岐阜の民家
和田家住宅 | ![]() |
国指定重要文化財 (平成7年12月26日指定) 岐阜県大野郡白川村荻町山越997> 建築年代/江戸末期 用途区分/山村農家(庄屋・番所役人) 指定範囲/主屋・土蔵・便所・土地 公開状況/公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
遠山家住宅 | ![]() |
国指定重要文化財(昭和46年12月28日指定) 岐阜県大野郡白川村御母衣125 建築年代/文政10年(1827) 用途区分/名主(焔硝上煮役・養蚕農家) 指定範囲/主屋 公開状況/公開 白山山地と飛騨山地の境界を成す庄川本流の最上流部には日本屈指の巨大ダムとして知られる御母衣ダムが所在する。ダム開発に伴って多くの民家が湖底に沈んだ歴史は夙に知られるところではあるが、当住宅は江戸期より当地に所在しており、奇跡的に水没を免れた存在である。地域は耕地に恵まれず、山間の豪雪地帯の厳しい生活を余儀なくされたため、特異な大家族制度が営まれたことで知られ、それ故に民俗学の世界では早くから調査研究の対象となったが、上層農家であった当家には明治中期には40名程の家族が一つ屋根の下で生活したという。桁行11間半、梁間6間半の巨大民家で、合掌造の典型とされるばかりでなく、建築年代が判明していることで、合掌造民家の指標的な存在でもある。合掌民家は、建築の特異性のみがクローズアップされがちであるが、その変化の理由を読み解くことこそが肝要である。 ▼個別解説ページへ |
松本家住宅 | ![]() |
国指定重要文化財 (昭和46年12月28日指定) 岐阜県高山市上川原町125 建築年代/江戸後期 用途区分/商家(薬種商・金融業) 指定範囲/主屋・米蔵・漬物蔵 公開状況/公開 同じ高山の町には国重文に指定され、民家建築の最高峰と目される吉島家、日下部家の存在が名高い。しかし両者はいずれも明治時代の建物。封建制が瓦解した後に豪商たちが金に糸目をつけずに建てたものである。では江戸時代の高山の町家は一体どのようなものであったのか。民家好きならば、俄然興味が湧くところであろう。ということで、当住宅の存在である。日下部家の屋敷裏手を流れる宮川沿いに南に下った川原町に所在する。当住宅のそもそもの所有は「原三」の屋号で薬種商を営んでいた原家で、店舗の移転により明治45年に蝋燭、煉油商、煙草製造卸業を営んだ松本家に売却され、高山市により公有化されるまで居宅として使用された。文化財指定される間口6間、奥行8間の主屋建物に対し、南隣の間口2間の建物も旧原家の所有時には店舗棟として利用されていたもので、年代的にはこちらが古い建物らしい。内部は土間、居間、台所の上部を吹抜けとし、大梁や束、桁が小屋裏まで露出する高山町家の原型を示すものである。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
日下部家住宅 | ![]() |
国指定重要文化財 (昭和41年12月5日指定) 岐阜県高山市大新町1-52 建築年代/明治12年(1879) 用途区分/商家(生糸卸売・御用商人元締役) 指定範囲/主屋・文庫倉・新倉・火垣・板塀 公開状況/公開 全国各地を旅していると「天領は年貢が軽かった」という話をよく聞く。そして、この後に「だから立派な家が多いのだ」と続く。その代表格は倉敷の町家群ということになるのだろうが、高山の町家群も負けてはいない。元禄5年(1692)に飛騨国が幕府の直轄領となり、以来明治維新を迎えるまで高山代官所が差配する天領地として続いた。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
吉島家住宅 | ![]() |
