、ちょっと涼しくなったのを見計らって、風が運んでくる木の葉や花の匂いを楽しみながら桜並木の下をのんびり歩いてきた。この、やわらかな甘い匂いはきっとアカシアの花に違いないなどと思いながら・・・。

癈いし眼を閉じて吹かるる公園の風に緑の色あるごとし
(しいしめをとじて ふかるるこうえんの かぜにみどりの いろあるごとし)



卯月

「おかあちゃん」空ろ(うつろ)なる小さき手を取れば微かにかすかに応えてくるる

安らかにたらちねの母逝きませり花祭りなる霜降る朝に

母の足あまりに細く小さくて黄泉への道のり背負いてやりたし

村内に母の報とをふれ回る日の出の前の低き鉦音
(むらうちに ははのつげとをふれまわる ひのでのまえの ひくきかねおと)

たらちねの母の手縫いの喪の衣母の葬りに初袖通す
(たらちねの ははのてぬいの ものころも ははのはふりに はつそでとおす)

 桜の開花を待たずに母はこの八日、黄泉へ旅立った。87歳の誕生日を目前にして。いつも寝起きをしていた部屋の布団の上で、弟夫婦に見守られながら眠るようにして。
 身内や親戚、近所の方たちがあれこれと葬儀の準備をしている中で、視力のない私は何の手伝いもできず、ただ母のそばに座っていた。これが私にできる最後の親孝行なのだと思いながら。緑内障の発病、そして失明とどんなに心配をかけたことだろう。
 数回の手術にもかかわらず失明したころのことである。母に頼らなければ院内を歩けなかった。「そろそろ一人で歩きなさい」と言われ仕方なく壁伝いにトイレへ行った。手洗い後の濡れた手をぶらぶらさせていると、さっとタオルが差し出された。自力で歩くことを強いた母だったが、心配でついて来ていたのだった。若かったころの母の思い出、それは今の私と娘の年。
「盲い(めしい)ても幸せですよお母ちゃん」娘(こ)に導かれ母の骨拾う



弥生

ランの花
写真:ピンクのラン、二輪の花が寄り添っています

チューリップ赤黄ピンクと編むひと日 毛糸に春の夢を託して

願いごと叶いゆくかも今日の日を占うごとく林檎剥きゆく

ティータイム夫(つま)と一緒に子らの名のスペルを選ぶ英字ビスケット

 前日までの春めいた暖かさはどこへやら、一夜のうちに猛吹雪のま冬に逆戻りしたりなどで、三月の天候はなかなか定まらない。そんな折、ぽかぽか陽気に恵まれた2泊3日を花巻温泉でのんびり楽しんできた。自称「とんでる女性」が11名。良く笑い、良く食べ、良く飲みそして尽きないおしゃべり・・・。

「注文の多い料理店」たずね来て童話の世界のメニューを選ぶ

やわらかき早春の陽纏いつつ藤原の里の竹の風聞く
(やわらかき そうしゅんのひかりまといつつ ふじわらのさとの たけのかぜ きく)

三代の時空を語るか竹の風藤原の里にさわさわ渡る

 周囲にはまだ雪があったが、宮沢賢治記念館、中尊寺、江刺藤原の里などを訪ねたときの愚作である。悠久の時空を経て、今もなお藤原氏の魂が眠っているという中尊寺。その厳かなお香の中で眼を閉じ耳を澄ましていると、かつて写真で見た金色堂が浮かぶ。これは、見えていたときの記憶を手がかりに自分の足で現地にたずねて来なければできない技なのである。雪解が始まり、やがて緑豊かな季節ともなれば、観光客でにぎわうのだろうが、今は竹群を渡る風の音しか感じられない静かな中尊寺であった。



如月

雪割草
写真:白い雪割草

唇に頬に風花受けながらハーネス軽く坂上り行く

こわごわと凍てつく路上に歩を運ぶ頭上を「カア」と寒烏飛ぶ

大寒のキーンと冷え込む音の夜を ひとりジーンと耳澄ましいる

頼もしき盲導犬ターシャ号よ 騒音の工事現場を臆せず案内す

 クリスマスローズの花芽三つ四つみつけたり春立つ朝みな陽に向きて

 夢の中できれいな紫色を見た。目覚めてもしばらくそのまま眼中に映っていた。そう、それは開いたばかりの朝顔の花に朝日が当たったときの、まぶしいほどの鮮やかな紫色。
 これは何らかの刺激が脳細胞の視覚領域に伝達されて見えない筈の眼に見える「虚像」だと眼科医に教わった。こんなとき私はすぐに眠ってしまわないように、正座して「色」の世界をちょっぴりのぞいて一時を楽しんでいる。きっと今回の刺激は「紫色」だったのだろうなどと。そして、またいつかは違う色の刺激があらんことを願って。
 大阪大医学系研究科のグループが人工網膜で光を感知させることに成功したという、夢のようなニュースをHPで読んだ。それは、視力を失った人の眼球に人工網膜チップを埋め込んで、チップのそれぞれの電極に外部から電気を流すと、網膜が光を感じたときと同じような電気信号が視神経に伝達され、「光」として感じられるというのである。そして、眼鏡などにつけた小型カメラの画像信号をチップに伝えるシステムを、2010年ごろの実用化を目指し開発すべく取り組んでいるとのこと。
 もしかして私がときどき体験するあの「虚像」が現実となる日も近いのではないだろうか。



睦月

除夜の鐘今日が明日になるというそれだけのこと 爪を摘みつつ

響き合い埠頭の汽笛の和となれり わが住む町の年明け初むる

健やかに賢くあれよ盲導犬ターシャ撫でやる戌年元旦
(すこやかに かしこくあれよ もうどうけんターシャ なでやる いぬどしがんたん)

幼日の思い遠くより巡りくる故郷の年始の囲炉裏かこめば
(おさなびの おもいとおくよりめぐりくる さとのねんしの いろりかこめば)

「おかあちゃん」幼声して呼んでみるこたつに居眠る母の手握り
 (「おかあちゃん」おさなごえしてよんでみる こたつにいねむる ははのてにぎり)

 豪雪により上越新幹線が元日からストップとなった。珍しく正月に帰省するという息子が乗るはずだったのに。しょげ込んでいるとターシャが来てしっぽを振っている。遊ぼうというお誘いモードなのだ。そうか、今年は戌年。盲導犬と暮らしてからの最初と最後(おそらく)の戌年だから楽しい年にしようねターシャ!
 今日は、はや8日。夫の初の外出をターシャとバス停まで見送りに行った。昨日からの積雪が20センチもあるだろうか。雪道歩行にすっかり臆病になっていたので、夫が出かけるのをきっかけにターシャと散歩のチャンスをと思って身支度を整え出発。しばらくぶりにみんなで出かけるのだと思ったのだろう、ターシャの足取りが力強い。ふわふわの雪の上をギュッギュッと歩くのが気持ち良い。
バス停で別れるときに夫が「気をつけていけよ」と心配そうに言った。この一言が嬉しかったが「もしかして、何かあったら」などと気にかかり、かなり緊張して歩いた。バス通りから市場に入り、北葉町の信号を越えたらもう安心。風の強く当たる路面はコチコチに凍っている。市場通りの途中で「こんげに寒いのにワンちゃんの散歩大変だね」と年配の女性からねぎらいの言葉をかけられた。本当はターシャと雪の中を歩いて来た満足感で、身も心もあったかかったのに。
 こんな暮らしの我が家です。今年もどうぞよろしくお願いいたします!

これで平成18年の短歌のページを終わります。
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