ミドリコの2004年・タクラマカン周遊記
[ミドリコさんの旅行記#2]
(Around the Taklimakan by Midoriko, China, 2004)

−− 2004.09.12 ミドリコ
[編集:エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)

※注意:このページは写真が多く、読込みに時間が掛かります。
★−−−暫くお待ち下さい(Wait a minute)−−−★

 ■エルニーニョからの一言

 前回「チベット旅日記」を寄稿して下さった、ミドリコさんが今度は、タクラマカン砂漠一周の旅の原稿を寄せて呉れました。このページはそれを編集したもので、これで2編に成ったので[ミドリコさんの旅行記]シリーズとしました。ミドリコさんは約10数年程前にもウルムチなどを訪れて居るそうですが、その辺りが今回の旅でどの様に映ったかも興味有りますね。
 実はこの旅には私も同行して居りましたが、ムッフッフ!

 ■現地地図と旅の行程

 今回の旅は タクラマカン砂漠(▼下の地図参照▼)を 時計回りに一周
  地図−中国・タクラマカン砂漠(Map of Taklimakan Desert, -China-)

 下が 今回の旅の行程(結果的にそうなった)です

  羽田→飛行機→大阪→飛行機→広州→飛行機→ウルムチ→飛行機→チャルチャン→バス→ニヤ→大型寝台バス→ホータン→大型バス→カシュガル→マイクロバス→タシュクルガン→マイクロバス→カシュガル→硬座列車→クチャ→夜行寝台列車→トルファン→大型バス→ハミ→夜行寝台バス→ウルムチ→飛行機→広州→飛行機→大阪→飛行機→羽田

 ■6月26日〜7月16日 − タクラマカン砂漠を”股”に掛け

  ◆2004年6月26日(土):関空1450→広州1730 CZ390

 初めて 中国の航空会社・中国南方航空で 広州行き
飛行機は 定刻出発
 機内に入って 驚きました 格安チケットにも かかわらず ビジネスクラスの シート
とても エコノミーとは 思えない ゆったりしたシート リクライニングは 当然ながら 足元のシートも 前にせりだして 足もゆったりと シートにもたれかけられ 快適
チケットは たしか エコノミーだったはずだが? シートは ビジネスクラス おもわぬもうけもの
 南方航空なので さぞかし中国人ばかりと思いきや 周囲は空席が目立ち 中国語は 一言も聞こえてこず いささか拍子抜けの態

 広州は 蒸し暑い 空港の建物から 一歩足を踏み出したとたん 毛穴が全開 ほんの 数分歩いただけで 全身から 汗が 噴出してくる まるで サウナに 10分もいたような状況 車と排気ガスと人いきれで 蒸し暑さは いやがうえにも 増してくる

 今年の東京は 入梅にもかかわらず 30度を超す 蒸し暑い日がつづくと ため息をついていたが まだまだ序の口と 思い知らされた
亜熱帯の蒸し暑さは 東京のそれより 何倍もヒートアップ 手の甲からも 汗が 珠のように出てくる これも 常日頃 サウナに入って 新陳代謝にはげんで 発汗しやすい体に しておいた成果と 流れる汗を 横目に見ながら ぼやいてみる

 夕食を食べに ホテル後方の路地裏探検 ホテルは白雲空港から 歩いて10数分 机場路に面している 飛行機の乗り換え移動にはとても 便利 この通りに面しているのは こぎれいなレストランばかり 入口には 赤いチャイナドレスを着た 小姐が 「歓迎 歓迎 光臨」と 客を招いている ここは おもしろそうな匂いがしてきません

 さらに ホテル後方に歩く
裳景街の 住所表示が目につく この歩道の路上には 物売りが 所狭しと 品物をならべ 買う人 売る人 ぶらぶらする人と 賑やかなこと 賑やかなこと 着るもの 履くもの 聞くもの 食べるものと 日常生活に必要なものは 何でもそろう
路上夜店の背景は 小売店舗 これも夜店の品揃え同様 何でもあり 品物の品質が 夜店より グレードアップしていることと 野菜・果物屋が ないことだけが 路上夜店との 違いか? そうそう 病院も夕方にもかかわらず 営業中でした 目につかなかったのは 葬儀屋くらいか?

 にぎやかな裳景街を挟んで 薄暗い路地が 目刺し状に連なっている 古い建物にはさまれた 1mそこそこの路地は 空気がよどんで さらに蒸し暑くなっている 一階は食堂やら 美容院やら 金物屋やら 電話屋(電話機を販売するのではなく 電話を持たない人が 電話をかけにきている)やら 表通り同様 何でも揃いそう この上が 5〜6階建てだろうか 住まいになっている様子

 路地には 暑さをしのぐためか 椅子を持ち出して座っている人 食事をしている人 遊びまわっている子供と 賑わいを通り越して 騒然といった方が ふさわしい
路地の足元は ごみが散在したぬかるみ 薄暗くなっているところには ごみの山 壁に目をやると 盗難・引ったくりの防止をよびかけ 女性の一人歩きをいましめ 薬物の販売の禁止を よびかけている 思わず ここはスラムかと 身をかたくする
写真1:広州裏通りの店のワンタンメン。
 路地から 路地へ 同行者の間に 挟まるような気持ちで 歩いているうちに 目が慣れるとともに ここに見えてきたのは 広州の庶民の暮らし 高層ビルが軒をつらねる表通りからは 想像もつかなかった 暮らしぶりではあったが
写真2:広州裏通りの店の焼きそば。
 その一角で わんたんめん(右上の写真)や焼きそば(右の写真)をつつきながら 冷えたビールで 中国大陸第一歩を祝して乾杯

 路地裏の夕食も また一興
扇風機がかき回す風の動きが かすかな涼しさを感じさせるのみ 店の片隅で 炒め物を 作る熱風と 香辛料を含んだ煙が わたしたちを覆い 全身大汗
 ライチーの 収穫時期のようだ 楊貴妃ならずとも このおいしさは満喫したい 東京で1パック 10数粒はいっているだけで 400〜500円 こちらはさすが本場 ビニール袋一つほどで二元 重さにすると1kmほど 本当にたらふくいただくことができました

  ◆6月27日(日):広州0900→ウルムチ1440 CZ3911

写真3:広州のホテルの隣の飯屋の朝粥。 いよいよ新疆にむけて 出発

 朝食は ホテルの隣で 定番のおかゆ(右の写真)
今日は蒸餃子と包子も つけていただきました どこで食べても できたて おいしくて 体にやさしくて おまけに安い
 早朝にもかかわらず ホテルから 空港まで10数分歩くだけで 汗だく

 機内食から もう新疆モード 配られた機内食のふたに 清真(イスラムの意味)のシールが しっかりと貼られていた

 ウルムチにつくと 予想に反して雨のよう 機内放送によると17度 上着を一枚余分に着る 砂漠地帯で 暑いとばかり思っていたのに 雨とは! 昨日の広州の暑さを思うと 乾天の慈雨

 1路の市内バスに乗って 二道橋のバザール街に行く 10年ほど前に来た時の 印象は 強烈だった 四車線道路を挟んで ぎっしりとつまっていた 夜店市
今は すっかり様変わり 民族バザールも 建物の中に押し込められては 毒気をぬかれた 土産物屋にすぎない 中にいる人は 売る人と 観光客ばかりが目につく
あの 売る人の呼び声 それにむらがる買う人 かきわけるように通る人 地元の人に 巻きこまれながら 右往左往 この雑然としたエネルギーは そのなかに 身をおくだけで 興奮するものがあった
観光整備も 規格化が進むと 本来具わっている魅力を おおきく損なう その一例か
 民族バザールの周辺にある 清真レストランは 地元民(ウイグル族?)御用達 肉の焼ける香ばしい匂いが 鼻をくすぐる 日本でいえば かつて街角にあった 壺焼石焼芋風の炉 中にコークスか? 石炭をいれた壺で焼いた 骨付き羊肉(左下の写真) ジュージューと音を立てて運ばれたそれの おいしいこと 香ばしくて 塩味がきいて 羊くさくなんて まるでない ただおいしいばかり 右下は肉パン
写真4:ウルムチの清真レストランの羊の蒸し焼き。写真5:ウルムチの清真レストランの羊の肉パン。
 しかし いかんせんここは イスラムのお店 アルコールはご法度 どんなに喉が渇いても シシカバブーが ビールと相性がよさそうでも ノンアルコール
ビールを求めて 漢族のお店に移動 日程もなし 小うるさいガイドもなしの お気楽旅の醍醐味 哨子面(左下の写真)と拌面(右下の写真)を食べる
写真6:ウルムチの中華料理店の哨子面。写真7:ウルムチの中華料理店の拌面。