国指定重要文化財 (昭和41年12月5日指定) 岐阜県高山市大新町1-51 建築年代/明治40年(1907) 用途区分/商家(生糸・繭販売業・金融業・酒造業) 指定範囲/主屋・文庫倉・(附)犬垣・火垣・板塀 公開状況/公開 高山の美しさは町家の美しさである。京町家と比較しても数寄屋技法では劣るが、架構技術ではむしろ勝っているのではないかと思う。大戸口から土間に一歩踏み入った際の柱と梁、桁の絶妙な構成は、驚嘆に値する。豪勢な彫刻で部屋を飾り、訪れる者を魅了する演出は世界中の建築に溢れているが、一切の装飾性を省き、縦横の架構のみで人々を魅了する演出は、高山の町家建築を於いて他にない。吉島家は文政6年(1823)に没した休兵衛を初代とし、代々、生糸・繭の売買、金融、酒造等で財を成した新興の家柄である。住宅は明治8年の大火で全焼し、翌9年に再建されたが、更に同38年に再び火災に遭い表側2間通りを残して被災、翌々年の40年に復興したものである。当住宅は民家建築の最高峰と目され、飛騨の匠の傑作として位置付けられている。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
荒川家住宅 | ![]() |
国指定重要文化財 (昭和46年12月28日指定) 岐阜県高山市丹生川町大谷141 建築年代/寛政8年(1796) 用途区分/農家(肝煎・兼帯名主) 指定範囲/主屋・土蔵 公開状況/公開 重伝建に選定される町並が美しい高山市街から避暑地として有名な上高地へと続く国道158号線沿いの中山間地に所在する肝煎住宅である。周辺の民家が南面して建つ中、当住宅は南東向きに建つのでその先にある乗鞍岳との関連を想像するが、敷地内からは望めない。主屋は切妻造2階建板葺で、桁行11間、梁間8間半の大型住宅となり、外観は開放的な点を除けば高山の町家建築とよく似た風情であるが、間取りは全く異なる。当初から養蚕空間を確保するため2階建として建てられたらしく農家建築としては珍しい例であるが、ましてや江戸中期の寛政8年(1796)の建築というから恐れ入る。室内に入ると、建物の規模にしては土間は狭く、むしろ下手の馬屋に面積が割かれている。床上部は居間空間と座敷空間、寝間空間が厳然と区画されており、全体の印象から幕末〜明治期の建物かと見紛う程の造作である。土地柄を考えた時、相当に先進的な事例ではないかと思う。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
小坂家住宅 | ![]() |
国指定重要文化財 (昭和54年2月3日指定) 岐阜県美濃市相生町2267 建築年代/江戸時代(寛政年間) 用途区分/酒造業 指定範囲/主屋 公開状況/店舗として営業中 |
林家住宅 | ![]() |
国指定重要文化財 (昭和46年12月28日指定) 岐阜県美濃加茂市太田本町3-3-34 建築年代/享保7年(1722) 用途区分/商家(脇本陣・酒造業) 指定範囲/主屋・隠居屋・質倉・借物倉・表門 公開状況/非公開(隠居屋のみ公開) 中山道太田宿に所在する脇本陣建築である。。宿場は上町、中町、下町に別れ、当住宅は上町の街道沿いに北面して建つ。当住宅の斜め前には本陣門が残されており、当住宅の界隈が町の中心部であったことが窺える。林家は質屋を営むとともに味噌・醤油を商い、庄屋・惣年寄を務め、幕末に脇本陣職を兼帯した旧家で、幕末の天保・嘉永年間には間口25間半、土蔵9棟、馬屋3棟、離れ座敷を持つ屋敷規模であったと記録されている。住宅は、指定時には宝暦9年(1759)に没した初代・由秀が当地に屋敷を構えた享保7年(1722)とされていたが、解体修理の際に卯建の鬼瓦銘に明和6年(1769)とあったことから建築年代はこの頃の事と見直されている。平成12年5月には隣接する隠居屋が追加指定を受け、主屋と並んで本卯建が上がる美濃の大型町家の面目を保つ様子は素晴らしい。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
牧村家住宅 | ![]() |
国指定重要文化財 (昭和54年2月3日指定) 岐阜県揖斐郡大野町西方587-1 建築年代/18世紀初頭 用途区分/農家(庄屋) 指定範囲/主屋 公開状況/公開 大野町は濃尾平野の西北端に位置し、西に揖斐川、東に根尾川の両川に挟まれた氾濫原に田園地帯が形成される土地柄である。山裾の微高地には5-6世紀に造られた古墳群が残ることから、早くから拓けた地域であったようである。当住宅は、その国史跡にも指定される野古墳群の南辺に所在する農家建築で、嘗て藩政初期にのみ存在した黒野藩(加藤家4万石)と野村藩(織田家1万石)を結ぶ街道脇に広大な屋敷を構える。茅葺、平入の主屋は土間と居間の境に上屋柱を2本立て、梁を鳥居型に架け渡す、いわゆる「鳥居建」と称される 様式で愛知県から岐阜県にかけて分布するものである。桁行7間半、梁間4間の中規模な建前ではあるが、主屋を眼前にしたときの印象は、威厳に満ち、実際以上に規模の大きさを感じさせてくれる。文化財指定外ではあるが、屋敷の表門は大垣城の遺構と伝えられる。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
