平成19年の短歌
 

師走

腕振ってウインドブレーカーさかさか鳴らし初冬の遊歩道足速め行く
(うでふって ウインドブレーカーさかさかならし しょとうのゆうほどう あしはやめゆく)

空き缶を蹴りつつ駆け行く少年の背にランドセルかたかた揺るる
(あきかんを けりつつかけゆく しょうねんの せにらんどせる かたかたゆるる)

果物を四つに切りて分けたるは遠き日のこと 四人の家族
(くだものを よっつにきりて わけたるは とおきひのこと よにんのかぞく)

なんとまあ切れないかぼちゃ わが力失せたる故か切れぬ包丁か
(なんとまあ きれないかぼちゃ わがちから うせたるゆえか きれぬほうちょうか)

柚ころり掌に転ばせてひとときをたらちねの母の香に浸りおり
(ゆずころり てにまろばせて ひとときを たらちねのははの かにひたりおり)

 けたたましい目覚ましのメロディーに起こされ、いつものパターンでラジオをつけた。「今日は冬至、一年のうちで夜が一番長い日です」元気の良い女性の声がぼんやりしていた頭に飛び込んできた。「そうか、もう冬至なのか」時の経過をこんなにも早く感じるのは「加齢」のせいなのかしら?
 風もなくうっすらと日の差す午後、ターシャと散歩をかねて出かけた。露店のおじさんが「四つで200円。こんげにおっきな柚だよ」と持たせてくれた。扁形でみごとな柚の手応えと懐かしい香り。かぼちゃは切り易いように半分切りを求めたのに・・・。なんとまあ、こんなに切れないかぼちゃに出会ったのだろう。
 日本古来の風習に倣い、かぼちゃを食べ柚湯に入って、夫婦ともに暮らせる健康に感謝しつつ来る年に備えねば、としんみりした気分の冬至の夜だった。



霜月

ドウダンツツジ
写真:真っ赤に紅葉したドウダンツツジ

 
噴水の音にも聞こゆ公園のもみじ葉の散る中に歩を止む
(ふんすいの おとにもきこゆ こうえんの もみじはのちる なかにほをとむ)

後になり先になりして足下に枯れ落ち葉舞う夕暮れの路地
(あとになり さきになりして あしもとに かれおちばまう ゆうぐれのろじ)

かむりたる帽子の上に秋の音ブナの枯れ葉の一枚落ちる
(かむりたる ぼうしのうえに あきのおと ぶなのかれはの いちまいおちる)

ぶな落ち葉わが踏みしめて地に返す戸倉の山の時雨ひねもす
(ぶなおちば わがふみしめて ちにかえす とくらのやまの しぐれひねもす)

草紅葉ひつじ田の原ひょうひょうと風は初冬の音運びくる
(くさもみじ ひつじだのはら ひょうひょうと かぜはしょとうの おとはこびくる)

 毎朝の散歩もこのごろは「えいっ!」と気合をかけなければ億劫になってしまう。布団の中で雨の音が聞こえたりする朝は、得した気分になって眠りの余韻を楽しむことになる。そんな怠け心に勝たせてくれるのがターシャの存在。「ねえ、はやく歩こうよ」とでも言うように、しっぽをフリフリしながら擦り寄ってくるのだからたまらない。
 今月は役目を果たして地に返り行く「落ち葉」の短歌を載せることにしよう。
 一首目の短歌は、盲導犬と歩く楽しさを知った年の秋のこと。そこはちょっと高台にある公園に続く大通り、風に押されるまま坂を上りきったときだった。通りいっぱいに噴水の音がするではないか。立ち止まり耳を澄ましても、それは確かに噴水がリズムよく吹き上げている音に聞こえる。「そんな筈はない、おかしい?」でも、この噴水の正体はすぐにわかった。背中を押す風が止むとその噴水も止まるのだ。パートナーの動きに注意しながら進めた足もとに小さな落ち葉がいっぱいたまっていたのだ。そこは、春は若葉と花の香りを、夏は心地よい緑風と木陰を楽しませてくれたニセアカシアの並木道だった。噴水の音ではなく、勢いよく葉を広げ、やがて紅葉した葉たちは風のなせるままに落ちて運ばれ自然界に返り行く終着地までの終演だったのだ。

   散り敷ける落ち葉カサカサ夫と吾と盲導犬の足並みそろう
   (ちりしける おちばカサカサ つまとあと もうどうけんの あしなみそろう)



