宮城の民家

洞口家住宅 国指定重要文化財 (昭和46年12月28日指定)
宮城県名取市大曲中小路26
建築年代/江戸時代(18世紀前半)
用途区分/農家
指定範囲/主屋
公開状況/ときどき公開




中澤家住宅 国指定重要文化財 (昭和49年5月21日指定)
宮城県名取市手倉田字山216
旧所在地・宮城県名取市愛島塩手字前野田45-1
建築年代/江戸時代(18世紀末)
用途区分/農家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
名取市域の大半は広大な仙台平野によって占められるが、西方は穏やかな丘陵地帯で、当住宅はその平野と丘陵が接する愛島塩手地区に所在していた農家建築である。昭和51年に移転した現在地の西方1km程の位置である。家伝では慶長年間に京都から移り住んだとされるが、当家に残る古文書に寛政年間を遡るものはなく、確証はない。住宅も18世紀末頃と推定されているが、部分的に古式が残るため新旧が判り辛い家作である。桁行9間、梁間5間の中規模な建前で、内部の間取りは整形四間取りとなっているが、土間が平面積の45%を占め、正面の開口部を除くとかなり閉鎖的である。けれども大戸口脇に立つホイト柱、裏口近くのヨメンクシ柱、側面の勝手口脇に立つ牛持柱といった土間に立つ独立柱3本には意匠性も感じられ、仙台藩における家作の変遷が混在する面白い建物である。
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佐藤家住宅 国指定重要文化財 (昭和46年8月13日指定)
宮城県角田市高倉寺前50
旧所在地・宮城県角田市高倉字新町
建築年代/江戸時代(18世紀後半)
用途区分/農家(庄屋)
指定範囲/主屋
公開状況/公開
平安時代末期の治承元年(1199)に建築された宮城県内最古の重文・高蔵寺阿弥陀堂の境内地に移築保存されている農家建築である。そもそもは現在地から東方1km程の高倉新町に在り、屋号を「車屋」と称し、代々庄屋を務めたと伝えられる。辺りは丘陵地が襞状に入り組む水田地帯の最奥部ではあるが、先述の高蔵寺の存在が示すとおり奥州藤原氏の栄華が及んだ地域であったと考えられている。主屋は茅葺の寄棟造、屋根の正面中央部に面破風と呼ばれるスリット状の屋根窓が設けられ、仙台藩の直屋建民家の特徴を典型的に伝えてくれている。桁行8間半、梁間4間の中規模な建前で、内部は広間型三間取り、土間が平面の4割を占め、土間と床上部のヒロマの境は建具の無い開放的な造作となっている。前項の中澤家住宅と建築年も近く、規模も同様の建前なので比較してみると面白い。
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大沼家住宅 国指定重要文化財 (平成30年8月17日指定)
宮城県指定文化財
宮城県柴田郡村田町村田字町191
建築年代/明治7年(1874)
用途区分/商家(紅花商・味噌醤油醸造業)
指定範囲/店・本宅・前座敷・内蔵・新蔵・西蔵・穀蔵・塩蔵・作業場・表門(国指定)味噌蔵・醤油醸造場・離れ・裏門・屋敷神(県指定)
公開状況/公開 【村田商人やましょう記念館】


