大阪の民家
吉村家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和12年8月25日指定) 大阪府羽曳野市島泉5-3-5 建築年代/江戸時代初期(17世紀前半) 用途区分/農家(大庄屋) 指定範囲/主屋・表門・土蔵・宅地・山林・溜池 公開状況/非公開 大阪南東部の羽曳野丘陵地で江戸中期頃から丹比郡18ヶ村の大庄屋を務めたという旧家である。住宅は大阪夏の陣で罹災した直後の元和元年(1615)頃の再建と推測され、民家としては屈指の古さを誇り、国内で最初に文化財指定を受けたことでも知られる。茅葺の長屋門を潜ると正面に息を呑む程に美しく気品溢れる高塀造の主屋が現れる。その大胆ながらも洗練された意匠は、住宅に定型化した権威と格式の符号が鏤められる以前の下剋上の気風を残す時代にこそ可能な建前である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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中家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和39年5月29日指定) 大阪府泉南郡熊取町五門26番地 建築年代/江戸時代初期(17世紀前半) 用途区分/農家(大庄屋) 指定範囲/主屋 附表門及び唐門 公開状況/公開 大阪南部の丘陵地に所在する当家は中世土豪の系譜を引き、藩政期には岸和田藩領の大庄屋八人衆の筆頭の地位にあり、代々の当主は中左近を称した旧家である。現在、屋敷内には表門と主屋、唐門、土蔵一棟が残るに過ぎないが、藩政期の屋敷絵図には現存する主屋を大きく上回る規模の客殿や門長屋等が描かれ、まるで陣屋建築のような威容を誇っていたようである。主屋の正確な建築年は不詳であるが、その豪快な桁梁の架構から桃山時代の建築ではないかと云われたこともある。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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降井家住宅 | 国指定重要文化財(書院・昭和27年3月29日指定) 大阪府泉南郡熊取町大久保1 建築年代/江戸初期 用途区分/農家(大庄屋) 指定範囲/書院 公開状況/非公開 JR阪和線の熊取駅の東辺に所在する大庄屋屋敷である。当家は中世土豪の系譜を引き、熊取の中家、佐野の藤田、吉田家、貝塚の脇田、岸、要家と共に岸和田藩の大庄屋八人衆として近世に至るまで強大な権力を持ち続けた家柄である。文化財指定は主屋脇に残る江戸初期建築の茅葺平屋建の書院のみであるが、明治初年建築の本瓦葺の主屋も重厚に溢れた素晴らしい建築である。書院は当家が百姓身分となる大庄屋時代ではなく、代官庄屋を務めた士農未分時の建物とされ、故に非常に格式の高い構成となっている。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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奥家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和44年6月20日指定) 大阪府泉佐野市南中樫井193 建築年代/17世紀初頭 用途区分/農家(庄屋) 指定範囲/主屋・表門・土蔵 (附/塀・土蔵) 公開状況/非公開 泉佐野市域が泉南市側に瘤の様に突き出る紀州街道沿いの樫井集落に所在する旧家である。祖先は南北朝から室町期にかけて吉野熊野の北山にある湯川の庄司であったと伝える家柄で、戦国期には樫井城の将監を務めたという。江戸初期の元和2年、当地に帰農し、主屋の中心部分はこの頃の建物と推測されている。江戸中期頃に茅葺から本瓦葺へ改められ、主屋東側には座敷棟が増築されたりと各所で改造がなされた経緯はあるものの、屋敷南西端の長屋門を潜ったときに眼前に漂う主屋の品の良さは格別なものがある。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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高林家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和44年6月20日指定) 大阪府堺市百舌鳥赤畑町5-647 建築年代/江戸時代(寛政末頃) 用途区分/農家(庄屋) 指定範囲/主屋・表門・土塀・米蔵・西蔵・宅地・山林・溜池等 公開状況/非公開 府下第2位の大都市・堺は仁徳陵に代表される大型前方後円墳が点在する様に早くから拓けた地域であった。