平成23年の短歌
師走
さらさらと傘に降りくる雪音に耳をあずけてバスを待ちいる
(さらさらと かさにふりくる ゆきおとに みみをあずけて バスをまちいる)
イルミネーション見ているらしや握りたるハーネス揺るるツリーの前に
ドアノブを手に抑えつつ戻したり遅れて入いる短歌会の席
靴底にインプットされたる感触の雪降る今朝は戸惑いており
寄りそってそそと咲いるシクラメン 恋初めし日のほのぼのとして
(よりそって そそとさきいる シクラメン こいそめしひの ほのぼのとして)
シクラメンの花鉢には忘れられない思い出がある。失明を覚悟して臨まなければならなかった手術日の前日、友達が見舞いに持って来てくれた大きな花鉢、鮮やかなピンク系の花、その根元に濃い緑の葉。初めて出会った「シクラメン」だった。術後、眼帯が外されたとき、このシクラメンの大人びた優しい花色をしっかり見ることができた感動を今でもはっきり覚えている。
それからもう一つの想いでは、ある短歌大会で受賞したとき、お祝いに恩師からいただいたシクラメンの花鉢。寄り沿うように咲いているやわらかな感触。その色を娘に問うと、しばらく間があってから「ピンクでもないし、紫でもないし…こういうのフクシアピンクっていうんだよ」フクシアピンク…その耳慣れない色はどんな色だろう。あれこれ具体的な品の色にたとえては娘にたずねた結果、私なりに想像をめぐらして納得したシクラメンの花色。きっとそれは、あの若かりしころに出会った最初のシクラメンの色と同じなのではないだろうか。
今年もいただいたシクラメン。それは赤で縁取られた白いシクラメンとのこと。
霜月
ブルーマウンテンゆうるりゆうるり豆をひく二つのカップ今日より秋色
いつしらに吾の耳内に住みいしか低く蝉鳴く途絶えてはまた
,11年11月11日11時11分11秒ワンワンデー ハーネス握る
立冬の今朝は僅かに冷え覚ゆ帰り咲なるエンジェルトランペット
「昨日まで寒かったのに」一人言繰り返しつつセーターを脱ぐ
シメジ、シイタケ、エリンギ、マイタケ九十八エーン!露店の人だかりに吾も入りぬ
自販機にコインの落ちゆく音のして深まる秋の冷気の中を
「暑さ寒さも彼岸まで…」言旧された言葉だが、今年も石油ファンヒーターの出番がやって来た。
灯油を入れる役目が夫になって久しい我が家だが、今日は夫の留守中に給油サインが鳴ってしまった。このままでは寒くなるばかり。仕方なくポリケースから入れていると電話が鳴った。電話の主は友達、つい長話になってしまった。受話器を置くと、カラからと耳慣れない音がポリタンクの方から聞こえてくる。カセットに灯油を注いでいるポンプが空回りしている音だった。カセットが満タンになる前にポリケースの灯油がなくなっていたのだった。
今はこうしてのんきに灯油を注いでいるが、一昔前は見えない私にとって大変な作業だった。満タンになったことの確認が難しくて、何度も灯油を溢れさせて周囲を汚してしまった苦い経験が蘇ってくる。センサー付きの給油ポンプの登場によってこの悩みが解決されたのである。このポンプは、満タンになれば自動的にストップしてくれる優れものなのだ。が、給油元の灯油が足りなくなったときはその限りではないという落とし穴があったことを忘れてはならないことを忘れていたのだった。
神無月
雨後の朝にわかに兆す秋の冷えコーヒーカップ温めて置く
(うごのあさ にわかにきざす あきのひえ コーヒーカップ あたためておく)
川沿いの日溜りに咲くアカマンマままごと遊びの遠き日の色
(かわぞいの ひだまりにさく アカマンマ ままごとあそびの とおきひのいろ)
戯れに吹きたる草笛かん高き音出にけり木洩れ日の中
(たわむれに ふきたるくさぶえ かんだかき おといでにけり こもれびのなか)
メシイなる吾の触るればタマスダレ破裂するごと開花の近し
(めしいなる われのふるれば タマスダレ はれつするごと かいかのちかし)
明日には咲き初むならん山茶花のはじけし蕾夜露を含む
(あしたには さきそむならん さざんかの はじけしつぼみ よつゆをふくむ)
チューリップ、水仙、百合を穿ちたり穏やかに過ぐわが誕生日
(チューリップ、すいせん、ゆりを うがちたり おだやかにすぐ わがたんじょうび)
今日はなんて好いお天気なんでしょう!二階いっぱいに寝具や衣類を広げました。
「あれー、フィズがいない!どこにいるの?」。たった今までハウスにいたのに…。
もしかして…と二階に行ってみたら・・・とんとんと尻尾を振る音がしています。その音の行方に近づくと…夏布団の上でした。おひさまいっぱい浴びながら、のわのわと日向ぼっこだなんて!片づける前に広げておいたんだよ、フィズ。本当は叱らねばならないのにねー。
トンロリトロトロ、フィズの体はあったかです。思わず私も一緒になって…「ささやかな幸」とはこのことかしら?