 ホテルの値段の ダンピングの様子も まだいまいちはっきりしなのに さらなる疑問発生
きょう ウルムチからチャルチャンの国内線のチケットを 南方航空のカウンターで購入 翌日の国内線のチケットなので 何の疑問もなく ノーマルチケットのみと 思いこんでいた あにはからんや 現在購入可能は 正規金額と30%offの2種類 あるという
空港内の航空会社の カウンターで 格安チケットが 手に入るなんて 予想だにしなかった ということは 今まで 正規金額で 買っていたチケットは 実は 格安チケットだったのではないかと ホテル料金につぐ 疑心暗鬼

  ◆6月28日(月):ウルムチ→チャルチャン(且末)

 飛行機でタクラマカン砂漠を縦断
 定刻0820に 出発
 薄くて 甘くて ぬるいという 三拍子そろった中国特製コーヒーとアーモンド付の軽食サービス することもないので なんとなく すべて お腹のなかにいれた
 眼下にひろがる草木の一本もない大地 と真っ白な天山山脈を 眺めることしばし あと数十分で 中継地のコルラに到着の 機内アナウンス

 辺境の旅を 覚悟してきたわりに チャルチャン行きの チケットもすんなり手にはいり 順調にチャルチャンに到着 盛りあがりにかけるかなと いさかか 不謹慎な思いがきざす
 あにはからんや 機内アナウンスは ウルムチに引き返すと 告げている 途切れ途切れ わかったところでは 天候不良のため ウルムチにどうやら 引き返すらしい やっぱり 辺境の旅は 一筋縄では いかないものだ 09:50に 出発地点のウルムチに 戻ってきた

 もとの待合室で待機 12時ころ ようやく再出発 この2時間のあいだ 何の説明もなし 地元中国人も おとなしくソファーに 座っている いつもは あんなににぎやかな人たちが なぜ 騒がないのか不思議 天候状況の詳しい説明やら フライト予定やら コルラやら チャルチャンの空港の状況やら 知りたいことは 次からつぎへと わいてくるが ここは 地元の人の動向に 目を凝らすのが得策 めぼしい人数人に目を着けて 挨拶をかわす これで きっと助けてくれるに 違いない
 やっと再出発 コルラ経由チャルチャン行きなので いったんコルラ空港の待合室で 休憩 待合室に乗客全員がはいると 出入口の大きな南京錠を かけてしまった わたしたちは ここからは 一歩も外にでられないのだ どうして鍵を かけるんだろうか?
 トイレに行くと そこは典型的な中国式 ドアーをあけたまま 皆さん使用中 空いているトイレをのぞくと しっかりと 便器のなかにおみやげがありました

写真8:チャルチャンの梅。 チャルチャンの町は 大通り2筋 3筋をめぐってしまえば 終わってしまうほどの 小さな町 バザールをまずはぶらぶらと見る
 市場の構成は中国の他の地域と 大差なし 歩く人の顔立ちに 大きな違い 漢族(一般にわたしたちが中国人と 思っている人たち)より ウイグル族のほうが多いか? 若い女の子を見ていると シルクロードが西方に向けて開かれていた道であることを実感する 中近東を連想させる姿かたち
 左上は市場で売っていた梅 シシカバブー(?羊肉)を商っている男たちの 体躯の立派なことは どうみても 痩せこけた田地で 腰をかがめて 汗水流して働くこととは 無縁だと証明しているようだ(←彼等は遊牧民族

 下の2枚が昼食 左下が羊肉炒め 右下が拌面
写真9:チャルチャンの夕食の羊肉炒め。写真10:チャルチャンの夕食の拌面(ナポリタン風)。

 下の6枚が6月28日夕食 左下がたんめん 右下が苦瓜
写真11:チャルチャンの夕食のタンメン。写真12:チャルチャンの夕食の苦瓜。
 左下が炒西紅柿蛋 右下が魚香肉
写真13:チャルチャンの夕食の炒西紅柿蛋。写真14:チャルチャンの夕食の魚香肉。
写真16:チャルチャンの夕食の西紅柿蛋湯。
 左下が炒落花生 右が西紅柿蛋湯
写真15:チャルチャンの夕食の炒落花生。

  ◆6月29日(火):チャルチャン(且末) 且末古城 庄家 古墳をまわる

写真17:チャルチャンの朝食・ナン。 左が朝食のナン

 中国に着いて 4日目にして ようやく砂漠に 到着の感
今日の観光のために 前日 ホテルのフロントで 4輪駆動車を手配

 4駆で 町を走ると もう砂漠の始まり あっという間もなく 車は 砂漠のど真ん中を 走行中 360度 見晴るかす砂漠 町の遠影スラ見ることができない 町の中を歩いていると 空気がそうとう乾燥しているなと感じるが こんなに 近くまで 砂漠にかこまれていたのだと 車窓から 外を見て 実感させられる 朝夕 街路樹の根元にあるホースから 水が 自動的に散水されていたが これが なかったら みどりは すべて乾燥枯渇するのだろう
 日本では 水は どこでもあふれんばかり ここでは 文字どうりの 命の水

 車は 砂にタイヤをとられないよう 右に左に蛇行 時に 枯れ川床を走ると 車は 大きくジャンプ いったん雨が降ったら 雨水は洪水の勢いで ここを走っていくのだろう 道などは まるでない砂漠の中を 何を目標に 車は走っているのだろう 大海原をいく 舟にのっているのとかわらない気分 海は 開放感をもたらすが 砂漠は そこしれぬ 不安感をわたしに 湧きおこさせた まるで らくだの隊商の 一員になっているかのように
窓をあけると 自分の乗っている車のあげる砂の容赦のない浸入にみまわれる クーラーのない車だが 窓はきっちり密閉 暑いことは暑いが 湿度がそうとうひくいのだろう まるで 汗をかかない 朝から 水分の補給はだいぶしているのだが

 且末古城の遺跡は 地面に陶器の破片が散在していることで ようやくそれと 納得できるもの 建物の跡と 指差されるが 風のいたずらでできた 砂の堆積した箇所と 大差なし 一番高いところに上がるが 見えるのは砂漠のみ 漢代の廃墟といわれるが 2000年以前に 緑の大地に 36カ国の小国が この地に乱立していた時代があったとは 想像するのはむずかしい
 古墳から出土したミイラは 砂漠のおかげを十分にこうむっているとみえ 衣装の色彩もまだとどめている すばらしい保存状態のまま 二千年の時空をこえて 今 わたしたちの眼前にあらわれている
ミイラをみるたびに わたしがいかに 無意識的に仏教文化のなかで 育ったかと 痛感させられる 人目にさらされたミイラは あたかも 行きつき先のない漂流物に 思えてしまう 亡骸は大地に埋葬し 魂は天空にという 仏教の環境でそだったものだからだろう 大地にもどれない亡骸の 悲哀を感じる写真18−0:チャルチャンの昼食のニンニク。ニンニクは無料。

 そして昼食 昼食が出てくるのを待つ間に 現地の人々は テーブルの上に置いてある ニンニク(右の写真) を生でかじる

 下の5枚が昼食の品々
左下が抓飯(=焼き飯) 上に載っているのが 骨付き羊肉 右下はシシカバブー(?羊肉)

写真18:チャルチャンの昼食の抓飯(=焼き飯)。骨付き羊肉が載っている。写真19:チャルチャンの昼食のシシカバブー。
写真20:チャルチャンの昼食の拌面のミートソース。写真21:チャルチャンの昼食の拌面の麺。写真22:チャルチャンの昼食の拌面の汁。

 朝は 6時半ころから明るくなり 7時にして ようやく朝をむかえる 午後は3時を過ぎてから5時ころがもっとも暑い時間帯 日差しは ちりちりと暑いが 汗をかくことなく 木陰にはいると 風が吹いて涼しい やっぱり 砂漠のなかのオアシスのことだけはある 宿も車もクーラーはないが 日が落ちると涼しいので 寝るときは 毛布が必要 このメリハリの利いた温度の変化 日本では 体験できないものだ
写真23:チャルチャンの夕食の羊肉炒め。写真24:チャルチャンの夕食の野菜炒め。 そして夕食 左の2枚が肉の炒めと野菜 右下は拌面