桑原家住宅 | ![]() |
国指定重要文化財 (昭和46年12月28日指定) 岐阜県大垣市上石津町一之瀬365 建築年代/弘化2年(1845) 用途区分/郷士・名主 指定範囲/主屋・米倉・西倉・北倉・表門・塀 公開状況/非公開 関ケ原合戦の折に西軍の総大将を務めた毛利家が陣場を構えたのは主戦場から遠く離れた南宮山。石田三成の陣所からは随分と距離がある。日和見を決め込んだ様子がよく判る。その南宮山の南山麓に牧田川により形成された河食平野の山裾に当住宅は所在する。当家の祖先は伊勢国の阿下喜の城主で、織田・豊臣両家に仕えたが、文禄年間の朝鮮出兵の折に秀吉に忌避され、蟄居して当地で郷士になったという由緒がある。屋敷は当家の門前に向かって伸びる坂道を登り切った最奥部に小高い山を背にして構えられており、石垣を組み、濠によって隔てられた様子は一介の民家の様子とは大きく異なる。当初は現在地の北東部の台地上に屋敷を構えていたらしいが、享保18年(1733)に火災に遭い、現在地に新しく屋敷を設けたとのことである。その意味では戦国の気風が失われた頃に整備されたものとなるが、何故か砦屋敷の様な趣である。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
早川家住宅 | ![]() |
国指定重要文化財 (令和元年9月30日指定) 岐阜県海津市平田町三郷字村中1088-1 建築年代/明治25年(1892) 用途区分/農家・実業家 指定範囲/主屋・洋館・裏座敷・辰巳隅職人部屋・飯米庫・下男部屋・辰巳庫・西ノ庫 公開状況/限定公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
高橋家住宅 | ![]() |
岐阜県指定文化財 (平成2年11月20日指定) 岐阜県揖斐郡久瀬村日坂字南尾佐1238-1 建築年代/ 用途区分/大庄屋 指定範囲/主屋 公開状況/非公開 広大な濃尾平野を形成する木曾三川のうち、最も流れが激しい揖斐川の源流を求めて北に遡ると福井県との県境を成す能郷白山に辿り着く。この途中の急峻な山間に久瀬村は所在する。何故に人が住み着いたのか訝しく思う土地柄であるが、嘗ては越前、湖北地域と濃尾地方を結ぶ裏街道沿いの要衝であったようである。当家は中世末に当地に土着した豪族の末裔で、江戸期を通じて大垣藩の大庄屋役を担った家柄である。屋敷内には主屋の他に長屋門、土蔵5棟が残存しており、平坦地の少ない山間地にあって広大な敷地を有する。長屋門に正対し東面する主屋は妻入で、近年までは茅葺屋根を維持しておられたが、現在は銅板葺きに改められている。そこに書院棟となる角屋が附属し、主屋と書院の結節部に入母屋屋根の式台玄関を構える。山間部には稀な程に格式の高さを誇る見事な屋敷である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
宮川家住宅 | ![]() |
岐阜県指定民俗文化財 (昭和55年3月25日指定) 岐阜県羽島郡岐南町平成7-38 旧所在地・岐阜県羽島郡岐南町徳田 建築年代/明治25年 用途区分/農家 指定範囲/主屋 公開状況/公開 岐南町総合体育館の東に位置する一画に移築された農家建築である。そもそもは現在地より西に500m程に位置する徳田集落に所在していたらしい。徳田集落は木曽川の氾濫原によって形成された全くの平坦地で、近年では嘗ての田畑が乱開発によって宅地化が進みつつある土地柄であるが、何の変哲もない特徴の無さは今も昔も変わらぬところである。当住宅は明治24年の濃尾地震後に建てられたが、その時代性を反映して正形四間取りの、いわゆる田の字型の間取りに土間が附属する、農家に典型的な建前となっている。典型的な農村地帯には典型的な民家が建てられるという、余り面白くない典型例である。ただ当時からの改造が少なく、嘗ての様子を今に伝える事例として、風前の灯火となりつつある民俗文化財としての指定は決して蔑ろにしてはならない。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