神無月

黄色や白い菊の花
写真: 花火のように広がった、黄色や白い菊の花が 八輪

 
落ちしまま雨に濡れいるぎんなんの匂いに幼きふるさと忍ぶ
(おちしまま あめにぬれいる ぎんなんの においにおさなき ふるさとしのぶ)

憂ことは流して帰らん大阿賀の川の流れの音を聞きおり
(うきことは ながしてかえらん おおあがの かわのながれの おとをききおり)

繰り返し鏡のぞきし日の遠く盲いて久し指に紅ひく
(くりかえし かがみのぞきし ひのとおく めしいてひさし ゆびにべにひく)

見えぬこと今は哀しと思わざり鏡台の鏡丹念に拭く
(みえぬこと いまはかなしと おもわざり きょうだいのかがみ たんねんにふく)

木犀の香のたち込むる路地裏に嬰児の泣き声久に聞きたり
(もくせいの かのたちこむる ろじうらに みどりごのなきごえ ひさにききたり)

 涼風も寒さを感じるようになり、日暮れも日一日と早くなる十月。なんとなく人が恋しくなる十月。
 そんな月の一日、テープの整理をしていたら中学1年に書いた文集の録音が出てきた。その中の一番短い詩を載せてみようと思う。「詩」というにはあまりにも不出来であるが、この月にぴったりな内容だし、昔の私に出会ったようで、こみ上げてくるこの郷愁を今ここに残しておきたい。

   夕方の田んぼ(中学1年作)
 まっかな夕焼けと一緒に家に帰る道々
 田んぼの稲は    床屋にかかったようにきれいに刈られている
 まっかな夕焼けに照らされて
 床屋にかかったばかりの田んぼはさみしそうに    首を縮めて寒々と
 まっかな夕焼けを浴びて
 長く伸びた髪の毛は    田植えの様を思わせていた
 あれから七ヶ月 田んぼに立っていた髪の毛よ
 きれいに刈り取られ まっかな夕焼けも暮れて行く



長月

炎天下群れて咲きいるミニヒマワリへ蛇口全開にして水飛ばしやる
(えんてんか むれてさきいる ミニヒマワリへ じゃぐちぜんかいにして みずとばしやる)

わが背丈越えてカンナの燃え咲けり 盲いの哀しみその夏の色
(わがせたけ こえてかんなの もえさけり めしいのかなしみ なつのそのいろ)

見えし日のわが瞼なり露草のふっくら膨らむ蕾に触れぬ
(みえしひの わがまぶたなり つゆくさの ふっくらふくらむ つぼみにふれぬ)

一面に秋桜咲かせたる休耕田を風穏やかに揺らして過ぎぬ
(いちめんに コスモスさかせたる きゅうこうでんを かぜおだやかに ゆらしてすぎぬ)

咲きかけの花鉢今朝は見当たらぬ鉢底のくぼみわずかに残して
(さきかけの はなはちけさは みあたらぬ はちそこのくぼみ わずかにのこして)

いきれたる風に土の香際立ちて真昼の庭ににわか雨降る
(いきれたる かぜにつちのか きわだちて まひるのにわに にわかあめふる)

路地の角素足をスルリ抜けてゆく風は小さき秋を宿せり
(ろじのかど すあしをするり ぬけてゆく かぜはちいさき あきをやどせり)

 15センチにも満たなかったコーヒー豆の木が、4年目にしてようやく私の背丈ほどになった。「来年はきっと花が咲くね」とお向かいのおじいさんに褒められ、すっかり気を良くしていたのだが・・・。いつも、そのサラサラした葉の感触を確かめ、ターシャのトイレタイムの場所の目印にして楽しんでいた。毎朝かかさずに水やりもしていたし・・・。
なのに、ここ十日ほど前から元気がない。日ごとにその葉は、張りをなくし何かを訴えるように指にまとわりついてくる。思い余って今朝「園芸福祉」なる資格を持った友達に相談してみた。
 9月とともに秋風を感じたのもつかの間、台風の影響かと思っていた猛暑が2週間も続いていたのがその原因らしい。真夏にダメージを負っていた木が秋の気配にほっとしたのもつかの間、この季節はずれの猛暑で弱り水を吸い上げる力もなくなっていた由。そこへせっせと水やりをしていたことが根ぐされの原因になったという。
 ああ、なんという愚かな私だったろう!さっそく教わったとおりに北側の日陰へ運び、ひたすら回復を待たねばならない。もし、・・・だったら。秋も落ち着いたころに引っこ抜いて、腐った根を除き、枝葉を切り詰めて小さめの鉢に移植せよとの助言をいただいたのである。