 夜は 8時にならないと 食堂の営業は開始しない 7時ころからようやく ?肉の火をおこし始め 焼肉の串刺しをはじめている それぞれの店は 店頭の路上で?肉を焼き そこで客は涼しい風を受けながら 熱々の?肉に かぶりついている
写真25:チャルチャンの夕食の拌面。
 日常生活は新疆時間にもとづいて 公式生活(学校 公共交通機関等)は北京時間の 二枚看板で暮らさざるを得ないという不便さ この時差は2時間 北京時間と日本時間の時差は1時間なので 実際上は 日本時間と新疆時間の時差は 3時間になるはず

  ◆6月30日(水):チャルチャン(且末)→ニヤ(民豊)

 ニヤへの移動 バス8時間のたび
10時 定刻にバスは出発 大型バスなので全席指定
前日に購入してあるので 座席は最前列 砂漠の中の大移動 どんな光景か 期待がふくらむ
 出発かと思いきや バスは乗客をのせたままガソリンスタンドに直行 よくぶつかる光景 修理工場に直行しないだけましと 思わなければ 中国バスの旅は 楽しめないものと十分学ばされました

 砂漠は 走れども走れども砂漠 全方位砂漠 あまりの変化のなさに 半睡半醒状態で バスの寝台ベッドに 横たわっている 道路は直線をえがいて水平線にすいこまれていく この二車線の車道の センターラインの上をバスは走る 対向車も 同様センターライン上を 走ってくる たまにすれちがう対向車は タンクローリーがくるだけ タクラマカン砂漠は 石油の宝庫であることを 思いださされた

 大型バスの中は 二段ベッドが三列につらなっている 幅60cm 長さ1.5〜1.8m 高さ1m弱の空間に 乗客は手荷物とともにあるのみ 横になっているしかありません

 車道の両サイド5〜6mに砂防が ほどこしてある 1m*1mの格子状に 枯れ草が埋めてある この一枡 野外トイレにちょうどよい大きさ そこまで考えてこの大きさにしたわけではないだろうが
 1時半すぎ トイレタイムに路上ストップ 乗客はそれぞれ左右前後に 散らばる 用足し最中の女性たち だれも 手に紙を持っている人はいず そうなのか そうだったのかと 奇妙な生々しさを 感じつつ 紙を砂に埋めて 立ち上がる

 砂漠の真中をひた走る一本の道 ところどころ 蛇の舌のように砂地が 道を侵食している タクラマカン砂漠の威力の前には 人間のつくった道も はかなげに見える
 やっぱりというか 予定どうりというか 車は立ち往生 修理に2時間 運転手や助手 さらに乗客も加わっての修理 ぼんやりと眺めているうちに 2時間は過ぎていきます いらいらすることもなくいられるのは 砂漠の中だからでしょう

 夜の8時に ニヤに到着 外はまだ明るいです
写真26:ニヤの夕食の油塔子菜。写真27:ニヤの夕食の肉野菜炒め。
朝 食べただけで バスにかんづめ状態 今夜は豪勢に100元も大奮発(四人でも食べきれませんでした)
左が夕食の油塔子菜

 下の4枚も全て夕食 左下がはるさめ 中央下が葱爆肉 右下が羊の内臓のスープ
写真28:ニヤの夕食のはるさめの炒め。写真29:ニヤの夕食の葱爆肉。写真30:ニヤの夕食の羊の内臓のスープ。

 下が大盤鶏 黄瓜 拌面
写真31:ニヤの夕食の大盤鶏、黄瓜、拌面。

  ◆7月1日(木):ニヤ→ホータン(和田)

写真32:ニヤの朝食の羊のスープ。
 右が朝食の羊スープ

写真33:ニヤの朝食のナン。 ニヤからホータン約300kmの道程 いたるところ道路工事中 アスファルトの道から 迂回路標識にそってたどる道は 砂利を固めたがたがた道路 大型バスが車体を ハンドルを何度も切り返しながら 迂回路に入り 本線にもどりの行程 運転手の気の休まる時のない移動だった
 左上が途中で買った焼きたて熱々ナン

 しかし 工事人を見かけたのは 数ヶ所 あとはどうなっているのだろうか? 日本のように 工事内容の標識もないので まるで 見当がつかない この少ない交通量 いつ工事をしても いつできあがっても たいした問題ではなさそう

 ニヤからホータンの砂漠 砂漠といっても ぽつぽつと草が生えていたり 瓦礫だったり 草地があったりと 表情が変化している これが砂漠化がすすむと チャルチャンからニヤの移動中に続いた大砂漠になるのだろう

 バスの中 前と隣の座席に 4ヶ月と6ヶ月の乳飲み子つれの乗客 6時間にもなるバスは 親子ともども大変なこと しかし この赤子たち 誰が親かわからないほど 傍らの乗客がだれかれとなく抱きあやし 一度も泣き声をあげることがなかった 小腹がすいたころになると ナンをとりだし食べ始め 自分の子供ばかりでなく 乗りこんできたばかりの子供にも ナンをちぎって 手わたし 自分の子のお菓子を半分にして 隣の席の子にあげる これらが あたりまえのように行われている もらったほうも とりたてて遠慮をしたり お礼をいったり 子供にお礼をいわせたりすることなどまるでない 目と目があって 笑顔でおしまい

 3時ころホータンのバスターミナルに到着
町のようすもわからないまま人力車に乗る 初めて町に着いたときに乗る人力車は 最高の乗り物 スピードはゆっくり 町並みを眺めつつ宿に向う 人力車のこぎ手の背中の汗をみながら 涼しい風に吹かれて座っている 1元のお金の重みをずっしりと感じる一刻

 チェックインをすませ ホータンの大都会にくりだす 広場の真中に 毛沢東の巨大な立像が未だ健在 そういえば 北京や上海であまりみかけない スローガンもこの地では よく目にする
 ビルの林立する都会ではあるが まだ 町のあちこちに道端市場が 賑わっている 昼食(下の写真)をすませ 市をひやかしながらぶらぶら 最盛期をむかえているハミ瓜が 市場にでまわっている 早速購入 今夜のお楽しみ
写真34:ホータンの昼食。

  ◆7月2日(金):ホータン

写真35:ホータンの昼食の蒸しパン(中華の店で)。 中華の店で朝食(左の写真)
 玉龍喀什河畔に タクシーででかける タクシーの運転手は ちょっとといいつつ 修理工場に寄り道 数分というので眺めている 本当に数分で終了 それから ガソリンスタンドに行って給油 これで 正真正銘の出発 町でながしているタクシーをひろったはずなんだが どうなっているのだろう?

 崑崙山脈から流れてきた水は 冷たく澄みきっている 河原の石はどれも大小をとわず 角がとれてきれいな卵形 ここから中国人の熱愛する”玉”が産出している 2008年北京オリンピックのシンボルマークも ここの”玉”を 彫ったもの
 河畔には 一攫千金をゆめみて”玉”を探しにきた人が 石を物色している その光景を見に来たわたしたちに ”玉”を売ろうと 数人の男が近寄ってくる
タクシーは 市内一律5元 タクシーにメーターはない 市外に出るときは 運ちゃんと相対の交渉 10元の約束でスタートしたが 河畔に着くと20元の要求 帰路の足の確保をしようと思ったが 不快なのでそのまま下車 さて 市内から15分ほど乗ってきている 帰りはどうしようか思案が固まらない

 路線バスにするか? 馬車にするか? 馬車の運転手に 市内のバスターミナルまでと 行き先をなんども確認するが 当方の発音が不明瞭なのか 馬の持ち主の若者が 中国語を解さないのか 行き先が伝わらず 彼の口から出てくるのは 「バザール?」 馬の足にまかせていってみるのも一興と 荷台に乗りこむ
 荷台に足をなげだし 馬のひづめの音 たてがみを飾る鈴の音を聞きながら 町を移動
15〜6分も乗ると 馬車は バス道路をおれて 小道にはいって行く
写真36:ホータンの昼食の拌面(バザールで)。
 いったい馬の足はどこに向っているのかと 仲間同士侃侃諤諤 じょじょに 馬車やロバ車がふえているので 賑やかなところに向っているのは 間違いなさそう 小道のたどり着いた先は 思いがけずも金曜日開かれる大バザール ここにたどり着くとは予想外の幸運
 そしてバザールで昼食 右が 拌面
 更に左下が汁入りホイ面 右下が汁無しホイ面
写真37:ホータンの昼食の汁入りホイ面(バザールで)。写真38:ホータンの昼食の汁無しホイ面(バザールで)。