松葉家住宅 | ![]() |
岐阜県指定民俗文化財 (昭和55年7月22日指定) 岐阜県飛騨市神岡町城ケ丘1 旧所在地・岐阜県飛騨市神岡町割石 建築年代/明治元年(1868) 用途区分/農家 指定範囲/主屋 公開状況/公開 昭和43年に現在地に移築。桁行14m、梁間10m、入母屋造。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
大橋家住宅 | ![]() |
岐阜県指定民俗文化財 (昭和63年1月12日指定) 岐阜県大垣市浅草1-659-1 建築年代/ 用途区分/農家(庄屋) 指定範囲/主屋・長屋門・土蔵・離座敷・物置2棟 公開状況/非公開 旧安八郡浅草東村の庄屋を務めた旧家である。生活用具を含めて民俗文化財として指定を受ける。濃尾平野の輪中集落における屋敷の形態をよく留めており、洪水に備えて高石垣を築き、土蔵と離れ座敷は水屋形式で建てられている。屋敷内には主屋、表門、土蔵、離座敷及び2棟の物置がある。水屋には2階から屋根裏に上がる階段、屋根の一部が簡単に取り外せ、屋根の上に避難できるように工夫されている。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
酒向家住宅 (松井屋酒造) |
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岐阜県指定民俗文化財 (平成7年6月23日指定) 岐阜県加茂郡富加町加治田688-2 建築年代/寛政9年(1797) 用途区分/商家(酒造業) 指定範囲/主屋・酒蔵2棟 公開状況/公開 「富加の酒造用具及び酒造場」として指定。松井屋酒造資料館として酒造用具が公開されている。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
高木家住宅 | ![]() |
岐阜県指定史跡 (平成8年7月9日指定) 岐阜県大垣市上石津町大字宮 建築年代/明治29年(1896)・但し表門は嘉永5年(1852) 用途区分/武家(交代寄合旗本2300石) 指定範囲/ 公開状況/非公開 関ケ原の古戦場跡の南方の谷間に所在する交代寄合旗本美濃衆と称せられた高木三家の筆頭、禄高2300石・西高木家の在地屋敷である。住宅は湖北地方から伊勢に抜ける街道沿いの高台に所在し、眼下には大きく蛇行する牧田川の様子を臨む要害のような立地である。所領地の屋敷ゆえに、本来は住宅というよりも陣屋に区分されるべき類のものであるが、明治維新後に広大な屋敷地に建っていた多くの建物群を除却し、上屋敷のうちの中座敷部のみを再利用するとともに、下屋敷にあった長屋門を曳家として表門とし、大幅に規模を縮小する形で末裔の方々がそのまま住居とした経緯がある。西高木家は川奉行を務めるなど、江戸期を通じて濃尾平野を流れる河川管理を務めとした。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
宮地家住宅 | ![]() |
高山市指定文化財 (平成12年5月22日指定) 岐阜県高山市大新町2-44 建築年代/明治初期(明治8年大火後) 用途区分/農家兼商家(米屋・酒屋) 指定範囲/主屋・土蔵 公開状況/公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
豊坂家住宅 | ![]() |
高山市指定文化財 (昭和43年2月26日指定/上宝村指定) 岐阜県高山市奥飛騨温泉郷平湯34 旧所在地・岐阜県高山市上宝町蔵柱 建築年代/江戸期 用途区分/農家 指定範囲/主屋 公開状況/公開 景勝地として名高い上高地の西方にある平湯温泉郷に移築されている農家建築である。開湯の中心地となる平湯神社の脇に、旧上宝村時代に設けられた上宝村民俗館の施設として常時公開されている。そもそもの所在地であった蔵柱地区は、平湯から鉱山町として著名な神岡町に向う途中を西に左折した山間集落である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