葉月

松林の新芽萌え立つ香の中を朽ち葉踏みつつ登山道に入る
(まつばやしの しんめもえたつ かのなかを くちばふみつつ とざんどうにいる)

弥彦山一気に下り来て蝉時雨かなかなの木下にまず汗を拭く
(やひこやま いっきにくだりきて せみしぐれ かなかなのこしたに まずあせをふく)

ひんやりと五体貫き落ちてゆく 直立して飲む山の湧き水
(ひんやりと ごたいつらぬき おちてゆく  ちょくりつしてのむ やまのわきみず)

一本の箸にて食ぶるところてん山茶屋包みかなかなの声
(いっぽんの はしにてたぶる ところてん やまちゃやつつみ かなかなのこえ)

黒姫の山頂の風透き通る 今しわが手に三角点あり
(くろひめの さんちょうのかぜ すきとおる  いましわがてに さんかくてんあり)


「盲導犬誕生五十周年記念メモリアルカード」に寄せて

ありがとう 一緒にいっぱい歩いたね 頭撫でつつ ハーネス外す

 出産後に数回の手術の甲斐もなく視覚を失ってからは、常に人の介助なしで外出することができなかった。最初はそれを不便だと思っていたが、そのうち余程のことがなければ外出の必要性も感じられなくなった。
 そんな私が、一大決心をして北海道盲導犬協会に入所したのは平成7年7月7日、七夕の日だった。今でも真駒内公園でハーネスを握ってシェルと真っ直ぐ歩いたときの感動を思い出すたびに、あのシェルに会って抱きしめたくなる。
 シェルは見えなくなった私に再び歩ける勇気を与えてくれた。ごみを収集所まで運ぶこと、日々の食材を自分で買い揃えること、銀行や郵便局に出かけて家計のやりくりをすること、バスや電車、飛行機に乗って休日をエンジョイすることも・・・。そして歩くことが体力作りとなり、ウォークや登山など夫と共通の趣味を持てるようになったことも。
 シェルとの外出は楽しいことばかりではなかった。道に迷い何時間もさまよったり、交差点で信号を判断しかね立ちつくしたり、工事現場に遭遇し方向が分らなくなったり、タクシーやホテル、食堂などに同伴を断られたり・・・。
こうしてシェルと一緒に迷い、悩み、喜んだりしながら私の頭の中の歩行地図が組み立てられ、どんどん行動範囲が広げられた。そして多くの人たちとの出会いに恵まれ、信頼と愛情に支えられる幸せに感謝することも教えられた。
 そんなシェルも年を重ね、やがて我が家から退職しなければならない日を迎えた。
平成14年5月、それは悲しく辛い別れ。盲導犬が日本に誕生してから50年目となった今日まで、どんなに多くのユーザーにこの出会いと別れが展開されてきたことだろう。
 今、出かけたいときに出かけられる幸せに感謝しながら、シェルからターシャに引き継がれたハーネスを握って歩く。家の玄関にたどり着くと決まって「ありがとう!一緒にいっぱい歩いたね。また明日いっぱい歩こうねターシャ!」と頭を撫でてやりながらハーネスを外す。(全日本盲導犬使用者の会会報「スキップ」29号掲載)



文月

盲導犬ターシャに届きしバースデーカード 四つ葉のクローバー添えてパピーウォーカーは

一かけの氷を口に遊ばせて間なく噛み砕くラブ犬ターシャ
(ひとかけの こおりをくちに あそばせて まなくかみくだく ラブけんターシャ)

盲導犬伸びをするとき骨のなる吾より早く生き急ぐ命
(もうどうけん のびをするとき ほねのなる われよりはやく いきいそぐいのち)

「また今日も散歩できないね」戸口にて犬が見ている梅雨の長雨
(「またきょうも さんぽできないね」 とぐちにて いぬがみているつゆのながあめ)

