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旅行記(4)
西公路ひた走ってルムドへ(2))

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中国には塩を産出する塩湖がいっぱい!
今回はチャカ塩湖を見学!

 今日は,天候がめまぐるしく変化した。晴れ→曇り→砂嵐混じりの荒天→雨があがって空に虹。
 ホテルを8時10分に出発して,先ずはチャカ塩湖を見学。

 チャカ塩湖(海抜3100m)

 面積145k㎡,湖面が白く光って見える,すべて塩の堆積物で埋まっている。最深19m,平均4mの厚さで沈積し,推定埋蔵量4.5億トン。これは中国人の450年分の使用量に相当し,世界中の人間の75年分の使用量に相当するそうだ。これからも堆積が続いていくので,永遠にとり続けることが出来るということになる。
 後漢の時代(2000年ほど前)に発見され,当初は一般人が勝手に塩を採取していたが,清朝乾隆帝の時代に皇室のものとなり,1951年に設立された国営工場(現時点では民間工場か?)で,生産関係の従業員50人で年産30万トン(稼動期間3~9月,冬季は閉鎖)を生産していると云う。海塩より甘みがあって国内では「青塩(せいえん)」という名で有名とか。

 採取現場は,岸から離れたところ,そこまで順次レールを延伸して採取した塩は,26両編成のトロッコで工場まで運搬されている。
 観光用のトロッコに乗って塩湖を見学する(35元/人)。簡単な椅子が取り付けられた5輌編成のトロッコで,一度に40人ほどの観光客を乗せて,数百m沖まで連れて行ってくれる。着いた所は,塩,塩,しお・・・・,塩湖は3層になっていて上面の6~8mは雨で溶けた新しい塩,その下はにがりの層,最深部は数万年前にできた原生塩だという。原生塩が一番味がよいとか。
塩運搬トロッコ 着いた所はまさしく塩湖 塩の塊
 
 トロッコ見学を終えた後,工場敷地内に建つホテル「茶卡塩湖賓館」でトイレを借り,フロント横のショップで販売している「青塩」を買う。500g入りで20元,結晶塩は40元。高いのか安いのか? 
 
 採取作業や製塩工場内は見学工程に入っていないのが残念であった。
 
 余聞ながら,これから走破することになるツァイダム盆地は,南・北・西の各山脈から流れ込む河川がこの盆地に消えるため果てしない沼地と塩湖がいたるところにある。とくに東部には塩湖が多く,ゴルムド近くのチャルガン湖(面積5800k㎡)で,工業塩(kclが主成分でカリ肥料の原料となる)を産する大きな工場は有名である。

 チャカ市外の西郊に,小さな鉄道駅が見えた。塩運搬用に青蔵鉄道の支線が敷設されているらしい。
ツァイダム砂漠の南縁を600km西へ突っ走る!

 10時,チャカを後にして,先ずは130km先の都蘭(ドラン)を目指す。
 車のほとんど走っていない青蔵公路を時速100km近くで飛ばす。小さな起伏を繰り返す海抜3200~3400mの高原状の石コロのごろごろしたゴビ灘が続く。

 30分ほど走ると「旺朶秀(ワンダシュウ)峠」(標高3672m)を越える。前方に崑崙山脈の支脈ブルハンブダイ山脈の山々。写真休憩をとる。

 崑崙山脈5~6000m級の山々
青海省にはこの程度の山はゴロゴロしているのでひとつひとつに名前は付いていない。ガイドの洪さん曰く「どうぞ自分の名前をつけてください!」と。


(拡大できます)
 ポツリポツリと遊牧民のテントが点在する海抜3500~3600mの高原をうねりながら更に西進。
やがて,ツァイダム盆地に入り,海抜3500m前後の舗装された平坦路を快適に走る。
沿道は草地と裸地が入り混じるゴビ灘。雨が降ると草原になるというが,まだ雨季(6月~8月末)に入ったばかりで枯れかかった草地の殺風景な景色が続く。

 11:35 沙柳河(サールー)に出る,なかなかの大河である。道路の両側はポプラ並木,小麦・菜の花畑,灌漑水路,緑が濃くなって「夏日哈(シャーリーハ)鎮」というオアシス集落を通過。(チャカから105km)

オアシスに近づく緑がいっぱい!ホッとする。
 
 11:50 オアシスの町「都蘭」に入る。(海抜2850m)
 かつてチベット系少数民族の国・吐峪渾(とよくこん)の都があった所である。  「都蘭」とはモンゴル語で「温暖」の意というが,なるほど熱い熱い!
ここで昼食。
 