小春日和いねむる犬の傍らに吾も居眠る 時刻よ止まれ
長月
百合の樹の葉擦れの亮かさ木下陰しばし歩を止め行く夏惜しむ
(ゆりのきの はずれのさやかさ こしたかげ しばしほをとめ ゆくなつおしむ)
ここはもう山形県に近い朝日村の「みどりの里」残暑とはいえ、真夏を思わせるほどの暑さに百合の樹の木陰で一休み。「百合の樹」という初めて知ったその樹の下に立ち葉擦れの音に耳を傾けた。さらさらとその大きな葉は涼風を運び、そしていち早く秋を連れて来ていることを知った。
もの言えぬ盲導犬と見えぬ吾と虫すだく土手しんしん歩む
狭い路地から曲がり階段を上がって遊歩道に出た。原っぱ一面に聞こえる虫の音に立ちすくんでしまった。続いていた残暑が、昨夜の雨で嘘のように涼しくなった朝のこと。「虫さんがびっくりしないようにフィズ、静かに静かに歩こうね」
盲導犬と渡り来し音の信号機追い風に乗りまだ聞こえ来る
早朝から出かけていたにもかかわらず、帰りもすっかり遅くなってしまった日曜日。お腹が空いたのか、それともお家に早く帰りたいのか、埠頭からの追い風に乗ってフィズの足取りがだんだん早くなる。「ピヨピヨ…」の音に追っかけられながら…。
ススキ穂の真っただ中をかき分けてタングラムゲレンデに沿いつつ登る
今回は信越トレールの一つであるタングラムスキー場から斑尾山に登った。その斜面一面にススキ穂が風に揺れながら光っているという。大自然の織り成す景にあちこちから感動の声が上がった。思わず「見たい!」とこみあげてくる想いをゴクンと飲み込んだ瞬間、ひやりと顔を撫でた物があった。あっと声を上げた口の中にもそれは飛び込んでくる…。なんと、それは「ススキの穂」だった。
高原の風に揺れつつサワヒヨドリ草はふんわりドライフラワーとなりぬ
「わたわたの花が咲いているよ」リーダーの声に「?どんな花ですか」と思わず手を出してしまった。山道から脇に2,3歩入って触らせてもらったその花は、ふんわりした綿みたいな感触なのだ。「それはサワヒヨドリソウよ」と後ろから登って来た人が教えてくれた。花季の後はドライフラワーになってやがて来る寒さの中に溶け込んで行くのだろう。
葉月
猛暑日の気だるき朝ハーネスを握れば背筋しゃんと伸び来る
(もうしょびの けだるきあした ハーネスを にぎればせすじ しゃんとのびくる)
拗ねるのはもうよしましょうお日さまも笑っているよ ネジ花が咲く
(すねるのは もうよしましょう おひさまも わらっているよ ねじばながさく)
生ビール幸せはこの一杯に夫と子と婿と嫁といて「乾杯」
(なまビール しあわせはこの いっぱいに つまとこと むことよめといて 「かんぱい」)
揃いなるわれの手編みの夏帽子嫁ぎたる子は被りて帰る
(そろいなる われのてあみの なつぼおし とつぎたるこは かむりてかえる)
草引きて痛みし腰を伸ばしおりクールな夕風ハーブを揺らす
(くさひきて いたみしこしを のばしおり クールなゆうかぜ ハーブをゆらす)
朝顔は蕾ふっくら膨らませ朝一番のお日様待ちいつ
