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今朝も雨模様! しかし次第にあがりそうだと言うので,急坂・急階段のある見学場所を後回しにしてタール寺に向かうことに予定変更。46人乗りバスに添乗員・ガイドも含めて20人,一人で2シートを使うというゆったりバス旅の始まりである。この後ゴルムドまで900kmもの長距離移動があるので助かる。
如来八塔(八仏塔)
小金瓦殿・ 両側テラスに動物(ヤク・鹿・馬・牛・羊・・・・)の剥製が並んで我々を見下ろしている。悪いことをすると動物に襲われますよ!という戒めであると言う。動物をダシにしてあくどい商売をしていた何処かの国の社長さんにみせたいよ〜ん! 祈祷殿 病気がちだったダライラマ7世の長寿を祈って建てられた。観音菩薩,羅漢など木像がいっぱい並んでいる。ここはツォンカパの母がツォンカパのために遠くから水を汲んできて休んだ場所で,境内には母が休んだという憩石が安置されている。境内に白檀の木があり白い花を咲かせるので花寺と言われるようになった。(1717年建立) 大経堂 集会所・学校・文字通り坊さんがお経を唱える場所,一度に2000人が座れるというタール寺で一番大きな建物である。2階建ての建物に囲まれた中庭があり,建物の壁には大きなタンカがたくさん描かれている。門の脇には五体投地を行うスペースがある。Sさんがトライする。なかなか堂にいっている,たいしたもんだ。感心かんしん!五体投地は,一生に10万回行わなければならないし,一度に奇数回行う決まりがあるという。 お堂の中に入ると太い柱がたくさん立っている(全部で108本)柱の周りには絨毯が巻きつけられている。内モンゴルから贈られた大きな絨毯を切ったものだという。正面にはダライラマとパンチェンラマの宝座,パンチェンラマ9世と10世の写真,住職の座席,ツォンカパが16歳の時の像が並んでいる。 右側の壁には4つの大タンカが収められた木製の長い箱がある。その前の壁には立体的に見える黒真珠と顔料で作ったという堆繍(たいしゅう)と言われる絹の刺繍(一種のキルティング)の18枚のタンカがある。 お堂の左手には,銭湯の下駄箱みたいな棚(例えが悪くてゴメン!)に大蔵経が整然と収められている。、弥勒菩薩の像,1000体の仏像,バターの灯明の列が並んでいる。 高僧の座る主座近くに”猫”が一匹,聞けばネズミ捕りの為に飼っているとのこと。それにしてもヤクバターの臭いが強烈だ。 大金瓦殿 屋根瓦が金色。ここがクンブムの本殿だ。高さ12.6mのツォンカパの大銀塔が鎮座する。ここでも幾人もの人が熱心に五体投地を繰り返していた。(創建1579年)
ツォンカバは文殊菩薩の化身? 酥油花院(すゆかいん)(英名:yaku butter scrupture temple) 中央にツォンカパ像。仏が奇跡を示したことを記念する正月15日(西暦では2月12日)の祭に”トルマ”と呼ばれるバター細工が,ツォンカパ堂のまわりを飾る。毎年,芸術部の坊さん達が1チーム30人ほどで製作しコンテストテストを行ない1位と2位の作品がここに展示されているという(年末に燃やされる)。 題材は主として仏教説話やチベット史から採用される。展示ケース内はエヤコンが設置してあり,バターが溶けない工夫がされているとか,でも停電になったらどないな事になるんだろうか?誰かが心配していた。 バター細工は,ラサで始まりここ,クンブムで盛んになったそうだ。ほかの寺でも作られているがタール寺のトルマが最も見事で,先ほどの堆繍,大タンカとともにタール寺の三絶と言われているそうだ。
さて,タール寺の門前町の一画にある中華レストランで昼食。ここの廊下の壁に巨大な地図が架かっていた。仔細に見るとここ西寧辺りは,宇都宮・郡山付近と同じ位の緯度に相当することが分かった。
2,3分歩いた丘の上に,ダライラマ14世(1935ー )の生家がひっそりとしたたたずまいを見せていた。 ここには,ダライラマの甥が住んでいて,中を案内してくれた。 四角い庭の周りにレンガ造りの建物が並んでおり,以前小学校に使われていた建物で,このうちの一室がダライ・ラマ14世の生まれたところだとの説明あり。ダライラマの寝室・父母の写真などが飾ってある。文化大革命の時破壊されたというから当時のものはほとんど無いものと思われる。 庭の正面奥には,またりっぱな門がありその奥の庭には,天と地をつなぐ柱タルポチェが建っている。その奥には1986年に政府の援助で建てられたというりっぱな2階建堂宇があり,十一面千手観音像のタンカが祀られた仏壇,部屋の中央には大きなマニ車が置かれていた。
14:55 ダライラマ14世生家を後にし,ガタガタ道を更に南下〜北東に向かう。標高3000mを越える高原を登ったり下ったり,大きな窪みにバスが腹を擦らないか?道路を横断している水道管に引っかからないか?などなど心配しながら「平安県津名田村」,「黎明村」,「紅崖村」,「寺台村」,「三合村」などという標識のある土地を走り抜けること約1時間。。
「峡群寺森林公園」と書いてあるゲートを抜けて,16:10 バスを降りてシャチュン・ゴンパに向かう。 およそ15分ほどの登り道である。馬を引き連れたおばあさんが「乗っていかないか!」と声を掛けてくるが,全員歩き出す。周りは麦とジャガイモと菜っ葉畑,道路の脇に珍しい花が何種類も咲いている。これらをカメラに収めていると,最後尾となり,一行に追いつく為に常に早足で登らなければならない。標高2800mでは,さすがのわたしも息が切れる。 団体ツアーでは,落ち着いて写真を撮っているわけには行かない,花の写真などは,マクロレンズに換えてじっくり撮りたいのは山々なれどそんな余裕が無いのでついついズームレンズで望遠側にしてごまかすので,手ぶれ写真が多くなって,やむなくボツとなったした花たちが結構多い。
10分ほどで観望亭風の建物を通過してゆるい下り,さらに少し登ってシャチュン・ゴンパの山門に到着。 シャチュン・ゴンパ(夏宗寺)は1359年,ゲルク派の開祖ツォンカパの師匠トンドゥプリンチェンが建てたカギュ派の寺で,ツォンカパが3歳のとき修行を始めラサに行く16歳まで過ごした由緒ある寺である。したがってゲルク派発祥の地ともいえる。 本堂前には2本の”タルポチェ”が立っていて”ルンタ”(風の馬)がはためいている。本堂の中の正面にはタンカ,両側には智恵の神文殊菩薩や阿弥陀仏が並んでいた。盛期には,50人の坊さんが居たというが,現在は3人だけ! さて,これからが大変,本堂裏手の狭い急階段を登り千手観音やらナントカ菩薩などいろんな仏さんがおわす小さなお堂を幾つも見学しながら息を切らしながら登る。山形県の”山寺立石寺”のミニサイズといえば想像できるかな? 頂上(標高2900m)は,ナイフ状の小尾根,向こう側は断崖絶壁で数十メートルの谷になっている。尾根の先端付近に鐘楼が建つ。ここで,ツォンカパは修行したという。偉くなる人はちがうね〜。 高所恐怖症気味のわたしは,ちょっと休憩して早々と下りにかかる。 17:30 来た道を戻って西寧の町へ向かう。 19:50 ホテル帰着→そのまま夕食。
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