 今日は”玉”の市のたつ日だという 耳寄り情報
ようやく暑さの盛りがすぎた5時ころ出かける まだまだ外は暑い 暑いのだが 汗がしたたり落ちることがないのは 乾燥がすごいのだろう
 市に近づくにつれ 食べ物屋が並びだしてくる ?肉の屋台が煙をあげ 隣では面をうったりのばしたりと 厨房は 暑い室内から 風のとおる道路にせり出している 客は店内より 日よけのしたの道路に設けられたテーブルに陣取っている 道の片隅にはベッドが置いてあるが きっと 従業員が仕事をおえたあと休むのだろう

写真39:ホータンの”玉”の市近くで食べた夕食(パンに野菜炒め はるさめ)。 道の両側にぎっしりと石をならべた市 道路は 手に手に”玉”をもったおとこたちが群がっている どうやら 道の真中で 黒山のように集ったおとこたちは ”玉”の商売をしているようだ 布をひろげて石を並べているところから 商売の熱気は 流れてこないが あの男たちの一群からは 取引の緊張感と熱気でむんむんしている

 中国人の偏愛する”玉”が 新疆の地から産出し 今の中国の発展をささえている石油も 新疆から産出している ウイグル族の誰かが 漢族は何でも持っていってしまうよ と 言っていたが

 上が”玉”の市近くで食べた夕食(パンに野菜炒め はるさめ)

  ◆7月3日(土):ホータン(和田)→カシュガル(喀什)

写真40:ホータンの朝食の白粥と黒粥。 今日は朝から風が吹いている 街全体が砂ぼこりで おおわれているようだ 話しながら歩いていると 口の中がじゃりじゃりするようだ 風がひとたび吹くと 砂が舞い上がる砂漠のなかのオアシスだと実感する 大都会なので ともすると街を囲んでいるのが大砂漠であるのを わすれそう 広場の毛沢東の巨大立像もかすんでいる
 右が朝食の白粥と黒粥

 ホータンからカシュガルまで 10時間のバス大移動の日
前日チケットを買いに バスターミナルに行ったときに 大型豪華バスがあることを知る なるほど大型豪華バス クーラーもついている 座席もリクライニングシート 後方リクライニングばかりか 通路がわにも可動 ウイグル族のおとこたちは 立派な体格の持ち主がおおい こうでもしなくては 体が濃厚密着するのだろう さすが大型豪華バス しかし フロントガラスはひびだらけ どのバスも フロントガラスにひびがあるのは なぜ? 市内運行バスだけが 無疵のフロントガラスで走ってました

 12時 バスは 定刻とおりにバスターミナルを出発 ターミナルを出たと思ったのは ほんの一瞬 バスはそのまま隣の敷地に移動 運転手さんはバスを降りていく 何事かと 窓から見ていると 前方から 大きなタイヤを転がしながら 修理工が三人で やって来る 乗客をのせたまま どうやら タイヤ交換の模様 定刻とおりに出発するなんて やはりありえないことのようです

 修理工が三人がかりで タイヤを外し 取り付け 待たされているのも忘れて てきぱきとたち動く姿に 見とれてしまう
10時間の移動にそなえて 今一度トイレに行く 今回は 悶絶寸前のトイレに遭遇していないので 気楽にトイレに行くことができる

 しかし 大都会の林立する沿岸部から離れること 4000km以上の新疆地区には わたしをおじけつかせるトイレが まだまだ健在でした バスターミナルの外側に位置するそのトイレ 外見は 日干し煉瓦つくり 半円形超小型ドーム型 近づくにつれて 周囲にゴミが散乱 トイレのにおいも強烈にただよっている 入る前から 中の光景があたまをよぎり ため息がでてくる 地元の人も 奥のほうをつかうきになれず 手前で用を足すと見える わたしも 先例にならいそそくさと用をすます
 なぜ? どうして? トイレをきれいに掃除することが システム化されないのだろう?
頭のなかを トイレで見てきた光景で占領されながら バスにもどる

写真41:カシュガルの夕食の大盤鶏。
 40分後 バスは出発 これで ほんとうにカシュガルに向けて 10時間の移動開始 車内のビデオで タイタニック 新疆映画 香港映画と 三本見終わっても まだカシュガルには到着しなかった

 なかなか暗くならない新疆も 今日到着したカシュガルは すでに 日が落ちてだいぶ時間がたち 食事に町にでると すっかり夜になっている
 右は夕食の大盤鶏


  ◆7月4日(日):カシュガル ホージャ墳 エイティガール寺院 職人街

 今日は 観光に励んだ一日
寺や寺院やは ちょっとだけ見ればことはたりる なんといっても 人の集まる市場ここでは バザールといっているが ここに入りびたりの時間が持てないことには 何のために中国にきたのか 意味不明になってしまう

 エイティガール寺院の周囲は 観光化をはかっているのか 工事中 完成のあかつきには 土産物屋が立ち並んだ一角になりそうな いやな予感 早々に 工事現場を通りぬけ 人家の密集している方向に すりよっていく
やっぱり 人家と商店と路上市場の混在している場所が 寺院の後方に 広がっている ガイドブックをみると ここが 職人街

 ウイグル族色濃厚な土産物屋 民族楽器や イスラム教徒のかぶる刺繍の帽子や トントンカンカンと打ちだしの銅製品 彫りだし模様のポット 大小さまざまなナイフなどなど 新疆地区ならではのものが 次から次へと繰り出してくるようだ その間にはさまるように シシカバブーを焼いている店 拌面の店が 路上にテーブルを持ち出している

 道の一角では 今が旬のハミ瓜売りが ロバ車からハミ瓜を大量に 荷おろしの真っ最中 それを買いに人が 黒山のように集っている 女の人が 店の外にまではみ出すほどの人気の商品はなんだろうと 遠くから見つけて 行ってみると そこは 金のアクセサリー屋


写真42:カシュガルの昼食の牛肉面。
 ぐるぐると何周しても 見飽きることがない 暑くて疲れてきたら 小間物やでジュースを買って 日陰で小半時も 道行く人をぼんやりと見ていれば いつの間にか 疲れも暑さもなくなっている なにもせず道端に 腰掛けているだけで こんなに満ち足りた気分になってくるのは どういうことだろう このあたりが どうやら 中国少数民族地帯の魅力 なのかもしれない 雲南省しかり チベットしかり ここ新疆もどうやら 同じリズムが感じられるようだ

写真43:カシュガルの夕食の爆炸羊肚(ホテルで)。
 左上がカシュガルの街に帰って食べた 昼食の牛肉面


 夕食は街のホテルのレストランでとる
右が爆炸羊肚 左下が家常豆腐 右下が拉面(予想と違った!)
写真44:カシュガルの夕食の家常豆腐(ホテルで)。写真45:カシュガルの夕食の拉面(ホテルで)。

  ◆7月5日(月):カシュガル→タシュクルガン 往復870km 1泊2日の小旅行

 昨日 ホテルの中の旅行社で タシュクルガンへの小旅行を手配
パキスタンとの国境まで行くには 通行許可証が必要 そのために 旅行社の人に パスポートを昨日預ける 昨晩は パスポートを預けたことが 気になって いささか不安になる

 朝8時 約束の時間通りに ガイドさん現れる
カシュガルの街を出発して ほどなく 小さな市場の前で ガイドが車をとめる ここの西瓜とハミ瓜は 格別においしいと すすめられるままに 買う(たしかに 今回の旅で 一番甘くて 美味しかった) ガイドは 辺境隊への差し入れに 桃を一籠 買う 手作りの籠に あふれんばかりの桃 採ったばかりのみずみずしい桃の葉を たっぷり蓋にして 目にも鮮やかな プレゼントのできあがり