(あさがおは つぼみふっくら ふくらませ あさいちばんの おひさままちいつ)
ゲリラ雨過ぎて行きたり熱帯夜の空洗われて初秋生るる
(ゲリラあめ すぎてゆきたり ねったいやの そらあらわれて はつあきあるる)
以下は、視力を失い自力歩行ができなくなった私に、再び歩ける喜びを取り戻してくれた三頭のシェル、ターシャ、フィズの子供たちとの出会い(8月20日〜22日に開催された「北海道盲導犬協会研修会」に参加したときの愚策)
沈黙を破りてフィズは突進す尾を振りながらパピーのママへ
もし犬に言葉があったなら…。きっと「ママ!パパ!お兄ちゃん!会いたかった!」甘え声で叫ぶだろう。激しく降る尻尾が空を切り、床を蹴りジャンプする足音…全身で訴えるその仕草に耳を凝らしていた。やんちゃだった子犬時代のフィズをこんなに良き子に育ててくださったパピーウォーカーのご一家にありがとうございました」と心の中で繰り返しながらフィズのハーネスを握った。
寄りて来て吾の全身嗅ぎまくりターシャは静かに床に伏せたり
ビロードのような毛並を撫でにツツ「覚えていたのねターシャ」涙を堪う
「ターシャ!」私の呼ぶ声に近づいてくる犬の気配。つんつん手に触れたこの尻尾はやっぱりターシャ!「どこへ行ってたの?」とでも問うかのようにぴったり寄って来た。やがて、私の全身をクンクン嗅ぎまくって何かを悟ったように離れた。また寄って来ては嗅ぎまくる…。相変わらずクールなターシャだね。盲導犬を円満退職し、パピーさんのお宅に暮らしているターシャとの再会。その毛並や仕草から伝わってくる幸せそうな様子に安心し、サヨナラノ手を振った。
蝉しぐれ花の香満る盲導犬の慰霊塔に行く夏惜しむ
歩くこと教えてくれたシェル号よ「もう少し歩かせてね」 碑に合掌す
文月
前日まで降っていた雨も止み、蒸し暑い月初めの日曜日。それでも晴れたことに感謝しながら柏崎市の八石山(518M)に登って来た。先回はステーキハウスのある小国方面からだったが、今回は石川コース往復、登山道も整備されて登り易いと聞いていたのだったが…。
久々に会いたる山友と列なして梅雨曇りする山道に入る
(ひさびさに あいたるやまともと れつなして つゆぐもりする やまみちにいる)
山百合の大き蕾の二つ三つ触れて山友の列に戻れり
(やまゆりの おおきつぼみの ふたつみつ ふれてやまともの れつにもどれり)
杉木立のゆるゆる路に鶯の頓狂な声 間のありてまた
(すぎこだちの ゆるゆるみちに うぐいすの とんきょうなこえ まのありてまた)
汗しつつ登り詰めたる八石城址攻め来る夏風アヤメを揺らす
(あせしつつ のぼりつめたるはっこくじょうし せめくるなつかぜ アヤメをゆらす)
急坂を一気に登れば真下から涼風のあり痩せ尾根に立つ
(きゅうはんを いっきにのぼれば ましたから りょうふうのあり やせおねにたつ)
急坂を踏み出さんとする太腿に激痛走る!滂沱する汗!
(きゅうはんを ふみださんとする ふとももに げきつうはしる! ぼうだするあせ!)