 7月は私のパートナー、盲導犬の誕生月。偶然にもシェルとターシャは同じ7月13日生まれなのである。
 今年いただいたパピーウォーカーさんからのバースデーメールには
今日はターシャの7歳のお誕生日ですね。 おめでとうございます。 上林さんとは一心同体のようになっているのでしょうね。 こちらは相変わらず子犬との生活を続けております。 今は5頭目の子を預かり中で、・・・という名の女の子です。 この子とはお別れまで残り1か月半、もう秒読み段階です。 毎年泣きながら別れていますが、子犬のかわいらしいしぐさについまたパピーウォーカーを続けてしまっています。
 という書き出しで、近況が記されてあった。さりげないそのメッセージを読ませていただきながら、一番大変な子犬時代を育てていらっしゃる真心に応えねばとユーザーたる自分を省みるのである。
 視覚を失って以来、自力で歩くことができなかった私が、シェル、ターシャと一緒に歩ける喜びを取り戻してから詠んだ7月の短歌をいくつか記してこのページを閉じることにしよう。

不快指数極まる真昼のにわか雨濡れるも良しと野の路を行く
(ふかいしすう きわまるまひるの にわかあめ ぬれるもよしと ののみちをゆく)

大き葉に大粒の雨わさわさと耳楽します夏の夕暮れ
(おおきはに おおつぶのあめ わさわさと みみたのします なつのゆうぐれ)

靴音とレジ打つ音の聞こゆのみ朝のコンビに会話を持たず
(くつおとと レジうつおとの きこゆのみ あさのコンビニ かいわをもたず)

若者は何を思うか駅前広場声張り上げてひたすら歌う
(わかものは なにをおもうか えきまえひろば こえはりあげて ひたすらうたう)

リズミカルに小枝切ゆく職人の鋏の音の響く梅雨晴れ
(リズミカルに こえだきりゆく しょくにんの はさみのおとの ひびくつゆばれ)

 ビル風に胸のリボンを任せつつ休日のオフィス街足早に過ぐ
(ビルかぜに むねのリボンを まかせつつ きゅうじつのオフィスがい あしばやにすぐ)



水無月

あやめ
写真:薄紫のアヤメ

 
しっとりと纏わりてくる朝霧の港の町にまた霧笛鳴る

柔らかに雨の朝(あした)の揺れにつつ折鶴蘭の新芽伸びゆく

木の芽雨さわさわ戸口に聞く朝(あした)盲導犬にレインコート着す

シャンプーの香り残して軽やかに靴音過ぎゆく雨上がりの朝

すじを取る絹さやほのかに香りたつ味噌汁の豆腐煮立ちくる間を

盲導犬の立ち止まりたる鼻先にホタルブクロの花がほっこり

 「あれっ、ターシャ、どうしたの」玄関はもう少し先なのにと動かなくなった盲導犬の鼻先に手をやった。「ほらほら、見て」とでも言うように、そこにはホタルブクロの花がほっこりとあった。
この日からそこを通るたびにターシャは立ち止まり、あのホタルブクロの花に鼻を寄せる。だから私も毎日その花の開きゆく様子を指先で楽しんでいる。


     「夏至」
     帽子の中に 生まれた汗がシュワーッと集まって
     スルリと肩に落ちた
     また生まれシュワーッと集まって
     右の肩にも背中にも スルリと落ちた

     どんどん歩いて 日がのぼり 鳥がさえずる
     公園の木陰で一休み
     風がサワーッと帽子を取って 生まれた汗を風に乗せ
     キラキラ輝く夏を連れて来る



皐月

すがすがと雨を吸いたる緑風の山に向かいて登山靴履く

囀り(さえずり)の豊かに広がる山裾に水芭蕉直立ち(すぐたち)て咲きいる

つんつんと新芽出たる(いでたる)雑木林の朽ち葉踏みしめ山登り行く

若葉風真下に聞きつつやせ尾根のアップダウンをゆっくり進む

背伸びしてようやく触れたりとがり葉の杉の緑が眼裏に映ゆ(はゆ)

走り根に歩みを止めて見上ぐれば杉の大樹の上に風鳴る

 先月の終わりからはじまった大型連休もあっという間に過ぎてしまった。毎週のようにウォーキングや山歩きなどで存分にアウトドアを楽しんだ。なかでも25キロウォークの翌日の登山はすばらしかった。
 それは、ちょっとロマンチックな名前の風谷山(ふうやさん)、アップばかりでスリル満点なコースである。かなりヘタったが、山頂の地を踏んだときのうれしさは何にもかえられない。この感動を味わうために私の山登りがあると言っても過言ではない。地元の方々が作ってくださったトン汁をいただく前に、水芭蕉の群生地に案内してもらい滅多に触ることのできない体験に疲れもふっ飛んでしまった。鶯の鳴き声、ぼら声のかえる、山頂でいただいたトン汁とコーヒー、かたくりの花のハーブティー、危険な箇所にあった土嚢の感触、どれもこれも風谷山の思い出となって、また次の山登りへのエネルギーとなるのである。