 30分も走ると 前方に 山脈が見えてくる 山脈を前方に 左手にと見ながら 車は 対向車もあまり来ない 直線の道を 走り続ける 雪を頂いた山脈 その前方には 樹木の一本もない山並み 徐々に 雪を頂いた天山山脈が おおきく聳え立ってくる

 街を走り出して 1時間もするころだろうか 山脈は 右方向からと 左方向からと 両方向からせり出し 天空を圧倒し 交差するようになっている 右手の山脈は天山山脈 左手は崑崙山脈 この山脈の 雪解け水が タクラマカン砂漠を南北に挟んで オアシスを点在させ 砂漠の北側の天山南路 南側を西域南道の シルクロードがはしっている
 時に右に左に蛇行し カシュガル タクラマカン往復870kmの道を 走り続ける
天空にそびえる崑崙山脈 目の前に広がるのは 草がまばらに生え 草原ともいえず 砂漠ともいえない大地

 馬が草を食んでいたり ラクダも草を食んでいたり 野兎が車の音に驚いて それこそ脱兎の勢いで 道路をよこぎったり 草の密生している大地では プレーリードッグ?が大慌てで 巣穴にもぐりこんでいく

 目が慣れてくると あそこにも ここにも プレーリードッグが 後ろ足立ち姿で 車の振動を全身で キャッチしている
茶色の太った兎のような姿で 2〜3匹が 音に敏感に反応して 巣穴にもぐっていく あっという間もない出来事 遠くに見える数匹は 車のほうを じっと見て 走り出そうかどうしようかと思案のようす しばらく 車窓からの 光景を にぎわしてくれる

 放牧民のテント(パオ)が点在する 移動用のパオだったり タジク族の住む日干しレンガつくりの家だったり

 羊は草の豊富な夏を迎えて 山の上に移動のようで 群れでいる羊をみることはできない 春には 羊の群れ 道路はうまり 車の移動も中断を よぎなくされるようだ

 蓋孜という村で パスポートチェックのため 車をおりる
カラコルム・ハイウェーを走る車は 標高3600mに位置するカラクリ湖に 着く 周囲の景色は 標高の高いことを示すように 峻険な山脈になっている ひときは目を引くのは7546mのムズターグアタ峰や 7719mのコングール峰

 下の3枚が旅行社が手配した ホテルの昼食
写真46:タシュクルガンのホテルの昼食(焼きそば)。写真47:タシュクルガンのホテルの昼食(肉炒め)。写真48:タシュクルガンのホテルの昼食(野菜炒め)。

 海抜3000mを超えているので 外の気色も一変している 足元の草叢をよくみると 高山植物が夏を迎えて 数ミリから1〜2cmの小さな花を 咲かせている 一度 目にとまると あそこにも ここにも 一斉に咲きだしたかのよう 白だったり 黄色だったり 目にもあざやかなピンクだったり 高山植物特有の 色鮮やかさ

 パキスタン国境の辺境管理区は 海抜4000mを超え 車を降りると 空気の薄さを実感 ゆっくりと 一歩一歩足をふみだし おおきく深呼吸 これを十数回繰り返す これで大丈夫
 国境まで来たからといって 風景が急に変わるわけではない 辺境管理区の事務所の建物があるのみ 高山植物を見ながらの 青空トイレ 記念スタンプにまさる記念

 国境線で 足を止められるのがわかっているにもかかわらず 道が 国外パキスタンにつながっていると 想像するだけで 心が浮立ってくる あと20歳若かったら このまま 足は パキスタンに向っているかもしれない それは また インド〜トルコまでの シルクロードの終点に向っての出発点を 意味している
 パキスタン アフガン イラン イラクらの情勢が落ちつき アジア・ハイウェーが開通したら 足腰が多少弱っていても バスに乗ってなら 終点トルコまで シルクロードを 走りつづけられるだろう

  ◆7月6日(火):タシュクルガン→カシュガル 途中タジキスタン国境による

 左下が朝食の抓飯を作っているところ 右下が抓飯できあがり
写真49:タシュクルガンの朝食の抓飯を作っているところ。写真50:タシュクルガンの朝食の抓飯。

 タシュクルガンの街は 歩いて1時間もあれば まわりきれるほど
車で 数分で 大平原にでる よくよくみると 草原ではなく湿原のよう ちょうど太陽が 昇りきった9時過ぎ 水を含んだ草原とパオを 斜めの太陽光線が きらきらと輝かせている 馬が草をはみ 近くでは牛も 草をはんでいる 今まで続いた砂漠の風景が うそのような 緑あふれた光景 緑薄い大地になれた目には 干天の慈雨のようにうつる
これも 車で走ること30分も続かず あとは 見なれた砂漠か砂礫の大地 自然の妙に息をのむ

 今日は タジキスタン国境カラスによってから カシュガルにもどる
崑崙山脈を地平線にみながら 車は 荒地のなかを 一直線に走る 時に 山はおおきく迫り 車窓を圧倒し 車窓から雪峰を見上げ 目に映るものは 雪峰と天空の白雲ばかりとなる
タジキスタンへの出入口カラスは この春にひらかれたばかりと ガイドは言う 一週間に2度ひらかれ 今日は ちょうどその日に当たり タジキスタンからの入国の人がいるという

 辺境管理区の建物と 翻る五星紅旗のみが 国外に開かれたところだと示すのみ 風景を中断するものは これ以外何も見えず 一つながりの大地
山頂にいる羊飼いたちは ひょっとすると 知らず知らず 行ったりきたりしているのではなかろうか 標高3000〜7000mの山頂に 国境線を張り巡らすのは 人知の及ぶところではないはず

 国境付近には タジク人のパオが 食堂をかねて いくつかある 中に入り 包子とミルクティーをいただく 包子は今まで食べてきたものと 大差ないが ミルクティーは 塩味 乾燥が激しいせいか 塩味が 体に吸収されていくのがわかるほど 美味しい
チベット族の ミルクティーも 同様に塩味だが 入っているバターが ヤクバター この獣のにおいが なんとも なれていなくて 最初のいっぱいは 思わず腰がひけてしまう

 パオのなか 通じる言葉は 値段のみ ここが中国国内だと思えるのは 通貨の人民元を 渡したときだけ あとは 各地共通の笑顔のみ 地元の男たちも わたしたちを眺めながら 包子を食べている まるで わたしたちはかれらの お菜になった気分 パオの中が賑わっているのを見に 数人のタジク人の おばさんも集合 パオのなかが 満員


写真51:再びカシュガルの夕食(中華の店で)。 カシュガルに やっとたどり着いた 冷たいビールの飲める漢族の食堂 四川省から 出稼ぎに来て まだ一年にも なっていないという

 右がこの食堂での夕食 たけのこ肉・辣子鶏丁・炒猪腹?・空心菜・土豆糸・小葱拌豆腐・糖拌西紅柿・麻婆豆腐


  ◆7月7日(水):カシュガル→クチャ(庫車) 0929出発 1950到着 硬座普通車

 今日は クチャまで 10時間の列車の旅 朝 7時半でも また外は ほの暗い
硬座は 以前の日本の三等車にあたるか?
待合室には大きな荷物を かかえた人ばかり カバンの大きいのばかりでなく ビニールの肥料袋パンパンはちきれんばかりの人 風呂敷包みの人 ダンボール三段重ねの人 この大量の荷物が この大群の人と一緒に 入口に殺到するのかと思い 内心いささか 怖気ついてくる
 ここは 一列ずつしか 入場できないように 柵をしてある これで 押し合いへしあいを せずにすむはず
 きちんと整列した効果は ここまで 改札口を通ってしまえば 元の木阿弥 かんじんの列車に乗り込むときは やっぱり 恐怖の押し合いへしあいをし ステップを踏み外す人がいたりして 大騒ぎ

 座席指定のはずが すでに 先客がすわっていたり 三人がけの座席に四人で かけていたり 大きな荷物が 足元におしよせて 文字どうり足の置き場が なくなったりの 大混乱
通路は 人と荷物で 身動きが取れない状況 これに 漢族特有の わめき声の大音響の伴奏つき 冷房もなく おまけに 窓からは砂の進入があるので 窓はしまったまま いやがうえにも 車内の 温度は上昇する
 座ってみているだけで 地の底に 引きずりこまれるような 疲労感
数十分すぎるころには 人も荷物も おちつくところに おさまったようだ 車内もさきほどの 阿鼻叫喚の大騒ぎが ひと段落したようだ
この大騒ぎ 駅に着くたびに 繰り返されるとは 思わなかった
写真52:カシュガル→クチャ列車の車内販売弁当。
 左が車内販売弁当(ピーナッツは別)