当住宅は百舌鳥古墳群では4番目の規模を誇る御廟山古墳の脇に所在し、東に桁行14間に及ぶ長大な長屋門を構え、屋敷背後の築山を取り込む形で周囲に白漆喰の練塀を廻らせ、大鳥郡内14ヶ村の大庄屋屋敷としての威容を誇る。主屋は16世紀末の天正年間の創建と推定されるが、18世紀末の寛政年間に原形を留めぬ程の大改築がなされた様である。現在の大和棟もこの時の改造である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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山口家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和41年6月11日指定) 大阪府堺市錦之町東1-2-31 建築年代/江戸時代初期(1615-1624) 用途区分/商家 指定範囲/主屋 公開状況/公開 既に中世において国際的に活躍する貿易商人達による自治都市であったという堺の町は元和元年(1615)の大阪夏の陣で町の大半が焦土と化したという。しかしその後の徳川幕府による元和の町割と称される大事業で改造的復興がなされ、旧市街中心部に在る当住宅もこの時に屋敷を構えたと推測されている。住宅は府下最古の町家建築で近年まで主屋東側に前庭が広がり土蔵や表門が建ち並び江戸期を通じて庄屋役を務めた威勢を保持していたが、都市化の波に抗えず今は屋敷西半が残るのみである。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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山本家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和44年6月20日指定) 大阪府河内長野市小深360甲 建築年代/江戸時代(17世紀末) 用途区分/山村農家(庄屋) 指定範囲/主屋 公開状況/非公開 河内長野の中心部から石見川沿いに国道を遡った山間の小深集落に所在する農家建築である。代々庄屋を務め、紀州藩主の鷹狩の際には本陣として利用されたという由緒を持つ当家は、急峻な傾斜地を無理に切り拓いた集落の最も高い位置に屋敷を構える。主屋の規模は決して大きくはないが、屋根は高く、カラスと呼ばれる棟押えが11も並び高い家格を示している。また何より当住宅の価値は近世民家の完成形とされる整形四間取ながら帳台構等の古式を残し、指標的な民家と位置付けられることにある。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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左近家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和54年2月3日指定) 大阪府河内長野市滝畑1700番地 建築年代/江戸時代(18世紀末) 用途区分/農家 指定範囲/主屋 公開状況/非公開 大阪南東部の和歌山との県境に近い滝畑集落に所在する山村農家である。当地区は昭和57年に完成した滝畑ダムの建設に伴い集落内民家に対し悉皆調査がなされ、建築時期による民家の変遷過程が明らかになったことで知られているが、当住宅は地区内最古の遺構として高く評価された民家である。集落内の最も高台に在り、等高線に沿うように造成された横長の敷地に並行して妻入の主屋を構える。周囲から隔絶した山間地で独自の発展を遂げた滝畑型民家の原初の形態を今に残す貴重な存在である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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鴻池新田会所 | 国指定重要文化財 (昭和55年1月26日指定) 大阪府東大阪市鴻池元町2-30 建築年代/嘉永6年(1853) 用途区分/新田会所(町人請負新田会所) 指定範囲/本屋・屋敷蔵・文書蔵・米蔵・道具蔵 公開状況/公開 大阪城址から6km程東へ行った辺りにJR片町線の「鴻池新田」という駅がある。その名が示すとおり往時には江戸期を代表する豪商・鴻池家によって拓かれた町人請負新田が一帯に広がっていた場所である。駅前に所在する当住宅はその広大な新田を管理するための会所として設けられた建物群で、正面に長屋門を構え、その奥に主屋を置き、西方に米蔵、道具蔵等を並べて配置する。文字で表すと一般の庄屋屋敷の如き様相となってしまうが、実際には遥かにそれらを凌駕する規模のものである。