田上家住宅 | ![]() |
高山市指定文化財 (平成19年2月22日指定) 岐阜県高山市丹生川町根方532 建築年代/明治27年 用途区分/農業・地主 指定範囲/主屋・土蔵・便所 公開状況/公開 高山市街からは東方の平湯峠に向う途中、小八賀川が作る狭小な谷間に所在する農家建築である。明治15年に着工し、12年の歳月を擁して建てられたという主屋は、国重文に指定されている日下部家住宅と同じ大工棟梁・川尻治助の手によるもので、彼の最後の作品とされている。桁行12間半、梁間7間半にも及ぶ大規模な建前で、平入の切妻屋根で、当初は榑板葺であったが、約50年前に桟瓦葺に葺き替えしている。日下部家とは異なり、敷地の制約を受けないため間取りは整い、各室は広く、天井は高い。屋根と庇を支える出桁を受ける腕木を「雲」と呼ばれる装飾的な意匠とするが、この部分については、同じ高山大工・稲尾三郎の後補である、建物は施主のものとはいえ、直線的で簡素な意匠に徹した川尻治助は、この流線的な要素を加えたことをどう思ったであろう。全体に完成度は高く、隙の無い建築であるが、農家建築の域を超え過ぎた感は否めない、と個人的には思う。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
西家住宅 | ![]() |
高山市指定文化財 (平成17年1月19日指定) 岐阜県高山市高根町野麦355 建築年代/江戸末期 用途区分/宿屋 指定範囲/主屋 公開状況/外観自由・内部不可 高根町の野麦集落に所在する榑葺石置屋根の宿屋建築である。もちろん現在は営業はしておらず、時が止まったかのようにひっそりと佇んでいる。野麦という集落名から、恐らく昭和世代の方ならば、昭和43年(1968)に作家・山本茂美が発表した小説を映画化した「あゝ野麦峠」を思い浮かべるのではないかと思うが、信州岡谷の製糸工場で働く貧しい農家出身の女工が病に倒れ、兄の背におぶられ実家に戻る途中、峠で息絶えるという物語である。明治期の日本が貧しかった時代の女工哀史である。実際、当集落には7〜8軒程の宿屋があり、出稼ぎに向う農家の娘達が、峠越え前の最後の集落となるこの場所に逗留したらしい。屋敷地は旧街道に沿って雛壇状に平坦地を造成し、主屋を街道側に向けずに配する。一般の宿場町で見掛ける旅籠建築の様な街道に表玄関を開いて建つ町家とは様子が異なっており、旅人の往来を目視し易くするためか、あるいは屋敷地に奥行きを持たせることが難しかった故なのかは定かではない。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
今井家住宅 | ![]() |
美濃市指定文化財 (平成6年3月29日指定) 岐阜県美濃市泉町1883 建築年代/江戸中期(18世紀末) 用途区分/商家(庄屋・紙原料商) 指定範囲/主屋・土蔵4棟 公開状況/公開 桁行22間、梁間8間、建坪96坪の旧市街最大級の町家建築。 敷地内には主屋の他、土蔵4棟、茶室、鎮守社が残る。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
清水家住宅 | ![]() |
大垣市指定文化財 (平成25年2月21日指定) 岐阜県大垣市赤坂町2966-1 建築年代/享保15年(1730)或いは安永4年(1775) 用途区分/商家(米穀商)・医家 指定範囲/主屋・土蔵 公開状況/公開 旧中山道の赤坂宿に所在する商家建築。藩政期には屋号を「米佐」と称する米穀商で、その後は医家となって当住宅は診療所として用いられた。赤坂宿に現存する最古級の町家遺構で、主屋背後には坪庭を挟んだ北側に明治13年建築の土蔵が残る。 |
木村家住宅 | ![]() |
恵那市指定文化財 (平成3年8月9日指定) 岐阜県恵那市岩村町本町329-1 建築年代/江戸時代(18世紀後半) 用途区分/商家(問屋・酒造業) 指定範囲/ 公開状況/公開 |