 前の座席で 楽器を弾きだし 歌をうたいはじめるウイグル族の若者たち 三人がけ向かい合わせの座席に 子供二人を交え 総勢八人で 歌いだしている 写真を撮りにいくと 周りの人たちが こどもに ダンスをうながす 手拍子にのせられるかのように こどもたち 狭い座席の間で 軽やかなステップを踏む
 このグループが 終わると 楽器は 車内後方の 立ち乗りの若者の手に 渡される ここからが 本番の歌の始まり 弾き手は一人 歌い手はつぎつぎと換わり ろうろうと歌いつづけている 人だかりができ 通路を通りぬける人は 半身になって通りすぎて行く
 歌が 最高潮になったころは 通路に 踊り手が出現 これがまた おどろかんばかりの上手さ 踊りも歌同様 最高潮になってくると 周囲から 自然に手拍子が湧き 踊り手も歌い手も さらに 絶好調に向って 走り続ける 見ている私も 列車の中にいるものやら お祭りの騒ぎのなかに まきこまれているのやら 判然としなくなってくる レールの響きと 歌声は いまだ 頭から離れない

 午後の1〜2時間の休みをはさんで 10時間の間 ずっーと この歌声が 続いていて 時間の長さを 忘れさせてくれる 歌詞はウイグル語 リズムもウイグルのリズム これすべて ウイグル族 車内に響く言葉の ウイグル語 目を閉じていると 中国を旅していることを 忘れている

 四人向かい合わせの三等車 前座席の二人の若いお嬢さん 一人は漢族 一人はウイグル族 若者同士すぐに 話がはずみ 電話番号のやり取りをしている 漢族の娘さん 軍人さんと結婚 かれは フフホトの駐在中とやら なにげない二人のやり取りを 小耳に挟んでいるうちに 耳に 刺さった漢族の娘さんの言葉

 ウイグル族の娘さんにむかって 「ここは 中国だから 漢語を 話すべきよ」「ここは 中国だから あなた 新疆時間で言っては だめよ 北京時間で 言ってよ」等々 おたがい 笑いながらの軽い会話ののり ウイグル族のむすめさん かるくうけながすようす
 そのうち 件の漢族の娘さん 車内の冷房のないこと 砂漠の砂が ようしゃなく窓の隙間から 入りこむのに耐えかね 寝台座席を100元の追加料金で 確保したようす
しかし その車両まで行くのに ウイグル族でぎっしり満員の車両を 一人では 通過しかねる模様 ウイグル族の娘さんに 送ってくれるよう 頼んでいる
 私流に言い直すと 「あなたと同族のウイグル族が びっしりといる 汚くてうるさい車両は もう ほんとうに イヤ! あなた わたしと 友達になったんだから 寝台車両まで 送っていって いいでしょ!?」 表面上は 気のいいウイグル族の娘さんが わがままな小金もちの漢族の娘さんを 助けたということかもしれない

 もどってきたウイグル族の娘さんに さっきの 漢族の娘さんと お友達になったの? と訊ねると 「No!」 漢族の友達は 要らないという さもありなん
西部大開発の号令のもと 日々 漢族は 続々と押し寄せ ウイグル族らの少数民族を 押しのけている様子を見るにつけ 納得せざるをえない

  ◆7月8日(木):クチャ→トルファン(吐魯番) 大清真寺・キジル千仏洞・スパシ故城
         2248出発→翌1250頃到着

写真53:クチャの朝食の豆乳。 左が朝食の豆乳

 遺跡めぐりのタクシーを 捜すのが 今日の出発点
宿泊した庫車賓館の中庭で 客待ち風の女性運転手から 声をかけられる 遺跡めぐりの値段がようやく折り合って さて出発と思いきや 自分は客待ち中だから 友人のタクシーを すぐ呼ぶという 満面の笑顔で ぬけぬけと言うではないか

 賓館の庭から外に出て 流しのタクシーをひろうと 今日は 遺跡のほうに道路は 行けないというのやら 値段が折り合わないのやら 地元の事情に疎くて おまけに 言葉が十分でないという 足かせ手かせ状態で 難渋する
数台のタクシーと 交渉するが不調 これを そばで見ていた一台のタクシー 一番安い値段で行くという これでようやく出発 しばし走り出すと 遺跡ではなく 市内の故城に向かう 先刻の約束のルートでないので ここで 交渉決裂 「あなたは 信用できない」の 捨て台詞で下車 ものと賓館まで 送るという運転手の言葉をふりきって下車
ホテルのあたりまでもどろうとするが 歩き出してみると 思いのほか車は走っていた
背中には 今日の夜行列車の移動にそなえて リュック 気分は軽くても 暑いのと 重いので 足取りは 遅遅として進まない

 ようやくのことで 流しのタクシーを つかまえることができた これが 感じのよい運転手 値段も妥当なところでおちついて出発 遺跡めぐりの間に昼食に レストランを紹介してもらう 地元のウイグル族が 好んで集まりそうなお店 道路から 少し引っ込んでいるので とうてい わたしたちでは たどり着けた場所ではなかった

 左下がそのレストランで食べた シシカバブー(クチャのシシカバブー 美味しさはウルムチと双璧) 右下が鳩焼き
写真54:クチャの昼食のシシカバブー。写真55:クチャの昼食の鳩焼き。

写真56:クチャの昼食を食べたレストラン宴席の飾り付け。

 右がレストランの一室に用意されていた 宴席

 街に戻っても まだ4時過ぎ 日は高く まだまだ暑い ひょっとすると一日で 一番暑い時間帯かもしれない 夜行列車の出発まで 時間の消化

 ビルに挟まれた通路に ビニールシートを日よけに張った一角 ビルとビルの間から 涼しい風が吹きぬけてくる ここで しばし休憩 キンキンに冷えたジュースやビールを飲みながら することもなく ぼんやりと座っている
若者たちは 大ジョッキにかき氷を入れたヨーグルトを飲みながら談笑 ここは クチャのしゃれたオープンカフェなのかもしれない 道端にしつらえられた一角が こんなに のんびりとした時間と空間を 提供してくれるとは 思いもしなかった発見だった

 夜10時48分の 夜行寝台車で トルファンに移動

  ◆7月9日(金):トルファン

 三段ベッド向かい合わせの寝台列車 上段の人は 天井に頭がつかえて 座っていられないようす
冷房のきいた車内に入ると まるで 別天地に来たかのよう 寝台に横になったとたん 一日の疲れがどっとでて バタンキューと 眠りこむ 何時に消灯したのかも不明
きくところによると 11時半頃消灯したらしい

 朝方6時半ころ 目が覚める 外は うっすらと明るくなりだしている 今日の昼過ぎまで トイレを我慢するなんて 到底不可能 恐怖のトイレ行き決行 行ってみると 拍子抜け 水洗式のきれいなトイレでした 同じ普通車でも 先日のとは 大きな違い これで 中国旅行最大の難関は クリアー ただし このトイレ 地面直結 垂れ流しなので 駅に近づくと 駅務員が 鍵をかけて 使用不能になってしまう

 朝 7時をすぎると じょじょに太陽が山脈の上に 顔をだしてくる 通路によういしてある簡易式椅子に 腰掛けて 車窓から外を眺める 天山山脈 それに従うように連なる山 山 レールは 草原のような 砂礫のような大地を 走っていく 時に 馬の放牧があったり ぽつんとラクダが 草を食んでいたり 太陽の昇るのをみながら 得がたいひと時をすごす
 7時半すぎるころから 車内放送が始まるとともに 乗内の人の動きも活発になる ヨーグルト売り 熱湯を台車に用意したカップラーメン売り 弁当売りと 次から次へ物売り
その間をぬうように 自分で用意したカップラーメンを片手に 車両に用意されている熱湯を 入れに行く人と 朝食まえの あわただしい動き