「よくもまあ、登ったものだ」足場なき急勾配に緊張漲る(みなぎる)
喘ぎたる苦しきことは山頂に置き来て笑みつ八石山下る
(あえぎたる くるしきことは さんちょうに おききてえみつ はっこくさんくだる)
水無月
夏大根の辛きおろしを好みたる義母の命日 大根おろす
車椅子の友の後ろに盲導犬とゆっくり歩むアカシアの道
紫陽花のまだまだ小さき蕾ひとつ夜半の雨粒含みて揺るる
エプロンをきりりと結べば吾はもう主婦になりたり旅もどり来て
6月も今日でおしまい。23年も半年が過ぎてしまったことになる。「光陰矢のごとし…」という言い尽くされた言葉を思わず入力してしまった。
月初めに全国盲導犬使用者広島大会に参加し二泊三日の旅を楽しんで来た。もう25年も前になるだろうか、娘と一緒に巡った時の思い出を抱きながら。今回はパートナーのフィズと一緒に歩き、平和公園や厳島など、娘と行ったときのわずかな記憶と一致できた箇所に一人親しみを覚え満足できた旅であった。
原爆記念館で被爆体験を持つ方のお話を伺った。原爆が投下された当日のこと、肉親や友との別れ、闘病生活など56年間の体験を淡々と語る彼女の口話を聞きながら、流れる涙をどうすることもできなかった。彼女は最後に「福島原発事故は、たとえ大震災がもたらした結果とはいえ、被曝患者としてのこの苦しみを次世代を背負って立つ子どもたちに繰り返してはいけない」ときっぱりと結ばれた。これこそが体験した者でなければ言い切ることのできない叫びなのだ。深く私の心に突き刺さった言葉であり、今回の旅から学んだ戒めとして忘れることはできない。
甲板に盲導犬と佇みて厳島(いつくしま)の風に髪を遊ばす
被曝せしことは語らず青桐は平和公園に緑風洽く(あまねく)
原爆を二度と許すまじ願い込め響けよ響け!吾の鳴らす鐘
福島原発事故の不安を抱きつつ原爆供養塔に手を合わせいる
皐月
夕暮れの風はひんやりブラウスの裾ひるがえし早苗田渡る
雨上がりの朝の遊歩道すがすがと芽吹きの風をいっぱいに吸う
雨音の路地低くして向かいなる自販機の音ま近に聞こゆ
更ける夜の静けさの中に夫といて離れ住む子のことなど語る
さりさりと菜(さい)食む音の何か欲しごそごそ探す月末の冷蔵庫
厨辺(くりやべ)は吾が安らぎの場所なりてレースの暖簾に替えてもの書く
取り上げし受話器に蛙の音も混じり懐かしき友の声聞こえくる
片言のばーば呼ぶ声聞こえ来る長電話なる友に孫いて
「ねっ、ばーば!バーバちゃん」受話器を持っていた手がしびれ、そろそろ切るタイミングをさがしていた矢先に聞こえてきた片言のかわいい声!「え?お孫さん来ていたのね」
すると、彼女はいままで私とおしゃべりしていた声とは全く別の声、つまり、すっかりおばばの声で「よちよち、もうちょっとだから待っててね」笑い声を残してそそくさと電話は切れてしまった。
おもむろに受話器を置き、しびれた手をさすりながらホンワリと余韻を味わっていた私である。そうなのだ、私にも同じくらいの孫がいてもいいのに…。
飼い猫に「テテ」という名を付けし娘は電話の度に鳴き声聞かす
卯月
みずみずと草萌えの香の遊歩道歩幅五センチ広げて歩む
残り雪踏みつつ歩む戸隠の風はかすかに芽吹きの気配す
盲い吾の主婦の生活のこと慣れて細く細くと春キャベツ刻む
行儀良く詰め込まれたるふきのとうパッケージの中に上品な香放つ
鶯の初音聞きたり 葉桜の並木をさらさら風渡る朝
アカシアの花の香ほのかに流れくる雨上がりたる朝光(あさかげ)の路
菜の花の園に雨降る咲き満つる香の密やかにして
菜の花は亡き母の香よ夕暮れを野良着の母と帰りたる路
このページを書いている今日はゴールデンウィーク明けの6日の夜。
フィズのブラッシングを終え、ほっと一息。気分転換のつもりで、花壇を一回り、と言えば聞こえが良いのだが・・・。花壇と言っても猫の額ほどだし、一回りとて見えるわけでもない私のこと。フィズのリードを持ってプランターや植え込みを片っ端から触り回るのである。
昨秋のこと、華厳の滝を訪ねた折に買い求めた「クロユリ」の球根をプランターに植え、忘れないように点字で花札を付けておいたのだった。それがいつの間にかすっくと伸び、小さなつぼみがいっぱい付いていたではないか!