加納家住宅 | ![]() |
恵那市指定文化財 (平成9年9月25日指定) 岐阜県恵那市岩村町851-1 建築年代/江戸末期(推定) 用途区分/鉄砲鍛冶 指定範囲/主屋 公開状況/非公開 当家初代の伝左衛門包房は文化11年(1814)に岩村藩主・松平乗保に3石2人扶持で召抱えられた御用鉄砲鍛冶である。主屋の建築年は不明であるが、当初は板葺石置屋根であったと推測され、当住宅の最大の特徴であるつし2階部の傾斜した塗籠壁は後世の改造である。また城郭建築で鯱鉾が載る屋根の棟両端部には狛犬が鎮座しており、特異な事例として興味深い。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
井口家住宅 (落合宿本陣) |
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中津川市指定史跡 (昭和54年4月指定) 岐阜県中津川市落合上840-1 建築年代/ 用途区分/問屋・庄屋 (中山道落合宿本陣) 指定範囲/ 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
渡邉酒造 | ![]() |
登録有形文化財 (平成17年11月10日登録) 岐阜県飛騨市古川町壱之町7-3 建築年代/江戸末期(明治37年移築) 用途区分/商家(酒造業) 登録範囲/主屋・上手蔵・酒蔵・中蔵・漬物蔵・土蔵別館 公開状況/店舗として営業中 ▼個別解説ページへ(制作中) |
蒲酒造場 | ![]() |
登録有形文化財 (平成19年7月31日登録) 岐阜県飛騨市古川町壱之町6-6 建築年代/明治39年(1906) 用途区分/商家(酒造業) 登録範囲/主屋・袖蔵・文庫蔵・仕込蔵一・仕込蔵二・ 公開状況/店舗として営業中 ▼個別解説ページへ(制作中) |
都筑家住宅 | ![]() |
登録有形文化財 (平成23年10月28日登録) 岐阜県下呂市萩原町羽根字上段1344 建築年代天保12年(1841) 用途区分/農家 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 |
天領酒造 | ![]() |
登録有形文化財 (平成28年8月1日登録) 岐阜県下呂市萩原町萩原字町頭1289-1 建築年代/明治44年(1911) 用途区分/商家(酒造業) 登録範囲/店舗兼主屋 公開状況/店舗として営業中 |
矢橋家住宅 | ![]() |
登録有形文化財 (平成9年7月15日登録) 岐阜県大垣市赤坂町226 建築年代/天保4年(1833) 用途区分/商家 登録範囲/主屋・表門・隠居・書院・茶室・東蔵・中蔵・西蔵 公開状況/非公開 |
北岡田家住宅 | ![]() |
登録有形文化財 (平成24年8月13日登録) 岐阜県揖斐郡大野町相羽字村通282 大正5年(1916) 用途区分/ 登録範囲/主屋 公開状況/季節を定めて公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
杉山家住宅 | ![]() |
登録有形文化財 (平成18年3月2日登録) 岐阜県羽島郡笠松町下本町63 建築年代/明治25年(1892) 用途区分/商家(味噌醤油業) 登録範囲/主屋 公開状況/公開 |
和田家住宅 | ![]() |
登録有形文化財 (平成29年6月28日登録) 岐阜県羽島郡笠松町八幡町96 建築年代/昭和前期 用途区分/養蚕業 登録範囲/主屋・土蔵・門及び塀 公開状況/非公開 |
三浦家住宅 | ![]() |
登録有形文化財 (平成18年8月3日登録) 岐阜県瑞浪市大湫町442-1 建築年代/江戸末期 用途区分/商家(旅籠) 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
森川家住宅 (森川訓行家) |
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登録有形文化財 (平成18年8月3日登録) 岐阜県瑞浪市大湫町445 建築年代/江戸末期 用途区分/商家(問屋・旅籠) 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