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松本家住宅 国指定重要文化財 (昭和46年12月28日指定)
宮城県加美郡加美町南小路2
建築年代/江戸時代(18世紀中頃)
用途区分/在郷武家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
仙台市の北方40kmに位置する加美郡小野田に所在する武家住宅である。小野田は仙台藩主伊達家の重臣で着座二番座の地位にあった奥山氏1660石の所領地で、鳴瀬川の崖上に構えられた在所屋敷・小野田所に通じる街路に北面して建つ。当家は奥山氏の家老を務めた家柄で、宝暦7年(1757)に奥山氏が黒川郡大和町吉岡から小野田へ配置替えとなった折に随従してきたとのことである。主屋は奥山氏入部以前の領主・古内氏の時代に建てられたものと伝えられるが、建築年代を18世紀中頃から末頃とする見方もあり、断定できる資料は見つかっていない。棟高の居室部と棟低の土間部から一体化した外観を取るものの、両部の建築年代は異なり、更に上屋・下屋から成り一間ごとに柱が建つ居室部に対して、土間部は下屋の無い簡単な構造で半間ごとに柱が建つなど、建前の全く異なる分棟型の体裁を取る。県内中北部の武家住宅に見られた形態との事であるが、多くが失われた現在にあってはとても珍しいものを見る想いである。
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三浦家住宅
(寒湯番所跡)
国指定史跡 (昭和38年9月28日指定)
宮城県指定文化財 (昭和31年9月15日指定)
宮城県栗原市花山字本沢2
建築年代/安政4年
用途区分/御番所
残存建物/主屋・表門
公開状況/公開(冬季休館)
宮城・岩手・秋田三県の県境が接する栗駒山の南山麓の花山に所在する関所建築である。近くに温湯(ぬるゆ)温泉が湧く行楽地ではあるが、築館の町から28km弱もある山中なので、秘境的な風情さえ感じられる土地柄である。仙台藩領からは秋田藩雄勝郡に通ずる「花山越え」の要衝地であったことから藩境警固を目的として設置された関所で、仙台藩では「仙北御境目寒湯番所」と称した。街道は当住宅の敷地内に入って抜けていく道筋が本来であったらしく、屋敷入口には一般の住宅では考えられない程に立派な茅葺切妻造の四脚門を構える。安政2年の江戸期の建築ながら総ケヤキ造というから恐れ入る。現在残る住宅は代々、関所守を務めた三浦家の居宅で入母屋造茅葺の平入の形態を取り、表門に続いて安政4年に建てられたものである。桁行23.19m、梁間11.86mの大規模なもので、建坪は約83坪に及ぶ。通行を取り締まる手形改の検断所は主屋前に別に設けられていたが、現在は基壇のみが残り建物は失われている。全国的にも数少ない関所建築の例として貴重である。
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有壁本陣 宮城県指定文化財 (昭和34年8月31日指定)
国指定史跡 (昭和46年5月27日指定)
宮城県栗原市金成有壁本町31
建築年代/延享元年(1744)以降
用途区分/本陣
指定範囲/
公開状況/非公開
宮城県の最北端、奥州街道の一ノ関宿と金成宿の中間に所在する有壁宿の本陣建築である。有壁は仙台伊達家の支藩・一ノ関藩領に属し、代々本陣役を務めた佐藤家は傍らで宿駅の事務を統括する検断役も兼務した家柄。主に参勤交代の奥州諸大名や幕府・仙台藩の巡見使が宿泊休息に利用したが、幕末にはロシア使節も宿泊している。建物は延享元年(1744)の大火後に屋敷地を当初地の右斜め向いに移して整えられたと伝えられるが、その後において幾度にも亘り改造が為された痕跡が残る。街道に沿って二階建の長屋門、御成門が建ち、奥まって本屋がある。本屋は居宅部と本陣・宿泊部から成り、建坪100坪強の大規模な建前である。御成門を潜ると式台玄関へと導かれ、玄関から中座敷、鉤の手に次の間、上段へと続く。その南に配される居宅部は座敷、寝間、茶の間、台所から成る広間型三間取となる。一方、主屋の背後には米蔵や塩蔵などの土蔵群や馬屋が林立しており、屋敷全体が往時の風情を留めている。東北地方にこれだけの規模の本陣建築が残る例は他になく貴重である。
