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旅行記(10)
 シツェらツェタン

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 中尼公路をラサ方面に戻って古都ツェタンへ

 8:10 シガツェ飯店発

 一昨日,ラサからシガツェへと辿った中尼公路を逆行。ツェタン迄は,およそ350km。
シガツェから100kmほどの仁布(リンプン)で,ヤルツァンポ河の支流の谷合い奥に雪峰が見える。ノジン・カンツァン(7206m)と思われる。

 10:15 シガツェから130km

 道路わきに有料トイレあり。
でも,誰も利用しない。皆,青空トイレが一番快適なことを確信してしまったようだ!
5角,1元が惜しいわけではない。
 
ラサ ゴンカル空港(グーグルマップより)
空港は,網の目のような流路のヤルツァンポ河右岸の段丘上に造られていることが分かる
 曲水橋を右に見て,20分ほど走るとラサ(ゴンカル)空港へ向かう新設道路分岐地点。
右折してキチュ川を渡るとすぐに長さ2kmほどのトンネル(ダラサントンネル 2005/9完成)。トンネルを出ると,今度はヤルツァンポ大橋(延長2.5km?)を渡る。
 ほどなく空港分岐。空港はラサから90km,新しい橋とトンネルが出来たおかげで,以前より40kmほど短縮された。
 空港は,ヤルツァンポ川の河岸段丘上(標高3600m)に造られている。ちなみにこの空港は中国では市内から一番離れた空港であるという。

 わたし達の車はそのまま直進。
 途中,給油ステーションで,2回目のトイレ休憩。今度は,まともな水洗トイレである。
 空港から30kmの集落に,落差10~15m程の小水力発電所あり。

 この辺りのヤルツァンポ河は,青い空と白い雲,褐色の岩肌の山々と一体となって川幅を,3~4kmにひろげて西から東に滔々と流れる。

 道路沿いに,チベットには珍しく養魚場あり。チベット族はもともとは魚を食べない。ということは,ラサの漢族やホテルを顧客相手として,漢人が始めた,新商売であろうか。

 空港から57km地点 「ミンドゥリン寺」案内標識あり。
 
 空港から63km地点で,「桑耶寺渡口」という標識を見つける。すぐ対岸を見つめると,はるか遠く,緑の木立の間からわずかに塔屋を伸ばすお寺がある。間違いなくサムイェ寺である。
 「サムイェ寺」は,吐藩王国最盛期の王 ディソン・デツェンが,仏教を発展させる為,インドからパドマサンヴァを招聘し,建立(779)した。チベット仏教建築史上の最高傑作といわれる。
 残念ながら,今回の旅では訪れる予定に入っていない。

 空港から75km付近 右手の山の斜面は砂丘みたいに砂が尾根の一定方向側に堆積している。シガツェ近くのヤルツァンポ河沿いでも見られた地形である。どうしてこのような地形が形成されたのであろうか?
風化残積土? 山が砂漠化? ヤルツァンポ河に堆積した砂が強風で飛ばされ山麓に堆積した???
広い河原を形成して流れるヤルツァンポ河
(ヤルツァンポ大橋より)
砂丘化した山

 12:50(空港から85km) 行く手正面に雪を頂く山が見える。

 13:00 ツェタン着  シガツェから,5時間・350kmの移動。
 
 市内の江城飯店というこぎれいなレストランで昼食。
 美人のウエイトレスと珍しい料理「オコシにたっぷり野菜と肉の入ったタレをかけたもの」や「ひまわりの種」などを美味しく頂く。

       ツェタンは 猿の遊び広場!

 「ツェタン(沢当)」とは,「猿が遊ぶところ」という意味。
猿がチベット族の祖先であるという故事からきているものでここ,ツェタンがチベットの古くから発展した場所であることを示している。
 現在の町自体は,新しく造られたらしく町並みはモダーンである。「チベットの穀倉地帯」という別名がある豊かな山南(ロカ)地区の文化・経済・交通の中心となっている町で,面積18k㎡ 人口3.2万 結構大きな町である。
   
     
 吐藩王朝発祥の地 チョンギエ 蔵王墓

 14:05 食事を終えて出発

 ツェタンから4車線のコンクリート舗装道路を南へ。
タントク寺を過ぎて右折,2車線になった山裾沿いのコンクリート舗装路を更に南へ。
30分ほど走って,「チョンギエ」の町に入る。

 右手の尾根に,廃墟と化した城塞が見える。

「チンワル・タクツェ・ゾン跡」である。
 チョンギェの町の北側にあり,7世紀中頃,ソンツェン・ガムポがラサに都を移すまで歴代の吐藩国王が,ユムブ・ラカンとともに使用していた第二の王宮の跡である。
 山の中腹に「リウデチェン寺」と思われる寺院が見える。
 城が建つチンワル山の麓には古いチベット様式の白い住居が建ち並ぶ集落とチンコー麦畑が広がる美しい田園風景が展開している。はるか昔,チベット人の祖先たちは,このヤルルン川の谷あいで生活していたのであろうか。