森川家住宅 (森川善章家) |
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登録有形文化財 (平成18年8月3日登録) 岐阜県瑞浪市大湫町463-1 建築年代/明治26年(1893) 用途区分/商家(問屋・旅宿) 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
原家住宅 | ![]() |
登録有形文化財 (平成25年3月29日登録) 岐阜県中津川市馬籠4284 建築年代/明治後期 用途区分/宿役人 登録範囲/主屋 公開状況/公開 中山道の中津川宿と妻籠宿の間に位置する馬籠宿は木曽谷の入口に当たり、難所として知られる馬籠峠と十曲峠に挟まれた土地柄ながら傾斜地を無理に宿場町として開いた故か、宿場としての規模は大きくはない。石垣を築いて雛壇状に平地を生み出して狭隘な屋敷が建ち並ぶ様子は、中山道69次に数えられるのもおこがましい程である。当住宅は藩政期に問屋場を管理し、人馬の継立や宿泊の業務を司った宿役人の住居である。古くから宿役人や村役を務めた旧家だけに間口13.9mの堂々たる存在である。桟瓦葺切妻造の2階建の町家建築で、建設当初は板葺の石置き屋根であったとされる。屋号は清水屋、享保19年(1734)に原弥惣の時代に馬籠に土着し、5代目・平兵衛の代に組頭、6代目・平兵衛の時代に宿役人に抜擢されている。住宅は明治28年(1895)の大火で被災した後、直ちに再建されたものである。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
名和家住宅 | ![]() |
大垣市指定民俗文化財 (昭和62年10月8日指定) 岐阜県大垣市入方2-1723 建築年代/明治9年(1876) 用途区分/農家(地主) 指定範囲/主屋・住居式水屋・土蔵式水屋・門 公開状況/公開 【輪中生活館】 ▼個別解説ページへ(制作中) |
神田家住宅 | ![]() |
無指定・公開 岐阜県大野郡白川村荻町796 建築年代/江戸後期(推定1850年頃) 用途区分/酒造業 公開状況/公開 【合掌造り民芸館】 重伝建地区に選定されている白川郷荻町集落の中程に所在する合掌民家である。集落の庄屋職を務めた和田家から文政年間に分家し、酒造業を営んだという。屋敷を構えた場所は白川郷の産土神である白川八幡宮の神田であったことから神田姓を名乗るようになったとのことである。本家と比して規模はやや小振りながら10年の歳月をかけて建てたという主屋は小屋組などに本職の大工仕事が多く見受けられ、発達した間取りや高い完成度を特徴としている。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
緒方家住宅 | ![]() |
無指定・外観公開 岐阜県高山市丹生川町大谷 旧所在地・岐阜県高山市丹生川町日面 建築年代/嘉永3年(1850) 用途区分/農家 公開状況/外観自由 木造平屋建、平入切妻造榑葺。間口8間半、奥行6間の農家建築。平成に入るまで住居として使用されていたが、平成12年に現在地に移築。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
神足家住宅 | ![]() |
無指定・公開 岐阜県本巣市文殊324 旧所在地・岐阜県揖斐郡揖斐川町 建築年代/ 用途区分/山村農家 指定範囲/主屋 公開状況/公開 【本巣民俗資料館】 |
泉家住宅 | ![]() |
無指定・公開 岐阜県揖斐郡揖斐川町坂内川上873 ▼個別解説ページへ(製作中) |
広瀬家住宅 | ![]() |
無指定・公開 (揖斐川歴史民俗資料館) 岐阜県揖斐郡揖斐川町上南方901-5 旧所在地・徳山村戸入 建築年代/江戸時代 用途区分/山村農家(庄屋) 残存建物/主屋 |
中根家住宅 | ![]() |
無指定・公開 (岩村町民俗資料館内) 岐阜県恵那市岩村町坂下99 旧所在地・ 岐阜県恵那郡上矢作町木ノ実 建築年代/明治初期 用途区分/農家 残存建物/主屋 ▼個別解説ページへ(制作中) |