佐藤家住宅
Satou



国指定重要文化財 (昭和46年8月13日指定)
宮城県角田市高倉寺前49
旧所在地・宮城県角田市高倉字新町
建築年代/江戸時代(18世紀後半)
用途区分/農家(庄屋)
指定範囲/主屋
公開状況/公開

この住宅は、江戸時代の18世紀中期~後期に建てられた旧仙台領内の中規模農家の典型的な建物で、間口15m、奥行8mの直屋様式を取っている。屋根は寄棟造の茅葺で、東北の農家らしく重々しい。
佐藤家の由緒については、古記録、史伝記等もなく明らかではないが、「車屋」の屋号を持ち、庄屋を務め、古来修験者が住んでいたところと言い伝えられている。この頃の農家の基本的な間取りの一つである広間型三間取の単純な構成で、土間が全体の4割を占め、天井は煙り出しの為と藩の禁止令により設けられず、太い荒削りの柱は鳥居建という古式な構造で、木材の曲りを巧妙に利用している。間取りは、長方形の建物を梁間に4分6分に区分し、右4分は土間一室、左6分は3室の居室部となり、居室部は更に囲炉裏を構えた「ひろま」と奥に「なんど」と「なかま」2室を構えた変形間取りで、この地方の直屋の基本的な建て方である。建物に残された修理改変の痕跡から、江戸時代後期頃には、東面及び北面を半間拡張し、北面には更に物置を突出した改変がされ、明治初年頃には「ひろま」を桁行に中央通りで仕切り、「こざしき」、「かげのま」の2室に改めて、土間への床張りが行われ、昭和初期の頃までにかけて、建具の改造、柱外に雨戸が建て込まれて現在に至っていることが知られる。しかし、こうして過去3回ほどの修理が施されてはいるが、軸部、小屋組など主要部分についての改変は全く無く、よく当時の形式を残している。近年の生活様式の変化と建物の老朽化に伴い、所有者である佐藤源氏から住宅を新築したい意向があったため、江戸時代の生活の様子を窺い知ることのできる貴重な文化財として後世に残し、保存活用を図りたく、市に寄贈いただくことになり、昭和46年8月13日、国の重要文化財に指定を受け、同年9月に解体工事を実施し、翌47年7月にこの地に移築復元したものである。【現地案内看板より】
 

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