写真57:クチャ→トルファン列車の車内食堂の朝食。 ゆったりと朝食をとろうと 食堂車に出かける おかゆと花巻とおかずのセットで8元 右が食堂車の朝食

 ゆったりとした朝食タイムのはずが 後方からの怒声で フイになる
食堂車の服務員の態度がよくないと 一組の初老の夫婦が 声を荒げて叱責 延々と続くが収まらず 列車長が 座席に座って話を聞いている様子 その間も 夫婦の怒声はやむことなく 食堂車中に響き渡る 当方 食事をとるどころか 箸をおいて 大声の行方を眺めるほかない
 食堂車中をまきこんでいる非礼には 露も気がつかぬ 自己中毒ぶり 列車長と服務員の詫びを手に入れて したり顔で 食事を開始した件の夫婦
あ〜あ 漢族の大声の喧嘩 自己主張 何度目にし耳にしたことか

 トルファンに 1時頃到着
空調のきいた列車から 外に出ると 駅前全体が 熱い空気でおおわれている いちばん暑い時間帯だが 暑いというより 暑さで顔がひりひりするようだ バス停前の交通賓館に 入るだけで 今まで流したことのなかった大汗 最高気温40度
これでも 昨日よりは いくらかよいと言う 大汗をながしながら 昼食の場所を探す まるで 水のない海べを歩いているようだ 街中を一角あるくだけで もう降参 パラソルの下で 冷たいビールで一休み 生きかえった


写真58:トルファンのレストランの昼食(抓飯ほか炒菜)。

 その後 レストランで昼食 左が抓飯ほか炒菜 右下が?菜湯
写真59:トルファンのレストランの昼食(菜湯)。

 あまりの暑さに 暗くなり始める8時まで ホテルで蟄居
暑さは暑さで征服と 鍋物を囲む 路上で営業中の火鍋屋 お客さんで混雑しているなかに 突入
写真60:トルファンの夕食の火鍋。
 左が夕食の火鍋
火の熱さと 唐辛子と山椒の辛さで 汗がふきだしてくる
 空が 夕闇に包まれる前の 太陽の残照で 赤く染まる一瞬をながめられるのも 街頭の食事の醍醐味 時計をみると 10時をすぎている
 

  ◆7月10日(土):トルファン 火焔山 ベゼクリク石窟 葡萄園

 左下がレストランの定食 中央下が炒面 右下が西紅柿蛋湯
観光に 費やした一日でした
写真61:トルファンのレストランの昼食(定食)。写真62:トルファンのレストランの昼食(炒面)。写真63:トルファンのレストランの昼食(西紅柿蛋湯)。

  ◆7月11日(日):トルファン→ハミ

 トルファンからハミへ 10時間のバス移動
信号などは まったく必要のない 一直線の道路 二車線の道路に 対向車にもほとんど出会わない 過重搭載のトラックが すっかり ひっくり返って 道路から 転がり落ちているのが2台 路肩に止めて 修理中の車が3台 目をひいたものは ただそれだけ
うつらうつらとして 目をさましても 車窓の風景は あまり変わらない 水平線に山脈が 見えるのみ 目の前にひろがるのは 砂漠か? 荒地というのがふさわしい大地のみ
写真64:ハミの屋台の昼食のガン面皮。
 右が昼食のガン面皮

 街に近づくと 緑がすこしずつ 増えてくる
夕方になると 街路樹には 根元にひいてあるホースから 自動的に散水 この光景は チャルチャンから ずっーと 見なれたもの オアシスは 砂漠の中の点 人為的に散水しなければ 一木一草といえども 育たない
夕方7時頃 外はまだまだ明るく日本の夏の3時ころか? 散水車が街を走る 水をまかれた道は 熱をふくんだ蒸気をあげている

 ここは ハミ瓜で有名 市場や街かどでは ロバ車の荷台に満載された瓜を あちこちで 見かける トルファンからここに来るあいだ 瓜畑らしきものを 見かけなかったのだが 日本でよく見るメロンの大きさのものから ラグビーボールのサイズまで 大小さまざま 黄金色に包まれた瓜の果肉は 真っ白 暑さと乾燥した体には この甘さとジューシーさは こたえられない
写真65:ハミの屋台の夕食(砂鍋)。
 夜8時 ようやく日も暮れようかという時刻 昼間は 歩道だったところ一帯に あふれんばかりの人が テーブルを囲んで夕食の最中 ビール片手に シシカバブーや砂鍋(左の写真)をつついている シシカバブーを焼く石炭(コークス?)の火 砂鍋を作るプロパンガスの炎 ナンを焼く壺の熱気 それらの火の熱と 大勢の人の勢いに 一瞬圧倒される 中に 空席をようやく見つけて座る 忙しく動き回っている屋台の人たちを見ながら この賑わいの坩堝に 入っていると なんともいえない心地よさが 広がってくる
 

 空が 夕映えから薄闇にかわると 裸電球に灯がともり 昼の暑さが うそのように 涼しい風が吹いてくる
 この後更に 昨日に続き 火鍋を食べる
写真66:ハミの夕食の火鍋(砂鍋の後に)。

  ◆7月12日(月):ハミ→ウルムチ ハミからウルムチ

 夜行寝台バス10時間の移動
夜8時半 ハミ出発 8時といっても 日没まで 2〜3時間あり 日は高く暑い 今日のバスは 豪華大型冷房つき寝台バス 車内は 二段3列のベッド 汽車と違って 上段の人が 頭が天井につかえることはない 定刻10分遅れで 出発
 幸運にも 座席は 最前列下段のベッド ベッドに横になって フロントガラス越しに 180度 パノラマ風景は広がる 地平線まで一直線にのびている二車線の車道 両側は荒地としかいいようのない大地

 日没をむかえる10時ころから 茜色に染まった空が 眼前いっぱいにひろがる 夕焼けの空を満喫 うとうとして 目を醒ますと 外は漆黒 地平線にちらちらと 灯りが見える 隣町のものだろうか ふと 目を天空にあげると 大きな星がいくつも目にとまる 空の星は こんなに大きかったのか こんなにたくさん見られるものだったのか

 夜中1時過ぎ ピチャンの街に休憩停車 トイレタイム
乗客は暗がりにそれぞれ 散っていく 青空トイレならぬ 夜空トイレ なれてくれば 汚れているトイレに耐えるより 何倍も快適

 これは 実は トイレタイムではなく 運転手さんたちの食事休憩だった 道路沿いに 一列に10数軒ならんだ 回族の食堂 店先にテーブルを出しているのは いずこも同じ トラック野郎たちご用達とみえる バスで 隣り合わせたウイグル族のお嬢さんと ぶらぶら散歩 ウイグル語のテレビのかかっている食堂の前で 腰をおろす 同族同士気安く 話がはずむ
 お茶を ご馳走になっているうちに その場にいあわせた二〜三人が テレビの音楽にあわせた 踊りだす これがすこぶる上手 おまけに楽しそう 戸外に出してあるベッドに座っていたおばあさんも 上半身踊りだす テレビの前では 二人の男が 掛け合いの踊り いったん踊が 始まったら 気分軽やかに とまらないようす

 運転手さんの食事時間 40分
ウルムチを過ぎて 明け方の5時過ぎ みごとな下弦の三日月 その下に大きな金星 空ける前のうすくらい夜空に あざやかにういている 今夜は 一晩よく空を眺めた

 バスで隣にいあわせたウイグル族の娘さん 隣といっても ベッドの座席は満席のバス 途中から乗ってきた彼女は 通路が彼女の座席 新聞を敷いて 横になる
ウイグル族の人は 人なつこい おしゃべりをしているうちに 彼女の耳のイヤリングに目が とまるカシュガルでも 金のアクセサリー店に 女の人が群がっていたのを思い出す ここは 中国 年収をたずねたり 持ち物の値段を聞くのは よくあること 彼女に イヤリングの値段を聞いてみる 当たり前のように すんなりと 金のグラム数と値段を 答える 65グラムで1000元 父親のプレゼントだという 先ほど 彼女は自分の月収は900元 と言っていたから 一か月分の月収をみにつけているのだ 一日10元もあれば 食べられると言っていた彼女が 1000元のアクセサリーをしている セットになっている ネックレスは 引ったくりにあうのが怖いので してこなかったと言う 休みを利用して トルファンの病院にいくという 宿泊は 10〜15元の招待所 この価格のアンバランスに わたしは 落ち着きのわるさを感じる