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今野家住宅 宮城県指定文化財 (平成4年10月27日指定)
宮城県多賀城市高崎1-22-1 (東北歴史博物館内)
旧所在地・宮城県桃生郡北上町橋浦
建築年代/明和6年(1769)
用途区分/農家(肝入)
指定範囲/主屋・(附)中門
公開状況/公開
平成10年に開館した東北歴史博物館の奥に野外展示される民家である。平成4年に解体・保存していたものを博物館の開館に合わせて移築・復元したものらしい。今野家は他県でいう庄屋に該当する肝入職を務めた上層農家で、屋敷には長屋門(この地方ではチューモンと呼ぶらしい)や多数の蔵が建ち並んでいたらしいが、当地には長屋門と主屋のみを移築している。主屋の上手には座敷を前後に並べた本格的な造作で、家格の高さが偲ばれる。
小関家住宅  宮城県指定文化財 (平成5年12月24日指定)
宮城県白石市西益岡町6-52
建築年代/享保15年(1730)
用途区分/武家
指定範囲/主屋・(附)表門・路地塀
公開状況/公開
白石は仙台藩の領内ながら一国一城令の例外として存続を許された白石城の城下町である。城主である片倉家は1万3000石の禄を食み、明治維新に至るまで続いた。当住宅は白石城東方の三ノ丸の外堀に当たる沢端川沿いに立地する武家住宅で、当主の小関氏は知行1貫500文(15石)前後の小禄ながら白石家中においては中の下程の階層であった。屋敷地は表間口16間余、面積580坪程もあり、沢端川に架かる小橋を渡り、簡素な棟門を潜ると主屋正面を隠す様に土塀が鉤型に立ちはだかる。土塀の内は座敷前庭となっており、この辺りは武家住居らしい風情。主屋は桁行7間半、梁間4間、寄棟造茅葺の中規模な建前で、伝承では片倉家2代・重長の御世に家臣の次三男や農民が原野開拓に勤しみ、その結果士分に取り立てられ、彼らがその時の雑木を使って建てた住宅のうちの1軒との話もあるようだが真偽は不明である。ただ住宅内の土間に立つ3本の独立柱の存在など古式な点も見られ、武家住居としては異例の古さを感じさせてくれる。
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木村家住宅 宮城県指定文化財 (平成16年3月30日指定)
宮城県白石市小原字上台27-2
旧所在地・宮城県白石市上戸沢
建築年代/江戸中期(推定)
用途区分/検断役・伝馬問屋
指定範囲/主屋
公開状況/公開 【旧上戸沢検断屋敷】
東北地方を縦貫する奥州街道を江戸より発し、福島県の桑折で分岐する羽州街道に入ると、まずは福島・宮城の県境となる小坂峠を越えねばならない。峠を下ると最初の宿場が上戸沢宿である。現在、「小原の材木岩」の名称で天然記念物に指定される白石川岸の柱状節理を臨む公園内に移築される当住宅であるが、そもそもは上戸沢宿の上手に所在した旧検断屋敷で、宿場の成立以前から当地に住していた家柄である。検断は人馬継立の役割を負うと共に、通行人の往来や商品等の輸送の取締りを担う町役人で、藩境管理が厳格であった仙台藩特有の呼称である。藩政期を通じて上戸沢には本陣が置かれることは無かったが、本宿である下戸沢宿が大火に幾度も見舞われたため、馬継立所としての役目の傍ら、白石城主の廻村の際には宿役を務めたこともあったと記録されている。主屋は寄棟茅葺屋根の直屋で、桁行10間半、梁間5間半の建前。上手には玄関が設けられ、畳敷きの座敷部屋が矩折れて4室連続する様子は準本陣を務めた家格に相応しいものである。住宅から遠くない位置に旧上戸沢宿が旧態を留めて残るので、併せて訪れると良いであろう。
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鈴木家住宅 登米市指定文化財 (平成元年9月29日指定)
宮城県登米市登米町寺池桜小路79
建築年代/
用途区分/武家
指定範囲/
公開状況/公開 【春蘭亭】