かむりたる帽子のつばを翻し遊歩道真っ直ぐに初夏の風吹く

盲導犬の眼にも映るや空の青 若葉のさやぐ坂道のぼる

ジャケットにさわぁっと初夏の風を入れ草原下る 盲導犬と

渡りくる風は亡き母千の風 花房揺らし藤の香散らす
(わたりくる かぜはなきはは せんのかぜ はなふさゆらし ふじのかちらす)

 母の一周忌も過ぎ、さわやかな緑風を切ってターシャと歩く。そうだ、母も「千の風」になって、あの大好きだった藤の花を揺らして私に香りを届けてくれている。「ほら、ここにも藤の花が咲いているよ」と。



卯月

椿
写真:淡いピンクの椿

 
実生より育てし椿の初蕾(はつつぼみ) 照り葉の影にほころぶ三つ

 久しく空き家になっている隣家の庭に椿の木があった。その下でいつもターシャの就寝前のトイレを済ませているのだが、一年目の彼女はとてもやんちゃで、このトイレタイムになるとなんでも口に入れてしまうのだった。その年の雪がちらついた寒い夜のこと、ターシャの口の中で「カチッ」と音がした。「いけない!お口空けて!」すぐに割れかかった椿の実が差し出した手に落とされた。これで二回目だなと苦笑しながら、玄関の前においてあった鉢に埋めたのだった。あくる年の春に小さな双葉が2本のぞいた。次の年にはしっかりした葉がついたので、地に並べて植えておいた。
 空き家だった隣家は昨秋に取り壊され、あの椿の木もなくなってしまった。それが、奇しくもこの春に絶えることなく花をつけてくれたのだ。五年前はあんなにやんちゃだったターシャも、もう七歳になる日が近い。
 「この椿の花、あと何回一緒に見られるのだろうね?ターシャ」

桜花(さくらばな)ハンカチに包み持ちくるる若きボランティアの声の明るし

満開の桜並木を巡るとき盲いの哀しみ(めしいのかなしみ)ふと過ぎりくる

盲い吾の指に愛でつつ夜桜の枝垂るる(しだるる)大樹の下めぐり来ぬ

桜花(さくらばな)雪柳の花散り敷ける今朝の遊歩道そうっと歩む

ウグイスのまだ調わぬ鳴き声も混じりてすがし葉桜の風

つやつやと晴れたる朝葉桜のさやげる音の思いまぶしき

昨夜の雨さわっと晴れて葉桜の並木を薫る風ははや初夏



弥生

着膨れの足先なおも冷たくて弥生半ばの昼を雪降る

季(とき)ならぬ弥生半ばの真冬日にくりや曇らせおでんを煮込む

 暖冬だった今年、このまま春になるのかと思いきや、3月になってからの大寒波で身も心も凍りつきそうになった。せっかく花芽を伸ばし始めたクリスマスローズもすっかりしおれてしまったし、かすかに香りを放ち始めた沈丁花もかたく蕾を閉ざしてしまった。
 でも、彼岸が過ぎたころから確実に「春らしい春」が戻ってきた。あの沈丁花の香りも漂い、クリスマスローズもしゃんと花を咲かせてくれた。お天道様、どうかこのまま平常な季節へと導いてくださいますように・・・。

取り出す(とりいだす)手ににょっきりとジャガイモの発芽に触れし 春は間近か

バスを待つ傘持つ指のかじかみて雨かと惑う水雪の降る

坂道を共に歩調を合わせつつ夫(つま)と登れば沈丁花匂う

ふきのとう摘みて亡き父来るような日差しの朝(あした)ハーネス握る

風少し和らぐ朝の遊歩道みずみずと春の土匂いくる

犬連れて散歩の人の口笛に風も優しき春めく朝(あした)