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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旧緒方洪庵住宅 | 国指定重要文化財 (昭和39年5月26日指定) 大阪府大阪市東区北浜3-30 建築年代/江戸時代(19世紀前半) 用途区分/私塾 指定範囲/主屋 公開状況/公開 大阪の金融街・北浜に所在する町家建築である。嘗てこの一帯には土佐堀川を控えて蔵屋敷が軒を連ねていたそうだが、現在は当住宅を取り囲むように高層ビルが建ち並ぶ。緒方洪庵は幕末の著名な蘭学者で、当住宅は彼が天保4年(1843)に天王寺屋忠次郎から買い受け、文久2年(1862)に幕府の奥医師として江戸に移るまでの20年間、私塾・適々塾を開いた場所である。幕末の京・大阪の大店で流行した表屋造の形式を取り、街路に接する表屋を塾とし、奥に家族の生活の場であった居住棟を配している。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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杉山家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和58年12月26日指定) 大阪府富田林市富田林町14-31 建築年代/江戸時代 用途区分/商家(酒造業) 指定範囲/主屋 公開状況/公開 富田林の町は浄土真宗の興正寺別院を中心に永禄年間に拓かれたという寺内町で、当家は町の創設に年寄役として関わった近在4ヶ村の庄屋株内の8家、いわゆる富田林八人衆の筆頭に挙げられる名家であった。江戸期には酒造業を営み、以前には酒造蔵が主屋の背後に建ち並んでいたが、明治中期に廃業して不要となった建物群は順次取り除かれ、現在は主屋と僅かな付属屋を残すばかりである。増築を重ねた主屋内で最も古い土間付近は17世紀中頃の建築と推定され、実に豪快な造作である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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西尾家住宅 | 国指定重要文化財 (平成21年12月8日指定) 大阪府吹田市内本町2-15-11 建築年代/明治28年(1895) 用途区分/地主・山林経営(江戸期においては庄屋) 指定範囲/主屋・積翠庵・離れ東西棟・戌亥土蔵・戌亥角土蔵・米蔵・外塀・内塀・土地 公開状況/公開 JR吹田駅の南方の内本町界隈は嘗て都呂須集落を称し、吹田発祥の地とされる水陸交通の要衝であった。当家は江戸期には皇室隠居領となる仙洞御料における庄屋を宝永3年(1706)から代々務めた家柄であったが、当住宅が建設された明治28年においては地主や山林業を営む素封家となっていた。主屋は玄関棟、居住棟、計量部屋棟から成る大規模なもので、伝統的な民家形式を基調としながらも採光に工夫を凝らすなどしている。東西2棟から成る離れも近代の要素を取り入れ、実に瀟洒である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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梶家住宅 | 国指定史跡 (昭和23年12月18日指定) 大阪府茨木市宿川原町3-10 建築年代/享保6年(1721) 用途区分/商家(本陣) 残存建物/主屋・茶室・米蔵・中蔵・納屋・御成門 公開状況/公開(事前申込要) 【郡山宿本陣】 西国街道の脇街道であった山崎道の郡山宿に所在する旧本陣である。主屋に隣接する御成門を潜った左脇に椿の古木があることから「椿の本陣」とも称される。京・大阪を通らずに伏見と西宮を繋ぐ山崎道は山陽道と東海道を最短で結ぶルートで、多くの西国大名に参勤交代で利用されたことが当家に残る膨大な立札から容易に窺える。街道には山崎・芥川・郡山・瀬川・昆陽の5宿が設けられ、郡山宿は約900m程の町場に約30軒程の旅籠があったというが、本陣は当家1軒のみで脇本陣も無かった様である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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今西家住宅 | 国指定史跡 (平成21年2月12日指定) 大阪府指定史跡 (昭和47年3月31日指定) 大阪府豊中市浜町1-8 建築年代/宝永8年(1711) 用途区分/社家 残存建物/主屋・南郷春日神社 公開状況/非公開 日本民家集落を擁する服部緑地の西方に在る中世に奈良春日大社の摂津領における荘官を務めたという社家住宅である。