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菅野家住宅  登米市指定文化財 (昭和51年5月27日指定)
宮城県登米市登米町寺池桜小路21
建築年代/江戸中期
用途区分/武家
指定範囲/
公開状況/非公開


 
不老仙館 登米市指定文化財 (昭和47年10月13日指定)
宮城県登米市東和町米谷ゼン荷65
建築年代/嘉永5年(1852)
用途区分/実業家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
県北地域の米の集散地として繁栄した登米は北上川に面する登米伊達家2万1000石の陣屋町であったが、当住宅はその北方7kmばかり北上川を遡った旧東和町米谷に所在する実業家邸宅である。主屋建物は明治39年(1906)に、「宮城の誉」の醸造元であり、仙北鉄道の敷設に尽力した佐藤家の3代目新助が、当地より更に北方の北上川の支流・二股川上流部の狼河原村の肝煎であった畠山源兵衛家より移築したもので、そもそもは嘉永5年(1852)に伊達家13代藩主・慶邦公の巡見の際の宿舎として建てられたものである。

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熊谷家住宅 仙台市指定文化財 (昭和61年4月1日指定)
宮城県仙台市泉区福岡字岳山9-5
旧所在地・根白石字銅谷屋敷
建築年代/19世紀前半
用途区分/農家(肝入・山守)
指定範囲/主屋
公開状況/公開

根白石村の肝入を務めるとともに、銅谷山御林の山守も務めた。
当初は厩が付属する曲屋であったらしい。



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石垣家住宅 仙台市指定文化財 (平成6年3月29日指定)
宮城県仙台市青葉区大倉字若林14-2
旧所在地・仙台市青葉区上愛子字赤生木
建築年代/19世紀初頭
用途区分/農家(組頭)
指定範囲/主屋・米蔵
公開状況/公開
石垣家は赤生木屋敷と呼ばれ、江戸時代を通じて上愛子村の組頭や山守を、幕末には村肝入、明治初年には郷六・愛子地域の初代戸長を務めた家柄である。住宅が所在していた上愛子村は仙台市中心部から西へ10km程に位置し、広瀬川の中流域に拓けた中山間地でJR仙山線の愛子駅が最寄りとなる。平成6年に解体され、平成17年に現在地に移転・復原された。桁行12間、梁間5間半に及ぶ大規模な建前で、文政5年(1822)に前身建物が火災により焼失したため、直後に再建されたものと推定されている。内部の間取りは整形六間取の下手に床敷の台所と土間を備えた七間取の建前であるが、当初は整形四間取に台所・土間のみであったらしい。後に座敷2室が増築されたことが痕跡から窺え、面白いことに先行建築部の柱が全て栗材であるのに対し、後補の座敷部は杉材を用いている。往時は杉材は御禁制木で、使用には藩の許可が必要であったため、座敷部の普請は幕末の家格上昇と絡む造作であったのかも知れない。
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氏家家住宅
(旧氏丈邸)
角田市指定文化財 (平成3年5月28日指定)
宮城県角田市角田字町17
建築年代/明治元年
用途区分/地主
指定範囲/主屋・土蔵・表門
公開状況/公開 【角田市郷土資料館】
県南に位置する角田は伊達家御一門筆頭の石川家を邑主に仰いだ土地柄である。石川家は当初は1万石の家禄であったが、後には2万1380石の小大名並みの石高を有したことから、その城下町も相応に発展したことが今に残る区割りの風情から伝わってくる。氏家家住宅は商人街の中心地であった本町に所在し、間口20間、奥行40間の町場としては広大な敷地を有する商家であった。初代・氏家丈吉は天保10年(1839)の生まれで、慶応年間に現在地に分家したことに始まる新興の家で、当初は蚕種の販売で財を成したらしいが、むしろ土地の集積により地主化したことで、家産を増やし、明治21年には59町歩を、戦後の農地解放前の昭和22年には140町歩の田畑を有する県内屈指の多額納税者であったという。屋敷内には文化財指定される建物以外にも米蔵や前蔵、文庫蔵なども残り、豪壮な屋敷構えに感心させられる。商家的な風情ではなく、不在地主として町場に住した素封家の住まいの有り様を知る好例である。
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佐藤家住宅
(孤雲屋敷)
栗原市指定文化財 (平成5年12月1日指定)
宮城県栗原市花山字草木沢箕ノ口地内
旧所在地・宮城県栗原市花山村字草木沢小田
建築年代/18世紀末以前
用途区分/肝入
指定範囲/主屋・長屋門
公開状況/公開