この谷の奥に熱水大墓遺跡?
 都蘭から南西へ10kmほど行った左手対岸に標示板が見える。目を凝らすとわずかに「熱水古墳云々」と読める!
 NHK「天空のシルクロード」で紹介されていた”都蘭(とらん)の熱水大墓(ねっすいたいぼ)遺跡”に違いない。
 大墓は1980年代に発掘され,吐蕃の青海進出期(7世紀後半~8世紀)のものと考えられている。大小合わせて200もの古墳の跡が確認され,皮靴や木製の櫛,鳥獣や彩色絵画の木片や刺繍品,錦・綾・羅・紗などの様々な絹織物が出土した。
 これによって,西寧~青蔵高原~ツァイダム盆地~アルチン山脈~タクラマカン砂漠(西域南道)~パミールに至る”もうひとつのシルクロード”と呼ばれる「青海の道」が,世界的に注目されるきっかけになった。有名な熱水大墓は,高さ11m,東西55m,南北37m,平頂式の四角錐型で吐蕃王墓に共通する形であると云う。この墓の主は,吐蕃王とも吐蕃王国支配下の一部族の王侯とも推定されており現時点では明らかではない。

 今回は,この遺跡には寄らずに先を急ぎ,四周を荒涼とした裸山に囲まれた草原の道をひたすら西へ!
 時々,オアシスあり。
 都蘭から60km地点,久しぶりの並木のある大きな村,「香日徳鎮(シャンジテ)」(海抜3050m)というオアシス手前で道路工事のため片側通行,何故か対向トラック数台を優先させるのでしばしストップ,我が方のドライバーは,頭にきたのか交通整理係りに大声で文句をつけていた。
 
 14:30 突然砂嵐,続いてストームに見舞われる。トイレ休憩したいのだが,この雨と風では,なかなか思うようにはいかない。1時間足らずで雨があがる。その間バスは100km近くも西進する。

 ツァイダム盆地は,25万k㎡(本州の面積とほぼ同じ)。石油,天然ガス資源に恵まれている,また「ツァイダム」とはモンゴル語で「塩の沢」の意があり,ツァイダムの塩は,中国国内で最大の生産量を誇っていると云う。

 雨があがって虹も懸かり,左手に「ブルハンブダイ山脈」の山麓と右手前方に,同時に二つの蜃気楼を観ることができた。草原には,タマリスクと紅柳とラクダ草が点々!
 

蜃気楼(拡大できます)

 延々と続くまっすぐな道路,「青蔵公路(国道109号線)」は,1954年に開通し1985年に舗装が完成。それまで西寧からラサまで3~4ヶ月かかっていたのが,わずか2日間で行けるようになったという。

 17:40 ゴルムドまで10km, ツールゲートあり。これだけ走って通行料はなんとたったの15元だという。

 ゴルムド

 17:45 ゴルムド市内へ(海抜2800m)

 右手に建設中の石炭火力発電所,石油リファイナリーらしき工場群,フレヤースタッグも見えた,なんと町中に稼動中の油井があるらしい。ゴルムドとは「河が密集するところ」という意味のモンゴル語,面積118900km2,人口は27万人,青海省第2の新興工業都市(実質的には数十年の歴史しかない新しい街)で漢民族が一番多く住んでいる(90%)。高原大陸性気候で冬の寒さが厳しい。5800km2 の面積をもつ広大なチャルガン塩湖からは塩が取れる。

 夕食後,ホテル前の「児童公園」などを散歩して,戻ると小事件発生。

  ややっ バスルームが水浸し!

 給水栓を閉め忘れたのかと思って点検するもそうではないと分かってホッ!
よく見ると下水が逆流していると判明。
 添乗員のOさんに電話するも留守。
 フロントに行って説明する。わたしの発音が悪いのか,相手の耳が悪いのかフロント嬢は,ペンと用紙を差し出して英語で書いてくれという。お安い御用だその方がこっちも楽だ!
 「係りを差し向けるからちょっと待って欲しい」という。すぐに数人が入れ替わり立ち代り見には来たが,その後音沙汰なしだ。隣室のSさんの部屋も同じ状態だという。そうこうしているうちにOさんが外出から戻り,委細を話したところ,フロントに行って掛け合うという。
 いずれにしても部屋を変えることになると思い,一度散らした荷物のまとめ作業を開始。終わりかかった頃タイミングよく5階の部屋に移ることになったとOさんが知らせに来てくれた。
 もう10時近くだ,あすは早出,想定外の作業が入ってしまった!はやいとこ寝なきゃ~!

 標高3000~4000mの所を通過し高度順化も順調のようだ。
明日は待望の「天空列車」に乗る。美しい雄大な風景とチベットカモシカに出会えることを期待して眠りにつく。
 

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