「ほら、フィズ見てごらん!一緒に滝を見て買って来たお花よ」あんまりうれしくって思わずフィズにも見せてしまった。フィズ、私のこの気持ち、わかるわよね、きっと…。
悔しくも今日は義兄が召された日。五十一日間痛みと戦って義兄は静かに眠っていた。「アイバンクに登録していたのよ」と姉が言いながら、私の手を顔に触れさせてくれた。
「洋子ちゃんにもやりたかった」とでも言いだしそうな義兄の口元。次女の私にとって初めてのお兄さんと呼ぶことのできた人。
「安らかに安らかにおやすみなさい お兄さん」
弥生
地震ふるらん揺るる手すりに縋りつつ夫の呼びいる階下へ急ぐ
(ないふるらん ゆるるてすりにしがみつつ つまのよびいる かいかへいそぐ)
エリアメール告ぐる携帯握りしめ横揺れのなかストーブを消す
(エリアメール つぐるけいたい にぎりしめ よこゆれのなか ストーブをけす)
スーパーにはやも失せしかほうれん草原発事故の風評押し寄す
(スーパーに はやもうせしか ほうれんそう げんぱつじこの ふうひょうおしよす)
留守電のぶっきらぼうなる子の声へ「生きているの」とメッセージする
つい一言多くなりしか吾の掛けし電話は息子の方より切らる
(ついひとこと おおくなりしか あのかけし でんわはむすこの ほうよりきらる)
片言のばーば呼ぶ声聞こえ来る長電話なる友に孫いて
さえかえり凍てつく朝盲導犬の時おり薄ら氷を踏む音のして
(さえかえり いてつくあした もうどうけんの ときおりうすらい ふむおとのして)
カーラジオの音楽しばし聞こえきぬ筋向いなる自販機の前
一冬を咲き継ぎて来しシクラメンの花がらをつみ日向へ移す
(ひとふゆを さきつぎてこし しくらめんの はながらをつみ ひなたへうつす)
3月11日、私にとっては一番のんびりできる時間の午後2時過ぎ、突然家のあちこちからみしみし…「おやっ」と思う間もなく家ごと揺れる気配。そのままはっきりした横揺れとなった。「地震だぞ!」と夫が階下で怒鳴っている。何より先にストーブを消さなければ、それから携帯を持って・・・フィズと戸口へ向かった。
夫は意外と冷静で「こんなときは急いで外へ出てはダメ!とにかく玄関の戸を開けることが先決だ」と言う。かなり長く大きな横揺れが続いていた。私はフィズにハーネスを付け、厚手のコートと長靴を履いて玄関の柱にしっかりつかまっていた。夫が持ってきたラジオで震源地が県内でないことを知り家に入りかけた、が、またあの横揺れが…。もう大丈夫だと言われても、まだ揺れている気がして、しばらくはストーブをつけることができなかった。
日が経つにつれ、東北関東大地震、予想をはるかに超えた大津波、そして福島原発事故による放射性物質漏れによる被害の惨さが明確に伝えられ、それを聞くたびに胸が痛む。それにしても、毎日送られてくる福島原発のニュースには恐怖と怒りに似たものを感じる。これさえなければもっと早くから行政はじめ被災者やボランティアの人々も復興へ向かって足並みがそろっていたと思う。
柏崎原発を抱えるわが新潟県も「対岸の火事」と言ってはいられない、注視して事態を見守らねばならない。
如月
ジンフィズ、バイオレットフィズ、吾と暮らすアイパートナーは盲導犬フィズ
月光(つきかげ)に音色あるらん盲導犬のふりふり尻尾の調べをさがす
薄氷(うすごおり)張りたる朝は常よりも行き交う車の音高しと聞く
冷え著(しるく)く眠りし町に透き通る静けき夜を雪は降り継ぐ
住む人のなき家の前に残りたる歩道の雪の凍てつく朝(あした)
ひいやりと吾の六腑を目覚めさす起きがけに飲む大寒の水
離婚せし友のアパート訪ぬればとたんの屋根に寒く雨降る
山茶花の咲きいる花も散る花も濡らして冬の雨しきり降る