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須藤家住宅  南三陸町指定文化財 (平成5年6月29日指定)
宮城県本吉郡南三陸町入谷字桜沢442
建築年代/19世紀前半(文化・文政期)
用途区分/在郷武家
指定範囲/
公開状況/公開 【松笠屋敷】


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宮床伊達家住宅 大和町指定文化財 (平成9年1月1日指定)
宮城県黒川郡大和町宮床字下小路64
旧所在地・
建築年代/ 江戸後期
用途区分/武家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
明治維新による版籍奉還に伴い、仙台城下から知行在所に移り住んだ宮床邑主の宮床伊達家の居宅として使用された建物。平成5年12月に「宮床歴史の邑整備事業」に伴い、寄附を受け、平成10年3月に現在地に移築復元された。宮床伊達家はの初代・宗房は仙台藩祖・伊達政宗の孫にあたりも4歳のときに田手高実の養子となったが、14歳の時に伊達姓を与えられ、翌年、宮床を在所とした。以後、宗房の子孫は宮床伊達家として明治維新まで宮床を治めた。

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八巻家住宅 村田町指定文化財 (平成6年12月20日指定)
宮城県柴田郡村田町小泉字肬石2
建築年代/江戸後期〜末期
用途区分/農家
指定範囲/主屋
公開状況/公開



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旧田山家住宅 村田町指定史跡 (平成6年8月2日指定)
宮城県柴田郡村田町村田字西66
建築年代/江戸末期(推定)
用途区分/武家
残存建物/主屋・土蔵
公開状況/非公開
重伝建に指定される村田町村田の商家群の西方の旧武家町に所在する陪臣武家屋敷である。慶応2年に描かれた「居屋敷並家中屋敷絵図」には「侍屋敷 鳥羽喜右衛門屋敷二佐藤利作」と記され、ちょうど村田邑主が芝多家から片平家に交替した際に、屋敷の主も芝多家中の鳥羽氏から片平家中の佐藤氏に替ったことが判る。鳥羽氏は小姓組、知行一貫文(10石)の小身ながら家中では中位の家柄で、佐藤氏は家中52名の内5番目の上位の家柄であった。屋敷は旧村田館の館下に所在し、大手筋からは外れるものの枢要な位置にある。住宅名に冠される田山家は村田町の商家で、近代の当主で村田町長、宮城県議会議員、城南軌道の創立時には社長を務めた田山孫八が明治38年(1905)に当住宅を譲り受けたことが判明している。主屋は寄棟造茅葺で桁行10間強、梁間4間の中規模な建前である。正面に構えられた2間幅の玄関は後補と考えられ、武家屋敷でありながら一般住宅の色彩が濃い。仙台半における在郷の陪臣階級の家作の有り様を知る存在である。
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水主衆屋敷   松島町指定文化財 (昭和47年6月27日指定)


 
森民酒造店 登録有形文化財 (平成27年11月17日登録)
宮城県大崎市岩出山上川原町15
建築年代/明治16年(1883)
用途区分/商家(酒造業)
登録範囲/店舗兼主屋・居室・奥座敷・離れ座敷・酒造蔵・北土蔵・釜屋・煙突
公開状況/店舗として営業中



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海老喜  登録有形文化財 (平成30年5月10日登録)
宮城県登米市登米町登米字寺池三日町22
建築年代/
用途区分/商家(味噌醤油醸造)
登録範囲/旧店舗・表蔵・主屋・味噌醤油仕込蔵・作業場・文庫蔵・旧酒蔵・旧醤油仕込蔵
公開状況/店舗として営業中


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旧山田本店 登録有形文化財 (令和3年2月4日登録)
登米市登米町登米寺池九日町1
建築年代/昭和前期
登録範囲/商蔵・表門・座敷蔵・旧仕込蔵・文庫蔵・南蔵・北蔵
公開状況/非公開


