不老仙館
Fulowsenkan



 
登米市指定文化財 (昭和47年10月13日指定)
宮城県登米市東和町米谷ゼン荷65
建築年代/嘉永5年(1852)
用途区分/
指定範囲/
公開状況/公開

不老仙館は、嘉永5年(1852)、当時の仙台藩主・13代伊達慶邦公(楽山)が北部巡視の折に寄る宿泊所として、狼河原村(現・東和町米川)に建築されたものである。伊達慶邦公は同年8月27日に宿泊している。明治38年(1905)、佐藤家3代・新助は、この建物を買い受け、当地に移築した。明治38年は東北地方が大凶作に見舞われており、生活の困窮した米谷町の住民の救済事業として、新助は別荘の建設に着手したものである。明治38年10月に宅地造成に着手、老若男女を問わず毎日50人を使役し、給金を日払いとして住民の日々の生活を支えた。造成は4ヶ月を要し、延べ6000人を雇用した。建物の移築は明治39年2月から始まり、明治41年秋までかけて現在の場所に移築再建した。この建物は、室町時代から戦国期にかけて流行した書院造の武家住宅の様式を取っている。大正時代に2階部分等の増築があり、現在では床面積が330㎡(100坪)で、部屋の数は14室となっている。
佐藤家では移築後、別荘として使用していたが、皇族を始め、政治家、経済界の重鎮、書家や作家等の文化人などが宿泊した由緒ある建物である。昭和56年に佐藤家6代当主・敬次郎氏の遺志により東和町に寄贈された。【現地案内看板より】






 

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