「チンワル・タクツェ城跡」,左端は「リウデチェン寺」
 手前はチョンギェの町
 1959年の春まだ浅き3月下旬,ノルブリンカを脱出したダライラマ14世の一行が一時この寺に身を寄せたという。
そのことを後で知った中国軍は地団駄踏んで悔しがり,腹いせのためか,
そのゆかりの寺を地上と空から砲爆撃し,徹底的に破壊したという。

 町を抜けて,更に谷の奥へ。道はガタガタ道になり川(ヤルルン川?)を渡り,5分ほどで,正面にタルチョがはためく小丘が見えてくる。前面に菜の花畑が満開。

 14:45 「蔵王墓」(Thomb of Tibetan King )

 ここは,歴代の吐藩王を葬った古墳が集まっていて,「王家の谷」と呼ばれるようになった。
21の陵墓があったとされているが,現在その存在が確認されているのは10墓であり,王の名前が判明しているのは7つであるといわれている。
 墳墓は,もともと崩れやすい”礫岩”の小丘に盛土をして造られているので,小さな墳墓は,山崩れ,地すべり,流砂,降水などで埋没あるいは崩れ去ってしまったのかも知れない。

 その中で一番形がはっきりしているのは,「ソンツェンガンポ王墓」である。高さ15mほど,ほぼ正方形,頂部は平らで中央に,1983年に建てられたというゴンパがあり,ソンツェンガンポ王,ティソン王妃,文成公主,大臣のガル・トンツェン,トゥンミ・サンポータの塑像が安置されている。

 墓室は,いまだ発掘されていないが,ファイバースコープ調査によれば,3体の遺骨があり,ソンツェンガンポ,ティソン王妃,文成公主が金銀財宝に囲まれて葬られているという。

 ゴンパの前で,子供たちが寄ってきて,付近で採れた石を売りつけている。
一人の少女が持っていた,一部がばら色をした10×5×3cm大の水晶が25元だというので,即座にわたしが買うといって,100元札を出したら,少女は釣りがないといって残念がる,。わたしも小銭が無いので残念だが諦めたら,本物かどうか分からず躊躇していたⅠさんが他の一つとあわせてゲットした。
ここの子供たちは,まだスレてはいないようで安心した。

 ここは,海抜3840m。気温は24.5℃ 紫外線が強いので暑いあつい!でも乾燥しているので汗はかかない。水分をこまめに補給して,さて次の目的地へ向かおう。


 菜の花畑の向こうに小高い丘
ソンツェンガンポ墳墓である。
墳墓の上から南方の集落を望む
麦畑と菜の花畑,豊なヤルルン谷を
彷彿とさせる光景がひろがる。
北方に崩れかかった墳墓が見える。
金城公主が嫁いだティデ・ツクツェン王の
墳墓ではないかという説あり。

  
 ユムブ・ラカン
  
 15:25 チョンギエを後にして,先ほどの4車線コンクリート道路に戻り,右折し更にヤルルン谷を南下。玉沙村・徳ヨク村などと標示された集落を通過する。

 15:55 5,60mはあろうかという小高い山の上に西洋風にも見える城が見えてきた。

 チベットで最初に建てられた宮殿とされている「ユムブ・ラカン」である。
 チベットの建国神話によると,紀元前 127年,初代のチベット王であるニャティ・ツェンポが天から降臨した。ユムブ・ラカンはこの初代吐藩王が建てたと云われている。
 2000年の間に何度も改修が行われ,段々に姿を変え当初のものは何も残っていない。
 現在の建物は,文化大革命で破壊されたため,1982年以降に再建されたもの。
 頂部から眺める眼下のヤルルン渓谷の田園風景は素晴らしく,豊饒の地であることがよくわかる。

 内部は,小ぎれいで,とてもこじんまりしている。テラスには色とりどりの美しい花が鉢植えされていた。

 1階の中央には,釈迦牟尼像,三世仏像,ソンツェンガンポ像,ティソン・ディツェン像,文成公主像,ティツェン王妃像。
 2階には,師弟三尊,薬師仏,釈迦牟尼,観音菩薩,無量寿仏,阿弥陀仏が安置されている。

 宮殿として使われなくなってから,次第に仏像や王や高僧の塑像などが飾られるようになって,現在は寺院として使われているようだ。1996 11 20 チベット自治区重要文化財に指定されている。

 寺院のある場所の標高は3805m,ちなみに駐車場は3749m,したがって比高およそ60m。
馬,ヤク,らくだの背に乗って上り下りすることも出来る(料金片道10元)が,以前に落馬して怪我をした事故があったので,わたし達は,体調を悪くして待機したTさん以外全員徒歩で往復する。
気温はぐんと上って34.6℃, 皆さんよく頑張るね~

ユムブ・ラカン 参拝者が次々とルンタを飾っていく
お祈り文を書いた五色の紙切れを
風に飛ばす人たちもいる。(標高3830m)

 17:50 ツェタン飯店着 改装オープンしたばかりだという。チベット最後の夜を快適に過ごせそう。

 18:30 昼食を摂った同じレストランで夕食。

 ビールを一本余分に摂ったが,同じテーブルの人が,飲まないので隣テーブルにドネーション。高地では本当に酔いが早く回る。
 町をブラブラ見学しながら歩いて往復。
  

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