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「花の心・風の姿」 (第15回原稿 9月21日(火)・産経新聞掲載) 


 狂言を一言で表すと『とても古典的な喜劇である』。ある意味正しい事だと思いますが、私共としましては賛同する事は出来ないと考えます。
 狂言は中世室町時代より、約六百五十年続いており、当時の人々の日常をバッサリとした切り口で描いています。例えば主従関係のストレスや、横柄な者への反感。お酒の飲み過ぎによる失敗等々。これらは今の時代でも決して変わる事のない普遍的な事です。また狂言とは、笑いの芸能である。これも一面に過ぎません。例えば「靱猿」では猿曳は、子猿の時より我が子のように育てあげた猿を、大名のわがままな命令により、仕方なく手にかけようとする。この時の猿曳の心境たるや、いかばかりか…。喜劇だけではなく、人間の営みの本質を描いたヒューマンドラマであると思います。
 ただ、狂言に限らず古典芸能は「わからない」「難しい」「古い」とネガティブな印象が持たれているように感じます。ひとつには初めてご覧になる「きっかけ」が、なかなか見つからないのではないでしょうか。また、一曲全てを理解しようとしてご覧になった時、もし内容に疑問を抱いた場合、結局難しかったと感じる可能性があります。今ではニュース番組でも「わかりやすさ」を目指して字幕を多用する時代です。これらは効果をあげていると思いますが、想像力や理解
する力が削がれている気がしてなりません。それとひきかえ、能・狂言は決して「わかりやすさ」を追求した芸能ではありませんので、最初は少し戸惑いがあるかもしれません。しかしながら、ちょっとの前知識と少しの想像力を働かせてご覧になれば、また新たな世界が広がるものと確信します。
 さて、私共の連載も今回が最後となります。いろいろ書かせていただきましたが、長い間お付き合いいただきまして、厚く御礼申し上げます。秋の演能シーズンとなりました。どこかの公演にてお目に掛かれます事を願っております。ありがとうございました。 
  
 【善竹隆司・隆平】

* 産経新聞夕刊文化面コラム 平成16年6月8日(火)より毎週火曜日夕刊掲載 全15回(途中翌週延期有)
  善竹隆司さん、隆平さんのご好意により、掲載させていただけることになりました。
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