当家は寿永2年(1183)に摂関家から春日大社へ寄進された荘園を管理するため当地に下向してきたことに始まり、戦国期末の山崎合戦に荘園の地侍を率いて敵対した廉で豊臣秀吉に方2丁(216m四方)の屋敷地を残して神領を没収されたという逸話を残す相当な旧家である。主屋に社家住宅としての特徴は僅かであるが、春日大社の若宮社を移築した南郷春日神社が敷地内に祀られている。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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吉川家住宅 | 大阪府指定文化財 (昭和47年3月31日指定) 大阪府狭山市半田5-168-1 建築年代/江戸時代初期 用途区分/農家(庄屋) 指定範囲/主屋 公開状況/非公開 大阪中南部の狭山郷に所在する惣代惣司、いわゆる大庄屋役の邸宅である。当家が所在する半田地区は上層の農家に限って妻入形式を取ることで知られており、一般に「半田の妻入」と称されている。その理由として当地の江戸期の支配関係が幕府領や旗本領に変遷する中で、妻入という古く伝統的な形式を残すことで中世以来の在方勢力を継承し続けていることを内外に知らしめる必要があったためと云われている。今ではそのような意味合いも忘れ去られているが、並の民家でないことだけは一目で判る。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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仲村家住宅 | 大阪府指定文化財 (平成2年3月2日指定) 大阪府富田林市富田林町16-31 建築年代/天明2年(1782) 用途区分/商家(酒造業・町年寄) 指定範囲/主屋・表屋・供部屋・土蔵 公開状況/非公開 富田林寺内町の南端に広大な敷地を有していた町家建築である。当家は寺内町を創設した富田林八人衆の1人で、佐渡屋徳兵衛の屋号で酒造業を営んだという。記録によれば町の酒造家7軒のうち当家は寛政7年(1795)には1760石の酒造高を誇り、2位の杉山家(国重文)の800石を大きく引き離している。比較的、大型の町家が建ち並ぶ当集落ではあるが、当住宅のように主屋の前に別棟でミセを配する屋敷構えは珍しく、一般に「巨戸の構え」と称され、大阪城下の大店に多く見られた建前とのことである。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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中西家住宅 | 守口市指定文化財 (平成10年2月18日指定) 大阪府守口市大久保4-2-26 建築年代/寛政5年(1793) 用途区分/在郷武家(尾張藩蔵屋敷留守居役) 指定範囲/主屋・大門 公開状況/公開 【もりぐち歴史館】 京阪本線・門真市駅の北東約2.5km程の平地に所在する旧在郷武家屋敷である。周囲は家電関連の工場進出もあって雑然とした住宅地と化しているが、当住宅は屋敷周囲に濠と土塁を廻らせ、正面には大門と称する大型の長屋門を構えるなど中世豪族屋敷の面持ちを今に伝えている。当家は尾張藩祖・徳川義直卿の生母・亀の方の実家であった縁から、藩政期には尾張藩天満蔵屋敷の留守居役を務めたという旧家で、江戸中期建築の主屋は中世末の当初建物の風情を引き継ぐものと云われている。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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新川家住宅 | 泉佐野市指定文化財 (平成5年8月6日指定) 大阪府泉佐野市本町5-29 建築年代/天明年間 用途区分/商家(醤油販売業) 指定範囲/ 公開状況/公開 近世に廻船業や大名貸で大阪を代表する豪商となった食野家や唐金家が拠点を置いたことでも知られる泉佐野には、関西国際空港の玄関口となる埋立地の臨空地区に建ち並ぶ近代的な建物群とは対照的に、漁師町から発展した湊町特有の迷路のような複雑な旧市街に今でも往時の蔵や町家が多数残存している。その旧市街の中央部に所在する当住宅は江戸中期の天明年間に新川喜内が醤油業を始めるにあたって建てたもので、主屋は平入の間取りながら土間部に角屋を張り出し、妻入の様相を呈する珍しい建前を特徴とする町家建築である。