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斎理屋敷
(斎藤家住宅)
登録有形文化財 (平成23年1月26日登録)
宮城県伊具郡丸森町字町西25
建築年代/嘉永元年(1848)
用途区分/商家(呉服・太物商、味噌醤油醸造)
登録範囲/店蔵・住の蔵・業の蔵・時の蔵・嫁の蔵・竜の蔵・表門・石風呂・裏門及び塀・避雷針用鉄塔・電線用石柱・外灯
公開状況/公開



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安藤家住宅 無指定・外観公開
宮城県刈田郡七ヶ宿町滑津10
建築年代/天保11年(1839)後
用途区分/脇本陣
残存建物/主屋・土蔵
公開状況/外観のみ
奥州街道は江戸に始まり福島・仙台・盛岡の太平洋側の各藩を縦断する江戸期の基幹道であるが、福島の先の桑折で分岐する羽州街道は、福島・宮城の県境となる小坂峠を越えて上山、天童、新庄、秋田、弘前の日本海側の各藩を貫く道筋となる。その羽州街道のうち小坂峠を超えて上戸沢から湯原までの7つの宿を通る街道は特に七ヶ宿街道と呼ばれたが、当住宅はそのうち関宿と湯原宿の中間宿であった滑津宿に所在する。現在は日本の道100選に指定される国道113号線の快走路に姿を変える七ヶ宿街道であるが、当住宅は国道に北面して表屋を構え、それに直交する形で角屋が奥に突き出す丁字屋の形態を取る。建物は滑津大火があった天保11年(1839)後の建築と推測されており、表屋側に座敷部、角屋側に居室部が配置されている。街道に面する表屋の中央部に切妻破風の玄関屋根を張り出し、家格の固さを窺わせてくれる。安藤家は脇本陣を務めると共に肝入・検断を兼務した家柄で、滑津は主要な宿駅ではなかったことから当初より本陣は置かれておらず、実質的に当家が滑津を代表する存在であったと考えられる。
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亘理家住宅 登録有形文化財 (令和6年12月3日登録)
宮城県登米市迫町佐沼字内町12
建築年代/明治25年(1892)
用途区分/旧邑主
残存建物/主屋・茶室・表門
公開状況/外観公開


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千葉家住宅 無指定・公開
宮城県大崎市岩出山下野目字山際32
建築年代/明治21年
用途区分/農家
残存建物/主屋・板倉
公開状況/公開
後方の一段高いところに建っていたので「上の家」と称されていたが。明治43年の水害で裏山が土砂崩れを起こしたため、現在地に移転したとのこと。

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麹屋
(平井家住宅)
無指定・公開
宮城県柴田郡柴田町船岡西1-3-2
建築年代/店蔵=安政2年(1855)、主屋=明治7年(1874)
用途区分/商家(紅花商・味噌醸造)
残存建物/店蔵・主屋・内蔵・新蔵・西蔵・味噌蔵・塩蔵・醤油醸造場・離れ・表門・裏門・屋敷神
公開状況/公開 
昭和の大作家・山本周五郎の代表作である「樅ノ木は残った」の主人公・原田甲斐は県南に位置する船岡要害の邑主で、当住宅はその船岡町の本町に所在する商家建築である。昭和45年にNHKの大河ドラマの原作となった際は、何故か多くの観光客が当住宅を訪れたことを知るのは、今となっては相当な年配の方ばかりであろう。伊達騒動で謀反人として扱われた原田甲斐の存在は仙台藩では禁忌扱いであったため、彼にまつわる遺跡は少なく、たまたま船岡に残る藩政期の遺構という関係性のみで集客できてしまう点はこの国ならではなことであろう。当家は武士であった平井太郎左衛門家範が近世初頭に帰農し、当地に住み着いた由緒を持つ家柄で、藩政期を通じて邑主が原田家から柴田家に替わった後も御用商人として城下を代表する存在であったらしい。屋敷地の表間口は8間、通りに面して桁行5間、梁間3間、切妻桟瓦屋根土蔵造の店蔵が建つ。居宅部は明治初年の建築であるが、天保15年(1844)建築の土蔵2棟も残り、豪商家としての風情を今に伝えている。
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