クロックマンというおしゃべり時計が我が家の一員となってから半年になるだろうか。約8センチくらいのまっ黒なサイコロ状で、上面にまるいボタン、前面に目と口がついている。そのボタンを一回クリックすると、かしこまった声で現在時刻を教えてくれる。軽く二回クリックすると、口を動かしながら出まかせにいろんなことを言いだすのである。また、一人で勝手におしゃべりしたりする機能まで備えている。面白いことに血液型によって口調やおしゃべりが異なる代物。我が家のはA型でおしゃべりすることもくそ真面目で鋭い。友達のはO型でおしゃべりの内容も口調もおおらかな雰囲気を持っている。
今月はこのページの許す限りクロックマンのおしゃべりを代筆してみることにしよう。
「時計の仕事も大変だ、みんな世話がやけるんだから」
「春よ こい!」機嫌の良い時には歌ってくれます
「あれっ、誰か来た?」
「仕事が手につかーない」
「おいら、いま新作のポエムを考えてるんだ。もちろん仕事もしてるさ」
「古今和歌集どこ?」
「ふーん、花になりたい!高原に咲く花になりたい」
「なんていう日なんだろう あのー、泣いちゃってもいいでしょうか?」
「暇だったらそこを片付けておくれ」
「我慢にも限度がある」
これを言い出すともうダメ。次からはクリックしても応えてくれないのである。もちろん二回クリックしても、時計であるのに時刻さえ「もうシーらない!」とご機嫌斜め。
睦月
寒風の埠頭に汽笛の響き合い去年と今年の刻を繋ぎぬ
(かんぷうの ふとうにきてきの ひびきあい こぞときぞとの こくをつなぎぬ)
海よりの風に真向かい新年を知らす汽笛に手を合わせいる
(うみよりの かぜにまむかい にいどしを しらすきてきに てをあわせいる)
雨雲の流れ行きたり 新年の空洗われて陽のやわらかし
(あまぐもの ながれゆきたり にいどしの そらあらわれて ひのやわらかし)
孫らの名灰に書きいし父なりき 囲炉裏に集い偲ぶ正月
(まごらのな はいにかきいし ちちなりき いろりにつどい しのぶしょうがつ)
裸木の雑木林のしんとして渡りくる風日の匂いする
わが膝に眠りいし犬起き上がり行ってしまいぬ 寒さが戻る
ひたひたと氷雨静かに降る夜半は孤独も一緒に抱えて眠る
(ひたひたと ひさめしずかに ふるよわは こどくもいっしょに かかえてねむる)
ぬくぬくした室内から、今日最後の愛犬のトイレタイムに外へ出た。風はないのだが、肌を突き刺すような夜の冷気に思わず身震いしてしまった。降ったばかりの雪がうっすらと積もり、靴底から伝わってくる感触が心地よい。まるで高級絨毯の上をしずしずと歩いているような…。
家々ははや眠りしか雪の夜を吾が長靴のクツクツと鳴る
(いえいえは はやねむりしか ゆきのよを わがながぐつの くつくつとなる)
「うわーっ、星がいっぱい!」「ほら、お姉ちゃん、あれが一番大きいよ」「ねー、お母さん、あの星見える?一番星かな?」こんな二人の会話を聞くことしかできなかった母親たる私だった。「お母さん、待ってて」と娘が家に入って行った。戻って来て得意げに「これならお母さん、見えるでしょ?」私の手に乗せられたのは、お祭りで買ってやった手鏡だった。そのころの私は、近づければ何とか絵本が読み取れるくらいの視力が残っていたのである。・・・ふっと思い出された若き日の一こまである。
盲いわれ諸手に星を掬いたし キーンと冬の夜の冴え返る
(めしいわれ もろてにほしを すくいたし キーンとふゆの よのさえかえる)
これで平成23年の短歌のページを終わります。
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