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「花の心・風の姿」 (第14回原稿 9月14日(火)・産経新聞掲載) 


 『竹をすっぱりと縦に割ったような芸である』
善竹の芸を一言であらわすと、このようなものであると言われます。これは私共の曾祖父であり、善竹家を興した故善竹彌五郎の教えを引き継いでいる故であると考えます。
その芸は写実的で、知識に裏打ちされた確かな技術を誇り、狂言の様々な役柄を幅広く演じたようですが、中でも「太郎冠者」を得意としたようです。晩年は落ち着きある芸の中にも哀愁があり、深みを感じる舞台をしていたようです。
 彌五郎は二歳の時、母と共に茂山忠三郎良豊師の長男として入籍。養子として育てられ、昭和三年良豊師没時に家督を相続しましたが、弟良一氏に忠三郎の名跡を譲り、自らは昭和十六年に金春流ご宗家より送られた芸事名「彌五郎」、雅号「道久」を名乗りました。
 能楽協会の前身である「阪神能楽会」会長を十年間勤め、また流儀内各家の総意により、次男吉次郎を、当時途絶えていた大蔵流宗家を継承させるなど、狂言だけでなく能楽界の発展に尽くしました。また昭和三十八年には再び金春流ご宗家より「善竹姓」を賜り、これにより「善竹家」として家を興しました。その数々の功績もあり昭和三十九年に人間国宝に認定され、名人として確立されました。晩年は神戸に居をかまえ、私共の生まれるずっと前、昭和四十年に八十二歳で亡くなりました。現存する舞台映像も少なく、今は先生方から「彌五郎さんはこうだった」と昔のお話を、お聞きするのみです。
 曾祖父の残した日記には芸に対する真摯さが伝わります。「何事も普段が肝心である」と常日頃から言っていたそうです。     
                           
 【善竹隆司・隆平】

* 産経新聞夕刊文化面コラム 平成16年6月8日(火)より毎週火曜日夕刊掲載 全15回(途中翌週延期有)
  善竹隆司さん、隆平さんのご好意により、掲載させていただけることになりました。
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