泉家住宅 Izumi |
無指定・公開 岐阜県揖斐郡揖斐川町坂内川上873 旧所在地・岐阜県揖斐郡坂内村広瀬下村 建築年代/明治3年後(1870) 用途区分/紙漉農家 この民家は、平成元年12月、元所在地から移築した紙漉農家である。移築に当たり、後からの改造部分を取り払い、建設当初の姿に復した。当家屋は、明治3年(1870)の大火後に再建されたものであるが、「家主 泉八太夫、棟梁 東野善蔵」と墨書された板札が残されているが、建築年については記されていなかった。(八太夫は当家の屋号である) 元所在地では、南を正面として建つ。入母屋造茅葺妻入で現在はトタンを被せている。主屋の西北部に蔵、東前面寄りに便所、前面東側にコド(川戸)を配置していた。主屋の規模は、合掌の梁間3間半、桁行7間、四周に半間から一間弱の葺下し部分が廻っている。 平面構成は、正面の軒下部分のカイダレと屋内の土間と床部分から成る三間取広間型を基本としている。正面中央に出入口を取り、ニワ(土間)の西側をカミヤとウマヤとし、ニワに続いてダイドコ、その奥に西から座敷、納戸、下納戸と並ぶ。座敷には床の間と仏間が設けられている。 小屋組は合掌組である。ニワとユカとの境中央に大黒柱が建ち、上屋梁を受け、東端で入側柱が、西端では束が上屋梁を受けている。この当家の形式は、福井県越前地方に見られる民家の様式と同形である。なお、梁間が3間半あることや、軒下の繰形を付けた持ち送りなどは明治時代の建設である特徴をよく示している。昭和36年まで、煮炊きはユルイで全て行い、1つだけある土の大きなフドは紙漉用で、また味噌もこれで作った。 当坂内村には、この家とは異なる形式の四間取縦割食違型や四間取整形型の民家も分布している。【現地案内看板より】 |