したたかに両手をつきて転びたり芝草萌ゆる朝光(あさかげ)の上



如月

リュウキンカ
写真:黄金色の花びらをつけたリュウキンカ

 
満たされぬ心つのれる一日なりただひたすらに毛糸編み継ぐ

盲いても好む色ありこの夏のセーター淡きピンクを編みいる

遠き日の記憶に心遊ばせて雨降る一日編み棒運ぶ

アラン模様の赤きマフラー嫁ぎゆく娘に編みている留守もる夕べ

しんしんと雪降る夜を毛糸玉ころころ転がしセーター編み継ぐ

シュルシュルとスチームアイロン滑らせて編み終えしセーターふんわり仕上ぐ

 いつも思うのだが、この月は「編み物」をするにふさわしい。ストーブの暖かな部屋で終日編み棒を動かすのだ。たった一本の毛糸を編み棒に絡ませ、いろいろな模様を作り出す。一針一針の単純作業を反復しているうちに、いつの間にか毛糸の一玉がなくなってしまう。ときには好きな小説の朗読テープを聞きながら、また、テレビやラジオのニュースに耳を傾けながら・・・。誰にも妨げられないで過ごせるこんなひとときが私は好きだ。
 先日、娘の衣装箱の中から思いがけない物をみつけた。それは以前に私が編んだマフラーやベスト、セーターだった。その一つ一つを膝に乗せ、形や網目を確かめる。もう二十年近くも前に編んだマフラーやボレロ。凹凸のある編み模様のセーターは娘のお気に入りの赤だったはず。息子のと色違いで編んだベストはだいぶ型崩れしている。こんなにちっちゃい帽子をかぶっていたころもあったんだっけ・・・。
 まだ視力のあったころは「編み物」が苦手だった。そんな私に出産後の視力低下の真っ最中、子どもたちに絵本を読んでもらっていた近所のおばあちゃんが手ほどきをしてくださった。それからはいつも私のそばに編み棒や毛糸があった。最初の二首はそのころの短歌。今ではただ懐かしい思い出となっているが、あのころはどんなに「編み物」が心の隙間を埋めてくれたことだろう。何とか人前に着られるものを編み上げたのは薄いピンクのサマーセーターだった。シェル編みという貝殻をイメージする編み方で何度も間違って編み直したため「洗ってから着ましょうね」とおばあちゃんが慰めてくださったっけ。
 それにしても、いつまで経っても上達しない。そして認めたくないが、このごろは以前のように根気が続かなくなってきている。編み棒を持ったまま居眠りしていることもたびたび。「手を動かすってことはね、いつまでも心が若くいられるんですよ」とおばあちゃんにその居眠りの中で叱咤激励され、あわてて吾にかえったときには、ああ、編み目がはずれているではないか・・・。

傍らにのわのわと犬寝そべりて毛糸編む吾の眠気を誘う

沈丁花の香り漂うベランダに手編みのセーターふんわり乾く



睦月

白梅
写真:白梅

 
ハーネスを持てば寄り来る盲導犬「さあ!新年の散歩に行こう」
ステップを踏みつつ信号待ちている 元日の空カラーンと晴れて

 この二首は元日に読んだ愚作である。「暖冬」とはいえ、この暖かさはいったいどうしたことだろう。
 娘たちは暮れの30日に来て一足早く年越しをして行った。また母が昨年他界したこともあって、静かな新年となった。それでも、夫の故郷である鶴岡風のお雑煮をいただき満腹感で幸せ気分に浸っていた。
「おい、すごくいい天気だぞ。散歩にでも行くか」。この一言で、ターシャも私もその気になって12時ころに出かけたのだった。こんな風に揃って散歩したのは、夫が10月の入院以来になる。ターシャも張り切ってスピードアップで歩く。「おーい、息が切れるぞ。もっとゆっくり」・・・。それでも1時間くらいは歩いただろうか。こんなにカラーンと晴れているのに、誰ともすれ違わなかったのが不思議だった。帰路、コンビニに入ってびっくり。なんと、すごい込みようである。「神社の前だからね」とレジの人が教えてくれた。私たちもその神社の前でちょっとだけ手を合わせた。快い疲労感と汗ばんだところで食べたソフトクリームは格別の味だった。
 こんな他愛もなく始まった平成19年、健康で平穏に暮らせますように!

元日の商店街はしんとしてしめ飾りさわさわ稲の匂いす
笑い声高く聞こゆる家ありて路地にひととき冬の日溢るる(あふるる)
伴いし盲導犬が尾を振りぬ 夫(つま)来たるらし待合室に
尾を振りている盲導犬をまず撫でて夫(つま)は遅刻の理由を言いぬ

これで平成19年の短歌のページを終わります。
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