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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向井家住宅 | 泉佐野市指定文化財 (平成5年12月2日指定) 大阪府泉佐野市土丸904(移築) 旧所在地/大阪府泉佐野市上之郷机場 建築年代/享和2年(1802)推定 用途区分/農家 指定範囲/主屋・土蔵 公開状況/公開 泉佐野市は関西国際空港の玄関口に位置し、古くは湊町として栄えた歴史を持つが、当住宅が所在する土丸地区は、かなり内陸に入った山里の風情が色濃い土地柄である。そもそも当住宅は現在地よりも南西2km程、里を下った上之郷地区にあったが、周辺は米穀上々の地と云われ、中世から拓けたことが知られており、喰い違い四間取の典型的な中規模農家の構えであるが、何処となく長閑な雰囲気を漂わせているのは、こうした背景があってのことかもしれない。主屋の建築年は土蔵の梁に残る墨書から同年頃と推測されている。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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笹井家住宅 | 高槻市指定文化財 (昭和47年9月12日指定) 大阪府高槻市城内町3-10 城跡公園内(移築) 旧所在地/高槻市紺屋町(現・高槻町19-2) 建築年代/江戸時代中期(17世紀中頃〜末頃) 用途区分/商家(干物販売業・瀬戸物販売業・米穀販売業) 指定範囲/主屋 公開状況/公開 【高槻市立歴史民俗資料館】 京・大阪の中間にある高槻は、藩政期には永井家36000石の城下として発展した町。当家は阪急高槻駅近くの線路脇の地で代々米穀業を営んだ商家であったが、拡幅工事により現在は旧高槻城址内に移築され歴史民俗資料館として活用されている。本瓦葺・妻入の重厚な外観は丹波地方の亀岡や篠山等の旧城下町に見られる町家と共通する風情で、摂津地方のものではない。正面の格子は木割が太く実用性に富んでおり、建坪の半分を占める広い土間と併せて古い時代を彷彿させる建前となっている。 ▼個別解説ページへ |
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梶谷家住宅 | 河内長野市指定文化財 (平成14年3月29日指定) 大阪府河内長野市滝畑483-23 旧所在地/大阪府河内長野市滝畑清水 建築年代/江戸時代(18世紀中頃) 用途区分/山村農家 指定範囲/主屋 公開状況/公開 【滝畑ふるさと文化財の森センター】 昭和57年に完成した滝畑ダムの湖底に沈んだ清水集落に所在した山村農家建築である。現在はダム脇の高台にある文化財の森センター内に民俗資料館として移築活用されている。滝畑地区の民家の基本形は妻入で、戸口を潜ると前面に土間が広がり、その奥に部屋を二列に配する四間取、土間寄付のクチノマを広く取ることを特徴としている。これは周辺地域の民家とは異なる独自の様式で、紀州・紀ノ川沿いの特徴を祖型としながらも大和・河内平野部の影響を受けて発展したと推測され、滝畑型と称される。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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中西家住宅 | 吹田市指定文化財 (平成18年5月23日指定) 大阪府吹田市岸部中4-13-21 建築年代/文政9年(1826) 用途区分/大庄屋 指定範囲/主屋・長屋門・内蔵・勘定部屋棟・木小屋・井戸屋・納屋 公開状況/公開(但し事前予約要) 嘗てJR東海道線の岸辺駅の北方には広大な吹田操車場が広がっていたと記憶しているが、久し振りの訪問にすっかり駅前の様子が一変しているので驚いた。しかし道路1本を隔てた旧吉志部集落一帯は未だに古い屋敷が点在し、かろうじて往古の風情が未だ保たれている。当住宅はその集落中心部に所在する淀藩領嶋下郡14ヶ村の大庄屋屋敷である。1000坪程の屋敷地に建つ主要な建物は幕末期の建築で、都市近郊に在りながら近代に至っても建替えられることなく往時のまま残るは稀有な例である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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井上家住宅 | 堺市指定有形文化財 (平成16年6月24日指定) 大阪府堺市堺区北旅籠町西1丁3-22 建築年代/江戸前期(元禄2年以前) 用途区分/商家(鉄砲鍛冶) 指定範囲/主屋 公開状況/非公開 堺の旧市街に所在し、代々鉄砲鍛冶を生業としてきた旧家である。当家が所在する一帯は江戸期に大火に見舞われることもなく、また戦災をも免れたため政令指定都市の中心部ながら意外に古い町家が残されている。主屋は4棟の切妻平入の建物を南北に連結させた形状となるが、北側2棟が最も古く、寛文10年(1670)に没した当家初代が伊予国・加藤家の庇護を受け鉄砲鍛冶となった頃に建てたものと推定される。堺の地場産業として発展する鉄砲鍛冶の江戸初期の屋敷形態を窺い知る建物として貴重である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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五風荘 (旧寺田家住宅) |