  ◆7月13日(火):ウルムチ

写真67:ウルムチの屋台の朝食(包子)。
 朝6時半 ウルムチに到着 包子で朝食(左の写真)

 天池を観光 ホテルの前でタクシーを ひろい出かける
10数年前に比べるべくもないほど 観光地化していた 中国人の旅行熱 恐るべし
 

  ◆7月14日(水):ウルムチ→広州

 今日は暑い 3時過ぎに 街を歩くと 熱風が吹きつける まるで 真夏の暑い盛りに 天ぷらをあげつづけているような そんな熱気が 街全体をおおっている 日射しが暑いというより 風が沸騰しているようだ 日陰にはいっても あいかわらず暑い 街行く人は 日傘をさし アイスクリームをなめなめ 歩いている アイスクリームの誘惑に まけそうになる アイスを食べたあとの お腹の状態を 鮮明に想像しながら やっと思いとどまる

 夕方 新聞を見ると ウルムチは25年ぶりの暑さ 13日は 日中の最高気温39.5度 どおりで暑さがちがったわけだ 気象観測の数値だから わたしたちが歩いていた繁華街は ゆうに40度は超えていただろう 暑さのきびしいトルファンでは 44.4度を観測したようだ

 一個数元で買える西瓜を 水代わりに食べている人を 街かどでよく見かけるが 体中が西瓜の水分を ほしがっているのだ

 この暑さでも 汗はうっすら 木陰にはいると汗はひくのだから そうとう乾燥しているはず 日本でなら午後の暑い日ざしがやわらぐ時間帯の4〜5時ころ 酷暑に感じる 最高気温は この時間帯5時前後に 観測されていた
 北京時間で この広い中国大陸を統一しているのだから 自然の動きと おおきく乖離するのは当然といえば当然のこと 北京から3400km 上海から4000km離れた新疆を 公式時間は北京時間で押しとうすところに 少数民族にたいする中国の 基本的な姿勢がよみとれる


 右下は二個一元のできたてドーナツ
写真68:ウルムチのドーナツ。写真69:ウルムチのドーナツ。

 飛行機は30分遅れの出発 到着も遅れて夜中の12時30分
今までいた新疆は 12時といっても 暗くなって2時間がすぎたあたり 街角は まだ 食事している人も多く 商店は閉まっていても 屋台の物売りは営業中で 夜の8〜9時あたりの 人の動き 広州はもう真夜中

 広州着陸時の気温26度 暑い! 気温ではなく湿度 蒸し暑い! 5〜6歩あるくだけで 汗がふきだしてくる
空港のタクシー乗り場で 宿泊先の住所をつげると40〜50元のこたえ 10元するかどうかの距離にもかかわらず 何人もが 同じこと 当然タクシーはやめにして あるき始める 10数分もあればつく目と鼻の先 空身でも汗を流すところを 背中には おみやげでパワーアップされたリュックが ずっしりと重い この10数分は暑く 長かった 頭から 足まで 全身汗が流れている

 砂漠乾燥地帯と 亜熱帯の暑さの違いを きっちりと学習させられた 空港から宿までの 10数分でした この湿度の高さ 肌にはよいようで 日焼けどめクリームと乾燥で ぱさぱさしていた肌が 高級美容クリームをつけたような状態になっていた

  ◆7月15日(木):広州 清平市場

 広州の地図は▼下▼からご覧下さい。
  地図−中国・広東省の広州(Map of Guangzhou of Guangdong, -China-)

写真70:広州沙面の朝食の飲茶。
 先ずは沙面 飲茶10種類で朝食(左の写真)
さすが広州 連日ホイ面を食べつづけていた舌には この味の繊細なこと 変化にとんでいること 感激至極 大都会には 旅の楽しみのひとつに 食べる喜びがあることを 知らされる

 沙面一帯 洋館がたちならび 街路樹も青青とし 公園には彫刻がしつらえられ 緑の濃い木陰の下を ぶらぶら散歩

 足は 運河を渡り 清平市場に向かう 入ったとたん 目に飛び込んできたのは ヒトデの乾燥した食材 見当もつかない乾燥食材がならんだ通りを過ぎると 今度は 生きたさそりが 大きなたらいの中に うじゃうじゃ ひときわ大きなさそりは いっぴきずつ瓶の中に入れられている さそり通りはそのまま 亀や魚の生鮮食材通り いやな予感 ここは 早く過ぎなくてと思っているうちに 目の前に 猫の檻 大人になりかけた子猫が数匹 したをむいたまま足早に過ぎる

 口に入るものなら なんでも ここにはそろっているようだ 市場大好き人間には はてしのない宝庫 しかし暑い 日差しを避けるように 路地裏に入りこむと そこは 狭い路地をはさんで民家が密集している 日のさしこまない路地を選んで歩くと 表通りの騒々しさからは想像しがたい静かさ 路地を 涼しい風が通りぬける
写真71:広州大盤焼きレストランで遅い昼食(大盤豆腐)。
 ここも中国 新疆も中国 この差異 なんど来ても 予想外の顔をみせてくれる中国 ぼやきながらも ついまた来てしまう

 右が大盤豆腐 左下が大盤鶏 右下が西紅柿湯
写真72:広州大盤焼きレストランで遅い昼食(大盤鶏)。写真73:広州大盤焼きレストランで遅い昼食(西紅柿湯)。

  ◆7月16日(金):広州→関西空港

 無事に 3週間の旅が終了
次回の予定を 胸に秘めつつ 機上の人に

                (^o^)

 ■エルニーニョからの二言目

 最後に宿泊費の会計報告です。ミドリコさんによると

   6月26日 土 広州 利雲賓館            250元
   6月27日 日 ウルムチ 孔雀賓館          180元
   6月28日 月 チャルチャン(且木) 木孜塔格賓館   50元
   6月29日 火 チャルチャン(且木) 木孜塔格賓館   50元
   6月30日 水 ニヤ(民豊) 西域賓館         120元
   7月 1日 木 ホータン(和田) 玉融賓館       140元
   7月 2日 金 ホータン(和田) 玉融賓館       140元
   7月 3日 土 カシュガル 温州ビル         180元
   7月 4日 日 カシュガル 温州ビル         180元
   7月 5日 月 タシュクルガン パミール賓館     600元(全て込み)
   7月 6日 火 カシュガル 温州ビル         180元
   7月 7日 水 クチャ(庫車) 庫車賓館        160元
   7月 8日 木 トルファンに移動 夜行寝台車     149元
   7月 9日 金 トルファン 交通賓館         120元
   7月10日 土 トルファン 交通賓館         120元
   7月11日 日 ハミ 中銀賓館            120元
   7月12日 月 ウルムチ移動 夜行寝台バス      85元
   7月13日 火 ウルムチ 金谷大酒店         180元
   7月14日 水 広州 利雲賓館            180元
   7月15日 木 広州 利雲賓館            180元
   7月16日 金 関空 自宅               0円
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  計                       3364元

と成り、宿泊費は締めて 約3,400元=約5万円 でした。主婦は確り会計チェックという訳ですね。

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♪♪♪ おしまい ♪♪♪

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):タクラマカン砂漠の地図▼
地図−中国・タクラマカン砂漠(Map of Taklimakan Desert, -China-)
参照ページ(Reference-Page):広州の地図▼
地図−中国・広東省の広州(Map of Guangzhou of Guangdong, -China-)
参照ページ(Reference-Page):中国の少数民族▼
資料−中国の55の少数民族(Chinese 55 ETHNIC MINORITIES)
ミドリコさんのタイ族民家のホームステイ日記▼
2002年・雲南タイ族民家宿泊記(Homestay at Dai's-house, China, 2002)
「清真」について▼
昆明の「清真」通り('Qingzhen' street of Kunming, China)
台湾のコーヒー事情▼
2004年・台北市の街角事情(Town watching in Taipei, 2004)
遊牧民族の特性について▼
民族占い(Comparative Ethnologic approach)
乗客を乗せてから給油するバスやホータンの玉(ぎょく)売り▼
中国のケッタイな人々(Chinese strange persons)
中国の不気味な食材▼
中国のヘビーなお食事−”食狗蛇蠍的!”(Chinese heavy meal)
「元の木阿弥」の語源▼
大和筒井城(Ruins of Tsutsui castle, Nara)
ウイグル族などについては「中国の少数民族」からどうぞ▼
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