岸和田市指定文化財 (平成20年12月5日指定) 大阪府岸和田市岸城町18-1 建築年代/昭和14年(1939) 用途区分/実業家(紡績業) 指定範囲/主屋・蔵・茶室(山亭)・茶室(利庵)・表門・車庫・正門・庭内門・船津橋門・偽善門・庭内待合・鎮守社 公開状況/公開(飲食店として活用中) 岸和田城の天守閣に登ると現代の無味乾燥な家並みを眺望する中、南方の堀端に樹木に囲まれた広大な屋敷が否でも目に付く。場所柄から上級武家屋敷の系譜を引く邸宅のように思われるが、実は明治維新後に紡績業で財を成した寺田利吉が昭和4年から10年もの歳月をかけて整備した近代和風建築である。元来、当地は岸和田藩主・岡部家の御茶屋であった場所で、2000坪を上回る敷地に300坪近い建物が配置されている。ちなみに「五風荘」という名称は翁の諡「五風院」に因んだものらしい。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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八木家住宅 | 登録有形文化財 (平成20年10月23日登録) 大阪府河内長野市三日市町1109 建築年代/江戸時代(推定18世紀後半) 用途区分/商家(酒造業・木綿問屋) 登録範囲/主屋・土蔵 公開状況/非公開 南海高野線の三日市駅前広場から旧高野街道の看板に案内されて狭い街路に一歩足を踏み入れると、そこには時が止まったような古い町家が建ち並んでいた。大阪にも未だこんな場所が残っていたのだと意外な驚きと共に嬉しさがこみ上げてくる。当住宅は旧宿場町の南側に在り、街道に面して桁行11間の主屋と土蔵が並ぶ大型の町家建築である。当家は享保年間に和歌山県橋本から当地に移り住み、「東家」の屋号で酒造を行ったとのことである。瓦葺の主屋は当初は茅葺であったと推測されている。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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奥野家住宅 | 登録有形文化財 (平成20年7月8日登録) 大阪府豊中市中桜塚2-422-1 建築年代/江戸後期 用途区分/農家(庄屋) 登録範囲/主屋・新蔵・西蔵・東蔵・米蔵・中門・門長屋・露地門及び高塀 公開状況/非公開 かつて市内で一番の賑わいを見せていた岡町商店街を抜け、郷社・原田神社裏手から路地裏に入った住宅密集地の只中に当住宅は所在している。当家は代々庄兵衛を名乗り、武州岡部藩安部家の飛地であった桜塚村の庄屋を務めたという旧家で、明治期には戸長や村長を務めたという。約500坪程の屋敷には起り屋根の品良い千鳥破風玄関を備えた主屋を中心に重厚な土蔵群と共に楠の巨木が点在し、長い歴史に裏打ちされた由緒ある風情を醸している。よくぞ住宅開発の波に抗い残されたものである。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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新井家住宅 | 登録有形文化財 (平成11年7月8日登録) 大阪府泉佐野市中庄1380 建築年代/昭和7年(1932) 用途区分/事業家 登録範囲/主屋・座敷・奥座敷・玄関・蔵・門・塀 公開状況/非公開(不定期に催し会場として使用) 泉佐野市役所の北方、天神山と称される丘陵上に建つ大邸宅である。昭和初期に大阪・北浜で新井証券を創業した新井末吉氏が昭和7年(1932)に迎賓館兼自邸として整備したもので、2500坪にも及ぶ広大な敷地に白壁の練塀を巡らせ、丘陵の頂部に本門を開く様は圧巻である。門を潜ると正面には、唐破風屋根付の玄関を構える座敷棟、右手に主屋、左手に奥座敷棟が建ち、全体にコの字型の建物配置となっている。当住宅は戦前の大阪経済の底力が如何なるものであったかを偲ばせてくれる貴重な存在である。 ▼個別解説ページへ(製作中) |